11
四人の勝ち鬨には、意外な効果があった。
叫び声を聞いた蠅たちが親蠍の死を知り、撤収し始めたのだ。
元より蠅たちは、蠍が暴れる際の混乱に乗じ楽をして獲物を確保するのが目的。
混乱収拾の予兆に加え、さそりアーマーを討ち取るほどの脅威がいる場所になど長居するつもりはない。
そうして蠅たちもいなくなり、町を襲った脅威はようやく消失した。
: :
住民たちが駆け出していく。
ある者は知人友人を探しに。
ある者は我が家の様子を見に。
自身の大切なものの安否を確かめる為、およそ半数が無我夢中で組合建物を飛び出していった。
残り半分は、多くが放心状態だ。
危機が去ったとはいえ、すぐに感情を切り替えて行動出来る訳でもない。
その場にへたり込んで呆然とする者、未だ恐怖に震え残党の可能性を警戒し動かない者、隣にいる知人と抱き合い涙を流して生存を喜び合う者。
そういった者たちが、未だ組合建物内に大勢残っていた。
「……」
そこへ入ってくる、ピエールとトルスティ。
住民たちの対応は恐怖を浮かべるもの、警戒の眼差しを向けるものなど様々だったが、そのほぼ全員が二人に感謝どころか、声をかけることもせず遠巻きに見つめるだけであった。
その雰囲気を感じながらも、二人は壁際、エルマの前へと移動する。
「良くやったな」
両手から光を放ち蹄人と不細工の手当を続けながらの、エルマの短い賞賛の言葉。
彼女の隣には、今もセレスが壁に背を預けている。だがもう魔力を使い果たし手伝いは出来ないようで、いくらか消耗した面持ちで目を閉じ、右手でそっとミレイアの背を撫でていた。
一言呼びかけてから、アーサーとリストがいないことに気づいたエルマが顔を上げた。
「……リスト様と妹はどうした?」
「我々の応急処置用の道具を調達しに出ましたよ。あなたは暫くその二人の手当に付きっきりでしょう?」
トルスティが答えながらエルマの左隣に腰を降ろし、ピエールは初老従者の左隣に並んで座る。
二人して両の手足を投げ出すように座り、壁に背を預けて大きく一息。
性別も年も身体の大きさもまるで異なる大小二人だが、怪我の痕跡はほぼ同じだ。
頭を除いた身体の末端部分、手足に瓦礫の破片でいくつも裂傷が出来ていて、中には石くれが服を貫き肉に刺さり食い込んでいる部分もある。
衣服は乾き始めた黒ずんだ血と、戦闘中に乱暴に注いだ治癒の薬の赤や緑で酷く汚れていた。体臭も血液の血生臭さと治癒の薬の薬品臭ばかり漂わせている。
「疲れた……」
脱力したピエールが絞り出すように呟き、閉じていた薄目を開けて住民へ視線を投げた。
自身へ注目していた視線がさっと散る。
ピエールは再び目を閉じ、大きく息を吐いた。
暫く力を抜いて身体を休めていると、外から建物内へ飛び込んで来る人影。
「セレス! ミレイア!」
クルス少年だ。
クルスは握っていた武具を手放し、セレスの前へ駆け寄り膝を突いた。
「クルス君……」
セレスが緩く目を開き、眼前の少年を目にすると微笑んだ。
ミレイアは未だ変化無しだ。震え続けている。
「……本当にもう蠅もいない。魔物どもは去った、俺たちは、生き残ったんだ」
「この人たちが、やってくれたのね……」
微笑むセレスが視線を左隣、エルマと前衛二人へ向けた。
見返したピエールも、同じように緩く微笑む。
「本当に、ありがとう……。あなたたちのおかげで、この町は救われました。あなたたちは、紛うこと無き、この町の英雄です。……最初に会った時はこの子が、ごめんなさい」
「ううん。セレスちゃんも、二人の手当手伝ってくれたんだよね。ありがとう」
視線を交わし、微笑み合うピエールとセレス。
だがクルスはセレスの対応とは裏腹に、一行へと笑みを見せることもなければ何か言うこともないままだ。視線すら向けていない。
「……さあ、一度家に帰ろう。足の手当もしっかりする必要がある。服も血だらけだ。……俺が二人を抱えるから、ほら」
そう言ってクルスが両腕を伸ばすと、セレスがミレイアを抱き腕に身体を預けた。
クルスがセレスを抱き、そのセレスが腕の中にミレイアを抱えた状態になる。
二人を抱えたクルスはレイナルドの亡骸へと視線をじっと向けてから、名残惜しそうに目を離し強く力を込めて立ち上がる。
身体を翻したクルス。
その背中めがけて、エルマが口を開いた。
「おい」
クルスの足が止まった。
彼の背中越しに、セレスが申し訳無さそうな顔でエルマを見返す。
エルマの顔は相変わらず愛想が無く、まるで睨んでいるかのような表情だ。
「お前。一段落着いたら、我々が町を去る前にセレスティナを診せに来い。その足の再生は流石に魔法の道具無しでは不可能だが、その辺の薬や治療院の奴らよりは上等な手当をしてやる」
「……」
すぐには返事をしないクルス。
いくらか時間を開けてから、絞り出すように、
「……恩に着る」
とだけ呟き今度こそ組合建物を後にしていった。
三人が少年の背を見送る。
「……生意気な小僧だ」
「それにしては表立って文句を言うこともなければ随分と優しい対応でしたな?」
「今回の戦いで奴らに助けられたのも事実だからな。小僧が建物の前で蠅を追い払っていなければ落ち着いて治癒出来なかったし、セレスティナの助力が無ければ姉を助ける際、三人同時に治癒を行うことになっていた。それではどれだけ手間と時間がかかったか分からん」
治癒の光をツキカとヴィジリオに注ぎながらエルマが返し、再び視線を重傷者二人へ降ろした。
暫く会話の無い時間が流れたところで、エルマがふと思い出したように呟いた。
「……そういえば、サラの奴は結局どこにいるのやら」
: :
「も、もっと優しく抜いて……ひぎゃあああ」
ころりと地面に転がる血塗れの小石。
悲痛なのだがどこか間の抜けた声音で、ピエールが叫んだ。
彼女の目の前ではアーサーが包帯や水の満ちた容器を小脇に並べ、ピエールの足に刺さった小石を抜いている。
親指の先ほどの大きさの石が腿から引き抜かれ、血が滲むのを水で流し治癒の薬で軽く止血を行った。
引き抜かれた石は既に十個。鮮血に染まった多くの小石が、床に乱雑に転がっている。
隣では、リストも同じようにしてトルスティの身体から石を抜いていた。
だがこちらはピエールのような悲鳴など上げず静かなものだ。
負傷者二名の差異を見比べるエルマの、面倒臭いものを見る目。
「お前、さっきまで石も気にせず戦っていただろうが。今更喧しく騒ぐな」
「そ、そうは言ってもね、戦ってる時は全然気にならなくても、戦い終わって気が抜けちゃうと、途端に痛みが、ひぎゅいっ」
会話途中で再び石が抜かれ水と薬を注がれ、ピエールがびくびく痙攣した。
一方手当を行うアーサーは、何一つ喋ることなく真剣な表情だ。
再び石が抜かれ、ピエールがうめく。
「フフ」
その様を見て、トルスティが穏やかな微笑みを浮かべた。
彼もリストの手によって同じように石を抜かれ傷口を洗われ薬を注がれているのだが、痛みに声を上げたり身体を動かす様子は一切見られない。
「お、おっちゃん今何で笑ったの」
「……いえ、面白いと思いましてね。戦っている時はあれほど勇ましい、勇士と呼ぶに相応しい気迫でした。だのにこうして平時に戻ると、どう見ても可愛らしい女子ではありませんか。まるで別人のようですよ」
「確かに、この違いにはびっくりするね」
トルスティの言葉にリストも同調した。
だが彼の発言には少し思うところがあったらしく、ピエールは表情を痛みとは別の要因で歪めた。
「それさー、よく言われるんだよね。一緒に戦ってた人から」
でも……。
一言付け足したピエールが、一端言葉を区切ってから続ける。
「それ言われる時って大抵言い方がひどいんだよ! "今のお前の顔と、さっきまでのアホ面が一致しない"とか"普段はどう見ても間抜けな小娘なのになあ"とか! そんな言い方しなくてもいいじゃん、ねえ?」
動かすと痛む為手足はそのままに、首から上だけを振って怒りを露わにするピエール。だがその仕草はやはり子供っぽく、あまり真剣に怒っているようには見えない。
「その者たちは随分と女性の扱いがなっておりませんなあ」
「そうだね。言うにしても明るいとか、天真爛漫とか、そういう言い方をすればいいのに」
「いや、一見した印象は確かに間抜けな小娘そのものだろう」
「ほらそういう言い方するー! エルマちゃんひどい!」
トルスティ、リストまでは良かったものの、最後のエルマの率直な言葉でピエールがうんざり顔で叫んだ。
一方エルマはエルマで、再び自身を"ちゃん"付けされたことで不快感に顔をしかめている。
その顔をトルスティが見つけ、品の良い顔に悪戯っ気を滲ませた。
「エルマちゃんは正しいことなら何を言ってもいいと思っている節がありますからなあ。いつも言っているでしょうエルマちゃん、人を思いやる気持ちをもう少し持ちなさいと」
「……トゥル、お前なんのつもりだ」
「さて何のことでしょうか、私はただエルマちゃんに正しいと思ったことを言っているだけですよ?」
「そこではない、お前私のことを何と……」
「そうだよエルマちゃん、人の嫌がることを言うのは良くないよ」
「リスト様まで……!」
エルマ弄りにリストまで参加し二人でエルマを"ちゃん"付けで呼ぶと、流石の彼女も歯噛みして押し黙った。
ピエール自身は呼び方で弄るつもりはなかったらしく、明るい調子でからから笑う。
「いやごめんごめん、何も考えずに"ちゃん"付けで呼んでたけど、やっぱり嫌だった? じゃあ何て呼んだらいいかな。ヴィジリオ君が言ってたみたいに姐さんとか?」
「……呼び捨てで構わん。ただ"ちゃん"は止めろ。私はもうそんな年ではない」
「えー、まだ通じそうな見た目してるのに。ねえ?」
微笑みながらピエールが話を振ると、リストは曖昧に笑ったがトルスティは未だ茶目っ気を残しながら笑い返した。
「私からすれば、まだまだ可愛いエルマちゃんで」
「喧しいわ」
手から迸る呪文の光を一端止めて、素早くトルスティの腕を、傷口を狙ってはたくエルマ。
軽く一発加えてから、即座に呪文を唱え直し光を再び重傷者へ注ぎ始める。
「……手厳しい」
流石のトルスティも不意に傷口をはたかれるのは効いたのか一瞬顔を歪めたが、すぐに笑顔に戻っている。
そうこうしている内にピエールとトルスティの応急手当も済み、手当の苦痛から解放された二人は壁に背を預け大きく息を吐いて脱力した。
その手足は、ほぼ全体が包帯で覆われており素肌はごく一部しか見えない。他の部位も、肩や指先、顔などいくつかの箇所に手当の痕跡が点在していた。
手当を終えたアーサーが、道具を壁際に寄せ立ち上がる。
「ありがとアーサー」
「いえ。……姉さん、他に何か急を要することはありますか。どこか別の部位が痛むなど」
「ううん、怪我はもう大丈夫。あとは……そうだね、お腹減った」
「他は?」
「特にないよ」
「そうですか。では申し訳ありませんが食料は後回しで、少々お待ちください」
そう言い残し、アーサーは組合建物内正面カウンター奥、職員用の部屋へ続く扉に入っていった。
残されたメンバーが、無言でそれを見送る。
少し経ってから。
「……えっ、アーサー何しに行ったんだろ」
「僕に聞かれても……」
「よもや、火事場泥棒などする気ではあるまいな」
「いやそれは無いと思う。今回はわざわざ悪いことしなきゃいけないほどお金に困ってないよ。今はほらあの、えっと、この間の何とか解放戦。梟熊と戦った時のお金が結構あるし」
だがそれならば、一体何の用があって組合奥の部屋になど入ったのか。
四人全員が疑問を頭に浮かべたまま、暫く待っていると。
「み、皆さぁんっ!」
奥の扉から飛び出したのは、中央職員のサラだった。
「皆さぁん、よく頑張って、よく生き残ってくれましたぁ……!」
目尻に涙を浮かべながらヘロヘロ声で駆け寄ったサラが、六人の前で膝を突いて座り込む。
「皆さん……ああ……こんなに怪我をして……!」
「お前、一体どこにいたのだ?」
エルマの訝しげな問いを、後を追って戻ったアーサーが繋ぐ。
「組合建物には大抵、物品保管や避難用に地下室があります。そこに隠れていたのを呼んできました」
サラの後に出てきたアーサー、更にその後からは組合ハシペル支部の職員が何人か表に出てきていた。
その中には、普段姉妹から採集物を買い叩き閃光に媚びていた若い職員の女の姿もある。
職員たちはまず室内で死んでいる二匹の子蠍と部屋中に散らばる死体に驚きを露わにし、その後組合建物前、広場の真ん中で死んでいる巨大な親蠍の死体を目にして驚愕で目と口を大開きにしたまま呆然としていた。言葉も出ないようだ。
サラはアーサーと重傷の不細工組を含めた七人へ労りの言葉をかけてから、小走りで組合建物を出て、広場に散らばっている魔物の死体を一通り眺めた。
広場にあるのは子蠍が二、親蠍が一、それと無数の蠅だ。
戻ってきたサラが、再び先ほどと同じ場所で腰を降ろす。
改めて神妙な顔で、七人へ頭を下げる。
「……ありがとうございました、皆さん。流石です、やっぱり私の目に狂いはありませんでした。親のさそりアーマーのみならず、子供まで討伐して下さるとは。……子蠍は、何匹いましたか?」
「総数は不明。私たちは十匹ほど倒しました。後は閃光、でしたか。鐘が鳴る直前に、あなたと話をしていたこの町のパーティが少なくとも四匹討ち取っています。あれもよく働いたので、一段落ついたら詳しい成果を聞きに行った方がいいでしょう」
閃光。
その単語が出たことで、受付の職員の女がアーサーへ詰め寄った。
「せ、閃光! そうよ閃光よ! クルス君たちはどうしたのよ! これも全部閃光の皆がやってくれたんでしょ! 他はともかく、根かじりのあんたたちがこんな化け物倒せる筈ないじゃない!」
きんきんと頭に響くような声で叫ぶ職員の女。アーサーはもう職員女への態度を取り繕うつもりが無いのか、つまらなそうに一瞥くれるだけだ。
「ト、トニアさん! ですからずっと言っているじゃないですかぁ! お二人はただ事情があって採取ばかりしていただけで、本当はとても凄い人たちだと」
「そんなの信じられないって言ってるでしょ! それより閃光の皆は……!」
「あいつらは大して役に立たなかったよ」
職員女へ横合いから投げられた言葉。
女が勢いよく振り向くと、発言主はサラ一行でも職員でも無く組合建物に残っていた生き残りの住民の一人だった。
一行とは反対側の壁に背を預け、誰とも視線を合わせず頭を垂れている。
「ちょっとどういうことよ、嘘を……」
「あいつらはここに来たのはいいけど、建物の中で死んでるそこの蠍二匹を仕留める時に仲間を一人殺されて、一人は膝から下を潰された。無傷な方の一人は心をやられて赤ん坊みてえに震えるばっかり。リーダーの金髪の小僧は健在で、その後も蠅からここを守ってはいたがそれだけ。広場にいるあの二匹とでかいのを倒したのは間違いなくそこにいる七人だ」
壁に背を預け身体を丸めたまま喋る住民の男。
その手には小さな子供の靴が片方だけ、大事そうに握られていた。
よく見ればその靴、中身がある。靴ごと足首から砕き落とされた子供の足だ。
娘か息子を殺されたのだろう。気づいた職員女が、反論を紡げず押し黙る。
「……すげえよな。蠍一匹に、町の衛士数人が手も足も出ずに皆殺しにされる。で、その蠍二匹を、この町で一番強いとかいう閃光の四人組が一人殺されながら何とか勝てる。……だがそいつらは、三人戦えなくなっても四人だけであの化け物みてえなでかい蠍と殴り合える。そっちの背の高い嬢ちゃんと男前の兄ちゃんは、戦闘中に広場に現れた蠍をたった一人であっという間に殴り倒したんだぜ。しかもその二人ですら、奥にいるちっこい小娘とマッチョのおっさんより弱くて、でかい蠍とは遠巻きにしか戦えない。……あんなの、人間の戦いじゃねえよ」
俯いたまま語り終えた男。その言葉は他人に語るというよりは独り言に近く、他人の反応を求める気はないようだ。
職員の女が驚きと、その他様々な感情をない交ぜにしながら視線をアーサーへ戻した。
サラが、職員へ何か言おうとしたところで。
中央広場から、誰かの叫び声が聞こえた。
: :
声は驚きからのもので、恐怖や苦痛の絶叫とは異なるものだ。
それが分かっていた為一行が急いで飛び出すということはなく、健在なアーサーとリスト、その後ろにサラ、他はハシペルの組合職員たちが続くという構成で声の元へと歩いていった。
「なっ……こ、これ……!」
広場に出たアーサーの視線の先には、何名かの武装した集団の姿。
皆一様に、親蠍の死体を見つめて驚きのあまり口を半開きにしていた。
自分たちに近づいてくる者たちを見つけてすぐに驚きを取り繕い隠したものの、表情にははっきりと戸惑いが滲んでいる。
真っ先に、何とか平静を取り戻した武装集団の中の一人。アーサーに勝るとも劣らない身長の、二十歳過ぎの鮮やかな金髪の女性が先頭に出た。
一人だけ煌びやかな軽鎧やサーコートを纏っているところなど恐らくこの集団のトップなのだろう。防具を装備している反面武器を帯びていない辺り、魔法使いだ。
「あ、あなたたちは……いや、それよりこれ……」
平静を取り戻したとはいえ、何を言うべきか悩んでいるようで言葉は要領を得ない。
代わりにアーサーが彼女らを観察しながら口を開いた。
「……あなた方はこの町の自衛団か何かでしょうか? 住民を助けに来たのですか?」
「え、ええ、えっと……」
アーサーの問いかけにも言葉を濁す女性。頭の中で言葉を探しているのが見て取れるほど。
だが彼女が言葉を探している最中、後ろに控えていた男の一人が、
「わ、我々が町へ攻めてきた魔物を撃退したから、住民たちに安全を知らしめに……」
とぽろりと零した。
アーサーとサラが即座に瞼を下げ訝しげな半眼を向けるのに対し、先頭の女性は慌てて身体を翻し発言主の男を窘めた。
「あ、あなた何を言ってるの! こんな化け物がいる以上やっぱり私たちの倒したあれは……!」
「……なるほど」
女性の発言によって、大まかな事情を察したアーサー。
頭に疑問符を浮かべているリストと不信感を拭えないサラに説明する為、女性へと問いを投げかけ事態の確認を行った。
要約。
町の西側に拠点を構えている彼女らハシペル自衛団は、先ほどまで町へ攻めてきた子蠍と自衛団数十人で死闘を繰り広げていた。
半数の団員を殺されながらも子蠍数匹を何とか討ち取り、撃退した自衛団。それと同時に蠅が一斉に撤退を始め、事態が収束へと向かい始めた。
その為彼女らは自身が相手をしていた子蠍の群れが町を襲った張本人だと早合点し、町へ安全を告げる為最初に広場にやって来た。
「……が、広場に来てみれば子蠍より遙かに巨大な親蠍の死体が鎮座していた。何てことはない、子蠍を倒して蠅が撤退したのではなく、我々が親蠍を倒した時間とあなた方が子蠍を撃退した時間が、偶然一致しただけ」
アーサーの説明に自衛団の面々は沈黙で肯定し、サラが安心した様子で息を吐いた。
「良かったぁ。わたしてっきり、手柄を横取りしに来たのかと思っちゃいましたよぅ」
「よくありますからね、そういうことは」
「……よくあるのかい?」
「勿論、この見た目では……」
とアーサーが続けようとしたところで、自衛団の内の一人が顔を上げアーサーたちを薄目で睨んだ。
「待ってくれよ、俺たちはともかく、お前らが倒した証拠だって無いじゃないか。お前らの一体誰が、あの化け物にあんな陥没を作れるって言うんだ? お前らこそ誰かの手柄を横取りしてるんじゃないのか?」
その発言をきっかけに、自衛団の面々のみならず、後ろについて来ていた組合職員たちもが疑いの目で三人を見つめ始めた。
極めつけは受付の職員女性の言葉。
「そ、そうよ、やっぱりあんたみたいな根かじりが倒したなんて信じられないわ。どうせ閃光の皆が倒してくれたのを、閃光が手当の為に場を離れたからって手柄を横取りする気なんでしょ。さっきの建物内にいた男には金を握らせて」
場の空気が、完全に疑いの雰囲気へと染まった。
自衛団の先頭の女性も、表立って疑念をぶつけるほどではないが少し悩んでいるようだ。
リストが居心地悪そうに、サラが静かに憤りを見せる。だがそんな中、アーサーは疑いの念を平然と受け流しつつ組合建物の方へ呼びかけた。
「姉さん! 申し訳ありませんが、少し来て下さい! ……使っていた武器を持って!」
呼びかけから暫くして、組合建物からのっそり現れたピエール。
その手に握られている巨大鉄球を目にして、自衛団と組合職員たちの顔が一斉に凍り付いた。
鉄球を抱えたままピエールがだるそうに、だが重さには一切ふらつく様子を見せずアーサーの前まで歩み寄る。
「なーにアーサー、応急処置して貰ったけど私まだ結構痛いんだけど……」
「ごめんなさい姉さん。ただ、ここにいる皆さんが姉さんが親蠍を倒したことを全く信じていないようなので。皆さんを納得させて貰えませんか?」
アーサーの声音には、"信じていない皆さん"への刺々しさが感じられる。
彼女ら姉妹にとってはよくあることだ。一見した外見はただの小娘にしか見えない上呪文を扱う魔法使いでもないので、生物の気配や格を読めない人間には頻繁に侮られ嘗められる。
少女の細腕に尋常ならざる腕力など、普通は存在する筈が無いので当たり前だ。
理屈ではそれも当然。仕方ないことだと分かっているのだが、死を賭した闘いの後にその功績を疑われれば不快にもなる。
アーサーの頼みにピエールは軽く頷き、一行から軽く距離を取った。
ピエールの少女の細腕に、力が入ったその瞬間。
ぶぉん、と圧のある風が吹き付け、一行の服や髪をなびかせた。
あまりの速さに、一般人である職員に分かったのは目の前の小娘が柄の先の巨大鉄球を振り回したらしい、ということだけ。
そしてそれは自衛団の面々もほぼ同じであった。辛うじて分かった違いは彼女が振った回数が三回だったことと、それだけの速度と勢いを出していながら、ぴたり、と鉄球の動きを急停止させるのにどれだけの腕力が要るのか程度だ。
「……嘘だろ……」
最早自衛団も職員も、表情を変えることすら叶わない。
続けざまに鉄球を振り回すピエール。再び数度振るってから真上に高々と持ち上げ、渾身の威力で石畳の剥げた地面を叩きつける、寸前で鉄球を止めた。
地面の土が飛び散るのではと咄嗟に顔を手で覆っていた自衛団の者たちが、怖々手と視線を戻す。
「これでいい?」
「十分です。ごめんなさい姉さん、怪我しているのに無理をさせてしまって」
「ううん、いいよ」
そのまま戻ろうとするピエール。だがアーサーに止められ、鉄球を地面に置いてアーサーの隣へと移動した。
「まだ納得出来ないのであればその鉄球をご自身で持ってみてください。素材が軽量金属でないことが分かって貰える筈です」
アーサーの提案に自衛団の中から力自慢と思しき男たちが計五人、鉄球の元へ移動し柄を握り力を込めた。
だが一人だけ何とか踝ほどの高さに持ち上げられるものがいただけで、残り四人は鉄球を地面から離すことすら出来ていなかった。
四百キロ近い鉄の塊。当然である。
偉そうなことを言っているアーサー本人だって辛うじて胸元まで持ち上げられる程度。振ることなど夢のまた夢だ。
「……」
自衛団も職員も、一言も言葉を発さない。
最初に言いがかりを付けた自衛団の男など、アーサーに視線を向けられた途端目を逸らし俯いてしまう始末。
「あ、ああ……ええと」
若干顔を青ざめさせながらも、自衛団の先頭にいた女が言葉を取り繕う。
「私の部下が、不用意なことを言ってごめんなさい。あなたたちがあれを倒したということはもう疑わないわ。……それで、町を襲った脅威はもう去ったと考えていいの?」
「さて、どうでしょう。親蠍に関しては見ての通りですが、子蠍が全滅したかどうかまでは確認出来ていません。あなた方が戦っていた子蠍の群れはどうなりましたか?」
「こっちは……四匹いた内の二匹を倒したところで、二匹が逃げたの。追いかけて外壁の隅まで追いやったけれど、丁度町の非常用出入口のある場所で。柵を突き破って二匹とも逃げたわ。それっきり」
「そうですか」
「……もう一つ尋ねたいのだけれど」
アーサーが口元に手を当て何やら思案し始めたところで、女が問いかける。
「先ほど一瞬話に出たけど、閃光はどうしたの? あのパーティにはミレイアちゃん……私の、妹がいるの」
「盾と鈍器を持った長身の男は死亡。セレスティナは膝から下を切断。クルスは健在、ミレイアは心をやられたようで、私が知る限りではずっとセレスティナにしがみついて震えていました。怪我は無さそうでしたが身体中を血や肉片で汚していたので、そういうことでしょう」
平然と語るアーサー。
だがその内容は自衛団の面々にも相当な衝撃だったようで、驚きに武器を取り落とす者さえいた。
それは先頭の女も同様だ。
「そ、それで……それでミレイアちゃん、閃光の人たちはどこに行ったの」
「死んだ長身の男は組合内に死体があります。生き残り三人は家に帰って手当する、と言っていましたが誰のどこの家なのかは知りません」
「嘘だろ……レイナルドさん!」
自衛団の中の何人かが、慌てて組合建物内へと駆けていった。
それを引き留めることも出来ず、目を見開いたまま俯いてしまう女。
暫くしてから顔を上げたが、目尻には光るものが滲んでいた。
「ありがとう、では私たちはこれで。……皆さん、行きますよ」
呼びかけは凛とした声音で。
組合建物内に入っていった者と合流してから、自衛団の面々は足早に広場を去っていった。
一団を見送ってから、一息つくアーサー。
「さて。リスト、私たちも仕事を再開しましょう」
「分かったよ。次は何をするんだい?」
「子蠍の死体をここまで集めましょう。我々が倒した分と、一応非常口を出たすぐ外の分も。ばらばらの場所に放置しておくと良からぬことを考える人が出てくるかもしれません。それが終わったら今日の食事の用意です」
「子蠍の死体……全部で十匹だよね。結構手間がかかりそう。でも」
「大して活躍出来なかった中衛二人なのだから、戦闘後の雑用くらい引き受けないと」
「だね。……アーサーさんとは、何だか気が合いそうだよ。境遇が似てるからかな」
「連れ立つ仲間が頼りになり過ぎると、どれだけ頑張っても劣等感が拭えないから困りますね」
言い合って微笑むリストと、笑顔こそ無いが雰囲気を緩めるアーサー。
二人連れ立ち広場を後にし、ピエールとサラは組合建物へと戻っていった。
: :
その後。
アーサーとリストはただひたすら子蠍の死体を引きずり運び続けた。
さそりアーマーの死体は、甲殻が武具の素材となる。
甲殻甲冑は質感こそ金属に似通っているものの本物の金属とは絶妙に異なり、まるで金属の中に強靱な繊維が通っているかのような粘り強さを有している。その性質により程々に重くそれ以上に強い、重量と強度のバランスの良い高品質な防具の素材となるのだ。防御しつつ打撃にも転用出来る盾や手甲、足甲などに最も向いている。
一方、熱による再成形や刃付けが困難な為武器にはし辛い。精々防具に加工した後の切れ端を鋭く尖らせて鏃や毒針に加工したり、鋏の尖った先端部分を槍の穂先に用いる程度だ。それらも防具とは違い、通常の金属と比較してさほど優れている訳ではない。
また、尾針の根元、膨らんだ部分にある毒袋の中身も毒薬の素材として利用出来る。
こちらはあまり価値のあるものではない。ごく一般的な痺れ薬になる程度だ。大きさの差からして刺された時点で十中八九死ぬ為今回毒の脅威に晒されることは無かったが、仮に尾針が掠って毒を受けていたとしても町で売っている汎用解毒薬で簡単に解毒出来る。
さそりアーマーという魔物の最大の武器は甲殻甲冑と身体能力であり、毒は補助的な武器でしかないのだ。
肉や内臓の価値は更に低い。
どちらにも甲殻甲冑と同じ成分と思われる金属粉のようなものが大量に混じっており、口に含めば強い金属臭と砂鉄を噛むような食感が歯と鼻と舌を猛烈に責め立てるだろう。
そもそも筋肉部分は、生だろうが焼こうが念入りに煮ようが強烈に硬い。その硬さは木切れを噛む方がましなほど。
故に食用には全く適さない。薬品の材料になるなどという話も無い。干して火を付け燃料の代わりになるかどうか、というところ。
結局のところ、価値があるのは甲殻甲冑のみ。
地域や栄養状態によって差はあるが、甲殻に全く傷の無い幼体一匹でおよそ五千ゴールド、成体ならば十万ゴールド以上の値が付くこともある。
幼体一匹で人間一人、成体一匹で人間数十人分の防具一式を用立てることが出来るのだから当然と言える。
しかし。
今回の被害は東外壁全壊、町の東部を中心に建物の全壊が三十八、半壊が十一。中央広場の地面は石畳が七割は剥げ、凹凸多量。露店の設営などは到底望めないだろう。
人的被害は千を越える。怪我人は少なく襲われた者は殆どが殺されている上に、死体を蠅が浚っている為詳細な計測すら不可能。
このような被害状況で、仮に親蠍や子蠍が全て町の所有物だったとしても被害の補填には足りよう筈もない。
親蠍を討ち取った七人にしても、瀕死の重傷を負い、誰が死んでいてもおかしくない紙一重の死線を潜り、魔法の道具を湯水のように消費して町を救った。
その末に子蠍十、親蠍一の売却金を上記の金額通りで山分けしたとして、一人当たりおよそ二万。実際には、甲殻の損傷具合によりいくらか値下がる。
割に合うかどうかは難しいところだ。
命の危機などまるで無い魔力労働でぬくぬく数年働くか、一匹数百から千ゴールド程度のもっと安全に狩れる生物を集めた方がよほど確実。
魔物の討伐とは、相手が強ければ強いほど利益に対し危険度が跳ね上がり割に合わないものである。
とはいえ、今回は辛うじて七人全員が生存、欠損部位なども無く終えることが出来た。
一日の戦いで二万ゴールドの稼ぎ。その上追加で、組合からの報奨金も出る。
結果だけを見るならば上出来もいいところである。
七人はひとまず心に余裕と達成感を持ったまま、夜を迎え眠りについた。
死闘の一日は、終わったのだ。




