01
-死闘・蠍鎧-
南大陸南東部。腰細森という広大な森の合間を通る、腰細道の宿場町であるハシペルの町に滞在中の二人。あまり居心地のいい町ではなかった為早く通過しようと思ったのも束の間、腰細道に巨大な魔物が現れたという。進路を塞がれ立ち往生した姉妹。同じく道を塞がれた他の冒険者と協力し、道に現れた魔物の調査を行うことになった。姉妹を含めた総勢七名が、巨大な魔物と死に物狂いで戦う話。
森の中。
茂みの下を、かすかな音を立てながら這い進む二つの生命体がある。
少女二人だ。
先頭にいる方は肩口で切り揃えたくすんだ金髪で、女性にしては少し背が高い。
細まった切れ長の目が、知性と共に少し冷たい印象を醸し出している。
彼女はアーサー。男の名前だが女性で、妹だ。
後ろに続くのは、鮮やかな茶色い髪を後ろで綺麗に編み上げた背の低い少女。
ぱっちり開いた垂れ目は、活発で明るく優しそうな印象だ。
彼女はピエール。こちらも男の名前だが女性、姉である。
二人の格好は野外行動に適した、首から下に一切の露出が無い茶色一色の地味な格好だ。
ズボンの上から分厚く短い革のスカートを穿いているのが、服装の中にある唯一の女性らしさと言える。
髪の毛に小枝や木の葉を絡ませながら、茂みの下をすりすりと這って進んでいる姉妹。
その動きは意外に慣れたもので、湿った地面で服が汚れることや、視界の端で長い足が無数に並んだ虫のような何かが動くことも気にせず、音を立てぬよう静かに地を這っている。
暫し這ったところで、アーサーが手振りで何かを伝えた。
ピエールが肘を立てて這い、妹の横へと並ぶ。
視界の先には林檎ほどの大きさのある巨大な褐色の実がいくつも実る、茨を纏った低木が群生していた。
今日の二人の収入源だ。
: :
南大陸南東部に、腰細森というどこまで広がっているのかすら判明していない広大な森がある。
腰細森は南から東へ長く大きく伸びており、腰細森によって南大陸南東部に突き出ているアッシェという半島は完全に蓋をされてしまっている。
本来ならアッシェ半島は、地上からは辿り着けない陸の孤島と化していただろう。
だが腰細森は名前の由来と言うべき、中央部が非常に細まった蜂の胴のような形をしている。
最も細い部分などは既に切り開かれ、現在の腰細森は巨大な楕円形の森が二つ隣接している形、と言っても過言ではないほど。
森々の隙間部分は通称"腰細道"と呼ばれ、比較的安全にアッシェへ向かえる唯一の道だ。
その腰細道の手前に、中継地点であるハシペルの町は存在していた。
: :
がさっ。
茂みを一際揺らして、姉妹が森から開けた空間へと飛び出した。
二人の背中には、小さく折り畳んで携帯していた布製の大きな背負い鞄。
中には先ほど収穫した巨大木の実がこれでもかというほど詰め込まれている。
「大量ー!」
「未だ手つかず、という雰囲気でしたね。取り放題でした」
ピエールは喜び露わに、アーサーは一見素っ気ないが声音に喜色を滲ませて呟いた。
「これでどれくらいになる?」
「七十ゴールドになれば上々という所でしょう」
「あれ、こんなに量あるのにそんだけ?」
「魔力的効果がある訳でも特別美味しい訳でもない、大きいだけの普通の木の実ですからね。こんなものですよ」
「そっかー。試しに食べた時の味は確かに普通だったもんね」
思ったほど稼ぎにならない、という会話内容とは裏腹に二人の声音は軽い。あまり気にしていない様子。
開けた空間に出た二人の視線の先には背の低い草の生えた平地が広がり、更にその奥には外壁に囲まれた町の遠景が。
二人は背負った木の実の重さも物ともせず、軽い足取りで町へと歩き始めた。
: :
町の外壁は、およそ十メートルほどの高さの石造り。
壁の模様まではっきり見える頃になってから二人は首に巻いていた布、虫除けの薬の染みた緑色の布を鬱陶しげに外した。外した後の首筋には、わずかに汗が滲んでいる。
二人は外壁を回り込み、ハシペルの町、という看板の掛けられた大きな門の前に移動した。
開かれた門の下を通ると、立っていた門番が姉妹の姿を見て軽口を叩く。
「おっ、お前たち今日は何だ? 草か? それとも茸か?」
「今日は木の実だよ。ええと、何て名前だったっけ」
「鑢茨の実です」
「ああ、それなら知ってるぜ。……獲物を狩れなかった間抜けが小遣い稼ぎに採る奴だろ。大した稼ぎにもならないのに、茨で負った怪我を誇らしげに見せつけるんだよな」
門番はあからさまに二人を小馬鹿にする態度だが、ピエールは苦笑い、アーサーは特に表情一つ変えずにそのまま門の下を潜り抜けた。
「今日は大物が挙がったからなー! お前らも邪魔にならないようこっそり金に変えて貰えよー!」
二人は後ろで叫ぶ門番の言葉を聞き流し、町の中へと入っていった。
姉妹が現在滞在している、ハシペルの町へと。
: :
町の道は広い。
石畳で舗装された中央道は横幅十五メートルはあり、そこを多くの人間が闊歩していた。
道の脇には建物の入り口を避けて軽食の屋台や露店が敷き詰められており、時折人混みの流れに紛れて肉や麦の焼ける香ばしい匂いが姉妹の鼻孔を刺激している。
通行人の間をすり抜け、流れに乗り、巨大な荷物を背負いながらもするすると安定した足取りで二人は町の中央広場へ向かう。
やがて"冒険者組合 ハシペル支部"という看板の掲げられた大きな建物の前まで辿り着き、二人は中へと滑り込んだ。
途端。
大勢の人間からなる大きな歓声と、その熱気とは裏腹に涼しい建物内の空気が姉妹の頬と耳を刺激した。
視界の先には人混み。建物内ロビーの奥、受付カウンターの辺りまで広がっている。
カウンターの前まで行きたいのに行けない、それはそれとして人混みの理由も気になる、とどうすればいいのか分からず迷う姉の手を引いて、妹はロビーの隅にある空いた席の椅子に腰掛けた。
一息ついて、人混みに視線を投げかける二人。
「何なんだろあれ」
「門番が言っていた大物とやらでしょう。涼しいですし」
アーサーが答えたところで、人混みに動きがあった。
カウンターの奥から組合職員が現れ、人混みの中心に移動していく。
と同時に人混みが割れ、中心にあるものが姉妹の目にも映った。
葡萄酒色の大きな熊の死骸だ。
体長二メートル半ほどで、熊にしては少々ひょろ長い体型。腕には太い爪があり、冷気の呪文で冷やされているのか赤黒い毛皮には白い霜が降りている。涼しいのはあの死骸を冷やした結果だろう。
「すごーい! 大きな火吹き熊! 流石"閃光"だねっ!」
職員の若い女が黄色い声で言い、死骸の側に立つ少年へ視線を向けた。
歳は十五前後というところ。鮮やかなレモン色の金髪に、局所のみを覆う水色の軽鎧と腰に吊った剣の緑の鞘。何とも華やかな出で立ちだ。
その風貌を例えるならば、一通りの武芸を修めた貴族の三男、というところ。長男ではない。
「当たり前だ。俺たちならこんな熊の一匹や二匹楽勝に決まってる。なあセレス」
「そうだよ、こんな奴例え五匹いたって簡単に片付けられるし。その辺の奴らと一緒にしないで」
少年の言葉を繋いだのは、セレスと呼ばれた桃色の髪の女性、セレスティナ。
……ではなく、その横にいた少年と同年代の、金髪を腰まで長く伸ばした少女だ。いかにも気と我が強そうで、態度の節々から職員の若い女への攻撃心が見え隠れしている。
「そんなことより、早く査定してくれ。俺たちは早く飯にしたいんだ」
そう職員に言い残し、少年、桃髪、金髪、更にその後ろの背の高い青年の計四人の男女が人混みを離れ、
姉妹二人の前へと移動した。
「……えー……と?」
彼らは何故離れた位置に座っている、自分たちの前までわざわざ来たのか。
そう思いながらピエールが目を丸くして見つめる中、少年がやや機嫌を損ねた様子で腕を組んで顔を逸らした。
ごく小さな舌打ちとため息。
少年の代わりとでも言うように、後ろにいた桃髪、先ほどセレスと呼びかけられていた女性が脇をすり抜けて姉妹の前に立った。
「……あのね、ここの席はいつもわたしたちが使ってて、お気に入りの席になってるの。だから、もし良かったら譲って貰えないかな?」
「あ、そ、そうなんだ。知らなかったよ、じゃあ席を」
「知らなかったぁ?」
戸惑いながら席を立とうとするピエールを遮ったのは、金髪の大袈裟な聞き返す言葉。
「あたしたちのこと知らないって、君ら今まで何してた訳? 情報収集とかしないタイプ?」
「ここに来てまだ日が浅いものでしてね」
「そんなのが言い訳になると思ってんの?」
無表情のままぶっきらぼうに言い、立ち上がったアーサー。だが、相手は尚も追撃を仕掛けていく。
「しかも……はぁー、ほら来た根かじり。やっぱりね。君らみたいな冒険者の出来損ないがいると迷惑なんだよ。早く冒険者なんか止めて……」
「その辺にしておけ、ミレイア」
最後尾にいた背の高い青年に制され、金髪は姉妹を睨みながらも、渋々口を閉ざす。
だが一連の出来事に、ピエールは既に眉尻をへにょりと下げていた。
アーサーが姉の手を引き、徹底して感情を表に出さないまま離れた別の席に座り直す。
そうして熊の査定、換金が終わり一段落着くまで、二人はロビーの一席で待ちぼうけを食っていた。
: :
「……鑢茨は一個一ゴールドね」
人が捌け、落ち着きを取り戻したロビー内。
空いた受付に姉妹が木の実の鞄を抱えて向かうと、最初に火吹き熊の前に出てきた若い職員の女が露骨に格差のある態度で応対を始めた。
「あんたたち、閃光の席くらい知っときなさいよね。これだから余所者、しかも根かじりは」
「……その、根かじりって何?」
ピエールが尋ねると、女はカウンターの上に並べられた木の実の仕分けをしながら、わざとらしくため息をついた。
「はあ、本当になんっ、にも知らないのね」
嫌味ったらしく言葉を区切る女。
ピエールは最早苦笑いも出ない。
「根かじりっていうのは、あんたたちみたいに魔物を狩らず木の実とか、茸とか、植物を集める事しか出来ない冒険者もどきのことよ。冒険者名乗るならリスクくらい背負いなさい、いつまでも小狡く逃げ回ってたって有名になんてなれないわよ。大体……」
説明が高じて説教に移行しながら、女は木の実を二つに仕分けた。
「……はい、状態のいい鑢茨が二十個二十ゴールド。悪いの六十個で二十ゴールド。計四十ゴールドね」
「えっ、ちょっと待ってよ、これ虫食いも汚れも無いし綺麗じゃん、なのに全部悪い方なの?」
「何、文句あんの? へー五年やってるあたしの仕事に根かじり如きがけち付けちゃうんだー、へー」
「い、いや、でも」
「それで構いません」
戸惑いがちなピエールをアーサーが手で制し告げると、女は鼻で一度笑ってから汚れた十ゴールド硬貨を四枚置いた。
それを黙ったまま受け取り、アーサーはピエールの手を引いて組合ロビーを後にした。
: :
「……すっごい人たちだった」
宿屋の一室。
身体を洗って装備を外し、くつろぐ姿勢になったピエールが少々気落ちしながら小さく呟いた。隣ではアーサーも同じ姿勢で休んでいる。
二人の手には途中屋台で購入した食事。
ふすま入りだが、まだ温かく香ばしいパン。
その間に挟まれた、緑の葉野菜と灰色の肉。
「事前にここの人間は柄が良くないと聞いていましたし、あんなものでしょう」
「でも普通はもうちょっとこう、優しくしない? 私根かじりなんて言い方初めて聞いたよ」
「私もですよ」
言ってため息を吐き、アーサーはパンを口に運んだ。
挟まれている肉は、腰細森に棲む蛇の肉だ。少し独特な臭みがあるが無視出来ないほどでは無く、香辛料も使われているので味は悪くない。価格は一つ四ゴールド。
「でも、組合にいた受付の人とか金髪の女の子とか態度悪かったけど、アーサー全然怒らなかったよね。あんまりにも怒らないから隣にアーサーいないんだっけって思っちゃうくらい」
同じくパンをかじってからピエールが何の気なしに問うと、アーサーはやはり大した不快感を表さずに答えた。
「あれらに喧嘩を売ると余計なトラブルを背負って面倒なことになりそう、というのが一つ。……そして何より」
「お金、いや、えーと、金持ち……喧嘩せず、だっけ?」
ピエールが言葉を繋ぐとアーサーは少し間を開けてから、むふう、と荒い鼻息だけで返事をした。
「金持ちと言えるかは分かりませんが、そうですね。金銭的余裕は精神的余裕に繋がります。……懐にある硬貨の重みと優越感が、私の機嫌を守っている。と言ってもいいでしょう」
アーサーの冗談めかした台詞。
それを聞いたピエールの脳裏に、巨大な輝く硬貨の後ろに隠れて得意げににやついているアーサー、という絵面が浮かんだ。
間抜けだ。
「アーサーってさ、案外……ってほどじゃないけど、器小っちゃいよね」
「むっ、何ですかいきなり」
「ほーら怒らないで苛々しないで、お金の重みを感じてねー」
露骨に自身をからかう言葉に不快感を示しながらも、どこか余裕ある表情を見せるアーサー。
現在。
彼女らの懐には二人で現金二万ゴールド、それに加え三万ゴールド分の換金用品が収まっている。
両方合わせれば、二年近く働かずに過ごせる金額だ。
その金を使って、暫くは戦闘を行わず安全に過ごそうと考えている二人。
だがその望みが露と消える日も、そう遠くはない。
: :
腰細森の昼下がり。
茂みの下に紛れた姉妹が息を潜め、す……と気配を隠している。
始めはただの採集だった。
森に自生している人の頭ほどもある大きな芋を掘り出して、今日の稼ぎにするつもりだったのだ。
だが途中で人間と同じくらい大きな猪がやって来るのに気づき、二人は茂みに潜り気配を隠した。
やがて現れた猪は、すぐ側にいる姉妹の存在に気づかないまま掘り出しかけの芋を更に掘り進め食べ始める。
二人からすれば、獲物を横取りされた格好だ。
だが周囲にまだ多くの芋があることは分かっていたので、特に危険を冒して追い払う必要も無いと隠れ続けていた。
そうして芋掘りが猪観察に変化して暫く。
どこからともなく、複数の人間の気配が現れた。
: :
人数は七人。
先に三人、その後ろから間を開けて四人。猪の風下からゆっくりと近づいている。
猪は一瞬人の気配を感じたのか周囲を見回したが、食欲が勝ったのか本腰を入れて警戒するつもりはないようだ。
やがて停止する三人。後ろの四人も、移動時と同じ距離を開けて止まった。
少しの間を開けてから、三人の内の一人が矢を放って猪の腿を射抜いた。
動きが鈍ったところを、三人が即座に囲んで攻撃を仕掛ける。
猪と人間の戦いが始まった。
形勢は最初の一矢の分人間側が有利だ。猪の動きの鈍り様が著しい辺り、矢には毒が塗られていた可能性もある。
姉妹はそれを隠れて眺めながら、地面に字を書いたり、手振りによるハンドサインで話をしている。
(姉さん、どうしますか)
(死人が出そうなら助太刀しよう。この調子だとちょっと怪我するくらいで済みそうだけど)
(いえ、そちらではなく)
(……どういうこと?)
(後ろの四人の方です)
アーサーがそう伝えたところで、口内に剣を突き込まれた猪がぎゅう、と小さく絞り出すような鳴き声を上げて倒れた。
身体中に手傷を負った三人が息を荒くしながらも、倒れた猪へ警戒しながら距離を詰めていく。
その内の一人が、直接猪に触れ完全に事切れているのを確認した。
三人の身体から力が抜け、各々喜びを露わにし始める中。
後ろにいた四人が、三人の元へと現れた。
: :
「ご苦労、後は俺たちが貰おう」
「な、何だお前たちは! こいつは俺たちが狩った獲物だぞ!」
三人組と四人組が言い争い始める中、終始気づかれずにいる二人組。
ピエールが驚きを浮かべて振り向くのを、アーサーは知っていた、と言わんばかりの態度で見返した。
(どういうこと?)
(見ての通り、横取りしに来たのでしょう。最初からそのつもりで尾行していた)
アーサーが地面に書いた字を読んでいたピエールの耳に、叫び声が届いた。
慌てて視線を戻すと、三人組の内二人が既に倒れ、最後の一人、矢を放っていた女が突き飛ばされる光景が目に入った。
四人組の内の一人が、意識朦朧とへたり込む女へ剣の切っ先を向ける。
このまま放っておくと、獲物を奪われるだけで済むかどうかも分からない。
「アーサー!」
「分かりました」
茂みの中から、二人が飛び出した。
: :
軽やかに飛びかかり、姿を現すと共に剣を向けていた男に跳び蹴りを仕掛けるピエール。
ブーツのつま先にわき腹の肉が食い込み、男は横へ吹き飛んだ。
込めた力は緩い。
全力で蹴りを入れてしまえば、内臓を蹴り潰して殺してしまうだろう。
蹴り飛ばされた男が蹴られた箇所を押さえ肺から空気を引きずり出すように呻くのを後目に、ピエールが残りの三人と相対した。
横ではアーサーが、女と倒れていた男二人を離れた位置へ引きずっている。
「止めようよ、これはちょっと見過ごせない」
「……チッ、面倒なことになったな」
ピエールの前に、リーダー格と思しき男が進み出た。
飄々とした中年男、という雰囲気だ。口調にも、あまり敵意は感じられない。
「こいつら三人には借りがあってな。俺たちも昔同じようにして獲物を横取りされたんだよ。だから正当な仕返し、言うなれば制裁だ」
「……そうなの?」
「町に戻ったら酒場のマスターにでも聞いてみろ、すぐ分かる」
ニヒルに言って口髭を撫でる男。
その雰囲気にピエールの態度もわずかに軟化の姿勢を見せ始めた。
「とはいえ、俺たちが悪者なのも事実か。……そうだな。口止め料として五百ゴールドずつやるよ。だから見なかったことにしてくんねえか?」
「いや、待ってよ、だからってこんなこと」
懐から出した輝く硬貨の包みを左手に乗せ、明るい表情で近づいて来る中年男。
ピエールは困ったような顔をしながらも視線を硬貨に向け、
視線が逸れた所に男が放った拳を左手一本で受け止め反射的に右手で反撃した。
ぱごっ、という打撃音にはとても思えない高い音。
顎を平手ではたかれた男はその少女らしからぬ尋常ではない腕力による衝撃で脳を揺さぶられ、脱力して膝立ちになった後うつ伏せに昏倒した。
真正面に立っていたピエールが、倒れる男にぶつからないよう横にずれて距離を取る。
「さて」
リーダー格を一撃で倒され、硬直している残党二人。
その二人へアーサーが目を向けると、二人は即座に腹を蹴られて呻いている男と気絶しているリーダー格を抱えて逃げていった。
四人の消えていった先へ視線を投げかけるアーサーと、しゃがみ込んでリーダー格が握っていた硬貨の包みを拾い上げるピエール。
包みを開くと、中にあるのは材質も分からない何かの金属を磨き上げただけのコインですらない金属片。
「……ねえアーサー、今のってやっぱり嘘だった?」
「当然。傍目に見ていた分には姉さんは明らかに言葉を信じていましたし、視線も硬貨に向いていました。普通の人間なら、十分不意打ちとして機能していたでしょうね」
「完全に信じ切ってた訳じゃないんだけど……まあ……うん……」
ぎこちない半笑いを一つ返すピエール。
そのまま偽物の包みを放り投げ、三人組の元へと移動した。
: :
「助けてくれたことには礼を言うわ」
開口一番、不機嫌そうな顔で発された言葉に、ピエールの笑みが戸惑いがちなものに変わった。
発言の主は、先ほど襲われていた女性。いかにも気が強そうで、目つきも鋭い。
彼女は未だ目覚めない仲間二人と猪の死体の横で、膝を抱えて座っている。
「でも」
じろりとピエールを睨む女。
「あの状況で、あのバカ男を普通信じる? ありえない、あんたの思考そのものが信じられないわ。しかもあっさり逃がして。全員半殺しにして、身ぐるみぐらい剥ぐべき」
「う、うん、まああのおっちゃんの言うことを信じかけてたのは悪いと思うけど、でも一応助けることは出来た訳だしさ」
「だから礼は言ったじゃない。それとは別に、あんたたちが甘いって言ってるの。そもそも、こいつを狩って消耗してなければあんな奴らあたしたちだけで返り討ちにしてたわ。恩を売った気になんてならないでよね、根かじりさん?」
言いながら猪の死体を片手で叩く女。
「……」
後ろへ振り向いたピエールが、妹にだけ見えるように目一杯眉尻を下げて困り顔を見せた。
意図するところは"何でここの人はこうなの?"だ。
アーサーは姉へと視線だけを向けながら小さくため息を一つついて、
「……姉さん、行きましょうか」
姉の手を引き強引にその場を後にした。
後ろから聞こえてくる女の言葉を、全て聞き流しながら。
: :
「ここには、冒険者同士の信頼が全くありませんね。同業者をライバルであり敵としか見ていない」
先ほどの猪騒動の場所から離れ、二人はまた別の場所で低木から葉を採取している。
香草として料理に使える葉で、価格はそれなりだが生えたばかりの新芽の部分しか使えない為採取量は少ない。
「成果を競い合うライバル、と言えば聞こえはいいですが、実際は先ほどのように他人を陥れたり、恩人だろうと弱みを握られるのを嫌うあまり敵意と警戒心しか見せない」
「……何でそういう風になっちゃったのかな」
黄緑色の新芽をぷちぷちと摘み取りながら、小声で呟くピエール。
「あくまで憶測ですが、腰細森の生物の強さが原因ではないでしょうか。程々に強く、油断すれば危険はある。かといって、冒険者同士大勢で協力しなければ敵わないほど強くはない。その適度な強さのおかげで、本当の魔物を知らないまま半端に自信とプライドだけが育つ。そして周囲の人間も、それに釣られる」
本当の魔物、という単語を聞いて、ピエールが意味ありげに苦笑った。
「確かに、強い魔物がいる所では喧嘩してる場合じゃないよね」
「そうですね。人間同士で内輪揉めなんかしていたら三日で消えて無くなる、という町は往々にして存在します。そして」
危険な状況で実際に内輪揉めに興じたおかげで滅びた町も、数え切れないほど。
そう繋げて、口角だけを持ち上げて見下した笑みを見せるアーサー。
ピエールは何とも言えない複雑な表情で、嫌味な笑い方をする妹を眺めていた。
: :
採集を終え、香草や木の実がぱんぱんに詰まった袋を抱えて町へと戻ってきた姉妹。
いつものように門番に軽口を叩かれ、受付に買い叩かれ、それでもある程度の稼ぎを得て組合ロビーの椅子で一休みしていた時のこと。
組合の扉が蝶番が壊れそうなほどの勢いで叩き開けられ、ロビー内に突然の静寂が訪れた。
ロビーにいる殆どの人間の視線が集中する中、入って来た男が身体を曲げ息荒く呼吸をしながら、顔だけを前方へ向けて叫んだ。
「たっ、大変だ、大変だ! 腰細道に化け物が出た!」
血走っているかのように目を強く見開いて叫ぶ男。
だが、ロビー内の反応は芳しくない。
「……はあ、そう。それで、どんな化け物が出たんですか? 火吹き熊? それとも暴れ大蛇?」
受付に座っているいつもの若い女が胡散臭げに問い返すと、男は未だに興奮しきった様子で更に声量を増して叫ぶ。
「馬鹿そんなんじゃねえ、鎧だよ、鎧! 金色に光るでっけえ鎧が道のど真ん中に陣取ってたんだよ! 大きさなんか、そうだ! 建物くらいでっかくて! しかもそいつ、人間を頭から丸ごと食ってて……」
失笑。
鬼気迫る男の言葉を遮ったのは、ロビーのどこからか聞こえてきた失笑だった。
次いで投げかけられる冷やかし。
「おお怖い怖い、巨人が黄金の鎧着て歩いてるって? そりゃ一大事だ」
「そんな奴がいたら人間が根絶やしにされちまうよ」
「じゃあ早くここから尻尾巻いて逃げないと! ……って?」
男の言をまるきり信じる気の無い他の者たち。口々に、冷やかし笑う声が聞こえてくる。
「嘘じゃねえよ! そんなに余裕ぶっこくならお前ら実際に見てこい! そうすれば一目……」
「はいはい、分かりましたから落ち着いて下さい」
男は一切めげること無く更に声量を増して大きく吠えていたが、職員に制され叫び続けながらロビー内から追い出されていった。
周囲の人間は少しの間男について軽口を叩き合っていたがやがて話題からも消え、ロビーは何事も無かったかのような普段の光景に戻った。
そんな中、姉妹は顔をつき合わせてぼそぼそ喋っている。
「……どう思う?」
「本当に何も無い、とは思いませんが言うこと全てを鵜呑みには出来ませんね。何かいて、人が襲われていたのは事実。その光景にショックを受けて、実際に目にした物より大袈裟に印象がついてしまった、という所では」
「めっちゃ動揺してたもんね。勘違いしててもおかしくはなさそう?」
「とはいえ万が一、億が一事実だったら洒落にならないので暫く様子を見ましょうか。本当に道が塞がれているのなら、すぐに続報が届く筈です」
「……ってことは?」
「数日の間は採集も休みましょう。幸い、安全重視の行動を取れるだけの余裕はあります」
「やった、休み! 一日中ごろごろする! ごろごろ!」
「情報収集の為にここには通わないといけませんが、それが済んだら宿でゆっくりするのもいいですね。何もせず一日を過ごす、なんていつぶりやら」
休みと聞いて子供のようにはしゃぐピエールと、穏やかな微笑でそれを見守るアーサー。
確認に出た人間やアッシェから来る筈の人間が誰も戻らず、腰細道に何か危険なものが現れた、と本格的に人々が認識し始めたのはそれから二日後のことだった。




