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姉妹冒険者物語  作者: 並野
労働者姉妹物語 薬屋編
60/181

17

「二人とも、薬を作り終……あらエラちゃん」


昼食も終えた、昼下がり。

 仕事を終えたアメリーが肩を回しながら店内へ入ると、姉妹二人の他に小さな少女が一人いることに気づいた。

 三人がアメリーに視線を向ける。


「こんにちはアメリー、今日はいい天気ね!」


腰に手を当て、精一杯偉そうな態度を取ってエラが言う。

 アメリーは穏やかに笑って挨拶を返してから、姉妹二人へ目を向けた。


「今日は私たちにお礼を言いに来たんだって。ほら、一応私たちもエラちゃん助けるのに協力したけど、私が眠らされてから会ってなかったじゃん? だからって」

「お世話になったらお礼を言うのなんて当たり前じゃない! あたしだって子供じゃないのよ!」

「そう言う割に、本当はアーサーが怖くて今日まで先延ばしにしてたんでしょー? うりうり」

「や、止めなさいよこら、ぴ、ピエールっ!」


ピエールが悪戯顔で頬をつつくと、エラは顔を赤くして怒りながらピエールを平手でぺちぺち叩き始めた。


「へえ、二人とも仲良くなったのね」

「エラちゃんがアーサーにお礼を言うのに怖くて腰が引けてたから、アーサーがどんなに可愛い子かを丁寧に教えてあげてたら……この通り」

「アーサーの不機嫌さが増してる、と」


ピエールの発言に即座に繋げるように、アメリーが付け足した。

 ピエールとエラから少し離れた所で壁に背を預けているアーサーは、無表情ながらぴりぴりと肌を刺激するような刺々しさを放っている。

 アーサーに話が向いたことで身体をびくつかせたエラが、アーサーから隠れるようにピエールの背へ回った。


「……あ、あたしは何もしてないわよ。お礼だって、ちゃんと言えたし」

「あら、お礼言えたの?」

「言えたよー、エラちゃん凄い頑張った」


相変わらずピエールの背に隠れたまま、エラが鼻息荒くむふー、と息を吐く。


「それで、この時間に三色治癒を作り終わったということは。まどろみに行けばいいんですね?」

「ええ、そうよ。それから、今日は私も一緒に行くわ」


余計な話はうんざりといった態度のアーサーが確認を取ると、アメリーが頷いた。


「アメリーちゃんも?」

「よくよく考えると、あんたたちが来てから一度もまどろみに入ってないのよね。だから久しぶりに様子を見ておきたいのよ」

「そういやまどろみに用がある時はいつも私たちが行ってたもんね」


一人納得した様子のピエール。

 その服の裾を、エラが不安げに引っ張った。


「……ピエール、大丈夫なの? まどろみ樹林の魔物って、今も怒ってるんじゃないの?」

「怒ってはいるかもしれないけど、ちゃんとルールを守れば多分大丈夫」

「ほんと……?」

「多分ね。それにアメリーちゃんが一緒にいるからもっと大丈夫」


にっこり笑ってピエールが頭を撫でると、エラは子供扱いされたことを不服そうにしながらも不安を納めた。


「そういう訳で、カイには暫く留守番をしてて貰うわ。……エラちゃん、今時間ある?」

「えっ、あたし? ……大丈夫よ! 今日は暇……じゃなくて、えーと、その」


暇、に代わる何かいい言葉がないか探していたエラだが、何も見つからなかったのか頬を膨らまして俯くのみに終わった。

 穏やかに笑いながら、あえて触れずに話を続けるアメリー。


「いえね、今日は朝からずっと魔力使ってたからカイがヘロヘロなのよ。一人留守番させるのも少し不安だから、よかったらカイのこと見ててあげて欲しいなって」


カイと二人で留守番。

 それを聞いたエラの頬が、あっという間に白から桃色へと変わった。


「え、えとその、あたしは……全然、大丈夫、です」

「そう、なら良かったわ。それじゃ、カイを呼んでくるわ」


にこにことにやにやの中間のような笑みを残して、アメリーは店の奥へと戻っていった。

 代わりににやにや笑いを見せ始めるピエール。わざとらしく、演技めいて驚きを露わにした。


「えっ、この態度……もしかしてエラちゃんまでカイのことが……? そんなまさか」

「ばっ、べ、べべべ別に、そんなんじゃないわよ!」


耳まで赤く染め、言葉を荒げるエラ。

 一目瞭然な反応に確信を強めたピエールが、一転して真剣な顔でエラの両肩に手を置いた。


「……エラちゃん。ライバルは多いよ、頑張って」


ピエールの表情は完全に演技だが、エラはそれに気づかず自身も真面目な顔になって尋ね返した。


「ちょっと、それどういうことよピエール」

「カイはね……女の人に凄く人気があるんだよ。町には年上のお姉さんから同年代の女の子、果ては年下の羽人の女の子までガールフレンドが選り取りみどり。しかもこの間のまどろみ騒動の時の、お偉いお嬢様にまで気に入られて……ああっ、道は険しい!」


どこまでもわざとらしい大仰な素振りで、ピエールが嘆き自身の肩を抱く。

 真に受けたエラは、目を見開きわなわなと震え始めた。


「そ、そんな……!」

「だけど大丈夫、エラちゃんには住んでる所が近いっていう強みがある!」


だから頑張ってね。

 最後の一言だけ妙に軽い口調で付け足し、ピエールは妹を連れて店の奥へと引っ込んで行った。

 入れ違いで戻って来るアメリーと、疲労困憊で覇気の無いカイ。

 エラの何やら覚悟を決めた顔に、カイは首を傾げるばかりであった。


   :   :


「それで、エラちゃんの背中を押してあげたって訳」

「あんたねえ、面白半分でそういうことするの止めなさいよ。大体この間はリアーネちゃんのこと応援するって言ってたじゃない」

「それはそれ、これはこれ」

「もし将来カイを巡って修羅場になったら、あんたの所為だって告げ口してやるんだからね」


小声で言い合いながら、林の獣道を歩くピエール、アーサー、アメリーの三人。

 三人とも袖の長い野外用の服に肩掛け鞄、頭には頭巾、首には虫除けの染み込んだ布を巻いている。

 姉妹の腰の武器とピエールの背中の籠を除けば、三人とも同じ格好だ。


 暫く歩くと、すぐに視界は開けまどろみ樹林の明るい景色が前方に広がった。

 境の部分で立ち止まる三人。各々身体に付いた木の葉や小枝を払っている。


「何だか新鮮ね……。少し前まで週に二、三回くらいのペースで何度も入ってたのに」


頭巾から少しはみ出た赤い癖っ毛に、いくつか引っかかっている小枝を取りつつアメリーが呟いた。

 同様にアーサーも、首の横から前に出している金の後髪に手櫛をかけつつ引っかかっている葉を摘んでいる。


「私はこれで見納めかと思うと、ちょっとだけ名残惜しいよ」

「こんな少し整備されただけのただの森の風景に、名残惜しいも何も無いでしょう……」


言い合いながら、ピエールとアーサーが揃って一歩踏み出した。

 彼女たちの予想とは異なり獣の鳴き声が響くことはなく、続いてアメリーも足を踏み入れ三人は足下を注視しながら、まどろみ樹林を進み始めた。


「今回は来ないわね、大角」

「そのようですね。近くにいられると気が張って仕方がないので、いない方がありがたいですが」

「アーサー怖がりだもんね。……一人でここに来た時、大丈夫だった? 大角三匹に囲まれて泣いたり漏らしたりしなかった?」

「一撫でで人間を挽き肉に出来る魔物が近くにいて、怖がらない方がおかしい。ですが姉さんが考えているようなことはありませんでしたよ。最初に三匹来た瞬間、カイが腰を抜かした程度です」


平然と嘘をつくアーサー。

 大角に制止された時へたり込んだことや、石碑を目にした瞬間目尻に涙を浮かべたことなどは全て秘密だ。


「えー、ほんとかなー?」


それを知ってか知らずか、ピエールはそう返して緩く笑った。


   :   :


 暫く歩くと、最初の花畑の場所へと三人は辿り着いた。

 かつて淡い紫の花畑が広がり、少し前までは荒らし尽くされた殺風景なむき出しの地面となっていた広場。

 そこは今では、踝丈ほどの高さの草が生え並んでいた。

 目にした三人が、視線を投げかけ立ち止まる。


「アメリー、これ」

「ええ、そうね。全て夢見の草よ」

「もう植え直したのかな。育つの早いなー」


ぼそぼそ言い合いながら夢見の草を見つめる三人。

 内部では桃色の蟻が二匹、普段と同じ調子でひょこひょこ歩き回り手入れを行っている。

 すぐ横には、地面に寝そべり寝ぼけ眼でこちらを眺める一匹のアルミラージ。


「こうして見てると、花が咲いてないこと以外はいつもと全く変わらないわね」

「そうだね、まあ……」


言い掛けたピエールが口を閉ざし、視線を一方へ向けた。

 その態度から察した二人も、同じ方向へ目を向ける。

 やがて遠方に現れる巨大な気配。

 それは一直線に三人の元へ接近し、巨大な足音を響かせ、三人の目の前へと現れた。


「汝らこの地の宝奪いし者か」


まどろみの大角。

 美しい土色の毛並みは変わりなく、角は何かの体液が乾いたような赤茶けた汚れが少し付着している。

 いつもの問いかけに、三人は揃っていいえ、と答えた。


「その言葉努々忘れることなかれ。宝奪いし者を番人は決して許さぬ」


定型句を返し、三人から少し離れた位置に留まる大角。

 立ち去る気は無いらしい。


「今日は監視するみたいね」

「監視しない時もあるのですか?」

「時々ね。問いかけだけして、さっさとどっか行っちゃうの」

「忙しいのかな?」

「かもしれないわね。人間一人に構ってられない状況なのかしら」

「でもアーサーが入った時は、魔物いっぱい来てるのにアーサー一人に三匹もついてたじゃん」

「あの時は、人が一騒動やらかした所為で逆に人間への警戒を強めていた。という可能性もあります。もしくは顔馴染みのアメリー一人なら、放置してもいいと判断した、など」

「なるほど」


そこで会話は一区切り付き、三人と一匹は歩き始めた。


   :   :


「アーサー、壁に生えてたキバアオイってどこ?」

「羊歯植物が密集している場所と、アカチマギレの中間。そこから視線を上へ上げていけば」

「えーと、あったあった。もう採れそうなくらい生えてるじゃない、それに私でも登れそう」

「本当に? アメリーちゃん登れるの? 私かアーサーが登るよ?」

「……私を何だと思ってんのよ。これでも少し前までは冒険者としてバリバリ活躍してたんだから。見てなさい」


ピエールの言葉はからかうものではなく本当に心配している口調なのだが、若干プライドに障ったアメリーがピエールから背負い籠を奪い、猛然と壁に飛びつき登り始めた。


「んしょ、しょっ」


小さいながらも力強いかけ声と共に、直角に近い壁を登っていくアメリー。苔むしてはいるものの、幸い飛び出た岩が多く取っかかりには困らない。

 やがてさしたる問題も無く、岩の隙間に群生する藍色の茂みへ辿り着いた。壁に張り付いたまま肩掛け鞄から鋏を取り出し、薄っぺらな青い葉を手際良く切り取っては背中の籠に投げ込んでいく。

 その手つきは慣れたもので、時々壁から両手を離しているにも関わらず体勢は乱れない。


「おー……」


アメリーの作業を真下でぼけっと見上げるピエールの口から、間の抜けた声が洩れた。

 一応アメリーが落下した時の為の備えとして真下で待機しているのだが、表情も声に違わず間が抜けている。

 横ではアーサーが監視中の大角を気にしながらも他の薬草の採集に勤しんでおり、結局ピエールはぼけっと口を半開きにしていただけでその場所での作業は終了した。


   :   :


 薬草の採集も済み、三人は壁に背を預け座り込んで休憩と軽食の最中だ。

 各々薄緑のパンを鞄から取り出し、もそもそ食べ始める。

 加えて鞄の中に納められているコップを取り出すと、アメリーが小声で呪文を唱えた。

 瞬間、コップに水が満ち、姉妹はそれを礼の言葉と共に受け取る。

 口を付けたアーサーが、静かに息を吐いた。

 その雰囲気には、少しだけ決意が現れている。


「……こうしていると」


呟くアーサー。

 いつもと違う空気に、アメリーとピエールは無言のまま視線を向けた。


「昔を思い出しますね。休憩の際、あなたはこれ見よがしに自身のコップに水を溜めて見せ、水が欲しいなら一杯一ゴールドだと皆に金を要求して」

「懐かしいわね」


前を向いたまま、くすりと微笑むアメリー。

 それはアーサーの次の言葉を聞いても、変わることはなかった。


「そしてあなたの発言を、ニアエルフのキイルが窘めて。その時のあなたは、カイの話が出た時のエラそのもののようでした」


キイル。


 その名が出た時、表情を変えたのはピエールのみ。

 強い驚きと共にアーサーを叱責する顔に変わるが、アーサーは元より、アメリーも気にする素振りは無い。

 少しの沈黙。

 そよ風が吹き、地面の草と、木々の葉と、大角の毛並みが靡く。


「今日が最終日です。あなたに何があったのか、あなたの恋人だったキイルが何故いないのか。最後に教えて貰えませんか?」

「……意外ね、アーサーが尋ねてくるなんて。私はてっきりピエールに聞かれるかと思ってたけど」

「姉さんのことですから、大方あなたに気を遣っているのでしょう。ですが知りたがっているので、代わりに尋ねることにしました。私自身はあまり興味はありません」

「……あら、そうなの? ピエール」


微笑んだままアメリーが視線を隣の姉へと向けると、ピエールは露骨な顔で視線を泳がせた。


「い、いや、私は」

「あんたはいつも分かりやすいわね。……いいのよ、終わった話だもの」


少し湿った壁に背中を預け、アメリーが空を仰ぎ見た。

 遠い目をして、樹林の木々の合間から覗く青空を眺める。


「大した話じゃないわ。昔の私が必死でお金を集めていたのは、自立する為。あの忌々しい実家に金を叩きつけて縁を切って、カイを連れ出して、あの人と三人で静かで穏やかな生活を送る為。それはあんたたちも知ってるわね」


ふう、と息を吐くアメリー。顔は真上を見上げたままだ。


「あの家との手切れ金だけじゃなく、その後の生活の為のお金も必要だったから、死に物狂いで稼いでたわ。あなたたちと一緒に冒険して、町を守って、背中を預けて戦った時。あの時は、目標金額の八割貯まった頃だったかしらね」


姉妹二人は相槌も入れず、静かに聞き入っている。

 頬を撫でるような風が吹き、アメリーのふわふわの赤毛を揺らした。


「あなたたちと別れた後、もう少しで目標金額に届くって時のことよ。私とあの人はいつもみたいに冒険者として、旅の魔法使い二人組として、組合の依頼で前衛と組んで町の近くの魔物退治に向かった。討伐はこれで最後かな、って笑いながら」


アメリーがふふ、と自嘲げに笑う。


「最初は余裕だったわ。猪くらいの大きさで、握り拳くらいのべとべとの粘液を飛ばす変な虫が三匹いたけど、前衛の人が引きつけてる間に私とあの人が粘液を焼き消しながら冷気をぶつけて。一匹をかちこちの氷像にして殺したところで二匹が逃げて、それを追いかけて」


そこまで言ったところで、アメリーは口を閉ざした。

 真上を見上げたまま、微動だにせずにいる。

 姉妹が無言のまま待っていると、数十秒そうしてからアメリーが再び口を開いた。


「……森を抜けてちょっと広いところに出た瞬間、私の隣にいたあの人がいきなり吹き飛んだ。人の胴体を飲み込むくらい大きな灰色の粘液の直撃を受けてくの字に折れ曲がったあの人が、強酸でぐずぐずに溶かされて、獣の嘶きみたいなうめき声しか出せず死んでいくのを、すぐ目前で、巻き添えを受けて胸や手の皮膚を溶かされながら見ていた。さよならも、ありがとうも、愛してるも言う暇が無かった」


空を見上げていたアメリーが、膝を曲げて顔を伏せる。

 その表情がどうなっているのか、誰にも伺い知ることは出来ない。


「……あれが"溶かし撃ち"っていうとても危険で、少し珍しい魔物だって知ったのは近くの町に逃げ帰ってからだったわ。最初に殺したのは雄で、百メートル近く離れた場所から狙い撃った、雄の三倍くらい大きいのが雌。結局組合が人をかき集めて、二、三十人かけて溶かし撃ちの雌を討ち取ったんですって。でも、私は参加しなかった」


俯くアメリーの身体が、わずかに震える。


「あの時の私は、もうどうすればいいのか分からなかった。夜になる度、開けた場所に出る前に警戒してればとか、私がすぐに気を取り直して呪文で治癒してれば何か変わったんじゃないかとか、あの身寄りの無さそうな前衛の奴に当たれば良かったのにとか、泥みたいに爛れ剥がれるあの人の顔とか、人の肉の溶ける臭いとか、皮膚が焼け爛れる時の痛みとか、そういうことばかり頭に浮かんで、なのにベッドの中は凄く寒くて、夜いつも隣にあった温もりはもう存在しないんだって思って……」

「ごめん、ごめんアメリーちゃん。辛かったよね、だから、もういいから」


声を震わせながらも、アメリーを慰めようとするピエール。

 だがアメリーは顔を上げると、達観したような穏やかな顔でピエールへと笑いかけた。

 その顔を見て、ピエールは何も言えなくなってしまう。

 アメリーは、再び語り始める。


「……そのあと、死人みたいに虚ろな気分で私はここに来たわ。夢見の花があればこの心を癒してくれる、奪い取って花を食べてやる、この苦しみがどうにかなるなら死んだっていい、って。実際、あの時は殆ど自殺するつもりだった」


でも、花を奪わなかった。

 そう繋げてアメリーが再び自嘲めいた笑みを見せた。くすくすと笑い声を上げるほどだ。


「夢見の花を見つけて、毟ってやろうと手を伸ばしかけた瞬間。大角が走ってやって来て、私のことを間近で睨みつけたの。……敵意と殺意を剥き出しにした目で睨まれて、私は心の底から恐怖を感じたわ。溶かし撃ちなんか目じゃないほどの化け物。ほんの少しでも花に触れた瞬間踏まれたトマトみたいに潰される。あの目に睨まれて、全ての感情を上書きするくらいの恐怖を感じて、あの人が死ぬ時の光景と感覚が脳裏に激しく浮かび上がって。顔をぐしゃぐしゃにして失禁までしながら、逆に、死にたくない、生きていたいって痛感した。……他の人に偉そうな態度取ってるけど、私も本当は大角に睨まれて無様におしっこ漏らしたし、愚かにも花を奪おうとしてたのよ」


軽い笑い話のように語っているが、姉妹二人の表情が軟化することはない。


「その後、泣きながらまどろみを出て、村外れにあった空き家に潜り込んで、一人で泣いたわ。あの人が死んだ時に泣けなかった分、大声で泣いた。もう死んでしまいたい、でも死ぬのが怖い。どうすればいいのか分からない。ぎゃあぎゃあ叫びながら真っ暗な部屋の中でのたうち回って、一晩中子供みたいに泣いた。……そうして、喉はがらがら、目はひりひり、顔はげっそり、心は滅茶苦茶。満身創痍の状態で朝を迎えて、朝日を浴びながら、カイだけは何とかしなくちゃ、って漠然と、ぼんやりした気分のままそう思い出した」

「あなたの実家は、そこまで問題があったのですか?」


アーサーが尋ねると、アメリーは少々表情を曇らせながらも、声は平静を装ったまま答える。


「……どうなのかしらね。他人から見たら、案外悪い家じゃなかったのかも。ただ、私とカイは妾の子で、その上私の呪文の才能が家の子の中で飛び抜けてて、上の兄姉からちょっと嫉妬を買っちゃってて」


妾の子、嫉妬。その単語が出たことで、得心いったアーサーが話を戻すよう促す。


「それで、予定通り金を叩きつけて実家と縁を切ってカイを引き取り、この村に来たの。貯めてあったお金を使って村長さんから空き家で住む許可を得たり、村の人に建物の補修をお願いしたり、薬屋をする為の準備をしたり。お金が湯水のように消えていって、実家に投げた分と合わせて七年かけて貯めたお金が半分くらい無くなったわ。今思い出してもなんか笑っちゃう」


一人俯いてくすくす笑ってから、アメリーは話を続ける。


「そうして薬屋を始めて、今がある。まどろみの薬草の豊富さは一応知ってたし、あの人から製薬技術も教わってたからその点は問題無かったけど、町の道具屋のお爺さんと繋がりが出来るまでは大変だったわ。村の人は高い薬なんて買わないし、そもそも最近になってようやく交流出来てきたってくらいだし」


一通り話し終えたアメリーがコップに水を溜めてから一息に飲み干し、軽く笑った。


「……ちょっと長かったかしらね。ごめんなさい」


だが、彼女の笑みとは裏腹にピエールの顔は今にも泣き出しそうなほど弱っている。

 アーサーは普段通りの仏頂面だ。


「アメリーちゃん……大変、だったんだね……」


ピエールが俯いて絞り出すと、アメリーはあくまで明るく笑い返した。


「まあね。今でこそ少しずつ思い出に出来てるけど当時は全然駄目で、毎晩カイに一緒に寝て貰って、きつく抱き締めながらかたかた震えて泣いてたのよ。しかもそんな私の頭をね、カイが一晩中撫でてくれるの。お姉ちゃん大丈夫、もう大丈夫だから、って。本当、頼り無い姉だったわ、ふふ……って……これ笑い話のつもりなんだけど……」

「う、うばああ、ああ……」


アメリー本人としては軽い笑い話として自身の情けない逸話を語ったつもりだったのだが、逆にその話がきっかけとなってピエールの涙腺が決壊した。

 だばだばと液体を垂れ流す姉の目尻と鼻を、アーサーが懐から出したハンカチで拭う。


「流石にその話を笑い話として扱うのは無理がありますね」

「そうかしら……。大角相手に失禁して、空き家に勝手に忍び込んで暴れて、いい年して夜泣きして、って私のお茶目アピールのつもりだったんだけど」

「今までの流れでその話をお茶目として取れる筈が……ああもうほら、ちゃんとかんで」

「あ、あぇ、あうぇりーひゃん、あああ」


鼻をかむのもそこそこに、顔を盛大に汚したピエールがアメリーの腹へ飛びついた。

 制止の声を上げる間も無く、ピエールが彼女の腹を抱き締め締め上げる。


「ピ、ピエール、痛い! あと汚い! 力緩めて、顔ちゃんと拭きなさいよ」

「だいへんだっだんだねえーっ!」


ぎゅうう……っ。


「あああーっ! ちょっ、アーサー、助けて」


みしみしと音が鳴りそうなほど強く抱き締められるアメリーが、悲痛な顔で金髪の妹に助けを求める。

 だがアーサーは、最早手遅れ、と言わんばかりの顔でただ一度首を振るばかりだった。

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