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姉妹冒険者物語  作者: 並野
労働者姉妹物語 薬屋編
48/181

05

 林道の左右から迫る雑草が、布靴を不快に引っ掻いている。

 騒ぐ風の音は、時折不意に強さを増してこちらを威嚇している。

 この林の奥にはまどろみ樹林という魔物の住む森があって、魔物を怒らせると二度と生きては帰れない。

 曇り空の薄暗い林、もしかしたら、この林のずっと奥から魔物が自分を見ているかもしれない。


 そんな空想に囚われた少女は頻繁に左右へ視界を走らせ、いるかどうかも分からない魔物が潜む林の奥をしかめっ面で睨みながら狭い林道を一人歩いていた。

 やがて視界に現れる、苔むした一軒の建物。

 少女はほっと一息ついてから、やや早足になって建物の扉へ手をかけた。


   :   :


 建物に入った少女を、乾いた薬草と敷き詰められた小瓶が織りなす強い薬品臭が襲った。

 少女は一瞬身体をびくつかせたが、落ち着いて匂いを嗅ぐと意外と不快な香りではないことに気づき、強ばった身体の力を緩める。


「いらっしゃいませ」


が、ここで油断した少女に突き刺さる冷たい店員からの言葉。

 愛想というものがまるで感じられないアーサーに、少女は再び身体を縮こめ力が籠もる。

 視線を向けず硬貨の枚数を確認していたアーサーが、間を開けてから作業の手を止め少女を見据えた。

 睨んだつもりではないが、その視線は少女にとっては十分過ぎるほど鋭く恐ろしいものだ。


「……な、何よ! 睨まれたって怖くないんだから! あたしは客よ! 何よ!」


身体を縮こめながらも表情だけは勇ましく睨み返す少女。

 アーサーはそれを一瞥してから、視線を外して自身の後方、建物の奥へと呼びかけた。


「姉さん、ちょっと、来てください」


大声での呼びかけに応じ、奥の部屋からやってきたのはピエール。

 今日は茶髪を後ろで一本にまとめた、アーサーとお揃いのポニーテール。服装も同じく汚れた作業用のロングドレスとエプロンに、頭に三角巾。

 表情はやや不機嫌そうだ。


「ええはいはい、店内の掃除をさせたら瓶を落として割り、硬貨の確認をさせたら枚数の確認と計算にやたらと時間のかかる店内作業がまるで出来ないわたくしに何か御用ですか妹様」

「何拗ねてるんですか、それよりそこにいる客から話を聞いてきてください」

「ちぇっ」


最後に一度唇を目一杯尖らせてから、一転して明るい顔でカウンターの脇を通りピエールが少女の前へと歩み寄った。

 膝を曲げて視線を低くし、にっこり笑顔を一つ。


「いらっしゃい、今日はどうしたの? 何かお薬買いに来たのかな? お使い?」

「……そ、そうよ。最近なんかできものが出来ちゃってうざいから、治せる薬を買いに来たのよ。ここ薬屋でしょ?」

「そうなんだ。でも顔にはにきびとか無いよね。できものどこにある? 見せて貰ってもいいかな?」

「ここ」


笑顔の明るいピエールに対しては特に怯えることも無く、左手の袖を捲って見せる少女。

 そこには親指の爪程度の黄色く盛り上がったできものが二つ、離れた位置に出来ていた。

 何も分かっていないのだろうが訳知り顔で顎に手を当てつつ、ふうむと唸るピエール。


「このできもの、痛い? 触っていい?」

「あたしだって子供じゃないのよ、全然痛くなんかないし痛くたって気にしないわ! ほら」

「そう? じゃ」


と言ってピエールが少女の腕に手を伸ばしかけた所で、彼女より先に忍び寄っていたアーサーの指が少女の腕のできものに触れた。


「ひえうっ」


横から突然出てきたアーサーに驚いて妙な悲鳴を上げる少女と、横から割り込んできたことに眉を寄せて不満を示すピエール。

 が、アーサーは彼女らに一切目を向けない。

 口を真一文字に結んだまま、右手の人差し指で黙々と少女のできものを押している。

 押した感覚は固い。内部のしこりではなく、皮膚の表面がタコのように硬化している。

 ぐっ、ぐっ、と力を込めるアーサー。


「感覚はありますか? 痛みなど」

「あ、え、な、に、にゃい、でう」

「痛くない、と。ではこれは?」


やり方を変え、爪の先を刺すように押しつける。

 だが少女は顔と声を引き攣らせつつも、痛みどころか感覚そのものを感じないと答えた。

 アーサーは一つ頷いて少女のできものから指を放すと、無言のまま薬瓶の棚へと歩いていく。


「……ごめんね。あの子本当に愛想悪いけど、お仕事はちゃんとしてくれるから」


そう言いつつピエールが苦笑うと、少女も再び精一杯偉ぶる子犬のような態度に戻った。

 が、そこで戻ってきたアーサーが持っているのは一本の薬瓶、そして。

 ナイフ。

 既に鞘から抜かれた刃が放つ、輝く金属光沢。

 それを目にした少女の顔から一瞬にして血の気が失せ、即座に服の袖を戻して両腕を背中へ隠した。

 咄嗟に庇うように前へ出るピエール。


「ちょ、ちょっとアーサー、ナイフなんか出して何すんの」

「切開します。もしかすると、ただの皮膚の異常ではないかもしれません。それを確認する為です。何、先端を切るだけですから。爪で押して痛みを感じないのであれば刃物で切っても痛みはありません」

「いや、で、でもさあ」

「もし私の予想通りならここで処理すべきですよ。姉さんがするべきは庇うことではなく説得です。……ほら、大人しく腕を出して下さい」


静かな有無を言わせぬ声で、ピエールの背後にいる少女へ呼びかけるアーサー。

 しかし少女はかたかた小刻みに震えたまま前へ出てくることはせず……瞬間、店の出口へ駆け出した。

 だがその試みはアーサーが扉の前へと立ち塞がったおかげで一瞬で終わりを迎える。

 瓶とナイフを服のポケットに仕舞ったアーサーが、手を伸ばして少女の手首を掴んだ。

 そのまま手元へ引き寄せ、もう片方の手で服の袖を捲り上げる。


「あぎゃああああ! びゃあああああああ!」


アーサーに捕まった少女は最早号泣だ。頭を振り乱しながら、アーサー相手に抵抗にならない抵抗を必死に繰り返している。


「姉さん、固定。早く」

「うー……アーサー、本当に痛くしないよね? 大丈夫だよね?」

「大丈夫だと言ってるでしょう、早く」

「ほ、ほら、ね? アーサーもそう言ってるから、痛くないから大丈夫だから、ね? 頑張ろ」


あくまでピエールは自身の手で少女を押さえつけることはせず、言葉による説得を続けた。

 アーサーに手を離させ遠くへ追い払い、更に落ち着いて説得を続けるとやがて絶叫していた少女の泣き声も弱々しくなり、鼻を啜ってぐずるのみに留まってくる。


「落ち着いた? もう大丈夫?」

「うやあああー」


目と鼻から液体を垂れ流しつつも、小さく頷く少女。

 彼女が自分で袖を捲って突き出した左腕を前に、ようやくアーサーがポケットからナイフと瓶を取り出した。

 再びごく短い悲鳴を上げる少女。だが今回の反応はそれだけだ。


 鞘から抜いたナイフの刃を、薬瓶の中身を染み込ませた布で入念に拭うアーサー。

 少女の黄色いできものに刃を沿わせ、ぴっ、と果実のへたを切るように上部を切り飛ばした。

 アーサーの発言通り痛みは無く、そのことに少女が安堵の息を洩らしたのも束の間。

 硬化した皮膚の下にある、気味悪く糸を引く黄土色の粘液塊に再び甲高い悲鳴を上げた。


「うわっ、ちょっ、何これ! アーサー何これ!」

「やはり膿虫でした、来て下さい」


アーサーが店の奥へ呼びかけると、すぐにアメリーが道具を持ったカイ少年を伴って現れた。

 先ほどの少女の叫び声で、既に概ねの事態は察知していたらしい。

 二人は嫌悪感と恐怖でさめざめ泣き続ける少女の前までやって来て、皮膚の下から現れたそれを眺める。


「これはまた立派な膿虫ね。……大丈夫よ、私がちゃんと綺麗にしてあげるから」


感情を押さえた顔でそう言って、へたり込んだ少女の前に屈むアメリー。道具の中の非常に細い金属匙のような棒で少女の腕の黄土色の塊を掬い取り、小さな受け皿へ移していく。

 数度繰り返し粗方汚れを取り除くと、すぐに底が見えた。幅や深さは指の爪ほど。

 膿が無くなりぽっかりと開いた空洞を、アメリーは手早く呪文を唱え水を出し白い布で掃除する。

 少々手荒いが、痛みはないらしい。


「膿虫。やや涼しい地域の、夏から秋にかけて森の深部に現れる珍しい虫です。成虫は林檎くらいの大きさの羽虫で、半端に大きいので見かけると驚きますが人に害を加えることも無ければ自分から人前に姿を現すこともしません。が、幼虫は見ての通り生物に寄生します」


アーサーが顎をしゃくって指した先、アメリーが掬った黄土色の塊を捨てた皿の上では、一匹の太く短い芋虫が粘つく塊の上でもがいていた。

 ピエールとカイが、嫌悪感で小さくうめく。少女は力無くうなだれたまま泣くばかり。


「膿虫は芥子粒のように小さい自身の卵を、空中に散布するように産みます。それらは生き物の皮膚や服に触れれば孵ってすぐ寄生し、地面に落ちて孵った幼虫も地面や木の上を這って移動し、体温を頼りに生物に近付いて体内に潜り込む。寄生した幼虫は皮膚の下で過ごし、一定の期間、具体的には冬が終わると宿主が寝ている間にこっそり出て行く。こいつの凄いところは皮膚の表面を分厚くして内側の感触を分かり辛くし、更に痛みも痒みも一切与えないことです。できものもこの大きさが最大でこれ以上大きくなることはなく、おまけに一説では潜り込む場所まで選ぶらしい。頭や関節など邪魔になる場所は避け、害は無いしこの場所この大きさなら放っておいてもいいか、と宿主に思わせて生き延びる。他にも、宿主が見つからなかったら地中に潜って寄生せず冬を越える機能まで持っている寄生虫ながら中々賢くて興味深い……」

「そんな虫蘊蓄は死ぬほどどうでもいいよ!」


ピエールが叫ぶと、アーサーは不服そうにしながらも途中で膿虫の生態を語るのを中断した。


「では簡単にまとめます。宿主に害が出ないよう気を遣うことで生き延びる寄生虫なので基本的に害はありません。見た目は不愉快ですが切開して虫と膿を取り除いて綺麗にすれば開いた穴も治癒の呪文で簡単に塞がります。あなたが払う代金も、少しの処置料だけです。それから防止法についてですが」


ここで区切り、アーサーは少女の目を真正面から見下ろした。


「この虫の本来の寄生相手は森の奥にいる魔物で、人間の入れる場所にいることは珍しい。なのでよほど運がいいか悪いかしなければ再びこの虫の被害を受けることは無いでしょう。そもそも、この手の寄生虫はしっかりと虫除けの薬を使用していればまず寄生しないんですよ。……あなた、それを怠ったのでは?」


尋ねられた少女が、目を軽く見開いてアーサーを見返した。


「……虫除けをせず不用意に暖かい時期の森を歩くと、虫の被害なんて簡単に受けますよ。普段森に入ることの無い人間は軽視しがちですが、肌を隠し露出を押さえるだけではあまり効果が無い。次からは森に入る時は必ず虫除けを、可能なら厚着と虫除けを併用することです。……一本十五ゴールド。布に十分染み込ませて首や腰に身に付ければ、全身防御出来るある意味人類最大の宝です。よろしければどうぞ」


最後の締めに虫除けの薬のセールストークを行ってから、アーサーは店の棚から虫除けの薬が入った陶器の瓶を一本手に取った。

 その横ではアメリーが、少女の右腿から膿虫を摘出していた。

 計五匹、全ての膿虫を摘出し呪文の水による掃除を終えたアメリー。最後の締めに少量の薬を塗り少しだけ治癒の呪文を唱え、両手両足に空いた五つの空洞に軽い応急処置を施していく。

 空洞が緩く塞がったところに、上から包帯で保護すれば処置は終了だ。


「……もう大丈夫よ。見た目は穴が残ってて気持ち悪いと思うけど、時間と少しでも治癒の呪文があれば一ヶ月か二ヶ月くらいで綺麗になるから心配しないで。治癒の呪文は村の誰かにやって貰ってね。もし誰もいないなら私のところに来てもいいけど、今回やったのは応急処置だけ。ちゃんと治すのはお代を貰うからね」


にっと笑い、少女の頭を撫でるアメリー。

 少女は全ての処置が終わった開放感からか、どこか呆けたような脱力した顔でその笑顔を見返していた。


「それじゃ、立てるかしら? 痛くはないと思うけど」


促された少女が、少々ふらつきながらも立ち上がった。

 笑顔のアメリーも立ち上がり、アーサーから虫除けの瓶を受け取るとそのまま少女に手渡した。


「これはあげるわ。今回だけの餞別。……それから、あなたの他にもこの虫に寄生されてそうな人はいない? 同じくらいの大きさの、黄色っぽくて表面が固いできものが出来てる人。せっかくだし治してあげる」

「あっ、そ、それなら、あたしの弟が……一緒に、森に入って、一緒のできもの、なので」

「じゃあ同じかもしれないわね。カイ、同じ道具を新しいの一式持って来て。一緒に村まで行くわよ。それからピエールとアーサーは私たちが帰って来るまで店番。アーサーは道具と膿虫の処理しといて。……分かってるわね?」

「分かった、ちょっと待ってて」


頷いたカイが店の奥へ駆け、アーサーは床に置かれた摘出に使用した道具と五匹分の膿虫と膿の乗った皿を手にしてから同じく店の奥へ。


「良かったね、ちゃんと治して貰えて」

「あ、う、あ」


ピエールが姿勢を下げ、少女へと笑いかけた。少女は先ほどのように虚勢を張るか素直に頷くか迷った末、曖昧な返事に留まる。

 そこで、鞄を一つ抱えたカイが店内へと戻ってきた。


「持って来たよお姉ちゃん」

「ん。……ところであなた、お名前は何て言うの?」

「あたしはエラ、よ……です、はい」

「そう。私はアメリーよ。よろしくね、エラちゃん。さあ行きましょう」


右手に鞄を、左手にエラの右手を。

 それぞれ握り、アメリーは弟を連れて店の出入り口から出て行った。


   :   :


「いやあ格好いいねえ、作業は手早くて、笑顔が明るくて、処置料無料で虫除けまであげる気前の良さ! しかも村の人まで治しに行く優しさ! もう一軒の店の主なんだねえ、格好いいねえアメリーちゃん! 愛想悪くて子供を怖がらせるばっかりのどこかのケチの国のお姫様とは雲泥の差だねえ、ねえアーサー?」


カウンターの前の椅子に座り腕を組んでうんうん頷きながら、これ見よがしに隣の妹へ視線を投げかけるピエール。

 だが当のアーサーは、姉の当てつけに対し冷ややかな笑顔を浮かべた。

 ピエールの顔が違和感に歪む。


「……何その顔。私今アーサーに皮肉言ってるんだけど?」

「いえ、姉さんは勘違いしているな、と」

「何それ」

「表情に関しては異論を差し挟む余地はありませんが、優しさと気前の良さはそれほどあるとは思えませんね」


一転して得意げな顔をするアーサーに対し、ピエールは押し黙った。

 姉は知っている。

 妹がこういう言い方をする時は、大抵何かあることを。


「……あの膿虫、とてもいい薬になるんですよねえ。先ほど言った宿主に痛みも痒みも与えない、という性質はあの黄土色の膿にあるんですよねえ。あれを高度な呪文で精製すると一時的に感覚を鈍らせる麻酔薬や痛み止め、痒み止めなど様々な薬の材料になるんですよねえ。効力が高く使いやすい割に、膿虫が人のいる所に出てくる機会が少なく供給が少ないから中々高価なんですよねえ」


一転してアーサーの方が、当てつけじみた視線をピエールへ投げかけた。

 ゆっくりと息を吐きながら、目の前で手を組み、顔を俯けるピエール。


「……じゃあ最初アメリーちゃんが妙に無理した表情だったのは」

「儲け話のあくどい笑みを隠す為ですねえ。彼女が昔なんと呼ばれていたかは姉さんも知っている筈ですねえ」

「無料で処置して虫除けまであげたのは」

「それだけしても十分儲けが出るからですねえ」

「膿虫と膿を残らず摘出してアーサーに片づけさせたのは」

「向こうでしっかり保存してありますねえ」

「カイと一緒に村に行って処置しようとしてるのは」

「回収可能な全ての膿虫を回収する為でしょうねえ。カイを伴っているのは、ついでに村人に顔を売り印象を良くする為でしょうねえ」

「アーサーがねえねえうるさいのは」

「姉さんが最初にねえねえ言い出したからですねえ」

「……」


知りたくなかった……。

 と、俯いたまま呟くピエール。

 アーサーが悪戯心全開の笑みで姉の耳元に顔を寄せ、


「きっとこの後、アメリーは満面の笑みで帰って来ることでしょうねえ?」


言葉を耳へ優しく吹きかけた。

 その数時間後アーサーの予想をわずかに飛び越え、想定以上の膿虫が手に入ったアメリーが蠢く膿虫の瓶詰めを両手に掲げて叫びながら店内に飛び込むという珍事が起きることとなるが、今のピエールには知る由も無いことであった。



   :   :



 夜。

 陽も沈み、月明かりだけが緑を照らす闇の中。

 薬屋の建物、一階の窓の隙間から、小さな白い明かりが漏れている。

 漏れているのは食堂だ。机を囲む三人の女性、その中の一人の指先にある空豆程度の大きさの白い光球が、室内を照らしている。


 机の上に頬杖を突き、薄目で眠りと目覚めの境界にいるピエール。

 同じく頬杖を突いているが、もう片方の手にハーブティーの注がれたコップを握っているアーサー。

 そして右手の指先に光を灯しながら、左手に持つ硝子の酒杯で果実酒をちびりちびりと楽しむアメリー。


「という訳で、明日から数日の間はカイと一緒に膿の精製をするから。あんたにはその間ずっと店番をして貰うことになるわ」

「ええ、分かっています」


平然と返すアーサー。

 隣では、ピエールが目を閉じたり薄目に戻ったりを繰り返している。


「ごめんね、時間が空いたら薬の精製方法とか専門的な薬草学も教えるって約束だったのに」

「構いませんよ。あくまで時間が空いたら、という約束だった筈です」

「ありがと」


力無く微笑むアメリー。冷気の呪文で程良く冷やされた果実酒を一啜りし、大きく息を吐いた。

 真白い明かりに照らされて、酒杯の中で揺れる液体と、やや上気した彼女の頬が煌めく。


「……あんたたちが来てくれて、本当に助かるわ。おかげで毎日店を開けられるし、色んな作業が一遍に出来る。店を始めたばかりで、カイがまだ役に立てなかった頃は本当に大変だったわ」

「雇える人はいないのですか」

「いい人がいないのよ……。一人で店番を任せるには、金の計算に加え客の質問や相談に答えられる最低限の薬の知識も必要。そんな人間この辺りには早々いないわ」


あんたくらいのもんよ、と付け足し、アメリーが酔いの回った胡乱な瞳でアーサーを見つめた。

 アーサーは何も答えない。表情の変化も無い。


「もう少し教えればカイの薬の知識もそれなりのものになるから、そうすれば補佐を一人雇って店番を任せられるようになる。それまでは、店番出来るのは私かあんただけね」


酒杯を呷り、再び大きく息を吐くアメリー。

 アーサーもハーブティーを口に含み、温かい息を吐いた。

 月の出る夜にだけ咲く月影草の花は、干して茶にすると強烈な甘い香りを放つ。その香りは飲んでいるアーサーだけでなく、対面のアメリーやピエールの鼻腔にも強く感じられるほど。


「……これは酔っぱらいの独り言だけど。あんたたち、もう少しここにいてくれないかしら。一年、半年……いえ、二ヶ月でもいいから。昔助け合った冒険者のよしみ」

「……申し訳ありませんが」


アーサーにしては珍しく、冷たさの無い静かながら情のある口調だ。

 それを分かっているのか、アメリーも不快感を示さず軽く笑うのみ。


「ふふ、私もちょっと言ってみただけよ。気にしないで」


それを区切りに、二人の間に沈黙が漂う。外で響く虫や小動物の声だけが、部屋に木霊していた。

 ややあってから、再び話を繋いだのはアーサー。


「町に住むあの羽人の娘、リアーネなどは? 以前会った際の印象ではカイを好いていたようですし、羽人なら魔力もあるでしょう。ここに住んで貰って、知識や技術を手解きしつつ店で働いて貰うというのは」

「……リアーネちゃんね、それは私も考えてるわ。でもあの子を親元から離して家に呼ぶにはまだ幼い。それにカイだって単なる友情以上の想いは抱いていない筈だし、いきなり同じ屋根の下に住まわせる訳にはいかないわ。……そのある意味モラトリアムな時間を、あんたたちが埋めてくれたら凄く助かるんだけどね?」

「……」


無言で目を逸らすアーサー。アメリーが再び脱力しながらしゃらしゃらと笑った。


「ちょっと意地悪だったかしらね、ごめんなさい」

「いえ」


互いに身体から力を抜き、手にした酒杯やコップを呷って中身を空にした。


「……長話し過ぎたわ。あんたのお姉ちゃんももうぐだぐだよ。もう寝ましょう」

「そうですね」


小さく頷き、アーサーが隣の姉を肩に担いだ。

 八割ほど寝ている姉は自身を担ぐアーサーに気づくと、寝ぼけた笑みを見せ体重を妹へ預ける。


「もーわたしねむーいー、アーサーはすぐ長話するんだからもー……」

「はいはいそうですね、ごめんなさい姉さん」

「じゃー責任持って寝床へ連れてけー……」

「分かりましたよ」


姉妹が去るのを見届けてから、右手に光を灯したままコップの片づけを始めるアメリー。

 直に片づけも終わり、台所から食堂を抜け二階の自室へと帰っていった。

 光が消え、林の外れの薬屋も静かな眠りにつく。

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