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姉妹冒険者物語  作者: 並野
労働者姉妹物語 薬屋編
50/181

07

 陽が登って間もなく。

 朝食を終えたばかりのピエールとカイが、家の裏にある小さな菜園に立っている。

 気持ち程度の低い柵に囲われた空間。柵のすぐ内側には第二の防壁と言わんばかりの虫除け用の薬草が生え並び、菜園の畝の上には魔力を含まない様々な薬草や、収穫量の多い作物が植えられている。


「じゃあ今日はこれを潰しちゃおう」


そう言ったカイの目の前にあるのは、茶色くからからに乾燥した低木。

 元は食用の豆の木だったが、今はもう実はどこにも無い。


「まずは引っこ抜いて、根っこの土を落としたら葉っぱと根っこと細い枝は柵の外の積み山に積んで適当に細かく刻んで土と混ぜて。枯れ葉も散らかさないようにね。それから、太い枝は薪の代わりに使うから積まずに一カ所にまとめておいて。長過ぎるようなら適当に切ってね」

「分かっ……」

「僕は伸びた葉っぱを揃えてるから、終わったら雑草抜いて虫を……」


言い掛けたカイが、ピエールが完全に余所見をしていたことで言うのを止めた。

 非難の感情を込めて、じっとピエールを睨むカイ。だが彼女は視線を宙空に投げかけたまま動かない。


「ちょっと、ピエール」


カイの言葉に、視線を合わせぬままピエールが素早く割り込んだ。


「カイ、何か無いかな」

「何かって何? 僕今」

「石とか、鉢の破片とか、瓦礫とか」

「……何するの?」


訝しげに聞き返すが、返事はない。

 カイはため息混じりに周囲を見回し、菜園の隅に落ちていた握り拳ほどの石を拾ってピエールへと渡した。

 石を右手に握って、ぐ、ぐ、と力を込めたり緩めたりするピエール。視線は目の前、家の壁あたりをぼんやり眺めたまま。

 不審に思ったカイが、再び声をかけようとした寸前。


 不意にピエールが自身の右斜め後ろへ振り向き、同時に石礫を投擲した。

 甲高い風切り音。

 カイトの目には投擲の軌跡など何一つ見えず、気づいた時にはピエールは既に柵を一足で飛び越え投石の方角へと飛び出していた。

 作業着の大きなスカートが大きくはためき、少女の白い腿とドロワーズが一瞬カイの視界に映る。

 色気は微塵も感じられない。そもそも少年はまだ色気付くような年ではない。


「ちょっ、ピエー、ああっ!」


茂みを揺らす音、何が鳴く音、重く大きい打撃音。

 林の中から聞こえる音はすぐに止んだが、飛び出していった少女は戻らない。

 不安と疑問を浮かべたカイが何度か呼びかけるも返事は無く、それからいくらか時間が経ってからようやく茂みを揺らしピエールが戻ってきた。


 声をかけようとしたカイが、ぎょっと目を剥いて硬直する。

 ピエールの全身に、わずかに血飛沫が散っていたからだ。


「あ、待って待ってカイ、私は大丈夫だから。怪我してないよ」


明るい声で言いつつ茂みから出るピエール。

 その後ろから、巨大な一角兎が彼女の手によって引きずられて姿を現した。


 大きさは猪級。ごくわずか汚れたような褐色混じりの白い羽毛に、額には一本の鋭い角。

 既に事切れており、外傷は先ほどの石がめり込んだ右後ろ足、頭の角の脇にある深い陥没、喉元を鮮血で汚す大きな裂傷の三カ所。


 視線を一角兎に釘付けにしたまま動かないカイを後目に、ピエールがあっけらかんと笑いながら一角兎を引きずり菜園の内側まで戻ってきた。

 茂みから菜園の中まで続く、一角兎を引きずって出来た地面と血の道。


「やー、上手くいった。見てカイ、新鮮な一角兎のお肉。今日はご馳走だね」


笑顔のピエールが、後ろ足を掴んで一角兎を持ち上げカイの前で掲げた。その重量は間違い無く四、五十キロでは済まない筈だが、彼女は余裕綽々だ。


「……え、ピエール、石なんかで一角兎仕留めたの?」

「いや? 投げた石はこっち。後ろ足に当てて動き鈍らせて、逃がさないようにした所を斧の背中で眉間殴って仕留めた。この子は迂闊だったね。本当は四匹菜園の近くに来てたけど、私が石持った時点で三匹は警戒体制入ってたもん。この子だけ最後まで油断してたから私に狙われて、そしてこうなった」

「後ろ足って……あ、あった。石投げてこんな皮の内側まで食い込むもんなの?」

「あの大きさなら力込めて投げたらそりゃ刺さるよ。もうちょっと先なら足が千切れたかもね」


淡々と語るピエール。一方カイは驚きと同時に若干の畏怖、畏敬の念をピエールに抱いていた。


「今初めてピエールが凄い人っていうのを実感したよ。アーサーさんに叱られてばっかりの頼りない姉じゃなかったんだね」

「ふふん、そりゃそうよ。それにいざという時はアーサーだって意外と頼りないからね。……今からでもピエールお姉ちゃん、って呼んでいいよ?」

「それはいいや」


間髪入れず即答されるも、ピエールは何一つ気分を害した様子は無く明るく笑った。

 カイも微笑み、一角兎の処理と仕事の再開を呼びかけようとした瞬間。

 家の奥から、アメリーの大きな叫び声が響いた。


   :   :


 朝食の後。

 店番をアーサーに任せ、食器の片付けをしていたアメリーの元にアーサーからの呼び声が届いた。

 料理用エプロンを巻いたままのアメリーが台所から店内へと行くと、そこには小柄な一人の少女の姿。


「あらエラちゃんじゃない、おはよう」

「お、おはよ! いい朝ね、アメリー!」


アーサーに向けて薄目で険しい顔をしていたエラがアメリーの姿に気付くと、一転して得意げな笑顔に変わり挨拶を返した。

 二人が挨拶を交わすのを待ってから、カウンターの椅子に座っていたアーサーが立ち上がる。


「という訳です。彼女は私のことが嫌いなようなので、彼女の対応をお願いします。その間食器は私が洗っておきますから」

「……それはいいけど、あんたもうちょっと愛想良く出来ないの? いつもそうやって張り詰めた表情してるから怖がらせるのよ。嫌いなんじゃなくて」

「表情が堅いのは生来のものなので」

「そう言ってピエールの前では自然な顔で泣いて笑って怒ってるの、私知ってるんだからね」


返答を拒むとばかりに身体ごと顔を背け、アーサーは奥へと引っ込んでいった。

 それを小さなため息で見送ってから、アメリーはエラへ微笑みを浮かべて向き直る。


「エラちゃん、手足の穴の具合はどう? 膿んだりしてない?」

「全然大丈夫よ! 隣のおばさんがね、治癒の呪文を使えるから弟と一緒に治して貰ってるわ! まだ穴は空いてるけど……あたしならこれくらいどってことないわ」

「それはよかったわ。女の子の肌に痕が残ったら大変だものね。今日はどうしたの? 何かお薬? ……それとももしかして」


アメリーがにやついた笑顔を見せると、エラが慌てて視線を逸らした。向けた先は店の一角、沢山の陶器の薬瓶が並べられている場所だ。


「べ、別に何にもないわよ? あたしはお客よ? 今日はただ、欲しい物があるから置いてないか聞きに来ただけよ?」

「あら、本当かしら? ……何が欲しいの?」

「ほら……あたしってちょっと、その、肌が、がさがさじゃない? 手とか、顔とか。だから、もっとすべすべ肌になれるような薬とかあったらいいなって思って……。そういうの、ある?」


視線を薬瓶の棚に向けたまま語るエラ。

 照れ隠しで掻いている頬は、年頃の少女と比較すると確かに少し乾燥しているように見える。

 アメリーの手がエラの頬へ伸びた。戸惑う少女をそのままに、頬を撫でる手は次に指先へ。


「そうね、確かにエラちゃんの肌はちょっとだけ荒れてるわ。まだ若いから気にしなくてもいいと思うけど……でもそういう訳にはいかないわよね」

「そ、そうよ。そういう訳にはいかないのよ。アメリー、分かってるじゃない」


訳知り顔で頷いて見せたアメリーに、エラが得意げに頷き返す。

 アメリーはカウンターを回り込んで移動し棚に並べてある薬瓶から、一つを選んで手に取った。

 元の位置に戻り、エラの前で瓶の蓋を開ける。

 掌サイズの、横に広く縦に浅い陶器の瓶。

 中には薄い緑色の付いた、灰色の粘土のような物が詰まっている。


「肌用の軟膏よ。よく広げて肌に擦り込むの」


小指の先でちょっとだけ中身を掬ったアメリーが、エラの腕、硬貨一枚分ほどの範囲にそれを擦り込んだ。


「一応聞くけど、ひりひりしたり、違和感あったりする?」

「しないわ」

「そう、なら良かった。この軟膏では殆ど起きないけど、たまに肌に合わなくて逆効果になる人もいるのよ。もしそうなったらすぐ使うのを止めて洗い流してね」


言いながら、アメリーが再び軟膏を手に取りエラの掌や顔に薄く塗り広げていく。エラはされるがままになりながらも、鼻を鳴らして軟膏の匂いを嗅ぎ取った。

 匂いそのものは非常に薄い。よくよく嗅ぐとごくわずかに、花の甘い香りと蝋に似た臭いが混ざって感じられる程度だ。


「はい、出来たわ」


軟膏を広げ終えたアメリーがエラの頬から手を離し、軽く微笑んだ。

 あまり実感が湧かない、という雰囲気のエラが、掌をぺたぺた合わせてみたり、頬を指先で押してみたりしている。


「……これ、本当に効果あるの? アメリーのお店って魔法の薬のお店なんでしょ? もっとこう、塗った瞬間にぱぁっと綺麗になったりとか」


その発言は一見すると不躾なものだが、アメリーは特に気にした素振りを見せずくすくす笑うに留まった。


「今は無いけど、そういうのも作れるわ。……でもね、魔力の籠った魔法の薬は高いのよ? 作ったとして、肌荒れがすぐ消えるものだと五、六十、肌の質すら良くするレベルだと、百ゴールドは下らないわ」


価格を聞いた途端エラがたじろぎ、雑な手つきで弄っていた軟膏の瓶をそっと置いた。

 上目遣いで、窺うようにアメリーの顔を覗き見る。


「……じ、じゃあ、これ、は?」

「この軟膏? ああ、これはね……あっ! 間違えて高い物を使ってたわ。これも結構高いものなのよ、えっと、いくらだったかしら……」


わざとらしく悩むふりをすると、エラの顔が少しずつ、はっきりと青くなるのがアメリーにも分かった。

 ふるふると小刻みに震えるエラが、声音もぶるぶると震わせながら言う。


「あ、あた、あたしは何も、頼んで、ないわよ。こ、この軟膏だって、アメリーが、勝手に、かって、に……」


怯えながらも、必死に強がるエラ。

 アメリーはその様を横目で見ていたが、少しの間を開けてから突然吹き出した。

 目を丸くするエラに、笑いながら手を振る。


「うそうそ、冗談よ。これは余った材料で作った魔力の無い物だから、それ一瓶で六ゴールドってところね。それも瓶含めての値段だから、別の容器に移し替えるか瓶を返すって約束してくれるなら四ゴールドでいいわ」


言葉の意味を数テンポ遅れて理解したエラが一転、今度は顔を赤くして怒り始めた。


「な、何よ! あたしをからかったのね!」

「ごめんなさい、エラちゃんの反応が可愛かったからつい。……それに、さっきエラちゃん自身が言った通り、私が自分で塗って見せたんだから、仮に高かったとしても使用料なんて取らないわよ」


謝りながらも、未だ半笑いのアメリー。

 エラは未だ不服そうにしているが、一応怒るのは止めたようだ。


「それで、どうする? 値段は言った通り、ちゃんと瓶を返してくれるなら四ゴールドよ。朝晩、起きて顔を洗った後と寝る前に、さっきと同じくらい、少しだけ取って手と顔に塗り広げるの。一週間も使えば、少しはましになると思うわ」


カウンターの上の陶器瓶に視線を落としたまま、思案する素振りを見せるエラ。

 やや時間を開けて、ポケットに右手を突っ込み、中の物を一握りカウンターの上に置いた。

 艶のある丸い石、錆びかけた一ゴールド硬貨が三枚、綿屑、錆びた指輪、砂埃にまみれた一ゴールド硬貨が四枚、小枝の切れ端。

 置いてから気づいたエラが、石と綿屑と指輪と小枝を慌てて集めポケットに戻した。

 改めて、汚れた硬貨を四枚、アメリーの方へ差し出す。


「買うわ。瓶は終わったらちゃんと返しに来るから。……これを買ったら、もう他のものは買えないけど」

「ありがとう。じゃあこれ、どうぞ」


四枚の硬貨を受け取ったアメリーが、優しく笑って軟膏の瓶を渡した。

 その笑顔を見返したエラも、最初と同じような強気の笑みを見せた。


「じゃ、帰るわ! またねアメリー!」

「ええ、気を付けて帰ってね。……そうだ、今からでもカイを呼ぶ?」


不意に言われた言葉に、エラは顔を赤くしてぶんぶん左右に激しく振った。

 アメリーが軽く笑ってまた冗談だと告げると、エラはその場で軽い地団駄を踏みながら、だがどこかまんざらでも無さそうな顔で唇を尖らせた。

 そのまま背を向け店を後にする少女を、アメリーは緩い笑顔で見送る。


「あの子、ちゃんと周りに広めてくれるかしらね……と」


エラの気配が完全に遠ざかってから、力を抜いて息を吐いたアメリー。

 何の気なしに自身の眉毛を擦りふわふわの赤い髪を掻き上げていると、再び誰かが店の前に来たのを感じ取った。

 姿勢を正し、扉へと笑顔を向ける。

 そして、男は扉を開いた。


   :   :


 第一印象は、軽薄な優男。

 糸目に近い細い目に、焦げ茶色の瞳。冒険者らしい外套付きの服装に、腰には剣と盾を一つずつ提げている。

 一見すると非常に整った容姿の美男子だが、その笑みにはどこかほの暗いものを感じさせる。人に悪意をぶつけることに慣れている顔だ。

 仮にルーカスを相手を惑わし一晩の夢を見せる悪戯好きの精霊とするなら、こちらは相手を騙し捕まえた獲物を骨までしゃぶり尽くす肉食獣。

 それほどまでに、同じ優男でも二人には差があった。

 顔に見覚えがあったのか、アメリーの表情が即座に堅くなる。


「おやおや、これは守銭奴アメリーさん。四年ぶりでは?」

「いらっしゃいリーノ、最後に会ったのは確か三年半前ね」


警戒心を強く漲らせて答えるアメリー。その態度に、リーノが声も無く笑った。


「……用があって近くまで来ていたのですがね、リリシアソーンとかいう田舎の村でアメリーという名の若い冒険者が薬屋を始めた、と聞いたもので。まさかとは思いましたが……あなた、こんな所で薬屋をやる為にお金稼いでたんですか。ははは」


穏やかな笑みを浮かべつつ店内を見回すリーノ。

 目に付いた小瓶を一つ手にとって、ラベルに書いてある五ゴールド、という価格を見て鼻で笑った。


「いやはや、町を襲った魔物相手に一歩も引かずに呪文合戦をこなし、たった半日で二万ゴールド稼ぎ出した大魔法使いのアメリーさんが、まさかこんな小さな店で子供の小遣い程度のお金を稼ぐ為に薬屋をしているとは」

「……あなた、何しに来たの? 買い物に来たんじゃないなら帰ってくれないかしら」

「そう急ぐこともないでしょう? せっかく再会したんですから」


勿体ぶった態度で店内を歩き回り、陳列されている商品を見回していくリーノ。対するアメリーは男の顔を見た時から、表情に一切の変化を見せない。

 悠々店内を一回りしたリーノが、カウンターの上に身を乗り出した。

 至近距離で二人の視線が交わる。男は余裕の笑み、女は変わらぬ堅い表情。


「アメリー、冒険者に戻りませんか? 僕と一緒に来てください」

「嫌に決まってるでしょ、勧誘が目的なら帰って」

「どうしてです? あなたならこんなド田舎で薬屋なんて開かなくても、魔物を狩れば何千何万ゴールドでも稼げるでしょう。今までそうしていたように」

「……冒険者はもう止めたの。あんな仕事より、ここで静かに暮らす方が性に合ってる」


男の視線を真正面から見返しながら、アメリーが静かに、力を込めて答えた。

 その言葉が意外だったのか、リーノは顔を離してわずかな驚きと苛立ちを浮かべた。


「守銭奴なんて異名を持っていた人の言葉とは思えませんね。大金を貰えればどんな危険な仕事だって喜んで……」


言葉半ばで男が糸目を少し見開いた。

 何かに気付いた、という顔だ。


「……あなた、彼氏さんはどうしたんです? あの根暗で軟弱そうな、ニアエルフの小僧は」


その言葉が彼女にとって致命の一言であったことは、誰が見ていたとしても明らかだったであろう。

 過敏なほどに反応したアメリーが、初めて対面の男から目を逸らした。

 閉じた口の奥で強く歯を噛みしめているのが、リーノにも感じ取れた。

 男の目が、口が、嫌味ったらしく歪む。

 人を見下す笑みに変わる。


「あれあれ? もしかして……ククッ、あれあれ、もしかして、死んだんですか? あの彼氏さんが死んで、怖くなったから冒険者止めたんですか? ははは、これは傑作だ、あなたのような人間が、男一人亡くしたくらいで気弱になるなんて!」

「あんたねえ!」


激昂したアメリーが、普段の態度からは想像もつかない顔でカウンターを叩き立ち上がった。

 しかしその腕を、笑みを浮かべたままのリーノの手が捉える。


「離しなさいよ!」

「呪文でも使いますか? 僕は危害を加えた訳ではありませんよ? ただ話をしに来ただけです」


にやにや笑いを続けるリーノ。アメリーは目を見開き、歯を剥き出しにしたまま相手を睨み返している。

 腕を掴んでいるリーノが、不意にもう片方の手をアメリーの頭の後ろへと回した。

 そのまま強引に口づけを交わそうとする。

 アメリーは咄嗟に顔を背け、間に手を挟むことで拒んだ。だが男の笑みは消えない。


「……彼氏君が死んで昼も夜も寂しい思いをしているのでは? 僕が代わりに愛してあげますよ。光栄に思ってくださいね、僕がこうして一人の女性に愛を囁くのは初めてなんですから」

「誰が……!」

「そういえば先ほどすれ違った娘、田舎の村娘にしてはそれなりに見れた顔でしたねえ。あなたの大事なお客様、ですか? 僕、もしも断られたらショックでどこかの村の知らない娘に慰めて貰わないといけないかもしれません……」


わざとらしく悲しむ演技をし、すぐににやにや笑いへ戻るリーノ。

アメリーの顔が驚愕に彩られ、その次には更に強い怒りに身体を震わせた。

 リーノのその余裕たっぷりの口元から、再び言葉が出る瞬間。

 店の奥から、アーサーが戻ってきた。


   :   :


「……君、ここの従業員ですか? 僕はアメリーさんとは旧知の仲でしてね、今は大事な話をしているので向こうへ行っていてくれませんか?」


話を邪魔されたリーノがアメリーの頭に手を回した姿勢のまま不機嫌を露わにし、アーサーへと低く呟いた。

 だが彼女は微動だにしない。胡乱げな顔のまま、アメリーとリーノを見比べている。


「……話、聞いてますか?」

「アメリー、何か指示はありますか」


リーノを完全に無視して、アメリーへと呼びかけるアーサー。

 男が苛立ち言葉を続けようとするが、


「押さえつけて」


アメリーの言葉に先に被せられ、更にその直後アーサーが早足でカウンターを回り込み自身の目の前へ移動したことで怒鳴る機会を逸した。

男が顔を歪ませて、仮面の内側にある暴力性を滲ませる。


「……おま」


 打撃音。

言葉代わりの右の拳が、リーノの頬を打ち抜いた。

 ばしっ、という軽い音と共に男が仰け反る。

 倒れるのを堪え猛然と反撃を仕掛けるが、左手であっさりいなされその隙に更に拳一発。

 両手を上げて防御するも、少女の左手一本で強引に防御を解かれ更に一発。

 苦し紛れの一発が少女の頬に刺さるも仰け反るどころか首の筋力だけで受け止められ反撃の一発。

 怯んだ隙に両手で一発。何か叫びかけるも意に介さず一発。剣に手をかけたところで手首に一発。

 倒れ込む前に胸ぐらを掴まれ、売り物を壊さないようゆっくり寝かされ馬乗り状態で拳の乱舞。

 ごっ、ごっ、ごっ。無言で殴り続けるアーサーの、拳の音が断続的に鳴る。

 何度も何かを叫んだが、一切聞く耳を持たない、表情の変化すら見せないアーサーによって事務処理のように淡々と殴られ続け、一瞬にしてリーノの顔は元の整った顔立ちの名残がどこにもない、痣と瘤だらけの不気味な形相となった。

 今は言葉らしい言葉一つ発せず、があぐう低く呻いている。


 満足したアーサーが立ち上がる。彼女の両手も赤くなっているが、手が強いのか殴り方が上手だったのか腫れ方はさほどでもない。


「これでいいですか」

「十分。……というか、私の怒りが引くどころか少し同情しそうになる程度にはやり過ぎ。軽くじゃないわよこれ」

「一目見た瞬間に、この男がろくでもない人間の屑だという雰囲気を感じたもので。あなたも何やら声を荒げて怒鳴りたくなるようなことをされたのでしょう? 私の直感は間違っていましたか?」

「……まあ、間違っちゃいないけど。確かにこいつは顔と雰囲気で女の子騙して弄んでお金を毟り取るような奴だった。今もとても許せないようなことを言われたわ」

「なら何も同情の余地など無い筈です。むしろこのまま殺して人知れず林の糧にでもしてしまった方が未来の被害者が減るのでは? この場所なら馬鹿が勝手にまどろみ樹林へ突撃した、その後のことは知らない、とでも言えば言い逃れには十分です」


起き上がろうとしていたリーノを踏みつけて固定したアーサーが、さらりと物騒なことを呟く。

 アメリーが少々顔をしかめかけたところで、遅れてピエールとカイが店の奥から店内へと飛び込んできた。

 右手を腰の得物の柄にかけているものの、雰囲気から既に事が済んでいるのに気づき力を抜いているピエール。

 そして、両手にスコップを握り肩を怒らせ戦闘態勢を取っているカイ。


「お姉ちゃんどうしたの大丈夫何かあったの!」


本人は大真面目なのだろうが、手にしている得物と年齢のおかげで可愛らしいという印象しかない。

 アメリーが脱力し、カイの頭に手を乗せた。


「大丈夫よ、悪い人が来たけどアーサーがぼこぼこにしてくれたから」

「ほんと? 二人とも怪我してない?」

「してないわ。まあアーサーは殴り過ぎでちょっと手を怪我したかもしれないけど」


姉弟の会話の合間に、ピエールはカウンターを周り妹の横へと移動した。

 倒れている相手を見下ろしてから、アーサーへ非難の視線を向ける。


「またアーサーこんなことして……」

「正当防衛ですよ。この男がアメリーに手を出そうとしていたから行動不能にしただけです」

「じゃあ鼻とか目とか変な所狙わないで一発で動き止めればいいじゃん。気絶しないようにわざと力抜いて顔全体をぼこぼこにしたんじゃないの?」

「さあ、知りませんね」


じと目で一睨みするピエール。だがアーサーは知らん顔だ。


「それでアメリー、どうしますか。行方不明になって貰うなら後はやりますが」

「行方不明になって貰う……って何?」

「あなたは知らなくていいことですよ」


アーサーの返事に多少気分を損ねたのか、カイはむっとした顔でスコップを置きアメリーの服の袖を引いた。

 そしてもう一度、今度はアメリーへ尋ねると彼女は複雑そうな顔で、


「……この男、有り体に言って悪い奴なんだけど、だからアーサーは殺して死体を埋めたらどうかって言うのよ」


と返した。

 殺す。

 その単語が出たことに驚いたカイが怯え混じりの視線をアーサーへと向けるが、やはりどこ吹く風だ。


「心配しなくていいわ、カイ。殺すつもりはないから。あなたの目の前で人殺しは出来るだけしたくないもの」

「い、いや、僕は、別に」


俯いて言葉を濁すカイの頭を軽く撫でてから、アメリーは仰向けに倒れたままのリーノの前で屈み込んだ。

 腫れ上がった瞼で自身を睨むリーノを、彼女は真正面から見返す。


「そういう訳で、私は冒険者に戻るつもりもあんたと関わるつもりも毛頭無いの。私のことは忘れて。……またこの店や村の人に手を出そうとしたら、その時は今度こそ死んで貰うことになる」


呪文を唱えたアメリーの手から白い魔力の光が溢れ、男の原型を留めない顔を覆った。

 光の向こうからうめき声が洩れる。

 暫く続いた光が消えると、リーノの怪我は概ね治癒されていた。

 ろくに喋ることの出来なさそうだった口元も、普通に喋れる程度には治っている。


「……どういうつもりです」

「店から顔面崩壊した男が出てきたら村の皆が怖がるでしょう? 最近ようやく村の人と仲良くなってきたんだから、いたずらに関係を悪化させられると困るのよ」


アメリーを睨んだまま、舌打ちするリーノ。

 立ち上がって息を吐き、一呼吸置いてからアーサーを睨んだ。

 相変わらずの無表情、作り物のような瞳でアーサーも男を見返す。


「……覚えてろよ」

「おやそれは恐ろしい仕返しされる前に先手を打って始末しないと」


何一つ怖がってるとは思えないおどけた口調で返したアーサーが、作業用ドレスのポケットに手を突っ込み素早く振り抜いた。

 一瞬の間を開けて、リーノの前髪がはらりと散っていく。

 彼女の手に握られているのは作業用ナイフ。男の前髪を一直線にカットしたそれは、既に首に。男は腕を上げて防御の姿勢を取ろうとしていたが、反応が数呼吸分遅れている。

 顔を引きつらせたリーノに顔を寄せ、アーサーは男の眼前で初めて表情を変えた。

 怒りを漲らせ睨みつけている。


「先ほどの会話を聞いていましたか? 何を仕返し予告などしているのです? 私はアメリーに怒られるのを覚悟でこのまま殺してもいいんですが?」


言葉と共に刃を顎の骨へぐりぐりと押しつけると、切り傷と共に男の顔にはっきりと恐怖が浮かんだ。

 それを確認してからアーサーはナイフをポケットに戻し、距離を取る。

 最後に無言で顎をしゃくって出口の扉を指し示すと、リーノは今度こそ足早に店を後にした。


 一騒動終わり、店内に一瞬の沈黙が生まれる。

 間を開けて、最初に口を開いたのはカイだ。


「……アーサーさん、怖い」

「怖がらせるのが私の役目なので」


事も無げに言い放ったアーサーを後目に、ピエールがアメリーへと目を向けた。


「それで、あの人一体何したの? アメリーちゃんの叫び声が聞こえたけど」

「……昔ちょっと関わったことがあってね。その縁でこの店に来て、薬屋なんかしないで冒険者に戻れ、一緒に来いってのをかなり嫌味っぽく言われた。それを断った時に、絶対に言われたくないことに触れられて、おまけに断ったらエラちゃんに手を出すって言われて」

「それはよくないね」

「でも、アーサーには感謝してるのよ。あの子がちょっと過剰なくらい殴ってくれたから私の怒りも逆に引いたけど、そうじゃなかったら……」


 最後の一言が彼女の口から出ることはなく、ただ心の奥に秘められて消えていった。

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