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姉妹冒険者物語  作者: 並野
夜鳴谷森林紀行
43/181

17

「姉さん、また考えもせずニアの首の魔封じの輪外したんですね」

「えっ、外したけど……いいじゃん、逃げたりしないって言ってたし。駄目だった?」

「いえ、特に問題はありません。本当に駄目なら外す前に制止しますし」

「……何でいつもアーサーは問題無いことをねちねち突っ突くのさ。それちょっと嫌」

「私が気にしているのは考えもせず、の点ですよ。よく考えて決断していれば何も言いません」

「むぐぐ……」


小声で小さく言い合いながら、二人は馬車の陰に降ろした樽の水で髪や服、武器を流している。

 横には既に、林から持ってきた背嚢が二つ。口が開き、中から出した替えの衣服が上に引っ掛けられている。


 一つの小鍋で交互に水を汲んで頭から被り、髪、顔、装備などの血の汚れを手で擦る。

 返り血は時間が経過したとはいえまだ乾燥し切ってはいない為、水で丹念に洗うと服の血染みもそれなりに抜け落ちていく。

 服の色が地味な濃い茶色なのも、一部のしつこい汚れが目立ちにくくなるのに一役買っていた。


「結構落ちますね。大量に浴び過ぎて逆に乾き辛かったのが原因でしょうか。捨てるのを覚悟していましたが嬉しい誤算です」


アーサーが独り言とも隣の姉への発言ともつかない呟きを漏らす中、ピエールが先ほどより更に一段階声を小さくして問いかける。


「……ねえアーサー、ハルちゃんに何言ったの? 何か話しかけ辛い雰囲気だったからそっとしておいたけど」


ピエールは本心からハルを気にかけている様子だが、そんな姉とは裏腹にアーサーは平然そのものだ。


「私は何も言ってませんよ。エリザに捕まって何をされたのかを、あの二人に説明して貰っただけです。姉さんも男の方の傷見たでしょう? あれで自分の中の印象との差異に戸惑っているのでしょうね」

「あー……」


スシールの背中の傷を思い出すピエールの表情は複雑そうだが、納得した顔だ。


「この後の死体処理と証拠隠滅の準備は私がしておくので、姉さんは上手い具合にあれを慰めるなり見守るなりしておいてください。二人の監視も」

「監視って、それはしなくても大丈夫だと思うけどなー」

「念のためですよ。言い方が気になるならただ見守る、と言い換えても構いません」

「まあ、分かったよ。……アーサーの方は任せちゃっていいの?」

「最後に森へ捨てる時は手伝って貰いますが、それまでの部分は問題ありません。ただ、万が一森から何かが来るということもありますので警戒だけはしていてくださいね」

「分かった」

「ではそういうことで。……申し訳ありませんが、洗った服の始末、お願いしますね」


一足先に身体と服を洗い終え、替えの衣類に身を包んだアーサーが若干晴れやかな表情で後始末の為に駆け出した。


   :   :


 一人、広がる惨状の証拠隠滅を計るアーサー。

 まずは死体の片付けだ。

 散らばる死体を一人ずつ引き摺って林に集め、手や足に縄を括って一つにまとめる。合間合間に、装飾品や武具などを雑に散らかしながら。


 次に馬車の内部を別に残しておいた死体の血で汚し、積んであった食料を細かく周囲に散らす。

 アーサーは、中にある宝箱には見向きもしない。金銭目的ではない腹を空かせた飢えた獣に襲われたという状況を作る為、拝借した物から疑いがかかることを避ける為、徹底して金目のものに手を触れず獣に荒らされたという状況を装うことに努めた。

 エリザから受け取った鍵は、既に地面に投げ捨てられている。


 馬車の内部を偽装した次は、姉に頼んで馬車を引く鳥の綱を腕力で引き千切って貰う。

 自由になった褐色の毛玉が全速力で彼方へ走り去っていくのを見送り、最後にまとめた死体の束を二人で引き摺って谷底へ投棄。

 ついでにピエールが抱えて手の血痕が付いた樽と、散らかし残った食料も同様に投げ捨てる。


 これで証拠隠滅は終了だ。

 一行は森から上がってきた腹を空かせた魔物の群れに襲われ全滅。運良く逃げた鳥を除いて全員綺麗に食料として消費され、馬車に積んであった食料も荒らし尽くされた。

 残っているのは、貴金属や装備など彼らにとって何の価値も無い食料にならないものだけ。

 少なくとも、ただ二人の人間による犯行だと思われないだけの状況は装えているだろう。


   :   :


 一仕事終えたピエールとアーサーが、林の中の陰になる一角へやって来た。

 そこには移動したスシールとエレネ、それに真剣な顔で座るハルの姿。


 二人は、捨てずに残しておいた食料の山を無心で貪っている。

 スシールは一口サイズのチーズと革水筒のワインをまるで吸い込むように次々と口に入れ、エレネはやはりぼんやりとした顔のまま、表情とは裏腹に勢い良く林檎を前歯で掘削している。

 スシールの真横に、ぴったりとくっついたまま。


「随分空腹だったようですね。食料はどうですか」

「ああ……まともな食事は昨日の昼以来だったからね。分けてくれたことには本当に礼を言うよ」

「いえ、そうではなく。何か体調に変化はありませんか? あいつらの馬車に積んであったものなので何かあるかもしれません」


しれっと返したその返事に、スシールの手が急停止する。

 摘んでいたチーズをぽろりと取り落とし、信じられないものを見る目でアーサーを見返した。


「何も無い。あれば分かる」


スシールが何か言うより先に、隣の少女が何一つ気にせず林檎を削りながら答えた。

 スシールがその言葉に安心しかけたのも束の間、


「では持っていっても大丈夫そうですね」


と言って食料の山から一定量を自分の袋に詰め始め、ついでに口にも入れていくアーサー。

 今度こそ、スシールは顔を歪めて不満をありありと示した。


「君、もしかして僕らを毒見役にしたのかい」

「あの女からどれが薬入りでどれが薬が入っていないかを聞いていますし、自分でも毒や細工が仕込まれていないことを可能な限り確認しました。その上で念のためです」


自身が向ける非難の視線を何一つ気にかけない相手に諦めてため息をつき、スシールは残っている食料を再び、先ほどよりいくらか遅い調子で食べ始める。


「……ハルちゃん、どう? 大丈夫?」


一方のピエールは、改めて真面目な顔でハルの横へと腰を降ろした。

 そっと手を伸ばすと、妖精は何も言わずに差し出された手に飛び乗る。そのまま手を動かし、小さな妖精を膝の上へ。

 アーサーが無言で姉の隣へ座り、スシールは興味深そうにしながらも何も言わず食事を続けている。

 エレネはいつも通りだ。


「だいじょーぶ」

「そっか」


ピエールがそっと指を絡めると、ハルが静かに彼女の人差し指を甘噛みした。

 しかし今までと違い、一噛みしただけでハルはその口を離してしまう。

 少しの間を開けて、


「やな臭いがする。血の臭い」


今度は、強い力を込めて指へと歯を立てた。

 ぎりぎりぎり、と強い力で妖精の小さな歯が少女の指の、柔い皮膚へと食い込んでいく。

 不意の痛みに、わずかに身体を震わせるピエール。

 だがアーサーが敏感に反応しかけたのを制止するのみで、抵抗せず噛むに任せる。

 人差し指の側面がわずかに噛み破られ、一滴にも満たない少量の血が滲んだ。

 それを舐め取り、ハルは噛むのを止める。


「やっぱりそーだ。血の臭い。ピーちゃんの血も、死んだニンゲンさんの血も同じ」


しなだれかかるように手に擦り付き、憂鬱な顔で俯く小さな妖精。


「あたし、やっぱり分かんない。アーサーは森でたまねぎマンと戦った時とか、アリさんと戦った時と同じってゆーけど、あたしにはそんなふーに思えない。だって、同じニンゲンさんだもん」

「……そうだね。ハルちゃんなら、そう思うよね」


優しい声音で相槌を返し、ピエールは静かに、余計なことを言わずじっと聞き入っている。


「さっき、スーちゃんとエレちゃんからもきーた。ニンゲンさんって、ニンゲンさんどーしでも争う生き物だって。……あたし、分かんない。それに、怖い」


指に絡める小さな手の力を強め、きゅっと小さな少女の手を抱き締める更に小さな妖精。

 その顔色は、俯いていて誰にも見えない。


「あたしには価値があるの? あたしが町に行ったら、またあんなふーになるの? あのニンゲンさんみたいに好きだと思った相手がほんとーは悪い人だったり、悪い人なのにあたしには優しくてどーしたらいーか気持ちが分かんなくなるの? いー人は皆にいー人じゃないの? ピーちゃんやアーサーも、あたしにはいー人だけど他の人には悪い人だったりするの?」

「……かもね。もしかしたら、誰かからは悪い人だと思われてるかもしれない」

「そんなのやだ……あたし分かんない……怖い……あんないっぱいの血はもーやだ……」


先ほどは大丈夫、と言っていたものの、やはり感情や言葉の整理が付いていない。

 震える声音で呟き、指を抱く体勢のまま身体を丸めてしまった。

 ピエールが両手を優しく添えて、ハルの身体を包み込むように抱える。

 噛み破られていない方の人差し指で、ふさふさの羽を赤子をあやすように撫でながら。

 二人の会話が途切れたところで、アーサーが口を開いた。


「……あなたたちは、これからどうするつもりですか」


ピエール同様、ハルへと慈しみの眼差しを向けていたスシール。

 それが唐突に話を振られたことで、少しだけ言葉を詰まらせた。

 落ち着いてから、改めて真っ直ぐアーサーを見返す。


「出来れば僕らをトウの町、いや南大陸まででいいから連れ戻して欲しいが……今までの君の態度からすると」

「勿論お断りです。我々は東へ抜けた後北上する予定なので。わざわざ引き返して南の港へ、しかも道連れを連れてなんて行くつもりはありません」

「だろうね……はは、どうしたものか。開き直るつもりじゃないが僕は今まで南大陸どころかトウの町からすら一度も出たことが無くてね」


彼ら二人が戻る手段も拠り所も無いことを半ば確信していたアーサーが、想像通りの返事が出てきたことに内心頷いてから満を持して提案する。


「……あなたたちが良ければ、この妖精と谷底の森で一緒に暮らしてやって貰えませんか」


その言葉に驚いたのは、ハル一人だけ。

 俯いていた顔を勢い良く上げ、驚きの目でアーサーを見つめた。

 ピエールやスシールの方は、どこか想像していたという顔だ。


「流石にあなた一人で森に放り込めば、半日と持たず餌になるでしょう。ですが、ニアエルフと妖精がいれば別です。ニアエルフがいれば森で生きる知恵には事欠きませんし、この妖精はこんななりでも谷底の森で相当強い影響力がある。少し前にも、数百年もののエンシェント玉葱マンを造作も無く追い払いました。ハルがいれば魔物の脅威にはまず怯えなくて済む」


エンシェント玉葱マンという単語にスシールはぴんと来ないようだったが、エレネの方は胡乱だった表情を珍しく、本当にわずかだが驚きに変えた。


「聞けばハルはもう数え切れないほどの年月あの森で一人だったとか。……この子の孤独を、紛らわせてやってくれませんか?」


言い終えたアーサーと、スシールの視線が真正面から交わった。

 見つめ返しながら、少年は小さく笑う。


「何となくそう言うんじゃないかと思ったよ。それなら君たちはどうなんだい?」

「我々は旅人です。戻る場所もありますし、旅を止める訳にはいかない。かといって連れて行けば必然的にまた血生臭い事態に巻き込むことになる」

「ま、そりゃそうか……」

「それに、ずっと森にいろと言うつもりはありません。もし是が非でもトウの町に帰りたいと言うのなら、よく相談し計画を練ってからハルを連れ三人で森を出て旅をしてもいいでしょう。その時はあなたの機転次第です」


駄目押しとばかりに説得を行うアーサーから、半ば諦めた調子で視線を外しスシールは隣に座る白髪の少女に目をやった。

 視線に気づいたエレネが虚ろだった表情を一瞬で切り替え、ぽ、と頬を染めて微笑む。


「私は、すっしーがいればどこでもいい。すっしー以外の人間はいらない。町に戻らずに、森ですっしーと、人間じゃないこの小さい妖精と一緒に末永く暮らしてもいい。新、婚、生、活」


顔を赤らめ恋する少女の顔で笑うエレネへと笑い返し、再びアーサーへ向き直るスシール。

 エレネは暫くスシールの顔を見つめていたが、やがて今までと同じ虚ろな顔に戻って林檎を咀嚼し始めた。

 ただし先ほどとは違い、しなだれかかった上に片方の手がスシールの腰に回っている。


「そういうことなら、暫くは森にいてもいいか……。どの道今すぐ近くの町に行ってもろくなことにならないだろうしね。……妖精さん本人はどうなのかな? 僕らのこと嫌じゃない?」


ハルが、ピエールの両手の中から驚きと照れが混じった顔でもじもじと身体を揺する。


「……おーぜーのニンゲンさんのとこに行くのはこわいし、でも一人はやだ。だから、あたしは、森で、スーちゃんとエレちゃんが一緒にいてくれるってゆーなら、すごくうれしー……」

「決まりですね」


承諾の言葉を聞き、即座に立ち上がるアーサー。

 既に食料を詰めた袋は背嚢に納められている。その背嚢は、エンシェント玉葱マンに蹴られた痕をやはり急場凌ぎで塞いでいる為最早限界ぎりぎりだ。

 改めて見た本人の格好も、着替えた内側はともかく殆ど乾いていない湿った上着とスカートが中々に格好が悪い。


「我々はもう行きます。偽装工作をしたとはいえ、こんな所に平然と座っているのを見られれば全くの無意味、あくまで無関係を装わなければいけません。あなたがたもなるべく早く森に戻ってください」


立ち上がったアーサーが態度でピエールを急かすが、妹の催促を姉はまるで気にしていない。

 惜しむように時間をかけて、ハルの羽を撫でる。


「ハルちゃん、ここでお別れだね」


顔を伏せたままのハルが、間を開けてから小さな声で言い始める。

 どこか拗ねたような口調だ。


「……ほんとーは、一緒にニンゲンさんの町に行ってみたかった。たまねぎマンのパンってゆーのも食べてみたかった。でも、あたしがいると、そーどーになる、ってゆーのが、何となくだけど、分かった。ピーちゃんとアーサーが、なんてゆーか、ぶっそーな人、ってゆーのも分かった。だからあたし止めとく」

「うん。嫌なもの見せちゃって、ごめんね」」

「いーよ。みんな殺したのは今もひどいと思ってるけど、森で一緒にいた時は楽しかった。ありがと、ピーちゃん」

「こっちこそ、色々ありがとね。ハルちゃん」


手の中から飛び立ったハルが、ふよふよと優しく滞空しながらピエールの顔へと近づく。

 彼女のすべすべの頬に、小さな妖精の、小さな口で、ほんの小さな口づけが行われた。

 数秒の間口を付け、ハルは滑るように飛んで離れる。

 頬からハルが離れ、ピエールが立ち上がった。

 妹と二人、荷物を背負う。


「では、頑張って生きてください。森の生物は手強いので、可能な限りハルとニアを頼って回避することを薦めます。そもそも、完全にそこの二人に頼り切りになって生活することになるでしょうが」

「……だろうね」


最後の一言が若干プライドに障ったのか、スシールの顔が少しだけ歪む。だが、すぐに笑顔に戻った。


「ともかく、君たちには感謝してるよ。僕たち、特にエレネに何もせず解放してくれてありがとう。あのままだときっと最後には離れ離れにされて、どうなっていたか分からなかった。……気をつけて」


スシールの言葉の後。エレネが最後まで虚ろでぼんやりとした顔で、立ち上がる二人へ向けて手を振った。

 ピエールが笑顔で手を振り返し、アーサーは会釈もせず一瞥くれただけ。

 姉妹が挨拶を終え、三人に背を向けかけた瞬間。


 前触れも無く風を切ったハルがアーサーの目の前に素早く飛び出した。

 突然視界を覆う妖精の全身と遅れてやってきた風圧に、アーサーの身体が硬直する。

 ハルの顔は彼女が今まで見たことのない、感情を伴わぬ無表情だ。


「ねーアーサー。最後におしえて」


目を見開き、冷たさこそ感じるその表情。

 アーサーの背中に、冷や汗が滲み始めた。

 エレネは平常運転だが、スシールとピエールも空気の変化を感じ取り表情に戸惑いを浮かべ始める。


「……何をですか」

「アーサー、あたしがこんなふーになって喜んでる? ニンゲンさんいっぱい殺して、喜んでる?」

「……」


彼女の口からは、すぐに答えが出てこない。

 無意識に息が詰まり、全身に力が籠もる。


「あたしが町に行きたいって言った時、アーサー反対したもんね? それで、ニンゲンさんが来て、あたしがやな思いして、すーちゃんとエレちゃんが来て。こーゆーの、えーと。……てーよく、厄介払いが出来た。って、そー思ってない?」

「……」

「どー?」


ついさっきわずかに滲み始めた冷や汗が、今はもう全身から吹き出しアーサーの頬を伝っていた。

 突然の不穏な雰囲気に慌ててフォローに入ろうとしたピエールは、ハルが目も向けずかざした手から発された魔力の光で阻止された。


 全身に力の籠もったアーサーが、目を閉じて深呼吸を行う。

 脳裏を過ぎる、いくつもの選択肢。

 そして、覚悟を決めて真正面からハルを見返した。


「……ええ、その通りです。近づいて来たのが柄の悪い、それでいて弱い連中だと知った時。これを利用してあなたにショックを与えて諦めさせるという手段が浮かびました。結果、あなたは我々に同行するのを諦め、おまけに孤独を紛らわせる相手も出来た。事がすっきり片付いた今の状況に、満足していないと言えば嘘になります」


はっきり伝えられたその言葉。

 無表情だったハルの顔に、感情が浮かびかける。


「ですが、最初からこんな乱暴な手段を狙っていた訳ではありません。連中が何もせず去るならそれに越したことはないと思っていましたし、その為の説得も行いました。あくまで、やむをえず殺すことになってもそれはそれで効果がある、という程度。人を殺すことそのものに喜びを覚えるほど歪んではいないつもりです」


一度覚悟を決めてしまえば彼女は実にあっさり、すらすらと本心を語った。

 話し終えたアーサーとハルが、互いに何か堪えるような表情で視線を交える。


「……そー。ねーアーサー」

「何ですか」

「あたしのこと、どー思ってる?」

「……先日、話した通りですが」

「んーん。ほんとーのこと、聞きたい」


改めて投げかけられた質問に、アーサーはやはり観念して大きく息を吐く。


「……あなたは、私の想像とは違い残酷ではなかった。無邪気で純粋で、心優しい。道中助けて貰いましたし、嫌いではない。……しかし、その幼い精神性に見合わぬ強い力があり、感情を高ぶらせると力を制御出来ない。あなた先ほど叫んだ時と、今姉さんへ行ったことを分かっていますか? ただの魔力の塊を飛ばして我々の肌を軽く焼き、姉さんを押しのけたんですよ。炎にも音波にもなっていない、そのままの魔力で。もしあれが本当に炎や衝撃波として飛ばされていたら一体どうなっていたことか。そのことを、やはり自分で認識出来ていない。……はっきり言います。私はあなたに恐怖を感じている。必要が無ければ、一緒にいたくない」

「そー」


小さな妖精が、呟きと共に顔を俯ける。

 目の前のアーサーにも顔色が伺えぬ中、少し時間を開けてから突然眼前から離れ力強く飛び上がった。


「……いーっ、だ! あたしだってアーサーなんか嫌いだもん、やなやつ、ひとごろし」


風を巻き起こしてアーサーの目の前から飛びすさり、スシールとエレネの背の後ろに飛び込むハル。

 スシールが未だ戸惑いを浮かべたまま振り向いて背中のハルをのぞき込むが、すぐに止めて正面へ向き直る。


「ふんだ、嫌いだもん。ばかばか、早く行っちゃえ」


二人から隠れ多少わざとらしく怒りを露わにするハルへと、目を細めてどう反応するか思案するアーサー。

 それをつま先で小突き、ピエールが諫めた。


「……ごめんね。じゃ、行くよ」

「ああ」


答えたのは、スシール一人だけ。

 最後にしては何とも寂しいやり取りを経て、二人は今度こそ林を後にする。

 姉妹と妖精の、数日に渡る森林行は終わりを迎えた。


   :   :


「はあ」


林を抜け、開けた道へと出たところで脱力しため息をつくアーサー。

 続けて何かしらの不満を漏らそうと、口を半開きにした瞬間。

 ピエールが、真横を歩くアーサーに無言で肩からタックルした。


「ぐえっ」


不意に脇腹に衝撃を受けたアーサーがよろめき、若干みっともなく呻いた。

 体当たりした本人はまるで何もしていなかったかのようにすぐ体勢を戻し、歩みを再開している。

 だが、その表情は優れない。口をへの字に曲げ、目つきも険しい。


「何ですか、いきなり」

「あんなこと考えてたんだ」

「……」


ピエールの口調は普段とはまるで異なる、滅多に使わない「妹を責める姉」の雰囲気だ。

 言葉を聞いてすぐ気づいたアーサーの表情が、気まずげなものに変わった。


「私は、アーサーはもう少しハルちゃんとも打ち解けてると思ってた。結構気を遣ってたし、怖がってたのも最初のうちだけでそこまで本気じゃないって。……ハルちゃんに色々してあげてたこと。あれ全部、ただのご機嫌取りのつもりだった?」


横を歩くアーサーは何も答えない。

 ただ口を結び、視線を姉の反対側へと逸らすばかり。


「アーサー」

「……概ね、その通りです。本気であれを不気味だと思ったのは、エンシェントを追い払ったあの時からでしたが」


一度急かされてから、ようやく一言絞り出すアーサー。

 ピエールが顔を真上に上げ、力強く息を吐いた。


「……あー、あーもう! いい子だったじゃんハルちゃん! 何でアーサーはこう、他人相手だといつも心の中にとげとげしたものとか、最後の一線みたいなものを引いちゃうのかなー!」


妹を責める姉の気配が消え、軽い調子の、だが本心からうんざりした顔でピエールは叫んだ。

 雰囲気の変化にアーサーの緊張も緩むが、表情は変わらない。


「……だって、怖いじゃないですか。最後にハルが怒り始めた時、はっきり言っていつ襲いかかってくるのか、いつ魔力の塊を飛ばしてくるのか、心配で仕方がありませんでした。幸い拗ねるだけで済みましたが。あんな子供みたいな性格で、しかも大量の魔力を抱え込んでいる魔法生物にいい印象は持てません」


苦し紛れに言い返したアーサーを、ピエールは心底馬鹿にするような目で見返す。


「襲いかかるー? そんなことする訳ないじゃん! というか気づいてないの?」

「……何がですか」

「アーサーにしては鈍いなあ……。ハルちゃんのあれ、拗ねてるんでも怒ってるんでもないよ。強がってるんだよ。めそめそした別れにしたくないから、それをごまかす為にああいう態度を取っただけ。そもそもさー、人質に取られた時の私たちのあの対応に何も言わない時点で分かってたことじゃん。怒るならまずあれを怒るよ普通」


本気で思いもよらなかった解釈にアーサーが訝しんだところで、それを証明する事態が発生した。


 んあああー……ああああー……。


 彼女たちの後方から突如響いたのは、幼い少女の泣き叫ぶ声。

 数日とはいえ聞き慣れた、ハルの声だ。

 小さな妖精の大きな大きな泣き声が、辺り一帯を駆け抜けていく。

 その声音はまるで赤子のような、分別無く大声だけを張り上げるもの。


「ほら」

「……」

「まあやっぱ泣くよねー。何だかんだ言っても、私たちが初めての友達だったみたいだし。……色々汚いもの見せちゃって、嫌な思いさせちゃって、それでも泣いてくれるんだよ? 危害なんか加える訳ないじゃんか、もー」


呆れながらも諭すピエールと、若干の拗ね顔で顔を背けるアーサー。

 東から風が吹き、西の谷へと空気を運んでいく。


 その時。

 二人の背に被さる泣き声が、変化を始めた。


 んあああお……んおおあああ……。あああ……あああお……。


 ピエールが、ぴんと瞼と顔を跳ね上げた。

 アーサーと共に立ち止まり、振り向いて林と、連なる山脈へ目を向ける。


 ああおおお……ああお……あおおお……。


 その音は、二人にも多少ながら聞き覚えのある音。

 会わなかった初日の夜に聞き、出会った二日目以降ぱったり聞こえなくなった音。

 風が止むと泣き声に戻り、風が吹くと音量を増して変わる。


「夜鳴谷……」


ピエールが呟いた言葉を風が覆い、谷へ抜けた風がハルの泣き声と混ざり合い響き合う。


 妖精の泣き声だけではなく、風の音だけでもない。

 この二つ。

 二つが同時に満ちた時に、谷の形と風の形によって二つの音が不思議な反響具合を見せ、生物の鳴き声にも、ただの風の音にも聞こえない奇妙な音となって周囲に木霊し一帯を満たすのだ。


「谷で泣き声と風が混ざると、こういう独特な反響音になるんですね。単一の音源ではなかった」


自然が作った不思議な出来事に感心する素振りのアーサー。

 だが妹とは対照的に、ピエールの表情は暗い。


「……つまり、ハルちゃんは夜になる度、何度もこうやって大声で泣いてたんだ。ずっと一人で、眠ることも出来ないから。夜が来ると、寂しくて我慢出来なかった」

「それも今日で終わりでしょう。これからはあの二人がいるから問題ありません」

「……夜鳴谷って名前も、これで無くなったらいいね」

「きっとその内忘れられますよ。これで万事すっきり解決しましたね。よかったじゃないですか」

「……」


ごすっ。

 再び打ち込まれたピエールの体当たりが、アーサーの腰にぶつかる。


「痛っ、なんで体当たりするんですか」

「今の発言には何か嫌味っぽいものを感じた。ぎるてぃー」

「嫌味なんて何も込めてませんよ、ただ面倒なことにならなくてよかったと、あ、痛っ、痛いですって姉さん、腰はやめてっ」


ふくれっ面でごん、ごんと体当たりを繰り返すピエールと、体当たりから逃げるように反転して道を早足で進み始めるアーサー。

 二人の背中を、門出を見送るように。風と共鳴音が駆け抜けていく。

 この日が、谷に不思議な反響音が木霊した最後の日になったという。

http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/419438/blogkey/1099109/

活動報告にて夜鳴谷森林紀行編のあとがきを投稿しています。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 楽しかったというとあれかもしれないんですが、すごく面白かったです。 ピエールとアーサーは同じ出来事を見ているはずなのに、感じ方がこんなに違うのも面白いです。 ハルへの考えを最後に喋っていた…
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