労働者-03
森の中の道が整備され、レールエンズとの国交が盛んだった頃。
サンベロナからレールエンズまでは、片道で丸二日かかったという。
それから五十年が経ちかつて道だったものが風化し始めた今でも、一週間もあれば十分往復が見込めるだろう。
しかし、ハンナを連れた冒険者一行がサンベロナを出てから早十日。彼女たちは、未だ町へと戻ってきていなかった。
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長引いた雨雲も町を通過し、数日ぶりの満天の青空だ。
アーサーは部屋の窓を開け、安堵の表情で空を見上げた。
「やっと綺麗に晴れましたね。残り数日はしっかり働きましょう」
「ふわあ」
寝ぼけ眼のピエールは大きな欠伸で返事を返し、それからブーツを突っかけて立ち上がった。
ふらつきながらもアーサーの隣へと歩み寄り、窓の向こうの青空を見上げる。
「やっと綺麗に晴れたねー、さあ残り数日みっちり働こう」
「姉さん、それ今私が言いましたからね」
「……そうだっけ?」
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「あっ」
机に自身の足を引っかけて、ニナは受け身一つせず顔面から床へと倒れ込んだ。
抱えていたトレイに載っていた空になった食器が、床を転がり疾走する。
ピエールが席から立ち上がりかけたのも束の間、ニナは無言でむくりと起き上がって食器を拾い、再び立ち上がって歩き始めた。俯く表情は暗く、目は虚ろだ。
ピエールは中腰で半立ちの姿勢のまま、死んだ目をしたニナがロビーの奥へ去っていくのを呆然と見送った。
「ニナがすっごい沈んでる……」
視線をニナが去っていった奥の部屋へ向けたまま席に着き、ピエールは小さな声で呟いた。
アーサーは立ち上がりかけた姉にこそ目を向けたものの、やはりニナには一瞥もくれていない。
「もう十日ですからね。あのハンナとかいう女も十中八、痛っ」
ピエールは身を乗り出してアーサーの頭頂部に軽くチョップを入れ、発言を遮った。
「余計に気を落とさせるようなことを言わない」
「どうせ聞こえてませんよ」
「そもそも聞こえてなくても言わないのそういう嫌なことは」
「はあ、分かりましたよ」
あまり納得した様子では無さそうだったが、アーサーは黙って食事を再開した。数分かけて、残っていた粥を全て胃へ収める。
「お待たせしました。では行きましょうか」
「うん。……ニナー! ごちそうさまー! アーサーの分の食器は机に置いておくからねー!」
奥の部屋にいるであろうニナに大声で呼びかけてから、二人は宿を後にした。
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数日前の時点で南西側の修理は終了し、現在の外壁修理は北東の住居区間側だ。
姉妹二人は十メートルほど離れた位置に積み上げられた石材を、黙々と修理現場へと運んでいた。
外壁用のブロックは大きく、下手な女子供より一回り重たい。アーサーはそれを両手で抱えて持ち運び、ピエールは両脇にそれぞれ一つずつ抱えて平然と歩いている。
その足取りは軽やかで、スキップすら出来そうなほどだ。
「……ん?」
石を抱え歩いていたピエールは、何かに気づいた様子で不意に立ち止まり石をその場に降ろした。
北方向へと、じっと視線を向ける。
「姉さん、どうしたんですか」
アーサーが、仕事を中断していることに対し若干非難の眼差しを向けつつピエールの隣へ並んだ。
町の北には広大な紅麦畑が広がり、地平線の果てまで緑と桃色のコントラストで彩られている。
「おい怪力姉妹! さぼってんじゃねえぞ!」
「何か来るよ」
監督官の怒号を無視してピエールが呟くと、その場にいる労働者のほぼ全員が仕事を中断して北方面を睨み始めた。
監督官も、ため息とともに北へと目を向ける。
「私には全く分かりませんね」
アーサーが呟いた直後。
地平線の上に、小さな人影が一つ浮かび上がった。
位置が遠いので詳しい格好まではピエールにも分からなかったものの、その人影がよろけながら必死で町までの道を走っていることと、何かに追われている様子で頻繁に後ろを振り向いていることは皆の目にもはっきりと映る。
動揺した労働者たちが口々に騒ぎ始めるのを横目に、人影を睨み続ける二人。
「例の三馬鹿の一人でしょうか。この距離では詳しいことは分かりませんが、服装はローブという感じではなさそうなので男二人のど……」
言い掛けたアーサーだけではなく、その場にいた全ての人間が驚きに目を見開き、硬直した。
逃げる人影を追いかけて、遅れて地平線の果てから姿を現した存在。
比較対象である人影の、ゆうに五倍以上ありそうな紐状の長い胴体。
その胴から生える二対の短い足と、一対の大きな翼。
翼はせわしなく羽ばたき、不格好ながらもその身体を宙へと浮かせている。
サンベロナ、そしてレールエンズの信仰に伝わる、竜神そのものの姿だ。
「な……あっ、姉さん!」
全員が唖然としている中、ピエールは真っ先に人影に向かって駆けだした。
アーサーもそれに気づき、姉の後を追う。道を無視して紅麦の花畑を、かき分け泳ぐように走る二人。
人影は振り返って目前にいる竜の姿に気づくと、驚きかあるいは恐怖か、姿勢を大きく崩した。
何とか頭からの転倒だけは免れて、両手を地に着ける。即座に走り出そうとしたものの後ろから右脚を竜に噛みつかれ、踏み出そうとした左足は虚しく地面を滑った。
竜はその短い四肢で大地を踏み締め、頭を振って人影を宙へ放り上げた。人影は容易く宙を舞い、強烈な勢いと共に頭から地面へ叩きつけられる。
当たり方からして、頭部か首への致命傷なのは遠目からでも明らかだ。
竜は動かなくなった人影の足から口を離し、細まった顎の先端で啄ばむようにして首を喰い千切った。
鮮血の飛沫の横に、生首がごろりと転がる。
竜は動かぬ死体の胴を顎の先で何やら探っていたが、やがてその行為を終え畳んでいた翼を大きく広げた。再び翼を激しく羽ばたかせ、時間をかけて空へと登っていく。
逃げていた人影が死んだことで、ピエールは走る足を止めていた。アーサーもピエールが停止した時点で、隣に並んで止まっている。
二人は竜からじっと視線を逸らさず、今は空を見上げている。
満天の青空の中、羽ばたく小さなシルエット。
竜は一定の高さまで登ると、そこで上昇を止めた。じっと町の方角を向いたまま、その場に留まって滞空を続けている。
「何してるんだろ」
ピエールがぽつりと呟いてからも竜は同じ姿勢同じ位置で滞空を続け、数十秒ほど経過した後。
がふぉーう、がふぉーう……。
高く細い、竜の遠吠えが響き渡った。空気が漏れている笛のようなどこか物悲しく、しかし力の篭もった鳴き声だ。
がふぉーん、がふぉー、ふぉーう……。
空から降る竜の鳴き声が、周囲一帯に力強く響く。
数度そうして鳴いてから、器用に空中で方向転換して森とレールエンズのある北方向へと竜は羽ばたき消えていった。
竜が去っていくのを見送ってから、ピエールとそれを追うアーサーは死んだ人影の元へと小走りで駆け寄った。
地面に転がり恐怖に歪んだ顔で空を見上げる生首と、未だ弱々しくも血を垂れ流す胴体。
「この人……あれだよね。こないだの」
「テッドでしたっけね」
ピエールはテッドの生首の前に屈み込み、優しくその瞳を閉じた。
一方アーサーは生首には一瞥くれただけで殆ど意識を向けずに、亡骸の胴体を漁っている。
「当然と言えば当然ですがろくな物持ってませんね。死体漁りする価値もない」
アーサーがぼそりと呟いた言葉に反応し、ピエールは怒りの眼差しでアーサーを睨みながら立ち上がった。
「アーサー、私怒るよ」
「分かってますよ。何も本気で死体漁りするつもりじゃありません。……いい物持ってたら拝借する気はありますが」
「じゃあなんで」
「あの竜っぽい存在、こいつ殺した後に何か探してたじゃないですか。何探してたのか分かればと……ほら、こんなものが」
仰向けに倒れていた胴体の装備を引っかき回すように漁っていたアーサーが、右手で何かをつまみ上げた。
一個、二個、三個。左の手のひらに乗せて、ピエールに見せつける。
その手にあるのは、透明な何かの破片。まるで歪んだコインのような、少し厚みのある三つの欠片だ。
「これ何?」
「硝子ですね」
「いや、それは分かる。でもこれ薬瓶とか窓の破片って感じじゃないよね」
「私は雑貨店で店主と話していた時、面白い話を聞きましたよ」
「え、何いきなり。今そんな話してない」
「いいから聞いてください。かつてのレールエンズは、薬瓶に使う為の硝子生産が盛んだった。……そして、その硝子製作の技術を活かした面白い芸術品として、硝子の透明な花を作っていたとか」
ピエールは、無言でアーサーの手の中の破片へ視線を戻した。
彼女の両手にあるものは、透き通る硝子の花。その、花びらの欠片だった。
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その後、外壁修理を行っていた労働者たちは全員中央役場の奥にある会議室に集められ、事情聴取が行われた。
特に一番近くで目撃していたピエールとアーサーへの聴取は凄まじく、聴取が終わった二人は這う這うの体で会議室を後にした。
「分かってるな。……特にこの町の人間ではない旅人組」
労働者たち全員が揃って会議室を出た後、監督官が力の篭もった声で確認を取った。
特に反論の声も出ず、各々真剣な、あるいはどうでもよさそうな顔で頷く。
そして監督官が、意を決して役場のフロントに出る扉を開けた。
前から三列目にいた姉妹の視界に、フロント中みっしりと詰まった群衆の姿が飛び込んでくる。
「出てきたぞ! 目撃者だ!」
群衆の誰かが叫ぶと、その場にいた全員の目線が労働者へと注いだ。
「君たち竜神様の姿をはっきり見たんだろう?」
「竜神様は、竜神様は我々に対してお怒りなのか?」
「竜神様はレールエンズからやってきて、侵入者に罰を与えたというのは本当なのか?」
「答えてくれ! 竜神様は一体何のためにこの地に再び舞い降りたんだ!」
すし詰めになっていた群衆が、出てきた労働者に向かって一斉に押し寄せた。
先頭の監督官が箝口令が敷かれたことと説明はいずれ長たちの手によって行われるということを大声で叫んでいたが、パニック状態に陥っている群衆には何の効果も得られはしなかった。
その中でピエールとアーサーは、咄嗟にしゃがみ込んで群衆の視界から外れ、足元をすり抜けていく。
時折群衆の人間に存在を見つかったものの、彼女たちの背丈で同じ労働者だったとは気づかなかったようだった。
するすると役場を抜け、外に出た二人。
「ぷはあやっと出……」
一息付こうとしたピエールの視界に、広場に大勢集まった群衆の姿が既視感を伴って映った。
言葉半ばに再び小さく縮こまり、こっそりと人混みを抜けていく。
「すっごいなーこれ」
「自身の信じる宗教の神そのものが出て来れば、こうなるということでしょうね。……些か度が過ぎるとは思いますが」
「宗教って凄いね」
ぼそぼそと喋りながら群衆の足元を這い、やがて人混みの外へと抜け出した。
今度こそ立ち上がって一息付いた二人。ピエールが物珍しげに人の波を眺めていると、見知った姿が一つ。
「ニナ」
群衆の最後尾で、両手を胸の前で組んで不安そうな顔で役場の方向へ目を向けているニナ。
呼びかけたピエールに気づくと、小走りで二人の元へ駆け寄った。
「あ、あの! ピエールさんたちも、りゅ」
「こんな所でそんなことを口走らないでください、人が集まるでしょうが」
言い掛けたニナの口をアーサーが塞ぎ、二人はニナを連れて宿へと戻っていった。
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妖精の止まり木亭のロビー。
そのテーブルの周りを、三人の少女が囲む。後はカウンターにアーノルがいるのみだ。
「そ、それで、お二人は何か知ってるんですかっ?」
「いやーそれが、町のお偉いさんに町民に言い触らすなって厳しく言われちゃったからさ……」
ピエールが言葉を濁すと、ニナの顔が見る見るうちに萎んでいく。今にも泣きそうな顔で俯いてしまった。
「あ、あのさ、ニナ……あ、アーサー、おっちゃん、どうしよう」
「どうしようも何も、ニナのことを想うなら説明してやってくれよ」
「私は反対ですね。……と言いたい所ですが、姉さんが言いたいなら言ってしまえばいい。大した話じゃありませんし、どうせ人の口に戸は立てられない。数日もすれば町中に広がってる筈です」
二人に後押しされ、ピエールは覚悟を決めて喋り始めた。所々記憶と異なる部分を、アーサーが補足しながら。
話自体はそこまで長いものではない。数分もあれば終わる内容だ。
「……で、遠吠えを終えた竜っぽい何かは反転して森の方角へ飛び去っていった。それだけ」
話し終えたピエールは、テーブルの向かいにいるニナの顔をのぞき込んだ。
ニナはハンカチを口にきつく押し当て、青い顔でカタカタと小刻みに震えている。
「お、おいニナ。大丈夫か?」
彼女たち姉妹が見る限りでは初めて、アーノルが焦りと心配で慌てた様子を見せた。
「お、お父さん、やっぱり竜神様怒ってるのかな……そ、それに、ハ、ハ、ハンナちゃんは」
今にも嘔吐しそうなほど動揺しているニナへとアーノルは駆け寄り、両手で抱え上げて奥の部屋へと引っ込んでいった。
五分ほど経ってから、アーノル一人が戻ってくる。
「ごめんおっちゃん……言わない方がよかったかな」
「……いや、いいんだ」
弱り切った表情でアーノルはさっきまでニナが座っていた椅子にどっかりと座り込み、ため息を吐き出した。
「あいつの母親、というか俺の女房は、ニナを産んだ時に逝っちまってな……」
「何ですかいきなり」
アーサーが割り込みかけたのを、アーノルは無言で遮る。
「いいから聞けよ、ただのオッサンの世間話だ。……で、何分育児経験なんて無かったのを、雑貨屋の婆さん……お前ら知ってるか? エルナの婆さん。ああ、知ってるならいい。あの婆さんに随分助けてもらってな……」
アーノルは無言で上を見上げた。
それを心底つまらなさそうな顔で見ているアーサーと、対照的に真面目な顔のピエール。
「それ以来ニナはあの婆さんと仲良しでな……、ニナの竜神信仰もあの婆さんの真似だ。俺自身は大して竜の神のことを熱心に信じちゃいない」
「エルナお婆ちゃんは何となくだけど、子供に人気ありそうな感じだもんね」
「そうだな。確かにあの婆さんは子供の扱いは抜群に上手だ。……はあ。何かとんでもないことになったもんだな。婆さんも今頃どうしてることやら……」
それきりアーノルは喋るのを止め、宿のロビーに重たく粘度のある沈黙が立ちこめた。
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竜騒動から既に二日の時が経過していた。
天候は満天の晴れ模様だったが、町はまるで不可視の暗雲が立ちこめているかのような暗澹たる雰囲気だ。
数日前の、あの暴動じみた騒ぎはあの一日で既に収束している。
しかし現在は一転して、町内は驚くほど静かだ。普段あれほど賑やかだった中央道が今ではゴーストタウンさながら、道の大きさに釣り合わない数人の人影が歩くのみ。
町内の店は大体の店が通常通り営業を続けているが、客足は少なく、そして店主の雰囲気も極めて重い。
とても意味があるとは思えない営業を、無理して行っているという印象だ。
そんな中央道のど真ん中を、誰にも気兼ねもすることなく二人は歩いていた。ピエールはあくまで暢気そうな表情で気楽に歩いているが、アーサーの表情は晴れず不機嫌そうに俯いている。
「今日は役場どうなってるかな」
「まず間違いなく駄目でしょうね」
昨日の時点で、既に役場の機能は停止していた。役場の人間にも竜神信仰の人間が多く、通常業務どころではないのだろうというのがアーサーの見解だ。
「でも行くんだ」
「あそこが開かないと稼ぎ口が無くてどちらにしろ暇になるでしょうし」
「森とか」
「収穫物の買い取り窓口も役場じゃないですか。同じことです」
「その辺で売ればいいじゃん」
「それすると多分怒られま……あれ」
「ん?」
言い掛けたアーサーが喋るのを中断し、前方へ向け目を細めた。次いでピエールも、同様に遠くを睨む。
二人の視線の先には、微かながら賑わいを見せる中央役場の姿。
「人だかりが出来てますね」
「もう再開したのかな。やるじゃん……えーと、この町!」
「姉さん、今町の名前を忘れてたのをごまかしませんでした?」
「え、いやそんなことないよ覚えてるよ。サ、サン……サンベルヌ? でしょ?」
「やっぱり覚えてないじゃないですか。サンベロナで……あっ、こら何で逃げるんですか!」
アーサーの言葉も半ばにピエールは無言で駆け出し、アーサーは慌ててそれを追いかけた。
二人が役場の前に着くと、人だかりの正体がはっきりと確認出来た。
普段役場に来るような身なりではない、年輩の町民が主だ。
「なんか普段と違う」
「役場の機能が戻ったという雰囲気ではありませんね」
ぼやきつつも二人は器用に人だかりをすり抜け、役場の中へと滑り込んだ。
役場の受付も人でごった返しているが、その層は外とは一変していた。腕っ節の強そうな男や、冒険者然とした者たちが主だ。
受付のカウンターに見知った人物がいるのを見つけて、二人はそこへ向かった。中の人数とは裏腹に、カウンターはあまり混んでいない。
いつも眠そうにしていた職員の女性は、二人に気づくと弱々しく微笑んだ。その目には、はっきりと紫がかった黒い隈が出来ている。髪もいつも以上にぼさぼさだ。
「おや、君たちじゃないか……」
「すっごい目の隈だけど、大丈夫?」
「……何とも言えないね。それで、何の用かな。申し訳ないけどまだ労働や森で取れた物の買取は再開してないよ」
「やっぱりそうなんだ。じゃあこの賑わいってなんで?」
返事を返す前に、小さく横を向く職員。
また欠伸かというピエールの予想を裏切り、無言で遠い目をしただけだ。
「……今、町ではレールエンズに調査に向かう計画が立っている。その為のメンバーを、ここで募っているからだよ」
ぴくり。
ピエールだけでなく横で不機嫌そうに腕を組んでいたアーサーも、職員の言葉に敏感に反応した。姿勢はそのままに、そちらへ強く注意を向ける。
「それはあの竜っぽい何かの件? もうちょい詳しく」
「君たちには関係の……と言いたい所だが、そうでもないだろうね。概ねその通りだ。君たちが見たという竜神様のことと、未だ何も分かっていないレールエンズの実態を改めて調査に向かう。その為の戦力を兼ねた護衛を町民、冒険者問わず募っているんだ。ただし、調査班のリーダーのお眼鏡に適うことが条件。……今のところ、町民側はさっぱりだけどね。腕っ節立つ人があんまりいないのと、それ以上に皆怯えちゃってる」
「なるほど」
「報酬と、募集の期限は?」
それまで無言を貫いていたアーサーが、一言ぼそりと割り込む。
「調査完了で七千ゴールド。ただし、調査班が一人だけでも生還していること。それと、レールエンズの遺物の持ち帰りは原則禁止。現地での副収入は基本的に無いと思って貰う必要がある。募集の期限は未定。メンバーが揃えば、出発は最速で明後日」
言い終えてから、一瞬だけ職員はアーサーへ目を向けた。しかしアーサーに返事を言う気は無いようだ。
「七千……」
ピエールが呟き、前を向いたままアーサーのズボンの上、革スカートの端を引っ張った。
仕草は子供のような可愛らしいものだったが、込められた力は意外なほど強い。一貫して無愛想だったアーサーの表情が崩れ、困り顔だ。
「ちょっと姉さん、止めてください」
「七千だって。七千」
「聞いてましたから」
やはり前を向いたまま名残惜しそうにピエールが手を離すと、アーサーは少し隣の姉から距離を取った。
具体的には、彼女の手がぎりぎり届かない程度まで。
「これ結構魅力的じゃない?」
「確かに報酬は魅力的ですが……あまり気乗りしませんね」
「なんでさ、どうせ暫く働けそうにないし、いいじゃん」
「稼げないなら早めに町を出るという選択肢もあります」
「えーなにそれ、そんなの……」
言い掛けたピエールが、はっとした表情でカウンターの向こうに視線を戻した。
そこには、俯いて静かな怒りに身体を震わせる職員の姿。ピエールの顔が、わずかに引きつる。
「悪いけど、今は色々と余裕がないんだ。そういうのは余所でやってくれ」
感情を押さえたぼそぼそ声で声で怒られたピエールは慌てて頭を下げ、何かしら言い返そうとするアーサーを引っ張り役場の外へと飛び出した。