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姉妹冒険者物語  作者: 並野
夜鳴谷森林紀行
41/181

15

「ふぐぅぅぅ、ピーちゃぁん、アーサーぁ、どこ行ったのぉ……?」


目尻に涙の宝石を浮かべ、弱々しい羽ばたきで血の林を抜けて表へと出てきた小さな妖精。

 彼女が目にしたのは一人の怪我人、二人の人間、そして二つの血達磨。


「よ、妖精……!」


小さな光を放つ妖精の姿を目にした瞬間、エリザの細まった目が極限まで見開かれた。

 同時に赤毛の女とオルランド、それにピエールも戦う手を止め、妖精へと目が釘付けだ。


「あっ、ニンゲンさん! ねーニンゲンさん、ピーちゃんとアーサー知らない? あたしが隠れてる間に、二人ともどっか行っちゃって、そーしたら林が怖いことになってて、それでね」

「待ちなさいハル! そっちじゃない!」


全身血で汚れている二人を姉妹だと気付いていないのか、ハルは最初に目に付いた相手の元へとふよふよと飛んでいく。

 自身の元へ飛んでくる妖精を前に、エリザは即座に短鞭を持つ右手を後ろに隠した。

 壊れ物を触るかのように、小刻みに震える左手を差し伸べる。


「ええ、知ってるわよハルちゃん? 二人の所へ案内してあげるわ、さ、この腕に掴まって」


咄嗟の機転で名前を呼んだエリザにすっかり安心してしまったハルが、差し出された左腕へ疑い一つ持たずに腰を降ろした。

 腕の上で羽を休め、エリザに微笑みかけて大きく一息。

 それからようやく、血にまみれた人影が姉妹であることに気付く。


「あっ、ピ、ピーちゃん! アーサー! 血、血が、血がいっぱい!」


血相を変えて羽を大きく広げ、再び飛び立とうとするハル。

 しかしその身体は、既にエリザの手によって鎖で繋がれていた。


「……え?」


自身の足に繋がれた鎖に気付いた妖精が、理解の及ばない、目を丸くした表情でエリザを見返した。


「あれ? ニンゲンさん、これなーに? あたしこれじゃ飛べないよ?」

「大丈夫、心配しなくていいのよ」


満面の笑顔のエリザが、更に首輪に似た帯をハルの胴体へと優しく、贈り物の装飾品を扱うかのように巻き付けた。

 それは表面にびっしりと金属糸による紋様が施された、革ではない何かの皮膜のような素材の帯。


 魔封じの輪。

 あらゆる魔力的干渉を弾く性質を持つナメクジに似た稀少生物の表皮を乾燥、加工したものに、同じく魔力を弾く金属を使って作り上げた数千ゴールドはするであろう高価な一品。

 人型生物なら首や胴に巻くだけで、あらゆる呪文の行使を封印することが出来る。


 魔封じの輪を胴体に巻かれたハルの身体から、光が消失した。

 バランスを崩し腕から落ちそうになるのを、エリザによって胸元へ抱き抱えられる。


「あ、あれ、なんか身体が、とゆーか、羽が重い。ニンゲンさん、支えてくれてありがとー、ごめんね」

「うふふ、どういたしまして。それにしても可愛いわあなた。それに、綺麗……」


どこか純粋さのある満面の笑みを湛えながら、ハルの羽を撫でるエリザ。

 撫でながら、微笑みを対面の相手と向けた。

 向けられたアーサーは、額を押さえてため息一つ。


「……ハル」


アーサーが小さな声で呼びかけると、気付いたハルがエリザの腕の中から手を振った。


「アーサー! ねーアーサー! だいじょーぶ?」

「姉さんと私は大丈夫です。この血は全て他人のもので自分の血ではありません」

「そ、そーなの? でも、で、でもそしたらあのニンゲンさんたちは」

「ハル」


勢いよくまくし立てようとするハルを語気を強めて遮り、アーサーは再びため息をついた。


「あなた、今の状況分かっていますか?」

「じょーきょー? 分かってるよ! ピーちゃんとアーサーと他のニンゲンさんがまた危ない生き物に襲われたんでしょ? だからまたあたしが守りに来た!」


自信満々の笑顔でとん、と自身の胸を叩く妖精。

 その可愛らしい仕草と台詞にエリザが更に顔を綻ばせ、アーサーは手で顔を覆いため息混じりの空笑いを漏らした。

 一頻り笑い終えたアーサーが、ハルを真剣な目で見つめる。


「ハル、あなた今悪い人に捕まっているんですよ。私たちを捕まえて悪いことしようとした人に」

「まっさかー、あたしが捕まったりなんてする訳ないし。じょーだんきついよー」


ハルが底抜けの笑みでけらけら笑い飛ばし、笑い始めて暫く経ってから時間差でようやく鎖と魔封じの輪のことを思い出した。

 一転して笑みが抜け落ち、鎖と魔封じの輪を見つめる。

 鎖は依然として確かな重みをハルの足に掛け、魔封じの輪は魔力を使った飛行能力と発光を阻害している。

 信じられないものを見る顔で、ハルは小さな頭を上げてエリザを見返した。


「……ニンゲンさん、もしかして悪いニンゲンさん? あたしのこと捕まえよーとしてるの?」

「そんなことないわ。私はいい人間さんよ」

「じゃ、じゃーこれ外して? そーじゃないとあたし飛べないの」

「それは駄目よ。だって外したらあなた飛んで逃げちゃうでしょう?」

「……」


信じられないという顔のまま、アーサーを見返すハル。

 次に再びエリザを見て、最後に半泣き顔でアーサーとピエールへ交互に顔を向けた。


「ど、どーしよーピーちゃん、アーサー! あたし捕まっちゃった!」

「……はあ」


   :   :


「は、はは、形勢逆転だこの化け物女……」


後ろで呟いた赤毛の女に即座に石を投げようとしたアーサーが、エリザに鋭く呼び止められ振り上げた手を半ばで止めた。

 うんざり顔でエリザを見返すアーサー。


「あなた、その妖精を人質にでもするつもりですか?」

「場合によってはそうなるわね」

「出来ると思っているんですか?」

「あなたたちにとっても大切な子なんでしょう? この子」

「……」

「装備を全て捨てて貰おうかしら。盾、ポーチ、お姉さんの剣。それに上着もよ」


エリザの言葉を聞いているのかいないのか、彼女の胸元でえぐえぐ涙を拭うハルを冷たく見下ろしたままのアーサー。

 諦めた顔で、戦う手を止めていた姉へと視線を向ける。


「姉さん、そいつ殺してください」

「……は? 何を」


頷いたピエールが再びオルランドに向かっていったのを確認してから、アーサーはエリザを正面から見返す。


「ちょっと、止めさせなさいよ! この子がどうなってもいいのっ!」

「出来るものならご自由に」


発されたのは、予想外の一言。

 あっさり言い放たれた返事に驚いたのは、エリザだけではない。

 胸元のハルも、泣くのをぴたりと止めて発言の主を見つめた。

 当のアーサーは、二人の表情などまるで気にかけずよく通る無感情な声で通告を開始する。


「あなたに与えられた選択肢は二つ。一つはその妖精の鎖を外して投降する。そうすればあなたと後ろの赤毛、それと生きていたら槍持ちも許します。金品や多少の食料は頂きますが、持ち切れない分やあなたたちの言う配達中の商品、には手を出しません。そもそも要りませんし」


言いながら半歩横へ移動し、アーサーは余裕たっぷりに屈んで地面の石を二つ拾った。


「もう一つはその妖精に危害を加えて、皆殺しにされる。先ほどはああ言いましたが、それでもその妖精が我々にとって大事な存在であることは確かです。もし危害を加えられれば当然怒りますよ。ただでは殺しません。時間をかけてゆっくり全身を削いで殺します。勿論、治癒の呪文ですぐには死なないように」


アーサーが拭った額の上を、すぐに再び血が垂れた。

 削いで殺す。林に散らばる死体と返り血が、言葉に否応無い真実味を与えていた。


「……この子を押さえているのは私なのよ。本当に何もしないとでも思っているの」

「命を握っているのは我々です。主導権など与えるつもりはありません」


アーサーが、ゆっくりと前へ向かって歩き始めた。

 エリザが左腕の力を強め、右手で小さなナイフを取り出してハルの小さな白く可愛らしい喉へぴたりと、しかし肌には決して当たらないようあてがった。

 ハルの視線がアーサーから、喉元にある刃物の輝きへとずれる。


「来ないで! 私は本気よ!」

「わずかでもハルに傷を付ければ自殺志願と取ります。……人体には程々に詳しいつもりなので、どこの管を避ければ大きな出血を押さえられるか、どの部分がより強く痛みを感じるか、など多少心得があるつもりです。笹掻きにはしませんよ。食べ残した林檎の芯のように、最後まで末端を残して一削ぎ一削ぎじっくり痛めつけてあげましょう」


ナイフを出そうが何を言おうが、アーサーのゆっくりとした歩みは止まらない。一歩一歩、着実に距離を詰めていく。

 例え話から実際どうなるのかを想像したエリザの背中に、じっとり冷や汗が溢れた。赤毛の女は顔面蒼白のまま、最早身じろぎ一つ叶わない。


 この女は、本気だ。

 本気で人質など気にもかけず、自分たちを殺しに来る。

 握りしめたナイフに力が籠もりすぎて、ぷるぷると震え始めた頃。

 エリザの耳に、ぼんくら男の金切り声が響いた。


「エリザぁ、何やってる早く諦めろ! もう持たねえ!」


普段殆ど喋らない口の重い男が初めて淀みなく喋った言葉は、絞り出すような悲痛な嘆願。

 ナイフをあてがったまま振り向いたエリザの頬を、叩き砕かれた槍の穂先が掠めた。


 視界の先にあったのは、先ほどから一転して防戦一方のオルランドと、血にまみれた金属塊を驚異的な速度で振り回すピエールの姿。

 折れた剣を振り回すピエールの動きは先ほどとは雲泥の差だ。

 まるで、さっきまでは本気でもなんでもないただの様子見と言わんばかり。


 エリザの目には、ピエールの化け物じみた動きは一切目に留まらない。

 大きく横に振りかぶったと思えば、次の瞬間には振り抜かれ更に返す刃を打ち降ろされた後の、二動作後の軌跡だけが視界に残る。

 オルランドは必死になって槍の柄で攻撃を受け流しているが、流し方が甘く既に石突きから一割ほど削り落とされていた。穂先も既に壊されており、新品だった筈の槍が今ではただの汚れた棒きれだ。


「きえあああああっ!」


エリザが口を開きかけたところで、空気を引き裂くピエールの咆哮が轟いた。

 絶叫と共に振り上げられた刃が、雄叫びで怯んだオルランドの脳天を捉える。

 流しの姿勢が間に合わず、咄嗟に持ち上げられる槍。


 受けてしまった。

 それを認識したオルランドの中で時間の流れが遅く感じられ、目の前でゆっくりと、破片一つの動きすら追えるほどの速度で、正面から一撃を受けた槍が真っ二つに叩き折られる。

 折られた槍は最後の抵抗とばかりに刃を押し返し、頭を打ち砕く筈の汚れた刃の先端がオルランドの鼻頭だけを通過していく。鼻を裂く痛みすら、今の彼には遅く感じられた。


 真正面からの振り下ろしを回避されたピエールが、即座に自身の膂力で体勢と剣を翻し、真横からの横薙ぎに移行した。

 やはり遅々とした動きで、右側から襲い来る血の刃。

 男の両手にあるのは、折れて二本になった槍。右手側で攻撃をいなし、左手側で決死の反撃を試みる。


 ……が、試みた所でオルランドの中の時間感覚が正常に戻り、上段の横薙ぎはいなせたものの直後に打ち込まれた死角からの回し蹴りで肋骨を数本まとめて叩き砕かれた。

 その一連の攻撃は、昨日ピエールが大蟻に放ったのと殆ど同じものだ。

 大蟻相手では目を窪ませる程度の効果しか無かったものが、男にとっては骨砕き肺抉る致命の一撃となった。

 少女の靴が踵から土踏まずまで胴体の中に埋まり、肋骨の折れる鈍い音が遠くにいる赤毛にも聞き取れるほどの大きさで鳴った。


「ごああああああっ!」


くの字に折れ曲がって倒れたオルランドが、白目を剥いて大音量で苦悶の断末魔を上げた。

 そこへ間髪入れず振られる靴のつま先。

 肉の奥で骨が砕ける嫌な音が再び風の中で響き、ひょろ長い男の身体が宙を舞った。


「……」


尋常ではない筋力で喉を蹴り上げられたオルランドが、音を立てて地面へ落ちた。

 喉仏が蹴り潰され、あらぬ方向へ折れ曲がった上につま先の分ぽっかりへこんでいる。

 最早指先一つ動かない。

 感情を殺した表情で最後に一度男を見下ろし、ピエールはエリザとハルへ視線を向ける。


「迷ってる間に死んでしまいましたね。とはいえ、あなたはあの男には大した思い入れは無さそうですが」


さて、どうしますか?

 そう言いたげな顔で、視線を戻したエリザの元へと再び歩き始めるアーサー。

 女のハルを抱える手が強ばり、ナイフを握る手に汗が滲む。


「……」


エリザが、身体に籠もる張りつめた緊張感ごと大きく息を吐いた。

 彼女の手から、ナイフが滑り落ちる。


「分かったわ、降参よ。お金と食料は自由にしていいから、私とルチアは見逃して」

「賢明な判断です。ではその妖精の鎖を外して、拘束するので手を出しておいてください」


歩くのを中断して立ち止まったアーサーが見ている中で、エリザがハルの鎖と魔封じの輪を解く。

 支えを失った鎖の先端がエリザの服の袖から地面に垂れ、魔封じが解かれたことで妖精の身体が再び輝きと活力を取り戻した。


「……ニンゲンさん」


宙に飛び上がったハルが、戸惑いの表情で自身を捕らえていた女を見た。

 申し訳なさそうな微笑みで、彼女も妖精を見返す。


「ごめんなさい、私は本当は悪い人間さんなの。……さ、これ。あの二人に渡して。この魔封じの輪、価値のある物なのよ」

「うん……ねーニンゲンさん、ニンゲンさんはほんとーにあたしを捕まえて、酷いことしよーとしてたの?」

「……いいえ、あなたは別。妖精は子供の頃からの憧れだもの。だから欲しかった。捕まえてでも、手元に置いておきたかった。もし強いられたとしても、本当に傷を付けたりなんて出来たかどうか分からないわ」

「……そっか」


会話を終えて、ハルがピエールの元へ飛び上がった後。

 近づいてきたアーサーに、エリザは胸元を探って一つの鍵を差し出した。


「馬車の中にある宝箱の鍵よ。金目の物は大体あの中。それから食料だけど、箱や樽の縁に掘ってある番号が奇数のものは全て獲物用の眠り薬入り。偶数が無害な方だから、そっちを持って行ったらいいわ。……といっても、あなたが信じるかどうかは知らないけれど」

「そうですか。……もう少し下がって」


興味の無さそうな顔で鍵を受け取ったアーサーが、平坦な口調で呟く。

 意図を理解出来ず両手を揃えたまま、数歩下がるエリザ。


 アーサーはエリザが離れたのを確認してから、彼女の足元に転がる短鞭、そしてナイフへと目を向けた。

 ナイフを屈んで拾い上げ、刃の形や質を適当に品定めする。

 それから不意にエリザの元へ歩み寄り、すぐに離れた。


 違和感に、彼女が眉を寄せたのも束の間。

 気付いた時にはその場に崩れ落ちていた。


「あ……え……」


小さく呻きながら頭を上げ、見えたのは背中を向けたアーサーの右手にある赤く濡れたナイフ、そして脇腹に感じるのは異様なまでの熱。


「な……して……」


思うように動かぬ舌で呟くも、赤毛の女へ向かって歩くアーサーの背に呼びかけは届かない。

 エリザの意識と命は、流れる血と共にあっけなく身体から消失した。

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