02
三度の食事より宝石が好きな少女、リッチー。
宝石で有名なシテテに滞在し市場に並ぶ綺麗な石や、高価な魔法の石を眺めながら好き勝手に暮らしていた。
そんな折、彼女は市場で不思議なものを見つける。
本と呼ぶには頁の少ない、小冊子と呼べる程度の古文書だ。
紙面いっぱいに文字がびっしり刻まれた冊子は一体何の素材で出来ているのかただの紙とは思えない異常な耐久性を有し、破こうとしても刃をなぞらせても殆ど傷を付けられないという特異な性質を持っていた。
それだけの耐久性を有しながら経年劣化の痕跡がはっきり残っていた辺り、相当長い時を経ているのが窺える。
紙面はびっしりと文字で埋め尽くされ、上から新たに文字を書くことも出来ず、見た目はただのぼろぼろの紙。
その為耐久性があろうとも大した用途が無く、二束三文で売られていた。
だがリッチーは冊子に宝の匂いを嗅ぎ取り、買い取って文字の解読を始めたという。
冊子に刻まれている文字は現代では使われていない古代の文字で、読み取ったはいいものの内容は滅茶苦茶、文章ですらないただの文字列。落書き帳にしか思えない。
それでもリッチーは根気よく解読を続けた結果、冊子に刻まれた文は簡単な暗号化を施された宝の地図らしい、と判明した。
島の中心部を目指し冊子に記された通りの道を進むと、素晴らしい輝きの園、なる場所へ辿り着くという。
古文書を頼りに、シテテ島中心部への道を進む宝探しの冒険。
その為の戦闘力兼古文書の答え合わせ要員として、リッチーは同郷の者を召集することにしたのだ。
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「という話でいいんですね」
「だからそう言ってるじゃなーい」
「あなたの説明は頻繁に脱線する上に回りくどいんですよ」
説明が一段落し、アーサーはぬるくなった紅茶を無音で口に含み、リッチーは白く濁った酒をコップ一杯勢いよく飲み干した。
「……切羽詰まった救援要請ではなかったことを喜ぶべきか、宝探しなどというつまらない話で呼び出されたことを怒るべきか……」
「宝探しって浪漫があっていいじゃん。私好きだよ」
「やっぱピエールちゃんは話が分かるね! どっかの頭かちかち妹とは大違い」
薄目で睨むアーサーをけたけた笑ってやり過ごし、リッチーはつまみである魚の干物をつまむと共に先ほどの給仕に再び酒を注文した。
「一応聞いておきますが、そんな信憑性の薄い冊子のことなど忘れるという選択肢は?」
「それいつも聞いてくるけど、無いっていつも言ってるじゃない。もし誰も手伝ってくれないなら、この町の適当な人捕まえてでも行くんだから」
「でしょうね……まあいいでしょう。その冊子とやら、今持ってますか?」
机の上で腕を組んだアーサーがリッチーを見据える。
その目は真剣だが、対するリッチーはどこまでも気の抜けた軽い表情だ。
「あるわよー、はい」
肩に掛けていた可愛らしく小洒落ている鞄からぼろぼろの冊子を取り出し、アーサーへ渡すリッチー。
ピエールがアーサーの真隣まで椅子を寄せ、二人ぴったり並んで冊子を眺める。
話通り、随分とぼろぼろな紙切れだ。
大きさは縦三十、横二十センチほどで、頁数は表紙を合わせてたった八。
汚れ方がまばらで、紙面は薄茶や焦茶のまだら模様。末端が擦り切れ格子状に編まれた繊維が露出している為皮紙の類ではないようだが、一体何の繊維なのか、植物由来なのかどうかも分かりそうにない。
アーサーは試しに露出している繊維を引き千切ろうとしたが、髪の毛のように細い繊維にも関わらず異常なほど堅く、彼女の手では千切ることは叶わなかった。
続けて懐からナイフを取り出し繊維を切ろうと試みるが、やはり切れない。
まるで刃のついていないナイフでごりごり擦っているだけ、という感触だ。
「ほんとだ、切れないね。……文字も私には全然分かんない」
頬をぴったり寄せるようにして妹のすることを眺めていたピエールが呟く。
書かれている文字は曲線のみで構成されており、"蚯蚓がのたくったよう"と形容出来そうな不気味さだ。
その文字が表紙から中身六頁、裏表紙まで隙間無く書き込まれていて、見ているだけで気持ちが悪い。さながら密集する蚯蚓柄である。
包み紙としての用途には、中々使う気にはなれないだろう。
「……準古でしょ? それ」
「そのようですね」
眉を寄せ、不機嫌にしか見えないようなしかめっ面で各頁をぱらぱら流し見ていくアーサー。
「じゅんこ?」
黒蚯蚓を眺めていたピエールが、目線を上げてリッチーを見返した。
酒を呷ってからリッチーが解説を始める。
「そ、準古魔法文字。何千年か昔の魔法使いがよく使ってた文字ね。古代の文字だけど、何万年ってほど大昔じゃあないから準、古」
「なんか半端な古さ」
「宝探しするのに最適な時代なんですよ。魔法技術の衰退が決定的なものになる前の、今の時代にはない魔法の遺物が多く残っている時代。これより古いと遺跡が殆ど現存していない上に高度過ぎて個人の手には負えない物が多く、逆に新しいと魔法の宝、と呼べるような遺物が少ない。……ちょうど、あなたが唯一解読出来る古代文字ですね」
「そ。だからピンと来たの」
「ふーん……アーサーは読めるの?」
「ええ、読めました」
「滅茶苦茶でしょ? へんてこな文字列ばっかりの」
「いえ、内容も解読出来ました。何の変哲もない単純な換字暗号ですし」
「……へ?」
平然と答えたアーサーの一言に、リッチーは目を丸くしてぽかん、と口を半開きにした。
口元から、食べかけの干物がこぼれ落ちる。
「行儀が悪いですよ」
「あ、ああごめん……じゃなくて。もう解読したの? ほんとに?」
「ええ。宝の地図、というよりは宝探しの日誌ですね。魔法石の鉱床でも見つけたのでしょうか」
「……ほあぁ」
あっさり文字を解読して見せたアーサー。
リッチーが、気の抜けたため息を吐きながら机に突っ伏した。
小麦色の胸が挟まれてむにっと潰れる。
「あたしそれ読むのに三ヶ月くらいかかったのになあ……」
「そんなに難しいの? その暗号」
「そう難しくありませんよ。全ての文字を四文字分ずらして読むだけです。リッチーが簡単な暗号、と言っていたので試しに一から順にずらしてみたら四文字目で簡単に読めました」
「文字をずらす?」
「数字に例えるなら、一を五、二を六、三を七……六を零、七を一と読む、という具合です。一二三四五、とあったら五六七八九、と読む」
「はあはあなるほど」
分かっているのか分かっていないのかよく分からない顔で頷くピエール。
リッチーは未だ突っ伏したまま、頭だけを上げてアーサーへ唇を尖らせた。
「アーサーちゃんは相変わらずお賢うございますな」
「あなたのことですから、準古の文字の並びを覚えていなかったのでしょう?」
「……そーよ。とりあえず読めればいいと思って文字の並びなんか適当にしか覚えてなかったから苦労したわー、本当に苦労したわー」
「全く……」
「ま、それ抜きにしても今ぱらぱらっと見た時間だけで文字のずらし読みを四文字目まで試して、おまけにそのまま全文ずらし読みしちゃうのは流石よね。それは渡しとくから、詳しい解読もしてみてよ。後で答え合わせしましょ」
「随分じゃないですか」
「まあまあいいじゃない、お金になるような物を拾ってもあたしの分はいらないから。あたしは綺麗なものを愛でられれば十分なのよー」
右手につまんだままの干物をふりふりと振るって、リッチーが酔いの回った気の抜けた顔で笑う。
お小言を言いたそうな顔をしていたアーサーも、結局最後には穏やかな顔でリッチーへ笑いかけていた。
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「……ところでさ。二人とも髪短くない? アーサーちゃんって短くするの嫌いじゃなかった?」
何気ないリッチーの言葉の直後、アーサーのこめかみがぴくりと震えた。
リッチーはただ思ったことをそのまま口にしただけだったが、もしや禁句を踏んでしまったのかと少し身構える。
が、機嫌を損ねる、というほどではないらしい。ピエールの方も、あくまでにやにや笑いだ。
「……少し前に、髪を焼かれてしまいましてね。私としても不本意ですよ」
「へーそうなの。でもほんと、その髪だと男の子みたいよね」
「だよねー。さっきなんかさ、組合で男と勘違いされちゃったよ。受付の女の人がアーサー見ながら腕組んで胸寄せ上げたり、こう得意げな目でじっとりと、色目だっけ? ああいう感じの仕草をし始めてさ」
「それならペリエリルねえかしら。黒髪を背中まで伸ばした、あたしと同じくらい胸の大きな人。あの人婚期逃して大分焦ってるらしいわねー、あの見た目だし若い頃は男を取っ替え引っ替えしてたらしいんだけど、その所為で色々こじらせちゃったらしくて。……でも、ふーん、そっかー。アーサーちゃん女の人に口説かれちゃったんだ。見たかったなー、ひひひ」
光景を思い浮かべたリッチーが、気味の悪い笑い声を洩らした。
机に突っ伏すぎりぎりの位置で頬杖を突き、干物を一切れ口へ放り込む。次いでコップの中身を勢いよく呷り、
「ん゛あ゛ー」
と明るい少女の声音で汚く一息ついた。顔の下では、日焼けした大きな胸が押し潰されて歪になっている。
「もう、汚いですよ」
「気が抜けるとどうしても出ちゃうのよねー、にひ」
「仕方のない子ですね」
軽く微笑むアーサー。控えめなその笑みは、さながら保護者だ。
「そういや最近誰かに会った?」
「十ヶ月ほど前エミリーに、それから半年前にトリシーと会いました」
「へー、どこで?」
「エミリーは西大陸の都市、トリシーは南大陸の果ての砂漠の町で。暫く一緒に行動しましたが二人とも無事で、元気でしたよ。例に漏れず厄介事には巻き込まれましたがね」
「ほー」
「そういうリッちゃんはどうしたの? いつもはモッちゃんとかくらりんと一緒じゃん」
「あの二人とはここに来る前に別れた」
「そうなの? なんで?」
「くらりんはお金は好きだけど宝石は好きじゃないしー、モッさんも何か他に行きたい所があるからーって。モッさんには別れる直前まで散々お小言言われちゃった。ちょうどアーサーちゃんみたいに」
「それはそれは。今度モッチーに会ったら言っておかないといけませんね。結局リッチーはあなたの忠告を聞かず自堕落な生活をしていました、と」
「止めてよね、……いやほんとに。もう半日丸々お説教なんて懲り懲りなんだから」
「説教されるような生活をしなければいいだけの話です」
「相変わらず厳しいわねアーサーちゃんは。……ねえ?」
「そーそー、相変わらず厳しいんだからアーサーは。……ねえ?」
軽い世間話を交わしつつ、三人は笑う。ピエールとリッチーもさることながら、アーサーも珍しく表情豊かだ。笑みこそわずかな微笑みばかりだが、頻繁に二人へ向けて微笑みかけていた。
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久しぶりの談笑を楽しんでいる内に、気づけば夕方。
"お腹すいた"というピエールの鶴の一声もあり、三人はこのまま酒場で夕食も取ることにしていた。
「ここって何が美味しい?」
「暖かい南の島なので海産物と香辛料が豊富、肉は鶏、主食は米。……ですよね?」
「そうそう、そんな感じ。でっかい魚を野菜とかと一緒に丸ごと香草で包み焼きにしたのとか、鶏肉をいっぱいのスパイスでまっ黄色に煮込んだのとか。この辺暑くてよく汗かくから塩気が濃くて、おかげでお酒が進む進む!」
「もう夜ですし今更止めはしませんが、酒はほどほどですからね。いくらあなたでも」
「分かってるって、ほどほどねほどほど。……おっ、きたきた」
でんっ。
三人が囲む丸テーブルのど真ん中に、蓋をされたままの大鍋が置かれた。
運んできた中年女性が蓋を開けると、湯気と共に香りが溢れる。
「わー」
中身は魚介と野菜と米を、全て一緒にして丸ごと炊き上げた米料理だ。
輪切りにされた烏賊と、白身魚の切り身。白い身が香辛料で黄色く染まっている。
細かく刻まれた玉葱。やはり黄色い。
形も大きさも異なる多種多様な豆の数々。菱形や細長い物など、特徴的な形の豆ばかりだ。
手のひらより大きな貝の身。四つに切って米の上に乗せてある。四分割でもまだ大きい。
輪切りにされたオリーブと、不思議な水色の実。全体的に黄色い中で、水色が強い存在感を放っている。
他、海老、パプリカ、刻まれた葉野菜など。調和の取れるありとあらゆる食材を丸ごと一つにまとめた、ごった煮ならぬごった炊きだ。
中年女性は最後の仕上げとばかりに大きな匙に似た道具で魚の身をほぐし米をかき混ぜると、一度笑いかけてからその場を後にした。
「後は、これを思い思いよそって食べる。ここは一つの料理に食材をまとめられるだけまとめて、大きなのにどーんと入ってるのを各自自分の皿に取り分ける、って食べ方が多いのよ。スープもおんなじ。一つのスープにお肉とか野菜とか入るもの全部入れて、スープとお米の二つだけ食べる。ただその時は、お米だけは取り分けないで一人分ずつ並べる」
「ふうん。……いいですね、このいかにも南国らしい異国情緒のある香り」
アーサーは立ち上がって顔を突き出すと香辛料の多様な香りを楽しみ、米に刺さっている道具を手にとった。
まずピエールの取り皿、次にリッチーの取り皿、最後に自分の順番で米をよそい、並べてから再び席に座る。
香辛料で黄色く染まった細長い米は粘り気が無く、ぱらぱらで噛みごたえがありそうだ。
「じゃあ乾杯……はいっか。お酒なのあたしだけだし、ピエールちゃんはいつも通りだし」
「それはまた今度にしましょう。では早速」
「いえーい」
リッチーは一人酒杯を掲げ、姉妹二人は米を一掬い。
同時に口へと運び、
ピエールだけが盛大に咽せた。
「……!」
辛い。
尋常ではなく辛い。
たっぷり効いた香辛料に加え、混ぜられた水色の実が唐辛子を丸ごと食べる以上の強烈な辛味を発揮し、ピエールの子供舌にまるで鑢で削り取るかの如き刺激を与えた。
必死で口の中の物を吐き出さないよう、醜態を晒さぬよう堪え、ピエールは慌ててコップの中のぬるくなった紅茶を口に含んだ。
一方のアーサーは、少し眉を寄せただけで平然そのものだ。
「辛いですね。一体何ですか、この水色の実」
「名前は……忘れちゃった。通称はエルフ泣かせ。エルフを泣かせて宝石の涙を集めるのにこの実を食べさせてた、っていう昔話があるの。最初はすっごく辛くて大変だけど、慣れるとこれが美味しいのよねー。ここの甘いお酒にもよく合うし」
「だそうですが、大丈夫ですか? 姉さ……ん……」
意識を向けたアーサーの目の前で、姉の目からつつ……と流れ落ちた一筋の涙。
アーサーだけでなく、リッチーまで唖然とした顔で暫しそれを眺めた。
「……え、うそ泣いてる。そんなに辛いの駄目だったっけ」
「許容できる線があって、そこを越えなければ大丈夫……の筈ですが、私も姉さんが涙目通り越して泣くのを見たのは久しぶりです。食べ物で泣くのなんて初めて……。この青い実だけ除ければ大丈夫ですか? 貸してくださいすぐ除けます」
「エルフ泣かせならぬピエール泣かせ……宝石になったりして」
鬼気迫るほどの猛烈な勢いで姉の取り皿から青い実を除きにかかるアーサーと、珍しいものを見た、という顔で涙の雫を指で掬い、じっと眺めるリッチー。
ピエールは溢れる涙をそのままに、二人へと泣き笑いを返した。
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リッチーの食事量は見た目相応だが、姉妹の食事量は少女でありながら驚くほど多い。
大鍋一杯分、重量にして五キロ近くありそうなほどの料理を米一粒残さず胃に納め、更にその上から食後のデザートとして果物の盛り合わせを食べ終えた三人。
今は上機嫌で、薄暗くなり始めた町を宿へ向け進んでいる。
「ふえーっ、呑んだ呑んだ食べた食べた。もうお腹ぽんぽこりん」
「そもそも呑み過ぎなんですよ、結局どれだけ呑んだと思ってるんですか。しっかり歩いてください」
よたよた、よたよた、と左右によろけながら歩くリッチーを、隣で支えながら歩くアーサー。
「だってぇ、せっかく久々に友達と会えたんだしさぁ、いいじゃんこれくらいさあ、減るもんじゃなしにぃ」
「減りますよ金が、今日の酒代だけで五十ゴールドは使ってたじゃないですか」
「ぅぉ金は払ったじゃぁん」
「だからって一食でそんな額……ああもう、立ってください、そこで寝ないで」
アーサーが甲斐甲斐しく面倒を見ながら進むのを、ピエールは隣で微笑みを浮かべながら眺めていた。
「アーサーさ、何だかんだ言って嬉しそうだよね」
横から投げかけられた言葉に、アーサーは寝耳に水といった様子で振り向いた。
少し目を合わせてから、気恥ずかしそうに視線を逸らす。
「……それは、久しぶりですし」
「別に恥ずかしがらなくてもいいんだよ? だって友達との再会じゃん」
「そうですが……所で、舌に違和感などは残っていませんか?」
「流石に今はもう大丈夫だよ。あれ、海の幸いっぱいで美味しかったよね」
「ならいいのですが。次からは外して貰いましょうね」
「うん、そうしてくれると嬉しいな」
「ずっと一緒にいる筈なのに驚きでしたよ。普段どれだけ痛めつけられても涙一つ流さない姉さんが辛さで泣くとは」
「自分でもちょっとびっくりだった。うわあ辛ーっ、て思ってたらなんかいつの間にか泣いてた」
「辛さとは別に催涙性でもあるのでしょうか……」
「かもねー」
「うぇいっ! あたしを放っぽって何を話していりゅのっ!」
「はいはい放置してなんていませんよ、いいから歩きましょうね」
酔いどれ一人を介護しながら、二人は宿へと歩いていった。




