16
朝露降りる林の朝。
昼夜問わず生き物の声で賑やかな林も朝は割合静かで、冷たくさわやかな空気が流れている。
「はああ、今日はちょっとだけ寒いね」
建物の裏手の、菜園に立つのはピエールとカイ。二人とも起き抜けで髪には寝癖がいくつか見られ、ピエールの茶髪も括られることなくゆるりと垂れ下がっている。
普段と異なる、穏やかでちょっと気の抜けた箱入りお嬢様のような風貌だ。
「そうだね。いきなり寒くなると枯れる草が出てくるから、ゆっくり寒くなってくれると嬉しいんだけど」
「そればっかりはどうにもならないよねー」
ぼそぼそ言い合いながら、ピエールは菜園の外にある井戸へ、カイは菜園の中へ。
カイが作物の調子を軽く見回っている間、ピエールは持って来ていた大きな水瓶に井戸水を溜めていく。
突き刺さりそうなほど冷えた井戸水が時折手に掛かり、ひゃっ、と可愛らしい声を上げながらも水瓶いっぱいに水を溜めたピエール。
十キロは下らないであろうそれを軽々持ち上げるとやはり軽い足取りで建物の中へ入り、ややあってから別の水瓶を持って再び井戸へ。
そうしていくつかの水瓶に水を溜め終え、菜園の見回りを終えたカイと裏口の前で合流した。
「どう?」
「今日も水はあげなくてもよさそう。雑草ちょっと取って、あと山霧草に虫がついてたからそれを除けるくらいでいいと思う」
「軽そうだね」
「うん。じゃ入ろっか」
二人は頷き合い、建物の中へと戻って行った。
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「くああ」
食堂の椅子に座るピエールが、姿勢を正したまま大欠伸を一つ。
とぼけた顔なのだが、欠伸の瞬間だけはどことなく熊や獅子の欠伸のような、油断していながらも猛獣じみた雰囲気の漂う表情をしていた。
その後ろで、姉の髪を黙々手入れするのはアーサー。
自身の金髪は既に整っており、姉の茶色い乱れ髪を丁寧に梳き後髪を編み上げている。
「出来ましたよ」
妹の言葉を聞き、ピエールが姿勢を崩して息を吐いた。右手で自身の髪を一通り撫で触って確かめる。
「ありがとアーサー、久しぶりだねこんなにきっちり編み込んだの」
「ここ数日は後ろで軽く纏めるばかりでしたしね」
久しぶりの編み込みが嬉しいのか、乱さないよう髪を右手ですりすり触っているとやがてアメリーが食堂へとやって来た。
その手にあるのは、朝食が乗った木製のトレイ。
「髪は終わった?」
「終わったよー、ほら見てアメリーちゃんアーサーがやってくれた」
立ち上がったピエールが満面の笑みでアメリーに後髪の編み込みを見せつけると、アメリーが少し驚く素振りを見せた。
「……本当に、今の間だけでやったとは思えないくらい整ってる。今更だけどアーサー、あんた器用よね」
「姉さんの髪の手入れは長年やっていますから」
表情は平静そのものだが、自信に溢れる口調でそう返すアーサー。
事実姉の髪の手入れは、彼女にとって誇るべき仕事の一つだ。
「いいわね二人とも綺麗な髪で。私はこんなだから整え甲斐が無いのよね」
「でもアメリーちゃんのそのふわふわの赤毛、可愛いよ?」
「そんなの当たり前じゃない。私を誰だと思ってるのよ」
軽口を叩きながらも、アメリーは机の上に食器を並べていく。
「癖っ毛だと髪型の幅が少ないのよ。アーサーみたいな真っ直ぐ伸びた長髪にしてみたいけど、私が髪を伸ばしたってもっさもさの髪にしかならない」
「あー……」
その様を想像したピエールが間延びした声を出しながら苦笑うと、アメリーも同じような顔で返した。
「ま、どうしようもない縮れ髪とかじゃなく、整えれば丁度いいゆるふわ髪になるだけマシかしらね」
そう締めて軽く微笑み、アメリーはトレイを抱えて再び奥へと引っ込んで行った。
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「うー」
朝食の後。ピエールが心底嫌そうに食後の茶、今日はルリネの葉の茶に口をつけている。
ルリネは月影草や待ち針草のような苦みは無いものの、独特の酸味が受け付けないのかピエールに慣れる気配はやはり無い。
「お姉ちゃん、今日は?」
「菜園は殆どやること無いんでしょ? じゃあ菜園の細かいこと終わったら、二人で三色治癒の量産ね。まどろみの騒動以来どたばたしてたから、町に届ける三色治癒が出来てないのよ。出来れば今日中に在庫を使えるだけ使っちゃいたいわ」
「三色薬草ってどれくらい残ってたっけ」
「赤が六瓶、青が四瓶、黄色が七瓶ってところね」
言われたカイが、頭の中でかかりそうな時間を試算する。
「半日あれば十分かな。でもその量だとアカチマギレとキイロスリネは余っちゃうね」
カイの言葉に頷き返し、アメリーの視線が姉妹へ向かう。
「そういう訳で、二人とも今日は店番ね。それから、三色治癒作りが早く終わったら状況次第でまどろみに行って貰うかも」
頷くアーサーとは対照的に、ピエールは少し不安げだ。
「まどろみかー、私はあれ以来入ってないからちょっと不安だなあ」
「アーサーは無事入れたみたいだし、多分大丈夫よ。本当に危険そうなら帰ってきていいから」
「うん、まあ覚悟はしとくよ」
苦笑いのピエールが、勢いをつけて椅子から立ち上がる。
「よし、じゃあ今日も……」
「姉さん、カップの中身が残ってますよ。全部飲んでください」
子供じみた怒りの眼差しを妹へ向けるも効果は無く、拗ね顔で座り直し渋々カップに口をつけるピエール。
意を決し彼女が飲み干すのを待ってから、アメリーが立ち上がった。
「さて、それじゃ頑張って働きましょう。……二人とも。最後の一日、よろしくね」
立ち上がった四人が、各々の仕事の為に動き出す。
今日は姉妹が来てから三十日目。
二人は明日の早朝に、この店を後にするのだ。
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「まずは薬草を可能な限り細かい粉末状にする。これはただ擂り鉢で擂る他、冷気の呪文で凍らせたり、瓶の中で風の呪文を用いるなどの方法があります。その際どれだけ細かく出来るかが、質に影響します。細かくした後は、呪文を使って水分を抜く。これが中々難しいらしく、カイも習熟に手こずっていました」
「ふーん。カイが手こずるんじゃアーサーは駄目だろうね。……でも、水を抜くのってそんなに難しいの? 作る方はアーサーだってやってるじゃん」
「聞くところによると、混ざっているものの中から水分だけを綺麗に分けるのが難しいようです。水を出すのとは必要な技術が全く違う。カイが練習で泥から水分の抽出を試みていましたが、中々綺麗な水を取り出せず、抜き取った水は濁ってばかりでした」
「呪文って難しいんだねー」
心の底から他人事めいた口調でピエールが呟き、気の抜けた視線を店内の扉へと投げかけた。
朝食の後、今は姉妹で店番の最中だ。まだ朝早い為、客の来る様子は見られない。
客が来そうにない、ということで脱力しているピエールの横で、アーサーはアメリーから教わった薬の知識を披露している。
本当はピエールに少しだけでも知識を蓄えて欲しいのだが望みが叶う見込みは無く、どちらかというとアーサーが語りながら知識を整理するのが主な理由になりつつある。
「……以上の手順で呪文で完全に水分を抜いて粉末にするのが、よくある保存方法です。三色治癒薬の製造には、この方法で粉末にした三色薬草と、精製した水もしくは酒精が必要になります。必要な三色薬草の比率は、赤三、青三、黄色四」
「黄色が多いんだー」
「飲んでも塗っても効果が出るようにするには、キイロスリネの働きが重要なようです。製造時も赤三を精製液で溶き、酒精が沸騰しないぎりぎりの温度に加熱した状態で黄二を少しずつ足す。同様に青三も別の容器で溶いて温め、黄二を少しずつ足す。そうやって赤足す黄と、青足す黄を別々に作ってから、先ほど同様温めて少しずつ混ぜながら呪文で魔力を込める。先に赤と青を混ぜてしまうと、上手くいかないのだとか」
「へー」
新しく知った知識ということで少々熱の籠もったアーサーとは対照的な、やる気の無い返事。
アーサーの心に少しだけ不快感が芽生えるが、専門的な話をしている自分にも少しは非があると心を押さえる。
「作業場では、二人が今言った方法で三色治癒薬を作っていることでしょう。今なら熱の残った、出来立ての治癒薬が一本くらい出来ているかもしれませんね」
「かもねー」
「……姉さん、真面目に聞く気が全くありませんね」
「だって私が知ってもだからどうしたって感じじゃん。作り方知ったって結局自分で作れないんじゃ何も変わんないし。……アーサーだって作れないんでしょ?」
直球で放たれた問いに、思わず言い淀むアーサー。
頬杖を突いたままその顔を見返したピエールが緩く笑う。
「まーアーサーが新しいことを知って喜ぶ気持ちは分かるけど、私に出来る反応はこれくらいだよ。妹相手に気を遣って感心したり驚く演技するのも変だし」
「それは、そうですが」
「アーサーってさ、昔っからそういう所あるよね。何か知る度に、お姉ちゃん聞いて聞いて、あれはねああいうことだったんだよ、こういうものがあってこういう意味があるんだよ、凄いよね、って説明したがるの。大きくなっても全然変わんない」
からから笑うピエールとは対照的に、アーサーは頬を朱に染め俯き気味だ。
実際言われると自分にも思い当たる節が大量にあるのが、尚更恥ずかしい。
「……何も、昔の口調を真似しなくてもいいでしょう」
「それくらい昔からってことだよ」
微笑む姉と、照れて俯く妹。
そうして暫く和やかな雰囲気で話していると、やがて扉の向こうから近づいてくる気配が現れた。
二人揃って姿勢を正し、視線は扉へ。
最後の日の店番は、穏やかに過ぎていく。
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「月影草が三束で二十一ゴールド、ルリネの喉飴三袋四十八ゴールド、山霧草が三束で十五ゴールド。以上で八十四ゴールドです」
「……」
カウンターを挟んで、アーサーの対面に立つのは骸骨と見間違いそうなほどに頬の痩けた若い青年。
弱々しく頷き、懐から汚くも無ければ綺麗とも言えない微妙な汚れ具合の百ゴールド硬貨を取り出した。
アーサーが硬貨を受け取り、質を確かめてから釣り銭の十六ゴールドと品を差し出す。
受け取るやいなや品物の中の、木綿の小袋一つの口を開き中の白く濁った飴を一粒口に放り込んだ。
ガリガリに痩せた頬の内側で飴が動き回り、青年が眉尻を下げる。
「はあ……癒される気分だよ」
口を開いた青年の声は、その外見年齢からは想像も付かないほど嗄れている。
年齢によるものではなく、喉の酷使が原因の嗄れ方だ。
声音に驚くピエールに気づいた青年が、歯を見せて笑った。
本人は明るい笑みのつもりなのだが、その印象は完全に骸骨のまま動く不死者のそれだ。
「いやあ、普段は町で魔力労働をしているんだがね。生まれつき喉が弱いのに呪文の詠唱ばかりしてるから喉に負担がかかってしまうんだよ。最近はこの店がルリネの喉飴を売ってくれるから、仕事の合間に舐めることで大分マシになったんだが」
つい喉飴を切らした途端これさ。
砂をまぶしたような声で言い、青年が笑う。
「魔力労働をしている方には、時々早期に声の嗄れてしまう方がいますね。昔知り合った女性で、年若く童顔で背も低い、一見すると少女にしか見えないのに声だけ老婆という難儀な人がいましたよ」
「それは何とも親近感の湧く女性だ、ハ……」
笑い飛ばそうとした青年が、突如口を押さえ老爺の罵声のような激しい咳を数度繰り返した。
心配そうにするピエールに手を振って問題無いことを示し、暫くしてから姿勢を正した。
「はあ……しかし、ここもようやく胡椒もどきの栽培が軌道に乗ったか……。久しぶりに味わいたいが……刺激物を食べるとすぐ喉が悲鳴を上げるからな……。難儀な身体だよ全く……」
喉を労った、小さな声で囁くように呟く青年。
品物を背負い鞄に納め、姉妹へ笑いかけた。
「ではな。また飴が無くなる前に来るから、アメリーさんにもよろしく伝えておいてくれ」
そう言い残し、頬の痩けた青年は店を後にした。
気配が完全に去ってから、口を開いたのはピエール。
「声もそうだけど、顔も凄かったねあの人。大丈夫なのかな色々と」
「顔の割に身体はしっかりしていましたし、そちらは大丈夫でしょう。わざわざこの店まで来るのも、ちょっとした運動のようですし」
「ふーん」
呟いたピエールが、カウンターに両肘を突き両手で自身の頭を支える。
「治癒の呪文で喉治したりはしないのかな」
「さあ、どうでしょうね。治癒をした上であれなのか、治癒の呪文を扱えないのか、それとも自分に呪文をかける魔力の余裕が無いのか」
「……最後のどういうこと?」
「魔力労働者は、仕事に魔力を使う関係上自分の魔力を自由に消費出来ないものなんですよ。人によっては仕事で自分の魔力を全て使ってしまい、私生活で呪文を一切使えない人もいる。仕事で毎日大瓶何杯もの水を作っている人が、普段は呪文の水を一滴も使えず手間をかけて川や井戸から水を汲んで使っているとか。アメリーだって、本来なら恐らく井戸水を使わなくても一日に使う水くらい呪文で全て出せるでしょうね」
「そうなの?」
「彼女の魔力量は私なんかより数十倍、下手すると百倍は多い。出せて当然です。……ですが、彼女も薬を作る仕事で魔力を使う以上、普段の生活で無駄遣いは出来ません。食料保存に使う氷と、料理の時に炎の呪文を使うくらいでしょう」
「へー……呪文で働くっていうのも何か不便だね」
「その上、アメリーのような立場だと有事の際に店を守らないといけない都合上戦闘用の魔力も常時温存する必要がある。中々難しいものですよ」
「難儀じゃのー」
やはり最後はどうでも良さそうな口調で返すピエール。
アーサーが口元に手を当て、呆れ顔ながらくすくす微笑んだ。




