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姉妹冒険者物語  作者: 並野
死闘・蠍鎧
70/181

09

 エルマによる十分な手当を受けた一行は皆、怪我の痕すら分からないほどに完治している。

 更に広場へ向かう前に無人の店でいくつか道具や装備を拝借し、再戦の準備は万端。


 ピエールが巨大鉄球の柄を両手で握り締め、力強く先陣を切った。

 併走するのはトルスティ。アーサーとリストは離れた位置で様子見だ。

 雄々しく広場に立つ親蠍が、駆け出す前衛二人の姿を捉える。


 直後、突然尾針を降ろし横回転した。

 何の前触れも布石も無い横薙ぎが、風圧だけで瓦礫を転がし死体の肉片を巻き上げる。

 押しつけられるような圧のある突風が吹き(すさ)ぶ。

 しかし今回は衝突音は発されず、尾針はただ風を引き裂くだけに留まった。


 野太い金色の丸太が過ぎ去った後の地面に、ぴたりと張り付く人影二つ。

 高い軌道で放たれた横薙ぎを、ピエールとトルスティは地面に伏せて回避したのだ。

 前回の横薙ぎを飛んで避けられたことに対する親蠍の対策。もしも同じように跳ねていたら確実に避けられなかった一撃だが、二人は難無く見切って見せた。


 尾針が過ぎ去った直後、飛び跳ねるように身体を起こし二人が再び親蠍へと迫った。

 尾針の横薙ぎは強力無比だが、背を向けて回転する都合上回転直後は一瞬の隙が生まれる。


「ケエエエッ!」


甲高い野鳥の咆哮に似た、ピエールの雄叫び。

 とても女性の声とは思えない絶叫と共に振り下ろされた一撃を、親蠍はやや姿勢を乱しながらも後退して回避した。


 が、無理な体勢で下がった直後更に踏み込む初老従者の姿。

 反撃しようにも、至近に寄られた状態では触肢の先端の鋏を向けるには遅い。

 野太い咆哮と共に、トルスティの手にあった鈍器が唸った。

 騎士兜を模した親蠍の頭部、顔面に握り拳ほどの金属塊が直撃する。


 火花と共に、星の散るような錯覚。

 顔面を金属製の鈍器で強打された親蠍だが、死にもしなければ意識を失うことすらない。ただわずかに身体をふらつかせただけだ。


 たたらを踏みながら触肢を乱雑に振り回し、自身に張り付こうとする前衛二人を追い払う親蠍。

 直後に飛んできた不細工組からの呪文も視線を向けず滑るように移動して避け、


 避け終わったと油断した直後、左足の付け根に何かが命中した。

 違和感を覚えるより早く、命中部位が炎上し始める。


 突然の炎に驚く親蠍から遠く。

 炎上させたのは、射程外にいたと思われていたアーサーとリストだ。


「ひとまず上手くいったね」

「効果があればいいのですが」


小声で話し合う二人。リストの手には弓矢が握られ、アーサーの手には何かの硝子瓶が複数。

 中身は可燃性の油を主に、酒精や穀粉などを混ぜたアーサーによる即席の燃焼材だ。


 親蠍の回避直後の隙を突き、アーサーが瓶を投げ当て、燃焼材で汚れた足の付け根へとリストが火矢を放つ。この方法なら、常に魔力を注がねば容易に消えてしまう呪文の炎と違い放置していても長く燃え続ける。

 勿論火力が低く表面でただ燃えるだけの炎では、分厚い甲殻の奥にある親蠍の身体に損傷を与えるなど不可能な話だ。


 だがアーサーの狙いはそこではない。

 蠍という生物の、呼吸をする為の気門は足の付け根にある。

 そこに火を放って呼吸を妨げることが出来れば、窒息とまではいかなくとも体力の消耗を早めることが出来るのでは、という作戦。


 とはいえ相手は蠍型だが魔物である。姿形が完全に蠍と同一という訳ではなく、同じ場所に気門があるとは限らない。

 効果が出ればいい、という程度の攪乱目的の攻撃に過ぎない。

 それでもこの親蠍の渾身の尾針横薙ぎを避けられるかどうか確証の取れない二人にとって、有用な安全圏からの攻撃と言える。


「……」


一行が揃って動向を睨み見張る中、親蠍は直立姿勢で構えたまま微動だにしない。

 果たして効いているのかいないのか。消す必要など無いのか、慌てて消せば効果があると悟られる故の痩せ我慢なのか。

 この個体が"演技派"だと薄々感づいている一行は、注意と警戒を緩めない。


 親蠍が動いた。

 狙いは一直線、アーサーとリストだ。

 どがんどがんと石畳を踏み砕き、二人へ迫らんとする黄金の巨体。


 が、その驀進(ばくしん)は横合いから進行方向を塞ぐように放たれたヴィジリオの呪文によって足止めされ、更にピエールとトルスティの二人による攻撃の対応に追われ気づけば狙っていた二人は既に親蠍から離れている。


 前衛の攻撃を避ける合間に再び投擲された硝子瓶を、今度は器用に避ける親蠍。瓶は空を横切り、建物の壁に当たって砕けた。

 その様を冷静に眺めるのは、指示役のエルマ。

 感情など窺い知れない筈の魔物の瞳を凝視しながら、仲間へ指示を飛ばした。


「もう一度試してみろ! 今度は呪文先行、私も飛ばす! 次に瓶を投げてから前衛が殴りに行け!」

「分かりました!」


凛とした良く通る声でアーサーが返事を叫ぶと同時に、ヴィジリオが先手として呪文を放った。

 無数の光弾が地を這い空を飛び、横から吹き付ける嵐の雨粒のような激しさで親蠍を襲う。

 飛ばされた大量の光を、大きく動いて塊ごと避ける親蠍。


 だが避けた先にはこれまで観測、指示に徹していたエルマが初めて放った拳大の攻撃呪文が一つ、移動を予見して回避位置に飛ばされていた。

 顔面に命中した光弾が、白く輝き冷気に変わる。

 冷気が巨大な頭部を覆い、親蠍の頭が透き通る氷に埋め尽くされた。


 更に頭部が凍るとほぼ同時に投擲された、親蠍の右足付け根部分に向け飛来する瓶。

 親蠍は凍結を気にする余裕も無く、右の触肢を後ろへ下げて鋏で瓶を受けた。

 液体で汚れた金色の鋏がてらてらと輝き、次いで放たれた火矢は鋏を持ち上げたことで右足付け根に当たり刺さることも燃え広がることも無く地面に落ちて。


 そして。

 呪文を避け、呪文を受け、瓶を防ぎ、鉄球を凌ぐ。

 そこまでが限界だったのだろう。


 最後の一人、トルスティがピエールを牽制する為振り抜いていた左触肢を踏み台にして飛び上がり、両手で握った鈍器を真上から全力で振り下ろした。

 凍結を砕き散らしながらの、顔面への二度目の打撃。


 威力のある上からの振り下ろしと言えど、やはり分厚い甲殻甲冑を纏う親蠍には常人の攻撃では惜しくも有効打とはならない。

 精々が、先の一打より大きくふらつくだけ。


 だがそれはつまるところ、先ほどより更に大きな隙。

 続けざまにピエールが再び振り下ろした鉄球が、ふらつく親蠍の巨大な左触肢の関節部分に力強くめり込んだ。



   :   :



 誰もがその様を呆然と見ていた。

 巨大蠍を目の当たりにして逃れ得ぬ絶望に直面していた組合建物内の住民たちの前に、颯爽と現れた者たち。

 住民たちには殆ど見覚えの無い、余所からの流れ者である。


 それがあの巨大な化け物と対等な激戦を繰り広げ、今正に一人の振り下ろした鉄球が、金属のひしゃげる轟音を上げて蠍の左腕に直撃している。

 しかもその鉄球の持ち主は、あろうことか齢十八かそこらにしか見えぬ少女ではないか。

 背も低く腕も細いちっぽけな小娘が、自身の体重の遙か数倍はあるであろう鉄球武器を抱え、その上で化け物蠍の攻撃を当然のように避けている。

 一般人である住民たちの目には目視すら叶わぬ、圧倒的速度の大鋏を。

 この町で最も強いと言われていた閃光ですら、子蠍二匹の相手が精一杯だったというのに。


 尋常ならざるその戦いに住民たちは救世主の登場などとは思わず、ただの化け物の同士討ちなのではと考える始末であった。

 住民たちが皆言葉も忘れ、化け物の戦いに恐怖する中。

 クルス少年だけが、住民たちとは異なる想いでその戦いを見ていた。



   :   :



 蠍は鳴かない。

 それは彼女も同じのようで、左触肢に痛恨の一撃を受けた親蠍は鳴き声一つ上げることなく激しく足踏みしながら正面の敵から後ずさった。

 さらなる追撃を考え様子を窺うピエール、トルスティの二人。

 だが親蠍による決死の反撃の危険と、左の鋏を無力化出来た以上危険を冒さなくとも競り勝てるだろうという判断の元、武器を構えたままこちらも数歩下がった。


 親蠍が左触肢の先端を垂らし、引きずりながら後退していく。

 関節部を完全に叩き潰された左触肢はもはやぴくりとも動かせないようで、ただ石畳に擦られるばかりであった。

 後退し終えた親蠍が、右の鋏を使って左触肢を潰れたところから挟み引き千切る。

 切り離された甲殻の断面からじくじくと染み出る青黒い体液。左半身が、燃え盛る炎の赤と滲む体液の青で対照的に彩られていた。


「二人ともよくやった! こいつは反対側の足を燃やされることを嫌がっている! 瓶投げ組は無理して狙い当てようとせずに妨害重視! ヴィジリオはなるべく炎を消さないように注意! 安全重視で先ほどと同じ作戦を続行!」


エルマの再びの指示に、一同の身体に再び力が籠もる。

 口火を切ったのはヴィジリオだ。

 蹄人の機動力で柔軟に立ち位置を変え、炎を妨げぬよう右半身めがけて無数の光弾を放つ。

 放たれた光弾を親蠍が避ければ、回避直後の隙を狙って前衛二人が迫る。


 ピエールの持つ鉄球だけは、必ず避けねばならない。

 それを分かっている親蠍は、健在な右触肢を執拗にピエールへ向けて振るい近づかせまいと牽制する。

 ピエールも回避しながら時折鉄球を横へ振り抜いて鋏を打ち返すが、真上からの振り下ろしではない上最も頑丈な鋏部分への打撃では有効打を与えるには至らない。


 一方触肢を振るわれないトルスティには、尾針の突きが襲いかかる。

 ゆらゆらと動く尾針が、一筋の光となって煌き振り下ろされた。

 自身へ迫る初老男のいる場所めがけ一直線に突き刺さる尾針の先端。

 だが破壊したのは石畳だけだ。男の姿は丁度突き刺さった尾針の真横に移動しており、手傷らしい手傷は砕けた石畳の破片程度。


 さそりアーマーの尾針の突きは元々、自身よりずっと小さい生物には向かないのだ。

 速度があろうと小さな的に点の攻撃は当たり辛く、小さな獲物は鋏と横薙ぎで十分事足りていた為小型生物に尾針の突きを放つのはこれが初めて。

 結局トルスティにとっては、触肢一閃より多少速い代わりに範囲が狭いだけの攻撃でしかない。


「おおおおお!」


最小の動きで尾針を避けたトルスティが大きく吼えて踏み込み、両手で構えた鈍器を振り下ろす。

 親蠍は尾針を引っ込めながらも、何とか数歩後退して寸でのところで攻撃を回避した。


 前衛の攻撃を、何とかいなし終えた。

 かと思えば、移動直後の足を止めかけた瞬間に瓶が飛来する。


 慌てて右鋏で払いのけ体勢を立て直そうとするが、今度は再びヴィジリオの呪文。

 呪文を避ければもう前衛が目の前だ。


 間髪を入れず続く攻撃に、親蠍は常に対応に追われる。

 休む暇が無い。

 片側の気門を炎で塞がれているのなら、じきに息が上がって動きも鈍るだろう、という狙い。

 事実、親蠍の動きは次第に精彩を欠き始めていた。

 先ほどまでは余裕を持って避けられていた呪文が、次第に掠るほど近くに。

 触肢の牽制は問題無く出来ているものの、尾針の突きもじわじわと速度を失い余裕の生まれたトルスティがどんどん近くに。


 そして。

 トルスティの振り下ろした鈍器が、再び親蠍の頭を捉えた。


 三度目の顔面への打撃は、想像を遙かに越えた衝撃を親蠍に(もたら)したようだった。

 大きく頭を仰け反らせながらふらつき、視線を向けられずに右触肢をやたらめったら振り回し前衛を牽制しながら後退している。

 後退する親蠍が、広場の外周端にある建物へと背中から衝突した。

 建物一つ破壊して尚後退しようとする親蠍。

 完全に前後不覚だ。


 だが前衛二人は、滅茶苦茶な軌道で振り回される右触肢を警戒して中々攻め入れない。

 瓶投げ組が右足付け根を狙える位置へ走る中、唯一即座に攻撃可能な不細工組が親蠍へと駆ける。

 一定距離を維持して自身の真正面に捉え、ヴィジリオが右手の指輪を突き出して構えた。

 最後の一撃の詠唱を始め、指輪に魔力が集まり始める。


 が、それも束の間。

 怯んでいた筈の親蠍がぴたりともがくのを止め、頭を起こした。


「……えっ?」


真正面から親蠍と視線を交錯させるツキカの脳裏を、無数の疑問が過ぎる。

 何故先ほどまで朦朧としていた親蠍が、一瞬で動きを止めこちらを凝視しているのか。

 何故前後不覚だったのに、前衛を寄せ付けない的確な牽制が出来たのか。


 そもそも。

 あのふらつきは、少々大袈裟過ぎやしなかったか?


「ツキカーッ! 防御しろーっ!」


遠くでエルマとアーサーの叫ぶ声が聞こえる。

 でもまさかこの距離で、親蠍の攻撃が自分たちに届く筈は……。


「あっ」


自分とヴィジリオが先ほど何で怪我をしたのか、ツキカが気づくとほぼ同時に。

 親蠍が右鋏を足元に突き刺し、石畳と土砂を二人めがけて投げ飛ばした。


   :   :


 立ち止まっていたツキカの真正面から、投げ散らされた地面そのものが襲う。

 石畳の破片。

 質量のある砂。

 長年踏み固められた土の塊。


 襲い来る大地そのものに対し、馬の身体を反転させて避ける余裕は無い。ツキカは咄嗟に二枚の盾を前に突き出した。

 盾に隠した上半身と後ろに座るヴィジリオは何とか守ったものの、石畳が直撃し容易くへし折られる馬の前足。


「ぎいいいっ!」


食い縛りながら悲鳴を上げ、ツキカが前のめりに姿勢を崩した。

 それでも必死に盾を構え自身の背に乗るヴィジリオを守ろうと奮迅するが、次に飛んできたのは親蠍が後退時に破壊した建物の建材だった。

 体積にして人間ほどもありそうな折れた木の柱が投げ飛ばされ、二枚の盾ごとツキカを横向きに吹き飛ばす。


 倒れたツキカが馬の横っ腹と、守るべき不細工を正面に晒した直後。

 続けて投げられたのは建物内にあったと思われる壊れたテーブル。

 縦横一メートルほどの机が宙を一直線に飛び、馬の横っ腹とヴィジリオの身体へと直撃した。


 めきめき、ごきっ、ぶづっ。

 内部で骨と内臓が潰れる致命的な音が響く。

 血を吐きながら崩折れる二人。


 更に二人へと建物の残骸が投げ飛ばされ、

 致命傷の二人を、即座に駆けつけたエルマが庇った。


「ぐ……っ!」


ツキカが取り落とした盾を拾って構えるエルマ。何とかこれ以上の致命傷は回避出来たものの、自身も少なくない手傷を負う。

 幸いにも直後に前衛が妨害に入り、親蠍が瓦礫を投げ飛ばせたのはそこまでだった。


「三人を下げてッ!」


叫ぶピエールが高く飛び跳ねて足を上げ、親蠍が振るった尾針の横薙ぎを飛び越える。

 回避した尾針は勢いをそのままに他の建物に激突し、根元の基礎部分を一直線に打ち壊しながら強引に一回転を終えた。

 土埃をまき散らしながら、倒壊する建物。


 かと思えば次の瞬間には回転を終えた親蠍が、土埃の中から破壊した建物の瓦礫を前衛二人めがけて投げつけ始めた。

 煉瓦片。

 折れた扉。

 椅子。

 衣類棚。


 見慣れた家具が殺意ある速度で飛来するのを二人は滑るような動きで避け、時には手に持つ武器で打ち払って防いでいく。

 前衛へと投擲を行う合間に、親蠍はヴィジリオとツキカがいた場所へと追加で瓦礫を投げようと試みる。

 が、二人への攻撃を緩めた途端即座に距離を詰められる為、前衛の相手を放り投げて別の相手に瓦礫を投げる余裕は無い。


 細かく砕けた瓦礫の破片を投げられ、広範囲に飛散した石と煉瓦の破片が二人を襲う。

 当然全ての攻撃を回避しきれる筈も無く、二人は姿勢を低くし武器で急所を守ったが防ぎ切れない細かい小石が幾つも身体の末端部分に命中した。

 親指の先ほどの小石が手足を裂き、中には皮膚を破って肉に食い込むものすらある。

 身体を動かす度、埋まった石が内部で肉を擦る。

 だが二人はいくらか歯噛みするだけで、一切怯みもせず親蠍へと向かっていく。

 ここで親蠍を引き付けなければ、あの二人が死ぬことを分かっているからだ。

 二人が怪我を厭わず親蠍の攻撃を受けている間に、アーサーとリストが三人の元へ駆けた。


「エルマ、二人の様子は!」

「足と(あばら)が折れ(はらわた)が潰されています。すぐに手当しなければじきに死ぬでしょう」

「そんな……!」


悲痛な顔で目を見開くリスト。彼の視線の先には、顔面蒼白状態で濁った瞳を半開きにしている二人の男女の顔が映っている。

 ツキカの馬の胴には腕がそのまま入りそうなほど大きく底の見えない穴が空いていて、血がごぼごぼと泡立ちながら吹き出ている。

 ヴィジリオは出血こそしていないものの、打撲の所為か本来肋骨がある筈のわき腹が不自然にへこみ、えぐれている。

 呼吸は皆無と呼べるほど弱々しい。苦痛に顔を歪めることすらなく、無表情のまま虚ろに濁った瞳を半開きにし、口から血を垂れ流す様などは完全に死人の顔だ。


「手当しなければ、ということは手当すれば助かるのですね?」


怪我人の容態を冷静に観察しながらアーサーが口を開いた。

 エルマは、素早く呪文を唱え光を二人に当てながら答える。


「ああ。私なら出来る。それでも二人を安定状態まで治すだけで少なく見ても二、三時間、その上大量の魔力を使うだろう。事実上の戦闘離脱だ」

「分かりました。ではまずは二人を組合建物内へ移動させます。エルマはヴィジリオを抱えつつ蠅の警戒、到着後は治療を行ってください。リストは一緒にツキカを抱えて」

「うん、分かった」


アーサーが腰からナイフを取り出し手際良くベルトを切って二人を分離し、エルマがヴィジリオを抱え、アーサーとリストが二人してツキカの馬の胴体を持ち上げた。

 ツキカは馬の下半身部分を抱えられた為少女の上半身がだらりと真下へ垂れ下がっているが、やむを得ずそのままだ。


 空を見上げながら先導するエルマの後を追うように妹と王子も走り、組合建物前に到着した五人。

 その表は最早見る影も無い。

 扉部分が破壊された上に親蠍がやたらめったら投げつけた瓦礫が突き刺さり、前面部分は最早廃墟の様相だ。住民も流れ弾で何人か死んでいる。


 中では恐怖に震える生き残り住民が窮屈そうに縮こまっており、すぐ外に一人立つのは金髪の少年、クルス。

 右手に鈍器、左手に盾を握り、荒く肩で息をしている。

 いくらか疲労を露わにしている少年の周囲には、叩き潰された無数の蠅の死骸が転がっていた。

 到着した五人へ、クルスが視線を投げた。


「そいつ、死んでるのか」

「生きています。彼女の呪文があれば助かる。なので治癒の間、中へ失礼させて頂きます。構いませんね?」

「フン、俺の許可なんか取る必要無いだろうが」


鼻を鳴らして不機嫌そうに言い捨て、少年は五人から視線を外した。

 その時空から蠅が飛来し、気づいたエルマが即座に振り向き片手を上げて呪文を唱えようとする。

 が、エルマの呪文より先にクルスが割り込み盾で蠅を殴りつけた。

 横合いから打撃を受け怯んだ蠅に即座に鈍器で追撃を行い、蠅の死骸を一つ増やすクルス。

 エルマは詠唱を中断し、片手を不細工の下へ戻した。


「感謝する。流石に人一人を片手で抱えながら戦うのは難しいのでな」

「俺は二人を守っているだけだ。お前らの為じゃない」


背を向けたままこれ以上の会話は望まない、とでも言いたげなクルス少年。

 エルマも早々に意識を外し、組合内部へと入っていった。


「では我々はこれで。前衛に加勢しに行きます」

「エルマ、行ってくるよ」

「……御武運を」


エルマが入ると同時に、先に運び終えたアーサーとリストがロビーを後にして親蠍の元へと走って行った。

 それを見送り、エルマはツキカの元へと移動し横にヴィジリオを降ろし、床に膝を突いた。


 床に寝かされているツキカとヴィジリオ。

 怪我はツキカの方が重傷だ。先ほど応急処置で出血だけは抑えたものの、傷の深さはヴィジリオの比ではない。

 だが、かといってツキカだけに終始していれば治る頃にはヴィジリオは死んでいる。

 まずは二人を危篤状態から脱させることだ。

 呪文を唱えて両手から治癒の光を出し、エルマは右手と左手で二人同時に光を注ぎ始めた。


「その方たち……」


手当を行っているエルマの耳に、誰かの問いかけが聞こえた。

 怪我人二人の隣で壁に背を預けている、桃髪の若い女性の声だ。

 呪文の光を注ぎながらエルマが視線を向けると、その女も膝から下が断裂し、歪に潰れたような形になっているのが見えた。

 低位の薬か何かで断面はいくらか塞がっているようだが、まだ痛むだろう。事実、彼女の表情は今も苦しげだ。

 視線を向けたエルマが続きを待ったが、一向に聞こえてこない。


「……こいつらがどうかしたか」

「あ、いえ……ごめんなさい……呪文の最中に話をするのは良くないと途中から気づいたので」

「会話しながら呪文を使う程度造作も無い」

「そうですか……なら良かった」


額に汗を浮かべながらゆるゆると微笑む女。

 その右隣には、金髪の少女が女の身体にがっしりとしがみついている。身体を丸めて震え続けおり、エルマの存在に気づいているかも怪しい。


「そのお二人は、助かるのですか?」

「このまま小一時間邪魔が入らなければな。蠅どもは金髪の小僧が外で相手をしているが、子蠍が来たらどうなることやら」

「クルス君のことなら、大丈夫です。きっと守ってくれます」

「……あの小僧がか?」


訝しげに聞き返したエルマ。その視線が桃髪の女の足と、その横にまとめられている男一人分の八つ裂き死体へと向いた。

 だが彼女は、苦しげながらも穏やかな笑みを崩さないまま続ける。


「ええ。だってあの子は、わたしたちの勇者様ですもの」



   :   :



 親蠍の右鋏が唸り、地面を力強く薙いだ。

 石畳がめくれ、地面が抉れ、土砂の波となってピエールとトルスティを襲う。

 それを大きく動いて回避したかと思えば、次はピエールへと壊れた建物の屋根が投げつけられた。

 飛来する一メートル四方ほどの屋根片を避け、ピエールへの投擲の隙に迫るトルスティを迎え撃つのは触肢と尾針。

 牽制をいなしている内に、親蠍は再び瓦礫を投げながら距離を取った。


 親蠍は最早、瓦礫や石畳を利用することを全く躊躇わない。

 目の前に投擲物が無くとも、町中なら建物を壊し石畳を剥がせばいくらでも作れる。

 一体いつからそれに気づいていたのか。

 それは二人には分からなかったが、絶好の好機が訪れるまで手札を隠し通す、親蠍の狡猾さには敵ながら感心すらしていた。


「姉さん!」

「トルスティ!」


後方から叫び声。

 それと同時に、怪我人を運び終えたアーサーとリストが二人の元へと合流した。

 二人の手には、ツキカが使用していた二枚の盾が一枚ずつ回収されている。アーサーなどは左手にツキカの盾、右手に自身の小盾と二枚盾だ。

 四人並んで、親蠍と真正面から対峙する。


「三人は?」

「組合ロビー内で治療中。治りますがこの戦いの間に戦線復帰は不可能」

「もう呪文攻撃力には期待出来ないってことだね」

「何、我々で隙を作ってお姉さんに一撃入れて貰えばそれで済みます。単純な話ではありませんか」

「……その単純な話が全く通らないから、今まさに苦労してるんじゃないか」


従者の軽口にリストは苦笑いで返し、得物を握る手の力を強めた。


   :   :


 親蠍が回った。

 尾針を地面にべったりと付け、石畳を砕き散らしながらの横薙ぎ。


 全方位に向けて放たれた飛礫の嵐だったがピエールとトルスティの前衛二人は石畳ごと尾針を飛び越えて回避し、離れた位置にいるアーサーとリストの中衛二人は屈みながらツキカの楕円盾を前面に構え瓦礫を防ぎ切った。

 飛び散った破片は、周囲の建物へと突き刺さるに留まる。


 防いだアーサーが、即座に立ち上がって右手の盾の上から握っていたものを投げた。

 投擲用の瓦礫を掴みながらごくわずか横移動し、足の付け根ではなく足の先でそれを受けようとする親蠍。

 が、それは中身の無いただの空き瓶。

 避けたと思って油断した瞬間の親蠍めがけ、今度こそリストの手で瓶が投げられた。


 親蠍は危うくも掴んでいた瓦礫を瓶の防御に使いつつ投げたが、防ぎながらの投擲で狙いが甘くなりピエールに紙一重での回避を許した。

 避けながらぐんぐん迫ってくるピエールを触肢と尾針で何とか追い返すものの、牽制の手を外れたトルスティが再び親蠍の眼前へ。


 金属同士の衝突音が高く響く。

 四度目のトルスティの顔面への打撃だったが、慣れ始めた親蠍は頭を傾け人間で言う額付近、甲殻兜の厚い部位で打撃を受け止めた。


 少しの衝撃を受け、揺らぐ黄金色の巨体。

 だが決定的な隙とはならず、斜め後ろに摺り動きながら地面を剥がし土砂を浴びせかけ前衛を追い返した。


 近距離から放たれた土砂を前衛二人は武器を使って防ぐが、無傷とはいかず致命傷だけを避けそれ以外の部位はほぼ避けられずに直撃した。

 そこは既に石畳を剥がされた場所だったので、当たったのは砂粒や砂利程度の小石のみ。しかし砂利すら服を貫き刺さりそうなほどの威力だ。


 再び一行と距離が開く。

 現在親蠍は前を向いたまま、姿勢を傾け足の付け根の炎を地面に擦って消そうと試みている。


 一進一退の攻防だ。

 痛手を負えば痛撃を返し、痛撃を返せば再びの痛打。

 現在の目立った損害は人間側は戦線離脱三人、前衛二人が瓦礫で損傷。蠍側は左触肢を破壊され、左足の火は親蠍の体型と石畳の地面の都合上消すには至らず未だちろちろと燃えている。

 戦況はまずまずの均衡と言ったところ。


 しかし、その均衡も終わりが近い。

 長期戦による消耗は、人間たちだけではなく親蠍の身体にも確かに刻まれつつあるのだ。


   :   :


 親蠍の左半身に回り込んだアーサーが、懐から何やら取り出しその内一つを併走しているリストへ投げ渡した。

 取り出したのは巻物だ。

 投げ散らされる土砂を左手の盾で防ぎつつ、小盾を持ったままの右手で器用に留めを外し巻物を広げる。


 不気味さすら感じる早口で紡がれるアーサーの言葉。

 アーサーが巻物の文字を読み終えると、巻物から火の玉が飛び出し始めた。

 火球は勢いがあり、離れた位置からでも親蠍の身体に当てられる程度。


 遅れてリストも巻物を読み終え、二人して巻物を掲げ親蠍の左足付近、炎上部分を狙う。

 燃え盛る火球の内一つが足の第一関節にぶつかり、親蠍は不快感露わに尾針を地面へ叩きつけ横薙ぎの要領で地面の土砂を削り飛ばした。

 だが二人は土砂投げを容易に盾で受け、巻物の炎を飛ばし続ける。


 苛立つ親蠍が右鋏で瓦礫を掴み、投げ飛ばそうとした直後。

 いつの間にか眼前にピエールがいた。


 慌てて後退した親蠍の、直前まで頭があった位置へと振り下ろされる鉄球。

 石畳の削げた地面に大きな窪みが生まれ、至近距離で少女と巨大蠍の視線が交錯した。


 少女のくりくりした垂れ目の翠眼と、甲殻兜の奥でぼんやり光る握り拳より大きな蠍の眼。

 片や人間、片や魔物。互いに表情から感情など読み取れよう筈も無い。

 だがこの瞬間ピエールは、親蠍の顔に滲む感情をうっすらと感じ取ったような、そんな気がした。


 すなわち、怒りと焦り。

 それも自身を傷つけられたことではない、自身の大切なものを奪われた怒りだ。


 親蠍が後退しながら尾針を振り下ろした。

 ピエールは鉄球の先を地面に付けたまま身体を捩って避け、更に風を唸らせて放たれた触肢一閃を飛び上がって避けて。


 そして、何かに引っかかって空中で姿勢を崩した。


 木切れ。

 鋏で掴んでいた瓦礫ではない。

 親蠍の触肢の甲殻甲冑の隙間に、いつの間にか挟まっていた木の切れっ端。

 それが彼女の服の裾に引っかかり姿勢を崩させたのだ。


 鉄球の柄を握り締めたまま空中で回転する少女の身体が、背中から仰向けに地面に落ちた。

 この状況、ピエールどころか親蠍本人すら意図せぬものであった。そもそも甲殻の隙間に木片(ゴミ)が挟まっていたことなど誰も気づいていなかったのだ。

 だが絶好の機会であることを認識した親蠍の行動は、その場にいた誰よりも迅速だった。


 落下したピエールが可能な限りの素早さで体勢を建て直すが、続けて回避行動を取るよりも早く。

 返しの触肢一閃が胴を捉え、少女は横一直線に広場を吹き飛び組合建物の壁へ衝突した。

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