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姉妹冒険者物語  作者: 並野
死闘・蠍鎧
66/181

05

 彼女ははぐれ者であった。

 彼女の本来の住処は腰細森を西に抜けた遙か先。熱砂が竜巻の如き渦を成し、凶悪な魔物たちが跳梁跋扈する人の手の一切及ばない乾燥地帯である。

 異常なほど高い気温と皆無に等しい降雨。砂は多量の金属を含み、日差しによって焼けた鉄のように熱を持ち生き物を襲う。


 しかしその厳しい自然環境に反比例するかのように大地には魔力が満ち、強い魔力を中心とした自然淘汰の中に生きる魔物たちは皆強大であった。

 地中を掘り進む、彼女をも丸飲みに出来そうなほど巨大なワーム。

 群れ集まって生物の死骸に擬態し、寄ってきた相手を呪文による粘性の捕縛糸で雁字搦めにし生かしたままゆっくりと貪り食う腐敗臭を発する蛸に似た触手の群体。

 強烈な光と熱線で射線上の全てを焼き殺し、死骸の魔力を啜る燃え盛る火炎状の魔力生命体。

 そんな魔物たちの中で生きる彼女もまた、名も無き乾燥地帯では強豪の一角である。


 彼女はかつて、仲間と共にあった。

 三匹の仲間と共にとある岩窟を根城とし、日中は窟の内部で日差しから隠れ、夜間は四匹で獲物を求め夜の大地を徘徊する。

 やがて彼女も子を儲け、順風満帆の生活に思えた矢先のこと。

 彼女たちは襲撃を受けた。


   :   :


 彼女たちが住む岩窟は、すぐ近くに小さいながら湧水が流れているという極めて恵まれた場所だった。

 水を求めてやってくる獲物を捕まえやすい為、性質柄飲み水はほぼ不要ながらも彼女たちは間接的にその湧き水を利用していた。

 だがその恵まれた環境を求めて、相手は襲撃を仕掛けて来たのだ。


 襲撃者は、一匹の巨大な蜘蛛であった。

 どす黒い胴と異様に細長い足を持つ不気味な大蜘蛛は、雷の呪文を軽々と操り単独で彼女たち相手に対等な戦いを繰り広げて見せた。

 網目状に広げられた紫色の電撃が岩窟内で暴れ狂い、彼女たちの甲殻の上から内部に損傷を与える。

 争いは半日続き、三匹の仲間は討ち倒されて糧となり彼女だけが子を連れ命辛々逃げ延びた。


 だが、岩窟を追われた彼女を次に襲ったのは過酷な自然と魔物たち。

 単独で生まれたばかりの子を連れた彼女は他の魔物の格好の標的であり、子を庇って戦う彼女はいつしか疲弊し、複数の子を失い、やがて名も無き乾燥地帯そのものからも追いやられることとなった。

 そうして彼女は宛もなく放浪し、腰細森へと流れ着いたのだ。


   :   :


 広大な腰細森を、彼女は子を連れさまよった。

 森の生物は乾燥地帯の魔物に比べれば遙かに弱く、彼女たちは安全且つ簡単に飢えを満たすことが出来た。

 だが、魔力に乏しい上に生物としての格も低い獣などでは彼女たちは真の意味では満たされない。

 その状況を人に例えるならば。

 住居と仲間を奪われてスラム街に逃げ延び、溝鼠と痩せ犬、それに汚水の流れを口にして生きているかのようなものだ。

 彼女たちは腰細森を安住の地とすることはなく、かといって名も無き乾燥地帯に戻れるほどの力も未だ無く、森をさまよい西から東へ、腰細道へふらりと現れたのだった。


   :   :


 そこで出会った獲物は、森の獣よりは多少ましであった。

 大抵は不味いただの肉であったが、中には美味な肉もある。

 しかも、腰細道(そこ)で待機していれば何故か勝手に喰われにやって来る。

 彼女たちは暫しそこに腰を落ち着け、半ば入れ食い状態でそれを口にした。


 だがその獲物の流れも、何故か途中でぱったりと途絶えてしまう。

 物足りない。

 もっと食べたい。

 あれが来た方向を辿れば、もしかしたらまた見つかるかもしれない。

 そうして彼女は、道を辿ることにした。


   :   :


 彼女の狙いは的中した。

 道を辿った先にはあれの巣があり、近付くとあれが沢山湧いて出てきた。

 しかも、弱いながらも目の前で呪文を使って見せた。つまり魔力を帯びたものもいる。


 彼女は大量の獲物を前に、済ませるべき仕事を一つこなすことに決めた。

 子供の狩りの練習だ。

 彼女は一計を案じて獲物を十分に引き寄せてから軽く一掃し、獲物に恐怖を植え付けた。

 あとは逃げる獲物たちを、子供に追わせる。

 中には苦し紛れに反撃してくる個体もいるだろうが、大半は恐怖に駆られ逃げている。

 それくらいで丁度よい。

 初めから子供に厳しい戦いを強いるのも酷というもの。まずは追いかけて、自分の力で仕留めて食べるところからだ。

 子供たちには早く戦う力と技術を身につけて、元の住処で生きていけるようになって欲しい。

 彼女は魔物で蠍だが、純粋に子を想う母親でもあった。


   :   :


 彼女が自身の獲物を口にし終え、子へ意識を向けると彼らもちょうど一通り食べ終わったところだった。

 だが、問題が一つ。

 どうやらあれが巣の出入り口を塞いだ為、子供たちが中に入れなくなっているようだ。

 未だ小さい子供たちでは、あの出入り口をこじ開けるのは不可能。

 であれば、少しくらいは親が手助けしてもいいだろう。

 彼女が再び動き出した。



   :   :



 無人だった武具屋から、無断で武具を拝借した一行。

 現在は再び東門へ向けて駆けている。

 隊列は先ほどから変わり、ピエール一人が少し離れて位置取っていた。

 小道を抜け、東門が遠くに見える大通りに飛び出したところで。

 七人が突然何かに敏感に反応し、東門へ視線を飛ばしたまま一瞬で散開した。

 町を歩く町民たちが、謎の反応に戸惑う。


「……今、動いたな?」

「でしょうな。そして恐らく、何人かが」


初老従者の言葉半ばで、七人の反応から遅れて遙か遠くから複数人の甲高い絶叫が聞こえてきた。

 町民たちにも流石に緊張と不安が芽生え始め、一行は警戒心を滲ませながら先ほどより遅い足取りで門へと向かう。


「今の叫び声ってやっぱり」

「多分、攻撃したんだと思う。僕でもはっきり分かった」

「人の気配も沢山消えたよ。一発で何人も殺されてる」


リストとピエールの返事を聞いて、不細工の顔に脂っぽい冷や汗が滲んだ。


「ヴィジリオ、ベルトはちゃんと繋げて固定した?」

「あ、ああ」

「絶対あたしから離れないでね。危なくなったら、あたしのバランスとか考えずに避けて、あたしを盾にしてね」

「やばいか、これ」

「相当。いつかのゴートドンより怖い」

「……あの時って、俺もツキカも身体の三分の一くらい黒焦げにされて、仲間の魔法使いが生きてなかったら間違いなく死んでた奴だろ。あれ以上かよ……」


不細工組の会話が不穏な雰囲気のまま終わったところで、アーサーが口を開いた。


「一応皆さんに提案しますが。今からでも、町を見捨てて逃げるという手が残っています。子連れも組ほどではありませんが、相当な難敵です。何事も、命あっての」

「流石にここまで来てそれはないよ。……だよね、ピエールさん?」


割り込むリスト。

 離れた位置にいるピエールへ話を振ると、彼女も真剣な顔で一度頷いた。

 アーサーが一応、とばかりに視線を従者夫婦に巡らせるが、対応は変わらない。


「俺としては、正直それもアリかなって気はし始めてるんだけどな。……ま、お前らをこのまま放っぽって逃げるのも寝覚めが悪い。……それに」


ツキカの背に揺られるヴィジリオが、横目でピエールが握る得物を眺めた。

 馬の背に揺られ脂ぎった冷や汗を散らしながらも、その不細工顔には不敵な笑みが浮かんでいる。


「希望はありそうだ」


   :   :


 いよいよ一行の前に東門がはっきりと見え始めた。

 まず注意を引いたのは、半開きになった門の奥、町の外から必死で門めがけ逃げてくる冒険者たちと、それを追う子蠍の群れ。

 そして何より、外壁の上にびっしりと鎮座する蠅たちだ。

 その蠅の姿を捉えた瞬間、もっとも大きく反応したのは蹄人のツキカ。

 全身を震わせ、盾を握る手の力を一層強めた。


「……本当にいる。しかも沢山……」

「焼くか?」

「止めておけ、数が多過ぎてきりがない。魔力を無駄にするな」

「でもよお、じゃあどうすんだあれ」

「放置するしかないでしょうな」


軽く言い合っていると、直に門の側まで到着した。

 それと同時に逃げ出していた冒険者たちの先頭が門をくぐり、くぐった途端後続のことなどおかまいなしに門を無理矢理閉め始めた。

 慌ててリストが制止しようとするが、あっという間に引き上げ式の門は地面に突き刺さってしまう。


「おい! お前たち、何をしているんだ! 後ろにまだ逃げている人がいるじゃないか!」

「じゃあお前が開けとけ! そのまま喰われてろ!」


引き留める間も無く冒険者たちは脱兎の勢いで逃げ去り、王子の目の前で閉め出された冒険者たちが懇願と絶叫と断末魔の中子蠍たちに襲われ捕食されていく。

 門へ駆け寄ろうとするリスト。


 その手を、トルスティが強く掴んだ。

 力加減の全くされていない手にリストが顔をしかめトルスティへ非難の眼差しを向けたが、初老の従者は門へ視線を張り付かせたまま余裕の無い顔で微動だにしない。


「……全員、下がれ。来るぞ」


地響き。

 発言の直後に発された揺れは、襲撃の初期の頃からうっすらと感じていたもの。

 今ではそれが目と鼻の先にあるかのように近く感じられ、

 巨大な足音がだんだんと近くで轟き、


「もっと下がって! 何か仕掛けてくる!」


一斉に散開する子蠍と蠅。

 直後。

 ハシペルの東外壁は崩壊した。


   :   :


 一行が咄嗟に建物の陰に隠れる直前、現れたのは外壁の内側に突然生えて来た黄金の巨槍。

 丸太のような太さの先端が尖ったそれは突如外壁をぶち抜き、右から左へと一直線に石組みの壁を薙ぎ倒して左へ消えていった。

 吹き飛ぶ瓦礫は硬貨程度の大きさのものから、果ては人間大。

 殺人的な威力で吹き飛ばされた瓦礫は付近の建物の壁を容易く破壊し、柱を打ち砕き、射線の通る真後ろへ逃げていた者たちの身体に食い込み、または身体そのものを四散させた。


 壁の根元が吹き飛んだ衝撃から一拍遅れて。

 均衡を欠いた外壁や物見櫓がゆっくりとぐらつき、総崩れになった外壁の瓦礫が町そのものを揺るがす轟音を立てて倒れた。


 ごおぉ……ん。

 物見櫓の最上部にあった鐘が地面に落下し、空気がたわむような低く鈍い音を響かせる。


「でっけえ呼び鈴だなオイ、ノックはもう少し優しくしろよ……クソッ、いてえ」


咄嗟に建物の後ろに隠れていた一行。

 真っ先に不細工が、絞り出すような悲痛な皮肉を叩いた。


「ヴィジリオ、ヴィジリオ!」

「ああツキカ、怪我は無いか……?」

「う、うん、あたしはどこも痛くないよ」

「おい、どこをやられた」


姿勢を立て直した一行。

 姉妹とリストが建物の陰から状況を偵察し、怪我人の手当に入る。

 立ち上がったエルマが確認すると、ヴィジリオの左足の服が真っ赤に染まっていた。

 トルスティがナイフで服を切り赤く汚れた布をどければ、そこにあったのは不細工の生っ白い肉厚な足に食い込む拳大の瓦礫。

 見れば、隠れていた建物の壁にも一つ穴が開いている。

 どうやらこの瓦礫は尖っていたからか建物二つ分綺麗に貫通し、隠れていたヴィジリオの腿に突き刺さったらしい。


「へへ、随分派手に刺さってやがる。俺は性別的には刺される方じゃなくて刺す方なんだけどな」

「下品な軽口を叩けるようなら遠慮はいらないな。トゥル、唱え始めたら抜いてくれ」

「お、おい待て、初めてだからもっと優しく……」


エルマが小声で呪文の詠唱を始めたのを合図に、トルスティが食い込んだ瓦礫を一息に引き抜いた。


「ひぎえっ」


情けない不細工の悲鳴と同時に中年女の手から呪文の水流、次に桃色の治癒の光が溢れ、水で流し光を注いだだけでヴィジリオの足からは大きく開いた穴はすっかり無くなっていた。

 残ったのは大量の血痕と、傷のあった場所だけうっすら違う皮膚の色と、白く肥えたもも肉に生えた濃いすね毛。

 内部では瓦礫が掠って骨が折れていたのだが、それさえ本人が気づかない内に完治済みだ。

 エルマは治療を終えた不細工の足には何の興味も無いのかぞんざいに押しのけ、ツキカの胴体に軽く触れて異常が無いかを確かめる。


「貫通はしていないようだな」

「ヴィジリオの足が太いからそこで止まった」

「……俺の脂身もたまには役に立つもんだな」


不細工の手当が終わり、トルスティが遅れて三人と共に建物の陰から顔を出した。

 瓦礫の山。

 町の一角は、最早そうとしか形容出来ない。

 吹き飛んだ瓦礫の礫で東外壁のすぐ近くにあった建物は柱から壁から完全に破壊され、倒壊して瓦礫の上に屋根の痕跡が残るだけ。

 同様に石畳も、どれが本来の石畳でどれが飛び散った瓦礫なのか判断が付かない。


 そして何より、東外壁。

 石組みだったおかげで、砕けた石の山にしかなっていない。木製の門も埋まってしまったのかどこにもなく、視界に存在する石以外の物体は物見櫓の屋根と、大きな鐘だけだ。


「……」


目の前の状況を前に、四人が言葉も無く息を飲んだ。

 体勢を整えた後ろの三人も、続いてそれを見て言葉を失う。

 建物も外壁も、視界を遮る物は失われた。

 つまり、その奥にいるのは。


「あれが……」


瓦礫の後ろで仁王立つ黄金の巨鎧。

 一行は、ついに親蠍をその目に捉えた。


「……さて、どうするよ。このまま戦うのか?」

「まずは外に出たい。町中で戦うのは危険です」

「なら脇をすり抜けるか、奴をもう少し引き込ませるしかありませんな」

「すり抜けていいと思う。あいつまだあたしたちに注意が向いてないし、壁が大きく壊れてるから視界の隅からでも抜けられそう」

「そうだね。あんまり引き寄せても町が危ないよ」

「ではそれで。南側の外壁沿いに、残ってる建物や瓦礫の山に隠れながら行きましょう。……それと、恐らくこれから蠅が動きます。上にも気をつけてください」


アーサーが付け足した直後。

 曇り空の天井を、灰色の無数の点と幾重にも重なる蠅特有の羽音が覆い始めた。

 空を見上げる一行。

 その中でも、特にツキカが露骨に反応し、苦々しげに顔を歪める。


「死神の使い走りが……」


アーサーからは死体強盗、ツキカからは死神の使い走りなどと呼ばれ、一身に恨みを買う灰色の蠅。

 またの名を、風葬蠅とも言う。


   :   :


 門を破られてからの最初の犠牲者となったのは、東門から近く、だがやや離れた位置の住民たち。

 門のすぐ近くにいた住民たちは冒険者の断末魔やただ事ではない雰囲気に気づきすぐに逃げ出した為、気づくのが遅かった中で最も近くにいたのが彼らだったのだ。


 とある建物の一室に、一人の男がいた。

 以前ピエールに獲物の横取りを咎められ、騙し討ちをしたにも関わらず返しの一発で即座に昏倒させられた男だ。

 男は巨大な魔物の襲撃になど何の興味も示さず、普段通り強請りや横取りに勤しみ稼いだ金で酒を大量に飲んだ翌日だった。


 鐘の音が鳴ってまた止み、事態が収集したのかと思った矢先。

 男の耳に届いたのは、外壁が破壊される轟音だった。

 流石の男も異変を察知し、マイペースに身支度を整えて建物を飛び出して。

 遠くから走ってくる住民たちと、鎧姿の何かを視界に納めた。


「……なんだ、ありゃあ」


無意識に発された呟き。

 二日酔いの残る頭で漫然と眺める男には、どうも鎧姿の大きさがはっきりしない。

 逃げる住民と同じ大きさのような、そうでもないような。

 だが逃げる者と追う者がだんだん近づいてきた辺りで、鎧姿の大きさが人間より一回り大きいことに気づいた。

 逃げる住民たちも男に気づき、逃げながら息の上がった喉でかすれた絶叫を響かせた。


「たすっ、助けてください冒険者さま! 魔物が! 魔物が壁を壊して中にっ!」


ぼんやり眺めていた頭が急速に覚醒し、更に恐怖で凍り付いていく。

 あんな魔物は見たことがない。

 ましてやあれほど派手な轟音を響かせるほどの魔物。


 状況を察した男は、この場における最悪の最善手を迷うことなく実行した。

 置いてあった立て看板を抱えて、逃げる住民へと投げつける。

 走り続けて疲労していた住民は予想外の行動に反応も出来ないまま看板にぶつかり、姿勢を崩して怨嗟の声を上げる間も無く鋏によって串刺しになった。

 鎧の群れが立ち止まり人間だったものをざくざく挟み潰し始めたのを確認してから男は背を向け自身も逃げ出し、


 足を踏み出したところで真正面から突っ込んで来た灰色の何かに膝を叩き砕かれた。

 酒焼けした男の絶叫が町に轟く。


「何だ、何だ今のは、何がっ」


顔面を石畳に擦り付けながら、慌てて空を見上げた男。

 その視界の先にいたのは、中型犬程度の大きさがある灰色の蠅だ。

 身体の形は楕円の球体で、手足は細く身体にぴったり張り付くように折り畳まれている。

 今目の前にいる蠅は二匹組で、離れた場所から男を観察しているように感じられた。


「くそがっ、この虫けらがあっ!」


半狂乱になった男が腰の鞘から剣を抜き、蠅めがけて全力で突き出した。

 だがそれはあっさりと避けられ、続いてやたらめったら振り回した剣の切っ先が蠅の胴に食い込むもまるで木の幹に刃物を突き込んだかのような、おおよそ虫とは思えない堅牢な筋肉に阻まれて薄皮一枚裂けずに終わる。

 直撃にも関わらずこの結果に、男が絶望を滲ませた瞬間。


 もう一匹の蠅が後ろから身体を叩き付け、男の背骨が叩き折られた。

 再びの絶叫。


 男は剣を手放し涙すら流しながら身体を丸めようとしたが、思うように動かない上に怒濤の乱打を仕掛ける蠅によってすぐに命も尽き、死体になってからも執拗に体当たりを続けられ、男だったものはただの皮膚に包まれた挽き肉と化した。

 程良く柔らかくなった肉入り皮袋を、二匹の蠅は力を併せて持ち上げ飛び去っていく。

 後には体当たりの衝撃で壊れた石畳と、少し滲んだ体液の跡だけが残った。


   :   :


 風葬蠅。

 高い飛行能力と、高密度の筋肉が詰まった全身での体当たりを武器とする蠅の魔物。

 彼らは機敏に空を飛び交い、獲物を見つけると短い足を折り畳み球状と化した身体で強烈な体当たりを見舞ってくる。

 そうして獲物を叩き殺し、ぐずぐずの肉塊にするとそれを運び飛び去っていくのだ。

 一説によるとどこかに隠れて巣を作り、死体に卵を産みつけて幼虫が育つまでの食料にしている、と言われているが真偽は定かではない。


 戦闘力は魔物としては低いが、死体を浚われれば遺品は疎か弔うことすら出来なくなること、走って逃げるのが非常に難しく無防備な村や一般人が襲われると被害が大きくなりやすいことなどから、存在を知る者からは忌み嫌われる魔物だ。

 この魔物の群れに襲撃された場合、建物の中に籠もって隠れているしかない。もし慌てて空の下へと飛び出せば、その瞬間簡単に発見され文字通り"袋叩き"にされることだろう。


   :   :


 地を駆ける子蠍たちが、施錠された扉や壁など意にも介さず叩き壊し、建物の中にいる住民を強襲する。

 子蠍を恐れ建物を出て逃げる住民は、目聡く見つけた風葬蠅が"柔らかく"して浚う。

 外へ逃げれば蠅、中に籠もれば蠍。

 妻子を庇った夫が子蠍に八つ裂きにされれば、子蠍の入ってきた建物から逃げた妻子が蠅に叩き殺される。


 戦闘経験の無い一般人が振るう剣は蠅の筋肉を断てず、よしんば蠅一匹殺したところで空にはまだ数百もの蠅が飛び交っている。

 子蠍の方は矢や刃の攻撃を甲殻甲冑の厚い部分で防ぎ呪文の光弾だけを避けることを覚え始めた為、殆どの個体が傷一つ付けられていない。

 その上子蠍は食事の選り好みまでし始め、自分の手で捕まえておきながら"不味い"肉は一かじりして捨てる始末。

 見る見る内に町を血肉と悲鳴と断末魔が満たしていく。

 町が地獄と化していた。

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