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姉妹冒険者物語  作者: 並野
労働者姉妹物語 薬屋編
58/181

15

 外が静かだ。

 ただ、雨の降るかすかな音だけが聞こえてくるのみ。


 ピエールは一人カウンターの上に頬杖を突いて、ゆるゆるとまどろんでいる。

 カイとアーサーは、作業場で薬学の話をアメリーから聞いている。一応ピエールも同伴を誘われはしたものの、どうせ自分には分からない話だと断り今は店番だ。

 とはいえ彼女一人では大したことは出来ないので、客が来たら人を呼ぶだけの店番だが。


「んあぁ」


緩く大きく息を吐くピエール。

 昨日の騒動もすっかり納まり、穏やかな昼下がりが戻って来ていた。

 しとしと雨の音を背景に、小さな呼吸音だけが響く。


 そうして数十分もまどろんでいた頃。

 遙か向こうからやって来る気配と、その気配の主が誰なのかにピエールが気づいた。

 だが姿勢を変えることはなく、緩い格好のまま扉に目をやる。

 やがて聞こえる泥を踏む音。

 扉が擦れる爆音を立てて、男が一人入ってきた。


「やあルーカス君。この間ぶり」


眠たげな半眼で微笑みながらピエールが手を上げると、暗褐色の雨具のフードを外したルーカスが笑みを返した。

 湿気のある雨の中にそぐわぬ、清涼感のあるからりとした笑顔だ。


「ピエールちゃんまた一人かい? ……せっかくだし何か買おうかな?」

「もうその手は食わないよ、お金のやり取りする時は絶対人を呼ぶからね。……そうしないと、私が口うるさいどこかの妹に怒られちゃうから」

「怒られる光景が目に浮かぶようだよ」


自信満々のピエールから発された少々情けない言葉に、二人してからからと笑い合った。

 カウンターの前に歩み寄ったルーカス。

 しかし今回は以前のように身を乗り出したりはせず、ある程度距離を保ってピエールと顔を向かい合わせた。


「それで、その口うるさい妹さんは今どこに?」

「作業場でアメリーちゃんから薬のお話聞いてるよ。カイも一緒」

「ふうん。君は……いや、聞くまでもなかったな」

「あっ、ひどい。それどういうこと?」

「だって君、本当はあんまり賢い方じゃないだろう?」


多少おどけた調子でルーカスが言い、ピエールも笑顔のまま返した。

 彼の発言は内容だけを見るなら悪口そのものだが、雰囲気の作り方や口調が上手なのか悪意は感じられない。ピエールも気分を害した様子は皆無だ。


「それはともかく、妹さんを呼んで貰うことは出来るかな?」

「何で? やっぱ何か買うの?」

「昨日助けて貰ったらしいし、礼を言おうと思ってね。……それに、ガブリエラさんのことを説得出来なかったのは俺の落ち度でもあるから」


先ほどの雰囲気から一転して、真剣な顔で語るルーカス。

 ピエールはその意志は認めながらも、少々難色を示す素振りを見せた。


「えっと……それなら、私が代わりに言っておく、ってのじゃ駄目かな?」


目の前の少女にそう言われるとは思わなかったのか、男が意外そうに目を見開いた。


「アーサー、今回の件に関しては結構怒っててさ。薬草採りに行って結構大きな怪我もして帰ってきたし。だから真正面から顔合わせるとねちねち嫌味言われるんじゃないかなって……」

「なら、それこそ俺が直接礼を言って嫌味も受け止めて、彼女の溜飲を下げてやるべきだろう?」


はっきり言い切ってさわやかな顔で笑うルーカス。

 ピエールは一瞬驚きを見せたが、すぐに笑顔に変わった。


「ルーカス君ってそういうところ結構、何て言うか、義理堅い? 律儀? なんだね。意外」

「よく言われるよ」


二人して再び小さく笑い合い、ピエールは後ろを向いて妹の名を呼んだ。

 その途端、即座に現れるアーサー。

 まるですぐ側で待機していたかのような早さだ。


「……呼んどいて何だけど来るの早くない?」

「気配がした時点で、食堂の前まで移動して見張ってましたから。また誰も呼ばずに、一人で余計なことをしないように」

「悪趣味」

「前科持ちは信用されないものですよ」

「ほら見てよ私相手ですらこんなだよ? ルーカス君の……」


ルーカスに対して君付けした瞬間、ピエールにだけ見えるように薄目で睨むアーサー。

 もうどうしようもない、といった体で頭を振って、椅子から立ち上がり後ろへ下がった。

 下がった姉の代わりに、表面は無表情の薄皮一枚、内側にはり切れんばかりの不機嫌、といった雰囲気のアーサーが椅子に座り真正面からルーカスを見返す。


「……それで、今日は買い取りではないようですが。何が必要ですか?」

「いや、買い物じゃないんだが、ただ」

「客ではないと。ではお引き取りください」

「ちょ、ま」


言い終えるなり即座に立ち上がり返事を待たずに歩き去ろうとするアーサー。

 だがピエールに腕を捕まれ、無理矢理席に戻された。


「話くらいちゃんと聞いたげなよ。何だかんだで私もアメリーちゃんもエラちゃんも無事だったんだからさあ」


アーサーの無表情の薄皮が、今にも破れて不機嫌が吹き出しそうだ。


「……」


大きく静かに息を吐くアーサー。諦めた様子で、ルーカスに話を続けるよう無言で促した。


「アーサーちゃん、昨日まどろみ樹林で寝てた俺を拾って戻ってくれたんだろう? そのことで礼を言いたかったんだ。ありがとう、感謝してるよ」

「ただの気紛れです。お気になさらず」

「でももし放置されてたら俺はきっと森の肥やしになってただろう。だから、ありがとう。それと」


一旦区切り、一呼吸入れるルーカス。


「……悪かった。ガブリエラさんがまどろみ樹林に行く気だって知った時、最初は危険だから止めたんだ。だけど、眠りの呪文の相殺と人海戦術の存在を聞いた時、もしかしたらどうにかなるんじゃないかって思って、それ以降は強く止めなかった。ただ、直接花を採るのだけは万が一の時危険だから止めただけだ」

「あの馬鹿女やメイドが直接花を採らず生き延びたのは、あなたの入れ知恵でしたか」

「ああ、そうだ。……まどろみ樹林の魔物の眠りの呪文も、普通なら眠らされた時点で嬲り殺されるのが確定したようなものだし、眠り自体がどのくらい強いかは考えたことも無かった。だから……」


一歩下がってから。

 ルーカスは、アーサーに向けて直角に腰を曲げ、頭を下げた。


「悪かった。本当なら俺がちゃんと説明して、それで止めるべきだった。止められる場所にいた筈だった」


頭を下げたルーカスの後頭部をじっと見下ろすアーサー。

 ピエールが、


「ね? ルーカスく、ルーカスもこうやって謝ってることだし、機嫌直そ? ね?」


とまくし立てるように言うと、表情に変化は見られないもののわずかに雰囲気を緩めた。


「別にあなたに対して怒っている訳でも、あなたが私に謝る必要もありません。……ただ、ああ使えないなあ、本当ならあなたが的確に動けば何も起きずに済んだのに、ああなんて無能なんだ。そう思っているだけです」


あまりにも無遠慮なアーサーの物言いに、ピエールが無言で脇腹をつついた。だがアーサーは知らぬ顔だ。

 頭を上げたルーカスが、弱々しくも笑みを見せる。


「厳しいな……でも、言葉の割にそこまで責める気が無いように感じられるのは俺の気のせいかな」

「アメリーもあの馬鹿女に言っていましたが、もしも身近な誰かが死んでいたらこうはいきません。ですが今回死んだのは余所者だけで、我々や村人には誰も死者や取り返しのつかない重傷者が出なかった。だからこんな態度でいられる」


つらつらと無表情で言い放ち、話は済んだとばかりにアーサーは立ち上がった。


「他に何か用件は?」

「いや、もう無い。……アメリーちゃんや坊主とは昨日話したし、俺は帰るとするよ。家に帰って親父に今回の事を報告しなきゃいけないしな」

「そういえばルーカス……のお父さんって何してる人なの? この間面倒を見るよう頼まれたとか言ってたけど」


後ろを向きかけていたルーカスが、ピエールの何気ない言葉に反応し得意げな顔を見せた


「ああ、俺の親父はあの町の町長なんだ」

「へー……えっ、何、じゃあルーカス君って町長の息子さんってことなの?」

「そうだぜ。……もしかして俺がいい身分の男だと知って、興味が湧いてきた?」

「いや別にそういうのじゃないけど、今までで一番意外」


自信満々の笑みと共に発した言葉はすげなく切り捨てられ、ルーカスはあからさまに落胆した様子で肩を落とした。


「これもよく言われるんだよな、意外だって。俺だって町ではそこそこ人望あるんだぜ?」

「今まで見知った限りでは、あなたはどう見てもただの軽薄でいけ好かない優男です。もう少し態度を改めたらどうですか?」

「えっ、アーサーがそれ言う? 態度を改めろとか。一番改まってないじゃん」


間髪を入れないピエールの素の返事に、アーサーの顔が強張った。

 ルーカスが思わず笑いそうになったのを、すかさず睨みつけるアーサー。ルーカスは口元に手を当て、咳払いでごまかした。


「……さて。今度こそ帰るかな」

「ん、じゃあねルーカス君。雨だから風邪引かないよう気をつけてねー」

「ああ。またなピエールちゃん、それにアーサーちゃんも」


ふりふり明るく手を振るピエールと、やはり変化の無い無表情のアーサー。

 二人に気障ったらしい、だがどこか憎めない笑みで手を振り返し、ルーカスは店を後にした。

 雨の中、泥を踏む音が遠ざかっていき、やがて聞こえなくなる。


「姉さん、またあの男に君付けなんてして」

「えー……もういいじゃん。アーサーそれめんどくさい」


鬱陶しげに言い返し、ピエールはアーサーへ向けて手を振り席から退かせた。

 空いた椅子に腰を降ろし、一息。

 カウンターの上に頬杖を突き脱力するピエール。

 アーサーはその背中に向けて、頬を膨らませて不満をありありとアピールした。

 しかしその表情を姉に見せることはなく、暫くしてから無言で奥の部屋へと戻っていく。

 店内に再び、静かな雨音が満ちていった。


   :   :


 夜。

 雨は殆ど止み、霧のようなごく細かい雫が葉を濡らす程度に変わっていた。

 開かれた窓から曇り空のごく僅かな明かりと外気、それに湿ったそよ風が吹き込む中、アメリー、カイ、ピエールの三人が食堂の机を囲んでいる。


 今晩も大量の夕食を胃に納め、一息ついているピエール。

 暫くするとポットを携えたアーサーが食堂に戻り、自分と姉の前にあるカップに茶を注ぎ入れた。


「ん、ありがとアー……サー……あれ、ちょっと待って?」


いつものように笑顔で礼を言いかけたピエール。

 だがいつもと異なる行動、具体的には二つのカップに同じポットから中身を注いだことに気づき、当惑の表情を見せた。

 だが当のアーサーは澄まし顔だ。食事中のアメリーはにやにや笑い、カイは目線を上げてピエールに注目している。


「どうしました?」


茶を注ぎ終わり、自身の席に戻ったアーサーが優雅にカップを持ち上げ中身を口に含む。

 黄味を帯びた透明の液体は、部屋中を満たしそうなほど強烈な甘い香りを放っている。


「いや、これ紅茶じゃないんだけど」

「そうですね、これは月影草の花の茶です。甘い香りが特徴的で、頭痛や目眩、解熱などに効果がある、と言われています。とはいえ魔力は含まず、そこまで劇的な効果もありませんが」

「そうじゃなくて」

「ああ、どうして月影草なのか、ですね? 昨日濡れて帰って来たからか、今朝からどうも頭が重く感じていましてね。一晩雨に濡れた程度で風邪を引くほど柔な身体ではありませんが、月影草の在庫には余裕があるので念の為今日はこれを選びました」


表情は平静、口調は得意げに語るアーサー。

 一方ピエールは当然の如く顔に不満がありありと現れている。


「私紅茶がいいんだけど」

「紅茶はもうありません。なので姉さんも月影草です」

「えっ、紅茶無いの? なんで?」

「当たり前でしょ、私とカイは普段飲まないもの。万が一の時の為のちょっぴりの買い置きをあなたが毎日毎食時飲むから今日の昼で綺麗さっぱりおしまいよ」

「……」


横から挟まれた言葉に、ピエールがアメリーを見返した。

 親に裏切られた子供のような、信じられないものを見る目だ。

 そんな目のまま視線を降ろしカップの中の黄色い液体を眺め、再び視線をアーサーとアメリーへ。


「いいじゃないですか月影草で。いい香りですよ?」

「嫌だよだってこれ甘いのは匂いだけで味はめっちゃ渋くてめっちゃ苦い詐欺みたいなやつじゃん!」

「詐欺とは失礼ですね。味だって苦みの中に確かな風味があって美味しいじゃないですか」

「出たよ風味! アーサーって不味いものでもとりあえず風味って言っておけばいい、みたいな感じだよね!」

「そんなことありませんよ。本当に風味も何もあったものじゃない不味いものだってあります。それとは全く違う」

「もう煎れてあるんだから観念して飲みなさいよね……お姉ちゃんなんだからハーブティー程度でぴーぴー言わないの」

「あー聞こえない私には聞こえない……ねーカイ、カイからも何か言ってやってよ、この意地悪な二人にさあ」


傍観者を気取って一人外から眺めつつ黙々と食事をしていたカイ。

 それがいきなり話を振られ、面食らったような顔をした。

 驚いた表情のまま、口の中のものをとりあえず嚥下。


「……、まあ、月影草は確かに美味しくないよね。僕も最初この甘い香りを嗅いで、それから実際に飲んだ時は騙されたと思ったし」

「だよねだよね! ほら二人とも、これが正しい反応だよ」

「でも我慢して何度か飲んでると、意外と慣れちゃうものだよ。アーサーさんの言う通り、他の薬草のお茶にはもっと美味しくない本当に苦いだけのものって沢山あるし」


してやったりな笑みが、再び裏切られたような顔へ。

 視線をぐるりと巡らせるが最早自身の肩を持つものなどこの場には一人もおらず、全員が敵であることに気づいたピエール。

 やがて視線は躊躇いがちに伏せられ、湯気の立ち上る黄色い液体へ。

 悲しみを胸に、震える手がカップへ伸びる。

 そして中身に口を付け……、


「やっぱ苦いよこれーっ!」


という大きな叫び声が、外の林まで反響して響いた。

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