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這い宝石。
魔力を糧とし、魔力によって発生する魔法生物の一種だ。
貴石の類が濃い魔力に中てられて変容したと言われており、手も足も無い筈の宝石が勝手に這いずり、飛び跳ね、動き出す。
彼らの生態には謎が多い。
普段どういう生活をしているのか、人間以外の他の生物とはどういう付き合い方をしているのか、一体何を目的にして生きているのか。
魔法生物という存在は通常の生物とは何から何まで異なり同じ物差しでは計れないのだから、不明なのも当然ではある。
分かっているのは、這い宝石は動かない普通の宝石に擬態して人を襲う例が多いこと。ある程度の損傷を与えれば魔法生物として死に、ただの宝石に戻ること。
そして。
「……ちょっと多過ぎないかなこれーっ!」
通常の這い宝石は宝石箱一個分だとか、手のひら一杯分とか、その程度の数の群れしか作らないということである。
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宝石の群体が斑七色の柱のように高く積み上がり、三人めがけて倒れ込んだ。
「ひええっ」
アーサーは剣を鞘に戻し、ピエールは小脇にリッチーを抱えて倒れ込む宝石を避ける。
無数の這い宝石たちは巨大な水飛沫を立てながら水中に落下したかと思えば、まるで何かに弾き飛ばされるかのような勢いで水中を飛び出し三人を襲った。
アーサーは革張りの丸い小盾で、ピエールはショベルの腹で急所へ飛来する這い宝石を弾くが、防ぎ切れない宝石たちがリッチーを含めた三人に次々と衝突した。
「あだだっ、あだっ」
威力は弱い。
子供が力を込めて投げつける程度の勢いだ。一般人でも目玉などに直撃しなければ大事には至らないだろう。
這い宝石とは本来あまり強くない、魔法生物としては下位もいいところの存在なのだ。
這い宝石に殺される例など、普通の宝石だと思って油断し顔を近付けて品定めしようとした結果、至近距離から目玉や頭蓋に激突した上当たり具合が悪くて死ぬ、というのが関の山。普通ならまず殺されはしない。
だが、それは通常の群れだった場合だ。
今三人を襲っている這い宝石は、大樽にして二、三杯分。
飲み込まれれば圧死もあり得る量だ。
予想外の数に、姉妹は驚きを隠せずにいた。
「ね、姉さん、さっさと通っ」
切羽詰まった口調で言いながら、アーサーが左手に握る盾を勢い良く振り抜いた。
突撃していた這い宝石が一握り分打ち砕かれ、ヒビの入った宝石たちは動くのを止めてただの宝石へと戻った。
が、打ち砕かれた石はアーサーめがけ突撃していた分のほんの一部である。
盾の一撃を免れた這い宝石たちがアーサーへ殺到し、横薙ぎに打ち付けるような七色に光る雨がアーサーを打ち据えた。
仰向けに池の中へ倒れるアーサー。
すぐに水中で姿勢を正し後方へ身体を逸らすと、ついさっきまで自分がいた場所に無数の宝石が降り注いでいた。
ばしゃばしゃばしゃ……。
池の水を鳴らす飛沫の音は止むことを知らない。
アーサーは時折吹き付ける宝石嵐に姿勢を崩しながら、必死で池の中を走った。
一方ピエール、と左腕に抱えられたリッチー。
「ねえこれ凄くない? 凄くない?」
「凄いけど凄くないっ!」
甲高く突っ込みながらピエールが右手に握ったショベルの腹で這い宝石たちを打ち払う。
べきべきべき、ばきばき、とショベルを振る度無数の宝石たちが砕け、物言わぬ色付きの石へと戻っていく。
だがピエールと言えど雨のように降りしきる宝石たちを全て払い避けるのは不可能らしく、防ぎ損ねた石たちがぽこぽこどこどこ二人の身体を苛む。
そんな状況を。
リッチーだけは目を輝かせ諸手を挙げて受け入れていた。
視界に広がる大量の宝石。
昼間の日差しを浴びて煌めく石たちは、一心に自分たちめがけて集まってくる。
リッチーちゃん、僕だよ、黒水晶だよ。君に会いたくて来たんだ。
リッチーさん、私はフルオライト。私のことを見て欲しい。
あたしはダイヤモンド。あたしだけを見なよリッチー。
……なんて声が聞こえるとは流石の彼女も思ってはいないが、色とりどりの宝石たちが群れ集まり飛び交う様はあまりにも幻想的で、リッチーはその光景に完全に目を奪われていた。
「ああ、何て美しいの、この宝石たちの舞っ。これだけでもこの冒険に来た甲斐があったわ……!」
「じゃあもう帰るかっ、リッチー!」
「駄目っ、この先も見たいのっ!」
一切の余裕のないアーサーの叫びにとろけそうなうっとり顔のまま返し、リッチーは再び飛びかかってくる宝石の群れを手を広げ受け入れた。
勿論自身を抱えているピエールがショベルを振るっていくつか撃退するが、それでも無数の宝石たちがリッチーへ殺到した。
ピエールは咄嗟に身体の向きを変え、なるべくリッチーに宝石がぶつからないようにする。
リッチーは自分の"持ち主"にされるがままになりながらも、謎の見切りを発揮し飛びかかってきた這い宝石の一つ、無色の水晶を器用に掴み取った。
「おお……這い宝石ちゃんがあたしの中でぶるぶる震へごっ」
暴れる這い宝石はリッチーの手から即座に飛び出し、彼女の頬を打ち地面に落ちていった。
常人なら当たり所が悪ければ歯が折れそうだが、そのような事態にはならずに済んだようだ。
リッチー本人も全く気にしていない。
そうしてリッチーが二人の苦労など何一つ鑑みず宝石の渦を楽しんでいる内に、三人は池の終わりに近づいてきていた。
並んで走る姉妹。
アーサーが走りながら後ろを振り向けば、這い宝石はまるで津波のような形を成して三人を追走している。
更に、その奥。
遙か後方にいる存在を見つけて、アーサーは表情を歪めた。
這い宝石の向こう、三人が走り抜けた後の池では、先ほどまで影も形も無かった筈の大勢の生物が現れ、池の中に足を踏み入れては水をがぶ飲みしていた。
合間合間にちらちらこちらを眺めては、這い宝石たちの意識がこちらに向いているのを確かめ安堵し再び水を飲み始める。
ここは恐らく、この常軌を逸した量の這い宝石たちの縄張りだったのだ。迂闊に足を踏み入れると襲われるから、他の生物たちは誰も近寄らなかった。
だが愚か者が足を踏み入れ這い宝石たちを引きつけてくれているので、彼らは安心してここの水を飲める、という訳だ。
囮ご苦労。
とでも言いたげに、一匹の鴉がこちらを向いて笑うような鳴き声を上げるのを見て、アーサーは得も言われぬ屈辱を覚えた。
しかし迂闊だったのは自分たちだから仕方がない。
せめてここを切り抜けたら、一人何の苦労もせず宝石が舞う様を楽しんでいる宝石女に八つ当たりしよう。
そうしよう。
そう心に決めて、アーサーは再び前を向きひた走る。
「もう少し、もう少しで抜けられる……!」
押し寄せる宝石の波から逃げるように水面を荒らしながら、隣を走るピエール。
視界の先二十メートルほどで池は終わり、切り立った崖に挟まれた細い岩石の道が再び続いている。
もうじき、この池を抜けられるのだ。
と、油断しかけたその時。
前方左右の崖から、また別の這い宝石の群れが落ちてきた。
「んなあっ!」
道を完全に塞ぐように現れた這い宝石たちは、やはり人を飲み込めるだけの量がある。
最早前後は塞がれ退路は無い。
その状況で、真っ先にアーサーが姉の抱えていた荷物を奪い取った。
「アーサーっ!」
「え、アーサーちゃんっ? 何を」
「突破します! 姉さんは後ろに続いて!」
力強く叫びながらアーサーは真正面から這い宝石たちに迫り、ピエールは戸惑いながらも後ろに続く。
一直線に走るアーサーは、弾丸のように飛び出してくる這い宝石たちに対し。
抱えていたリッチーを前面に掲げて盾とした。
「ちょっ、ちょっとちょっとアーサーちゃんこれはいくらなんでも止め待って待っ」
「お前も、働けええええーっ!」
リッチーの絶叫が、紫溶岩の大地に高く木霊した。
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何とか池を抜け這い宝石を振り切った姉妹は、息荒く地面に座り込んでいた。
隣にはリッチー。死体のように虚ろな目で仰向けに倒れている。
「この……悪魔妹……っ」
「こちとら必死で相手をしていたのに、一人だけ余裕で這い宝石の雨を楽しんでいた罰です。……それに、あなた身体だけは丈夫でしょうが。事実、骨も内臓も痛めていない筈です」
「信じてた友達に盾扱いされたことで心がしくしく痛んでますぅー……」
唇を尖らせ心底忌々しげに言い返しながら、リッチーは身体を起こした。
先の言葉通り、盾にされたことで心は痛めたものの怪我らしい怪我は何一つ負っていないようだった。
濁流のような宝石の嵐を真正面から受ければ骨の数本折れてもおかしくない筈だが、そんな様子は一切無い。
と言うのもこのリッチーという少女、体だけは異常なほど丈夫なのだ。
姉妹のように女離れ、人間離れした身体能力は持っていない。
筋肉が強い訳でも、骨が太い訳でもない。
肌も柔らかくきめ細かく、爪を立てれば食い込むし赤い痕が残ったりもする。
だというのに何故だか異様に頑丈で、かつて崖から転げ落ち常人であれば確実に赤い染みになるような衝撃を受けて尚、ただの大怪我で済んだという経験がある。
剣で斬られたのに、皮膚は裂けず棒で叩かれた程度の怪我しか負わなかったこともある。
アーサーをして"人間の身体じゃない"と言わしめた謎の頑丈さを有しているのだ。
その人間離れした強度のおかげで、這い宝石の嵐に全身で突っ込んだとしても大した怪我を負わずに済んでいた。
「でも、私としてはやっぱりちょっと可哀想かなって」
「でしょー? アーサーちゃんはやっぱりリッチー使いが荒いのよ、あたし可哀想」
「もしもあなたが怪我した私を抱えて運べるなら、喜んで私が盾になりました。でもそういう訳にはいかないでしょう? その点あなたなら、仮に怪我しようが私と姉さんどちらも持ち運べる」
「ぐぬぬう……」
「それに、結果として誰も怪我せず無事に突破出来たのだから良しとしてください。さあ早く行きますよ。本当に辛いのならまた抱えて歩いてあげますから」
「ちぇっ……ん?」
「どしたの?」
「あ、ううん、何でもないの。大丈夫」
何やら含みのある態度が気になる姉妹であったが、彼女が何もない、と言っているのでそれ以上の追求は止めて意識を外した。
その後少しの休憩や、濡れた装備の処理を挟んで進む道の先。
紫溶岩の岩石地帯も、ようやく終わりを迎えることになる。
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這い宝石の泉を突破した三人が、およそ十分も歩くとそれは視界に現れた。
巨大な断崖である。
高さは計測不可能。上を見上げても、途中から霧が立ち込め頂上が見えなくなっている。少なくとも、人力で登る気になど到底なれない高さだ。
その崖が、左右に視界の限り続いていた。
つい一昨日、下層の森から登る際に通過した紫溶岩の崖に似ている。
ただ一つ違うのは、あの時あった登り坂のようなものはどこにも見当たらない点だ。
「わー、こりゃまた高い。どこまであるのかしら」
「ねー」
崖を視界に納めたピエールとリッチーが、揃って上体を逸らし崖を見上げた。
一方アーサーは口元に手を当て、何やら思案する顔で左右を見渡している。
崖を見上げ終えたピエールが、次は妹のように視線を左右へ。
「でも登れそうな所どこにもないね。ここからどう進むの?」
「組合で聞くところによると、紫溶岩地帯から上層に上がる道は存在しません。上層へは島の南方にある密林から登れるらしいですが、実際に登った例は数えるほど」
「え、じゃあどうするの?」
「もうピエールちゃんったら、あたしたちが何を頼りに探検してるか忘れたの?」
「……ああっ」
言われて数秒考えてから、ようやく思い出したピエール。
「まずは崖に沿って左へ進みます」
何はともあれアーサーの主導で、断崖から左方向へと歩を進める一行。
そうして一行は、それと再び相まみえることとなった。
森へ入る際に別れた、エルフの涙筋である。




