17
四人は、凍原の白い家を出て再び歩き始めた。
リッチーは不要な荷物をルミの家に置いてきたが、姉妹はまだ万が一の気持ちがあるのか旅荷物を全て背負ったままだ。
先頭はルミ、すぐ隣にリッチー、その左右に姉妹。
ルミは先ほど涙石を捨てる時に使っていた台車を押し、片手間に呪文で草を吹き飛ばしながら悠々と歩いている。
リッチーも彼女の態度に慣れて堂々と歩いている。
姉妹だけが、草を刈り取られたよく目立つ地面を進むことに戦々恐々だ。
「どうしてわざわざ草刈るような道進んでるの?」
「この草はタルスサという名なのだが異常に成長力が高くてな。どれだけ根を抜き土を返し焼き焦がしても一晩で元通りに生え揃うのだ。おまけに石を敷いて道を作っても生半可な重量では下から石を押しのけてしまう。昔はどうにか出来ないかと腐心したものだが、今はこうして通る時だけ吹き飛ばすことにして諦めたのだ。巨岩が埋まっていなければ、あの家すら建てられなかったことだろう」
「あの家の下岩が埋まってるんだ」
「家そのものよりずっと大きな岩がな。そのおかげだ」
ルミとリッチーが喋り、後ろの姉妹がどうにも話に混ざり難い雰囲気のまま凍原を進む一行。
時折巨大な魔物が四人の姿を捉えたが、ルミに手を出してもろくなことにならない、と分かっているのか手出しはせず通り過ぎていく。
そうして数十分も歩くと、草地の中にぽっかり開いた穴の前まで四人は到着した。
緩い下り坂道になった穴だ。幅は狭く、丁度台車を押すルミが支障無く通れる程度。穴の浅い部分は、やはりタルスサと呼ばれていた草がみっしりと生えている。完全に陽の当たらない奥まで降りてようやく無くなる程度だ。
「この中だ」
そう言って、何の躊躇いも無く台車を押して穴を降りていくルミ。
リッチーも平然と続き、姉妹だけが顔を見合わせ、警戒心を滲ませながら穴を降り始めた。
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穴の中へ潜ったことで呪文の明かりを灯そうかと考えたリッチーだが、すぐにその考えを改めた。
目の前ではルミ自身が眩しく輝いているのだ。
地下へ入って殊更光を強めた訳ではないのだが、暗闇の中では青白く光る彼女の身体はとても眩しく、美しい。
外套越しでも漏れるように溢れる蒼白の光。
歩く調子で前後に揺れる、明かりを湛える魔法石のような繊細で艶のある指先。
「……うふふ……」
後ろから漏れる不気味な笑い声にルミはどこか背筋を冷たくしながらも、穴の底へ降り立った。
底では更に七方向へ通路が分岐しており、その内の一つへ迷うことなくルミは進んでいく。
リッチーは何も考えず後へ続き、姉妹はどの分岐へ進んだのか、来た道はどこか、地面に残る台車の車輪跡は、などと小声で話し合いながら歩を進める。
そうして、一つの分岐を進んでから暫くしたところで。
三人は、それを目の当たりにした。
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それはあまりにも巨大な、目を覆いたくなるほどの塊だった。
ぼんやりと輝く真っ白い光は、掘り広げられた大部屋を照らしている。
光に照らされたそこは地下とは思えないほど。
例えるならば、地底に顕現せし宝石の満月と言うべき少し控えめで、しかし巨大なその輝き。
凍原の地下には、建物より巨大な涙石の大結晶が埋まっていた。
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「……」
三人は、ぽかんと大口を開けたままそれを呆然と眺めていた。
地下室の壁面に埋まり、半球状に露出している無色の石の塊。
不純物など何一つ無く、染み出すように溢れている白い光の塊が奥底に見える。
光が満ちている為詳しくは分からないが、露出している部分はどうやら氷山の一角に過ぎないらしい。一体どれだけの総量があるのか、予想もつかない。
「これが、私が見つけた"輝きの園"の正体だ。凍原の地下には、こういった巨大なミェルクレスが無数に眠っている。……ここに来る前に分かれ道があっただろう。あの他の道全ての先にかつて同じだけのミェルクレスが存在し、私が掘り尽くして来た。これは百四十八個目だ」
この巨大な涙石が百四十八個目。
想像もつかない規模の大きさにアーサーは気が遠くなり、リッチーはルミの言葉など何一つ耳に入っていない様子でふらふらと涙石の塊まで歩み寄っていた。
「……なん……なんなのこれ……」
走って飛びつくような激しさは無く。
ふらふらと歩み寄り、目の前で膝を折り、神を仰ぐかのように両手を広げ。
リッチーはその小さな両腕をいっぱいに広げて、涙石を抱き頬擦りし舐め始めた。
その様にルミが引き気味に驚く中、唯一まともな精神を保てているピエールがそっとルミの隣まで移動した。
「ルミ……ちゃん、は、そんなに沢山の涙石を使って、何を作ろうとしてたの? たった一人、この場所で。ちょっと、話が大き過ぎて私たちには分からない……」
話しかけられたルミは、舌を荒ぶらせるリッチーから涙石の結晶そのものへ視線を滑らせた。
遠くを見るような目に変わる。
「そういえば君らの話は十分聞いたが、私の話は何一つしていなかったな。つまらない話だが、せっかくだ。話してやろう。……さて、どこから話すか」
少しだけ思案の素振りを見せてから。
ルミは、ぽつりぽつりと語り始めた。
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輝光人という極めて長命で魔術に長けた、魔法生物と人の中間のような種族である少女、ルミ。
彼女には、友人がいた。
千年以上の時を二人で過ごした掛け替えのない友人で、共に魔道を志し古代の呪文や魔道具の探求に熱を上げていたという。
だが、ある日のこと。
古い遺跡から手に入れた未知の魔道具が暴発し、友人は突如、彼女の前から姿を消してしまう。
どこかに転移してしまったのではないかと、何百年もの間彼女は消えた友を探し世界中を駆けずり回った。
しかし探せど探せど友の姿どころか、痕跡すらもどこにも見当たらない。
それでも続けた長い探求の末、ようやく分かったのは友の居場所ではなく暴発した未知の魔道具の効力。
あの魔道具は、対象の姿を不可視にする力を持っていた。
暴走したことで、視覚だけでなく存在そのものが他者から認識されない状態になっている、らしい。
姿だけでなく声、接触、果ては行動すら認識することが出来なくなっているという。
このままでは何千年探したところで友の姿を見つけることは出来ない。
それを悟った彼女は、友の姿を見つける為に"見えないものを見えるようにする"力を持つ魔道具の研究を始めた。
その力を持つ宝玉を作り出す為、彼女はこの凍原に居を構えひたすらに魔法の宝玉を作っては、失敗作を川に捨てていた。
たった一人きりで、毎日毎日休むことなく魔法の宝玉を作っては捨て、作っては捨て。
だが、探し求めている効力を持つものは出来上がらない。
既にこの地で研究を始めてから千年近く。友が姿を消してからは、それ以上の時が流れている。
友と共に過ごした時間より、友を見失ってからの時間の方が長くなってしまった。
それでも。
彼女は友の生存を疑わない。
再会を諦めない。
彼女は今日この日にも、一人石を作り続けていた。
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「と、いう訳だ。千年かけても求めた魔道具一つ作れない哀れな女の話だよ」
作り物めいた無表情の中に自嘲するような雰囲気を湛えながら、ルミはそう締め括った。
淡い光を放つ彼女の瞳の奥では、誰かの存在を思い起こしているのが窺える。
千年以上の間孤独に過ごしきた女の、憐憫なる友情の残滓。
その様に、姉妹はルミに対し恐怖や畏怖より強い圧倒の念を覚えていた。
「……リッチーは」
話の壮大さに涙石の塊を眺めながら言葉も出ずにいた姉妹。
その横で、ルミが涙石とリッチーを眺めながら再び語り始めた。
「私の友人に、とてもよく似ている。昔から私は魔道具や魔法石と言えば効力や価値だけが目当てで、見た目のことなどまるで考えていない。だが、彼女は逆に美しさにばかり目を向けていた」
語りながら、ルミは光り輝く涙石の大結晶の前まで歩み寄っていく。
リッチーを下がらせ、涙石へ手を翳して呪文を唱える。
円錐の槍のように鋭く圧縮された風の奔流が大結晶へと突き刺さり、涙石が一欠片、小振りなトマトほどの塊となって地面に欠け落ちた。
きぃぃ……ん……。
砕け散り、遠く響くような反響音を響かせる涙石。
それをルミが拾い上げると、発光が弱まり、ぼんやりとほの暗い光を湛えるのみとなっていた。大結晶の巨大な光に飲み込まれ、発光しているのかも分からない程度だ。
「その友人曰く。――宝石や魔法石と聞けば、皆それが持っているお金の価値や実用性にばかり目を向ける。宝石を見る者たちは、皆心の中で"これは一体どれくらいの価値があるんだろう""これを売ったらどれだけのお金になるんだろう"ということを無意識の内に考える――。……リッチー、この石はどうだ? 綺麗か?」
リッチーはルミの手の上にある石を一瞥すると、
「割り方が雑で中に傷が付いてるし、これじゃただの無色の涙石の一欠片でしかないわ。綺麗じゃない」
とばっさり切り捨てた。
姉妹があまりのすげない言葉に慌てるが、ルミは気を損ねるでもなく不敵に微笑んだだけだ。
石を台車に乗せ、話を続ける。
「――でもそんなもの本質じゃない 美しさ 宝石の艶めかしさすらある輝き、心を透かす透明度 それこそが宝石の本当の魅力。あなたは、いつになったらそれが分かるのかしら――。と、ため息混じりによく言われたものだ。結局今でも分からず仕舞だよ」
再び呪文を唱えると、今度は地下の空間内に竜巻のような空気の渦が巻き起こった。
空気の渦による不可視の刃が涙石の大結晶を割り、削り取ってゆく。
舞い上がった土埃から目を守る為に姉妹が手を上げると、風が止み手を降ろした時には既に削り取られた無数の涙石の塊が転がっていた。
量にしてぴったり台車一杯に収まる程度。それだけの量を削り取っておきながら、涙石の大結晶はあまりの大きさ故にどこが削れたのかも分からない。
地面に転がった涙石たちを一つ一つ拾い上げ、台車へと無造作に積んでいくルミ。どれも計ったように同じ大きさだ。
全ての涙石を台車へと積み込んでから、改めて姉妹へと向き直った。
「君ら二人は、私側だな。石を見る目には値踏みの気がある。ピエールはその気は薄いが、アーサーは完全に私と同類だ。価値しか見ていない。もし訪ねたのが君ら二人だけだったなら、手厚くもてなすことはなかっただろう。家に招き、話をして、それで終わりだ」
だが。
一言付け足して、ルミの視線はリッチーへ。
彼女はルミが語り始めた時点ですぐに視線を外し、再び涙石の大結晶に貼り付いていた。
先ほどから一貫して、ルミの話にはあまり興味が無いらしい。
宝石女の瞳には、涙石しか映っていない。
その様を見て、ルミが切なげに笑う。
「先の通り、この娘は友人にとてもよく似ている。金銭的価値になど何一つ目を向けない。呪文になど一切利用しない。美しいから。ただ美しいから、美しいものを眺めるのが好きだから、宝石を好む。この娘の石を見る目、語る目は、かつての彼女によく似ていた。……彼女と比べると、どうにも品に欠け、俗が過ぎるがね」
ゆっくりと、自分自身が追想するかのように語っていたルミ。
話が終わり、彼女は台車の持ち手に手をかけた。
「懐かしい気持ちにさせてくれた来訪者への礼だ。三人とも、時間が許すのなら二日ほど泊まっていくといい。その間に出来たミェルクレスの失敗作を、条件付きだが手土産として譲ろう」
願ったり叶ったりの提案である。
ピエールが目を輝かせる中、未だに警戒心の残るアーサーが口を開く。
「条件とは?」
「そう難しいことではない。あの娘に、ミェルクレスの鑑定をして貰う。そして、彼女が真に美しいと思った物だけは置いていけ。……私は石の美しさなどというものに全くの無知なのでな。あの娘に代わりに美しさの評価をして貰い、際立つ物があれば手元に残しておきたい。いつか我が友人と再会出来た時、その美しいミェルクレスを見せてやるのだ」
ルミの語った条件に、アーサーの警戒と緊張がいくらか緩む。
その程度の条件ならば何の問題も無い。
こうして三人は、暫しの間うら寂しき凍原の一軒家に滞在することとなった。




