12.平穏
幼い頃より大海人は苦しんだ。
漢が呪術の修行を積めば積むほど大海人はいろんなものに対し敏感になってしまう。人の悪意というものに対しては特に過敏に反応し、かなり苦しんだ。
一番こたえたのは競争相手を毒殺した官人の悪意である。これで食事をとることができなくなってしまった。
どんどん衰弱していく大海人を見かねた彼の父・田村大王は彼に療養の旅をさせることにした。
その旅先は葛城山であった。そこには仙人が住み、その下に修行する術者がいるという。
その仙人なら大海人の奇異な言動を見定め良い方へ導いてくれるのではと期待したのだ。本当なら自分もついていってやりたいのだが、政の頂に立つ者としてそれはできなかった。
ただ彼が願うは大海人の平穏な心であった。
もし、仙人の元で山修行して王子の身分を捨てても大海人が了と答えればそうなっても良いとさえ思った。
そこで大海人は山を登り仙人に出あった。そして彼の肉体の中に共存する二つの魂の奇異さを指摘された。本来ひとつの肉体にはひとつの魂しか存在しない。ひとつの杯にその分量だけの水が入れないように。もしそれ以上の水が注がれれば零れおちる。無理に蓋をし注げば杯は壊れてしまう。加えられる水が染料によって染められたものならば元からいる水も染まってしまう。大海人の状態はその染められようとしている元からある水なのである。
仙人は漢の魂を引きはがそうと試みるが彼にも無理なことであった。
生前より定着してしまった漢の魂ははがせなかった。無理にすれば大海人の魂に傷が生じてしまう。
せめて漢から受ける影響をなるべく受けないように修行を勧められた。大海人は仙人の勧め通り修行を受け自身も呪術を身に付けるようになった。そして仙人にひとつの石を授けられた。
その石は大海人が触れると柘榴色の勾玉へと変化した。そして漢が表に出ると瑠璃色の勾玉へと変わる。
石は本来は術者の力をさらに引き出す道具であった。だが、仙人はこれをもう一つの効果を利用した。
二つの魂の均衡を制御する装置として利用してみたという。
これで大海人は以前程漢の精神に影響を受けることはなくなった。石の力を使えば、漢から体を取り戻すことも可能となった。
大海人としてはありがたかった。漢もこれで大海人の悲痛な訴えを耳にしなくてすむと感じた。
大海人が宮に戻ったのはまだ修行途中であったが、父・田村大王の危篤を知った為である。彼が急ぎ戻ったときはすでに宮は喪の最中であった。
母から聞かされたが田村大王は死に間際に大海人のことを心配していた。
大海人は実の父の最期を看取ることが叶わなかったことに嘆いた。
そんな中母が即位し、自分も成人して宮で仕事をするようになった。だが、大海人は激しい頭痛と吐気に苦しむ日々を送るようになった。
石のおかげで以前程漢から受ける影響は薄かった。それはありがたかった。
しかし一度鋭敏になった感性はうまく抑えることはできなかった。石もそこまでの効果は発揮しなかったようであった。
大海人は人の悪意に敏感になっていた。目の前で愛想よくする男、恭しくする男、だがその中に隠された妬みや憎悪の心を大海人はいつも肌に感じた。
誰かに相談したくても乳母の多霧に話せなかった。いらぬ心配をかけさせたくない。漢を慕って大海人に仕えるようになった虫風は無理だろう。彼は本来漢の従者であり、自分の従者ではなかった。
血のつながった母にも姉にも言えなかった。
兄は自分の顔を見るたびに複雑な表情を隠せずにいた。おそらくは漢に瓜二つだからだろう。漢の話を聞こうにも怒られることがしばしばなので、あまり漢のことは思い出したくないようであった。それでも大海人に兄として親身になってくれるが心うちから響く複雑な感情を感じ取り大海人は少しずつ兄から距離を置くようになった。
段々我慢ができなくなり、ついに宮への出仕を拒否するようになった。
はじめは漢からかなり言われた。宮にいれば大王に仇なすものに対処しやすいと。
確かに彼から聞かされる大王に仇なす一族のことは大海人も何とかしなければならないと思っていた。
だがそれでも辛かった。もう限界だったのだ。
部屋に閉じこもっては医術や薬、占術の書を読みふける日々。時に盤を動かしては日々の吉兆を占った。舎人に命じ集めてもらった薬草を使い試しに薬を作ってみたりもした。
そうした日々を無為に感じながらも大海人は外に出る気が起きなかった。
はじめ漢もあれやこれやと言っていたが段々何も言わなくなった。ふぬけた大海人に対して半分諦めているようである。
朝起きると自分の衣類にどろがついているのに気づいた。おそらく大海人が就寝している間に漢が表に出てきて外に出たのだろう。おかげで寝起きというのに身体に疲れを感じる。
宮に出仕しなくても彼なりに情報を集め、大王家に仇なす一族に対抗する術を見出している様子であった。
気づけば最近、虫風の姿もなかった。漢に問えば今旅に出しているという。これも情報を集める為だろう。
大海人は漢の勝手な行動に何も言う気がなかった。代わりに自分が外に出るのを否とするのに何も言わないでほしかった。
そんな中大海人が目を覚ました時肌寒いと感じた。自身が横になっていたのは部屋の寝台ではなく草の上だったのだ。
(ここはどこだ?)
大海人はむくりと起き上がりあたりを見渡す。どうやら山の上のようだ。傍には自分の馬が心配そうに覗きこんでくる。そして今はどちらの主人だろうと見定めているようであった。
「月兎、私だ」
大海人だと知ると月兎と呼ばれた馬は甘えるようにすり寄ってきた。そのくすぐったさに大海人は微笑み久々に触れる愛馬のたてがみをなでてやる。
「帰り道わかるか?」
そう聞くと月兎は頷いた。大海人は彼に跨り歩かせた。
道中、寂れた村に辿りついた。どうやら漢はここを通過していったのだろう。
「相変わらず人の身体で好き勝手」
大海人はそう一人ごちながら夜中外で泣く女の声に首を傾げた。こんな夜更けに何をしているのだろうか。
あまり無遠慮に近づくのはどうかと思った。ひょっとしたら物の怪の類かもしれない。
首にかける石をきゅっと握り大海人は女に近づいた。
「何を泣いている?」
女は驚いて顔をあげた。整った衣を身にまとう身分ありげな少年がなぜこんな寂れた村に夜訪れているのだろうか。物の怪ではと動揺する。
それを見て大海人は確かに自分の不審さを改めて認識した。
「怪しい者ではない。遠出をして迷ってこんな夜更けまで彷徨っていた」
間抜けな自分の状況を説明し、女にとにかく自分は物の怪ではないと納得してもらうように心がけた。ようやく警戒を解いた女はぽつりと泣いていた事情を説明した。
「夫が病にかかり、医者に診せたくてもこんな寂れた村に医者が来るはずもない。しかも、この村は痘病で隔離されていた村だから外の者が訪れることなど滅多にない。日々弱っていくあの人を想い嘆いていたのだ」
病の夫の為に涙する女を見て大海人はいたたまれない気持ちになった。
「では私が診てみよう」
そういうと女は顔をあげた。
「お医者なのですか?」
それに大海人は困ったように首を横に振った。
「いや、書でかじった程度の素人だ。何も手を尽くせないかもしれない。それでも良いなら……」
大海人の言葉に女はしばらく考え込み、ようやく診てもらうように懇願した。
「どうせ、医者は来ないのです。診てくれるというなら診てください」
貧しい竪穴の家に大海人は入り、中の様子を窺った。中にはやせ細った男が苦しげに大海人を窺った。その色には不安が見えた。
大海人は藁の寝具の中で弱弱しく呼吸をする男を見た。早速袖を捲し上げ、童の状態を確認した。
口の中はからからに乾いていて、聞けば水も喉に通らないそうだ。
このままではよくないと思い大海人は水を持ってこさせそれを少し口の中に含ませた。ほんの少しでもいい、ちょっとでも喉に通してくれ。そう願いながら水を少しずつ与えると男はそれに応えるように喉を動かした。
「一気に与えないように、少しずつ水をやってくれ」
大海人は女にそう伝え、家を出た。急ぎ月兎を駆けさせ館へ戻ると部屋の中から乳鉢や薬つくりに必要なものを揃えた。舎人に以前より集めてもらった薬草を見てはその中を選別して布に包む。
夜彷徨い出た主人が突然帰ってきてばたばたして何事かと多霧は首を傾げた。それを余所に大海人は再び月兎に乗り先の村へと戻った。
病の童の元へ戻り親に湯を沸かしてもらったり指示を出した。その間に大海人は薬草を練り、薬を煎じた。書でかじった知識を思い出し、ただ夢中になって。
男にそれを少しずつ飲ませ、他に身体をぬるい湯で清めさせた。熱で苦しいなら水をつけた布で額や脇したを拭いてやった。
そうしたことを三日繰り返した。だが、それでも衰弱した身体は回復することなかった。大海人は何となし今晩が峠だなと思った。
「すまない。私ができるのはここまでのようで……お前を救うことはできない」
救うという言葉に少し皮肉さを感じた。
何をしていたのだろう、自分は。
この男を救えると思って無我夢中になって動いていたのか。だが、それも空しく男は治らなかったではないか。
やせ細った男はか細い声で大海人に何か伝えようとしていた。大海人は首を傾げ身を乗り出して男の口元に耳を近づけた。
「ありがとうございます」
そう言い男は目を閉ざし眠りについた。そして一刻もしないうちに男の呼吸は止まった。
大海人は男を看取りながらふと思い出した。
己の父親のことを。
最期まで自分を案じてくれていたという田村大王のことを。
目の前の男は身分も低くやせ細って全然違う男だというのに、大海人は男を看取るとき父の姿を重ねていた。
沈む大海人に対して、男の妻は大海人に言った。
「この人はあなたに感謝しています。ここまで一生懸命治療を施してくれたのですから。私からもお礼を申し上げます」
本当なら何かお礼をしなければならないが貧しい農家では何も出すことができない。大海人は気にすることはないと言いその家を後にした。
◇ ◇ ◇
ひんやりとしたものを額に感じ大海人は目を開けた。目の前に移ったのは白い勾玉であった。
赫弥の首に大海人と同様に首飾りにした月長石の勾玉であった。額におかれているものを確認すると赫弥の手であった。
大海人に見られ赫弥は慌てて手を引っ込めた。
「申し訳ありません。ちょっとうなされているようでしたので」
「私は、うなされていたのか?」
「え、は……はい」
赫弥はこくりと頷いた。
「その石は……」
「あ、はい。帯人さまに首飾りにしていただいたんです。ですが、これって……元々大海人さまの石だったのですよね」
「ああ、そうだ」
その石を見ると不思議と気分が和む気がした。
「あの、お返しした方がいいのでしょうか」
「いや、その石は赫弥を選んだのだ。なら赫弥が持つのが一番いい。その石の効力を一番発揮できるのは赫弥なんだから」
他にいくつかの石は自分の従者に持たせていた。
「? ……どういうことでしょうか」
「石には不思議な力が宿ることがある。私はそうしたものを趣味で集めている。ほとんどが舎人や湯沐邑の者たちが薬草と共に適当に拾ってきたものだ。その中に呪術に適したものを選別して、いくつか持ち歩いている。ああ、それは仙人から譲り受けたものだ」
赫弥が持っているのは葛城山の仙人から教えてもらった石であった。呪術の媒介として使いやすい為大海人は好んで使用していた。他にも石に適応した者が触れると石は魂の形を作り玉となる。それは持ち主の魂に見合った形なのだ。
月長石は月の光のように美しく輝く白い石である。
大海人は机の上の巾着を持ってくるように言った。赫弥は言われるままに赤い布の巾着を大海人の元へ持っていった。大海人は巾着の口を開き中のものを見せる。中にたくさんの石があった。そのほとんどが何の変哲もない石である。時にきらきら光るものも混じっていた。
「私が首にぶら下げるこれも元はこれらと同じ石だった」
大海人の柘榴石も、漢の瑠璃石も、赫弥の月長石も簡単に手に入るものではなかった。
「ただいろんな場所にはこうした力の宿った石が眠っている。それらは私たちの潜在的に眠る力に反応してそれに合わせていろんな形を示した……ああ、変なこと言っていると思われているのはわかってる。石が変化するなどそんなことありえないのに」
赫弥は別に大海人の言っていることが嘘でも冗談でも感じなかった。
大海人は続けて自分の石について語った。
柘榴石には強い邪気を払う力があると言われている。大海人の潜在能力がそうしたものであった為に石がそうした形を示したのだ。だからこそ大海人はそれに特化した呪術を磨いてきた。
「ではこの石は」
赫弥は白い勾玉を見せた。
「月長石には人の心を落ち着かせる力がある。癒しの術に利用される、らしい」
「へぇ……」
「その石はお前が触れなければ月長石の勾玉にはなれなかった。だからそれはお前にあげよう」
「ありがとうございます」
赫弥は照れたように月長石を握りしめた。
「あ、ということは私にも呪術の才能があるということですか?」
赫弥は目をきらきらさせて大海人を見る。
「呪術に、興味があるのか?」
「いえ、幼い頃巫女さまに憧れたときがあって……」
綺麗な人だったなぁと彼女は昔を思い出した。
ぷっと大海人は噴出した。
「な、何ですか」
「いや、……なかなか楽しそうだなと」
「その間がちょっと気になるんですが?」
どうせ似合わないと思っているのでしょうと赫弥はすねて見せた。
「あ、そうだわ。多霧さんに大海人さまが目を覚まされたことを知らせないと」
赫弥は思い出したように部屋を出た。
誰もいなくなった部屋の中で大海人はふぅと息をつき、誰もいない中語りかけた。
「終わったのか?」
そう尋ねても何も帰ってこなかった。だが、まだ自分の中にはもう一人いるというのはわかった。十四年もの間一緒にいたのだから。
「終わっていないんだね」
答えないというのはそういうことだ。
「まだ佐久姫の後ろにいるんだね。それまでもつのかな……」
そういえば自分は何日眠りについていたのだろうか。
ずいぶん休んだ後でもまだ少し疲れがあった。外から流れる涼しい風を感じながら大海人は再び瞼を閉じた。
(そういえば、母上に赫弥を宮に戻してもらうように文をしたためなければ……)
眠りにつきながら思い出す。確かはじめはそうする予定だと言っていた。
目を閉じてもぱたぱたと騒がしく近づいてくる足音を耳にしながらつい笑みがこみあげてきた。
(もう少し、このままでいいか)




