4.大海人
部屋の中で物忌みをして赫弥は退屈な日々を送っていた。
「いつまで続くのよ」
手に持っていた途中の刺繍を投げ出す。
物忌みは元々は神官や巫女が祭事の際に身を清めるためにこもることである。
それが方角が悪い、災厄が続く、日が悪いなどで身を慎むものという考えが定着しつつある。
確かに最近赫弥は災厄続きでこの館に来るときに物の怪に出会ってしまった。
だがそれでこんな退屈な物忌みをするのは納得できない。
退屈すぎてどうにかなってしまいそうだ。
何でもいいから雑用の仕事がしたい。
働きたい。
だが多霧はそれを許さないであろう。物忌みならばその身を慎み館内を出歩くなと初日怒られてしまった。
とはいっても暇なことは暇なのだ。
(まだ五日だけどまだ続くのよね。というか私は何の為に来たの)
大海人を参内復帰させるためにやってきたのだ。
葛城王子に任され、何度も宝姫大王に大海人を頼むと言われてしまった。それなのにこうしてだらだら過ごすなど申し訳ない。
考え出すとじっとできない。
(物忌みなんて意味のないものよ。これで厄をおとせるなら国中の人が怠け者になっちゃうわ)
悪いことが全く起きない日などありえないのだ。
それをいちいち気にしては何もできない。
(せめて目的の人物がどういう人か知りたいわ)
宮ではかなりの変人だということしかわからなかった。
葛城王子は腑抜けた男といい、宝姫大王は気の弱りやすい子だと言っていた。
そして帯人からは仮病と嘘をつく人だと判明した。おかげで館に来たときに会うことができなかった。
何故仮病を装う必要があるか。
それは宮からやってきた采女に会いたくなかったから。
(ひょっとして………私に会いたくないからこれ幸いと物忌みにおしこめている?)
そう考えると従っていることに疑問を抱くようになる。
このままでは葛城王子と宝姫大王から仰せつかったことを為すことができない。
現に五日の日を無駄にしてしまったではないか。
(そうよ。どうして気づかなかったのよ。どうせ私に会いたくないから物忌みをさせているのよ)
段々腹が立ってくる。こんなことで自分は時間を無駄にしてしまったのか。
赫弥は迷わず部屋を出た。久方の風が随分気持ち良い。
(ああ、久しぶりだわ)
はぁっと大きく深呼吸する。
ずっと部屋の中に閉じこもっていたから本当に外が清清しく感じた。
しばらくしてよしと赫弥を両手でこぶしを握る。
そして大海人の部屋へと目指す。そう広くない館である。建物の配置を考えればどこが主人の部屋かだいたいの予想がつく。
それに廊を歩くと帯人の姿が見えた。手には盆を、その上に果物をもった器がある。
(ひょっとしたら大海人様の下へ持っていくのかしら)
そう考え後ろをついていってみる。見つからないように音をたてないように気をつけながら。
そこで帯人は角を曲がった。赫弥はその後を追い角の先を見ると帯人はいなくなってしまった。
「え?」
途中の部屋に入ったのだろうか。
赫弥は消えた帯人の姿を追い求める。
「そんなに私に会いたかったのですか?」
突然後ろから囁かれて赫弥はびくりとした。顔を真っ赤にして前へ逃げる。
後ろを振り返ると姿を帰していた帯人がいた。
「やれやれ、物忌みはまだ続いているでしょう。多霧殿に見つかったら怒られちゃいますよ。それでも私に会いたかったとは、職場での付き合いはちょっと」
帯人はくすくすとからかうように言う。
「ち、違います、わ、私は………」
首を横に振って否定すると帯人はすぐにわかっていると言わんばかりに頷いた。
「大海人様に会いたいのですね」
「そ、そうです」
赫弥はようやく落ち着いて帯人を挑むように睨んだ。
「大海人様にお会いしたいのです。案内してください」
「いいですよ」
帯人はあっさりと引き受けてくれた。それに赫弥はぽかんと口を開ける。
「おや、嬉しくないのですか?」
「いえ………てっきり物忌みに戻らされるのではと思って」
「戻りたいのですか?」
「いいえ」
赫弥は首を横に振った。
「まぁ、多霧殿でしたらそうするでしょうが私はそんな厳しい方じゃないので」
それにしてもと付け足す。
「動くのが思ったより遅かったですね。あなたなら二日くらいで部屋を飛び出すと踏んだのですが」
そのがっかりとした口調に赫弥はうわぁと眉を潜めた。この男は赫弥が物忌みの部屋から飛び出すのを予想していたのだ。というより期待していた。
だからわざとらしく大海人の仮病をばらしたりしたのだ。
(何だか、この人は性格は良い方じゃないわ)
赫弥は実感した。
この大伴帯人という男は一見優しいそうな青年であるが、内面は人の反応を楽しんで揶揄するいじわるい人だと。
「ですが、ちょっと遅かったですね」
「え?」
「王子は今外出中です」
「えぇ? ひきこもりなのに?」
赫弥の言葉に帯人はああと思い出す。
「確かに王子は引きこもり生活ですが、それは参内は絶対しないという意味でのひきこもり。全く外出しないということはないですよ。時に狩りにもでますし、散策にも行かれます。夜はふらりふらりと出歩いて私も多霧も危ないからやめて欲しいと言っているのですがなかなか聞いてくれず」
思った以上に動く王子のようである。
「では大海人様はどちらにでかけられましたか?」
「さぁ、今日帰ってくるかも疑問ですね」
それを聞き赫弥ははっとする。
「ひょっとして、そういうことですか」
顔を赤らめて考えたのは大海人は恋人の下へいったということ。
参内せずに何をしているかと思えばそういうことか。
「ああ、大海人様にはそうした人はいませんよ」
帯人は右手を横に振って否定した。
「まぁ、お会いしたいのなら案内しますが来ますか?」
笑顔で言う男の言葉に赫弥は躊躇した。何かたくらんでいるのではないかと。
だが早く大海人に会いたい、それに参内せずにどこへいっているのかも気になる。
赫弥はこくりと頷いた。
◇ ◇ ◇
館を出て向かったのは山の向こう。さすがに馬が必要で赫弥は帯人の操る馬に乗せてもらう形で移動した。
「この山を越えた先に村があります。小さな村です」
帯人はそういいながらずっと先を示した。
「とても貧しい村です。昔、病が流行ってそれ以来そこからの往来はかなり少ないといいます」
「そ、その病というのは」
「痘病です。ああ、ご安心を。何十年も前に沈静化していますので」
それを聞いて少し安心した。
「で、今王子は一体どういった用で」
「まぁ、行けばわかりますよ」
帯人はそれ以上言わずに馬を進ませる。はぐらかされた気分で赫弥は少し面白くないと眉を潜めた。
山の中で一等高い木から赫弥たちを見つめる者がいた。獣かと思えば人である。太い枝に座り、黒い髪を宙に揺らしている。首には紅玉の勾玉が日にあたってきらきらと輝いていた。赫弥が大海人の館に行く途中に出会った物の怪の少女である。彼女はじっと赫弥を見つめ、そしてその先の村を見た。
山をようやく越えた先に帯人が言うとおり村があった。とても小さな村である。
農作業をしている者たちは帯人の姿を見るなり作業を中断し頭を下げた。すでに村に来ている大海人の従者だと知っているからだろう。
帯人は目の前で道を開け頭をさげる男に声をかけた。
「王子は今どこに?」
そういうと男はひとつの小屋を指差した。
中から少年が出てくる。
だいぶくたびれた様子で身なりもかなり乱れている。だが身に着けている衣はずいぶん良いものであった。
首にぶらさげている赤い勾玉も随分珍しい色をしている。この国で手に入れるのは難しいものではなかろうか。
無造作に放り出した髪はそれでも艶やかで綺麗な黒絹の髪である。黒い瞳も黒曜石のように美しい。赫弥と同じ黒い瞳だというのに。
何よりも顔立ちがたいへん整っていて赫弥は遠めからもそれに一瞬だけ見とれてしまった。
紐で袖を括り付けていたがそれを外し少年は背伸びをした。そして小屋の外のかけていた袍を手を出す。
「王子」
帯人が少年の方へ近づく。
やはりあの少年は大海人王子なのか、と赫弥はじっとその姿を見た。
少年は帯人の方を見てああと頷いた。
「どうでした?」
「別にただの熱病だったよ。粥をのませてしばらく様子を見たが状態は良かった。私が来る前に山を越えていたという具合だよ。あれなら薬も必要ないだろうが、親を安心させる為に適当に差しさわりのないものを調合しておいた」
「そうでしたか。変なのが憑いていなくてよかったですね」
「まぁね。それでなくとも母親に泣きつかれてそちらの方をあやすのに苦労した」
大海人は袍を広げそれを羽織る。帯人はその着付けを手伝った。
「ところで帯人。あの娘は何故ここにいるんだい? 確か物忌みをさせていたはずだけど」
大海人はちらりと赫弥の方を見た。自分のことを話しているのだと赫弥は思い前に出る。
そして拝礼した。
「お初にお目にかかります。赫弥と申します」
「物忌みは?」
「大海人様が熱にかかられたとお聞きし心配しましたがずいぶんお元気そうで何よりです」
赫弥は大海人の疑問を遮り嫌味のように言う。それに大海人はむすと口を結んだ。
「それにいつも内に篭りがちと噂を聞きましたがそれも心配ないようで。こんな遠くまで来れるのですからね」
赫弥はなおもちくちくと棘を含めるように強調して語る。
「これをお聞きすれば大王もさぞお喜びに」
「やめろ」
大海人は赫弥の語りを中断させる。強い口調で射るような眼差しで睨みつけられる。一瞬だけ赫弥は怯んでしまう。
「いいか。このことは母上に言うな。無論宮の誰にもだ。それに何故物忌みを命じた娘がここにいるんだ」
「私はこの通り何も憑いておりません。故に物忌みは必要ないと判断しました。現に外に出ても何事もなかったですし」
「何も知らない癖に、そういった素人の判断があとあと問題を起きして周りに迷惑をかけるんだ」
「ずいぶん物忌みや憑き物についてお詳しいのですね」
大海人の上から目線の口調に苛立ち赫弥は顔を引きつらせて嫌味をようやく口にした。
「あの……」
小屋からおそるおそる女性の声がして赫弥はそちらを見た。か細い女性の声である。
「この状態で失礼します。大海人様、息子を診て下さり本当にありがとうございました。改めて御礼を申し上げます」
「気にしなくていいよ。それにもう私が来たときには治りかけてほぼすることがなかったんだから」
大海人は笑いながら女性に言う。女性は首を横に振ってなおお礼を言っていた。
「いいえ、こんな村ですから医者もろくに来ず……私のような下の者の頼みを聞いてくださった大海人様には本当に感謝しています。お礼は今は何もできませんが、落ち着き次第改めて」
「必要ないよ。それより子の傍にいてあげなよ」
そういうと女性は礼をし、奥へと入っていった。
「話は館で聞く。ここで揉めても村に迷惑だろう。先の女性は子の看病でほとんど寝ていないんだ」
大海人はすたすたと帯人と赫弥の前を通る。
「王子はこのまま帰られますか?」
「いや、少し他に気になる者の様子を診てからにするよ」
それを聞き帯人は承知したと言う。それに大海人は困ったように呟いた。
「お前にもいろいろ聞かないとな。どうして彼女をここに連れてきた」
「大海人様がどういった人か見ていただこうと思いまして」
「余計なことを」
大海人はぼそっと呟く。そして恨みがましく帯人を見つめるが帯人は痛くも痒くもないと笑っていた。
見つめても無駄だと大海人は思いそのままそっぽ向いてため息をついた。そして別の小屋の方へ向かった。
「では帰りましょうか。赫弥殿」
帯人はにこやかに赫弥にいった。
「え?」
ここまで来てもう帰るのかと赫弥は驚いた。
「先の通り大海人様は館で話をしてくださるようです。ここは帰りましょう」
「ですが」
赫弥はちらりと大海人を見た。彼は別の小屋の中に声をかけ中に入っていく。
「あの家の者は先日腕の骨を折ってしまいましてね。その経過を見るために少し遅れて戻るそうですよ」
帯人は馬の手綱を引き、赫弥に乗るように手を差し伸べた。赫弥はそれに手をとり馬に乗った。