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姉妹冒険者物語  作者: 並野
死闘・蠍鎧
67/181

06

「くそがあっ!」


下卑た言葉を叫びながら、クルスが一息に剣を突き出した。

 胴体の節々が凍結して身動きままならない子蠍の、騎士兜に似た頭の隙間から見える瞳を貫く剣。

 眼ごと頭を貫かれた子蠍は全身を激しく痙攣させ、身動きの取れない身体で何とかして逃げようとする。

 だがその思い虚しく、数秒痙攣してから子蠍の身体から力が抜け小刻みに震えるのみとなった。


 見れば隣には、甲冑を身体中陥没させ事切れている子蠍の死体がもう一つ。

 見事二匹の子蠍を討ち取り、満身創痍の"閃光"。

 クルス少年が荒々しく息を吐きながら、剣を地に突き立て膝を地に着いた。

 後ろに控えていたミレイアが長い金髪を振りながら即座に駆け寄り、その肩に手を置く。


「やったねクルス君! 今の内に早く逃げよっ!」


俯いたままのクルス。

 肩を激しく上下させながら、目線だけを大きく上に上げて隣にいるレイナルドを見た。

 先ほどまでクルスと並んで戦っていたレイナルドは、今は斬り裂かれた腿をセレスに手当されている。


「レイ、調子はどうだ。次はいけるか」

「ク、クルス君何言ってるの! あんな化け物どう考えても無理よ!」


慌てて割り込むミレイアを半ば無視しながら少年が仲間の男に目を向け続けていると、男も疲労困憊の眼差しで少年を見返す。


「クルス。お前、本気でまだ戦う気か。あの規格外の怪物と」

「そうだよ! こいつの言う通り! あたしたちだけでも」

「親玉と、この小さいのと、さっきの蠅。今どこにいる?」

「えっ?」


言葉の途中で割り込まれたミレイアと、レイナルドが顔を上げて周囲を見回した。

 町のすぐ外、外壁の角の部分にいる閃光の四人。

 東門の方を見れば、崩れた外壁と、その陰にちらりと覗く巨大な黄金鎧の尾節。

 空を見上げれば、ハシペルの町全体を覆うように空を飛び交う蝿の群れ。

 子蠍の姿は彼らの場所からはどこにも見当たらない。


「親玉はまだ門のすぐ側にいる。にも関わらずここからでも聞こえてくる、町全体から聞こえる悲鳴。町全体を覆う蠅。……町が襲われてるぞ。この蠍どもと、蠅に」

「で、でもそんなの他人じゃん! あたしたちには関係の」

「俺たちは"閃光"だぞ! 伊達や酔狂でこの町のトップに立ってる訳じゃない! 他人を突き飛ばしてまで生き残ろうとする、あんな屑どもとは違う!」


勢いを付けて立ち上がったクルスが、力尽きた子蠍の頭に足を乗せて踏みにじる。


「……別に親玉の相手をしようなんて思っちゃいない。だが、こいつらや蠅くらい掃除してやらないと閃光の名が廃る。こんな虫けらどもに、好き勝手させてたまるかよ」


最後に一度、子蠍を蹴飛ばしてクルスは足を引いた。

 懐から薬瓶を出すと一息に中身を喉へ流し込み、瓶を投げ捨てて地面に刺さっていた剣を再び手に取った。

 そうして南側の外壁を沿うように数歩進み、立ち止まって三人へ振り返る。


「これは俺のプライドの問題だ。だから、三人には強制しない。逃げたいのなら、逃げてくれて構わない。俺は恨んだりしないし、生きて欲しいと願う。……むしろ」


最後の一言は誰にも聞こえないほど小さな声で。

 呟いたクルスの目が、桃色の髪の女性、セレスへと向かった。

 だがそれも一瞬だけで、少年はすぐに前を向いて歩き始めた。

 草を踏みながら、クルスが歩く。


 その元に最初に付いたのは、誰でもないセレスだ。

 少年の背に駆け寄り、その背中に手を置く。


「クルス君は本当、いつもそう。誰よりもプライドが高くて、熱血で。いつも周りを顧みないで、自分だけ突っ走ろうとして。そんなの、放っとけないよ」


セレスが動いたのを見て、対抗するようにミレイアが立ち上がって駆けた。


「……ま、まあ、クルス君がそう言うなら。あたしだって"閃光"だし。虫けらくらい、さっきみたいに凍らせてやるわ」


後衛二人が動いたのを見て、レイナルドも苦笑いしながら立ち上がった。

 クルスのやや後ろに立ち、その肩に手を置く。


「後衛二人の内どちらかでも逃げるっていうなら、護衛に付こうかと思っていたが。……お前のプライドの高さに乾杯だな」


背を向けたままの少年の顔が、複雑に歪んだ。

 付いてきてくれて嬉しいような、危険に晒すことになって辛いような。

 少しの間そうして顔を歪ませていたが、すぐに気持ちを切り替えて鼻を鳴らし前を向いた。


「ふん、それでこそだ」

「とは言ったものの、気負い過ぎず行こう。慣れ親しんだ町だ。地形を利用して、一匹ずつ確実に仕留めていけばいい。デカブツも、あの大きさなら近づいてくればすぐ分かる」

「そうよね! あの大きさなら狭い路地なんかまともに通れない筈だし! あんなの無視してちょっとずつ倒せばいいのよ!」


一行は士気を取り戻し、再び動き始めた。


   :   :


 ハシペルの町の外壁には、普段全く使われていないが非常口が存在する。

 四角形の外壁の角付近に一カ所ずつ、人一人分程度の小さな金属格子の扉があるのだ。

 破壊された東外壁を避け、外壁の南東部分にある非常口の格子戸を蹴破って町中へと戻った"閃光"一行。


 町の南東端、外壁の真下の薄暗い町の一角。

 彼らが最初に感じたのは、濃密な死の雰囲気だ。

 方々から聞こえてくる悲鳴と絶叫。

 断末魔に混じって聞こえてくる、肉を叩く液体混じりの打撃音。

 ただの血だけではない、内臓や、引き千切られた腸から漏れ出た排泄物の臭気が混じった臭い。


「……」


セレスが真っ先に顔色を悪くし口元を押さえ、他三人も表情がはっきりと陰りを帯びた。

 聳える外壁一枚隔てて、町の中に地獄が広がっていることを彼らは今はっきりと実感した。


「……酷いな」


呟いたクルスの視界の端で、民家の一階の窓から突然人の手が伸びた。

 身構える一行。

 続いて窓から出てきたのは、小さな少年の上半身だ。

 少年は悲鳴を上げながら窓から逃げようとするが、身長が足らないのか上半身を乗り出すことは出来ても窓を越えることが出来ない。

 悪戦苦闘する少年の目が、クルスを捉えた。


「ク、クルス兄ちゃん!」


見覚えのある少年だ。

 クルス行きつけの靴屋の息子で、年はまだ七、八かそこら。

 十八にも満たない年齢でありながら大の大人を差し置いてこの町で最も活躍しているクルスのことを尊敬していて、靴の新調や手入れで店に赴くといつもキラキラした目で武勇伝をせがんでくる。

 いつかはクルス兄ちゃんに、僕の作った靴を履いて冒険に行って欲しい。

 それが口癖だった。


「兄ちゃんっ、助けて! お願い! お父ちゃんが!」


クルスを見つけた少年が泣きながら手を振り乱し、大声で叫んだ。

 その元へクルスが一歩踏み出そうとした瞬間。

 少年が突如、後ろから引っ張られるかのようにして建物の奥へと消えた。

 建物の中で少年の悲鳴が絶叫に変わり、おおよそ子供の声とは思えない命そのものを振り絞る断末魔を轟かせる。

 次いで液体が飛び散りしたたる音。

 最後に、顎から上と、足首から先が無くなった食べかけの少年の死体が窓から道路へと投げ捨てられた。


「ひっ……!」


上擦り引き攣ったミレイアの短い悲鳴。

 流石のクルスも、目を剥き顔を強ばらせた。

 顔見知りの少年の死に、閃光一行が恐怖に顔を染めかける中、今度は空から灰色の蠅が飛来して少年の死体の奪い合いを始めた。

 ばちんばちんと蠅同士空中で体当たりを行い、勝者と思われる蠅が死体を柔らかくして抱え飛び去る。

 一方負けた蠅は目の前にいた別の閃光(にく)に狙いを定め、

 体当たりしようとしたが直前で急停止し上空へと逃げ去っていった。


「……今のは何故……」


レイナルドの呟き。

 直後、少年がいた建物の壁を破壊して子蠍がぬっ、と姿を現した。

 騎士兜型の頭部の奥にある蠍の眼が、目の前にいる獲物を捉える。

 瓦礫を踏み砕き、真紅に汚れた鋏と口元を曝し、金属甲冑をぎしぎし鳴らしながら一匹の子蠍が閃光の前に相対した。

 恐怖を怒りに変えた一行が、子蠍の眼を真っ直ぐに睨み返す中。


 後ろからも甲冑の足音が鳴った。


「なっ……!」


クルスが後ろを向き、後方からも二匹もの子蠍が現れたことに驚愕の表情を見せた。

 瞬間、即座に踏み込んだ前方の子蠍の鋏を辛うじて剣の峰で受けた。

 止めた鋏を横へ流しつつ顔面へ剣を振り、牽制しながら尾針を避ける位置を取る。


「ク、クルス君! 後ろから二匹も!」

「ミレイアは後ろの一匹を足止め、セレスはレイと組んで退路を維持しながらもう一匹を仕留めろ! こっちは一人で押さえる!」

「で、でもそれじゃクルス君は」

「いいから早くやれっ!」


叫んだクルスが渾身の力で剣を叩きつけ、怯んだ子蠍に追撃を入れようともう一歩踏み込む。

 だがその瞬間、奥にある建物の陰から更にもう二匹子蠍が現れるのがクルス少年の視界に映った。


 いくら何でも五匹は無理だ。

 怒濤の増援に、思わず追撃の手を止め硬直してしまう。

 その隙を突いて反撃を仕掛ける子蠍。


 だがその子蠍も。

 後ろから強烈な打撃音が轟いたことで、驚きのあまり尾針を引っ込めて一歩下がってしまった。


 閃光一行は疎か、子蠍たちすら身を竦ませるほどの衝撃。

 子蠍の増援一匹を頭から一撃で叩き潰し、原型の伺えない青黒い体液の滲む金属塊へと変えた打撃。

 直径四十センチはあろうかという、巨大な鉄球が死骸の上に乗っていた。


   :   :


「ば……馬鹿な……」


洩れたクルスの呟き。

 人の頭より二周りは大きな鉄球の表面には、棘というにはいささか鋭さの足りない、太く短い円錐型の突起が無数に形作られていた。

 鉄球からは持ち手が伸びており、使用者ともども建物の陰に隠れている。


 この町の武具屋の親父が趣味で作った、一メートルを越える柄を持つ最大級の両手持ち星球型鈍器だ。

 鋼鉄の一体成形で作られたそれは重量にして優に三百キロ以上あり、常人では振り回すことは疎か持ち上げることすら敵わない。

 当然武器としての用など成せず、もっぱら力試しのお遊び品として店の一角に置かれていた物だ。

 確かにあの武器なら、人より大きな金属甲殻の蠍ですら容易く叩き潰せるだろう。

 だが。


「一体……誰があんな物を……」


三匹の子蠍と四人の閃光が唖然とする間にも、建物の陰から現れたもう一匹の子蠍は猛然と閃光のいる方向へ走ってくる。

 向かっているのではない。

 後ろにいる存在から逃げているのだ。


 クルスが気づいたのも束の間、建物の陰から大きな人影が一つ飛び出して来た。

 それが閃光らが出撃する直前に見た蹄人に乗る不細工だと気づいた時には、不細工の人差し指にある大きな石の付いた指輪から鏃型の魔法弾が放たれ、逃げる子蠍の足に着弾していた。

 直撃した瞬間白光が激しく瞬き足一本だけでなく、四本の足全てと胴体の下部まで透き通る氷の塊に埋め尽くされた。

 下半身が完全に凍てつき子蠍が動けなくなったのを確認してから、蹄人が迅速な動作で横へ身体を滑らせ身を縮める。


 代わりに現れた彼女が。

 少し重そうにしながらも易々と鉄球を持ち上げ、

 確かな歩みで駆け、

 大きく振り上げ力を込めて鉄球を叩きつけた。


 大地が轟き、石畳が粉々に砕け、黄金の甲冑ごと地面に陥没を作る。

 一瞬で二つの黄金鎧をがらくたに変えたその主が、振り下ろした鉄球はそのままに顔を上げた。


 本来の温和そうな垂れ目は、鋭く細められていて普段の表情の面影は殆どない。

 後ろで編み上げられた明るい茶髪は少しの汗を帯び、前髪の先端にわずかに汗の雫が滲んでいる。

 服装はほぼ茶色と褐色、地味で実用的な、冒険者らしい旅格好。ズボンの上から穿いている分厚い革スカートだけが女性らしさを主張している。

 少女相応の細腕に人間不相応な力を込め、先端の鉄球を持ち上げたその少女が子蠍へ視線を投げる。

 つい先ほど少年が雑魚と評した少女の姿が、そこにはあった。


   :   :


「まだ三匹いる! あと冒険者も一組! 組合で突っかかってきた奴らだ!」


不細工の叫び声と同時に、先行していたピエールと不細工組が再び動いた。


「どいて! 通りづらい!」


ヴィジリオを背に乗せたツキカが鋭く叫びながら再び先頭を駆ける。

 残っていた子蠍三匹は即座に逃げの方針を取っているが閃光組は突然の事態に動くことが出来ず、ツキカは歯噛みしながらも閃光組の間を縫うように走り、不細工が矢継ぎ早に呪文を飛ばしていく。


 放射状に放たれる三本の白矢。

 一匹は避け損なって右半分の足が凍り、二匹が上手く避けてそのまま逃亡に成功した。


 逃げ損なった子蠍が触肢と尾針を渾身の力で振り回して抵抗を試みるが、破れかぶれの抵抗をピエールは意にも介さない。

 尾針の一閃をごくわずかな動きで掠めるように避けると同時に、全身を一回転させ柄の先にある鉄球を横薙ぎに振るう。

 分厚い金属が砕けるのではなく、折れてひしゃげる鈍い音。


 尾針が真ん中の部分から木のように折れたかと思えば、追撃の鉄球は既に高々と振り上げられていた。

 子蠍は慌てて両の鋏を交差させ防御姿勢を取るが、抵抗は無意味に終わる。

 再び地面が揺れ、残っていた最後の子蠍もがらくたと化した。


 遅れて建物の陰からエル・トレア組とアーサーも現れ、七人が集合する。

 ピエールは左手で柄を握ったまま、先端の鉄球だけを地面に降ろし右腕の袖で額の汗を拭った。

 仕草とは裏腹に、そこまで疲労している印象は無い。


「二匹逃した。すまん」

「いえ、あの瞬間で二匹止められれば上出来です」

「……それにしても、本当に凄まじいですな」

「何度見ても同じ人間とは思えん所業だ。トゥルの腕の半分もないその細腕で……」

「でも、ちょっと使い辛いかな。棒じゃなくて、鎖で繋がってる鉄球を振り回して使う方が得意」


叩き潰された子蠍の死体を見下ろしながら、トルスティとエルマが呟いた。

 同じく不細工組二人も、人の手によるものとはとても思えない子蠍の死骸に舌を巻いていた。

 頭から胴までを一直線に叩き潰された黄金色の金属塊。

 青黒い体液を流しながら、凍っていない左側の足だけがまだぴくぴくと痙攣している。


「……君たち、大丈夫かい?」


一段落着いたところで、リストが閃光一行の前へ動いた。

 その手には人が扱うのに現実的な大きさの、無骨な金属製の鈍器が握られている。

 こちらも青黒い体液が飛び散り戦いの痕跡を滲ませていた。


 彼らは、明らかに自分より戦い慣れている。

 それどころか先ほど鉄球を振り回した小娘は、人間の範疇にいるかどうかすら怪しい。

 直感で感じ取ったクルスの剣を握る右手に、力が強く籠もった。


「……お前ら、一体何なんだ」

「僕らも冒険者だよ。たまたまこの状況に居合わせて、これからあの大きな蠍を退治しに」

「ふざけるな!」


言葉半ばに割り込む突然の怒声。

 リストが目を軽く見開いて驚き口を止めた。


「あの親玉を、退治だと! 寝言をほざくな! あれの攻撃を実際に見てもいないお前らが!」

「私と姉さんはありますが」


クルスの叫びに平然と返すのはアーサー。まるで世間話に独り言で返すかのように、閃光一行が出てきた非常口を調べながら顔すら向けず呟いた。


「……あ、あんた、何調子こいてるのよ、臆病者の根かじり如きが」

「さそりアーマーとは過去にニ度戦ったことがあります。一度目は南東大陸南端の砂漠のオアシスを占拠されていたので、撃退してオアシスを奪還。二度目は南大陸遙か西の熱帯林へ、薬草を採取しに向かった際に遭遇して。どちらもあれと同等の成体でしたが、手強い相手でした」

「……は、はっ、何よ、適当な作り話を……」


ミレイアが一笑にふそうとするが、アーサーの手に握られている片手用の鈍器もまた青黒い体液で汚れていることに気づき、語尾を濁らせる。

 それどころかよく見れば、前衛と思しき四人全員が手に持つ鈍器を青黒く染めていた。


「別にあなた方の信用を得る気も得る必要もありません。我々を今まで通り雑魚だと見下すのであれば、それで結構。ただ……そうですね」


非常口の大きさが、巨大な鈍器を抱えた姉や蹄人に乗る不細工組も問題無く通れそうであることを確かめたアーサーが一行を呼び寄せた。

 その片手間に、細まった視線をクルス少年へ。


「状況からして、あなた方は親蠍の相手が出来なくとも子蠍の相手はしようと考えてわざわざここから町中へ入ったのでは?」

「……だったらどうした。何か文句でもあるのか?」

「まさか。むしろその勇気は賞賛に値します。ただ、もし具体的な守る相手、守る場所が無いのであれば組合の建物周辺を重点的に守って欲しいとお願いしたいだけです」

「はあ? 何であたしたちがあんたの」


再び突っかかろうとするミレイアを、クルスが押し留める。


「……それは、あの中央から来たとかいう職員か? 俺たちにお前らの為のお守りをしろと?」

「本部の上級職員という地位にあり現地で直接被害状況を確認出来る彼女の証言があれば、組合本部から復興支援を要請出来ます。彼女が存命であれば、町の復興もスムーズに行えるでしょう。ですがもし彼女がいなければ、支援要請も受理して貰えるかどうか分からない。町のことを思うのであれば、彼女を生かしておいた方が得ですよ」


言うだけ言って、さっさと非常口から外へと出ていくアーサー。

 他の面子も次々躊躇い無く外へ出る中、最後まで残っていたリストが閃光一行に声をかけた。


「……この魔物は、やっぱり剣より打撃武器で叩いた方が有効だよ。特に関節の部分にある、鎧の留め金に似た突起を叩くのが良く効く。こんな非常事態だから仕方ないと思って、武具屋で鈍器とか斧の類を拝借した方がいい。空を飛んでる蠅は、蠍と戦ってる時に横から乱入は殆どしてこないけど気を抜くと空から襲ってくる。動きは見たまま速いし、虫なのに身が凄く硬い。例えるなら安いなめし革ぐらいの硬さかな。まずは盾による面の……」

「王子サン早く行くぞ!」

「……あの親蠍は、僕たちが倒すから。君たちも、頑張って」


閃光一行への忠告は急かされて途中で途切れ、リストも彼らから離れ非常口を抜けていった。

 残された閃光一行。

 非常口を眺めたまま、ミレイアが呟く。


「何よ……、何なのあいつら。余裕かまして、上から目線で、あたしたちをまるで雑魚みたいに……ただの根かじりだったじゃない、獣一匹狩れずに、植物ばっかり採って、買い叩かれても文句一つ言えない度胸もプライドも無い……!」

「……でも、実際にあれだけの力を持っていました。私たちだけじゃ、こんなにあっさりあの蠍を倒すことは出来ません」


そう返すセレスの視線は、叩き潰された子蠍の死体へ向かっている。

 痙攣も停止し完全に動きの止まった金色の屑鉄。真上から一直線に潰されたそれは、どれが頭でどれが胴だったのかすら判別出来そうにない。


「……どうする、クルス。奴らの言っていた通り武具屋を経由して組合の建物まで行くか? それとも」


言葉を遮ったのは打撃音。

 レイナルドの問いかけにも耳を貸さず、クルスは怒りを込めて壁を強く殴りつけていた。

 それは自身の小ささから来る悔しさか、自身を見下されたことへの怒りか。

 怒りの正体は、少年自身にも分からないままであった。


   :   :


「なあ、さっき言ってたサラちゃんの支援の話って」

「嘘です。この町は大陸と半島を繋ぐ重要な町。それに加えてここまでの被害規模なら、彼女がいなくとも支援くらいするでしょう。その為の組合です」

「……彼奴らにサラを守らせる為、という訳か」

「妹さんは随分と嘘が上手ですなあ」


従者夫婦が横目でピエールへ視線を向けた。

 視線で咎められる姉は苦笑いのまま、目を逸らすばかり。

 小声で言葉を交わしながら、一行は閃光が討ち取った子蠍二匹の死骸を越え、外壁の角を曲がり、崩れた外壁に沿って進む。


 そうして。

 一行は東門のあった場所に外から到達し、その場に立つ親蠍の背を捉えた。


   :   :


「では手筈通り。以降の指揮は任せます」

「任された」


アーサーから代わって指揮を執ったエルマの合図で、散開する一行。

 唯一不細工組が、東門跡ど真ん中に残った。


「見れば見るほどおっかねえな……正にモンスターだ」

「大昔には、こういうのがもっと当たり前のようにいたんだって。……人間、よく生き残ってるよね」

「それでまかせじゃねえの? 俺には信じられん」


親蠍の後ろで、小声で交わされるヴィジリオとツキカの会話。

 それが終わると同時に、二人の間にあった緩い雰囲気が嘘のように掻き消えた。


 ヴィジリオが馬上で右腕を前に伸ばして人差し指を突き出し、左手でそれを支える。

 不細工顔から表情も消え失せ、小声且つとてつもない早口での呪文の詠唱が始まった。

 詠唱と同時に右手の指輪に白い光が集まり、集束する光が指輪の石の上で肥大化し、形を変えていく。


 長さニメートルを越える光の矢が指輪の上に現れた。

 囁くような掛け声と同時に飛び出す矢。

 しかし親蠍は発射される直前に振り向き、白矢を視界に収めていた。


「き、気づいてる!」


身構えたツキカの叫び。

 胴体めがけて発射された矢を姿勢を下げて軽々回避し、反転しながら即座に不細工の元へと走る親蠍。

 即座にツキカも反転し真後ろへ逃げ始めた。


「くそっ! あいつ誘ってたのか、それとも試してたのか! せっかくの先制攻撃のチャンスだと思ったのに……!」

「ヴィジリオ、距離は!」

「気にすんな、こっちのが速え! 突っ走れ!」

「分かった!」


小太りを乗せ全力疾走する蹄人の少女から、やや遅れて親蠍が大地を激しく揺るがしながら追う。

 速度は蹄人の走りよりは遅いが、大きさにも関わらず常人の走る速度より速い。

 四つの足をずどん、ずどん、と交互に動かしながら、山のような巨体が猛然と蹄人を追う。


 やがて開けた場所へと到着した二人と一匹。

 ツキカが右へ緩く曲がり、横を向いた不細工が走る親蠍の足下へ呪文を放った。

 今度は無数の光弾だ。

 流石の親蠍も巨体の急停止、急旋回は出来ないようで、右へ曲がって避けようとするが白く光る弾が数発左足を掠めた。


 瞬間、光が弾け透き通る氷に埋まる黄金の左足。

 人間一人なら丸々入りそうな大きな氷だ。

 だが親蠍は特にダメージを受けた様子も無く、一息に力を込めて氷を砕こうとする。


 そうして蠍の意識が氷に向いた瞬間。

 真横からアーサー、リスト、トルスティが奇襲を仕掛けた。

 至近で気づく親蠍。


「オオオオオッ!」


初老従者の口から獣のごとき咆哮が放たれ、両手で振り下ろされた鈍器が黄金鎧の触肢の根元付近を痛烈に殴りつけた。

 親蠍は気づくと同時に鋏で薙ごうとしていたが、勢いが乗る前に根元の部分を打たれたのでは勢いが出ない。


 咄嗟の反撃を正面から打ち返され、一瞬無防備な姿を晒す親蠍。

 続いてアーサーとリストが二人揃って右足の関節部分へ同時に鈍器を叩きつける。

 親蠍は足を殴られながらも触肢と尾針で反撃を試みようと構え、


 即座に三人を無視し凍結を砕いてその場から離れた。


 形振り構わず距離を取る親蠍から一瞬遅れて、忍び寄っていたピエールの振り下ろした巨大鉄球が地面に陥没を作る。

 もしも親蠍が、先に攻撃を仕掛けた三人に気を取られそのまま反撃を試みていれば。

 ピエールの不意打ちを回避出来ず、致命傷は免れなかっただろう。


 だが親蠍は寸での所で本命の奇襲を察知し、痛恨の一撃を避けて見せた。

 それと同時に、親蠍の巨体から滲む雰囲気が変容の兆しを見せ始める。


「……まずいな」

「そうですね」


トルスティの呟きを、アーサーが拾う。

 足の凍結に気を取られた隙に前衛三人が攻撃し、その三人の反対側から気配を隠して駆けたピエールが本命の奇襲を行う。


 その二段階の奇襲は直前で見破られて失敗し。

 親蠍の中にあった、人間に対する油断という千載一遇の好機は完全に消えて無くなった。

 これより彼女は目の前の相手を獲物ではなく、敵として認識し始めたのだ。



   :   :



 彼女には、恥じる、だの悔いる、だのといった感情の動きは存在しない。

 だがもしも彼女が人ならば、今は己の行いを反省していることだろう。


 目の前の群れは、今まで食べてきたあれとは違う。

 戦慣れし、自分を殺せる可能性を持っている。

 逃げ惑うだけだったあれとは雲泥の差だ。

 同じ種類の生物でも、強さに大きな差がある。

 今までの彼女にとって、それはあり得ないことだった。同じ大きさの同じ生物であれば、どんな個体でも同程度の戦闘力を有していた。不調を抱えていて通常より弱いということはあっても、同じ種類の別の個体より飛び抜けて強い、などという生物には会ったことがない。

 それとも、この生物はこれが本来の強さで、今まで食べてきた奴らは皆何かしらの問題を抱えていたのだろうか?

 ……彼女にはそうは思えない。が、どちらにせよこれは彼女にとって大きな失敗だった。

 襲うに任せた我が子のことが気になる。

 もしも同程度の能力を有したあれが他にもいたら。子供たちでは分が悪く、逃走すら難しいかもしれない。

 早くこの群れを退け、子供たちを捜さねば。


   :   :


 現在彼女の注意は、呪文を唱える素早くてヘンテコな形をしたあれと、大きな球を振り回す小さなあれに殆どが向けられている。


 呪文を唱えるあれは、中々強い呪文を扱う。

 無数に撒き散らされる光の弾は大きさの割にかなりの威力を有し、意識していれば回避は容易いにしても動きをかなり制限される。

 追いかけるには動きは機敏で、真っ直ぐ走っても追いつけそうにない。仕留めるには何か一計案じなければならないだろう。


 大きな球を振り回すあれは、目の前にいる群れの中で最も危険な個体だ。

 もしもあの球で殴りつけられれば、重傷は免れない。

 鋏であろうが直撃を受ければ、使い物にならなくなってしまう。もしそうなればこの場は凌げても名も無き乾燥地帯に戻って暮らす望みが更に遠ざかってしまう。

 故にこの球を振り回すあれは、確実に対処しなければならない。


 自身の側面へ回り込もうとする球持ちを、彼女自身も回転して側面へ回らせまいとする。

 回るのを止め、静かに構える球持ち。彼女を一心に見据え、強く警戒しているのが分かる。


 彼女が動いた。

 一歩踏み込み、右の触肢を地面すれすれに突き込む。

 平地に響く踏み込みの足音と、薙がれる右鋏が地面を削る音。


 だが当たらない。

 低く薙いだ一撃は、逆に飛び跳ねることで回避されてしまう。

 反撃を仕掛けようとする球持ちを左の触肢で牽制し、更に踏み込んで攻撃を狙うが右の触肢を再び振り被ったところで今度は後方から光弾が飛来した。

 真横に移動して避けながら攻撃を続行するが、避けながら放った不正確な攻撃は球持ちにあっさり避けられ、その上彼女自身が避けた先には既に別のあれが待機していて足を打たれる。


 彼女の周囲に付き纏う三体のあれは、一発一発の威力こそさほどでもないものの足の同じ場所だけを執拗に狙って打ち据えて来る。

 足にはじわじわとダメージが蓄積し、そのままでは機動力が削がれてしまうかもしれない。

 依然として苦戦を強いられる、彼女の心境や如何に。



   :   :



「がああああっ!」


ピエールが絶叫と共に真横へ振り抜いた鉄球が、親蠍の鋏を上方へと打ち払った。

 真上からの振り下ろしではない為威力は低いが、それでも親蠍の攻撃をいなすには十分だ。


「右腕側から呪文、地走り閃光だ! 視線は向けるな、前後に動いた隙を狙え!」


離れた位置から戦況を観測するエルマが飛ばした指示に従い、ピエールが鉄球を構えて様子見の姿勢を取り、アーサーが姉のやや後ろ、リストとトルスティが親蠍の後方に駆けた。

 次いで蠍の右側から、ヴィジリオが飛ばした無数の呪文の光が放射状に地面を走り親蠍へと向かっていく。


 身構える親蠍が、がしゃがしゃ甲殻甲冑を揺らしながら自身に迫る呪文を避けようと真後ろへ交代した。

 その途中、蠍の眼が呪文と、奥にいる不細工組へちらりと向かった瞬間。


 光が爆ぜた。


 放たれた呪文は目潰し用の強烈な閃光呪文。七人は光が目に入らないよう防いでいたが、親蠍は真正面から光を浴び一瞬視界が失われてしまった。


 光が消え、大仰にたたらを踏む親蠍。

 四人がその隙を逃すまいと一歩踏み出した、その瞬間。


 よろめいていた筈の親蠍の動きに一瞬にして硬く力が入り、姿勢が下がった。


 両の鋏を引き、胴体へと縮こめる。

 防戦一方な上視界を奪われていた筈の蠍の眼に宿る、今までとはまるで異なる確かな殺意。

 優勢だった筈の前衛たちの背筋を、凍てつく氷舌で舐められるような悪寒が走った。


「まずい、回る気だっ!」


姉妹が吠えると同時に、親蠍の足が跳ねる。


 もしも彼らが、この町の人間相手に行った親蠍の最初の行動を知っていたら。

 自身を弱く、不利に見せ、油断を誘って引き込む手段を取ったことを知っていたら。


 対応はまた少し違っただろう。

 しかし彼らはそれを知らず。

 尾針という最大の武器を未だ用いてこないことを警戒していながらも、有利な状況に一瞬、瞬きほどの間だけそれを緩めてしまった。


 その油断を、親蠍は待っていたのだ。


 足に力を込め、尾針を真後ろへ伸ばした親蠍が。

 そのまま横回転した。


 黄金の巨体が化け物じみた速度で横に回り、追従する尾針が周囲一面を薙ぎ払う。

 引き裂かれた空気が発する、ぶぉん、という低く短い轟音と、何かの激突音。

 巻き上げられた土埃は分厚い渦となり、周囲一体を茶色く覆う。


「な……に……」


土埃の壁の中でも、隠し切れずはっきりと見える親蠍の頭。

 そのあまりの威力にエルマが目を大きく見開く中、土埃の中から叫び声が届いた。


「おっちゃんとアーサーがやられた! 一度退いた方がいい!」


その叫び声はピエールのもの。

 続いて聞こえる二つの落下音。

 一つは土埃の中へ、もう一つは。

 腿から下をぐしゃぐしゃに叩き潰されたトルスティの大柄な身体が、親蠍から数十メートル離れているエルマの眼前へ落下した。

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