02
薬屋から、村へと続く林道ではなく雑草に囲まれた獣道のような小道を東へ。
胸元ほどもある背の高い草に服をくすぐられながら進むと、やがて草むらでも林でも無い、視界の開けた明るい森林地帯が眼前に広がった。
先頭に立つ長身の妹が立ち止まり、後ろにいる姉へと振り向く。
二人の格好は薬屋にいた時とは違う、野外活動の為の全身を覆うしっかりした服装だ。
手足の服の袖は長く、裾は紐で縛られている。両手には革の硬い手袋、首には虫除け効果のある薬をたっぷりと塗り込んだ、苔色の湿った布。頭も頭巾で覆われており、露出しているのは顔だけだ。
腰に吊されているのは各々の武器。そして肩には肩掛け鞄を、ピエールは背中に籠を背負っている。
「今日の目的は治癒の薬を作る為の薬草類。概ね半日陰を好む種類なので、狙い目のポイントを周回します。それから満月草やあやかし草も見つけたら回収。姉さん、この森で絶対に手を出してはいけない物は?」
「……それこの間もやったしもう覚えてるってば」
「念のためです、声出し確認は大事ですよ。ほら、覚えてるなら言ってください」
「はいはい、手を出しちゃいけないのは夢見の草ね。踏んだり他の草ごと千切ったりもしないように、絶対に気を付けないと駄目。……まどろみ樹林、眠る宝は小さな花びら。宝に触れてはいけないよ」
「森の獣は宝を守る、紫色の花畑。夢見の花を獣は守る」
小さな声でピエールが唐突に歌い始めたのを、アーサーが同じく小さな声で繋いだ。
: :
まどろみ樹林。
村から少し離れた位置に広がる森を、村の住民たちはそう呼んでいる。
入ればすぐに分かるが、この森は手入れの施された明るく暖かな森だ。
まどろみ樹林の周囲に広がる林は背の高い雑草に覆われ鬱蒼とした景色だったのが、樹林の内部は驚くほど視界が広く、淡い紫色の美しい花畑がいくつも点在している。
何も知らぬ者が森へ入ったならば、まずその光景に心打たれ、次に花畑に寝転がって昼寝の一つもしたくなるだろう。
だが。
それはまどろみ樹林では、自殺行為以外の何物でもない。
森に点在している紫色の花畑は、全て夢見の草と呼ばれる睡眠作用のある薬草の花畑だ。
その紫色の花を花びら半分でも口にすれば花びらとは思えない濃厚な甘味に酔い、夜は心の底からぐっすりと、穏やかで心身休まる安眠に誘われる。その眠りには人の心に対する強い癒しの効果があり、傷心の戦帰り、辱めを受けた女性、気の狂った権力者などの心に効く最上の特効薬と言われている。
本来ならば人里離れた森の深部にしか生えない極めて希少で高価な花だ。
そして。
その夢見の草は全て、まどろみ樹林に住む魔物たちが丹精込めて育てた物である。
森の手入れは全て魔物たちの手によって行われている。魔物が枝打ちを行い花畑に日光を届け、魔物が夢見の草の邪魔になる草を取り除く。
そうして日の光をたっぷりと浴びて育った夢見の花を魔物たちは守り、時には食料とし、時には集めてどこかへ運んでいく。
この森の主な魔物たちの食性は、完全な草食だ。彼らは人間を食料になどしないし、森へ入ってきても浅い場所であれば特に見咎めはしない。
しかし侵入者が、夢見の草に危害を及ぼせば話は別だ。
もしも夢見の草を摘む、踏むなどという行為を行った場合。人間に対し警戒こそすれ敵意の無かった魔物たちが、即座に襲いかかるだろう。
命惜しくば、花畑に足を踏み入れないこと。花が咲く前の夢見の草も踏まないこと。
特に夢見の花を、高価だからこっそり盗むなどという真似は決してしないことだ。
その瞬間君は魔物たちに襲われ、自身が夢見の花を育てる為の肥やしにされることだろう。
美しい花畑は、財宝の山に等しい価値がある。だが財宝というものには、えてして番人がいるということを忘れてはならない。
名も無き旅人の手記より
: :
ピエールが見上げた頭上には、木々の合間から揺れ覗く陽射し。
暖かい陽気に加え、頬をそっと撫でる程度の緩い風が樹林を吹き抜け、うたた寝の一つでもしたくなるような穏やかな昼下がりだ。
「気持ちいいねー」
「そうですね……」
互いに少々間延びした口調で言い合い、ピエールはすぐに足元へ視線を向けた。
地面に生える草は道中の林とは違い膝より低く、隙間も空いている為非常に歩きやすく視界も良好だ。
その草むらを、足元を注視しながら歩く。
さくさく、さくさく。
アーサーを先頭にして、慎重に樹林を進む。
木々の横をすり抜け、稀にある孤立して生えた夢見の草を避け、樹林内を進む二人。
少し歩いていると、すぐに視界に現れたものがあった。
花畑だ。
「……」
何を言うでもなく、立ち止まって遠目からそれを眺める二人。
花畑の広さは十五メートル四方程度。陽射しを遮る枝も無く、まるで森の中、照明で照らされているかのように陽を浴びて揺れていた。
その周囲で、動く複数の影。
紅色の蟻。中型犬程度の大きさがある蟻が、足をぴんと立ててつま先立ちのようになり、花の隙間を歩き回っては時折細く伸びた顎で器用に雑草を摘み取っている。
次にクワガタ。大きさは蟻と同程度、藍色の艶のある甲殻と大顎を携え、周囲の木に登って花畑に覆い被さりそうな枝を大顎で折り取って剪定している。勿論、枝が花畑に落ちないように。
最後に紫の兎。額に一本角があり蟻やクワガタより遙かに大きい以外は特に普通の兎と違いは無い。今は隅の方で紫色の花に身体を寄せ、花の香りを嗅ぎながらまどろんでいる。
「……あれはいないみたいだね」
極限まで声を小さくした、風の音にすらかき消されそうなほどのピエールの一言。
アーサーは無言で頷き返し、花畑から離れ迂回するように森を再び進み始めた。
作業を続けながらも侵入者に向ける、突き刺さりそうなほどの警戒心を受け流しながら。
: :
最初の花畑を抜けて暫く進むとまた別の花畑があり、そちらでも蟻とクワガタが作業に従事している。
その花畑も避けるとやがて二人は目当ての箇所、小高い崖の下で日陰になっている空間へと辿り着いた。
最後まで足元に気を付けながら、日陰の前まで歩み寄る二人。
そこは明らかに生える植物の種類が他とは異なっている。目の前の崖の壁には所々岩が迫り出し、岩の上には苔や羊歯植物が。
魔物による手入れがされていない為風通しが悪く空気も湿っており、少々異質な空間だ。
聳える壁を眺めながら、アーサーが大きく息を吐いた。
「少し休憩しましょうか」
「分かった」
軽く足元を確かめながら崖の下まで移動し、並んで腰を降ろす二人。
アーサーは力を抜きつつも周囲を見回して生えている植物を確認し、ピエールは肩掛け鞄から布の包みと陶器の瓶水筒を取り出した。
観察しているアーサーの代わりに、彼女の鞄からも瓶を取り出す。
「今日はどう?」
「前回見逃したアカチマギレが丁度いい大きさになっていますね。量もあるので七割くらい貰っていきましょう。それからあやかし草も少し。満月草は……採らない方がよさそうです」
「そっか」
きょろきょろと視線をさまよわせるアーサーへと、瓶を渡すピエール。
アーサーは確認を続けながら瓶を受け取り、そのまま二人で蓋を開け口をつけた。
二人の喉が調子良く上下し、中のぬるくなった紅茶を半分ほど飲む。
「それだけ?」
「待ってください、後は」
会話はしながら、視線をアーサーは周囲へ、ピエールは手元の布の包みへ。
「……おや、壁の中央辺りにキバアオイが生えてます。気づかなかった、後で登ります」
「おっけー、お、見てアーサーこれくだも……いや……何これ……」
返事と同時に手元の包みを開いたピエールの喜色が、最後まで言い切らない内に霧散して消えた。
アーサーも、視線をピエールの手元へと向ける。
開かれた包みの中、アメリーが用意したおやつの正体は緑色のタルトだ。生地は程良く焼けた小麦色で、特におかしなことはない。
だが上に乗っている具は。
「全部薬草ですね」
果物など一欠片も無い、全て食用になる薬草だった。
アーサーがタルトへ顔を寄せて匂いを嗅ぐと押し寄せるような緑の匂いと、それに紛れてほんの少しだけ甘い匂いが彼女の鼻をつついた。
「どうやら多少は蜜や果物の果汁で甘味を足してあるようですが……」
「……タルトに乗せる緑って言ったら普通果物じゃないの? なんか野菜炒め載ってるんですけど?」
「野菜炒めって、ふふ」
姉の例えに思わず微笑んでから、アーサーは切り分けてある薬草タルトを一切れ口へ運んだ。
無言で咀嚼するアーサー。嫌そうに成り行きを見守るピエール。
タルトを飲み込んだアーサーが、瓶の紅茶を軽く呷って息を吐いた。
「どう?」
「美味しくないですね。苦甘い、の一言で全て説明出来る味です」
「……の割にはそんな嫌そうじゃないね」
「菓子だと思うとがっかりですが、薬だと思えば何てことありませんよ。あの店で扱っている薬効のある薬草ばかりですし。それに冒険の途中に食べるもっと酷いものと比べればずっとましです」
言いながら更に一切れ、平然と薬草タルトをつまむアーサー。
ピエールも意を決してタルトを口へ運んだが、口へ入れた瞬間、その顔が苦悶に歪んだのは言うまでもない。
: :
「うー」
「よしよし、よく頑張って半分食べたねピエールちゃん、偉いねー」
「……馬鹿にしてる?」
「愛のあるからかいですよ」
明るく控えめに微笑んだ後、アーサーは瓶の紅茶を全て飲み干した。
空になった瓶を戻し、タルトの包みも小さく畳んで肩掛け鞄へと仕舞う。
「はー、とんでもないおやつだったよ。まだ口の中の味が消えない」
「恐らく創作料理の実験台にされた、という所でしょうね。帰ったらきっと感想を聞いてくる筈です、その時に正直な感想をぶつければいいでしょう」
「そうするよ……よっし」
勢いを付けてピエールが立ち上がり、アーサーもそれに続く。
「じゃあさっさと薬草摘んで次行こっか。まずどれにする?」
「ではアカチマギレにしましょうか」
二人は崖下の一角、紅葉のような植物が生い茂る箇所へと移動する。
膝を曲げ、屈み込んで赤い草を眺めるピエール。
背が低く絨毯のように広がるその草は、葉だけでなく茎まで濃い赤色だ。
「これってどんな薬草?」
「主な効能は止血や炎症止め、消毒など外傷全般。野生の獣が怪我をした時この草に傷口をすり付けることがあり、赤い葉に赤い血が付着していることがある。それが赤血紛れという名前の由来です」
「ふーん」
「これ単体でもそれなりに役に立ちますが、アカチマギレ、キバアオイ、キイロスリネの通称三色薬草を調合し、呪文で魔力を込めるとお馴染みの魔法の治癒の薬が出来ます。あの粘度のある苔色の薬」
「あーあのネロネロしたやつね。私たちもよく使う安いやつ。ってことはこれも畑とかじゃ育たないの?」
「そうですね。魔力を含む植物なので、魔力の土と呼ばれる特殊な土でないと育ちません。とはいえ三色薬草なら夢見の草や乙女の祝福と違って、人里近い林の中でも見つかります。魔力のある薬草の中では最も見つけやすい部類ですよ」
「昔夢見の花見つけた場所は凄かったもんねー、建物くらい大きな鳥と亀が大決闘してる近くにさっき見たくらいの花畑があって、あんなの取りに行ったら絶対死ぬわ、って言った直後に鳥の呪文で花畑が一瞬で吹き飛んで。しかも亀は無傷だったし」
「巨人の国に迷い込んだ小人のようでしたね、あれは」
話が一通り終わったところで、アーサーがピエールの横へと並んで腰を降ろした。右手には小さな鋏を持っている。
「では採取しましょうか。鋏を使って葉だけを切り取ってください。先ほど言った通り他の生物の血が付着している場合があるので、よく確認して血や擦った痕のあるものは避ける。全体の七割程度を採取して、三割は残しましょう」
「おっけー……よっと」
背負っていた籠を降ろし、鞄から鋏を取り出すピエール。
二人して地面に膝を着き、鋏を鳴らし始めた。
: :
「こんなもん?」
「そうですね」
薬草の採取を始めてからおよそ三十分。
一通り作業を終えた二人が、揃って息を吐いた。
籠には切り取られた紅色の葉がこんもりと積もり、その上には小さな麻袋が二つ。それぞれあやかし草とキバアオイ、二種類の薬草が別に分けられている。
鋏を鞄に戻し、ピエールが籠を背負った。
「じゃあ次行こっか」
頬を土で汚したピエールの、木漏れ日に照らされた明るい笑顔。
姉妹は再び、樹林を進み始めた。
: :
その後。
花畑を避け、蛇行しながら森の浅い場所を一周した二人が戻ったのは、陽の沈み始めた夕暮れ頃だった。
身体の前面を泥まみれにしたアーサーが、わずかながら拗ねたような面持ちで家の裏口の扉を叩く。
手袋越しに数度叩き呼びかけると、カイ少年が扉を開き二人を出迎えた。
「おかえりなさい二人とも、遅かっ……どうしたの? アーサーさん泥だらけ」
「転びました。私は泥を落としてから入りますので」
それ以上の説明は拒否するとばかりに、アーサーは話を終えると早々に井戸へと早足で歩き去っていった。
それを驚き混じりに見送るカイ少年と、苦笑いのピエール。
「ま、とりあえず入るね。今日の成果をアメリーちゃんに見せておきたいし」
そう言って手袋を外しポケットに押し込め家の中へと入ろうとしたところで、靴が泥で盛大に汚れているのをカイに指摘され、しょんぼり顔でアーサーの後を追い井戸へと駆けていった。
: :
「遅かったじゃない、大丈夫? 魔物に襲われたりしたの?」
泥を落としたついでに身体も軽く拭い、着替えを済ませた二人。
今は裏口入ってすぐの小部屋で、成果物の詰まった籠を置いてアメリーへ報告を行っている。
「それがさー、途中で木苺がなってたのをアーサーが見つけて、二人で実を取り始めたらどうもそこは一角兎の縄張りだったらしくて、三匹に襲われたんだ。で、夢見の花のことがあるから激しく動くのも怖くて、下がり気味に対応してたらアーサーが突き飛ばされてぬかるみにばしゃん」
聞かれるのを待ってましたとばかりににまにま笑いながら話すピエールとは裏腹に、アメリーの顔はやや険しい。
「あんた笑い話みたいな雰囲気出してるけど、それ普通の人だったら大怪我か下手すると死ぬからね」
「それはそうなんだけどさ、アーサーがぬかるみに顔から落ちた時のぶへっ、て情け無い声が忘れられなくて」
横目でアーサーに睨まれながらも、にやにや笑いのままピエールは籠の一番上に置いてある半ばで折れた一本角を手に取った。
淡いクリーム色の、成人男性の手の中指ほどの大きさの円錐型の角。質感は象牙に近い。
「で、これはその時に私が折ったやつ。一角兎の角って何かに使えるんだっけ?」
「あら、角折ったの。一角兎の角は薬屋としては大した使い道は無いけど、磨くと艶が出て綺麗になるから細工の材料、よくあるのはチェスの駒になるわね。とはいってもお金に換算すると大した価値は無いわ。この大きさなら……二十ゴールドってところかしら」
「二十、そんなもんかー」
「これがアルミラージの角なら魔力を含んでいて用途が一気に増えるから、数十倍の値に跳ね上がるんだけどね」
「アルミラージは流石に手を出す気にならないなー、二人きりで準備もせず挑むのは危な過ぎる」
「あんたたちはそういう所はちゃんと分かってるから、そこは安心ね。で、他は?」
「ん、他ね。じゃ後はよろしくアーサー」
話が薬草へと及ぶと、説明が面倒なのかピエールは即座に後ろへ引っ込んでしまった。
若干むすっとしたままだが、大人しく説明を始めるアーサー。
「最初の場所では前回見つけたアカチマギレが大きくなっていたのと、あやかし草が少量、壁にキバアオイがあったのを採って来ました。それから四番目に満月草が一本だけ採取可能だったのでそれを。二と五番目には魔力を含まない通常の薬草がいくつか育っていましたが、目的ではないので放置。三番目はキイロスリネが少し大きくなっていましたが、採取出来るほどではなくそれ以外にめぼしいものはありませんでした。最後に先ほどの件の木苺が少量。以上です」
説明しながら、いくつかの薬草を籠から出してアメリーへと見せていく。
一通り終わったところで、アメリーが満足げな笑みで頷いた。
「十分採れてるじゃない、特にキバアオイが採れたのは良かったわ。ご苦労さま」
「採った薬草の処理はどうしますか?」
「そうね、出来る分は今の内にしておきましょうか。夕食はもう出来てるから、終わってから食べましょう。悪いけどピエールは食堂にいるカイを呼んで来てくれる? それからアーサーは籠を作業場までお願い」
「分かりました」
「おっけー」
説明も終わり方向性も定まり、ピエールは食堂へ、二人は作業場へと分かれて歩いていった。
: :
「へえ、そんなことがあったんだ。どうせなら一匹くらい返り討ちにしてお肉にしちゃえばよかったのに」
薬草の処理も終え、夕方の薄暗い食堂で四人は机を囲み、夕食の最中。
今日の夕食は昼間と同じ混ぜ物豊富なパンと、羊の乳を使ったミルクシチュー。シチューは豆や根菜、鞭打ち草の蔦など具が豊富だが、やはり肉類は皆無だ。
軽い調子で言いつつ、カイ少年がシチューを口に含む。小さく刻まれよく煮込まれた鞭打ち草の蔦は依然固く筋張っているが、それでも小さく味も染みているので、昼間のソテーよりは大分ましな味をしている。
「これが普通の森なら一角兎が何匹いようとどうということはありませんが、あの場所では流石に戦う気にはなれませんよ」
「そうね。まどろみは言ってみれば踏んだら即死の罠が辺りに散らばってるみたいなものだもの。私が村の人に聞いた限りでは少なくともここ十年、多分実際はそれ以上の間夢見の草を摘んで無事帰って来た人はいないみたいだし。今回だってもし夢見の草を踏んでたら二人とも帰って来れたかどうかすら分からないわ」
「でしょうね。小型はともかく、あの大将格には人間ではとても敵いそうにありません」
アメリーの言葉に同意しつつ、ハーブティーを口に含んで一息つくアーサー。
「ま、そういう訳で諦めなさい」
昼間と同じ調子で締め括られ、カイは不満そうにパンを千切って口に放り込んだ。
話に一区切りが付いたところでアメリーがにやにや笑みと共に身体を机の上に乗り出し、満を持して話を切り出した。
「ところであんたたち、まどろみに持って行ったおやつはどうだった?」
「えっ、二人ともおやつなんか貰って食べてたの? ずるい」
アメリーの発した、おやつ、という単語を耳聡く拾いあげる満たされない少年、カイ。
だが二人の発言に、アーサーは声に出さず曖昧にごまかして視線を逸らすばかり。
彼女が逸らした視線の先は当然ピエール。丁度食事を終え紅茶を飲んで一息ついているところだ。
「だそうですが、姉さん」
「……うん。森に行くのにわざわざおやつ持たせてくれたのは嬉しかったよ。歩いたからお腹減ってたし」
でも。
そこで溜めを作って、ピエールは握る右手に力を込める。
「でも……あれはちょっと……美味しくなかった……。初めて見た時の印象は……はっきり言って……野菜炒めのタルトだった……ほうれん草なんかこの辺で作ってたっけ……って思ったし……」
右手を震わせ、視線を逸らし、だがはっきりとピエールはそれを口にした。
訝しげな顔に変わった少年の視線が、隣に座る赤毛の姉へ向かう。
「……お姉ちゃん、何作ったの?」
「薬草タルトよ。余った薬草をちょいちょいと甘く味付けしてタルト生地の上に乗っけたの。……だけど、駄目だった? 我ながら程々の出来映えだと思ったんだけど」
「いや……あれは苦くて苦くてほんのちょっぴりだけ甘いよく分からないものだった……。まだ普通の薬草スープとか、薬臭くて酸っぱくて濃ゆい苦々ハーブティーとかの方が我慢出来る……」
「……お姉ちゃんさ、時々唐突な思いつきで変な料理作るよね。ご飯のレパートリー増やそうと頑張ってるのは分かるけど、でもちょっと何ていうか、加減をさあ」
「カイの気持ちすっごいよく分かる……アーサーも決まったレシピ通りの材料で料理作る時はマシなんだけど、材料が足りない時とかアドリブで料理させるとそれはもう酷い物がね……」
唐突に話が自分に向いたアーサーがピエールを薄目で睨むが、事実だから仕方ないとばかりにピエールは気にする素振りが無い。
不満げな顔なのは、アメリーも同様だ。
「仕方ないじゃない、この辺使える食材が限られてるし甘味は高いんだから。それなら今日二人が持って帰って来た木苺で改めて薬草タルトを……」
「やめてー!」
ピエールとカイ、二人のぴったり揃った叫び声が、食堂に響いた。
: :
元は物置だったであろう、暗く湿った地下の一室。
油皿の上の小さな灯火に照らされ、簡素な敷物の上に寝そべる姉妹の姿が浮かび上がる。
「今日で何日だっけ」
「六日ですね。残り二十四日」
「それなら……えーと、五分の一ってところかー」
部屋の端には、二人の荷物である大きな背嚢が二つ。うつ伏せのピエールがぱたぱた揺らす両足が、明かりによって壁に大きな影を作っている。
「こんな楽ちんなお仕事で二人で一日五十ゴールドにご飯と泊まるところまで用意してくれるなんて、何か逆に申し訳なくなるよ」
「そうですね、穏やかで、いい匂いで、のんびりした毎日で……」
はあ……。
両手で目元を覆ったアーサーの、はっきりとした大きなため息。
肺の空気を全て吐き出すほどの長いため息をつき終えても、アーサーは目元を手で押さえたままだ。
「……嬉しい……。旅路ではこういう仕事がしたかった……。ここを出て次の町に行っても同じ仕事が出来ればいいのに……」
「うわ、切実そうな声。まあ今まで仕事って言ったら泥臭くて汗臭い肉体労働とか魔物斬るとかばっかりだもんね」
「本当ですよ、全くもう」
目を覆ったまま左右に身体を揺さぶり、一頻りそうしてからアーサーは手を離した。
「……寝ましょうか」
「そうだね」
明かりの灯った皿を手元に引き寄せ、火を消すピエール。
闇の中で衣擦れの音が鳴り、やがてそれも収まると地下室の中には静かな寝息だけが満ちていった。




