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魔女と夢魔と左手  作者: 直弥
1/4

その1

   1.


 射鹿村は一言で言えば田舎だ。二言で言えばすごく田舎だ。村唯一の小学校と中学校は同じ校舎を共有していて、高等学校に至っては〝ない〟。そんなわけで俺は、中学を卒業してすぐ、隣県の公立高校に進んだ。名門というわけでもなく、特に進学校というわけでもない、地元の人間が皆通うような高校なのに、俺だけ住んでいる県が一つ違うというのも笑えない話である。笑えない話だったから、一ヶ月で自宅通いを諦めて、親戚の家で下宿を始めた次第。帰省するのは夏休みと冬休みと春休み。年三回。そして今日は八月一日。高校生活最後の夏休み、俺は実家に向かっていた。もうかなり近付いて来ている。この時節、町ではまだ耳にしないチッチゼミの鳴き声が懐かしい。やたらと高い山の麓にあって、外の人間には『一本村』とか呼ばれたりしているらしいこの村には、特産物や観光地なんてまるでない。唯一自慢できるのは件の山。ヒメオオクワガタが大量に捕れる雑木林があるのだ。オオクワガタではなく、ヒメオオクワガタなのがポイントで、マニアにとっては垂涎の地とされている。今年もお盆が過ぎた辺りから昆虫マニアたちが押し寄せることだろう。もっとも、彼らの目当ては野生のヒメオオクワガタであって、村の人たちもまさかわざわざ自分たちで先んじてクワガタを集めて彼らに売り捌こうなんて思いもしない。だから、どれだけの人が押し寄せてこようとも村に落ちるお金はゼロだ。ガソリンスタンドもコンビニも隣の町まで行かなければないのだから、この時期に潤うのはむしろ隣町という有様である。いや、どうせ本社は首都にある全国チェーンのスタンドやコンビニなのだから、それも少し違うんだろうか。東京め!

 そんな、取り留めもないことを考えて歩いていると、見ず知らずの美女からチューされた。

「――――――――ぅ」「……………………ん」

 どこから現れたのか分からない。霞のように消えたならぬ、霞のように現れた女。

 ミルクチョコレートのような褐色の肌は、傷ひとつ痣ひとつニキビひとつ痘痕ひとつとしてなくて、作りたてのマネキンのようにつるっつる。ボーイッシュなまでに短い髪は、絹糸のように白い。毛先に少しクセがあるようだけど、ほとんどストレートだ。そして――これが何より重要だ――下着同然の服装をしている。小学生だった頃の夏休み、再放送のアニメでこんな格好をした女の悪役をみたことがある。おかしな口調の小男二人を従えている女王様キャラ、野比のび太だ。間違えた。ムージョ様だ(地元では、どういうわけか『ヤッターマン』ではなく『ゼンダマン』の再放送が主だった。高校で「ドロンジョ様って誰だよ。ムージョ様だろ?」と言って恥をかいたこともある。おのれ地方局)。

「ん、ふうっ」

 吐息とともに唇が離れる。どちらのものか判別の付かない、というか恐らく両方のものが混じり合った唾液が糸を引く。

「続きは夢の中で、ね」

 とても滑らかな日本語で、ムージョ様っぽい女性は言った。直後、彼女の身体は霧消した。

 ……………………。

「……………………。え? え、な、何だ今の!? 誰!?」

 いやいやいやいや。ホントマジで冷静に分析してる場合じゃないって! 誰だよ今の! つうか、なんだよ今の! イリュージョン? イリュージョニスト? 引田天功(二代目)? いや待て、天功はあんなに若くないだろ(失礼)。

「おおう、だいぶパニクっちゃってるね」

「はっ!?」

 不意に掛けられたその声で、俺はようやく我に帰る。背後から聞こえたその声の主を確認しようと振り返った。先ほどの女とは対照的に、新雪の様に白い肌をした美少女だった。歳は俺と同じくらいかな? いや、もしかしたら年下かもしれない。どう見ても日本人じゃないし、外人さんの歳はよく分からない。腰の辺りまで伸びたストロベリー・ブロンドの髪はゆるやかにウェーブしている。パーマだろうか。背は、俺よりも高いかもしれない。ちなみに俺は一六九センチ。せめてあと一センチ欲しかった。

「……どちらさん?」

「まあまあ、そう警戒しないで」

 警戒するな、か。それはちょっと無茶ってもんだ。観光地でもないこの村で、昆虫マニア以外の余所者に会うこと自体が珍しいというのに、ムージョ様もどきに出会った直後に、日本語ベラベラの異邦人になれなれしく声を掛けられちゃ。そう言えばさっきのムージョ様まがいも日本人には見えなかった。

「君さ、さっき、夢魔に襲われたじゃない?」

「むま?」

 馬? ほらみたことか。いよいよおかしな話になってきた。

「んーと、どう言えばいいのかなあ」

 色白女は小首を傾げつつ考え込んでいる。歳は俺よりも一回り近く上っぽいのに、その仕草がやたら子どもっぽい。一歩間違えればあざとい域だ。もう一歩間違えると痛くなる。

「うん! よし、決まった。決めた。やっぱり正直が一番だよね。いいウソ思い付かないし」

「ウソつく気だったのか」

「うん」

「素直なのか何なのか。じゃあその、〝本当のこと〟っていうのを言ってみてくれよ。さっきの人、知り合い? グル?」

「知り合いでもないし、グルでもない。やだなあ、人聞きの悪い。わたしはね、君を助けに来た魔女だよ」

「マージョ様はさっきの奴だろうが!」

「ええ!? 何の話!?」

「また間違えた。あれはムージョ様だ」マージョ様はタイムボカンだった。「ごめん、何でもないから続けてくれ」

「あ、うん。あのね、さっきの人は夢魔で、君を魅了しようとしている悪い奴なの。で、わたしはそんな君を助けに来た魔女ってわけ」

「これ以上俺を混乱させないでくれ」

「ええ? かなり分かり易く説明したつもりなのに、ダメだった?」

「そうじゃなくって。いつまでふざけてるんだよ。早くネタばらししろ」

「うわあ、思ったより強情だね。何でもかんでも受け入れそうな顔してるのに」

「どんな顔だ。失礼な」

「じゃあ、攻め?」

「何の話だ」本当に、何の話だ。「もう一回ふざけたら帰るからな」

「そんなあ、ふざけてるわけじゃないのに。わたしは本当に魔女なんだってば」

「ほんといい加減にしろよ、もう帰るからな」

 俺は女に背を向けて、早足に歩き始めた。

 ――ふざけんな。ちょっと可愛いからと思って調子に乗ってからかいやがって。 

「『ふざけんな。ちょっと可愛いだと思って調子に乗ってからかいやがって』」

 女の声が聞こえた。はっきりと耳に聞こえるほどの音を立てて、心臓が鼓動した。全身に血が行き渡る。息が詰まる。脇から汗が染みだす。眼球が渇く。

「え、あ……、い、今、え、なんでっ」

「やだもう! 可愛いだなんてそんな、えへへへへへうひひひひひきひゅひゅひゅ」

「気色悪い」

「に!? ああっと、『なんで俺の心を読めたんだ』って聞きたいんだよね? ふふんっ。それはね、君とはちょーっと違う眼を持ってるからだよ。どう? これでもまだ、わたしがただふざけてるだけだと思う?」

「でも、そんな馬鹿な。だって、常識で考えたって、魔女なんかいるはずが」

「じゃあ、わたしのことはともかく、さっきの女の人は何なの?」

「あれはプラズマだ!」

「ええー、その解釈はどうなの?」

「じゃあモテ期が来たんだ!」

「それはもっとない」

「俺にモテ期が来る確率は人型のプラズマ以下か!」

「そういう意味で言ったつもりじゃないのに。あのね、さっきのサキュバスはいきなり消えたでしょ? 人間にそんなことが出来る?」

「それでもテンコーなら、変装したプリンセス・テンコーならもしかしたら」

「……誰それ?」

 馬鹿な! 二代目引田天功ことプリンセス・テンコーを知らないだと? あの人は世界的にも超有名なはずじゃなかったのか! こいつ、まさか本当に魔……。

「ああ、朝風まりさんのこと?」

「めちゃくちゃ詳しいじゃねえか!」分かる俺も大概だけど。「とにかく! あんなもん、仕掛けさえあれば何とかなるはずなんだ! だいたい、あいつが消えるところまで見てたんなら、その時に助けてくれてよかったはずだろうが」

「だから、もう後少しってところで間に合わなかったんだってば。わたしが辿り着いたのは、サキュバスが消える直前だったんだから」

「じゃあしょうがないか」

「……意外とあっさりしてるんだね。でも、そうだよね! 今さら何を言ったってしょうがないし! 過ぎたるは及ばざるが如し、って言葉もあるぐらいだし」

「それ、言葉の使い方、盛大に間違ってるから。やっぱりお前、外国人タレントかなんかで、これは一般人対象のどっきり企画とかだろ。この村がチャンネル四つしか入らないからと思って馬鹿にしてるのか?」

 だとしたらもう許さんぞ、東京!

「もう、どうしたら信じてくれるの?」

「魔女なら魔法でも見せてくれればいいじゃねえか」

「でもどうせその魔法も手品だとかイリュージョンだとかハンドパワーだとか言うんでしょ?」

「分かってるじゃん。じゃあな」

「へ?」

 呆けた表情で固まった女に背を向けて、今度こそ俺は歩き出した。まだ後の方で女がごちゃごちゃ言ってるようだけど、気にしない。俺はどっきりとか何とか言って、人を騙して見世物にするのが大嫌いなんだ。あんなものをバラエティだなんだと言って面白がっている奴らの気が知れない。作る側も、見る側も。ああ言うのは本来、友達どうしで悪意なくやるから楽しいんだ。テレビ番組の場合、他人をおもちゃにしているだけとしか思えない。

「ちょっとお! あの、わたしはずっとここにいるから! 気が変わったら戻って来てよね!」

 知るもんか。


「ただいま」

 玄関を開けてまず第一声。いつもならばここですぐに、おかえり、と返事が返ってくるはずなのに、今日に限ってはそれがなかった。嫌な予感がする。さっきまでのおかしな一件のこともあってか、少し神経質になっているのかもしれない。

 ――母さんと右子(ゆうこ)は、留守かな?

 でも鍵は開いていた。もし本当に二人とも留守だっていうんなら不用心過ぎる。まさかと思って二階へ昇る。妹、右子の部屋をノックする。返事はない。そっと扉を開ける。中で、二人は仲良く一緒に眠っていた。鍵を開けたまま留守にするよりもずっと不用心だろ。

 ――それにしても。

 母さんと妹はベッドの上で、べったりと寄り添い合っている。右子はまだ小学四年生だし、そこまで異常な光景ではないけど、やっぱりちょっと不安になる。女の子のマザコンって、男のファザコンよりも珍しいんじゃないか? だからってそれが悪いってわけじゃあないけど。そもそもこいつのマザコンは、親父が居ないせいなのかもしれない――だとすればつまり、俺のせいっていうことになるのか。この家族から親父を奪ったのは俺なんだから。

 とにかく、眠っているならわざわざ起こすこともない。そっと扉を閉めて、俺は自分の部屋へ向かった。夏休み。予定は何もないけど、学校にしばらく行かないでいいというだけでかなり心が休まる。かといって毎日一日中勉強をやれるような出来た人間ではない俺は、暇を乗り切るためのゲームやビデオ、文庫本を用意していた。もっとも、文庫本は今日帰る途中に町の図書館で借りてきた本だけど。隣の部屋で眠っている二人を起こさないよう、イヤホンをつけて、買ったまま開封していなかった映画のビデオを見始めた。二本のビデオ。DVDじゃない。VHSだ。  

 二本ともを見終えた所でようやく異常に気がついた。

 ――静か過ぎる。

 時計に目をやると、もうすぐ七時だっていうのに、まだ夕食にも呼びに来ない。確かにウチの夕食は時間が決まっているわけじゃないけど、大抵は六時過ぎのはずだ。凝った物でも作っているのだろうかと思い、一階の台所へ向かう。誰も居ない。ならばと再び二階に戻り、今度は妹の部屋をノックするがまたも返事はない。仕方なく勝手に部屋に入った。二人はまだ眠っていた。

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