8.薬採り
慣れない館での生活にもだいぶ慣れてきた。宮では毎日のように失敗続きだったというのにここでは致命的なミスは未だにおかしていない。本当に漢の祓いが効いたようである。
多霧、帯人をはじめ館にいる数人しかいない従者ともだいぶ話すようになった。一部まだ打ち解けていない人もいるが帯人はあまり気にしなくていいと言っていた。
「赫弥殿、文です」
年若い舎人が走って近づいてくる。この館では大海人の次に若いらしくて弟のような扱いを受けることが多くて不満だと言っていた。
だが赫弥から見てもどことなく仕草が可愛らしいのである。つい故郷にいる弟を思い出す。
「ありがとう」
そう言い舎人の頭を撫でようとするとかわされてしまう。どうやら他の者たちにも同様に撫でられているのか反射能力が発達してしまった様子だ。
赫弥はちょっと残念に思いながら文の送り主を確認した。
「あ、香笹だ」
中身を確認すると仲間の采女と薬採りをする為遠出しようと書いてある。その場所が大海人の館の近くだから赫弥もどうだろうかとの誘いである。
それを見て赫弥は行くとすぐに返事を送りたかった。
だがまずは主人に伺いをたてなければならない。
「赫弥さん、果物を大海人様に持っていってちょうだい」
丁度よい仕事があたり赫弥はすぐに引き受けた。足早に持って行くと角のあたりで人にぶつかる。
「おっと。危ないですよ」
「すみません。帯人さん」
ぶつかった相手は帯人である。果物を盛った器を落としそうになったのを彼は器用に受け取った。
「ふふ、久々の失敗ですね」
そう意地悪気に笑って赫弥はうぅとうな垂れた。
宮にいた頃に比べ失敗はなくなった。だが、今のように他のことを考えながらだと失敗するのだ。
(呪いのせいだと気が緩んでいたらダメ。気をしっかりしなきゃ)
赫弥はぱちぱちと頬をひっぱ叩いた。
「ありがとうございます。帯人様」
頭を下げ器を受け取った。
「失礼します。大海人様」
部屋の前で声をかけるとしぃんとしている。ひょっとしてお休みになっているのだろうか。
赫弥はそっと中の様子を覗き込む。
暗い部屋の中大海人は深刻な表情で円盤を眺めていた。
(占いの最中? 後にした方がいいかしら)
そう思ったがすぐに大海人は赫弥に気づいた。
「あ、あの。果物をお持ちしました」
「ああ、中に入ってくれ」
どうやら占いは終わっていたようである。ではなぜ深刻な表情をしていたのだろうか。何かよくない結果でも出たのだろうか。
「随分真っ暗ですね。蔀を開けていいでしょうか」
「ああ。もう終わったから、頼む」
大海人は受け取った果物を器用に小刀で剥く。赫弥は立ち上がり蔀を開けた。真っ暗な部屋に明るい日の光が入ってくる。
「何か私に言いたいことがあるのだろう」
それを言われぎくりと肩を動かす。
「ど、どうしてわかるのですか?」
「顔に書いてあるよ。赫弥はとても正直者だからね」
くつくつと揶揄するように言われ赫弥は顔を真っ赤にさせた。とことこと大海人の前に座り先ほどの文を取り出す。
「実は宮の友人が近くの山に遠出に出かける予定で、私も一緒に薬採りしないかとお誘いを受けたんです」
「いいよ」
本題に入らないまま大海人はあっさりと答える。
「え? え、と行って良いのでしょうか」
「行くなという理由はないさ。それに、宮に戻りたいというのならそういった繋がりは維持していた方がいいだろうし」
引きこもりの王子であるのになかなか社交的なことを言う。
「ではお言葉に甘えて」
「うん、供に一人くらい連れて行っていいよ」
思いがけない申し出に赫弥はさらに驚いた。
「だってそうしなければ宮の采女が直接ここへ迎えに来るだろう」
大海人はしゃくしゃくと林檎をほお張った。
その言葉を聞き納得した。
大海人は宮は苦手だし、宮の采女もかなり苦手なようであった。
彼曰く女の念は時として男より怖いのだという。確かに采女というのは地方豪族の娘がほとんどであるが才能と美貌を認められ宮で勤めるものばかりだ。そういったものたちは自尊心が高い。少しでも傷つけられると執念深く覚えているものだという。しかも、女は政治の駆け引きなどよりも感情が先立つものという。
(私の友人たちはそんな酷い人たちじゃないんだけど)
赫弥の周りは比較的和やかな雰囲気なのだ。確かに宮には恐ろしい采女が多いけど。
ふと間人王女の采女たちを思い出した。赫弥はあのあたりはちょっと苦手なのだ。
「ではお言葉に甘えさせてもらいます」
赫弥は早速香笹に文を書いた。
◇ ◇ ◇
「赫弥ぁ!」
約束の山の入り口あたりで赫弥は宮の同僚たちと久しぶりの再会を果たした。
「どう? うまくやっている?」
「うん、何とかね」
「大海人様てどんな方? やっぱり噂通り?」
「そ、それはちょっと待って」
次から次へと降ってくる質問攻めに赫弥は苦笑いした。
「ねぇ、聞いて。私未だに失敗はやっていないのよ」
「ええ、嘘。あんたのことだから盆をひっくり返すことくらいやっているでしょう」
「いつものことのように言わないでよ!」
顔を真っ赤にして否定する。それに采女たちは笑っていつものことだったじゃんと言った。
「ふぅん、ひょっとしたら疲れていたのかもしれないわね。ほら、長旅で都まで来て慣れないうちに華美な宮にあがって疲れちゃうパターン。結構そういう子いるらしいわよ」
「ああ、大海人様の館は静かだし、他の采女の目とか気にしなくてすむものね」
「ひょっとしたらそっちの方が向いていたのかも。そのまま大海人様の采女になっちゃうの?」
「ならないわよ。かならず大海人様を参内復帰させて宮に帰るんだから」
それがいつのことになるやらわからないのだが。
「まぁ、うまくいっているようで安心したわ。ちょっと心配だったのよねぇ。ねぇ、香笹」
香笹は困ったように笑った。どこか元気がないようだ。少し痩せたようにも見える。
「どうしたの? 香笹」
彼女の手が視界に入る。包帯が巻かれていた。
怪我でもしたのだろうか。
どうしたのかと尋ねると彼女は苦笑いして包帯の手を袖の中に隠してしまった。
「ちょっとどじっちゃって。器を落としちゃって慌てて片付けようとしたら手を切ってしまったの」
「え? 大丈夫なの?」
「うん。水仕事ができなくなってみんなには迷惑かけているけど、何とかなっているわ」
采女たちは呆れたようにその時のことを思い出した。
「全く大きな音がして様子を見てみると器を落としてそれを片付けようとしていたらしいわ。大王にお仕えする身で手を怪我するなんて、下女に任せればよかったのに」
「だって私のミスで割ったものだから慌てて………」
香笹でもそのような失敗をするなんて意外である。ついそれを口にすると、采女がやれやれといった仕草をとり語った。
「まぁ、人は誰でも失敗するというものよ。でも、赫弥の場合は失敗しすぎ」
「うぅ、も、もう失敗はしないわよ」
「本当? 嘘だぁ」
揶揄するように采女たちが口を合わせて言った。
「ひどい!」
赫弥はぶぅっと頬を膨らませた。その子供っぽい表情をみんなおかしげに笑った。
香笹もくすくすと笑っていた。
それを見て赫弥は少し安心した。
(よかった。いつもの香笹みたいね。まぁ、失敗は誰にもあるということだし私と同じような呪いにかかったとかじゃないわよね)
「ところで一緒に来たあの方はどなた?」
「え? 帯人様のこと」
采女は興味津々そうに赫弥を連れてきた帯人をちらちらと見た。大海人が一人供に連れていいと言われたので誰がいいだろうかと思っていたら彼が立候補してくれた。
良いのですか? と赫弥は尋ねるが帯人は別に構わないと頷いたのだ。
「へぇ、帯人様。あなたの恋人?」
「ち、違う!」
「ああ、だから宮を出てから調子がよくなったのね」
采女たちは納得するように頷く。だから違うと赫弥は必死に否定した。
「にしても格好いいわね。宮の見目麗しい舎人と並んでもぜんぜん引けをとらないわ」
采女は頬を朱に染めながら呟いた。
確かに帯人は顔立ちが整っている。物腰も柔らかく、礼儀正しい。ひとつひとつの所作の流れが風雅と思う時がある。とても並みの地方の豪族の出とは思えない。
「大伴と言っていたわね。ひょっとしてあの大伴かしら?」
大伴はかつては物部と並ぶ軍事の氏族だった。だが、他の豪族の争いや大王位継承争いに巻き込まれすっかり力を削がれてしまった。それでも赫弥の一族に比べるとずっと大きい一族である。
采女たちはちらりと帯人を見た。彼女たちの視線に気づいた帯人はにこりと微笑んで会釈をした。
それに采女たちはぽっと少女のようにあ顔を赤らめて黄色い声をあげてしまった。中には大胆なものもおりそそくさと帯人の元へ近づき話しかけた。
「あの、はじめまして。いつも赫弥がお世話になっています」
「あの子、そそっかしいから迷惑かけていません?」
話の出入りが赫弥のどじっぷりに関することである。それに赫弥は眉をしかめた。
(いくらお近づきになりたいからって私をだしにしないでよ)
残った香笹はくすくすと笑った。
采女の言葉に帯人は朗らかに笑い首を横に振った。
「とんでもない。可愛らしく元気なお嬢さんで王子の館が華やぎ感謝しています」
その笑顔にますます采女たちは頬を朱に染めた。
「あ、あの……帯人様は大伴一族の方なのですか?」
「ええ。ですが傍流の中の傍流の田舎者ですので大したものではありません」
「一体どういった経緯で大海人王子の舎人になられたのですか?」
「親が大海人様の壬生の一族とお知り合いでそういった縁でお仕えさせて頂いています」
采女たちは次から次へと質問を繰り出た。大海人の館はどのような感じだとか、帯人は普段どのように大海人に仕えているのかと些細なものから私事のことまで聞いてくる。帯人は笑顔を崩すことなくひとつひとつに応えていった。
「随分な人気ね」
香笹は微笑みながら言った。
「帯人様て見目が良いからね」
しかも大伴一族の者というから目の色を変えてしまっているのに赫弥は呆れた。
「だいたい薬草採りするんじゃなかったの?」
そう言いながら赫弥はそこらに生えている野花を摘んだ。
「実際はみんなあなたを心配して様子を知りたかったからよ」
「で、私が元気だからもう用済みで今は帯人様に夢中なのね」
赫弥はむすりと拗ねて見せた。それをくすくす笑いながら香笹は頭を撫でた。
「良かったわ。元気にしているようで、ちょっと心配だったのよ」
「大海人様のこと?」
香笹は苦笑いした。
「まぁ、確かに変人だったけど悪い方じゃないわ。ただ面倒臭い人ってだけで」
「面倒臭い?」
赫弥はむぐりと口を噤んだ。あと少しで漢のことを話すところであった。
あの日、大海人から漢のことを教えられた後このことは決して誰にも話してはならないと厳命された。
「漢の気まぐれでばれたとはいえ決して他言無用だよ。もし約束できないようだったら君がしゃべれなくなり読み書きもできなくなる呪いをかけて故郷に強制的に帰すから」
そんな感じで脅されてしまったのである。コミュニケーションを封じられた上に故郷へ送還とはいくらなんでも酷いと思う。他に言いようがあるだろうに。
それだけ大海人としては必要以上の者にばれたくないようである。
赫弥はもちろん約束した。決して口外しないということを。
「まぁ、うまくいっているようならそれでいいわ」
香笹は首を傾げながらも納得してくれたようである。そしてごそごそと懐を探り出す。
「そうそう。あなた宛に文が届いたのよ。昨日。丁度いいから今日持ってきたの」
文箱を赫弥に差し出す。赫弥はその文箱を見てすぐに故郷からのものだと気づく。
「え? 何で?」
確か大海人の館でしばらく勤めることになったと伝えたはずだ。
「大海人様の館がどこかわからなくて故郷の方が途方にくれていたの。だから私が預かることにしたわ。あ、勿論中は見ていないわよ」
「ありがとう」
赫弥は早速文箱を開ける。送り主は赫弥の母親であった。
内容は心配しているという旨。やはり采女の仕事は向いていないのではないか。嫌だったらすぐに故郷へ帰っておいで。そして婿をとれという内容であった。
「もう、私は帰りません。立派な采女に、大王に認められる才女になって名を残してやるんだから」
その意気込みを聞いて香笹はくすくす笑った。
「でも、あなたを心配しているのよ。良いお母様で羨ましいわ」
「えー。そうかな?」
全くもって娘を信用していない内容の文であった。
「私には母親はいないから」
香笹はぽつりと呟いた。とても悲しげな声で。
「え、そうだったの」
それだったら母親の文を迷惑がる赫弥がどんなに罰当たりに見えただろうか。
赫弥は少し申し訳なく思った。それに気づいた香笹は首を横に振った。
「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの。ただ、いいなって思っただけ」
香笹はふっと微笑む。それでも赫弥は心配そうに香笹を見た。
「大丈夫。私には賑やかな友人がいるし、それに大事な方もいるし」
「大事な方?」
赫弥は目をぱちぱちさせはっとする。
「ひょっとして香笹、恋人がいるのっ!?」
その叫び声に采女たちは注目する。
「まぁ、香笹。あんたいつの間に」
「どこのどなたよ」
采女たちの注意は一気に別の方へ向いた。
質問責めに遭う香笹は慌てて違う違うと否定した。
「大事な方というのはそういう意味じゃないわ。私の恩人ていう意味」
「恩人?」
香笹は笑ってこくりと頷いた。
「親を失ったばかりの私を育ていろいろ教えてくださった方よ」
「まぁ、ではその方が……誰かしら。確かあなたの身内は中氏」
采女の想像は香笹は首をぶんぶん振った。
「確かに中氏の紹介で采女になれたけど、その方ではないわ。勿論中氏の方にも感謝しているけど……ええと中氏に紹介してくださった方で」
「もう、じれったいわね。その方があなたの恋人でしょう」
「もう、失礼なことを言わないで。それに恩人は女性だから違うわ」
香笹は珍しく怒ってみせた。そして相手が女性とするとすぐに采女たちの興味は薄れた。
「素晴らしい方だったのでしょうね。あなたを立派な采女に育てたのですから」
帯人はにこりと微笑み香笹に語りかけた。まさか自分に声がかかると思わず香笹は頬を朱に染めた。
「そんな、私はまだ未熟で……勿論恩人は素晴らしい方ですが」
最後の一言は本当に愛しそうに呟いた。それがどれだけ香笹にとって大事なものか赫弥は理解できた。
「その方も嬉しいでしょうね。あなたにそこまで想われて」
帯人は微笑みながらとても優しい声で囁いた。
香笹は照れながらも嬉しそうに笑った。