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姉妹冒険者物語  作者: 並野
王国の竜
9/181

労働者-04

 行き同様人通りの少ない中央道を、二人はゆっくりと歩く。


「それで、どうする?」

「んー……」


アーサーは言葉を濁し、歩きながら目を閉じて唸り始めた。

 それを好機と捉え、ピエールは攻め立てる。


「どう考えてもおいしい依頼じゃん。そりゃああの竜っぽい何かに襲われるかもしれないし、命賭けることにもなるだろうけど。でも一人七千は大金でしょ。他じゃきっと同じようなことをしてもこれだけのお金は貰えないよ」

「それは分かってます、分かってますけど」

「じゃあなんでさ」

「それは……」

「アーサーにしてはなんかじれったい」


目を閉じていたアーサーは隣を歩くピエールの顔を横目で見てから、観念し大きく息を吐いた。


「私がこの町に寄ることを提案した最大の理由は、この町が平和だからですよ。町は豊かで魔物や人間同士での争いも無く、甘い物も食べられる。ここに来ればきっと普段の血生臭くて薄汚い冒険者稼業を忘れて、ひとときの安らぎを得ることが出来る。そう考えてこの町を選びました。事実こんなことにならなければ、私の理想通りの旅人としての生活が成り立っていた筈です。だから、なるべくならここにいる間ぐらいそういう仕事はしたくない」

「……そんなこと考えてたんだ」


意外そうに、しみじみ呟くピエール。


「姉さんの言うことも尤もですけどね。二人で一万四千ゴールドは大金です。どうせ他の土地で同じ苦労をしなければならないのなら、ここで稼いでしまった方が効率がいい。……結局のところ、反対理由は私の感情的なものだけです。なので、結論は姉さんに任せます」

「それなら……と言いたい所だけど、その理由を聞いた後だと何ともなあ」


言い合いながら歩いていると、気づけば宿は目の前だ。

 中に入ると、ロビーには誰の姿も見当たらない。カウンターの向こうすら空だ。


「あれ、おっちゃんいない」

「不用心ですね」


訝しげに周囲を見渡してから、二人は階段を登り始めた。

 階段を登り終えたピエールが二階の廊下へと目を向けると、そこには見慣れないものの姿。

 ニナがへたり込み、息荒く壁にもたれ掛かっていていた。周囲にはブラシやバケツなど掃除道具が散乱している。


「ちょっ、ニナ!」


アーサーはそこで興味を失い立ち止まり、ピエールだけがニナの元へと駆け寄った。

 ニナを抱え起こすと、彼女は目を閉じて辛そうに肩で息をしている。前髪で半分覆われた彼女の顔は真っ青だ。

 ニナはピエールの存在に気づくと、今にも意識を失いそうなほど掠れた表情で薄く微笑んだ。


「あ、二人、とも……おか、り、なさい」

「おかえりじゃないよ何してんのさ! 顔真っ青だよ!」

「ちょっと、風邪、ひいちゃ、て……だいじょぶ、だいじょぶ……」

「どう見ても大丈夫じゃないよ!」


ピエールの言葉を無視して、ニナは全身を震わせながらも立ち上がる。壁に手をつき俯くニナの息は荒く、絶え絶えだ。


「そんな体調で仕事が務まる訳ないでしょうに。大人しく寝てたらどうですか」


アーサーの非難混じりの忠告を聞いて、ニナの動きが止まった。

 弱弱しくも真剣な顔で、何かの言葉を呟く。


「だめ……駄目です……。竜神様……じぶ、の、役目……果たす、祝福……」

「いいから寝てなってば!」


喋りながらも震えるニナを後ろから強引に抱え上げ、ピエールは階段を駆け下りた。

 その後ろから、ニナが持っていたバケツとブラシを持って追いかけるアーサー。

 階段の最後の段を五、六段ほど飛ばして地面へと飛び降り、ピエールは膝を器用にしならせて着地の衝撃を受け流した。

 後ろのアーサーは、普通に一段ずつ降りている。

 カウンターの奥には扉が三つ。アーサーが扉を開けて確認し、ピエールはベッドのある部屋へ飛び込んだ。ニナをベッドに横たえ、一息ついた所でアーノルがやってくる。


「戻ったぞ……ってお前ら。何でここにいるんだ」

「二階の掃除しようとして、真っ青な顔でへたり込んでたからここまで運んできたんだよ。おっちゃん、ちゃんと見ててあげなよニナのこと。どこ行ってたの?」

「……そうか、そんなことしてたのか。すまん、助かった。買い出しでどうしても外に出ないとならなくなってな。急いで帰ってきたんだが」


アーノルは、無言でベッドの上のニナを見つめた。

 ニナは既に眠っていて、弱々しくも規則正しく呼吸をしている。その頬を、アーノルが無言で撫でた。荒れた指先が頬をくすぐる。


「それで、ニナはどうしたの? そういえば昨日も見ず仕舞だったけど」

「風邪だよ。毎年この時期は季節の変わり目だからニナもせき込むことが多いんだが、二日前のあれで一気に体調を崩したんだ。心のダメージが身体に来たんだろうな。……ま、暫くすれば良くなるだろ。いざとなったら治療院にでも頼めばいいしな。だからお前らもそう心配しなくていい」

「そっか……」


複雑な顔でピエールは俯き、アーサーは特に気にもしていなさそうな態度を貫く。


「所で。一つ尋ねたいことが」

「何だ?」

「さっきニナが竜神様は自分の役目を果たすとどうのとうわ言めいたことを言ってましたが、それもあの宗教の教えなんですか?」

「ああ、それか。確か竜神の教えにそんなのがあった筈だ。ええと……自身に与えられた役割を正しく理解し、いついかなる時も自身の役目を立派に果たせ。その行いこそ竜神の祝福を受けるだろう、とかそんな感じの。王なら王の、兵なら兵の、商人なら商人の……だったかな。それに例えるなら宿屋の娘は宿屋の娘の役割を、って所か」

「そうですか。……では姉さん、そろそろ部屋に戻りますよ」

「うん。じゃあおっちゃん、ニナのこと見ててあげてね」


ベッドで眠るニナと、その傍らで椅子に座るアーノル。親子二人を残し、ピエールとアーサーは自室へと戻っていった。


   :   :


 靴を脱いでベッドの上に腰掛け、片足を上げているピエール。曲げた膝の上に顎を乗せ、真剣な顔で目を伏せている。

 隣ではアーサーが、同じく靴を脱ぎベッドの上で横になって丸まっていた。金髪がベッドの上に放射状に広がる様は、黄色い花のようだ。


 特に何をするでもなく、二人とも押し黙っている。時々身じろぎをするアーサーの衣擦れの音だけが、部屋に静かに響くのみ。

 長い間そうしてから、ピエールは覚悟を決めた表情で顔を上げた。


「やっぱり、レールエンズに行こう」

「そうですか」


反論も嫌な顔も一切することなく、静かな声でアーサーは答える。


「……何も言わないの?」

「言ったじゃないですか、結論は姉さんに任せると。姉さんがそう決めたのなら、私はそれに従います。強いて言うなら切っ掛けがニナだったというのは、気に入りませんけどね」

「そっか」

「ただし。調査隊の面子次第では当然中止ですからね。腕前の信頼出来るメンバーが揃ってなければ駄目ですよ」


ピエールが頷き、靴を履いて軽い身支度を整え宿を後にした。


   :   :


 二人は再び、役場内部のとある扉の前に来ている。二日前、町の人間に事情聴取を受けた会議室だ。

 再び受け付けに訪れた二人を、職員は何も言うことなく受け入れた。

 そして今、この場所へと案内されている。

 会議室の扉を二度ノックし、職員は口を開く。


「受付のレオノーラです。候補の者を連れて参りました」

「入れ」


恐らく老人のものと思われる、堅苦しい返事。それを聞いてから、職員は扉を開き中へ入った。二人もそれに続く。

 会議室の中には大きな楕円形の机が一つ。装飾のないシンプルだが質のいい木製の机だ。その周囲を、いくつもの椅子が囲んでいる。他には何も置かれていない。

 室内にいるのは十五人。十一人が椅子に座り、四人がその後ろに待機している。合わせて三十の瞳が、入ってきた三人に集中した。


「レオノーラ、まさかそこのお嬢さん二人が候補だとは言わないだろうな」

「いいえ、その通りです」


部屋の奥側の椅子に座る五人いる老人の内の一人が、若干の非難を込めて尋ねた。

 しかし職員は、普段通りのぼんやりとした口調のままそれに応えた。

 椅子に座る何名かに、静かに緊張が漲る。


「本気で言っているのかね?」

「この二名は最近ごく一部の労働者界隈で話題になっている、怪力姉妹です。少女とは思えぬ人間離れした怪力を持っているのだとか。労働監督官のシュナイルさんも仰っていました」


ここで職員は、前を向いたまま大きく一歩後ろへ下がった。職員が下がったことで、二人が前面に押し出される形になる。


「とはいえ、私も人づてに聞いたのみなので真偽のほどは測りかねます。……二人とも、私に出来るのはここまでだ。あとは二人で証明してくれ」


それまで何も考えずぼんやりと周囲の人間を見渡していたピエールに対し、その一言は完全に寝耳に水だ。


「えっ、ちょ、いきなりそんなこと言われても」


突然の事態に動揺しているピエールに、疑いと非難の混じった視線が向けられる。ピエールは「あの」だの「えと」だのとりとめのない単語を口走りながら目を泳がせ、最終的に隣のアーサーに視線で助けを求めた。

 アーサーは周囲の視線やぴりぴりとした無言の圧力にも一切動じることなく、堂々とした態度だ。


「私の名前はアーサー、隣にいるのは姉のピエール。男性の名前ですが女です。私も姉も軽装前衛で、冒険者歴はおよそ三年。呪文は私が低位の治癒を行えますが、それ以外の呪文は戦闘面ではほぼ役に立ちません。筋力に関しては姉さんは先ほどの話通りおよそ人間離れしている部分がありますが、私は精々よく鍛えられた普通の人間程度。それでも前衛としての仕事はある程度こなせるつもりです」


つらつらと自己アピールを始めたアーサーだが、数名関心した素振りの者がいるのみで、殆どの人間からの反応は冷たい。

 その中で一人。部屋の隅にある椅子に座っていた男が勢い良く立ち上がった。


「口では何とでも言えるでなあ! オウ小娘、よくまーそんなほっそい身体で人間離れしたリキがあるなんて言えるもんだで!」


その男の第一印象は、蛙男。

 周囲の男と比べても明らかに頭一つか二つ分大きい長躯には、がちがちに固まった筋肉が皮一枚隔ててはちきれそうなほど詰め込まれている。二の腕などは、姉妹の腿くらいありそうだ。

 その巨体の上に乗る、刈り込まれた茶髪の頭も相当に大きい。起伏に乏しく前方に突き出たのっぺりとした顔つきと、常人よりも横に大きく広がった口元。

 男の顔は、二人にガマガエルやツノガエルの類の顔を想起させた。


 そんな巨漢が椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がり、訛りのある雄牛のうなり声のような重低音で吼えた。

 巨漢は明らかに喧嘩腰だが、一方の二人の雰囲気はあくまで平静だ。


「確かにその通りです、口では何とでも言える。そうですね……姉さん、あの人と力比べして来てくれませんか。腕相撲か何かで」


アーサーの言葉に、巨漢は一瞬大口を開けた後盛大に笑い始めた。

 しかしピエールが戸惑いながらもやる気なのを見て、すぐに怒りの表情に変わる。

 職員を含めた他の者は既に、高見の見物状態だ。

 椅子を一つ持ち出して、全員が見れる位置に置く。それを、ピエールと巨漢が挟んで地に膝をついた。


「オウいいんけ小娘。おめえのねえちゃんの腕、砕くど」


巨漢の煽る言葉にも、アーサーは反応を見せない。

 ピエールと巨漢が手を合わせ、その上にアーサーが手を置いた。


 アーサーの合図で、腕相撲が始まる。


「んぐ、お、おおオオ!」

「んがああああ」


蛙顔の巨漢の牛のような咆哮と、ピエールの少女としてふさわしくない可愛らしさの欠片も無い叫び声が交錯する。

 しかし、二人の腕は微動だにしない。ただその場で小刻みに震えるのみだ。


「ヌガ、アア、ア、ば、バカな」

「おいオットー、ねえちゃんの腕砕くんじゃなかったのか?」


巨漢の隣の席に座っていた背の低いどこにでもいそうな凡庸な顔つきの中年の男が、心底楽しそうにからかう。


「だ、旦那、こいつ、つええだ」

「姉さんはどうですか」

「う、腕の太さに、偽り、無し……」


二人とも目を見開き歯を食い縛り、一進一退の攻防を続けている。

 戦況が傾く兆しはまるで見られず、結局腕相撲に決着が着くまでには十分近い時間を要することになった。


   :   :


 全身にじっとりと汗を滲ませ、ほんのわずかに肩を上下させているピエールと蛙顔の巨漢。


「おっちゃん、強いね」

「けっ」


残念さを滲ませつつも晴れやかな表情で、握手の為の右手を差し出すピエール。

 しかし巨漢は不愉快そうに一言吐き捨てて横を向き、握手を拒絶した。


「流石に姉さんでも勝てませんでしたか」

「ぎりぎりまで粘ったけど、腕力そのものはちょっと負けてたかな」

「……ということらしいです。これで腕力に関してはある程度の証明になった筈です。ちなみに私は姉さんよりはずっと非力なので、同じことをしたら流石にただでは済みません」


相変わらずの顔で、アーサーは室内にいる人たちを見渡した。彼らの表情からは非難の色は消えていたが、それでも戸惑いは色濃く残っている。

 その中で、巨漢の隣にいた小男が軽薄そうににやつきながら口を開いた。


「いいんじゃねーの? 俺はこいつらは十分出来る奴だと思うぜ。少なくとも俺がここで見てきた奴らの中では飛び抜けてるし、前衛二人ならちょうどいい」

「だ、だども旦那ア」

「……なあ、爺さん。どう思う?」


巨漢の抗議を黙殺し、小男は部屋の奥側の椅子に座る一人の老人へと視線を投げかけた。

 歳は六十か七十ほどだろうか。白、灰、黒の混じったまだらの長髪と、同じ色の長くボリュームのある髭は、いかにも年経た魔法使いという顔付きだ。

 身体のラインを隠す、ゆとりのあるこの町の一般的な服を着ている。

 顔に幾重にも刻まれた深い皺は長年の苦労を連想させるが、その皺の奥底に潜む瞳は色褪せることのない、確かな力強さを帯びたもの。


 その老人は職員を含めた三人が部屋に入ってきてからずっと、鋭い瞳で姉妹のことを見つめ続けていた。

 張り詰めた緊張感と経験に裏打ちされた古強者の雰囲気は、二人も敏感に感じ取っていた。

 老人は視線はそのままに、荒れて乾いた唇を開く。


「儂はこの二人に異論は無い」


身体の奥底から絞り出されるような、しわがれた一言。

 声は小さなものだったが、それが発された途端、水を打ったように室内は静まり返った。

 ややあってから、隣に座る別の老人が躊躇いがちに確認を取る。


「ハンス殿、本当によろしいのですか」

「よい。これで決定だ」


その一言が鶴の一声となり、二人は調査隊のメンバーとして認められることになった。


   :   :


 真剣な顔で「頼んだぞ」と呟いてから職員は会議室を去り、ようやく席に着く二人。


「受付の職員から話は聞いているとは思うが、改めて説明させて頂く」


奥に座る老人、その中の頭髪が一本残らず禿げた男が重々しい口調で喋り始めた。


「目的は北から飛んで来た竜神様の正体とレールエンズの現状、この二つの調査。その為の調査員二名の護衛だ。原則として君たち冒険者は調査員の指示に従って貰う。報酬は一人頭七千ゴールド、片方しか調査出来なかった場合は三千。注意事項としてレールエンズ内の物品の回収は調査員の許可を得て行うこと、基本的に厳禁だ。また、調査員が両方死亡した場合は報酬は渡せない。以上だ。出発は特に問題が無ければ明後日の早朝になる」


老人が説明を終えた所で、アーサーが無言で手を挙げた。


「メンバーは我々を含めて六人でいいのですか? 私が見た限りでは、ここには戦力になりそうな人は四人いますが」


会議室が微かにざわめき、巨漢の横の小男が楽しそうに笑う。


「四人っていうと誰かね。印象評価もついでに聞きたい」


アーサーは一瞥してから、小さく頷く。


「先ほどハンスと呼ばれていた老人、今言ったあなた、姉さんと腕相撲をした大男、老人の隣に座る緑色の髪の女性。この四人です。評価に関しては……老人が飛び抜けて経験豊富、次いであなた。大男は冒険者としての経験そのものは恐らく浅い。女性は冒険者としての経験は殆ど無さそうですが、魔法力に関しては相当なもの。それから、多分純粋な人間ではありません。……これくらいでしょうか」


アーサーの返答を聞いて、小男が少しの間を空けてからにたにたと笑った。そして、横の巨漢の肩を叩き始める。


「おい聞いたかオットー。良く見てるじゃねえかあいつら」


肩を何度も叩かれている巨漢は抵抗こそしないものの、鬱陶しげに顔を背けた。


「へっ、あんなの当てずっぽうに決まってるだ」

「それにしちゃ当たり過ぎだろ」


言い終えた小男は巨漢の肩を叩くのを止めて、姉妹へと向き直る。


「メンバーは今あんたが言った通りだ。俺はアロイス、得物は弓で冒険者歴は十五年って所だな。そんでこいつがオットー。力自慢の俺の相棒で、いつも盾を担いで貰ってる。冒険者歴は確かまだ一年もねえ。よろしくな嬢ちゃん」


笑顔のままアロイスは小さく手を上げ、ピエールは笑顔で、アーサーはやはり堅い表情のまま会釈でそれに応えた。


「ならば次は儂らもせねばなるまいな」


アロイスとオットーの挨拶が終わり、次は老人が口を開く。


「儂の名前はハンス、かつてレールエンズで暮らしていた者だ。冒険者らしい活動をしていたのはおよそ二十年。炎と雷、それに少し治癒の呪文が扱える。これからよろしく頼む」


ハンスは小さく頭を下げ、それから隣の席にいる少女へと視線を投げかけた。

 少女は長い緑色の髪を、太い二本の三つ編みにしている。今はその三つ編みを、つまらなそうに指で弄んでいた。

 少女は暫くそうして三つ編みを触っていたが、ハンスに無言で見つめられ続け、やがて諦めたように髪から手を離した。


「……わたしの名前はメルヒルレタッティオウィーチコスタイトルーユ。ハーフのニアエルフです。メルヒとでも呼んで下さい。水、氷、治癒の呪文が得意です。よろしく」


ぼそぼそと早口でまくし立てるとメルヒは椅子の上で身体を丸め、右隣のハンスに身体を預けた。ハンスは枯れ木のように細く筋張った手を伸ばし、メルヒの頭を優しく撫でる。


「ニアエルフって何だべ? エルフとは違うのけ」


オットーが背もたれに巨体を預け、少女に視線を向けながら問いかけた。

 その口調はぶっきらぼうだが、姉妹に向けていたような敵意は皆無だ。


「ニアエルフは魔術に長けた、森の奥で暮らす亜人です。一般的にイメージされているエルフ像と何ら変わりはありません。本物のエルフとの違いは、エルフはもっと強大で常識離れした正に神話の時代の存在だということ。一般的な純エルフへの印象自体が、間違っているということです」


身体を丸め喋るのを嫌がるメルヒの代わりとでも言うように、アーサーがすらすらとニアエルフに関する説明を行った。

 オットーはアーサーの説明に嫌そうに鼻を鳴らし、他の人たちは感心した顔でアーサーを見つめる。


「よく知っておるのう。……メルヒはいい子なのだが、如何せん人見知りする子でな。儂ら二人が今回の調査員だ。四人とも、よろしく頼むぞ」

「わたしはもういい子、なんて呼ばれる歳じゃありません……」


小声で呟き、メルヒは自身の頭をハンスの胸元にすり寄せる。

 そうしてメンバーの挨拶は終わり、後には詳細な打ち合わせが続いた。


   :   :


 一日経過した、次の日の夕方。

 雲は無いが風は今までにないほど強く、びゅうびゅうと音を立てて夕暮れの町を風が暴れ回っている。

 二人はいつものように、鳩麦堂で夕食を取っている。店内の人数は少なく、時間帯の割には明らかに空席が多くなっていた。

 二人が囲むテーブルの上には、いつもとは違う豪華な食事が並んでいる。

 紅麦で作られた密度と弾力のある灰色のパン。表面をじっくり焼き、赤茶色の果実のソースをたっぷりかけた挽き肉の団子。オムレツには野菜とチーズがはちきれそうなほど詰め込まれ、乳を使った鳥肉のスープには角切り野菜と小さな紅麦の団子が入っている。


 一般的な男性の倍近い、およそ女性一人が食べるには相応しくない大量の料理を二人はゆっくりと消化していく。

 ピエールが肉団子を音を立てぬよう静かに切り分け、小さく啄むように齧った。咀嚼するにつれ、強い香辛料の香りと、ソースの酸味を伴った風味が口いっぱいに広がる。香辛料は胡椒だけではない、様々なスパイスと香草の香りだ。

 口内のものを消化したピエールは口角をほんの少しだけ持ち上げ、控えめに微笑む。

 隣ではアーサーが、湯気の立ち昇るスープをスプーンで優雅にすくって飲んでいた。よく煮込まれた鳥肉はまろやかで柔らかく、臭みも殆ど無い。


 二人は静かに食事を続けていく。紅麦のパンは膨らみが弱い反面強い弾力と密度があり、黒パンとは違う後味を引かないすっきりした味わいだ。オムレツにもスープにも香辛料がふんだんに使われ、久しぶりに味わう豊かな香りと風味が二人の鼻腔をくすぐる。


「久しぶりにまともな食事が出来た気分です。少々香辛料が利き過ぎな気もしますが」


アーサーの呟きに、ピエールは不満げな視線を向けた。


「……仕方ないでしょう、これだけ燃費が悪ければ。食べる量が多いならその分普段の質を下げないとやっていけませんよ。いつもこんな物食べてたらあっという間に素寒貧です」


二人がいつも夕食で食べていた、ライ麦のクラッカーと野菜スープが併せて一人九ゴールド。

 しかし今机の上に並んでいる料理は、一人分で二十二ゴールドだ。その価格には、倍以上の開きがある。


「今日くらいはそういうことは忘れて、素直に食事を楽しみましょう。景気付けですしデザートで例のプリンを頼んでもいいですよ」


プリンという単語に敏感に反応し、口を閉じたままピエールは目を見開いてアーサーを凝視した。それからにまーっと無言のまま笑みを見せ、楽しそうに食事を再開する。

 アーサーは姉の姿を、温かみの籠もった微笑みで見守っていた。


   :   :


 荒ぶる夜の強風が、閉じられた木製の窓を絶え間なく打ち鳴らす。

 わななく窓の音だけが、宿の一室に響いていた。


 小さな油皿から突き出た灯心がちろちろと火の舌を伸ばし、その明かりだけを頼りに二人は道具や食料の点検を行っている。

 ピエールの後頭部の編み込みも解かれ、格好は既に寝る前の薄着だ。

 食料の袋や寝具などを一つ一つ確認し、背嚢に詰める。その手つきは迷いが無く、無駄無くぴったりと背嚢に物が収まっていった。

 やがて背嚢に入れるべき全ての物を詰め終え、二人は背嚢の口を閉じた。二人とも、ほぼ同程度のタイミングだ。


「よっこいせ」


ピエールは掛け声と共に、アーサーは無言で、完成した背嚢を背負った。それから、数度屈伸を行う。


「割と軽いね」

「こういう時が一番姉さんの身体能力を羨ましく感じますよ。同じ重さの筈なのに、私と姉さんでは感じ方が全く違う。十日分の食料は重い……」


背嚢を背負ったまま楽々その場で飛び跳ねるピエールを横目に、アーサーはしゃがんで背嚢を降ろした。部屋の隅に寄せてから、ベッドに横向きに倒れ込む。


「いつも言ってるけど、ちょっと位私持つよ?」

「いつも言ってるなら、いつもの私の返事も分かってるでしょう? 自分の荷物は自分で持ちますよ。重いと言っても背負って歩くのに支障が出るほどではありませんから」

「そう?」

「ええ」


ピエールも背嚢を降ろして、妹が置いた背嚢のすぐ隣に並べた。

 それからとん、とん、とんと軽やかな足取りで、自分のベッドへと飛び込む。

 仰向けに飛び込んだ姿勢のままもぞもぞ身動きして、ピエールは枕の方へと頭を向けた。


 ピエールがベッドに戻ったのを確認してから、アーサーは皿の上の小さな灯火を消した。

 一瞬で部屋は闇に包まれ、風の音だけが部屋内で存在感を示し始める。


「明日からはまた冒険者だ」

「そうですね」


風が、会話の合間に戸を叩く。


「レールエンズ、どうなってるのかな」

「姉さんはそればかりですね」

「訪ねた者は誰も戻らない古の王国、そんな風に聞けば誰だってわくわくするよ。アーサーはそういうの感じないの?」

「考えない訳ではありませんが、私の心配は私たちがどうなるのか、それだけです」


風の合間を縫うように、小さな声で会話は続く。


「何とかなるって、他の皆もベテランって感じだったじゃん」

「姉さんのその楽観視は、冒険者としてはとても褒められたものではありません」

「それを言うならアーサーは臆病過ぎる」

「命を賭ける仕事をする以上、警戒するに越したことはないです」

「そうかなあ……」

「そうです」


がたがたがたん!

 一瞬、強烈な突風が窓に吹き付けた。それまでに無いほど大きな音で、窓が外れそうなほど激しく揺れる。

 風はすぐに先ほどまでと同じ調子に戻ったが、途切れた会話は戻らない。

 会話も途絶え、眠りの波が押し寄せかける頃。アーサーが風に吹き消されそうなほど小さな声で、ぽつりと呟いた。


「姉さん」

「なに?」

「……そっち、行ってもいいですか」


ピエールの小さく笑う声が、わずかに聞こえる。


「いつまで経っても恐がりで甘えんぼだね、この子は。ほら、おいで」


躊躇いがちに発された衣擦れの音は、すぐに収まった。

 闇の中に、穏やかな寝息と風の音だけが満ちる。

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