08
現れた二匹の子蠍。
だがその姿は"子"と呼ぶには少し無理があるような、今まで現れた子蠍より更に一回りほど大きな身体をしている。
纏う雰囲気にも、違いが感じられるほど。
「レイとミレイアは防御優先、左を受け持て! 俺は右へ行く、セレスは状況を見ながら左寄りで援護!」
叫びながら即座に突き一閃。
身体全体で風を切れそうなほどの素早い踏み込みだ。
だがクルスの放った先制攻撃は鋏の縁で器用に受け流され、明後日の方向に流れた剣で姿勢が崩れたところを尾針による突きの反撃を受けた。
辛うじて突きを掠る程度で避け、回避と同時に素早く体勢を整えて尾針の節目の部分へ剣を振り入れる。
甲高い打撃音と火花。
甲殻の継ぎ目を狙って放った一撃は狙いを逸れて甲殻部分に当たり、有効打にはならない。
だが尾針を怯ませることには成功したようで、衝撃で明後日の方向へ跳ねる子蠍の尾針。
クルスが続けざまに攻め入った。
追撃を行う剣と防御態勢の子蠍の鋏が激しくぶつかり合い、金属の擦れる音が断続的に響く。
子蠍が突然飛び跳ねるように下がった。
直後にセレスの放った呪文が飛来し、床を白く凍らせる。
呪文を避けてから、再び子蠍が飛びかかった。
迎え撃つクルスが先手で剣を叩き降ろし、子蠍に鋏での防御行動を取らせる。
金属の擦れる大きな音。
両手で握って縦一文字に振り下ろした剣を子蠍は鋏を交差させて防ぎ、剣の刃と金属鋏が激しい音を立てながら鍔迫り合う。
握る両手に力を込めながらも、尾針の攻撃を警戒し視線を前方に向けたままのクルス。
が、どういう訳か尾針は動かない。
先の攻撃を回避し、尾針に一撃返したのが効いたのだろうか。
いずれにしろ、尾針を使わないなら好都合。
そう判断したクルスが剣を押し込みながらも、右足を振り上げて子蠍の左触肢を下から蹴り上げた。
剣を防ぐ力が乱れ均衡が崩れたところで即座に剣を翻し回転しながら勢いを付け横に一閃。
浅い手応え。
十分な速度と威力の乗った一撃は寸でのところで子蠍に反応され、剣の切っ先がわずかに触肢付け根の関節部分をなぞるのみに留まった。
青黒い体液が関節から散り、両の触肢を持ち上げながら子蠍が大仰な仕草で数歩後ずさる。
好機。
「トドメだっ!」
叫んだクルスが剣を構えて一歩踏み込み、
天地が逆転した。
突然の事態に状況を把握できないクルス。
彼の眼前に、真後ろを向いて低く下げた尾針を見せつける子蠍の背が見える。
クルスは知らない。
さそりアーマーの尾針は、刺す時より横薙ぎに振り回す時を最も警戒しなければならないということを。
クルスは気づかない。
彼らはあの親蠍の子。油断を誘い、劣勢を演じ、敵を引き込んでからの攻撃を好んでいた親蠍の子であるということを。
クルスは考えたこともない。
彼らは猪突猛進の馬鹿ではない。知恵を持ち、思考し、敵を欺く戦術を構築する魔の生物。
"魔物"だということを。
足首を打ち据える横薙ぎの尾針で転倒したクルスが、肩を床に打ち付けながらも素早く上体を起こし迎撃の体勢を取った。
今の自分なら、鋏だろうが尾針だろうが迎撃して体勢を立て直すくらい容易い。
だが少年を襲ったのは、子蠍の全身。
両の鋏で前面を防御しつつ、体勢を低くした子蠍が少年に体当たりを見舞ったのだ。
吹き飛ぶ身体に、意識だけがその場に置き去りにされるような感覚。
体当たりを受けたクルスは触肢で押し出すように突き飛ばされ、一直線に部屋内を飛び壁に衝突した。
着ていた軽鎧のおかげで骨を折るようなことはなく、頭を緩く打ち一瞬意識朦朧とする程度。
その場に倒れそうになったクルスがふらつきながらも辛うじて握っていた剣を床に突き子蠍の追撃に備えようと顔を上げて、
「クルス君、早く戻って! レイナルド君がっ!」
視界に納めた子蠍は自身を狙ってなどおらず、自身を突き飛ばした隙に二匹がかりでレイナルドを襲っていた。
「当たれ、当たれ……当たってよっ!」
今までの動きとはまるで異なる機敏さを発揮する二匹の子蠍。
ミレイアとセレスの呪文による援護を悉く避け、分厚い甲殻部分で防ぎ、時にはレイナルド自身を盾に取る位置取りで攻撃を留まらせる。
「ぐうっ!」
一匹の子蠍の攻撃を盾で受けるレイナルド。だが同時に別の子蠍からの攻撃も受け、武器で受けたはいいものの勢いを殺しきれず鈍器の柄部分が右肩へと強くめり込んだ。
腕への強い衝撃。
レイナルドの手から鈍器が滑り落ち、右半身が無防備となってしまう。
「くそっ……!」
未だに頭部への衝撃が残る身体を必死で振り絞りクルスが立ち上がった。
そして何とか体勢を整え駆け出そうとして、
「早く行けよガキ! ボサっとすんな!」
後ろから押し出されて再び転んだ。
押し出したのは住民の一人。
自身のすぐ側にクルスが飛んできたことで子蠍がこちらへ向かってくるのではないかと怯え、自分自身はクルスに発破をかけるつもりでの行動だった。
だがそれは動きの覚束ないクルス少年にとっては妨害にしかならず。
再び転倒したクルスが絶望の眼差しで見ている中、レイナルドの胴体ど真ん中を子蠍の尾針が貫いた。
「ひっ、あっ、あああああ!」
声の裏返った、がちがちに引き攣った叫び声。
レイナルドのすぐ後ろにいたミレイアの顔に、鮮血と肉片が飛散する。
彼女のすぐ目前に、青年の背中を突き破った尾針の鋭利な先端が姿を覗かせていた。
深紅のまだら模様に染まった金色の尾針。その奥ではいつも自分の前で盾を構えていた男が、びくびくと痙攣している。
左手から盾が落ち、足からは力が抜け、尾針が刺さったまま崩れ落ちるレイナルド。
だがその腕には、未だ力が漲っていた。
「ミレ、イア……早く、下がれ……」
ごぼごぼと、何か液体を吐き出すような水音の混ざった声。
死に体のレイナルドが最後の力で子蠍一匹を足止めしようと尾針を強く握り、
腕を鋏で砕き落とされた。
次いで足を落とされ、胴に鋏を突き立てられ、過剰なまでの子蠍の追撃によってあっという間に八つ裂きにさせられていく。
ミレイアの身体に、だめ押しのように降りかかる血肉。
その間にも、もう片方の子蠍が後衛二人へと狙いを定めて攻撃を仕掛けんとする。
が、その前に今度こそ体勢を立て直したクルス少年が飛びかかった。
「ああああああっ!」
渾身の雄叫びを上げながら、横を向いていた子蠍へ防御も間合いも考えず飛び込んだクルス。
激情のままに叩き込んだ剣は受け流され、返しで振るわれた触肢が自身へと襲いかかる。
一直線に突き込まれる鋭く尖った鋏の先端。
それをクルスは、あろうことか素手で殴りつけた。
鈍い打撃音が鳴り、触肢が真下へと打ち払われる。
当然硬質且つ高密度の金属甲殻を全力で殴りつけた左手はただでは済まず、骨が軋む鋭い痛みがクルスの左手に走った。
だが少年は痛みを意にも介さない。
痛みを怒りで塗り込め、叩き込んだ剣に左手を添えて剣を横に振り抜いた。
その一閃、実に見事なものであった。
怒りの斬撃は偶然か必然か針に糸を通すかのような精密さを発揮し、子蠍の頭部の隙間、甲殻の無い首関節を的確に捉えたのだ。
ゆるやかに宙を舞う子蠍の頭。
首を刎ね終えた子蠍など見向きもせずクルスは片足で押しのけもう片方の子蠍へと駆ける。
「セレスうううっ!」
が。
全ては、半歩及ばず。
走るクルスの目の前で、へたり込むミレイアを庇ったセレスが子蠍に膝を挟まれた。
セレスの名を呼ぶ少年の、怒りと絶望の混じった悲痛な咆哮。
無我夢中の絶叫の中でもはっきり聞こえる、膝の骨が砕け肉が挟み潰される音。
足を千切り飛ばされたセレスが声一つ上げずその場に倒れ伏した。
その無防備な身体に子蠍がトドメを刺そうと触肢を振り、
横合いから全身で体当たりしたクルスによって突き飛ばされた。
絶叫。
獣のように吠えるクルスが悲鳴と叫び声を背景に狂ったように剣を叩きつける。
その攻撃に首を刎ねた先の一撃の精密さは無く、遮二無二振り入れる剣は甲殻の隙間部分を捉えることが出来ない。
それでもクルスはただひたすらに剣を打ち込み、打ち込んで、打ち込み続ける。
最初は余裕の態度で甲殻の分厚い部分で受けていた子蠍も同じ箇所を怒濤の勢いで殴られ続け内部に衝撃が蓄積し始めたことで余裕を失い、
一瞬怯んで防御を緩めた瞬間、顔面に剣を突き立てられた。
眼から脳の奥まで剣が刺さった状態で激しく暴れる子蠍。
クルスは改めてトドメを刺そうと、剣を引き抜き首筋へ振り入れる。
だが最後の最後で集中が緩み、正確に狙った筈の剣は甲殻部分へ当たり中ほどから折れて壁に突き刺さった。
折れた剣を握ったまま舌打ちし、暴れる子蠍を蹴り飛ばして距離を取るクルス。
暫く身構えて様子を見たが子蠍は壁へ向かって移動しようと壊れた玩具のように足を滑らせ続け、やがて動きも弱まりひくひく痙攣するだけとなった。
その様を見届けたクルスがセレスとミレイアの容態を確認しようと振り向いた。
だがその先にあったのは、瀕死のセレスと彼女をまるで気にかけず蹲って震えたままのミレイア。
と、首を刎ねた筈の子蠍が死んで尚暴走を続け、住民を轢き殺している姿だった。
荒く肩で息をしながら彼が見ている中、死後の反射で暴れていた子蠍が住民を一人巻き添えに壁に激突した。
剣を握る手に力を込め駆け出そうとしたが、それきり動きが止まったことでクルスは子蠍から視線を外しセレスの前に膝を降ろす。
「……セレス、おい、セレス」
倒れる仲間の肩に腕を回し少年が抱き起こすと、セレスはいかにも苦痛を堪えながら笑顔を取り繕った、という表情を見せた。
彼女の顔には良くない汗がびっしりと滲み、桃色の髪が顔に貼り付いている。
「クルス君……ごめん……わたしの呪文が下手だったから、レイナルド君が」
「いや、違う、セレスは悪くない」
「でも……」
「いい、いいんだ、責任の奪い合いは。全て終わってからにしよう……」
血が滲むほど強く下唇を噛みながら少年が言い、セレスの下半身に目を向けた。
膝から下が子蠍の鋏によって断たれている。
切断、などという綺麗さはない。無理矢理押し潰した、という表現の方が正しいだろう。
白く滑らかだった彼女の足は押し潰されて骨が飛び出ており、千切れた足先は子蠍によって既に踏み潰されて挽肉と血溜まりになっている。
最早足を繋げることなど不可能だ。
クルスは泣きそうな顔をしながらも懐や腰のポーチを探り、ありったけの治癒の薬を取り出した。
「これから治癒の薬を使う。痛いが、耐えてくれ。……ミレイアはどうだ? 怪我はしてるのか?」
薬を使う前にとクルスがセレスの後ろで蹲るミレイアに声をかけた。
だが、彼女は答えない。
頭を抱えて身体を強く丸め、小刻みに震え続けている。聞こえて来るのは歯を震わせ打ち鳴らすがちがちという音だけだ。
先のレイナルドの惨死によって恐怖を植え付けられ、完全な恐慌状態に陥っていた。
その全身には大量の鮮血の他、肉や内臓の破片も付着しており、血肉やそれ以外の汚れを気にかけるだけの余裕も無い。
クルスが彼女に手をかけようとしたが、セレスにそっと諫められたことで手を引っ込めた。
どうやら外傷そのものは無いようだと判断したクルスが、改めて薬をセレスへと注ごうとしたところ。
一段落ついて恐怖から立ち直り始めた住民の何人かが、やり場の無い怒りを浮かべてクルスへと詰め寄った。
「おい閃光、貴様! この状況、一体どうしてくれるんだ!」
いきなり怒鳴りつけられるが、特に堪えた素振りも無くクルスが視線を返す。
「貴様が確実に動きを止めなかった所為で、あの蠍が暴れてこのざまだ! 六人も死んだんだぞ、六人もだ!」
叫ぶ住民を、つまらなそうに見返すクルス。
暫く見続けてから、何も言わずに視線をセレスへ戻した。
「おい、ふざけるなよこのクソガ……」
胸ぐらを掴もうと手を伸ばした住民が、一瞬の動きで先にクルスに首を掴まれ空気ごと言葉をせき止められた。
左手で住民の首を掴んだクルスが即座に右手の薬を折れた剣へ持ち替え立ち上がる。
音も無く立ち上がった少年。
その表情には今までは存在していなかった、死線を越えた者の気迫が現れ始めていた。
「……この状況で、命を賭して蠍どもを撃退した俺たちへ、言うことがそれか? 俺たちがいなかったら皆殺しだったのを、分かってるのか?」
「フン、どーだか。案外、あんたたちが来なけりゃ奴らもこの建物に無理矢理入ろうなんて思わなかったんじゃないの」
発言主の分からない、群衆のどこかからの反論。
クルスが表情をそのままに、群衆へ死線を投げかけた。
恐怖、困惑、悲しみ、怒り。
少年たちに感謝の意を持つものなど誰一人おらず、仲間を喪った彼らを悼むものも誰一人いない。
少年の顔から、表情が掻き消えた。
「……そうかよ。なら好きなだけ言ってろ。だが俺たちは何もしないし、この二人に手を出したら魔物どもより先にこの俺が殺してやる」
握っていた住民の首を投げ飛ばすように放し、再び腰を降ろす。
そして無言のまま、セレスの腿を持ち上げて薬瓶の蓋を開いた。
小さな合図ののち、彼女の砕けた膝へと瓶から粘液が注がれる。
穴の空いた組合ロビーに木霊する絶叫。
計三本の治癒の薬が砕けた両足に注がれ、薬による治癒の激痛で息を荒くしながらもいくらか落ち着いた様子のセレス。
小脇に震え続けるミレイアを抱え脱力する彼女を穏やかな目線で一度見てから、クルスはのろのろとレイナルドの死体を集め始める。
先のセレスの絶叫と、何より齢十数歳の少年から放たれる悪鬼のような雰囲気に気圧された住民たちに遠巻きに睨まれる中、クルスが刎ね飛ばされたレイナルドの首を拾い上げた。
苦悶に歪んだ顔のまま絶命した相棒の生首を抱え、クルスは瞼から涙が溢れそうになるのを顔に渾身の力を込めて堪える。
そのまま頭、手、足と欠片を集めてセレスの側、少し離れたところにまとめ置いた。
最後に青年が使っていた鈍器と盾を拾い、折れた剣の代わりとして両手に納めたところで。
巨大な地揺れがロビーの建物内に轟いた。
驚いたクルスが建物に空いた大穴から外を眺めると、そこには。
組合建物を真正面に捉えたまま、建物を破壊しながら一直線に歩いてくる親蠍の姿が中央広場に大写しになっていた。
「っ……」
地を踏む度身体が飛び上がりそうなほどの衝撃で歩いてくる親蠍をクルスは恨みと怒り、そして恐怖の滲んだ顔で睨みつけた。
少年から少し遅れて、住民たちも親蠍を実際に目の当たりにした。
子蠍とは比較にならない巨体に住民たちはパニックに陥り、何人かがクルスを押しのけ慌てて建物から逃げ出しては空の下に出たところで即座に蠅に襲われた。
その中にはクルスに皮肉を言って返り討ちに遭い、更に子蠍襲撃後群衆に紛れて嫌味を飛ばした張本人である卑屈な少女の姿もあった。
彼らは一様にクルスへと助けを求め泣き叫んだが全て聞き流され、その内断末魔も消え柔らかくなって空へ消えていく。
一連の住民の死を目にも暮れず親蠍を睨み続けるクルス。
もう、どうしようもない。
ここにいる住民など最早守る気は無い。
だが自分一人ならまだしも、セレスとミレイアを連れて蠅の雨の中を逃げ切るのは不可能。
かといって、親蠍の襲撃など防ぎようがない。
つまり、自分たちはここで死ぬ。
「……」
なら、せめて。
どうせ死ぬなら、せめてあの化け物から死に際に鋏の一つか目玉の一つでも奪ってやる。
恐怖を闘志で塗り固め、右手に力を込めてクルスが一歩踏み出す。
が、突然地面が爆発した。
爆発を、クルスや住民たちは反応一つ出来ず見ていた。
今までの遅々とした動きから一転、突然機敏な動きで横に避けた親蠍。彼女のいた地面から、天高く吹き出し瓦礫を弾き飛ばす爆風。
回避した親蠍が四つの足を器用に動かしその場で九十度向きを変え、右へ向き直る。
その隙に、四方から親蠍を囲むように姿を現す五人の人間たち。
王子、従者夫婦、姉妹。
加えて親蠍の視線の先には、蹄人、不細工。
閃光の生き残りと、住民たちが見ている中。
親蠍と一行との、二度目の戦いが始まった。




