2.罰
葛城王子の部屋の前にて赫弥はじっと立ち尽くす。そして大きく息をはき名乗った。
「葛城王子様。赫弥です」
そういうと入るようにといわれる。赫弥は静かに部屋に入り拝礼した。中では葛城王子が仕事中だったのかたくさんの書に囲まれていた。
葛城は筆を置き赫弥の方を見る。相変わらず冷ややかなまなざしである。眉は顰めており怒っているんだろうと赫弥は感じた。
「お前のことを母たちから聞いた。いつも失敗が多いそうだな」
それを置き赫弥はかぁっと顔を赤くする。
赫弥をどう処するか、それを決めるために情報を集めていたようである。
ということは先日おかしてしまった失敗も耳に届いているはずだ。
赫弥は采女くびを覚悟した。
何度目になるかわからない覚悟である。
大王の場合は穏やかな方だったから許してくれたが、葛城はとても厳しい人だという。大王のようには甘い処断にはならないだろう。
「確かお前は河内の出身か」
「はい」
赫弥は俯きながら質問に答えた。
赫弥の出身地は河内にある竹細工といった技術が盛んな土地である。赫弥の祖先があの地に竹を栽培したのが始まりだとか。赫弥の親はそうした技術者をまとめあげる一族の長であった。
赫弥は都に旅立つ前の親の顔を思い出す。自分の娘が采女になったということを共に喜び励ましてくれた親たちを。
それがくびになって帰ってきたと知れたらきっと悲しむだろう。
「葛城様。私の今までしたことを思えば采女失格と思われても仕方ありません」
赫弥は床に額をつけ叫ぶ。
「ですが私は働きたいのです。ようやく采女になれたのにここで辞めたくありません。これから一生懸命精進いたします。何でもします。ですからどうかくびにだけは………」
「なぜ働きたい」
突然の質問に赫弥はえっと声を漏らす。
「なぜ働きたいのかと聞いている。お前はわざわざ働かなくても故郷では姫として不自由のない暮らしができるだろう。なのにわざわざ床掃除やそのように額をこすりつけてまで、なぜ働こうとする」
あえて下女の仕事を与えたことで葛城は試していたのだ。故郷で大事な姫として育てられた娘がそれに耐えられず采女をやめると言い出すのかどうか。だが赫弥は通る采女や官吏たちに笑われながらも床掃除をやりとげた。
香笹からその様子を聞き葛城は首を傾げた。予想とは違ったからだ。
そして今赫弥は額を床にこすりつける程許しを乞うている。
そこまでして働きたい理由がわからない。
「そんなに采女の仕事がいいのか?」
采女の仕事は地位の低い豪族の姫にとっては憧れの職だという。才色兼備の女性という称号を得たようなものだからだと聞いた。
葛城には理解できないがこの娘にとってはそれは欲しくてたまらない称号なのだろう。
「いいえ………いえ、確かに采女に憧れていますが」
赫弥は困ったように笑った。
「何か働きたいと思い、………でも親はきっと必要ないというでしょう。采女の仕事なら親も喜んで許してくれると思ったので」
采女の仕事は大王の傍近くに仕えること。栄誉なことと親は手放しに喜んでくれた。
「そうか。では質問を戻す。なぜ働きたい」
「ええっと………。やはり家の奥に閉じこもったままの人生はいやと思いまして、何かしようと思っても下女がやるからと怒られて、結局何もしないままで」
別に何もしていないということではない。歌の勉強や琴の練習をしていた。母からはそれで良いお婿さんが来るのを待てばいいと言われた。
それは赫弥にとって理解できないことだった。
それでは何も変わらない。
結局部屋の中に閉じこもった人生ではないか。
歌や琴だけじゃなくてもっといろいろ知りたい。もっと多くの世界に触れたい。
そんなとき赫弥が知ったのは采女の仕事である。
「自分の力で働けるというのはとても充実があって采女になってよかったと思っています。やはり女も手に職を持つべきって。あ、失敗ばかりで怒られてばかりですが………」
まだまだ半人前なのに何を語っているのだと赫弥は思った。そしてちらりと葛城の方を見る。何か考えている風であった。
「ふむ、手に職か………感心なことだ」
思ってもいなかった言葉に赫弥は動揺した。そして今まで眉を顰めて怒っているのではと思われた葛城の頬が僅かに緩んでいた。それが笑顔と認識して赫弥はさらに驚いた。
(この方でもこんな笑い方をするんだ)
今まで冷たい眼差しとは正反対で穏やかで優しいものであった。
「だが、赫弥。お前が今までやってきた失敗は大目に見ることができない」
それを言われ赫弥はくっとうな垂れた。
「母の大事な壷を割ったり、膳を落としたり数々の粗相はこのままにはしておけない」
ああ、やはりと赫弥は諦めてしまった。大王はとても穏やかな人でにっこり笑って許してくれたのだが、それでは示しがつかないというのが葛城の意見であった。葛城の意見は当然のものである。
自業自得、今までが運がよかったのだ。
「お前に三ヶ月の罰を与える。これを終わらせたらまた采女として宮に仕えるがいい」
「え?」
今なんと?
また采女として?
「二度は言わない。どうだ罰を受けるか? 受けなかったらこのままお前は故郷へ送還だ」
「や、やります! 何でもやります!!」
そのためなら厩の世話も厠掃除だってやってみせる。
そう意気込む赫弥に葛城は満足げに頷いた。
「ではお前は三ヶ月、大海人の館で働け。仕事内容は大海人の身の回りの世話」
それを聞き赫弥はぽかんと口を開けた。
「大海人、さま?」
「そうだ。お前のような働き盛りの娘が傍にいればあのぼんくらに良い影響を与えるだろう」
葛城はうんうんと頷く。
「準備をしておけ。明後日、大海人の館へ行くための供をつけよう」
そしてあれこれと語りかける。対して赫弥は困ったように頷き、内心では頭のあちこちを駆け巡らせ情報を引っ張り出そうとした。
大海人というのはどなただったかしら?
さっぱりわからない。そんな人は宮にいただろうか。
一生懸命思い出す作業に没頭していた赫弥は葛城がじっとこちらを見ているのに気が付いた。
「他に何か聞きたいことはあるか?」
そう聞かれ赫弥は慌ててありませんと答える。
葛城はため息まじりに以上、下がってよしと言う。
赫弥は礼をしてとぼとぼと葛城の部屋を出た。ぱたんと戸を閉め赫弥は呆然と呟いた。
「大海人って誰?」
そんな人を宮で見た覚えがない。話も聞いたことがない。
葛城が親しげにぼんくらと呼んだからには大王家の近しい人なのだろう。
ぐるぐると悩みながら赫弥は香笹たち先輩采女と合流する。彼女たちは心配そうに赫弥に声をかけた。
「どうだったの?」
「くび、にはならなかったけど………」
赫弥は先ほどの話をそのまま香笹たちにした。
三ヶ月、大海人の身の回りの世話をするように。それで采女を続けていいと。
それを聞き香笹は困ったように眉を寄せた。
「な、なに?」
赫弥は不安になり尋ねる。
それに香笹たちは交互に目を合わせながら困ったように首を傾げていた。
「くびにならなくて良かったのだけど」
「《《あの》》大海人様の元でねぇ」
《《あの》》というのはどういう意味であろうか。
「い、一体何? というか私は大海人様という方を知らないというか見たことも聞いたこともないのだけど」
「ああ、赫弥は今年から勤め始めたから知らないのね」
大海人王子。
現大王・宝姫大王の第二王子で今年で十四になる。
つまり葛城王子の弟王子である。
彼は先年、成人してより官吏に混じり働くようになったが突如宮から姿を消した。書置きを残して。
―――働くのがつらくなりましたので養生します。
その内容があまりに舐めた態度で葛城王子はたいそうご立腹になったという。
「な、何で急に、………何か病気にでも罹ったの」
いくらなんでも唐突でありえないことに赫弥は何か理由がるのではと思った。
例えば病気になったとか。
いや病気になったならなったと書けばいいではないか。
「まぁ、病気ねぇ。それもありえるわ」
うんうんと采女が頷く。何かあるのだろうかと赫弥は首を傾げた。
「あの方は………」
「そんなところで何をしているの」
突然厳しい女性の声に采女たちはぎょっとした。
振り向けば数人の采女と美しい少女がじっとこちらを睨んでいる。
先の声は少女に付いている妙齢の采女のものである。
「こんなところでおしゃべりなんて余程暇なのね」
その嫌味に誰一人反せられず恐縮する。
「わ、私たちはこれで………」
香笹がそう拝礼すると他の采女たちも倣う。ぱたぱたと足音を立てその場を去った。ついでに呆然としている赫弥を引きずって。
「全く若い采女が来るたびに注意しなければならないなんて」
妙齢の采女は不機嫌そうに呟いた。
◇ ◇ ◇
夜中、赫弥は荷物をまとめた。
明後日宮を出てしばらくは大海人王子の館で勤めるのだから。といっても準備するものは日用品と衣類くらいだ。他に特に彼女は持ち合わせはない。
(一応実家に事情を話しておきましょう)
勤め先が宮から王子個人の館に移動と知れば親は心配するかもしれない。さしあたりのないように書かなければ。
「赫弥」
香笹の声に赫弥は振り向く。
彼女とは同室なのである。
「準備したの?」
「ええ」
そう言いながら葛篭を見せる。それを見て香笹は少しさびしげに呟く。
「寂しくなるわ。せっかくこの部屋にあなたが来たのに」
「たった三ヶ月の間だわ。でも、その間私の代わりが来たりして………」
自分の部屋がなくなってしまうのをつい心配する。それに香笹は苦笑いした。
「大丈夫よ。宮は年中人手不足なんだから、どじっこのあんたでも戻ってこれるわ」
「ちょ、ひどい」
確かにどじを踏んだのは事実であるので文句は言えない。
この一月でどのくらいのことをしでかし香笹に助けられたかしれない。
「本当に行くの?」
大海人様の下へ。
香笹は不安そうに言う。それに赫弥はまぁねと頷いた。
「もし断れば故郷へ強制送還でそれでこそ香笹とは今生の別れになっちゃうわ」
「大王様は優しい方だわ。お願いすればそんなことせずとも宮にいさせてもらえるわ」
「うぅん」
実は言うと少しそれを考えたりもした。だが葛城の言うとおり自分の失敗は目に余るものである。その分の落とし前はつけなければならない。それに、大王の優しさにつけこんでしまうのも赫弥としてはあまり好ましいことではなかった。
「いいのよ。こうしてチャンスを与えてくださったんですもの。しっかり向こうで働いて立派な采女になって戻ってくるわ」
その言葉に香笹は苦笑いする。やはりまだどこか不安そうにしている。
「どうしたの? そんなに私が心配なの」
「うん。だって大海人さまがね」
そういえば昼間ほかの采女たちも複雑な顔をしていた。その理由が何か聞く前に解散せざるを得なかったのだが。
「大海人さまがどうしたの?」
「ええ。あの方てちょっと変わったところがあってね、幼少の頃から変な噂が流れていたの」
その内容は彼の不可解な言動によるものである。
まだ現大王の夫で先代田村大王が在位の頃のことである。
大海人は幼少時は岡本宮で過ごしていた。
その大海人はひとつ不審な点があった。
夜になるとじっと星を眺めぶつぶつと誰もいない方へ語っていたり、誰もいない部屋で一人声を荒げたりすることがあった。時にはひどく大人びた年不相応の口調と仕草を振舞うこともあった。すぐに年相応の無邪気な笑顔になるのだが。
これに采女たちは不気味に感じた。
幼い王子の中に別の何かがいるのではないかと。
そして王子は何か人には見えないものが見えるのではなかろうか。
そう噂しあった。
田村大王は一度大海人に遠い地へ療養に出したことがある。我が子を心配してのことだろう。ただ仕事で一緒に行くことができずにいたそうだ。
この療養が効いたのかはわからないが大海人の不審な言動はかなり減った。真夜中に一人で怒鳴ることもなくなったそうだ。
それでもふとした拍子に別人のように雰囲気が変わることがあったという。
そして十二の頃に成人し、自身の館も持つようになった。宮にあがり官吏に交わり仕事をしていたがそれは一月経たぬうちに例の書置きを残し引きこもってしまったという。
「本当に何があったのかわからないわ。きっと例のものがまた出て嫌気がさして引きこもったんじゃないかと噂するものもいた。それに葛城様はたいそうお怒りになり、次第に噂はなくなっていったわ。同時に大海人様の存在自体も薄れてしまったけど」
それも無理のないこと。大海人が引きこもった頃はまだ板蓋宮は田村大王の崩御と宝姫大王の即位で落ち着いていなかった。他の宮家との複雑な関係もあった。
そのせいで落ち着いた頃には大海人のことはすっかり忘れられていたのだった。
「でも、……大海人様は大王の子でしょう。私は大王の采女なのに全くその話題を耳にしないなんて」
「宝姫大王様は大海人様のことをたいそう心配していられるの。幼い頃のこともあるし、その話題が出るたびに悲しげな表情をなされた。母として支えてやりたくても大王としての勤めがありそれも満足にできない。私たちも大王をあまり辛い想いをさせたくなくてあえて大海人様の話題は避けていたのよ」
それで赫弥は一切大海人のことを聞いたことがなかったのか。
「で、今大海人様は宮にあがらず何をなさっておいでなの?」
「さぁ、私には想像ができないわ」
大王を気遣い香笹周辺では大海人の話題は一切していない。だから一体何をしているかなど知らない。
「ふぅん、とりあえず大海人様が変人だというのはわかったわ」
これを聞いて香笹は首を傾げた。
「いやだと思わないの?」
「いや? 何が?」
「……大海人様の館で働くことよ」
「ああ。でも、しょうがないわ。采女の仕事続けたいし、そのためなら何でもするって言ったもの。それが引きこもりの変人の下で働けと言われればそれに従うわ」
三ヶ月の辛抱だしねと赫弥は両手でこぶしを握って笑った。
◇ ◇ ◇
翌朝、赫弥は朝の仕事を他に任せ大王の下へ行くように言われた。おそらく葛城王子から大海人王子の館で働くことを聞かされたのだろう。
赫弥は大王の前に膝をつき拝礼した。
「赫弥でございます」
内心とてもどきどきしていた。最近大王と話したのは例の壷を割った事件以来である。
案の定大王はその手の話題を切り出した。
「ああ、あのときの壷の娘か」
それを言われ赤面する。くすくすと大王の笑い声が聞こえてくる。だがそれは決して嫌味なものではなくむしろ優しい笑い声であった。
「葛城から聞いた。明日から大海人の元で働くことになったそうだな」
「はい。いろいろありまして」
一層大王の笑いが深いものとなる。おそらくすべての経緯を葛城から聞いているのだろう。
「面をあげよ」
言われるまま顔をあげると目の前には柔和な微笑をたたえた美しい女性が椅子に凭れ掛かっていた。
齢五十とは思えない程若々しくて美しい。まだ三十代前半なのではと錯覚するほどであった。
「赫弥。どうか大海人をよろしく頼みます」
大王は突然姿勢をただし赫弥に頭を下げた。
「え? ええと」
突然この国の頂に立つ女性に頭を下げられ困惑する。
「あの子は幼い頃より、………病弱で心の弱い子でした。おそらく今も気の弱さが祟って館から出ようとしないのだと思います。本当なら私が母としてあの子を護ってやりたいのですが、今の立場からそれも難しい」
へたすれば一人の王子を贔屓にしていると批判を受けるだろう。赫弥からすれば大王というのは何もかも得ることができる立場にあると思っていたのだが、実際はその逆のものなのだと感じた。
「あなたはとても明るく素直な子です。きっと大海人もあなたの明るさが良い影響になるはず」
「そ、そんな」
「もし何か必要なものがあれば何でも言いなさい。できる限り用意しましょう」
「い、いえ……その必要はありません。三ヶ月だけの期間ですし」
その言葉に大王はきょとんとする。
「三ヶ月? ああ……」
確かそうだったと言わんばかりに頷く。そして困ったように笑った。
「でも、無理ね。あの子が三ヶ月で宮に戻ってくるとは思えないわ。きっと長期戦になると思うの」
「え? ど、どう……」
「おや。確か三ヶ月内に大海人を宮に復帰できたら再び私の元で働けるけど、もしそれができなかったら大海人が復帰するまであの子の元で働くということじゃなかったかしら」
何それ。
今更知った条件に赫弥は驚愕する。
そしてはっと思い出す。昨日必死に大海人という単語をない頭から引き出そうとしていたときに葛城はあれこれと語りかけていた。
その内容がひょっとしなくても大王が今言った内容だったのだろう。
「赫弥。どうしたのです」
大王に心配そうに見つめられてはっとする。
「い。いえ、何でもありません。そうでした……」
赫弥はあははっと笑う。まさか葛城王子の話を途中から聞いていませんでしたなんて今更言えるはずもない。
そうよね。おかしいと思ったわ。三ヶ月だけだなんてむしの良い話ないわ。
「今回、あなたに渡したいものがあります」
大王は側近の采女に目配せする。それに頷くように采女は赫弥の前に一枚の美しい布を出した。
明るい花橘の色の布である。とても真新しくその美しさに思わずうっとりしてしまう。
「どうかこれを受け取って欲しいのです」
「そんな、勿体無い」
まだ何も為していない赫弥は受け取るわけにはいかない。
「赫弥、これは大王のご厚意です」
年嵩の采女が受け取りなさいと赫弥に言う。赫弥は大王に対し礼をし布を受け取った。
「どうか、大海人を頼みます」
大王は改めてそう言ってくる。
さすがにこうまでされればいやだとは言えない。
「はい。微力ながら大海人様に精一杯仕えたく思います」
ようは大海人を社会復帰させればいいのだ。
そうすれば自分は宮の采女に戻れる。