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姉妹冒険者物語  作者: 並野
王国の竜
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観光者-05

 時刻は夕方。陽が暮れ始め、町はじきに薄暗くなり始めることだろう。


 雑貨屋の後、道具屋、治療院、中央広場の露店と見て回った二人はニナと別れ、鳩麦堂に夕食を食べに来ていた。

 店内は昼間とは打って変わって人でごった返していて、賑やかを通り越して非常に騒がしい。

 二人は店内の隅、昼間と同じ席に座り、外套のフードを目深に被っている。その格好も相俟って二人が年頃の女性だと気付く者は店員以外にはおらず、酔った客が絡んでくることはなさそうだった。


 テーブルの上には木製のコップ、ライ麦の堅い乾パンが山盛り積み上げられた平皿、丼ほどの大きさの野菜スープが入った器。

 二人の前に、それぞれ一つずつ並べられている。


「さてと、今日のおさらいです。まずは武具屋」


いつもとは違う、低い声でアーサーが呟いた。

その声色は、まるで歳若い少年のようだ。


「あそこは中々いい場所でしたね。種類が豊富で、質も良く、値段も手頃。久々に当たりの店です。強いて言うなら、革防具の類が高い」


そこで区切って、乾パンを一枚つまみ上げた。一口で食べられそうなサイズの長方形のそれは中々に堅く、そのまま齧るのは難儀だろう。

 アーサーはパンをスープに浸し、十分水気を吸って柔らかくなってから口へと放り込んだ。

 まずスープの控えめな塩気が口内に広がり、間を開けてライ麦特有のえぐ味とも苦味ともつかない後味がじわりと浸透する。

 野菜スープは塩以外の味付けがされておらず、香辛料など何一つ入っていない。ただ大量の野菜と豚や山羊の肉の破片を、薄い塩水で煮ただけのものだ。

 野菜の量は十分なものの、芯やへた、古くなった部分が多い。不味くはないが、かといって決して美味しくはないという反応に困る味わいだ。

 事実アーサーの表情に、食事の喜びは微塵も感じられない。


「自分で価格と量を優先して選んでおきながら何ですが、本当に何とも言いがたい味ですねこれ。不味くはないんですが……」


アーサーの対面で食事をしているピエールも、あまり嬉しそうではない複雑な表情だ。


「まあいいです、話の続きをしましょう。武具屋は問題無し、雑貨屋はそうですね、装飾品や置物の細工の質は中々高いです。身を飾るだけでなく、信仰の為に竜を彫るという明確な目的があるからでしょうか。姉さんも見ました? 竜鱗石で出来た竜が彫られたペンダント。あれは見事な出来栄えでしたよ。あれ一つで五百ゴールドもするらしいですが、頷ける出来です。……雑貨屋はそれくらい。何でもかんでも竜細工なのが面白いですがそれだけ。次は道具屋」


アーサーはスプーンでスープを掬い、口に運んだ。

 具の野菜は芋が大半で、その中にいくらか根菜や葉物が混ざっている。


「あそこは駄目ですね。鍋やランタンのような金属製品は安いですが、他は何もかもが割高です。町が裕福だから物価も高いのでしょうね。特に革や布の類が高いので、服や皮袋は大事に使ってください。この町で買い足さないといけないような事態にはなりたくありませんから」


ピエールはアーサーの話を聞いているのかいないのか、素知らぬ顔で食事を続けている。


「そしてもっと高いのが、魔法の道具。治癒の薬、解毒の薬、魔法の聖水。通常なら百、百五十、二百という所ですがここではその倍はします。レールエンズが崩壊してから、未だに別の供給ルートが見つかってないようですね。巻物に関しては倍どころか下手すれば四倍近い値段なのでここでは絶対に買いたくありません。なので使用も極力したくない。言いたいことは分かりますよね。では次、治療院」


返事をしないピエールに、アーサーは半ば独り言のようにまくしたてている。


「治療院の治療費は妥当なラインですね。安くなければ高くもない。処置が五十から五百、治癒が一回百前後、回復は一日ごとに四百」


治療院のサービスは、大抵の場合以下の三つに分かれている。

 まずは処置。これは治癒の呪文で応急処置を行い、栄養をとって安静にしていれば自然治癒が望めるラインまで傷を塞ぐ。

 あくまで応急処置なので、傷が塞がりきる前に身体を動かせば当然傷は開くだろう。怪我の範囲や深さによって、料金も変化する。

 次に、治癒。これは呪文による自然治癒の促進だ。大体一回で二十日間休むに等しい効果が得られる、と言われている。当然処置すらされていないような状況では行えない。

 最後に回復。これは治療院に宿泊して処置と治癒を行い、完治するまで治療院で面倒を見て貰うことが出来る。当然割高だが、その分の効果は期待出来るだろう。


「多少なりとも私が呪文を使える以上、ここでも客として世話になることは無いでしょうね。私が小遣いを稼ぎに行く程度です」


ピエールはやはり無言で食事を続けている。動作は緩やかなもののそのペースは喋りながらのアーサーよりやや早く、既に山と盛られた乾パンも八割ほど無くなっている。


「あとは露店の食料品。保存食として使えそうなのは堅く焼いた穀類、塩漬け肉、ナッツ、それに乾燥させた林檎の砂糖漬け。そういえばこの町で果物といえば林檎が殆どのようですよ。露店でも並んでいたのは殆どが林檎。それからモスピの実と呼ばれる小さな赤い木の実が少量。北の森で採れるらしいです。この手の気候の土地にしては珍しく、葡萄は少ない。その所為で果実酒も林檎が最も多く、葡萄酒はわずか。一応モスピの実で作ったモスピ酒もあるようですが、更に数が少なく高価。ま、縁は無さそうですね」


合間合間に、アーサーはパンにスープを吸わせて口へと運んでいく。会話の間に効率よく食事を進めている為、彼女の分も残りは三割ほどだ。


「それからこのスープを見れば分かる話ですが、スパイスの類がかなり高い。胡椒もその例に洩れず、このスープを胡椒入りにするだけで一杯四ゴールドが六ゴールドにまでなります。なのでこの町では胡椒の無い、味気ない食事がメインになりそうです。……甘味が安く手に入るのはいいですが、今の時代に胡椒が高い町があるなんて思いませんでしたよ、ははは」


アーサーは小声で笑ったが、目は全く笑っていない。


「この辺の土地の話も中々面白かったですね。竜を宗教に利用するとかアルガ山脈が実は巨大な金属ワームだったとか。南のアルティルスが魔物と争っているというのも、アルガ山脈の南端と体内に残っているかもしれない古代都市メルティルスの残骸を求めているのでしょうね。南の森は山脈の南端も覆っていた筈ですし」


コップに注がれた紅麦茶を、アーサーは音を立てず一口啜った。

 普通の茶とは違う、独特の風味を持った味わいだ。後味も、普通の茶よりも長く後を引く。


「……ふう。町の話はこれくらいでしょうか。では本題の今日の出費です」


今日の出費。その単語を聞いて、ピエールは露骨にうんざりした表情を表に出した。


「まずは宿代が二十日で千とニナを雇うのに四十。それから昼食にミルクとケーキが三人分、プリンが二人分と誰かさんが無駄にした十ゴールド、合わせて四十八。武具屋が剣、斧、盾、道具で四千四百。雑貨屋が石鹸二つで百ななじゅ……姉さん、そんな顔して睨まないでください、もう終わった話じゃないですか。それから道具屋で携帯用の食器類を買い換えて三十、この夕食が二人で十八。合わせて五千七百十一ゴールド。これが今日の出費です。残金は二人合わせて……五千八百七十五ゴールド。約半分ですね。大体私が支払ったので宿に戻ったら清算しましょう」


アーサーが言い終えると、それと同時にピエールも食事を終えたようだった。

 口元を拭って、ほう、とため息を一つ。


「結構使ったね」

「武器を買い換えましたからね。これは仕方がありません」

「武具屋で払ったのは……えーと四千四百だっけ。それを除いたら千とちょっと。こっちは二十日間あれば稼げるかな」


大雑把なピエールの計算に、アーサーは呆れ顔だ。


「千三百十四。『千とちょっと』ではありませんよ。稼ぐのも難しいところです。明日からも食事代がかかりますしね。ぎりぎり補填出来るか、プラスになれば御の字、という所でしょう」

「えー、そうかなあ」

「そうですよ」


アーサーの言葉にも、あまり納得した様子のないピエール。


「さてと」


アーサーはスープの器に漬けられていた乾パン、最後の一枚をスプーンですくって口へと放り込んだ。もしゃもしゃと咀嚼されていく。

 少しの間を空けてから口内のものを飲み込み、アーサーは立ち上がった。山盛りあった乾パンの木皿もスープの器も、綺麗に空だ。

 ピエールも、それを見て席を立つ。


「戻りましょうか」

「うん」


   :   :


 陽は既に沈み始め、町は薄暗い。

 鳩麦堂の店内には少量ながら火が焚いてあったものの、中央道に出ると明かりは殆ど無い。

 とはいえ歩くのに支障が出るほどではなく、二人は平然と夕暮れと夜の境のぼんやりした町を歩いていく。


「もう暗いねー」

「この町には街灯の類は無いようですしね。夜に活動しないのであれば必要ありませんが」


そう言ってアーサーが見回した中央道の景色は昼間と打って変わって、人は殆どいない。視界内に映る人影は二人だけだ。

 店も軒並み閉まっていて、二人の話し声が一際大きく響いていた。


「露店も皆いなくなっちゃったから何か寂しいね」

「私はこれくらいの方が好みですけどね」

「そう?」

「他人がごちゃごちゃいると邪魔じゃないですか」

「私はそうは思わないけどなー。人がいっぱいいて賑やかな方がいいじゃん」

「赤の他人の群れ相手に賑やかなんて好意的な表現、私にはとても出来ませんね」


鳩麦堂から中央道へ出てしまえば、妖精の止まり木亭にはすぐに戻ることが出来る。

 ピエールが木製の扉を引いて開けると、薄明かりの中ぼんやりと浮かび上がる宿屋の主人の髭面が二人の視界に映った。


「帰ったか」


カウンターの向こうにいるアーノルが、二人を見止めて声をかけた。

 薄暗いロビーの中でも、彼特有のにやにや笑いが見て取れる。


「ニナからおおよその話は聞いてるが、この町はどうだったね?」

「いい町だね! お菓子は美味しいし武器も安い」

「裕福で治安もいいのは好印象ですね。少なくとも滞在を後悔するような町ではなさそうです」


方向性は違えど町を褒める二人の発言に、アーノルも誇らしげだ。


「そうだろうそうだろう、この町はいい町だ。……お前らも、二十日と言わずもっと泊まっていってもいいんだぞ?」


ピエールはアーノルの発言を聞いて、まんざらでもなさそうな顔だ。

 アーサーも対応こそ素っ気ないものの、表情に刺々しさは無い。


「今のところは保留ですね。では、私たちはもう部屋に戻りますので」

「じゃあねおっちゃん、おやすみ」


アーノルがニヒルな笑みと共に手を振ったのを見てから、二人は二階の自らの部屋へと上がっていった。


   :  :


 薄暗い夕方の宿。三つある全ての窓は全開にされているが、差し込む光は明らかに光源不足で部屋内は辛うじて近くの物が見える程度だ。

 じきに目の前を見るのも覚束無くなるであろう部屋内、床の上に、ピエールとアーサーは座り込んでいる。


 アーサーは革の盾に小さな金槌で一つ一つ鋲留めを施し、ピエールは横でそれをじっと見ている。

 二人とも薄着で、下着とその上の肌着程度しか身に付けていない。すぐにでもベッドに入ることの出来る格好だ。

 ピエールの後頭部の編み込みも、既に解かれて肩へと垂れ下がっている。その後ろ髪の長さは、アーサーよりも少し長い。

 髪を下ろしたピエールの外見の印象は、昼の活動的な印象とはまるで違う。さながら穏やかで控えめな、どこかの育ちの良いお嬢様のようだ。


「そういえばさー、武具屋のあのおっちゃん超小さかったよね。おっちゃんドワーフなのかな」


アーサーの手元を見ながら、ピエールは唐突に呟く。

 口を開けば、その雰囲気は昼間と変わらない普段のピエールそのものだ。


「いえ、あの人はドワーフではないと思いますよ」


アーサーも盾へと視線を注いだまま、ピエールへと返事をした。薄暗い室内だが、鎚を振るう手は極めて正確だ。


「あれ、そう?」

「ドワーフと言えば大抵赤茶色の体毛で、自らの毛、特に髭をとても大事にしています。その点武具屋の主人は髪も髭も黒に近い焦げ茶で刈り込んであったじゃないですか。色はともかくドワーフならあそこまで髭を短くすることはしないでしょう。恐らく背が低いだけの普通の人か、あってハーフだと思います。……全てのドワーフが今言った特徴を持つという訳ではないので、確証はありませんけどね」

「ふーん、そうなんだ。ただの背が低い人だったら逆に凄いね」


がん、がん、がん。部屋内に、鎚を打ち込む音が響く。

 話が一区切りついて少し静かにしていたピエールが『今ふと思い出した』と言わんばかりの仕草の後に話を切り出した。

 少々わざとらしい。


「レールエンズって今どうなってるのかなあ」

「どう、とは?」


アーサーが聞き返すと、ピエールは座った状態のまま上半身を左右に揺らし始めた。


「いやー、あそこ魔法の道具を作ってた町って言ってたじゃん。何かお宝とか残ってるのかなーとか、それとももう漁り尽くされちゃったのかなーとか」

「行きませんよ」


ピエールの発言に対し、ほぼ即答に近い早さでアーサーはぼそりと呟いた。ピエールの顔が不満げに歪む。


「まだ何も言ってないじゃん」

「そこまで言えば分かって当然ですよ。レールエンズに冒険に行きたいって言うつもりだったんでしょう?」


考えていたことを見透かされ、ピエールは一瞬だけうろたえる素振りを見せた。しかしすぐに気を取り直して開き直りを始める。


「まあそうだけど、そうだけどさー! 私たちこれでも冒険者じゃん? ただの旅人じゃないじゃん? 何か冒険したいって思うのも普通じゃん!」

「思うこと自体は否定しませんけど、思うだけにしてくださいね。それに私はただの旅人でも一向に構いませんが?」

「……何だよアーサーのケチ、怖がり、堅実派」

「最後のは褒め言葉として受け取っていいんですか?」

「褒めてないよ! ふんだ、もう寝るっ」


拗ねた様子でそう言い捨て、ピエールはベッドへと飛び込んだ。

 しかし横になって目を瞑った数秒の後、すぐに再び起き上がる。


「……がんがんがうるさくて眠る気になれない。あとどれくらい?」


金鎚を振るう手はそのままに、アーサーは小さく苦笑した。


「いつものことですが、怒りが持続しませんね姉さんは。ごめんなさい、あと少しです」

「うん」


それから三分ほどかけて鋲留めを終えたアーサーは、盾を枕元に、金鎚を荷物の山の中へとまとめてから部屋の窓を全て閉じた。

 真っ暗闇の中で、感覚を頼りにベッドへ戻る。


「ではおやすみなさい、姉さん」

「うん、おやすみアーサー」


それきり、部屋に静寂が訪れる。

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