08
幸い昨晩は大蝙蝠一匹以外は夜襲も無く、三人は無事に朝を迎えた。
朝日が岩石を照らし、反射する光が窪みの中へ注ぐ頃。三人は目覚め、もぞもぞと行動を開始した。
「ふああ、もういい時間だ。起きなきゃ」
「リッチー、水」
「うーい」
アーサーに言われ、むにゃむにゃと寝言のような呟きで呪文を唱えるリッチー。
呪文を唱え終えると彼女の指先から水流が迸り始め、流れる水は小鍋に蓄積していく。
ある程度水を貯めたところでリッチーは呪文を止め、彼女を含めた三人は布きれを小鍋の水へ浸し絞って、顔や髪、身体を拭っていく。
姉妹は同時に無防備にならないよう順番に、最初はピエールが衣服を脱ぎ、服の下に着込んでいた眩しい銀色の胸当てを外し素肌を露わにした。
何の躊躇も無く全裸になって身体を拭っていたリッチーが、ピエールの外した胸当てを見て口を開く。
リッチーの身体は町での普段着とほぼ同じ模様の日焼け痕になっており、露出していた箇所は小麦色だが服の下の素肌は姉妹同様白い。
「ピエールちゃん、それまだ着てたのね。その銀の胸当て」
「これは大事だからねー、無かったらもう十回くらい死んでるかもだし、絶対に手放せないよ」
「へー、それじゃ賭けはあたしの負けかなー」
「……賭け?」
何の気なしに呟かれた言葉を、耳聡くアーサーが拾った。
当のリッチーはあくまで気の抜けた顔だ。
「そ。実は二人のその防具さ、無事に持っていられるかって皆の賭けの対象になってるのよ。ピエールちゃんの胸当ては帰ってくる時には無くしてる方に賭けてる人が七人、無事に持ったまま帰ってくる方に賭けてる人が四人。あたしは無くす方に賭けてるのよー」
「……何その賭け! 私初耳なんだけど!」
「そりゃそーよ本人に言っちゃったら面白くないじゃない……って今言っちゃった」
胸元を拭いながら頭のねじが緩みきった顔でけらけら笑うリッチー。
何も考えていない。
ピエールは、
「私そんなにあほの子に思われてるのかな……」
と若干へこみながら胸当てと衣服を着直し、交代で上半身の装備を解いたアーサーが、
「……私の胸当てと盾については?」
と若干不安なような、でも気になるような、と言わんばかりの複雑な表情でリッチーを横目で見た。
リッチーは相変わらず何も考えてない笑顔のまま、
「アーサーちゃんはねー、無くさない方が七人と無くす方が一人ー」
と答えた。
「あれ、私のより賭けてる人少ない?」
「ううん、そういう訳じゃなくてー」
「……残り三人はもしや」
おおよそ気づいたアーサーが表情を曇らせた。
一方リッチーは酔っているのかと言わんばかりのへらへら笑顔だ。
「残り三人は"防具以前にあいつどっかで死ぬんじゃないか"だってさー。ちなみにあたしは無くさず無事帰ってくる方よー」
ピエールは最大限苦み走った苦笑い、アーサーは拭う手を止め地面に両手を突き愕然と項垂れた。
「まあ皆からしたらアーサーが何て言うか、危なっかしくて不安な子なのは分かるけど……」
「……リッチー、その賭けとやらに参加してる面子、教えてください」
「あたしが口を滑らせたってばらしちゃ嫌ーよ?」
「厳守します」
ならいいよ、と賭けの参加者である同郷の友人たちの名をつらつら挙げていくリッチー。
アーサーは拳を握り締めながら"あいつら次会ったら覚えていろ"と静かな怒りに燃えていた。
とはいえその様はどこまでも、気の置けない友人に対する親愛の情が籠もったものであったという。
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三人は身体を拭い終え、小鍋を軽く洗ってから今度は朝食の支度を始めた。
またもやリッチーによるむにゃむにゃくぐもったような詠唱で呪文の水が鍋に満たされ、アーサーが昨日森で抜け目なく回収していた枯れ枝には火を灯され、小さな焚き火に鍋がかけられた。
鍋の中には生米。
これも香辛料と同じく旅路に備え持参していたものだ。姉妹二人だけでは必要な水量の都合上食料としては不適だったが、リッチーが呪文によって水を出せるのでアーサーは持参していた。
沸き立つ小鍋の中で、米が揺れ踊る。
アーサーは適宜匙で中身をかき混ぜながら、じっくりと煮続ける。
ある程度煮えたところで、次に入れたのは昨日の蜥蜴肉の残りと香辛料。
鍋の水が黄色く染まり、挽き肉状に粗く刻まれた肉が沈む。
更に暫く煮続けてから、匙で掬って煮え具合を確かめる。
芯までよく煮えているようだ。固い米種なので溶けて粥状になってはいないが、一歩間違えれば煮過ぎなのではというほどとろとろである。
「出来ましたよ」
アーサーは三人分の椀に米をよそい、ピエールとリッチーへ渡した。
勿論、姉妹のものとリッチーのものでは量に倍以上の差がある。
「わあ、朝から濃ゆいご飯だこと」
「今日の道のりは昨日より険しく、危険もあります。朝からしっかり食べて行きましょう」
全員の手元に椀が行き渡ってから、三人はおもむろに食事を始めた。
よく煮えた米と肉を、匙で一掬いして口へ運ぶ。
香辛料はほどよく利いており、米も柔らかく煮えている。やはり蜥蜴肉は固いが、粗く刻まれているおかげで飲み込むのに問題は無く、肉の脂も味に彩りを添えている。
旅路の食事としては及第点というところだ。
「……相っ変わらず固い肉ね」
「でも案外美味しくない? 臭くないし細かくしてあればちょっと噛み応えのある普通の肉じゃん」
「ピエールちゃんたちにとってはちょっとの噛み応えかもしれないけど、あたしにはちょっとじゃないのよちょっとじゃ」
「我慢してください、これが最後ですから」
「とか言って、次捕まえた肉は今度は臭かったりするんでしょ、あたしそういうの分かっちゃう」
「……」
「……せめて否定してよそんなことないよって」
「そんなことないよ」
「うわ出た棒読み! アーサーちゃんの棒読み!」
「我慢しようリッちゃん……冒険の途中の食事はね、基本的にまずいものなんだよ……」
声を荒げるリッチーに対するピエールの声音は、どこか悟ったような優しげなもの。
次の食事に不安を抱きながら、三人は朝食を続けた。
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朝食とその片づけも終わり、出発の準備を整えた三人。
「うああ、浄化されるぅ……」
窪みの外へ出て朝陽を浴びた瞬間、頭を丸めて呻くように呟き窪みへ戻ろうとするリッチー。
を、アーサーが捕まえつつ三人は暫しの間朝陽を浴びながら今日の天気や周囲の状況を確認する。
空は快晴、一面の青空。気温は相変わらず高いものの坂を登ってから少しだけ低くなり、過ごしやすくなっていた。勿論まだまだ暑いが。
「うーん、今日もいい天気」
「雲一つありませんね。ありがたいことです」
「雨で濡れたら滑りそうだもんねここ」
言いながらピエールがとんとんと足踏みをし、地面の感触を確かめた。
周囲には土も草も一切存在しない。
黒紫の岩石だけで構成された世界が、視界いっぱいに広がっていた。
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――暫し進んだ頃、大きな坂に着く。坂を登れば、そこは紫溶岩の大地だ。緑の生えぬ、泡立ち波打つ岩石の大地が広がっている。
険しいが、君を想えば何ということはない。ただ頂きへ向け直進あるのみ――
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目の前には巨大な壁。姉妹の三倍以上の高さがある。
壁は全て黒紫色の岩石で出来ていて、波打つようにうねり、泡立つような凹凸がある。
周囲を見渡せば、視界内は空を除いたほぼ全てが同じ黒紫色の岩石で構成されている。
紫溶岩という名前の、赤紫色の溶岩が冷え固まった岩石の世界だ。
凹凸やうねりが多く、当然地面もそのようになっている為足場は悪い。
場所によっては高い壁や柱、深い大穴などが空いており、視界の通りは昨日通った下層の森よりずっと悪い。岩石の森、とでも呼べそうな地形だ。
だがその紫溶岩の岩石。
実に多量の宝石を含有しているのだ。
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「ぴ、ピエールちゃんこれ、この大きいの!」
岩石の壁の根元で膝を曲げ屈み込んだリッチーが、視線を足下に釘付けにしたまま手だけを振ってピエールを呼んだ。
呆れ混じりの笑みを浮かべた姉妹が歩み寄り、彼女の視線の先にあるものを見た。
人の頭のように大きな岩石の塊だ。窪みにぴったりとはまり込むように、全体の半分ほどが埋まっている。
リッチーはふんすふんすと鼻をひくつかせながら顔をどんどん岩石に寄せ始め、ついには鼻を密着させながらその岩石の臭いを嗅ぎ始める。
「……これ、絶対中にいいものある! ピエールちゃん! あのショベルの出番よ!」
「はいはい、じゃあ……」
と、腰の鞘からショベルを抜こうとするピエール。
……を、手前でアーサーが制した。
「それで抉ると刃こぼれします。抜き出そうとしないでこのまま割ってください」
言葉と同時にアーサーが、背嚢から一つの小さな鶴嘴を取り出した。
受け取ったピエールが、驚いた顔でアーサーを見返す。
「……え? こんなの用意してたの?」
「ショベルだけでは原石を掘り出せても割って中身は確かめられないでしょう?」
「ま、まあそうだけど……ってじゃあ最初からこんなショベルじゃなくてちゃんとした採掘道具持って来ても良かったんじゃ……」
「ピエールちゃん早く! 早く早く早く!」
言葉半ばでリッチーに急かされ、ピエールは慌てて鶴嘴片手に岩石の前で姿勢を低くした。
コン、コン、と軽く岩石の中心めがけて鶴嘴を振り下ろす。
最初は弱く、次第に強く。
ゆっくり加減を確かめながら力を強め、手応えが感じられる程度の強さで慎重に石を叩き続ける。
岩石はさほど硬い訳ではなく、叩くごとに表面が削れぼろぼろと崩れている。
数十度叩いたところで亀裂が走り、岩石が真っ二つに割れた。
割れた岩石の片方を抱えて引っ張り出す。
断面を見たリッチーが、目をぎらっぎらに輝かせた。
「ひょおっ……!」
「声が大きい、もっと小さく……」
とアーサーが制すのも気にせず岩石の断面に張り付くリッチー。
大きな岩石の内部は、深い紫色の巨大なアメシストの塊だ。割ってみると内部は空洞で、内側に生成されたアメシストが中心部へ向かって伸びている。いわゆるアメシストドームだ。
日射しを反射しチカチカ輝く結晶を、リッチーは全身で覆い被さるように密着し至近距離から眺め始めた。
息荒くハアハアハアハア言いながら、半分に割れた空洞の中に頭を突っ込むリッチー。辛うじて舌は伸ばしていない。
一方、周囲を警戒しつつも引き気味なのは姉妹二人。
「リッちゃん気持ち悪い」
「私もそう思います」
「……ところで、このアメシストってどれくらいの価値がある?」
「魔力が無いので先日露店で見た大きなアクアマリン程度ですね。あれよりは大きいのでもう少しは高値が付く可能性もありますが、二日かけてこの場所まで来てあの岩一つ抱えて帰るのでは割に合わないことは確かです」
「ここまで来るのに巻物二つ使ったもんね……」
「この島においては確実に巻物二巻、下手すると一巻の方が高いでしょうね」
などと話しつつ、アーサーはいつまでも離れる素振りのないリッチーを石から引き剥がした。
: :
「ああ、アメシストちゃん……あんな大きなアメシストちゃん……」
恋人と別れるかのように何度も名残惜しげに振り返りながら、リッチーがとぼとぼ歩みを進める。
その前後には、苦笑いのピエールと呆れ顔のアーサー。
「今からでもあの岩抱えて帰ってもいいんですよ? わざわざ危険を犯して先に進むこともありません」
「うう……アメシストちゃん……でもあたしは輝きの園に行くのよ……だから君を荷物にはしていけないの……」
ああでもやっぱりもう少しっ!
と駆け出しかけたリッチーはやはりアーサーによって首の後ろを掴まれて阻止され、リッチーがしょんぼりしているとやがて振り向いてもアメシストが見えない位置まで一行は進んでいた。
「まあまあ、帰る時に残ってたらその時は持って帰ってあげるから。……あの石魔力が無いって言ってたし、それなら魔物が食べたりもしないでしょ?」
「分かりませんね。魔法石として狙われることはないでしょうけど、ただの綺麗な石を集める魔物もこの辺りには棲息しているようですから。……ま、帰り際に残っていたら荷物次第で抱えて帰るのもやぶさかではない、という点は同意しますよ」
仕方ない、とでも言いたげな顔で、アーサーはごくわずかに笑みを浮かべながらそう言った。
: :
「隠れて」
ピエールが鋭く言い、一行は紫溶岩の柱の陰に身を潜めた。
息と気配を殺しじっと待っていると、わずかな風切り音と羽ばたき音が耳に届く。
音は少し近づいたところで聞こえなくなった。
聞こえないということは、どこかに止まっているということだ。きっと高所から周囲へ視線を巡らせているに違いない。
三人は動かず身を潜め続け、五分ほど待つとようやく再びの羽ばたき音が聞こえ、音はどこか遠くへと去っていった。
音が聞こえなくなっても、未だ残る気配が完全に消えるまで待ってから一息つき緊張を緩める二人、とリッチー。
そっと頭を覗かせて空を眺めてから、上空から視線の通り辛い場所に移動し歩みを再開する。
「いるねー、ここ」
「下手すると夜の方が動きやすい可能性すらありますね」
「夜行動する?」
「いえ、同じことを考えている夜行性生物も大勢いる筈なので実際は変わらないでしょう。このままで」
「そっか」
小声で数言交わしてから、姉妹はリッチーに視線を向けた。
リッチーは姉妹と視線を合わせることなく、不機嫌そうに頬を膨らませている。
露骨に不満げであった。
「……リッちゃん、これは仕方ないよ。こんな状況じゃ」
「分かってる、分かってるのよ。こんな頻繁に魔物が飛んでるような状況じゃ危なくて石なんか掘る暇ないってことくらい。さっきのアメシストちゃんを掘る時誰も来なかったのが奇跡だったってことくらい。……でも、でもやっぱりこんなんじゃ不満も溜まるのよ……!」
最後の言葉と共に、強く握った両の拳を上下に振りながらリッチーが静かに呻く。
三人が進んできた紫溶岩の大地。
後ろを振り向けば、そこかしこに露出した原石の断面や割ったら何かありそうな臭いのする岩石の塊が転がっていた。
全て掘り出せば、煌々と輝く原石の山が作れることは想像に難くない。
だが、今は頻繁に空から何かの気配が飛来している状況だ。もしも鶴嘴で叩く音や日光を反射する宝石の光が空へと届けば、空を飛ぶ気配の主にあっという間に気づかれるだろう。
故に迂闊に石を掘れない。
だがその状況は、死ぬ時は宝石の山に飛び込み宝石に埋まって死にたい、が信条のリッチーには生殺しもいいところである。
「ふぐううう……」
ひとまず歩みを再開する三人。だが、リッチーは今も心の奥底から絞り出すような呻き声を上げている。
彼女の嗅覚は今もまだ美味しそうな宝石の臭いを捉えているのだ。
こんな酷い状況、今まであっただろうか。いや無い。
などと呟きながら、俯き歩くリッチー。
まるで重傷を負い敵から必死に逃げているかのように表情を苦悶に歪め、時折後ろを振り向きながらとぼとぼ歩いていた。
そんな状況にあっては、立ち止まったアーサーに再び頭をぶつけるのも当然と言えよう。
ごんっ、と停止したアーサーの背嚢に額から突っ込むリッチー。
額を押さえながら顔を上げて前後を見比べると、姉妹二人が立ち止まり顔を上げ、視線をあらぬ方向へ向けていた。
「また何か来る?」
と、リッチーが尋ねたその直後。
どこかから大きな鳥の鳴き声が響いてきた。




