表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姉妹冒険者物語  作者: 並野
労働者姉妹物語 薬屋編
51/181

08

「……おや、本当にいました」


アメリーに頼まれいつものように朝一番でまどろみ樹林へ来ている姉妹。

 紫色の花が咲き乱れる森を進んでいたアーサーが、遠くに一体の魔物を見つけた。


 彼女たちの視界の先、数十メートル奥に、草木に紛れて灰色の何か、這いずる物体が存在している。

 夢見の草に気をつけて近づいていくと、六本の突起を生やしたなめくじのような奇妙な不定形生物が、はっきりと二人の視界に写った。


 大きさは一角兎と同程度、意外に大きい。

 彼女たちが目の前に近づいてきても、一切の反応を見せずのろのろと植物の隙間を縫って這っている。


「うわあ、なんかすごい不気味。……アーサー、これ多分結構強いよね」

「恐らく。魔物、と呼べるだけの強さはあるらしいです。とはいえ敵対状態にならなければこの通り無害なものですよ。愛嬌すら感じられます」

「……いやないよ、愛嬌は絶対ない……とりあえず説明してよ」


腰に吊された斧の持ち手を握ったままピエールが呟くと、アーサーは地面に落ちていた木の枝を拾って目の前の不思議な生物の粘液に包まれた表皮を軽く撫でた。

 何も意に介さず、突起を伸ばしたり縮めたりを繰り返すその生物。

 アーサーは枝の先端に付着したてらてら光る粘液を顔に近づけ、軽く臭いを嗅いだ。

 粘液の生臭さに、金属のような無機物の臭いが混じっている。


「名前はマステスラ。人里離れた深部に棲息する魔物で、魔力に対する強力な抵抗性を持っています。この魔物にはどんな呪文も通用せず、炎に巻かれようが氷礫を飛ばされようがマステスラの周囲に到達した瞬間霧散する。魔力そのものを弾く、という感じですね」


説明しながら粘液のついた木の枝を姉へと向けるアーサー。

 向けられたピエールは心底嫌そうに頭を振った。


「基本的な性質は非常に鈍感で、ちょっと突つかれたり叩かれたりした程度じゃ微動だにしない。深く斬られたり魔力を伴わない炎で焼かれたりすれば敵対状態に入り今の状態からは想像もつかない凶暴さを発揮する……らしいですが、前述の通り基本的には無害」

「凶暴って、どんな感じになるの? こんなのろのろが凶暴って全然分かんない」

「……どれなのか分かりませんが目が赤く光り、どこなのか分かりませんが大口を開けて噛みつき、どれほどなのか分かりませんが想像を絶する機敏さで動いて突起で刺してくる、らしいです。あくまで伝聞ですが」

「全然ぴんとこない」

「私もです」


ゆっくりゆっくりと森を這う灰色の粘塊を見下ろす二人。

 アーサーが戯れに手袋越しに突起の一つに触れるが、やはり特別な反応を返すことなくただヌルヌルしている。


「このマステスラ、味は非常に苦い上に無理して食べると体内で魔力を弾く作用が悪影響を起こし、呪文は使えない治癒呪文は受けられない魔力の籠もった薬や道具の効果を受けられないと散々な結果になる。おかげで他の生物に食べられることはなく、それどころか戦いの時に呪文を弾く盾として魔物から利用されることもあるという。その盾代わりになっている最中ですら、はっきりとした危険を感じるまでろくに抵抗もしないとか」

「……とことん変なやつ」

「さて!」


一通り説明を終えて満足したアーサーが、両手を合わせピエールへ満面の笑顔を向けた。

 突然の笑顔に、ピエールの顔に驚きと疑念が浮かぶ。


「今回はそのマステスラの身体から滴る粘液と、表皮を薄皮一枚、敵対状態にならないぎりぎりのラインで剥いで回収します!」


驚きと疑念が、一瞬にして嫌悪に変わった。


「は、なんで、やだ、嫌だよ気持ち悪い!」

「こいつの魔力を弾く特性というのはですねー、中々貴重なんですよ。使い方によっては魔力を閉じこめることも出来るのでねー、高品質な巻物を作るのに使えるんですよ。それにねー、アメリーから頼まれたことなので拒否権は無いんですよ」

「その得意げに変な口調になるの止めて!」


苦し紛れのピエールの叫びを、笑って受け流すアーサー。

 笑ってから、不意に真剣な顔になった。


「気持ち悪いのは分かりますが、姉さんには我慢してこいつを持ち上げて固定する仕事をして貰います。動きを固定しないと薄皮を剥ぐのが難しくなる。失敗して皮が破けるだけならまだしも、表皮深くを傷つけて敵対状態に変わられたら大変です」

「持ち上げて、固定、って、まさか」

「勿論抱き抱えて、です。交代は出来ません。姉さんの方が力が強くて固定しやすく、私の方が手先が器用で表皮の剥ぎ方も知っている。確定です」


確定とまで言い切られ、ピエールが頬をひくつかせながらマステスラを見下ろした。

 六本の突起がヌルヌルウネウネテカテカしながらゆらゆら揺れている。

 頬を流れる一筋の冷や汗。


「そもそも薬屋で扱う材料が薬草だけの筈ないでしょうが。目玉や内臓を干して煎じて練ったり、腐肉みたいな刺激臭のする薬液を煮たりしないだけマシだと思ってください。……私は先に粘液の採取をします。その間、姉さんは覚悟を決めておいてくださいね。悩むのもいいですがくれぐれも夢見の草には気をつけて」


言うやいなやアーサーは肩掛け鞄から口の広い硝子瓶を取り出し、マステスラの表皮に瓶の口を擦り付けて粘液を採取し始めた。

 その場に立ち尽くすピエール。

 真剣な顔で粘液を採取するアーサー。

 あくまでマイペースに森を這うマステスラ。

 粘りけのある灰色の粘液が、瓶に半分ほど溜まった頃。


 森の奥から、突然強烈な咆哮が轟いた。


   :   :


 二人は即座に採取を中断し、夢見の草を踏まぬよう、目立たぬよう忍び足で素早くその場を離れた。

 咆哮と共に現れた気配は姉妹にはまるで構わずマステスラがいた近くを通過し、一直線に消えていく。


 行き先は、村がある方角。

 気付いた二人が表情を険しくした。


「……姉さん。あれ、きっと主ですよね。村の方へ向かっていました」

「戻ろう。何かあったのかも」

「ええ。とはいえ迂回はしましょう。もし争いになっていたら巻き添えは喰いたくありません」


ピエールは右手に手斧を、アーサーは右手に片手用の直剣、左手に革張りの小盾を。

 各々鞘から武器を抜き、周囲の気配に気を配りながら二人は一直線ではない、迂回するルートで薬屋へと歩を進め始めた。

 二人して足下を見ながら、早足で樹林を進む。


「静かだね」

「そうですね。誰もいない」


アーサーが一瞬視線を飛ばした先は、夢見の花の花畑。

 普段なら管理者である蟻とクワガタ、そして監視者の兎がいる筈の花畑には、今は何もいない。初めて見る光景だ。


「今なら夢見の花摘んでもばれなさそうですね」

「絶対止めて」

「勿論しません。ただ、中には火事場泥棒紛いのことを試みて死んだ人もいるのだろうかと思いまして」

「……かもね」


会話は途切れ、早足で二人は進み続ける。

 やがて樹林を抜け通常の森に入っても二人はペースや周囲に対する警戒を乱すことなく、茂みをかき分け建物へと到着した。

 裏口の扉にノック。

 カイが扉を開けた瞬間、二人は滑り込むように中へと入った。


「ちょっ、二人とも、どうしたの」

「まどろみの主が大きく吼えて村の方へと走っていきました。何かあったのかもしれません。アメリーは?」

「えっ、お姉ちゃんなら店番してるけど、えと」

「……姉さん、アメリーと合流、説明を」


無言で頷いたピエールが、戸惑うカイの手を引いて走る。

 店内へと出ると、気付いていたアメリーがピエールを見返していた。客はいないようだ。


「どうしたの?」

「まどろみ樹林にいたら、主っぽい何かが大声で吼えて、真っ直ぐに走っていった。ちょっと雰囲気やばそうだった。方向が村がある方だったから、もしかしたらと思って」

「……そう。様子見に行った方がいいかしら。……戸締まりを」

「してきました。後はそこだけです。……鞄をどうぞ。念の為」


アメリーが尋ねるのと同じタイミングで、家の施錠を済ませたアーサーが合流した。

 頷き肩掛け鞄を受け取ったアメリーが懐から鍵を一本取り出す。

 少しの思案顔。


「……カイ、あなたはここに」

「僕も行く」

「でも」

「もし何かあったら、きっと僕一人でいた方が危ないよ」


間髪入れず返すカイ。アメリーはまた少し思案してから頷いた。


「分かったわ。行きましょう」


そして四人は、薬屋を飛び出した。


   :   :


「これで全部私たちの早とちりだったら、笑って帰れるんだけど」


ピエールの軽口は、林道をいくらか進んだところで無意味なものとなった。

 人の声。

 断末魔にも等しい甲高い絶叫が林を通り抜け、その後に複数人の悲鳴がいくつも響いてきた。

 カイが身体を震わせ、アメリーの服の裾を強く掴む。

 震える弟の肩に手を置きながら、アメリー自身も表情を強張らせた。


「……一応尋ねておきますが、まどろみの住人が森を出てまで人を襲ったことは?」

「初めてよ。普段林にすら出てこないもの」

「時々いるであろう、夢見の花を拝借しようとした人がどうなるかを実際に見たことは?」

「あるわ。逃げようとするけど呪文をかけられるか直接殴られるかして、すぐに死ぬ」

「ということは、夢見の花をまどろみの外まで持ち出せた例は見たことがない?」

「ええ。……そういうことなのかしらね。誰かが夢見の花を摘んで逃げて、それを追いかけて魔物たちが村まで出てきた、と」

「私の予想ではそうなります。そして、その場合気になるのは怒れる魔物たちの反応。盗人を殺すだけで満足してくれるならいいですが……」


もしも、怒りの矛先が村人にまで向いたら。

 その先の言葉が発されることはなく、四人は林を抜け村へと到達した。


   :   :


 先頭を歩いていたアーサーが咄嗟に腰の盾を取り、飛んで来た人の頭ほどの物体を斜めに弾いた。

 素早く目を向け、それが村の建物の破片だと確認してから視線を戻す。


 視線の先には、点々と人が倒れて転がっていた。

 その殆どが明らかに村人ではない、外から来た人たちだ。多くは首を掻き切られるか胴体に風穴を開けるかして仰向けに倒れ息絶えている。

 中には無傷のまま倒れて動かない者もいる。村人らしき格好の者たちだ。


 その奥。

 一軒の木造家屋が半分ほど吹き飛ばされ、中の様子が露わになっている。先ほど飛んできた破片はこの家のものだ。

 中にいるのは身を寄せ合い縮こまる中年夫婦とカイより少し年上といった程度の少年、刃物を抜いて構える三十代ほどの男と、その横にいる魔法使いらしき男、

 そして、紫色の巨大兎が三匹。


 その名を、アルミラージと言う。その姿は先日仕留めた一角兎より更に大きく、見える一本角は人工物のように艶めき鋭く尖っている。

 三匹は男二人に視線を向け、遠くからでも分かるほど全身の毛を強く逆立てている。

 明らかに臨戦態勢だ。


「まずいわ……!」


その状況を見て、血相を変えて飛び出そうとするアメリー。

 それをアーサーが引き留め、顔を寄せた。


「方針を聞きます。助けますか」

「勿論」

「どこまで」

「……村人のみ。それ以外は基本無視」

「分かりました」


早口で交わされる応答。

 頷いたアーサーは盾をピエールへ渡し、カイの手をアメリーの手から奪うように握った。


「姉さんはアメリーを乗せて村人の救助に回ってください。その際絶対に手は出さないように。アメリーは奴らの呪文の相殺に全力を注いで。私の推理が確かなら、まどろみの魔物たちには慈悲があるようです。とはいえ、怒りを買わないよう、巻き添えを喰わないようくれぐれも、くれぐれも気をつけて」


真剣な顔で頷いたピエールが右手に盾を、背中にアメリーを背負って一直線にアルミラージに襲われている家へと駆け出した。人間とは思えないほど速く、風圧で分厚い作業用ドレスの裾がほぼ真横に靡いている。

 その後ろをカイの手を引いて小走りで追うアーサー。


「ね、ねえアーサーさん、慈悲って、何? どういうこと?」


転がる死体を見ないよう顔を前へ向けていたカイの視線の先。

 アルミラージの一匹が、駆け寄るピエールとアメリーに気付いたようだ。

 三匹いる内の二匹から、白い魔力の光と魔力の軋み響く奇怪な音色が漏れた。


 だが。

 その後は何も起きない。火炎が迸る訳でもなければ、冷気が地を這うこともない。

 ただ、七人いる内の二人が突然倒れただけだ。

 倒れたのは中年夫婦。二人の男と、夫婦の背に庇われた少年と姉二人が倒れることなく未だ立っている。


 アルミラージの二匹がそれぞれ男へと駆け、一匹から再び魔力が放たれる。

 再び何も起こらず、男二人はアルミラージの突進は避けたが直後後ろ足で蹴り飛ばされ壁に激突した。

 一方、夫婦という壁の無くなっている少年には何の変化も無い。

 光が放たれる前に、アメリーが村人三人とアルミラージの間に割り込んだからだ。

 何が起きたのか分からず戸惑う少年の前で、姿勢を低くし小さな丸盾を構えるピエール。

 アメリーもその後ろでアルミラージを凝視している。


 アルミラージたちは突然割り込んできた女二人にわずかに驚きを示したが、あくまで警戒を続けながら己の仕事を続行した。

 壁に激突しうつ伏せに倒れた男二人を仰向けに転がし、喉を噛み千切る。

 体毛の殆どが紫色の中、わずかに存在している口元の白い毛が散った血で汚れた。


 男二人を殺したアルミラージは念のため、とでも言うような態度で立っている三人へ向いて魔力を光らせたが、何も動かず何も起きないのを見て今度こそ意識を外したようだ。

 男の腰のポーチを血で汚れた口元で開いて探り、摘んだ、というより一掴み毟り取った、という風体の一掴み分の夢見の花を全て奪い食べ尽くすとその場を駆け出した。


 ピエールとアメリーもそれを追うように半壊した家を飛び出し、後に続いてアーサーとカイが倒れた夫婦と少年の元へ駆け寄る。

 両親の名を呼びながら倒れた夫婦を揺さぶる少年。

 それが近付いてきた見知らぬ相手であるアーサーに気付くと一瞬怒りを見せかけたが、すぐ横にいるカイに気付き半泣きでカイへ縋り付いた。


「なあ! なあ、君村はずれで薬屋やってるアメリーの、さっきの娘の弟だろう! 助けてくれ! 父さんと母さんを、助けてくれよ!」


年上の男に突然身体を強く揺さぶられるカイは、無言ながら完全にパニック状態だ。

 そんなカイを後目に、アーサーは倒れている夫婦の前に屈み込み何やら調べていた。


「……この二人は死んでいないし死ぬこともありません。半日か、悪くて丸一日で目覚めるでしょう。アメリーが眠りの呪文を相殺したおかげです」


涙を滲ませた少年とカイが、勢いよく顔を上げてアーサーを見返した。


「少年。一つ聞きますがこいつらはやはりまどろみ樹林に突撃して、夢見の花を採ろうとしたのですね?」

「……あ、ああ。そうだよ。今朝いきなり百人くらいの人間が来て、我々はこれからまどろみ樹林へ向かい夢見の花を収穫する、魔物どもの対策は出来ているから問題無い、って言い始めて。皆は止めるよう言ったんだけど、全然聞く耳持ってくれない上に村の男の人が数人殴られて、じゃあもう勝手にしろって……。なのに、なんでこんなことに……!」

「そうですか。カイ、先ほどの疑問に答えますが、樹林の魔物たちの標的はどうやら本当に夢見の花を奪った盗人どもだけのようですよ。それ以外の人間は殺していない」

「で、でも、じゃあこのおじさんとおばさんは……?」

「彼らの得意な眠りの呪文で眠らされているだけです。邪魔者は問答無用で眠らせるようですが、あくまで眠らせるだけ。殺す気は彼らには無いらしい」


アーサーの返答を聞いた少年とカイが、ほっとしたような顔で息を吐いた。


「なんだ、じゃあ大丈夫だね、良かった……」


と呟くカイを、横目で見つめるアーサー。

 カイの顔が強張った。


「……大丈夫じゃないの?」


カイの不安げな目を見返しながら、アーサーが切り出す。


「私はアルミラージしか知りませんが……あれの使う眠りの呪文は効力が強過ぎるんですよ。軽度なら長時間、この二人のように半日から数日意識を失う程度で済みますが、何度もかけられたり、一人でまともに受けたり、長時間かけられたり。重度になるとただの眠りでは済みません」

「……重度だと、どうなるの?」

「昏睡状態に陥り、死ぬまで目を覚まさなくなります」


アーサーが言った直後、再びどこかから誰かの絶叫が響いてきた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] アルミラージからしたら手加減してるつもりなんでしょうけど、いかんせん普通の人間にとっては強すぎるんでしょうねえ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ