14
一騒動から明けて翌朝。
空はまだ暗く、外では静かなしとしと雨が続いている。
結局あの後疲労困憊だったアーサーはアメリーの帰還を待つことなく痛み止めを服用して床に就き、ピエールも帰って来た二人と軽く話をしただけでその日は就寝した。
なのでこの朝食が、騒動後の初めて四人揃う食事の時だ。
アメリーとカイはほぼいつも通り。
緑灰色のパンに豆と鞭打ち草のスープ、ささやかな贅沢として一角兎のソテーが少量。
一方ピエールとアーサーは、パンとスープは同じ物だが量が遥かに多い。アメリーの三倍はあるだろう。
その上、横に置かれているのは巨大な赤身肉の塊。一角兎のステーキだ。とはいえ味付けは塩、それに胡椒に似た風味のものを含んだ薬草類が主である為、ステーキというより香草焼きの方が近いかもしれない。
元々彼女たちは、普通の人間以上に燃費が悪い。昨日の昼、夜とろくに食事が出来なかった分を朝食で補おうとした結果がこれである。
一角兎は一匹を四人で食べ切るには少々多い肉量なのだが、それにしたって朝からステーキは無いだろうとカイは羨望より先に苦笑いを浮かべていた。
同じくアメリーも、すいすいと目の前の食事の山を消化していくアーサーに呆れ顔だ。
「よくもまあ朝からそんなに食べられるわね。見てるだけで胃が重くなってくるわ」
「我ながら自分の身体は難儀なものだと感じますよ。今はとにかく大量の肉が欲しくて仕方が無い」
言いながらも、切り分けた赤身のステーキを一切れ、フォークで刺して口へ運ぶアーサー。
彼女の右腕はもう殆ど元通りだ。今朝起きた段階ではまだ昨日と変わらないくらい腫れていたが、アメリーによって治癒の呪文を施された結果、腫れは治まっている。
「まあ昨日は働いてくれたし、お腹いっぱい食べるといいわ。じゃ、昨日の出来事をまとめましょうか。まず、私とピエールが眠ってから起きるまでのことを教えてくれる?」
姉妹のものと比べると驚くほど小さく見えるソテーを咀嚼し終えたアメリーが、話を切り出した。
「眠らされた村人を避難させながら二人を追いかけた結果、途中で魔物が一斉にまどろみへ帰り始めた。魔物を見送り、村の端まで行ったところで姉さんとアメリーとエラ、それから馬鹿とメイドと屑がいた。屑を殺して、死体を片付けてから私はまどろみへ。……カイ、私がまどろみに行ってる間はどうでしたか?」
「特に何も無かったよ。村の人への説明とかは全部アーサーさんがやってくれたし、僕はルーカス兄ちゃんを村に引きずって戻って、家でアーサーさんが戻ってきた時の為の準備をして、後はちょっとガブリエラさんと話したくらいでずっとそわそわしながら待ってた」
「ルーカス? そういやあいつどこで寝てたの?」
「まどろみの入り口辺りで倒れてたのを、アーサーさんが抱えて来たんだ。何でまどろみにいたかは、昨日お姉ちゃんが起こした時に聞いた通り」
「先日あの女誑しが言っていた、冒険者崩れのトップの面倒を見る、というのが馬鹿のことだったようですよ」
いまいち理解出来ていなさそうだったピエールへ、補足説明を付け足すアーサー。
まだ恨みがあるのか子供じみた蔑称を使っている。
「へえ、なんか意外ね。アーサーなら容赦無く見捨てそうなものだけど」
「偶然です。あと数歩分遠くにいたら無視していたでしょうね」
隣に座る姉からの静かな非難の眼差しを、妹はすまし顔で受け流す。
「……ねえ。それで、アーサーさんがまどろみ入った時に何があったのか、聞いてもいい? その……腕とか」
やや躊躇いがちに切り出したカイの視線は、アーサーの右腕に。
既に腫れは引いているが、掌には少し傷跡が残っている。
三人の視線が自身に向いたのを確認し、アーサーは喋り始めた。
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「そうして自切した足の爪に、毒がありました。とはいえ幸いだったのは、足の痺れや意識への影響が無かったこと。その後は何も起きないまま歩いて帰って来ました」
語り終えたアーサーが濃い真緑色のハーブティーを口に含んだ。食事は既に済み、机の上の食器は片付けられている。
結局姉妹は机からはみ出しそうなほどの量の食事を、一つ残らず胃に収めていた。
「……まどろみの外って物騒な魔物いるんだね」
「奥の方だけど、意外といるのよ。普段は大角やアルミラージが怖いのか近くに来ることは殆ど無いけど、今回みたいに何かの騒動に乗じて夢見の花にちょっかいかけるのは時々見るわ。私は花の奪取成功は一度も見たこと無いけど、上手く逃げた所っていうのも一度くらい見てみたいわね」
「僕、これからまどろみ入るのがちょっと怖くなりそう」
「花じゃなくて人を食べにわざわざまどろみまで来る魔物はまずいないから気にしなくていいわよ、もし何かあったならまどろみの魔物を盾にすればいいし。……ねえ、それよりアーサー」
アメリーが机の上に身を乗り出し、アーサーの目を真正面から見つめた。
「石碑の文字が読めたって本当? 何て書いてあったの?」
興味津々といった態度のアメリーに、アーサーは珍しく得意げになることも無く、静かに話し始める。
「私も完全な解読が出来る訳ではなく、あくまで断片的なものですが。……石碑は案内板で、あの先には何かの施設、診療所か療養所などの類があるようです。大角に制止されるのは施設が近いからで、大角の言葉通り何かしらの許可があれば入れるらしい」
朗々と語る言葉に三人は驚き、少しの間部屋から言葉が失われた。
戸惑いながらも、最初に言葉を発したのはアメリー。
「……え、何、まどろみの奥にあるのが診療所? ってことは」
「夢見の花はその施設の主の所有物、大角はその主に対し従属する立場のようです。無許可で何かを取る、奥へ進むなどすると何かが攻撃する、と書かれていました。十中八九"何か"の前者は夢見の花で、後者は大角でしょう」
「一番の親玉だと思ってた大角が沢山いて、しかもただの門番だった……って凄いびっくりなんだけど。じゃあその主? は大角よりもっと強い本物の化け物とかなのかな」
「使われていた文字を見る限り、遥か古い時代の存在であることは確かでしょうね。私がかつてこの文字を知るきっかけになった場所も、四、五千年ではきかないくらい古い場所でしたし」
さらりと言ったアーサーの言葉に覚えがない、というよりすっかり忘れているピエールが首を傾げた。
「それどこのこと?」
「……泡立つ髑髏の」
がたがたっ!
思い出したピエールが飛び跳ねるように立ち上がり、椅子を倒しながら数歩後ろへ後ずさった。
その過敏過ぎる対応にアメリーとカイは目を丸くするが、アーサーは若干の俯き顔のままだ。
「ちょ、ちょっとアーサー、それ大丈夫なの本当に」
「同じ文字を使っていた、というだけです。石碑の内容に危険な要素は何一つありません」
一瞬の内にこめかみに冷や汗を浮かべながらも、ピエールは再び椅子を戻し席に着いた。
アメリーが過剰反応の理由を詳しく聞こうと尋ねたが、二人は何も言わず首を振るばかり。
態度にも、絶対に言わないという意志がはっきり現れている。
「……とにかく、その文字はとある古代遺跡で使われていた、口にするのも憚られるような危険な内容を記したものと同じ種類の文字、というだけの話です。ここの石碑の文章は先ほど言った通り。文字が同じというだけでは、危険度を推し量るには少し足りない」
それでも万全を期してここを去るというなら、止めませんが。
そう付け加えて、アーサーはカップの中身で口を湿らせた。
アメリーとカイが、当惑の満ち満ちた表情で顔を見合わせる。
「僕としては、二人がそこまで怖がるっていうのが一番気になるところなんだけど……」
「私もよ。……ま、でも聞かなかったことにしておくわ。話を聞く限りでは即座に有害って訳じゃなさそうだし」
「そうしてください」
そこで石碑の文字についての話は終わり、アメリーが大きく息を吐いた。
「話戻すけど、まどろみ樹林ってやっぱり人為的に作られた場所なのかしら」
「でしょうね。不思議な点はいくつもありましたが、それなら全て合点がいく」
「そうよね……どう考えてもおかしいもの」
うんうん、と頷くアメリー、無言で彼女の反応を肯定するアーサー。
二人だけの話に入れず、首を傾げるのは姉と弟。
「どういうこと? 何でやっぱり、なの?」
「何でも何も、おかしいわよあの森。いくらなんでも稀少な動植物がいすぎよ。夢見の花は当然、乙女の祝福にマステスラに膿虫。どれを取っても普通はこんな浅い平地の森なんかにいないもの。もっと人里離れた森の深部、魔力の土が満ち、大型の魔物が平然と闊歩するような奥地にいる筈のものなんだから」
「魔物の生態にしたって、四種の魔物が協力して主食にする訳でもない花を栽培したり、何よりおかしいのは妙に人間に寛容なところですよ。私が魔物だったら何しでかすか分からない人間なんかまず樹林に入らせません。一体何の理由があってわざわざ侵入者に問いかけたり、手を出すまで見るだけに留めるのか疑問で仕方が無かった」
「……言われてみれば確かに」
「予想をまとめると、大昔の誰かが夢見の花を利用する施設、その存在が人に近いなら恐らく心の傷を休める為の療養所みたいなものを作って、夢見の花を栽培し番人か使用人代わりの魔物四種を放った。その結果土地に魔力が満ちて、ちょっとした森の奥地みたいな環境になった。それがまどろみ樹林。あくまでそこは療養所なので正しい手順に則って患者として来れば歓迎される……みたい、だけど、花泥棒には容赦しない。そんなところかしら」
「恐らくは」
神妙な顔をする四人。
「まどろみの真実が分かった……というより逆に謎が深まっただけって気がする」
ピエールの呟きに、皆が無言で同意した。
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「じゃあ後はアーサーが帰って来て、二人が村に行った時のことだね」
「全員無事に起こせたようですが、あの馬鹿は一体どうなりました? 迷惑かけられた分毟り取らなければいけませんが、あれにそのつもりはありましたか?」
「ああ、それはね……」
問いかけられた言葉ににまにま笑みを浮かべたアメリー。
だが言うより前に何かに気づき、姉妹と揃って立ち上がった。
一人座ったままのカイが首を傾げる。
「三人ともどうしたの?」
「お客さんよ」
「多分二人かな」
「噂をすれば影が差す、でしょうか」
遅れてカイが立ち上がったところで店の入り口を叩く音と誰かの呼び声が響き、四人は食堂を出て店内へ移動した。
: :
とんとん、とんとんとん。
扉を叩く音は幾分控えめで、扉越しに聞こえる声も少し小さい。
その音と声から外の相手が誰かを判別したアメリーが、再び笑みを浮かべた。
「カイ、開けてあげて」
「えっ、何で僕が」
「いいから。お姉ちゃんの命令」
姉の言葉に心底不服そうにしながらも、カイはカウンターの横を回り扉の前へと歩いていった。
ぎちょっ。
滑りが悪く重い音を立てて鍵が開き、同様に物の擦れる爆音を立てて開いていく扉。
来訪者は、お嬢様のガブリエラとメイドのレナータだ。
鎧は外しているものの、昨日同様上等な服装に身を包んでいるガブリエラ。
しかし彼女は対面の相手がカイだと知ると、服の裾や膝が汚れるのも構わずその場に膝を突き、カイと視線を合わせた。
「カイ君! おはようございます!」
カイの両手を握り込み、頬を染めた満面の笑顔で、至近距離から見つめ返すガブリエラ。
カイの顔が、ごく僅かひくつく。
「あ、ああ、うん。おはようガブリエラさん。レナータさんも」
何とかそう返したカイに、無言のままお辞儀を返すレナータ。
ガブリエラは最後に一度手に力を込めてから、名残惜しそうに手を離した。
そして立ち上がりアメリーに挨拶しようとしたが、その横で自身を見据えるアーサーに気づきさっと顔を青くした。
再び膝を突き、今度はカイの小さな背中に隠れるように縮こまる。
年上だとか、身分の高さだとか、そういった要素からなる威厳は欠片も無い。
「あ、あの、カイ君、彼女は」
「……ああ、アーサーさん? 大丈夫だよ、もう一通り話は付いたし、今更何かしたりしないって」
「ほ、本当に……?」
「今あなたに求めるのは今回の件の賠償だけです。それさえ出して貰えればわざわざ命など取りはしない。……それとも、まさか賠償の減額でも頼みに来たのですか?」
「も、勿論昨晩村長さんとアメリーさんから提示された金額は必ずお支払いします! 減額などいたしません!」
依然小さな背に隠れ少年の服を力いっぱい握りながらガブリエラが早口で返すと、アーサーは腰の剣の柄頭にこれ見よがしに置いていた右手を降ろした。
そのままアーサーは一歩下がり、堅かった雰囲気を緩める。ガブリエラも、下がったアーサーから遅れてようやく立ち上がった。
改めてアメリーに一礼。
「アメリーさん。今回はわたくしの浅慮でご迷惑をかけてしまい、申し訳ありませんでした。その後の始末をしてくださり、本当にありがとうございます」
「いいのよ、幸い村の人には死人が出なかったもの。他の人はまあ言ったら悪いけど他人だし、後は壊れた建物の補償と使った薬の代金だけよろしくね」
答えるアメリーは、笑みこそ見せないものの柔らかい雰囲気だ。
ガブリエラもアーサーの時のような緊張は見せていない。
「はい、それは勿論。これから実家に戻り父上への報告とお金の用意を致しますので、村を出る前の挨拶をと思って伺いました」
「そう。えっと、あなたの家は中央のセーラの町よね。馬なら十日もあれば往復出来るかしら」
「ええ。とはいえ帰ってすぐお金を用意して発つという訳にはいきませんから、十日と数日はかかると思います」
「でしょうね。……じゃ、お金はしっかりよろしくね」
「はい、勿論」
話が済み、ガブリエラは再びアメリーに向けて深く頭を下げた。
それから、改めてカイの前に膝を突く。
「カイ君、昨日は本当にありがとう。あなたが慰めて、励ましてくれたのは本当に嬉しかった。……すぐに戻って来るから。そうしたら、またわたくしに色んなお話を聞かせてね」
「うん。ガブリエラさんも、気をつけて帰ってね。お母さんのことも、きっと何とかなるから」
最後の言葉で何やら感極まったのか、今にも泣き出しそうなぎりぎりの泣き笑いを見せたガブリエラ。そのままカイをひしと抱き締めた。
抱擁は数秒続き、名残惜しそうに離れたガブリエラが立ち上がる。
「……それでは、皆様、失礼致します」
最後に一礼をし、二人は薬屋を後にした。
残った四人、最初に口を開いたのはピエール。
「カイ、あのお嬢様と何かあったの? なんか妙にでれっでれだったけど、あの人」
「……いや別に、何も」
「なんかね、昨日私たちが眠ってて、アーサーが乙女の祝福採りに行ってる間に呆然としてたあのお嬢様を慰めたり、励ましたり、身の上話聞いたり色々してあげたんだって。そのおかげでああなったらしいわよ? さっき言ったお母さん、っていうのもなんか彼女の母親が色々あって心を病んでて、その母親の為に夢見の花を採りに来たみたい」
素っ気なく言い切ろうとしたカイの言葉に、上から被せるようにアメリーが長々説明した。
完全なにやにや笑いのアメリーとは対照的に、カイからは不快感がにじみ出ている。
そんな赤毛の姉の笑顔に乗るのは、茶髪の姉。
「へー、ほー、ふーん? カイってば凄いね、アーサーがルーカス君のこと女誑しって言ってたけどさ、むしろカイの方が女の子落とすの得意なんじゃない? ……私もカイのこと好きになった方がいい? ぎゅってしてあげよっか」
「本気でむかつくから止めて。そもそもピエールに抱き締められたら全身の骨砕かれて殺されそう」
「そうですよ、冗談でもそんなこと口にしないでください。カイを行方不明にはしたくない」
ぼそっ、と真顔で呟くアーサー。
急転直下で空気が冷えた。
「……えっ、アーサー……ちょっと」
「冗談です」
「全く冗談に聞こえなかったんだけど今の言い方……僕本当にアーサーさんのことが怖くなってきた」
「ピエール、あんたの妹やばいわよ。どうにかしなさいよ」
「大丈夫、本気でアーサーが変なことしようとしたら、いっぱい叩いて止めるから」
「冗談だと言ってるじゃないですか」
「冗談でもー、そんなことー、口にしないでくださいー」
先ほどアーサーが言った言葉をわざとらしくオウム返しにして、アメリーが笑った。
次いでピエールにも笑われ、自身の発言を後悔しながらもアーサーが息を吐く。
「で、結局あの女にはいくら払わせる予定ですか?」
「五千ゴールドよ」
「五千? 安過ぎでは?」
告げられた金額に、不満げな視線をアメリーへ向けるアーサー。しかしアメリーは気にしていない。
「建物壊されたって言っても、結局田舎の掘っ建て小屋だもの。そんなものよ」
「しかし、今回の騒動の規模を鑑みれば数万は毟れたのでは」
「いいのよ。相手は中央のお嬢様だし、少しくらい情けをかけるのも悪くないわ。彼女も頭はちょっと……いえ、かなりお花畑だけど、根は素直で真面目みたいだし。カイにも好意抱いてたから、コネが出来れば上々」
それにね。
一言付け足して、アメリーの顔が底意地の悪いにやついた笑みに変わる。
「今回の死人の遺品、彼女の直属と、受取人のいる人の分以外は全部置いていくって。身寄りの無い漁り放題の遺品がおよそ九十人分。全部捌けば元が取れるどころか、焼け太りすらあるわよ」
「……それはそれは」
昨日回収、整理した余所者たちの所持品を思い出しつつ、アーサーも口の端を持ち上げて笑った。
二人して、これから得られる利益を思い悪人じみた笑みを浮かべるアーサーとアメリー。
横ではピエールとカイが、嫌なものを見る目で二人を眺めていた。




