03
翌日。
リッチーと同じ安宿で一泊した姉妹は、リッチーを連れて組合に向かい情報収集を行った。
島の気候、地形、棲息する動植物の分布など。
一通り話を聞き終えてから、三人が次に向かったのはアラシャルテの市場通り。
今日も陽射しは強く、直射日光の当たる場所は刺すような熱気に満ちている。
「おー、賑わってるね」
左手を額に添え、日差しを防ぎながらピエールが人混みを眺める。
幅およそ十メートルの市場通りは、大勢の人でごった返していた。
日除けの為の薄い天井が設けられた日陰の通りを、ぎっしり埋め尽くす人、人、人。あまりの人の多さに、通りがどこまで続いているのかも分からない。
「でしょー? アラシャルテでの買い物って言ったら大体ここ。綺麗な石も美味しい物もいくらでも置いてるのよ。……ほら、二人とも行こっ! あたしのお勧めの所とか案内したげるから」
返事を待たず、リッチーは姉妹の手を引き颯爽と人混みの中へ飛び込んだ。
「リッチー、今日は物資を揃えに来たんですからね。余計な物を買いに来た訳じゃありませんよ」
「分かってる分かってるって! でもせっかくシテテに来たんだから市場通りを楽しまなきゃ! ピエールちゃんもそう思うでしょ?」
「そりゃあ勿論!」
「いい返事! じゃあまずは、ここっ!」
にっと笑ったリッチーが、高密度の人波をすいすいかき分けながらとある露店の一つの前に到着した。
遅れて、手を引かれていた姉妹が人混みから露店の前へと飛び出す。
「おっ、リッチーじゃないか。珍しいなこんな時間に。……なんだ、男連れか?」
「んもー、何言ってんのよおじさん! この二人は女の子で、あたしの友達! 外から来たから、市場通りの案内してるのよ」
「ほお、じゃあ俺の客か! お前はいっつも冷やかしだけで帰って行くからな、客を紹介してくれるとは珍しい! ……ゆっくり見ていけ嬢ちゃんたち、ついでに何か買って行ってくれよ」
店番の中年男と慣れ親しんだ様子で話を交わすリッチー。
姉妹もその横に並び、露店に並べられている商品に目をやった。
強烈な自己主張を続けている宝石が、姉妹の視線をまず初めに奪い去る。
「……うわ、でっかい」
瓜ほどもある巨大なアクアマリンだ。淡い水色を湛えた石はどこを見ても透き通っていて、暖かみのある南国の海そのものを閉じこめたかのよう。
形はただ研磨しただけの歪なものだが、見ようによっては海が波で揺れる様に思える。
見るものの目を奪う、宝という文字を体現する塊だ。
「やっぱりそれに目が行った? いいでしょー、そのアクアマリン。ここは変な形にカットしたのとか、磨いただけの素のままの宝石ばかり置いてる店なのよ。建前上は自然のままの形を楽しめってことなんだけど、結局この店は」
「うるさいぞリッチー、余計なことを言うんじゃない」
ぺらぺらと喋ろうとするリッチーを制してから、男は姉妹へと呼びかける。
「……気になるかい? その藍玉は三ヶ月ほど前からある久しぶりの大物でな。残念ながら魔力は無いが、この大きさならそこそこの価値がある。価格は二百ゴールドってとこだな」
「二百かあ。高いのやら安いのやら」
「ただの綺麗な石としては高値ですね。とはいえ、宝石供給の無い遠く離れた地へ持ち込めば数十倍の値が付きかねない品ではありますが。……手に持っても?」
「ああ、構わんぜ。しかし男前の嬢ちゃん、よく分かってるじゃないか。お前さんたち旅人だろう? どうだい、余所で売る為に買って行かないか? 旅路では綺麗な石を眺めて心を和ませ、いざと言う時には高値で売れる貨幣代わりになる。お得だろう?」
店番のセールストークを聞きながら、藍玉を手に取るアーサー。
隣にいるピエールだけでなく、リッチーまでもが至近距離に顔を寄せ透き通る水色の宝石を眺め始める。
男がリッチーの行動を見て顔をしかめた。
「リッチー、お前は見るのはいいけどもう舐めるなよ」
「えーっ、ちょっとくらいいいじゃない」
「駄目に決まってんだろてめえ、売りもんをべろべろ舐める客がどこにいやがる」
「……リッちゃん、ここでもそれやってるんだ……」
「ああ、嬢ちゃんたちは知ってんのかい。初めてこいつがここに来た時、置いてた大きな黒水晶を手に取っていいか聞いてきたから軽い気持ちで許可出したら、四方八方から眺めながら最後には石を舐め始めてよ。どうしようかと思ったぞ本当。その藍玉だって迂闊に持たせたら舐め始めて、慌てて奪い取ったくらいだ」
「……」
姉妹による非難の視線がリッチーに集中し、宝石女はぺろりと舌を出しながら自分で自分の額を小突いた。
反省しているとはとても思えない。
「リッちゃんって何故か感極まると物を舐めるよね……昔うちに置いてあった何かの石をぺろぺろ舐めてさ。あの時は誰も怒らなかったけど、今やったら多分アーサーにめっちゃ怒られるよ」
「なんかねー、綺麗な物って美味しそうに見えてくるのよ。それが綺麗であればあるほど、目だけじゃなくて舌をもとろけさせるような甘露なんじゃないか、って」
「その内見た目だけ綺麗な毒物の結晶を舐めるのではと気が気じゃありませんね」
「それこないだやったわー。モッさんに呪文で治して貰うまで気持ち悪くて手足ぴーんって伸ばして固まったまま地面転がってた」
「あなたねえ……」
姉妹の呆れ混じりの視線に曝されても、リッチーは笑顔を崩さない。
先ほどとは一転してどこか汚い物を扱うかのような手つきで、アーサーが塊を元の場所へ戻した。
次に二人の注目は、笊に盛られた宝石の山へ。
大きさは苺ほどから豆粒大まで。色合いも無色、極彩色、漆黒と個性豊かな宝石たちが一緒くたに笊へ盛られている。
扱いは露店で売られる木の実の山と大差無い。
「おっちゃん、この石は?」
「それか? 大きさ次第だが小さいので三、大きいので八ゴールドってところだ。沢山買うなら多少はまけてやる」
「ほえー……」
間の抜けた声を上げながら、ピエールが目に付いた中で一番大きな石を一個つまみ上げた。
細長い円柱状の、少しくすんだ濃紅の水晶だ。
磨かれて光を反射するそれは、いわゆるローズクォーツとは違い乾いて黒ずみ始めた血の色に似ている。
「これが八ゴールドかあ……やっぱりびっくりするほど安いね」
「そりゃあ何てったって宝石島だぜここは。その程度の石なら路傍の石のように見つかる。お前さんたちみたいな旅人や、買い付けに来た商人くらいにしか売れないほどだよ。島民はこんな石見飽きてるから、たまにしか買いに来ねえ」
「何でこんなに宝石が一杯見つかるの? この島」
「聞いた話によると、女神様だかエルフ様の力らしいぞ。ほら、エルフとか人魚とかは涙が宝石になるって言うだろ? そんな感じで、傷心のエルフ様がこの島で泣き続けて流した涙とか、怪我をした女神様がこの島で身体を休めた結果流れた血とか、そういうのが宝石になったって説が多いな」
「……この宝石が全部涙とか血だったら怖いなー。どれだけ流したんだろう」
「そのおかげでこんな端金で大量に並んでるんだから、あたしにとってはもう天国よ、天国。もう最高……もっと泣くべき、もっと大怪我するべきよ!」
「涙はともかく血はまずいって……」
大きな胸の前で両手を合わせ、瞳を閉じうっとりした顔でリッチーは恍惚に浸る。
彼女の反応に苦笑いなピエールが赤い水晶を戻すと、隣で妹が笊の石を漁っていたので姉も同じように石を漁り始めた。
「やっぱりその小粒の石の方がお気に召すのかい?」
「私は何となく妹が探してるから。……そうなの? アーサー」
「大きな物は持ち運ぶには嵩張りますから、旅路での換金目的ならこういった石を複数持っていた方が便利でしょうね」
「やっぱ旅人は皆そう言うよなあ。……何か気に入った石は見つかったか? ここまで長話したんだし、小粒くらい買っていってくれよ?」
「……」
聞いているのかいないのか分からない態度で、笊の中を探り続ける二人。
「これいいなぁ。形と色が素敵」
「ピエールちゃんってこういう淡い緑好きよね。ほら、こっちのエメラルドの方が質も良くて綺麗よ?」
「うーん、そっちは緑が濃過ぎるかなあ。形もいまいち」
「相変わらず妙な拘りねぇ」
「特に何って訳じゃないけど、この形は何故か親しみを覚えるんだよね。……アーサーはどう? 何かいいのあった?」
ピエールは笊の中から探り当てた涙型のペリドットを弄びながら、隣の妹へ目を向けた。
彼女は小指の爪先ほどの小石を手に取り、じっと見つめている。
極めて透明度の高い何かの結晶だ。色も完全な無色で、内部に光を反射する傷や不純物も無いのでまるで水の滴そのものにすら見える。
ピエールにはその石は水晶かダイヤかそれとも硝子か、正体は判別出来なかったが、アーサーだけでなく、店番の男とリッチーもその石が何か分かっているようだった。
「男前の嬢ちゃんは目聡いな」
「見つけたのは偶然です。しかし、珍しいですね」
「アーサー、その石何?」
白い指先で石を弄ぶアーサー。
ピエールの疑問には、隣にいたリッチーが答えた。
「涙石って言うのよ、それ。ここでしか採れない宝石で、文字通り涙の雫みたいな高い透明度が特徴。色は無色が多いけど結構色々で、魔法の石になる割合がとても高いの。魔力の無い石として安値で売られてる方が珍しいくらいね」
「魔法の涙石こそシーレペテレンペティカッソン最大の名産品ですよ。単純な利用価値ならば魔力の無い綺麗なだけの石の山より、魔法の涙石一粒の方がよほど価値があります」
「えーっ、そんなことないわよ! ちょっと魔力があるだけのちっちゃい涙石なんかより、綺麗な大粒の宝石いっぱいの方がよっぽど綺麗だわ!」
「利用価値と言ったでしょう、美しさの話はしていません」
熱の籠もった口調で反論してきたリッチーに素っ気なく返しつつも、アーサーは涙石に加え細長い涙型の濃い藍色のサファイア、正十二面体に加工された真紅のガーネット、ピエールのものとほぼ同色同型のペリドットを一粒ずつ、質を丹念に吟味してより分けた。
ピエールの持っていたペリドットも受け取り、計五個。
「これだけ頂きます」
「おう、四十ゴールドだぜ」
「十ゴールドなら買いましょう」
「おいおい四分の一じゃねえか、いくらなんでも」
「では十五ゴールド。それ以上になるのであれば他の店で買います。……この店の石は、素人に毛が生えたような見習い職人の練習台になったものでしょう? お粗末なカッティング、試験的に試みたと思われるおかしな形状、加熱処理の失敗。そんな品が大半を占めている。先ほどリッチーが言い掛けたのはそのことでは? だとすればこの店で買う意義は皆無に近い」
「……やっぱ目聡いなお前。……三十で」
「姉さん、行きましょう。石はお返しします」
「あっ! おい待て! 分かった十五でいい! 持って行け! くそっリッチーなんだよ! お前の友達って言うから期待したのに全然頭緩くねえじゃねえか! 大体お前が迂闊にこの店のこと口走るからよお!」
アーサーが即座に踵を返す素振りを見せると、慌てて呼び止めながら男は苦々しい顔で叫んだ。
だが言葉とは裏腹に表情は本気で不快という訳ではなさそうだ。
例えるならば小銭を賭けたポーカーで相手にしてやられて悔しい、という程度。
「アーサーちゃんはあたしの友達の中でもずば抜けてみみっちい子なのよね。だからしょうがないのよ」
「本当だぜ、全く……」
「い、いやでも私はそのおかげで助かってる訳だし……」
店番の男とリッチーの二人から揶揄されたアーサーは、ピエールのフォローの甲斐無く眉根を中央にぐぐっと寄せた。
無表情で眉だけをひそめた顔のまま懐から十ゴールド硬貨を一枚、一ゴールド硬貨を五枚取り出すと男へ渡し、涙石とガーネットとピエールが選んだペリドットを自分の懐へ、サファイアと自身が選んだペリドットをピエールの懐へごそごそと納めた。
納め終えて一息。
「では、我々はこれで。リッチー、次に行きますよ」
「はいはーい。おじさん、またねー」
「じゃあなリッチー、今度はもうちょっと頭緩そうな奴を連れて来いよ。せめてお前くらいの。金払いも良けりゃ尚いい」
「なーに言ってんのよ、あたしほど頭緩い子なんて知り合いにいないわよぅ」
「……だろうな!」
リッチーと気安い調子で笑い合ってから、店番の男は姉妹へ向けて手を振った。
ピエールは笑顔で手を振り返し、アーサーは控えめな目礼。
三人は露店を去り、再び人混みの中へと紛れていった。
: :
「えーと、これでどこまで買ったっけ」
「衣類、外套、予備の袋。半分、というところですね」
「うげーっ、これでまだ半分なのぉ……」
呻くように言いつつ、リッチーは手の中の物を口へ運んだ。
現在三人は、市場通り半ばにある広場で一休み中。広場の隅に三人並んで腰掛け、軽い昼食を取っている。
三人が食べているのは、露店で買ったヘリヘリという食べ物。
米粉を溶いて薄く焼いた生地で、刻んだ葉野菜と固めて焼いた粗挽き肉を巻いたもの。シテテ風軽食クレープと言えるだろう。
リッチーは小さいものを、姉妹はリッチーの物より倍は大きなものをそれぞれゆっくりと食べている。
「これ中々美味しいね」
「でしょ? 市場通りに来たらやっぱヘリヘリよ。ソースが色々だから飽きも来なくて毎日でも食べられちゃう」
「リッちゃんのは何の味だっけ」
「あたしのはラスーリの実の甘じょっぱい味。……食べてみる?」
リッチーが差し出したヘリヘリには、白濁したソースがたっぷりとかけられている。
ピエールが頭を伸ばしてはぷっ、とヘリヘリにかぶりついた。
甘味と塩気のある、南国風味な果実のソースと挽き肉の脂が口の中で絡み合う。
外を歩いて汗をかいた身体にはたまらない、濃ゆい味付けだ。
「んー、それも美味しい」
ピエールが口の中身を咀嚼しながら、無言でリッチーへ自身のヘリヘリを差し出した。
リッチーも同じように、ピエールのヘリヘリを一口かじる。
こちらは香辛料や赤葡萄酒を使ったオーソドックスなソースだ。シンプルだが、挽き肉との相性は良好。
「もむもむ……この普通の味付けもいいわね」
互いに食べさせ合いながら、和気藹々とする二人。
間に挟まれたアーサーが、何やら小刻みに身体を揺すり始めた。
端から見れば無表情にしか見えないが、付き合いの長い二人には彼女が羨ましそうにもじもじしているとはっきり分かる。
その様子に気づいた二人が、にやにやにまにまと意地の悪い笑みを浮かべた。
「アーサーちゃんもしたいの?」
「えっ、い、いえ私は」
「んもー素直じゃないんだから、ほりゃっ隙あり!」
リッチーの問いかけに気を逸らした瞬間、ピエールがアーサーの持っていたヘリヘリへ食いついた。
一口分かじり取ったピエールが、笑みを浮かべながら咀嚼する。
数秒後。
「……!」
ピエールの顔色が、見る見る内に悪化し始めた。
辛い。
辛いのだ。
猛烈に辛いのだ。
「あっ、ね、姉さん!」
自身のヘリヘリを食べられたことに気づいたアーサーが慌て始め、リッチーがアーサーのヘリヘリにかけられたソースを見て事態に気づく。
妹の持つヘリヘリのソースは鮮血のように鮮やかな赤。
この島の香辛料を惜しみなく使った、辛味の非常に強いソースだ。
昨晩の青い実ほどではないものの強烈な辛味に舌を焼かれるピエールは口を閉じたまま目を見開き、何とか急いで口内のものを嚥下しようと悪戦苦闘している。
そんなピエールの奮闘を、おろおろしながら見守っているアーサー。
リッチーが自分のヘリヘリを暢気に一かじりしながら、他人事のようにからからと笑った。




