11.漢
山奥の佐久姫がひとつの拠点としている小さな小屋の中女性がうずくまっていた。体中に走る刃の痕は痛々しく、そこから零れる瘴気の疼きに耐えた。
「呪詛返しにあったか……、宕よ」
佐久姫の声に女性はびくりと震えた。
「佐久姫さま……、どうしてここに? 里に御戻りだったはず」
「少し気になり戻ってきた」
佐久姫はそっと宕の身体に触れる。彼女の手に吸収されるように瘴気は消えていった。
「何事も起こさず静かにせよと言ったはずだ」
佐久姫の静かな言葉に宕は申し訳なさそうに項垂れた。
「申し訳ありません」
自分のしたことは明らかな命令違反である。
先日より葛城王子に呪詛をしかけたのは宕であった。そして大海人によって呪詛は祓われ、彼女の身に返された。普通の人であれば即死していたであろう返しであるが、彼女はなんとか耐えることができた。それでも心身の消耗はかなり激しいものであったが。
「私が昔葛城王子にかけたものと全く同じものだな。それに少しお前の工夫を凝らしたか」
「はい」
葛城王子が漢王子の話題に触れたくないのは彼の死のきっかけを作った自分だと気に病んでいたから。それをつき精神的に追い詰め、呪詛の効果を少しだけあげていった。
「そなたの呪詛の腕は数年前よりもずっとあがっている。今回葛城王子にかけた呪詛は見事であった。私も育ての親としてうれしく思っている。だが……」
相手の方が上手だったのか呪詛は祓われ、宕のもとへ返された。そしてこうして佐久非mdの手を煩わせる結果となり宕はおおいに恥じた。
「何故葛城王子に手を出した」
「申し訳ありません」
宕はただ頭を下げ詫びるしかない。それに佐久姫は大きくため息をついた。
「私に傷を負わせた漢を苦しめるためか」
佐久はそっと己の袖を捲り手の怪我を見せた。漢によって放たれた矢によって負わされたものである。それを見て宕はきゅっと唇を噛んだ。
「お前にいらぬ心配をかけさせた」
宕は首を横に振った。佐久姫は宕を責めることをせず、宕の気持ちを優先に考えた。
命令違反をし責めを受けても仕方ない身であるのに。
宕は佐久姫の自分に対する慈悲深い情をうれしく思いながらも苦しく感じた。
「この拠点は捨てよう。直に奴が来る」
「どうして……あ」
佐久姫が手を翳すと先ほどの瘴気が現れた。それが凝縮されひとつの折り紙の形を作る。折鶴である。
大海人が呪詛をしたものに返すときに紛れ込ました呪術である。これが大海人たちにこの拠点を知らせる。
佐久姫はそれを傍にある燭の炎の中に放り込み燃やした。
ぼうっと燃える折鶴を眺め宕はさらに己の未熟さを恥じた。
怒りに流され勝手な行動をしたあげくこの拠点を敵に知らされるとは。
「宕よ。お前は逃げよ。南の方へ行けば陣が敷かれている。それで里へこのことを報告するのだ。案ずるな。お前の罰は私がすでに引き受けている。何の咎も受けずにすむ」
小屋に戻る前に佐久姫は里でいくつかの代償を払ったという。宕の身におきたことを察した彼女は宕の分もその時に支払ったようだ。
「いいえ。咎などいくらでも受ける覚悟です。ですが、ここがばれてしまったのはすべては私の失態。佐久姫がお行きください。殿は私が勤めます」
「宕」
佐久姫はそっと宕の頭を撫でた。
その温もりに宕はほうっとため息をついた。
「よいこだ。お前を気まぐれで拾ったというのに、純粋に私を慕い、私のために働いてくれた。並の娘としての幸せを選ぶことができたというのに、あえてお前は苦痛の選択をした」
「そんなもの……私はあなたのお役に立てるなら十分です」
ですからどうか殿を、そう言おうと思ったら強く佐久姫に押され後ろに倒れた。倒れたところに輿があり、宕はすっぽりとその中に納まった。立とうとするとぱたんと閉ざされ外に出られなくなってしまった。佐久姫はふぅっと息をはき影から二匹の犬が出てきた。
犬であるがそれは異形のものであった。頭は犬の形をしているが、彼らは衣を身に纏い二本脚で立っている。まるで人のように。
「宕を里まで送り届けよ」
二匹の犬はこくりと頷き輿を担ぎ上げた。輿の中から叩いたり叫ぶ女の声が響くが犬たちは気にせず運んだ。
「宕、お前の呪詛は見事だった。これなら私の名を継がせても問題はないだろう。里もお前を認めるだろう」
佐久姫はそう呟き傍の燭に向い両手を翳した。中で黒い影がくすぶっているのが見える。
きぃっ
小屋の正面の扉が開かれた。そこに大海人王子がいた。いや、大海人王子ではなかった。
目の色は瑠璃色に輝きいている。先ほどまで柘榴色だった勾玉も同じように瑠璃色に輝いている。
彼は大海人王子であるが、大海人王子ではないという徴候である。
大海人の体の中で彼と共存するもうひとつの人格・漢であった。
「こうして実体のお前と相対するのははじめてだな」
彼は不遜な態度でそういう。それに佐久姫は笑った。
「折角会えたのだが、まずは葛城王子に呪詛をしかけた術者を出してもらおうか」
「ふふ、何を言う。葛城王子に呪詛をしかけたのはこの私だぞ」
「お前じゃない」
漢ははっきりと言う。確かに十三年前葛城王子を呪詛したのは佐久姫であった。だが、今回呪詛したのは別の者であった。
「はっきりと言うな」
「ああ。なにしろ私はお前の呪詛を受け死んだのだから、よくわかる。あれがお前の術ではないというのは」
「いや。私だ」
佐久姫はそういって両手を広げ掲げた。
すると傍の燭の中から瘴気があふれでる。それは炎を纏い、小屋を一瞬で覆った。
その炎を見て漢はふむと頷いた。
「確かにこれは葛城を苦しめ、私と大海人をてこずらせた先の呪詛だな」
「そうであろう」
佐久姫は鼻高々に笑う。漢は佐久姫の言葉を信じていなかったがここで問答をするのをやめることにした。
「まぁ、いい。まずはお前を殺す。呪詛の主はそのうち私の前に出てくるだろう」
「そんなことはならない」
佐久姫は断じる。
「何故ならお前はここで死ぬのだから」
彼女が袖を翻すと漢に向い一斉に炎を放たれた。漢は軽く動き炎をかわした。
「ほう、引きこもりにしてはずいぶん動きがよいな」
だがこれはどうだと幾つもの炎を放った。漢はひとつひとつの動きを見極めかわした。それを繰り返すごとに自分が炎の中央に誘導されていた。
「遅いわ!」
佐久姫が叫び四方八方に炎が巡り漢を飲み込んでしまった。仕留めた、と佐久姫は歓喜の声をあげた。
「ふぅ、……なかなかの大技だったな」
漢は恐ろしい勢いで炎に飲み込まれたというのに平然としていった。
彼の様子をみて佐久姫は驚いた。どうしてと声にならない声でつぶやく。
「私を十四年前の小僧と思うな。これでも一応お前に対抗し様々な力を得るために努力はしたつもりだ」
そう呟き漢は詞を発した。先ほど彼を飲み込んだ炎は恐ろしい炎の鳥の姿を象った。その炎の中に瘴気は見当たらなかった。炎からは清浄な流れが宿っていた。
佐久姫にとって予想外であった。己の全精神を使い加工を凝らした呪詛がこのような形に変えられるなど。
「これは私が得た力の一部だ。朱雀、と私は呼んでいる。大陸の神の名だ」
「何故、それを葛城王子の中にあったときに使わなかった」
「そりゃ、危ないからな。葛城王子が巻き込まれて火傷してしまうだろう」
だから使えなかった。
大海人が石を使い表に出たため、まずは彼に任せようと思った。
こう見えても自分は弟の葛城王子を大事に思っているからな。
そう彼は呟いた。漢は詞を発し、朱雀はそれに従い佐久に突進した。
佐久姫は逃げようと思ったが無駄だと悟った。
彼女の肉体は炎の鳥によって飲み込まれた。全身を焼かれ悲鳴があがった。
気の遠くなる熱さの中で彼女はふと昔のことを思い出した。
親と生まれ故郷を病で失い、里に引き取られたばかりの少女を。その目を見て佐久姫は何となくその少女を引き取ろうと思った。今まで少女と同じ境遇の娘をたくさん見てきた。なのに何故か少女の瞳はとても力強く佐久姫を虜にしたのだ。
少女に名を尋ねると少女はあたごと名乗った。佐久はそれに宕という字を与えた。その字を初めて見て少女は照れたように笑った。
それを見て佐久姫は温かい気持ちになった。物心つくころから一族の術者として育てられ、ただひたすら里の敵である大和朝廷を恨み呪詛を送る日々。強い呪術を得る為に並の娘の幸せを許されない身であった。だからせめて幼い者に情を傾けてみかたかったのかもしれない。己を慕い、娘としての幸せを捨て術者として修業に励む宕を見て愛しいと思った。
だからこの度の彼女の失態の罰をあえて被ったのだ。そして、彼女だけでも逃がそうとしたのだ。
それを思い出しながら佐久姫は塵芥となって消え去ってしまった。
小屋を覆っていた炎は佐久姫を食らった朱雀と共に消えていった。
漢はふぅっと息を吐く。そして後ろに倒れそうになったのを男が支えた。先ほどまで小屋の外に控えさせていた従者である。
「虫風、無理を言って悪かったな」
「いえ、漢様の本願ならばそれを叶えたいと思うもの」
虫風は目を細め漢に語った。感情の見えない表情だったが、声は優しいものであった。先ほどの赫弥と帯人の前とは正反対である。
あの後、赫弥と帯人と別れた後、大海人の肉体の表に漢が現われ虫風に指示した。先ほど大海人が祓った際に術者を特定する為の術を混ぜたのだ。それで判明した術者の拠点へ急ぐようにと。
大海人は月長石の力を使ったとはいえかなりの力を使った。その為疲労はかなりのものであるはずだ。
他の従者であれば止めに入るだろう。これ以上の酷使はよくないと。
だが、虫風はすんなりと従った。彼にとっての優先順位は漢が先なのである。大海人は漢の弟という位置で次くらい。その肉体が大海人のものであるのにも関わらず。
虫風は大海人の従者ではない。元は漢の壬生の一族の者であった。漢の肉体が滅び、その後大海人の肉体の中に漢の魂が宿っていると知り即座に大海人の従者にと懇願した者であった。
「……虫風、悪いがこれを館まで」
「御意」
漢はふと意識を手放した。そして首にかけている勾玉が瑠璃から柘榴へと変わった。漢が深い潜在意識の中に入った徴候であった。
◇ ◇ ◇
漢が目を覚ました時は一面の水面の世界であった。
その水面の中に揺られながら大海人が眠っていた。葛城王子を祓う為に力を使い疲れた彼の魂はこの深い意識の世界で眠りについていたのだ。その為、漢と佐久姫の戦いに関して一切認知していない。
漢はふと暗い世界の中水に映る自分の姿を見た。
大海人と似た顔、大海人を十程年をとらせたらこうした容姿になっていただろう青年の姿であった。
「本願、か……」
漢は呟く。
確かに佐久姫を倒すことが漢の本願であった。
十四年前、異父弟の葛城王子に呪詛をしかけた者、そして自身の肉体を滅ぼした者を倒すことが。
(本願というより私の意地だな・・・己の至らなさを挽回するための)
十四年前の失態は壬生の一族から呪術に秀で神童と崇められたことへの驕りであった。人手が足りなかったとはいえ、それでも自分なら呪詛を受けた葛城王子を救うことができると過信していた。結果祓いは失敗し、呪詛は自身にふりかかった。気づけば己の魂は引き剥がされ、母の胎内にいた大海人の肉体に宿っていた。
赤子の大海人の中で己の状態を知り、悔やみ己の無力さを恥じ入った。
そして決心した。葛城王子に呪詛を施し、己をこのような身に陥れた者を決して許さないと。
何があろうと自身の手で打倒して見せる。
きっとまた大王家に手を出してくるだろう。そのときまでに何としてでも力を身に着けなければならない。
大海人の体の中にいても大海人が書を読み得た知識はひとつも零さずに覚えていった。大海人と入れ違いに表に出ればひたすら術を磨きあげできる限りの鍛錬をしてきた。
おかげで翌日は筋肉痛と頭痛で苦しいと大海人に文句を言われた。
漢が己を磨こうとすると同時に大海人自身も影響を受けた。
当然である。それは大海人の肉体なのだから。
漢が呪術を磨けば、その分だけ大海人は影響を受ける。
大海人は成長とともに過敏な感性を持つようになった。もともと大海人にもそれなりの素質があったのだ。
だが、思わぬ作用が出た。彼は呪術に対してだけではなく人の悪意にも過敏になってしまった。
それゆえに大海人はかなり苦しんだ。漢に泣いて懇願した。もうやめてほしいと。これ以上力を持ってしまえば自分は狂ってしまいそうだと。
だが、漢はやめなかった。大海人の苦しみなど理解する気もおきなかった。
彼にとって重要なのはいずれまた来るであろう敵と対峙することである。
敵はきっとまた大王家にあだなすだろう。今度は母に何かしかけるかもしれない。
それだけは許せなかった。
だから大海人の願いは後回しにしていた。自分の魂が消滅しなかったのは大海人の肉体があったおかげだというのに。
それだけではない。大海人は漢にとって一番下の弟である。
だが、葛城や間人のような愛着は持てなかった。自分の肉体の中にいるもうひとつの足手まといと感じていた。
「悪いが大海人。もう少しお前の身体を使わせてもらうぞ」
佐久姫を倒せたがこれで全ての問題が解決したわけではない。佐久姫の後ろに控える大王家に仇なす一族たちである。これを滅ぼすまでは漢はまだ消えるわけにはいかなかった。
『大海人に少しでも情があればもう少し労わるように』
そう昔諭されたこともある。幼い大海人とその肉体の中にいる漢の面倒を一時みてくれた葛城山の仙人だ。
「それは無理だ……」
佐久姫の一族がどういったものかまだはっきりとしていない。その上でどのような手を打ってくるか。気を緩める暇などないのだ。




