01
-労働者姉妹物語 薬屋編-
姉妹がやって来たのは、西大陸にあるリリシアソーンという小さな村。村外れの古びた家では、姉妹にとってのかつての戦友であるアメリーという女が弟のカイと二人で小さな薬屋を営んでいた。旅の途中で偶然アメリーと再会した姉妹は、一月住み込みで薬屋で働くことに。村の近くにある不思議で物騒な"まどろみ樹林"と関わりながらの、四人の薬屋での一ヶ月間の話。
村の外れの林道を、一人の男が歩く。
木漏れ日揺れる暖かな陽気の、雑草の刈られたやや狭い道。
かつて立て札だった朽ちた棒の横を抜け、よく踏み固められた土の道を辿ると、小さな林はすぐに終わり、男の目の前にこぢんまりとした建物が一つ現れる。
苔の生えた深緑の屋根。正面には年季の入った扉が一つあり、取っ手の金属だけが磨かれて鈍い光沢を放っている。
扉の両脇には木製の窓が一つずつ。今は半開きにされて、中へと光を取り入れている。
建物を囲む申し訳程度の柵を横目に、男はそのまま直進して扉へと手をかけた。
: :
ぎぃぃいおおおぉぉぉぅ……。
まるで魔物の断末魔のような爆音を立て、軋みながらも扉が開く。
中の部屋そのものは、外観の印象とは違って広い。
が、所狭し、部屋内にぎっしりと並べられた様々な道具でやはり手狭であった。
ある一角には、陶器や茶褐色の硝子で作られた薬瓶たち。
大きさは様々だが全体的に小さく、その全てにラベルが掛かっている。
またある一角には、干して乾燥させた薬草。
からからに乾いた植物が、紐で一束に括られたり、粉末にされた状態で瓶に納められて陳列してある。
また別の一角には、ごく少量ながら白いガーゼや包帯。
カウンターの奥にはいかにも高価そうな、透明な硝子瓶に入った薬品や巻物の類。
ここは名も無き薬屋。
町から離れた小さな村の、更にその外れにひっそりと佇む個人経営の小さな店だ。
「いらっしゃいませ」
店内に入った男の耳に無機質で無感情、無色の硝子のような声が届いた。
カウンターの向こうに座る店員の少女だ。
声の雰囲気に違わぬ、細い吊り目のどこか冷たい顔立ち。地味なドレスに古ぼけたエプロンという服装に、頭には三角巾。くすんだ長い金髪は後ろで束ねられ、入って来た男には目もくれず透明な薬瓶の埃を布で拭いている。
男は少女に気づくと、瞼を持ち上げて少しわざとらしく驚きを露わにした。
「……おや。これは凛々しくて綺麗な店員さんだ」
気障な雰囲気で呟き、男は少女へと微笑みかけた。
しかし少女は見向きもしない。一瞥すらせずに目の前の薬瓶の埃を拭うと、また別の瓶を掃除し始めた。
自分に自信があったのか、やや気分を害した様子の男が薄目で少女を見据える。
「……俺の記憶が確かなら、この店には君みたいな子はいなかった筈だが」
「臨時の雇われ店員です。お気になさらず」
やはり素っ気ない返事に苛立ちつつも、男はそれ以上の追求をせずに自身の用を済ませることにした。
薬瓶の棚へと移動し、必要な薬をラベルを見て探す。
複数の薬草を混合した、安価な魔法の治癒の薬が二つ。
防虫効果のある植物を元にいくつかの香油を混ぜた、香りのついた虫除けの薬。
最後に魔力を含まない普通の傷薬を手に取り、カウンターの前まで移動した。
「炎の巻物を一巻」
「質は?」
「安いもので」
頷いた少女が立ち上がり、奥の棚へと向かった。
立ち上がったことで、作業着のエプロンドレスの上から腰に吊された武具の類が男の目に写る。
片手用の剣が一本と、革の張られた小さな丸い盾だ。両方とも随分と使い込まれており、盾などは表面に無数の斬撃痕とそれを補修した痕跡がある。
作業着の上から似合わない武具を吊している少女は、棚から巻物を一つ、ラベルを確認してから手に取りカウンターの前へ戻った。
「制作者はこの店の店主、アメリー。オーソドックスな炎が噴き出すタイプです。価格は百七十ゴールド」
「それでいい」
「では八十ゴールドの治癒の薬が二本、虫除けが二十、傷薬が七、巻物が百七十。計三百五十七ゴールドです」
価格を聞いた男の、顎に手を当て思案する素振り。
少し間を開けてから、再び白い歯を見せて少女へと笑いかけた。
「……綺麗なお嬢さん、少し安くしてくれないかな? 三百二十くらいまで」
「しません」
「そこを何とか」
「しません」
「アメリーちゃんは安くしてくれるんだけどな」
「しません」
「頼むよ、なっ」
「しません」
ここで初めて、少女の視線が男を捉えた。
口元はそのまま、眉がわずかに寄り始めている。
不機嫌を堪えている顔だ。
「……ちっ、しょうがないな」
少女に真正面から見返された男は、舌打ちすると懐から硬貨を取り出し始めた。
「町のパン屋の娘ならさっきの笑みで即落ちなのに、何て堅物だ。本当に女かお前、アメリーちゃんだってそこまで冷たくねえぞ」
ぶつぶつ呟く言葉とは裏腹に男の方はさほど不機嫌ではないらしく、軽い調子で懐から銀色の百ゴールド硬貨を出すとカウンターの上へ置いた。
「ほら、四百ゴールド。釣りの五十三ゴールド返してくれ」
少女はカウンターに置かれた四枚の硬貨を一枚ずつ摘んで確認すると、それを手前に寄せてから四十三ゴールド、カウンターの下から取り出して男の前へと置いた。
「ん? 四十三しかないぞ? 五十三って言っただろ」
「そういう小賢しい真似は町のパン屋の娘相手にでもしていてください」
「……ハハハ」
少女の素気ない言葉に、どこか晴れやかな笑みを見せる男。
「流石に通じないか。まあ軽い冗談と受け取ってくれ」
微笑んだ男が釣り銭を懐に収め、背負っていた袋に買った品物を詰め込んだ。
用が終わり、扉へと向かう男の背にかけられる少女の声。
「どうもありがとうございました、またの機会をお待ちしております」
「……あんまりにも心籠もって無さ過ぎていっそ清々しいよ」
背を向けたまま男が笑い、扉へと手をかけた。
扉が軋む咆哮。その後店の外から聞こえる足音も、じきに遠くへ消えていく。
それを最後に、再び店内に静寂が訪れた。
: :
昼食どき。
椅子の背もたれに身体を預け、身動き一つせず静かに瞑目していた少女の耳に自身を呼ぶ声が届く。
「アーサー、ご飯よ。一旦戸締まりして入ってきて」
「分かりました」
よく通る声で返事を返し、少女はカウンターを回り込んで店の入り口の扉に休憩中の札を掛け、窓を閉めて扉に鍵をかける。
窓が閉じられ薄暗くなった狭い店内を器用に通り抜け、カウンター奥の扉を開けて店内を後にした。
: :
「どうだった?」
「言っていた通りアンナという名の女性が来て湿疹の薬とガーゼを買いました。それから男が来て三色治癒二本と香り付き虫除け、普通の傷薬、炎の巻物を一つずつ。気取った雰囲気の若者で、アメリーとは顔なじみらしい態度でしたが」
「それならルーカスかしらね。町に住んでて、たまにこっちに来て薬草採ったり動物狩ったりして小銭稼ぎに来るのよ。あいつ若い女と見るやすぐ手を出すような奴だけど、何かされなかった?」
「少し安くしろと言われました。それから私を騙して釣り銭を十ゴールド余計に貰おうと」
「あんたみたいな鉄の女相手によくそんな真似するわねぇ。その時のあんたの顔が目に浮かぶわ。……ま、あれはあれでよく買っていくし薬草売って貰うこともあるいい客だから、あんまり邪険にしないで程々に接してあげてね」
「分かりました」
店内の奥。
手狭な食堂のテーブルの前に座るのは先ほどまで店員を勤めていた少女、アーサーと、緩いウェーブのかかった赤い髪を肩の位置で揃えた女性、アメリー。
外見年齢はアーサーが十代後半、アメリーが二十歳前後というところ。しかし、背丈はアーサーの方が高い。アメリーの身長は大人の女性相応だ。
目の前には四人分の暖かい食事が並び、ゆらゆらと湯気が立ち上っている。
アーサーとアメリーが座って待っていると、やがて食堂へと二人の人間が入ってきた。
「お待たせお姉ちゃん、ごめん、待った?」
「大丈夫よ」
一人は少年。
齢は十歳というところ。少し伸びた赤い髪に茶色の瞳、年不相応の柔らかな笑顔を見せているが、前歯が一本抜けているおかげでやはり印象は子供だ。
少年の名前はカイ。アメリーの弟だ。
もう一人は少女。アーサーよりは幾分背が低く、鮮やかな茶髪が後頭部で丁寧に編み上げられている。その目は垂れ目で朗らかな表情をしており、鋭い印象のアーサーとは非常に対照的。彼女も作業着の上から、武器の納められた鞘を一本腰に提げている。
彼女はピエール。背が低く男のような名前をしているがこれでもアーサーの姉である。
入ってきた二人は、いかにも野作業の後というようなかすかな汗と土の匂いにまみれていた。
「二人とも、ちゃんと手は洗った?」
「洗ったよ、ピエールは最初ころっと忘れてそのまま中入ろうとしてたけど」
「ちょっ、カイそれ内緒って、あっ、止めてアーサー、そんな馬鹿を見るような目で見ないで、それお姉ちゃんに向ける視線じゃないっ」
「馬鹿を見るような、じゃなくて馬鹿そのものを見る目で見てるんですよ」
「土いじくった後で、これからお昼、まで分かってるんだから手くらいちゃっちゃと洗いなさいよね……全く心配なお姉ちゃんだこと」
軽く笑ってから、二人が席に着く。
「じゃ、食べましょ」
アメリーの言葉を合図に、四人が各々食事を始めた。
今日の昼食は豆のスープに、薬草や木の実が練り込まれた緑灰色のパン。パンは柔らかそうだがパサパサだ。
そして青紫のソースをかけた濃い緑色の、ブロッコリーの芯のような、不思議な物体のソテー。
眼前にある何かのソテーを目にしたカイが、うんざり顔で眉尻を下げた。
「……また鞭打ち草の蔦だ」
「まだ山ほど在庫があるんだから仕方ないでしょう? ちゃんと食べなさい」
「って言われても嫌なものは嫌だよ……はあ、お肉が食べたい。せめてベーコンとか」
「その蔦と豆がいっぱいあるから暫くはお肉を買う予定はありませーん」
「ちぇ。一角兎とか畑に迷い込んで来ないかな。そうすればピエールがガツンで美味しいお肉が食べられるのに」
カイが唇を尖らせて、隣に座るピエールへ横目で視線を送った。
無言ながら、ピエールは前髪をふるふる揺らして頷き同意を示す。
「一角兎なんか入って来たら畑が滅茶苦茶でしょ、怖いこと言わないの」
「それはそうだけど……」
姉であるアメリーに窘められたカイが、不満そうな顔のまま鞭打ち草の蔦のソテーを一切れ口へ運んだ。
動く植物である鞭打ち草は植物だが肉に似た弾力があり、植物の繊維質もあって噛み応え十分だ。
だが味はあまり良くない。ほのかに青臭さがある以外はほぼ無味で、木の実を使った紫のソース以外の味は殆どしない。
噛んでも噛んでも終わりが見えない繊維質。噛んでる内にソースの味もどこかに消え、カイは仕方なく強引にスープを飲んで蔦を胃袋へ押し込めた。
: :
「ふいー、お腹いっぱい、お腹ぽんぽこ」
カイやアメリーの二倍近い量を食べ終えたピエールとアーサー、姉妹二人が満足げに食後の茶、ピエールは紅茶、アーサーは店で余った薬草の茶を口に含んだ。
今日の薬草は製薬時に余った山霧草の根と、裏の菜園で採れたルリネの葉の混合。どちらも本来は喉の腫れや去痰、咳止めなど喉の異常に用いるもので、山霧草の根はわずかな土の香りと苦みが、ルリネの葉は薄荷の匂いと舌をかすかに刺激する酸味が特徴的だ。
食器は既に下げられ、四人は思い思い椅子に座ってくつろいでいる。
「アメリーちゃん、昼からはどうしたらいい?」
「そうねえ。カイ、菜園の作業はもう終わったの?」
「うん、水もあげたし雑草も取ったから、後は夕方にもう一度水をやるだけ。今日は予定通り伸びたルリネを綺麗に採っておいたよ。それから豆は枯れかけてるから、もうじき潰さないと駄目かも」
カイの報告に、目を閉じて思案するアメリー。
考える時の癖なのか、髪と同じ赤色をした眉毛を親指でしきりに擦っている。
若干太眉だ。
「それじゃ、私は薬草の処理をするわ。一時間もあれば終わるから、それまであなたたち二人は店番。処理が終わったら私が店番を代わるから、そうしたらまどろみまで行って足りない物の補充。アーサー、足りないものとある場所は覚えてる?」
無言で頷くアーサーに、アメリーも頷き返す。
「お姉ちゃん、僕は?」
「カイは薬草の処理を手伝って。その後も一緒に店番よ。客がいない時には勉強の続きね」
「分かった」
「よっし、決まりだね。午後も頑張って働こう」
残っていた紅茶を一息に飲み干し、ピエールが立ち上がった。
他の三人も立ち上がり、各々の仕事の為に食堂を後にしていく。
午後の労働の始まり。
: :
一人の人間が、古びた薬屋の扉の前に立っている。
その身に着ているのは、分厚く長い紺の外套。頭にも外套のフードを目深に被り、その外見からは体型や性別は読みとれそうにない。
フードの人影は外套の裾をきつく握り締めながら後ろの様子を伺い、誰もいないことを確認すると機敏な動きで扉を開いて中へと滑り込んだ。
: :
「いらっしゃい!」
店内へ入ったフードの人影に襲いかかる、ピエールの威勢のいい大きなかけ声。
カウンターの向こうから、きっちり編み上げられた茶髪を揺らし大きな声で客へと挨拶を行った。
裾を握る手を強め、警戒を露わにするフードの人影。
だがピエールは一切躊躇することなく店員としてセールストークを開始しようと立ち上がりかけ、即座にアーサーによって諫められた。
「……ちょっと、アーサー、何?」
「黙って座っててください」
小声で呟いたピエールにアーサーも小声で言い返し、有無を言わせぬ態度で再び椅子へと座らせた。
代わりに自身が立ち上がり、フードの人影を真っ直ぐ見据える。
「ご用の趣は」
「……」
アーサーの口調は静かで、落ち着いたものだ。
やはり警戒心は残っているものの、少し緊張を緩めた様子のフードの人影。
無言のまま、かつかつと足音だけ立ててカウンターの前へと歩み寄る。
「……この店は」
フードの人影が、顔を見せぬよう俯いたまま喋り始めた。
その声は若く中性的で、男性とも女性とも取れる声音だ。
「客の秘密は、厳守するんだな?」
「犯罪に関わる事柄でなければ」
「……」
俯いたまま黙りこくる人影。
アーサーはそれをじっと見下ろし、ピエールは隣で椅子に座ったまま釈然としない顔で二人を交互に眺めている。
長い間を開けてから、フードの人影は懐から同じ硬貨を三枚カウンターの上に置いた。
鮮やかな銀の輝きの、新品のように綺麗な百ゴールド硬貨。
「その三百ゴールドで、何をお望みでしょうか」
「……じ」
「じ?」
ピエールが大きな声で聞き返したのを、アーサーが足で小突く。
「……痔の薬が、欲しい」
フードの人影が、ようやく絞り出した言葉。
ピエールが驚きと、「だから顔隠して恥ずかしがってるのか」という感情を表に出しかけたところで、再び隣の妹につま先で小突かれる。
「分かりました」
どこまでも素直で分かりやすい反応のピエールとは違い、アーサーは徹底して感情を表に出さずカウンターを回り込んで陳列棚へと移動し、ラベルのかけられた陶器や硝子の瓶を合わせて三つ、それに手のひら半分ほどの麻布の袋を手にとって元の位置へと戻った。
「この瓶が塗り薬です。一日二回、朝晩に塗ってください。あなたの症状の程度は私は知りませんが、立っていても寝ていても何をするにも痛みが付いて回るほどなら一月ほどで完治します。一瓶八ゴールド。こちらの袋は石鹸。清潔を保つ為の物で多少治りが早まり、以後の予防にもなりますが必須ではありません。一つ七十ゴールド。……それから」
カウンターの上に瓶と袋を置き、アーサーはカウンターの後ろの棚にある透明な硝子瓶を一本手に取って戻った。
無色透明な分厚い硝子瓶の中では、わずかな光を放つ透明な水色の液体がゆらゆら揺れている。
光る液体は、瓶の質と相俟って一つの芸術品のような美しさだ。
「これら三本が魔法の治癒の薬。大怪我の治療や重病人の体力回復に使用するものです。低品質のものなら五日、中品質のもので二、三日、高品質のものならこれ一本で即座に完治するまで治療を早められます。ただし、価格は低品質で一本八十、中品質で二百、高品質は六百九十五ゴールド」
即座に完治、というところで期待に息を飲んだ様子のフードの人影。だが、続いて発された瓶の値段で、再び真逆の感情で息を飲んだ。
「……」
フードの人影の、露出している右手が力を込めたり緩めたりを繰り返す。
「……魔法の薬は、安くはならないのか。特に、高品質」
「先ほど言った通り、本来は瀕死の人間を救う為の物です。希少な原料を使用しており在庫もこれ一本だけなので、軽い気持ちで売る訳にはいきません。一応可能性として提示はしましたが、よほど重症でなければ普通の塗り薬、贅沢して併用するにしても低品質のものにすることをお勧めします。もしくは、治療院で治癒の呪文を使用して貰うか」
フードの人影の返事は無い。
静り返った店内で、力の篭もった呼吸音だけがかすかに響いていた。
「……分かった」
最初に痔であることを口にした時と同じ、絞り出すような一言。
フードの人影は力が篭もり過ぎてふるふる震えている右手を懐に差し入れ、追加で四枚、やはり美しく輝いている百ゴールド硬貨をカウンターの上に置いた。
「高品質の、治癒の薬を、貰おう」
「……分かりました」
フードの人影の決意の漲る雰囲気とは裏腹な、アーサーの抑揚の無い口調。
七枚の硬貨を確認し、問題が無いことを確かめるとカウンターの下へ仕舞うと同時に一ゴールド硬貨を五枚取り出した。
同時に麻布も下から出し、硝子瓶を包んでフードの人影へ釣り銭と共に差し出す。
「どうぞ」
布をめくって中身を再び確認してから、釣り銭と瓶を外套の内側へ押し込むように仕舞うフードの人影。
即座に振り返って店を後にしようとしたところで、その背中へアーサーが呟いた。
「……老婆心ながらご忠告しておきますが、長時間馬に乗るのはなるべく控えることをお勧めしますよ。乗馬は患部への負担が大きい」
フードの人影が、驚き混じりにアーサーへと振り向いた。
フードの奥に見える藍色の瞳が、アーサーの目と真正面から視線を交える。
「……」
一瞬見つめ合ってから。
フードの人影は何も言わないまま、今度こそ足早に店を後にした。
客のいなくなった店内に、アーサーの小さな息の音が響く。
薬瓶と石鹸の袋を戻し、元の場所へ戻って脱力。
「姉さん、あんないかにも隠れてここに来てます、という人相手に大きな声で馴れ馴れしく接客するものではありませんよ」
「う、ごめん。何であんな格好なのかと思ってたけど、痔だったのが恥ずかしいからだったんだね」
「でしょうね。更に予想すると、相応に地位が高い若い女性、世間知らずのお忍びお嬢様か何かでしょう」
「何で?」
「金払いが良く、硬貨が綺麗だったこと。……汚れではなく、傷が無いという意味で。同じ魔力に頼るにしても、治療院や魔法使いに頼まず大金を出してまで薬を選んだこと。店内を歩く時の靴音が高く、踵の高い小洒落た靴であったこと。この辺りでしょうか」
つらつらと客の観察内容を挙げていくアーサー。
一方それを聞くピエールの表情は、感心ではなく若干引き気味だ。
「目聡いなー。靴まで見てたの。なんか外套綺麗だなーとは思ってたけど」
「普通です、というか姉さんが普段他人相手にぼんやりし過ぎなんですよ」
「だって疲れるし」
「……もう」
再びわざとらしく、今度は大きなため息をついてから。
アーサーは身体から力を抜き、椅子の背もたれに身体を預けた。
: :
その後も二人の客が店を訪れ、一人はハーブティーの為の干した薬草をいくつか購入し、もう一人は冷やかすだけで何も買わずに帰っていった。
ピエールをカウンターの向こうに留まらせ、アーサーが冷やかし客が弄っていった陳列物の位置を整えている所で、奥の部屋からアメリーがやって来た。自分の肩を叩きながら首を回している。
「ご苦労さま、こっちの作業は終わったわ。店番はもういいから、二人も準備してまどろみに行って来て」
「分かった」
することのない店番に暇そうにしていたピエール。ようやくの交代に椅子から勢いを付けて立ち上がった。
アーサーも今触っている棚だけを整理して、カウンターの奥へと戻る。
「何か売れた?」
「茶用の薬草を買いに来た女性が一人、ここに来るのは初めてだったようです。話を聞くと朝に弱く目覚ましになるようなもの、ということだったので紫月を一束。それから十分注意した上でアンティラの粉末を三包。それとお忍び客が来て奥の棚にある乙女の祝福の薬を。雰囲気からして若い女性で、痔の為の薬です」
「……痔? 痔で乙女の祝福の薬買ったの? まさか安くした?」
「まさか。それどころか六百九十五というこちらの言い値のまま買っていきました。一通り説明した上でしたが、本当に買うとは思いませんでしたよ」
言葉と共にカウンターの下へしゃがみ込んだアーサーが、美しく磨かれた百ゴールド硬貨を七枚出してカウンターの上へ並べた。
「……あれ、五百ゴールドなんだけど……」
並べられた硬貨を確認したアメリーが、言いつつも不敵な笑みを見せた。
「まあいいや、高く売れたなら何も問題ないわ。二人ともありがとね」
「私は何もしてないけどね、あはは。……じゃ、行ってくるねアメリーちゃん」
「お願いね。二人なら大丈夫だと思うけど十分気をつけて、それから机の上におやつを用意したから、持って行って途中で食べるといいわ」
「おやつ!」
その三文字の言葉が聞こえた瞬間、ピエールの瞼が跳ね上がり表情が喜びに染まった。
満面の笑顔で、妹の手を引き颯爽と店内を後にしていった。




