10
彼女の心は、怒りと焦りに埋め尽くされていた。
手強かった"あれ"の群れを撃退し巣の中へ入った彼女たちが見つけたのは、愛する我が子のいくつもの死体だった。
危惧したことが、現実となっていた。
やはりこの小さな生物は同じ大きさでも強さにばらつきがあり、中には我が子を討ち取れる強さを持つ者もいたのだ。
彼女の試みは完全に失敗だった。少ない例だけであれは皆弱いと判断し、子から目を離してしまった彼女は愚かでしかなかった。最低限、見守っているべきだったのだ。
だが、まだ。
まだ、我が子たちが全滅してしまったとは限らない。
まだ生きている子がいるのならば、早く見つけ出して助けねば。
その一念で撫でれば崩れるような障害物を掻き分け我が子を必死に探す彼女。
しかし彼女が我が子を探している最中、再び現れたのは先ほど逃げ去った筈のあれの群れ。
しかも足を潰した筈の二匹は、もうすっかり怪我が完治しているではないか。
また邪魔をするのか。
先の一戦で戦意を失った筈ではなかったのか。
今はお前たちに構っている暇はない。
……いや。
この群れをこのまま放って置いたら、それこそ居場所の知れぬ我が子たちが犠牲になるかもしれない。
ならば今度こそ、この群れを皆殺しにして我が子を助けに向かおう。
我が子を、我が子を、我が子を。
愛する我が子を傷つけられた母親の怒りが、彼女の心で燃え盛る。
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一直線に吹き飛んだピエールは背中から組合建物の壁に激突し、ずるりとその場に滑り落ちた。
その際下半身が地面に着くと同時に激痛が走り、表情を苦悶に歪めて歯を食い縛る。
そんな状態にありながらも、親蠍によってすかさず投げ飛ばされたテーブルによる追撃を拳で殴りつけて防いでいた。
「う、え、ぎ、ひば……」
何か言おうとするも胴を強打したことで呂律が回らず、言葉にならないうめき声が口から零れ落ちた。
「……」
死にかけのようなうめきを上げる少女を、クルスが一瞥した。
少年は先ほどからひたすら蠅の死体を量産し続け、側には既に二、三十匹の死骸が小山と化している。
ここまで死体を積み上げられれば蠅たちも襲う気が失せるようで、既に組合建物上空からは殆どの蠅が撤退していた。わざわざ危険を冒さずとも、拾える肉は他に沢山ある。
うめき声を上げながら必死で息を整えようとするピエール。
ようやく多少は調子が戻ったのか息荒くしながらも、頭をもたげて大きく口をひらいた。
「えっ、えぅま、えうっ……える、ま! きて!」
振り絞るような悲痛な呼び声。
訝しげにクルスが眺めていると、暫くしてから組合建物内から額に汗を浮かべたエルマが飛び出した。
広場方面、必死に親蠍を足止めしている三人の様子を素早く一瞥してから、ピエールの前で膝を突く。
「さっきの衝突音はお前か。どこをやられた」
「はさみで、おなかから、ふきとばされた。むね、ちょっとくるしい。こしぼね、やばい。て、いまおれた」
「他は」
「ない、うで、あし、あたま、ぶじ」
「その割には随分とゴミが刺さっているようだが」
「あとで、いい」
「そうか。なら任せろ。……姉は一分で復帰させてやる! 気張って耐えろ! ……セレスティナ! 一分だけ受け持て! 馬七、不細工三! 現状維持でいい!」
声を張り上げ叫んでから、エルマは呪文を唱え光をピエールへ当て始めた。
流石に重傷とあって怪我の治る痛みが少女を襲い、眉を中央に寄せ額に脂汗を浮かべ始めた。
その横では、クルスが燃え立つような静かな怒気を滲ませてエルマに詰め寄っている。
「……おい、貴様、もしかしてセレスにあの死にかけ二人の手当をさせているのか」
「いきり立つな、強制などしていない。あの娘が自分から志願したことだ。自分の足はこれ以上悪くはならないから、重傷者の手当を手助けさせてくれとな」
「……」
そう言われてしまえば、クルスには咎めることは出来ない。
だが納得いかない部分もあるのか、セレスの様子を見に建物の入り口へと移動していった。
クルスが去ったことで、エルマがちらりとピエールの胸に目をやる。
「あの鋏が腹に直撃して壁に叩きつけられて、まさか腰骨砕くだけで済む筈があるまい。普通なら上下真っ二つになるところだ。……お前、何か着込んでるな?」
小声で問うと、具合が落ち着いたと見られるピエールが穏やかな笑みを返した。
「ちょっとした胸当てを、一枚」
「……ちょっとした、か。服の上から全く分からないほど薄い胸当て、その辺で売ってるような安い素材で耐えられる筈がない。……随分といい防具を持ってるものだな?」
「え、へへ……」
エルマの皮肉に、ピエールはかろうじて苦笑いを見せた。
その無理矢理な笑顔に、エルマも不敵な笑みを返す。
「お前らの素性、少し興味が湧いてきたよ。そういえばサラも紹介の際に何やら言い掛けて濁していたしな。……そら、立ってみろ」
治癒の光を注ぎ終えたエルマが、ピエールの腰を平手で叩いた。
だが痛みは無いらしく、ピエールは全身に力を込め座った状態からびゅん、と跳ね空中で姿勢を正して立ち上がった。
足を回し股関節を動かして問題が無いことを確かめる。時間にして一分どころか四十秒程度しかかかっていない治療だが、効果は十分だ。瓦礫を殴り返した時の指の骨折も治っている。
「……うん、いけそう。ありがとエルマちゃん、行ってくるね。……えーと」
言うやいなや力強く地面を踏み締め、ピエールは広場の片隅に投げ捨てられていた鉄球の元へ駆け出していった。
見送ったエルマが顔をしかめて一言。
「……流石に私に対して"ちゃん"付けは無いだろう、全く」
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ピエールが戦線復帰してから更に数十分。
戦いは、泥仕合の様相を呈していた。
互いに消耗甚だしく、動きに戦い始めの頃の精彩は無い。
中衛二人による巻物の炎を回避もせず足先に浴びながら、親蠍が瓦礫を掴み連続で投げ飛ばした。
投げられた家具を避け、防ぐ二人。
だが見切りが甘く、打ち払った食器棚から割れた皿が飛び出し満身創痍の初老従者の腿に突き刺さった。
動脈を損傷したのか滝のように血が溢れるのを、トルスティは即座に懐から魔法の治癒の薬を取り出し傷口に注いで止める。
治癒の薬による怪我の治る激痛が走るが、根性で堪えつつ地面を踏み締め後退した。
一方、さしたる損害無く投擲を凌いだピエールが親蠍へと肉薄する。
尾針を避け、次いで振るわれた触肢に合わせて鉄球を横へ振り抜く。
斜めの角度でぶつかり合い、打ち上げられる巨大鋏。
その鋏は、既に大きく汚れていた。
致命傷にはならないとはいえ何度も何度も途轍もない重量を誇る鉄球と打ち合わされた結果、表面には無数の細かいへこみが生まれ、表面にあった艶も汚れとくすみ、引っ掻き傷で元々あった輝きは最早見る影もない。
傷の無い胴や肩部分の甲殻甲冑と見比べれば一目瞭然だ。
とはいえ裏を返せば、これだけ酷使しても表面が汚れる程度の傷しか付かない、ということ。
現に鉄球で打ち払われた触肢は何の損傷を受けた様子も無く再び振るわれ、二度、三度と速度重視で素早く振り抜かれた大鋏をいなしている内に親蠍は前衛から距離を取り瓦礫投げに切り替えていた。
今度は折れた柱に加え、煉瓦まで混ざっている。
投擲物を捉えた前衛は防がず回避の姿勢を取ったが、大型弾を避けるも飛び散った中型弾がピエールの肩、それにトルスティの胴を襲った。
それぞれ肩と肋の骨を損傷するが、治癒の薬を取り出し傷口に注ぐことで薄皮一枚繋ぐ程度の応急処置を行う。
「姉さん!」
「トルスティ!」
前衛を呼ぶ中衛の声。
ちらりと視線を向けた前衛へ二本の小瓶が飛来し、二人は注ぎ終えた空瓶を手放し飛来した瓶を掴んだ。
「追加の薬です!」
叫んだアーサーが親蠍にも瓶を投げ、更に炎の勢いが残っていた巻物をも投げつけて親蠍の注意を引いた。
反撃の瓦礫投げが飛ぶのを、中衛二人は盾で防ぐ。
その間にピエールは受け取った薬瓶の蓋を開けて中身を飲み干し、トルスティは被弾時の処置用として懐に納めた。
辛うじて状況を建て直し、武器を握る手に再び力を込める二人。
相対する親蠍は破壊した建物へ触肢を滑らせて瓦礫を掴み上げ、
投げつける途中でぴたりと動きを止めた。
何故投擲を行わない。
何故掴んだ筈の瓦礫を地面に落く。
違和感と警戒心に染まる四人。
その正体、真っ先に気づいたのはピエール、次いでアーサーとトルスティ。最後にリストだ。
武器を抱えたまま、風を切りそうなほどの勢いで首を振った三人。
彼らの視線の先、組合建物の横の脇道から。
二匹の子蠍が、広場へと現れていた。
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一番先に気づいたのはピエール。
だが、状況と最善行動を把握したのはアーサーが最速だ。
「リスト付いて来て! 前衛二人は機会を待って!」
甲高い叫び声と同時に真っ先に走り出すアーサー。
慌ててリストが追随し、前衛二人は中衛を見送り意識を再び親蠍へ戻した。
「アーサーさんっ、一体何を」
「子蠍を殺さず痛めつけて、親蠍に見せつけてください! 奴は明らかに子を気にかけている! あなたは右を、私は左をやります!」
全速力で広場を駆け抜ける二人が武器を握って構えるクルスをあっという間に追い越し、子蠍へと飛びかかった。
突然強襲してきた人間へ子蠍が突き出した右触肢を、アーサーは左手に握っていたツキカの盾で殴りつけ容易く打ち払う。
次いで尾針の突きを紙一重で避け、左触肢を真下から蹴り上げ右手の革の小盾を顔面にねじ込んだ。
ばがぁん、という金属の揺れる音がしてのけぞる子蠍。
子蠍が大きく怯んだところで、アーサーは尾針の構造上刺そうにも刺せない真横へ回り込んで執拗なまでに滅多打ちにし続ける。
触肢に振り降ろし、頭に突き込み、胴を打ち据える。
動きの弱った子蠍が逃げようとしたところで、尾針を根本から両手で抱えて真横に引き倒した。
その間およそ三十秒。鮮やか過ぎる手際だ。
倒れた身体を起こそうと必死に足をばたつかせもがく子蠍を、アーサーが尾針を掴んで広場の中央付近に引きずり出した。
親蠍の視線がよく通る位置にもがく子蠍を投げ出したアーサー。尾針を踏みつけながら盾で殴り続け抵抗する意志を更に殺ごうとする。
「リスト、早く!」
視線を子蠍へ向けたままアーサーが叫ぶと、やや遅れてリストも子蠍を引っ張り広場中央へ現れた。こちらは腰に吊るしてあった剣を使ったのか、尾針の先と右側の足一本が無い。
逃げることも反撃することも出来ず、必死で暴れる子蠍たち。
その子蠍をいたぶりながら、アーサーが親蠍へと視線を投げた。
親蠍の視線は釘付けだ。
表情の分からぬ蠍の顔に、怒りが満ち満ちているかのような錯覚すら浮かぶほどの凝視。
親蠍は子蠍をいたぶる二人へと視線と身体の向きを固定したまま、だが間に割り込む前衛二人の所為で近寄れずにいる。
子蠍に意識が向き過ぎているのか、前衛への対応もおざなりだ。子蠍への流れ弾を恐れ瓦礫投げも行わず、触肢と尾針を力任せに激しく振り回して前衛を追い払おうとしている。
動きが露骨に変わったのを、四人全員が確かに感じ取っていた。
親蠍は今、確実に焦っている。
「アーサーさん」
次の指示を求めてリストが呼びかけるのを手で制止しつつ、アーサーがじっと親蠍の眼を睨み据える。
睨みながら、視線を向けず腰に吊ってある鞘から得物を抜いた。
鋼鉄の平凡な直剣だ。シンプルで質の良い一品だが、甲殻甲冑を相手取るには頼りない。
革の小盾を握ったままの右手の上から剣を握ったアーサー。
剣をふゅんと軽く一振りして、子蠍の顔面へと当てがった。
親蠍の意識が更に揺れる。
それを朧気ながら感じ取ったアーサーが、叫びながら右手に力を込めた。
「子を殺します!」
アーサーの突き込んだ剣の切っ先が、子蠍の眼を貫き、頭部へ食い込んだ。
: :
彼女が見ている目の前で、子供の顔面に刃が食い込んだ。
青黒い体液を滴らせ、激しく痙攣しながら子供が息絶える。
子供を殺した刃は、次は隣の子供へと向かう。
彼女に、声帯など無い。
彼女が、叫ぶことなど無い。
だが彼女はその瞬間、確かに慟哭していた。
: :
怒りと焦りで、親蠍が最後の致命的な失敗を犯した。
前衛を無視し、或いは体当たりで踏み潰すか轢き殺さんとして、強引に突撃したのだ。
だがそれは悪手。
親蠍が今まで前衛二人、特にピエールの接近を徹底的に拒否していたのは何故だったか。
巨体は小回りが利かない。
さそりアーマーは身体の構造上、小さな敵に側面や至近距離に近づかれると鋏や尾針で攻撃し難い。
故に距離を取り、身体に張り付かれるのを避けていたのだ。
にも関わらずの体当たりの敢行。
子蠍たちに意識を向け眼前の敵への注意を逸らしたままでの突撃は、ぎりぎりの位置で容易く避けられて。
この時、初めてにしてようやく。
ピエールが至近距離に肉薄した。
「うがあああああッ!」
甲高い咆哮と共に、身体ごと回転をかけた小竜巻の如き横薙ぎ鉄球がすれ違い様に親蠍の足へと食い込んだ。
金属同士がぶつかったとはとても思えない鈍い音。
まるで巨木が折れ倒れる時の音を短く縮めたかのような、頑強な繊維が裂けるような音を立てながら、親蠍の力強い黄金鎧の右足がねじれ折れた。
足を一本失い前のめりに姿勢を崩す親蠍。
トルスティが目を剥き怒号を張り上げた。
「畳みかけろおおおおッ!」
先の咆哮に負けぬほどの声量。
親蠍は必死で鋏と尾針を振り乱し、立ち上がろうとする。
だが姿勢を整えるより早く四人が殺到した。
尾針を避けたトルスティが、身体に飛び乗り至近距離から触肢の根元を連打する。
同じく身体へ張り付いたアーサーとリストは、親蠍の顔面、甲殻兜の隙間から見える蠍の瞳に何度も何度も、眼を突き潰す勢いで剣を突き立て続ける。
胴や触肢を狂ったように振り乱し張り付く人間を振り払おうとする親蠍。
だが三人は死に物狂いで親蠍の身体にしがみつき、振り下ろされ地面に叩きつけられても即座に起き上がり再び飛びつく。
さながら、大型昆虫に群がる蟻の如く。
やがて目玉を潰し触肢の根元関節を叩き潰した三人が散開したところで、ピエールが離れたところから助走を付け一直線に親蠍へ駆けた。
眼を失った親蠍が最後に放った、尾針の一撃を紙一重で回避しながら。
ピエールが跳躍と共に頭上から振り下ろした会心の一撃が、遂にさそりアーマーの巨大な顔面に振り下ろされた。
: :
ぶしっ、ぶしゅっ。
鉄球の直径は四十センチほどだったが、全力の攻撃が直撃した顔面はその倍近い大きさの陥没になっていた。
叩き潰された顔面から、青黒い体液が水流となって漏れ出ている。体液の流れと同時に、巨体から力も抜け落ち始めていた。
離れた四人が、じっと見守る。
武器を握る手に力を込めたまま、息荒くも油断ならぬ表情で敵の動向を見守る四人。
だが、本当は分かっているのだ。
彼女にはもう、命の灯火は存在しないと。
「っ!」
しかし。
親蠍が動いた。
顔を叩き潰された筈の巨体が、折れた筈の足を動かし立ち上がったのだ。
更に数歩離れ、警戒心露わにそれを見つめる四人。
「まさか……」
誰かが呟く中。
親蠍はガタガタと震える足を必死に奮い立たせ、よろけながらも歩き始めた。
既に眼は潰れ、視界などあろう筈もない。
だがそれでも親蠍は必死に、一歩ずつ、迷うことなく歩を進めていく。
その歩みの先にはアーサーがとどめを刺した、既に死している二匹の子蠍。
彼女は死んだ子供の前まで歩み寄ると、関節が砕けた筈の右触肢をぶるぶる震わせながらそっと伸ばし、鋏の先端で子供の身体にそっと沿わせる。
それが、最期だった。
どぉぉ……おん……。
完全に力を失った親蠍の胴体が地に落ち、野太く巨大な尾節が伐採した巨木のように地面に倒れ、余韻すら感じられるほどの長く響く落下音を鳴らした。
胴体からもも力が抜け、前のめりに項垂れるような体勢で沈黙する。
もう、動かない。
「……」
戦いは終わった。
親蠍の亡骸を眺めながら、少しずつ認識し始める四人。
一人、また一人と握り締めていた手の力が緩み、武器が地面に落ちていく。
最後の一人、ピエールが鉄球の先端を地面に降ろし、柄を手から離した。
す、と音もなく上を向く。
そして、叫んだ。
渾身の勝ち鬨を、感情のままに。
他の三人も無心でそれに続き、四人はただひたすらに叫んだ。
勝者の雄叫びが、ハシペルの町を満たしていく。




