03
さそりアーマー。
その名が出た瞬間、唯一にして最も大きく反応したのはサラだ。
先ほどまでのどこか気の抜けた雰囲気が消え失せ、真剣で物々しい表情を見せた。
口元を押さえたまま、俯いて思考に耽っている。
「……アーサーさん、どう思います? やっぱり"組"だと?」
「さて、そこまでは。ただ、単独の場合生還者が一人だけというのはありえない。少しくらい逃げ帰って来れる筈です。"組"もしくは、何かしらいると考えています」
「ですよね。……出すべきでしょうか、避」
「おい待てって、二人だけで完結すんなよ」
机をペチペチ軽く叩きながら割り込んだヴィジリオの言葉で、我に返ったサラが顔を上げた。
「すみません、ちょっと夢中になってしまって」
「構わないが、我々はそのさそりアーマーとやらを知らないのでな。考えるのは説明しながらで頼む」
エルマに諭され、サラは少し力を抜き微笑を見せた。
「さそりアーマーというのは南方の諸大陸、主に熱帯地域に棲息する、文字通り金属鎧のような甲殻を持った蠍に似た大型の魔物です。甲殻の鎧は見た目通り金属の硬さと重さを備えていて、成体の大きさは先ほどの言葉通り建物級。呪文や特殊な力は一切持っていませんが、その巨大な身体を振り回して暴れるだけでこの町なら半日かからず廃墟になります。強さは、単体の場合は皆さんのような魔物との戦闘経験が豊富なベテランが複数人、整った役割構成を揃えて準備すれば撃退出来る程度。組の場合はまず撃退不可能な天災並の存在、というところでしょう。どちらの場合でも、襲撃された場合町や都市が一つ滅ぶ危険のある、町ぐるみでの対応が必要な正真正銘の怪物です」
「して、先ほどから言っている"組"とは?」
表情から笑みの薄れたトルスティが問う。
「魔物の中には、何故か特定の匹数になることを好む種類がいるんです。さそりアーマーも同様で、四匹組になることを好む性質があります。大抵の場合は四匹か単体で、それ以外の匹数になることは滅多にありません。なのでさそりアーマーの"組"は、基本的に四匹組のことを指します。単純に戦力四倍という訳ではなく、高度な連携も行うので"組"の危険度は先ほどの通り天災並。もしも襲われた場合、周辺地域の戦力を総動員しても撃退は極めて困難です。即刻町を放棄して避難する以外の選択肢はありません」
「……一匹でも町が滅ぶ危険のある奴が四匹って、それは流石に通れねえだろ。そもそもこの町大丈夫なのか? 本当に滅ぶんじゃ」
不細工の発言に、明確な返事が出来る者はいない。
深刻そうな顔で押し黙ったサラの代わりに、アーサーが話を繋ぐ。
「とはいえさそりアーマーも一般的な大型の魔物同様、積極的に人を襲って捕食する種ではありません。通常は自分と同じか少し小さい程度の、もっと食べ甲斐のある他の大型生物が主な獲物です。腰細森には人より大きい獣もいますし、運が良ければ町を無視して通過する可能性もあります」
「……運が悪かったら?」
「この町の門を叩くでしょうね」
返ってきた言葉に、リストは端正な顔を歪めて苦渋を露わにした。
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「この状況、町はどういった対応を取るべきだ?」
机に両の肘を突き、エルマがサラへ向け口を開いた。
「当然、最初にするべきは偵察して正体を見極めることです。私やアーサーさんの予想が外れていたり、生還者という人の話自体が間違いだった可能性もあります」
「……うん、確かにそうだね。つい忘れてしまいそうだけど、確かにまだ道にいるのがそのさそりアーマーっていう魔物だと確定した訳じゃない」
サラの返答に頷いたのはエルマではなくリストだ。
王子の反応を横目で確認してから、エルマは言葉を続ける。
「では、もし斥候を出した結果さそりアーマーとやらだと確認が取れたら?」
「編成に拠ります。"組"なら、組合を通じ町長さんにも働きかけて、即時避難の準備を整えます。気配を隠して見張るのが得意な人に常時動きを見張って貰って、町へ来る予兆が見られたらすぐに避難」
「すぐに避難する訳じゃないんだね。確かに、必ず町が襲われるとは限らないか。じゃあ次は……」
言い掛けたリストが、途中で口を噤み気まずそうに視線を左右へ振った。
振った先には、自身を無言で見つめる従者夫婦の目。
「……僕、何か間違ってた?」
「今の部分は、もう少し掘り下げて尋ねて欲しいところでしたな」
表情を緩めてトルスティが答え、代わりにエルマがサラへ。
「すぐに避難、とは言うがそう簡単に出来るものなのか? 住民の統率は? そもそもどこへ避難する?」
問われたサラが痛いところを突かれたという顔で、目を伏せた。
「……常日頃から危険な魔物の脅威に曝されている地域ならば、住民たちはいざという時に家財や土地を捨て置いてでも避難する覚悟を持ちますし、その為の経路や受け入れ先、食料問題なども付近の町と協議してある程度は準備を整えているものです。ですがこの土地は魔物の脅威が低い為、住民たちに"魔物が襲ってくるから避難しろ"と今いきなり言っても強い反発を受けることになるでしょう。避難場所も、アッシェから反対方向の町に逃げるとなると三日は歩くことになります。その上町に着いた所で、受け入れて貰えるか、受け入れ体勢が整っているかどうかは別問題」
「実質逃げ場ねえってことじゃん」
不細工の率直な突っ込みが、サラの身体をますます縮こめる。
「では、もしその"組"とかいうのがこの町に攻めてきたら。現実的に予想するとどうなる?」
エルマの問いに、サラはすぐには答えられずにいた。
間を開けてから、ゆっくりと答えを口にする。
「住民はパニックになって散り散りに逃げ惑い、次々襲われる。住民の中には逃げ延びることに成功する人もいるでしょうし、四匹全員が満腹になればそこで引き揚げる筈です。ですが町は大きく破壊され、何よりさそりアーマーたちが"もしも飢えたなら、ここに来れば非常食がいる"と覚えてしまいます。……彼らがこの地域から立ち去るまで、ここに町を構えることも、腰細道を通ることも不可能になるでしょう」
発言に対し六人は仕方が無いが当然の帰結だと、納得の表情を浮かべた。
姉妹、従者夫婦、不細工、蹄人だ。
だが一人、リストだけが納得のいかない様子で静かに指を組み、力を込めた。
「……こういうのって、どうにかならないのかい」
「周辺地域にいる筈の無い強大な流れ魔物による襲撃とは、そういうものですよ。予測の出来ない、存在そのものが不確かな魔物の為に手間暇や大金をかけて備えを行うのは難しい。それに、不意の竜巻や流行病で町が半壊した、と考えればそう珍しい事でもありません」
アーサーの率直な言葉に、リストは握った拳を口元に当て、苦々しい表情を見せた。
「エル・トレアは魔物の脅威が身近にある土地ですからな。住民たちはいざとなったら即座に揃って避難し、国による事態の収拾を待つ、という行動に慣れています」
「だが、土地によってはそうもいかない……ということですね、リスト様」
従者夫婦にそう締めくくられ、リストは椅子の背中に身体を預け、天井を向いて大きく息を吐いた。
脱力する王子を、不細工組とピエールが眺める。
「王子様って、いつもこういう感じ?」
「そうだぜピエールちゃん。さっきも言ってたけど、王子サンの旅は世界中の魔物との付き合い方を学ぶ為でもあるからな。ちょくちょく今みたいな勉強会になる」
「ふうん……」
ピエールの含むところがあるような無いような、曖昧な生返事。
若干不満げな顔のツキカが机の上に顎を乗せて話に割り込んだ。
「いいから話ちゃっちゃと進めてよ。本当に危ないんならのんびり話してる暇無いじゃん」
「あっ、そ、そうですね。ごめんなさい」
唇を尖らせ月毛の尾をぺしぺし震わせるツキカに急かされ、サラが気を取り直して話を再開した。
「先ほどお話したのは、さそりアーマーが"組"だった場合の話です。もしも単独ならば、組合を通じて周辺地域に働きかけ、人員を集めて撃退する方針を取ると思います」
「撃退ねえ……」
「勿論人員を集めるのには時間がかかるので、先ほど言った避難の準備も可能な限り並行して行います。ただ、単独なら撃退は現実的です。襲撃時の町の被害も"組"に比べると抑えられるでしょうし、単独ならば一度被害を受けても次返り討ちにしてしまえば脅威を取り除けるので町を完全に放棄する、という事態にはなりにくいでしょう。……そして、ここからが本題ですが」
「私たちに偵察と、単独だった場合の討伐の依頼、ですか」
アーサーが先んじて放った断定的な問いに、サラは目を見返しはっきりと頷いた。
「あなたがた七人で挑めばさそりアーマー一匹なら十分倒せる、と私は踏んでいます。勿論"組"の場合や、相手が町に来ずに去って行きそうな場合は戦う必要はありません。戦うのは、単独襲撃だった場合の迎撃のみ」
サラは机の下で柔らかな白い両手を強く握り、大きく一息。
「私とリストさんたちは、なるべく早急にアッシェへ向かわなければならない事情があります。それに腰細道を魔物に占拠されハシペルが機能しなくなれば、アッシェは陸の孤島と化し大きな影響を受けてしまいます。……何よりも、人の町を襲うことを覚えた魔物は可能な限り退治したい。お二人の気配感知力と戦闘力を、貸して頂けませんか」
サラの嘆願に、姉妹は無言で顔を見合わせた。
先に口を開いたのはアーサー。
「私はお断りしたいですね。余計な危険は背負いたくありません。元々アッシェには大した用事もありませんし、所詮旅の途中に立ち寄っただけの縁もゆかりも無い町です。魔物に襲撃されようが、知ったことではない」
アーサーの率直過ぎる言葉に、リストが目を細め鋭い眼差しでアーサーを見据えた。
だが王子とは対照的に、サラは予想していた、という反応だ。
返事はせず、視線をピエールへ。
「私は町が襲われるかもしれないなら、何とかしてあげたいと思う。勿論自分に出来る範囲で、だけど」
今度はアーサーが、姉がそう言うのを分かっていたという態度でゆっくり小さく息を吐いた。
姉へ向けていた視線を、対面に座る五人へ滑らせる。
「あなたがたはどうお考えですか? 戦闘になった場合、命の危険は大きい。訪れたばかりの見知らぬ町の為に、命を賭けるおつもりで?」
「賭けるよ。知らない町の知らない人たちだからって、簡単に見捨てられるほど僕は非情にはなれない。僕たちなら救える可能性があるというのなら、尚更だ」
間髪入れず答えたのはリスト。
次に従者夫婦が続く。
「リスト様がそう仰るのであれば、我々も続かない訳にはいきませんな」
「良い経験になるだろうしな。とはいえ、危険過ぎると判断すればその限りではない」
エル・トレア組は賛成。
残る二名、不細工組。
「……だってさヴィジリオ。あたしたちは?」
「お前ら何かおかしくねえ? 俺たちゃ冒険者だぜ、冒険者。冒険者を駆り立てるものといえば、これだろ」
そう言って得意げに笑う不細工が、右手で作ったのは親指と人差し指で輪を作ったいわゆるお金のサイン。
そして左手では、指先を大きく開いたり力を緩めたりを繰り返している。
ピエールがその左手を見ながら問いかけた。
「……右手は分かるけど、そっちのそれは?」
「これは俺が考えた、名誉と人気を現すサインだ。具体的に言うと住民から褒められ尊敬され、若くて可愛い女の子を大勢侍ら」
「あ゛?」
「……せたい訳じゃなくて、ただ十分な報酬と住民からの感謝があれば俺としては特に反対する理由も無いっていう……」
「だってさ。戦うのはいいけど、報酬は出るの? あたしも端金じゃ嫌よ」
と、あっけらかんにサラに尋ねるツキカ。
先ほどヴィジリオの発言に割り込んだ時の、悪魔のような形相はもうどこにもない。
「報酬と言うと、ロビーには一万五千ゴールドの立て札が置いてあったけど」
「ああ置いてあったな。でもあれどうせ人数分じゃねえだろ? 七人で割ると一人……二千百四十二、余り六。こんな額じゃ命なんて絶対賭けたくねえな。俺なら一月町で呪文使ってるだけで稼げるわ。……そこんとこ何とか融通付けてくれるのかい、サラちゃん」
不細工が気取った顔で流し目を送ると、サラは真剣な顔で頷く。
「命を賭けて町を守る冒険者の方々に十分な見返りを用意するのは、組合職員である私の仕事です。さそりアーマー単独と戦って町を守るのなら、一人につき数万ゴールドは出すべきでしょう。そこはいざとなれば組合本部に働きかけてでもご用意しますので、ご安心ください」
「じゃ、俺たちも参加に異議無しだな。……アーサーちゃんはどうするんだい」
話を振られたアーサーの元へ、周囲の視線が集中する。
彼女にとっては他人の視線など気にはならないが、隣に座る姉の視線だけは無為にも出来ない。
自身をじっと見つめる、小さな姉のくりくりした丸い瞳。
アーサーは口元に手を当て思案する素振りを見せてから、
「……ひとまず偵察して、状況を確認するまではご一緒しましょう」
と答えた。
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その後アーサーによるさそりアーマーの詳細な解説を主に、一同は冒険者としての世間話を行った。
他、いくつかの事柄について話を詰めた後。
サラを先頭に八人が個室を後にしロビーへと戻ると、丁度そこにいたのは受付の女と話す四人の男女。
"閃光"の一行だ。
「うん! それじゃ、賞金用意して待ってるから、頑張ってね!」
高い声で叫ぶ受付の若い女に笑みを返し、身体を翻そうとした少年、クルスの視線がサラを捉えた。
次いで他三人の視線も、サラら一行へ向かう。
「お前、本部から来たという職員か。……ん?」
クルスがサラ一行に混ざっている姉妹の存在に気づき、訝しげな表情を見せた。
続いて金髪、ミレイアも気に障ったようで不快そうに姉妹を睨みつける。
セレスとレイナルドは、特に何かを気にした様子ではない。
「……」
無言で見つめられるアーサーへと、横に立つエルマが小声で尋ねた。
「彼らは?」
「"閃光"というこの町で一番腕の立つ冒険者だそうです」
「あれでか……」
思わず、といった体で漏れるエルマの呟き。
小さな声だったが、少年の耳にもしっかり届いてしまったらしい。
「お前、今のはどういう意味だ」
「見た目が若いので少々面食らっただけでしょう。他意はありません」
即座に返答を行ったのはアーサー。口を開きかけたエルマより先に割り込み、面倒事になる前に話を打ち切ろうという算段だ。
クルスはそれで納得したのかしていないのか、不機嫌そうな顔をしながらもそれ以上の追求を止め視線をサラの後ろにいる、姉妹以外の五人へ滑らせた。
無言の値踏み。
エル・トレア組を程々に流し見て、蹄人の上に乗る不細工を露骨に見下し、クルスは改めて視線をサラへと戻した。
「お前、アッシェに用事があるらしいな。少し待ってるといい、今から俺たちが道に出たとかいう魔物を仕留めて来てやる」
「えっ……い、いえ待ってください、危険です! 何がいるのかも定かではないのに、まずは様子を見て、魔物の正体を見極めないと」
「はぁ、様子見? 何で今更そんなことする必要がある訳? あたしたちのこと何だと思ってんの? 本部から来たらしいけど、あたしたちのこと見くびってない? ねえクルス君」
後ろに控えるセレスと青年に制されるのも構わず、敵意をむき出しにして薄目でサラを睨むミレイア。
だが荒ぶる金髪もクルスに目で諫められると大人しく一歩下がり、言葉を飲み込んだ。
視線をサラに戻したクルスが、余裕の顔でため息。
「お前、そこの根かじりに何か吹き込まれでもしたのか? そんな雑魚の言葉を真に受けているとしたら相当な愚か者だ。組合の職員なら木っ端者の言葉などいちいち聞いて……」
「あ、やばい」
クルスの言葉に真っ向から割り込んだピエールの、語気の強い大きな呟き。
流石に不快感を露わにしたクルスが睨みつけ言葉を発しようとする最中、再び放たれたピエールの言葉の直後にそれは鳴り響いた。
「もう町に来た。取り巻きとこれ……子連れだよ多分」
町の見張り台から響く、非常事態を告げる巨大な鐘の音が。




