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姉妹冒険者物語  作者: 並野
死闘・蠍鎧
65/181

04

 けたたましい鐘の乱打音が、砂地に注がれる水の如く町へ浸透していく。

 そして、鐘の音に紛れそっと響くもの。

 地響き。

 何か巨大なものが、地面に落ちる振動。

 距離が遠く本当にかすかだが、ピエール、トルスティ、ツキカの三人が地揺れを感じ取った。

 朗らかな初老男の顔から完全に柔らかさが消え失せ、蹄人少女は表情をそのままに、馬の尾をピリピリと微振動させ始める。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 本当に? 本当にここに攻めて来た? しかも、子連れ?」

「……姉さん、具体的な匹数は分かりますか」

「分かんない。小さいのがいっぱいと、大きいのは一体。それから、大きいのの側とか上に中くらいの」


ピエールの返事に俯いて思案する妹と、我先に飛び出そうとするリスト。

 リストがトルスティに手を掴んで制止され、アーサーが顔を上げたところで今度はクルスたちが動き出した。


「……丁度いい、こちらから出向く手間が省けた。行くぞ」

「待っ」


クルスたちを呼び止めようとしたピエールの口を、寸でのところでアーサーが押し留めた。

 ピエールが呼び止めなかったことで、閃光の四人は組合の建物を颯爽と出て行く。

 閃光が去った後で口元の手を離されたピエールが、即座に振り向いてアーサーを睨みつける。


「アーサー、今のは何」

「彼らには囮になって貰います。その間に我々は武具屋へ。向かうのは必要な物を確保してからです」

「……囮、だって?」


囮という言葉に反応し今にも食ってかかろうかというリストに、アーサーが機先を制して早口でまくし立てる。


「放置していたら町中を好き放題荒らされる。かといって今の装備のままでは武器が足りない。彼らや他にいるであろう冒険者を囮にして外で時間を潰して貰うか、彼らに相手をさせず町中に招待するかのニ択です。もしも私やあなたにその剣で奴らに有効打を与えられるほどの能力があれば、武器の調達などせず直行出来ますがね」


姉やリストの反応を待たずアーサーがするりと組合の出口まで移動し、扉を開けて鐘の音が鳴る方角へと目を向けた。

 しかしここからでは視線が通らず何も見えなかったのか、今度は組合の壁に手をかけ建物を登り始めた。

 およそ三階程度の高さまであっという間に登り終えたアーサーが、改めて目を向ける。


 視線の遙か遠く。

 白く濁った曇り空に、突き出た町の外壁と見張り櫓。

 更にその奥で、かすかに見える空を飛び交う何か。

 目を細めて暫しそれを睨み、飛行体の同定を済ませたアーサーが建物内へ戻った。


「サラ、絶対外には出ないで、組合内の地下室か、窓の無い密閉された部屋に籠もって隠れていてください」

「アーサーさん、何が」

「死体強盗がいます」


   :   :


「次の十字路を右へ」


中央道へ躍り出た七人。

 右側に位置取るアーサーが、まるで何事も起きていないかのような平然とした口調で先頭を並んで進むツキカとピエールに指示を出した。


 町の雰囲気は、ぴりぴりとした緊張感に包まれていた。

 人々は足早に帰路を急ぎ、或いは出店を畳んでいる。

 だが、その程度だ。

 今現在魔物に襲撃を受けている、などという雰囲気は少しも無い。

 嵐が来そうな前兆があるので、家に帰って少し備えをしておこうかな、位の意識しか無いのが住民たちから透けて見えている。

 一方それは、七人の中の数名も同じことであった。


「……一応聞いときたいんだけどよ。町に攻めてきたっての、勘違いじゃねえよな?」


小走りで町を進むツキカに揺られながら、不細工が呟いた。

 町の住民たちには恐怖など見受けられず、鐘が鳴っているというだけで非常事態な気分になっている自分たち、特に姉妹二人が浮いて見えるのだ。

 それはリストも同じのようで、いまいち釈然としていないような顔をしている。


「もしも全部勘違いで町が滅ぶほど危険な襲撃者などいなかったのなら、その時は存分に私たちを笑って下さい」

「いや、笑いはしねえけどさ……」


歯切れ悪く返すヴィジリオ。

 リストは併走しながら、視線を従者夫婦へ向けた。


「ねえ、二人はどう思ってるの? 僕も何だか自信が無いよ」


問われたエルマは、自身も隣の夫へ問いかけの眼差しを向けた。

 二人の目線を受けながらも、前を向いたままの初老男が口を開く。


「……二人とも、そろそろ気づきませんか?」


静かな一言。

 逆に問い返されたリストは疑問符を浮かべて首を捻ったが、エルマの方は問われてようやくそれに気づいたようで、元から堅かった表情を更に険しくした。


「何の話だ? 俺にも教えてくれよ」

「ヴィジリオは多分あたしに乗ってるから分かんないんだと思う。あたしははっきりと分かるよ。……何か重いのが、どしんどしん地面揺らしながら近づいてる」

「間隔からして、歩く音でしょうな。……走る訳でもなく、ゆっくり歩く音でここまで鳴るのは流石に予想外でしたが」


走りながらも、地面に意識を集中するリスト。


 どしん。

 ……どしん。


 それはまるで、すぐ目の前で誰かが木槌を地面に振り下ろしたかのような。

 微かな地鳴りが、定期的に鳴っていた。


「……本当だ」


気づいたリストの頬に、冷や汗が一雫滲む。


「トゥル、これは大丈夫なのか」

「さて、どうでしょうな。尻尾を巻くにしても、実際に目で見てからにしましょう」


従者夫婦の小声のやりとりを後目に、ヴィジリオが一言。

「俺、全然分かんねえや……」


   :   :


 暫し町を駆けて。

 一行は、剣と盾を模した看板が掛けられた建物の前へと到着した。

 先頭のピエールが扉に手をかける。

 が、開かない。


「鍵かかってる」

「おしツキカ出番だ、後ろ足で蹴破ってやれ」

「ちょっと、待った待った! そんなことしたら強盗じゃないか!」

「じゃあどうすんだ? 開店時間まで待つか?」

「中の人に呼びかけて開けて貰えばいいじゃないか!」

「じゃあ今すぐ呼んでみろよ! 明らかに中にいねえだろ!」


扉を前にして、リストとヴィジリオが言い争う中。

 ピエールがちらりと視線を向けると、アーサーが無言で扉の前へと移動した。

 鍵穴があることを確認し、覗き込み、ベルトポーチを探って金属棒を何本か取り出した。

 あるものは折り、あるものは複数本ねじるなどして形を調節してから鍵穴へと差し入れる。

 かちかち、かち。


「開きました」


王子と不細工が唖然とする中、わずか十数秒で鍵を開けて中へ滑り込むアーサー。

 どこまでも余裕の態度だ。


「……鍵開けの古代呪文でも覚えてんの? アーサーちゃん」

「こんな田舎町の扉如き、大層な鍵は使われていません。構造を少し学べば簡単に開けられます」

「あ、そ、そう……」


平然と鍵開け技術を披露するアーサーに引き気味の二人。

 一方従者夫婦、特にエルマの鋭い目がピエールへと向いた。


「姉よ。一応聞いておくが、貴様らこの技術を用いて盗みなど働いていないだろうな」

「えっ? い、いや……えっと、ちょっ、ちょっとだけ……」

「……なんだと?」


予想外の返事に二人の目が鋭く光る中、アーサーが耳聡く聞きつけ擁護に入る。


「今のような、形振り構っていられない非常時には何でもします。ですがそれ以外の状況で私欲の為に罪を犯す気はありません」

「本当だろうな?」

「勿論」


従者夫婦は未だ疑わしげな表情だったが、それ以上の追求をする気は無いらしい。

 武具屋に到着した一行は、リスト以外何の躊躇も無く店の品を漁り始めた。



   :   :



 時は戻って。

 非常事態の鐘の音が鳴り、東門へと駆け出した"閃光"の一行。

門までの道をいくらか進んだところで、同じ方向へ進む同業の姿が増え始める。


「よおこれは"閃光"様、奇遇だね」


肩にクロスボウを担いだ陽気で快活そうな青年が、親しげな口調で閃光の一人、セレスへと声をかけた。


「ええ、こんにちは。あなたも防衛に?」

「まあな。町を襲おうなんて不届き者は、俺たち冒険者が鉄槌を下してやらんとな」


そう言って得意げに笑う男へセレスは穏やかな笑みを返していたが、先頭のクルスは冷ややかな目で相手を一瞥するに留まった。


 こいつはよくいる口だけの輩だ。

 手にする弩弓は流石の威力で、狙い撃った時の精度も上々。

 だが、それだけ。

 立ち止まって狙わないとろくに当てられない。

 いざ獲物に肉薄されると一人では対応出来ない。

 一射終えた後の再装填も遅い。

 クロスボウ頼りで鍛えていない為、体力も無い。

 その癖に分け前を主張する声だけは大きい。

 獲物の発見、誘導など全て他人が行い、自身はただ付いて行って棒立ちで撃ち仕留めただけの獲物に対し平然と、自分が仕留めたのだから自分の分け前が一番多くあるべきだ、と言い放つ。

 そして、町の酒場では獲物を射抜いたことだけを大袈裟に脚色して吹聴する。


 今回もどうせ、他の冒険者を囮にして自分一人安全地帯から好き勝手矢を撃つ算段なのだろう。

 もしとどめでも刺そうものなら、普段より更に声高に権利を主張してくるのが目に見えている。

 こういった"もどき"の存在が、少年はたまらなく不快であった。


「……顔に出てるぞ」


走っているクルスへ、いつの間にか横へ並んでいた"閃光"の一人、レイナルドが声をかけた。

 クルスは自身より背の高いレイナルドを見上げるように見返し、皮肉げな笑みを返す。


「……どう見える? 怖がっているように見えるか?」

「まさか。出てるのはお前のいつもの高いプライドだ」

「そう高いつもりも無いんだけどな」

「良く言う。……ま、不安は抱いてないみたいで安心だ」

「当然だろ」


軽口を叩き合いながら走っている内に、一行は門へと辿り着いた。

 他の冒険者たちも大勢集まっている。

 先頭にいるクルスの姿を捉えた門番が、喜びと憧れの眼差しを向けつつも東門の扉を開けていく。

 扉が開かれる間、腕組みをしたまま、真上を見上げるクルス。

 そこには未だ、狂ったように鐘が鳴り響く見張り櫓が高く伸びている。

 高さにすれば数十メートルはあるだろう。


「……うるさいね、クルス君」


見上げたままのクルスに、横からミレイアが話しかけた。

 手の中の煌びやかな短杖を弄びながら、同じように上を見上げている。


「そう言うな。これがあいつらの仕事だ。……それに、すぐに鳴らすのを止めさせてやるさ」

「クルス君は優しいね。あたし一人だったら絶対に、うるさいからもう止めろって叫んでる」


くすりと微笑むミレイア。

 本当は自分もいい加減うるさくて鬱陶しく思っている、ということを口には出さないままクルスが視線を降ろすと、丁度閉まっていた門が大きく開いたところだった。


「……行くぞ」


足を踏み出す一団。

 その日。

 ハシペルの冒険者たちは、初めて"魔物"と対峙することとなった。


   :   :


 町を出た冒険者たちの視線の先に、ちらりと影が見える

 それが見えると同時に、その影の方角から無数に飛び来る灰色の点。


「……なんだ、ありゃあ」


飛来する点はだんだんと近づき、その大きさと羽音をはっきりとさせていった。

 蠅だ。

 う゛ぁぁぁん……う゛ぁぁぁぁ……ん。

 灰色の曇り空の上に、蠅と羽音が天井のように覆い被さる。


「お、おい、来るぞ!」


誰かが叫んだのも束の間。

 空を飛ぶ蠅の群れは身構えた冒険者たちをあっさり追い越し、町に入るかと思えばそうでもなく、外壁の上にびっしりと集まり動きを止めた。

 暫くしてから、鐘の音が途絶える。


「……」


冒険者の一人が、手を翳し呪文を唱え魔法の光弾を飛ばした。

 握り拳ほどの白い光球が一直線に外壁の上に止まる蠅へと向かったが、蠅は軽く飛び上がってそれを回避し、呪文の命中した外壁の一部が白く凍てついただけに終わる。

 そしてやはり、呪文で狙われた当の蠅は再び外壁の上に降り動こうとしない。


「なあにあの虫けら。人を襲いに来たんじゃないの?」

「俺たちに向かって来ないならどうでもいいだろあんなの。放っておいて大物を狙いに行こうぜ」

「それもそうね」


冒険者たちは暫くの間蠅を警戒し注意を向けていたが、やがて次々と蠅を放置して先に見えた魔物の影へと進み始めた。


 彼らは知らない。

 蠅はあくまで、取り巻きなのだと。

 取り巻きは、親玉の残り物を漁るものだ。

 故に取り巻きは手を出さない。

 親玉が目を付けている獲物を横取りして、余計な恨みを買うつもりはないのだ。

 彼らが動き出すのはもう少し先のことである。


   :   :


 蠅を放置しおよそ数百メートル進んだ彼らが、それをはっきりと視界に納めた。


 どしん、どしん。

 ゆっくりと、一歩一歩、踏みしめるように地を歩く四本の足。

 それはさながら、太古の宮殿に残されし贅の極まる黄金の柱。

 その巨足が、

 重層鎧の如き巨大な胴を。

 人を複数容易く挟める大鋏のついた巨大な触肢(しょくし)を。

 触肢を支える肩当ての付いた巨大な関節部を。

 騎士兜に似た人の身体より巨大な頭部を。

 長く反り返る竜の尾のような巨大な尾節を。

 鏡面仕上げのように輝く巨大な黄金の甲冑を身に纏う、巨大な蠍の身体を支えていた。

 四本の柱が互い違いに動き、人の上半身ほどもある細長い三角形の足跡を残しながら、巨大な地鳴りを轟かせながら、巨大な金属が揺れて擦れるギシギシ音を立てながら。

 遅々とした動きで、黄金色の蠍の巨鎧は町へと向かっていた。

 その周囲に、小さな蠍鎧(こども)たちを連れながら。


   :   :


「まじかよ……」

「でっけえ……」


高さにして五メートルを超える鎧がゆっくりと歩く様を遠目に眺めながら、誰のものかも分からない呟きがぽつりぽつりと発される。

 "閃光"もそれは例外ではなく、その黄金色の巨体を眺めながら様子見の体勢を取っていた。


「あんなの斬れんのか?」

「どこ攻撃すればいいんだよ」


口々に発される呟きたち。

 だがそれは、ある一言を境に雰囲気が変わった。


「でもノロマだな」


その言葉を切っ掛けに、重そう、だの遅い、だのという言葉が次々漏らされる。

 極め付きは、先ほどセレスへと声をかけた男の先制の一撃。

 離れた所から我先にと放った一矢を、巨鎧は避けることも防ぐこともしなかったのだ。

 甲冑甲殻に矢がぶつかって落ち、その上歩くのを止めてしまった。

 小さな、と言っても人間より一回りは大きい子蠍たちが親から離れ、後ろに隠れた。

 子供たちを隠しながら、親蠍は鈍重な動きで触肢を持ち上げ、鋏の刃部分で身体を守る。

 一貫して重々しい動作で、巨鎧はのろのろと防御姿勢を取った。


「は……ははっ、何だよコイツ……動きはノロいし臆病だし、見た目だけの雑魚じゃねーかよ!」


その言葉を皮切りに、冒険者たちは静止した巨鎧へと殺到した。

 流石に至近距離まで近付くのはまだ気が引けるらしく、ある程度の距離まで近付いては攻撃呪文や矢弾を雨霰のように浴びせかける。

 甲殻甲冑が燃やされ、凍らされ、矢を注がれ、あっという間に冷気や熱の蒸気、魔力の白光で巨体が見えなくなってしまった。


「オラッ、死ね! 賞金を貰うのは俺たちだ!」

「邪魔すんじゃねえ! 後ろから撃たれてえのか!」


冒険者たちが砂糖菓子に集る蟻のように巨鎧に集まる中。

 閃光だけが、その場を動けずにいた。


「クルス君、あたしたちも行こうよ! 早く攻撃しないとあいつらに先越されちゃう!」

「……クルス君、一体どうしたの?」


ミレイアやセレスに呼びかけられるが、クルスは頬に冷や汗を垂らしながら巨鎧が総攻撃を受ける様を動くことなく眺めている。


「……おかしい……」


少年、クルスには本物の魔物との交戦経験どころか、魔物と呼べるほどの存在を見たのは今回が初めてだった。

 普段相手にしている熊や猪も、凶暴ではあるがただの獣の範疇でしかない。

 今まで戦ってきて、腰細森の生物相手に本当の恐怖を感じたことなど一度もない。


 にも関わらず、少年は確かに感じ取ったのだ。

 真の魔物の脅威。

 獣を通さぬ高く構えた外壁も。

 ただの弓矢の雨霰も。

 低級呪文の乱れ撃ちも。

 一般人の人海戦術による物量攻撃が全く用を成さぬからこその"都市が一つ滅ぶほどの危険"だということを。


「撃て撃て!」


未だ絶えぬ呪文の光。

 その中に隠されながら、巨鎧がゆっくりと、遅々とした動きで防御状態だった姿勢を動かし、右の触肢を大きく開いたのが冒険者たちの目にも分かった。

 ゆっくりと振りかぶられる、巨大な鎧の巨大な鋏。


 誰もが侮っていた。

 やはり図体ばかり大きな魔物は、動きも鈍重だと。


 後ろへ下がる右の鋏が、ぴたりと停止する。

 そして振り抜かれた。


 音すら無かった。

 巨大な甲冑の如き甲殻を支える筋肉が、刃渡りだけで二メートル近い鋏のついた甲殻触肢をまるで小枝でも振るかのように軽々と振り抜き、最前列にいた人間たちの身体を文字通り薙ぎ払ったのだ。


 遅れて音がやって来る錯覚。

 振り抜かれた軌跡の後に残ったのは、上半身を消し飛ばされ所在なさげに佇む下半身の群れ。

 消えた上半身が、一体どこへ行ったのか。

 知る者は誰もおらず、知りたいと思う者すらいない。

 それらは少しの間を開けてから、均衡を欠いて地に倒れた。

 ワインの入ったグラスを倒したかのように、倒れた下半身の切り口から赤黒い鮮血が漏れ溢れる。

 生き残りの口からも、恐怖の絶叫が溢れ出た。


   :   :


 一瞬にして恐怖に染め上げられ一目散に逃げ始める冒険者たちを、出番とばかりに飛び出した子蠍たちが一斉に追い始めた。


「おい前衛! 行けよ! 後衛を守るのがお前ら前衛の、おいっ、待てよ、待てって!」


もつれる足で逃げようとするクロスボウを抱えた青年が、小石に躓き転倒する。

 直後男の足首を黄金色の鋏が捉え、一挟みで切り潰した。

 腹がねじり千切れそうなほどの力で発される高い絶叫。

 振り向いた男の眼前には人間より一回り大きい子蠍の鎧姿がいっぱいに映っており、騎士兜の奥でかすかに光る蠍の眼が男の顔を捉えていた。


 半狂乱になった男が、弦の切れたクロスボウを滅茶苦茶に振り回し足首を切断した鋏の先を死に際の馬鹿力で殴り飛ばした。

 ばいん、という機械弓の駆動部分が壊れ弾けるどこか気の抜けた打撃音。

 だが子供とはいえ重量にすれば数十キロはあるであろう甲殻の鋏には、少し揺らいだだけで全くダメージにならない。


 続けて遮二無二振り回そうとした腕は反対側の鋏で手首から砕き落とされ、更に胴体に鋏の先端を突き刺され男は完全に抵抗する力を失った。


 がぼっ、ごぼっ、ぼひゅっ。


 恐怖と苦痛のあまり、口から血を流しながら同時に過呼吸になる男。

 涙や鼻水や血をだらだらと流す男の目の前で、騎士兜に似た頭部の口元が、閉じていた蝿捕り草が開くようにぱふぁりと開いた。

 互い違いに連なった剣のような、金属光沢のある無数の牙が眼前で蠢く。


「がっ、ひゃめ、だ、だずっ、おげ、あっ、あ、あああ」


ばきばき、めきりめきり。

 ごきんごきん、ぐぢゅぢゅっ。


 生きたまま頭から丸かじりにされ、男の断末魔は中途半端なところで途切れた。

 獲物が大人しくなったところで横から別の子蠍が現れ、二匹の子蠍は獲物を奪い合い、取り合いに巻き込まれる死体はばらばらに千切れて血飛沫となり四散していく。

 それはもはや、元がどんな生物だったのかも分からないただの千切れた肉片だった。


 別の場所では。五人組のパーティが子蠍を相手に戦っている。

 どうやら親蠍と違い子蠍ならば、彼らの呪文も効果があるようだ。

 後衛の魔法使いが放った白光が子蠍の右の触肢に直撃し、鋏を焼かれる子蠍がたたらを踏みながら数歩後退した。

 その隙に、前衛が両手持ちの剣を一直線に突き込もうとする。

 だが交戦中の子蠍とは別の個体による横からの突撃であっさり突き倒され、前衛を一人失い体勢の崩れた残り四人もあえなく赤い染みを地面に残すばかりとなった。


 更に別のところでは、人間の醜態が最大限に晒されていた。

 逃げる者が、他人を突き飛ばし転ばせて囮にし始めたのだ。

 門へ向かって突き進む一集団の、最後尾にいる男が隣を走る女の胸ぐらを不意に掴み揺さぶって突き飛ばした。

 背中から倒れた女が頭を打ち、一瞬薄らぐ意識の中最期の視界に映る子蠍たちの頭。

 一人が食料に変わり、三匹が食事の為に足を止める。


 囮にされるのは、主に魔法使いの女性たちだった。

 身体が華奢でか弱く、転ばせるのが容易だったからだ。

 自身の許容量を上回る恐怖を目の当たりにした者たちには、最早自分が生き残る為に他者を省みる余裕などない。

 美醜老若関係無く、男性からの人気者だった可憐で美しい魔法使いの少女だろうが、穏和な気心で人々から好かれていた老いた治癒魔法使いだろうが、子蠍の進行を遅らせ恐怖を和らげる為にはどんなものでも彼らは使い始めた。

 勿論、美醜老若無関係なのは子蠍たちにとっても同じである。

 町の門のすぐ外で、獲物の絶叫と断末魔、そして血の滴る肉が骨や防具ごと噛み潰される生々しい魔物の咀嚼音が地獄の底から掻き鳴らされるかのように響いていた。


 そんな中、唯一子蠍の群れに立ち向かう者たちの存在がある。

 "閃光"の一行だ。


 彼らはクルス少年主導の元、親蠍が触肢を振り被り始めた時点で即座に距離を取り、作戦を決めて迎え撃つ体勢を取っていた。

 町の外壁、角の部分を背に、前衛に男二人、後衛に女二人の閃光。

 彼らと相対するのは二匹の子蠍。

 親蠍に攻撃せず待機していた四人に興味を持ったのか、逃げ惑う獲物になど見向きもせず真っ先に閃光の元へと駆けていた二匹だ。


「撃つわ!」


詠唱を終えたミレイアのかけ声と共に、クルスとレイナルドが示し合わせたかのように左右に散った。

 射線上に残された二匹の子蠍へ、少女の突き出した杖の先から白い光線が放たれる。


 前衛の二人同様横方向へ散開して避けんとする二匹。

 白い光の筋は照射箇所を真っ白に凍らせながら右側の一匹を追尾し、足先を掠めたところで消失した。

 足が凍て付き動きの止まった子蠍の胴体めがけ、レイナルドが片手用の鈍器を振り下ろす。


 ばぎっ、みぎぎぎっ。

 子蠍の交差した両鋏が盾となり、鈍器と鋏が強い力でぶつかり金属の擦れる激しい音が響く。

 飛び散る火花。


 力は蠍側がやや優勢だ。

 それを打破する為レイナルドが盾を持つ左手を武器の柄にかけようとした瞬間。

 神速の尾針が光った。


「っ!」


それは紙一重の偶然。

 手をかけようと動かした盾の向きと、子蠍が突き出した尾針の位置が偶然一致しただけに過ぎない。

 尾針が動いた、と男が気づいた時には、尾針に突き飛ばされ仰向けに倒れていた。


 レイナルドの持っていた盾の素材は、鋼鉄と同等の強度がある竜鱗石という金属。故に盾ごと貫かれることは無く、厚さ三センチの盾の表面が陥没した程度。

 それでもその一撃は、人間一人突き倒すに十分な威力を有していた。


「ぐっ……」


苦し紛れに吐き捨てながら、盾を前面に構え素早く起き上がるレイナルド。

 足の凍結により子蠍が身動きの取れない内に、盾の具合を確かめ体勢を整える。


「レイ、大丈夫か!」

「何とか。尻尾の針がまずい。速過ぎて見えない上にこの盾がへこむ威力だ」

「とにかく防御に専念しろ。攻撃は後ろに任せよう。……幸い、他の奴らは俺たちには興味が無いみたいだしな。落ち着いて行け。もしも他の奴が来たら引き撃ちに切り替えればいい。いざとなれば非常口もある」


顔は対面の子蠍に向けたまま、ちらりと視線を飛ばすクルス。

 他の子蠍たちは、逃げる冒険者たちを追うのに夢中。

 外壁に陣取る蠅たちは眼下の惨状を眺めるばかり。

 そして肝心の親蠍は、先の一撃で薙ぎ倒した下半身たちを悠々口へ運んでいる。


 少年の脳裏を、最悪の想像が過ぎる。

 もしもこのまま、奴らを止められなかったら。

 子蠍だけなら、門を閉じてしまえばどうとでもなるだろう。

 だが。

 もしもあの親蠍(ばけもの)が動いたら。

 木を組んだだけのちっぽけな門が、どれだけの効力を発揮出来るのか。

 もしも突破され、子蠍どもが町の中へなだれ込んだら。

 この町は一体どうなるのか。

 少年の顔に、門を出るまでにあった余裕の色は無い。

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