観光者-04
武具屋を後にした三人は、次の目的地である雑貨屋へと向かっている。
ついさっきまで雲の隙間から見えていた青空と太陽の存在は今はどこにも無く、空は一面曇り空になっている。
街中を吹き抜ける風も冷え、強まったようだ。
「あのう」
「んー?」
先頭を歩くニナが、遠慮がちに口を開いた。ピエールはそれに間延びした声で返事をする。
「どうして、道具屋じゃなくて、雑貨屋、なんですか? 雑貨屋、には、冒険者の、人に、必要な、物は、あんまり売ってないと、おも、思いますけど」
道具屋と雑貨屋の区別は基本的に大雑把だ。
しかし、基本的に道具屋は衣類や皮袋、鍋など冒険者と住民問わず様々な人に需要のあるもの、雑貨屋は家具を始めとした住民向けの物や、嗜好品や装飾品など生活必需品以外の雑多な道具という分け方がされていることが多い。
「そりゃ、面白いからだよ」
ニナの問いかけに、今回はピエールがそのまま答えた。
「確かに雑貨屋で何か買うことってあんまり無いね。でもああいうお店って何というか、町の魅力が詰まってるって感じしない? 見るだけでわくわくするから私は好きだよ。それに道具屋は道具屋で後で行くしね。……おっ、何か見えてきた。あれかな?」
ニナが返事をするよりも早く、ピエールは店の前へと駆け出していく。
恐らく二階建てであろう、背の高い建物。
何よりも目を引くのは建物前面、中央にある扉を覆うように点在している沢山の硝子だ。
煉瓦の壁の合間に埋め込まれているそれは色も形も大きさも様々で、そのカラフルな色合いは町の中で一際異彩を放っていた。
どうやら窓として採光の役目も果たしているようで、半透明の色つき硝子の向こうには、店内の様子がわずかに透けて見えている。
壁の硝子の内の一つ、半透明で白く濁っているそれにべったりと顔を密着させて、中を覗き込んでいるピエール。追いついたアーサーが、いつものように少しだけ眉を寄せた。
「わー、中が見える」
「姉さん、恥ずかしいから止めてください」
ピエールを嗜めつつも、アーサーも硝子に興味を持ったようだった。壁に埋め込まれた硝子を興味深そうに見回している。
「この町では硝子の製造もしているんですか?」
「……が、硝子を、作っていたのは、レールエンズです。ここでも、す、少しは作ってます、けど、ほん、本当に、少しです」
「そうですか」
名前を呼ばれて一瞬身構えつつも、落ち着いて言葉を紡ぐニナ。
しかしアーサーの返事は、素っ気なく一言呟くに留まった。
「ほらほら、入ろうよ」
硝子に囲まれた木製の扉を開け、中へと入る三人。
店の中は中央に大きなテーブルが一つ置いてあり、その周囲、壁の周りに隙間無く設置された棚。どの場所にも隙間無く物が並んでいる。例によってカウンターは入って正面だ。
木製の食器に編み籠、椅子、実用性を度外視した洒落た服や帽子、小さな布のぬいぐるみ。殆どの物が安価な日用品の類で、高価な物はあまり置いていない。
美しい細工の施された金属製の装飾品が、店の一角に飾られているのみだ。
様々な装飾に彩られた可愛らしい物たちに出迎えられ、ピエールの瞳はきらきらと輝いている。アーサーも、無表情ながらどことなく期待に満ちた顔だ。
七人いる店内の客は殆どが女性で、男は幼い少年が一人、同年代らしき少女に連れられているだけだ。皆町の住民らしいシンプルなながら華やかな服装をしている。
武具屋の時とは真逆で、ピエールとアーサーの年齢や性別には問題が無いものの、その端の擦り切れ薄汚れた服装が完全に客の中で浮いてしまっていた。
正面カウンターの前にいるのは、年老いた老婆だ。鷲のように曲がった長い鼻が特徴的で、顔に刻まれた深い皺と八割ほど白く色褪せた頭髪が、長い年月の経過を雄弁に語っている。
店主らしき鷲鼻の老婆の前へと、小走りで駆けて行くニナ。
「こんにちは、エルナお婆ちゃん」
「やあニナ、よく来たね。今日もあれを見に来たのかい?」
鳩麦堂の時と同様、明るい笑顔と饒舌な言葉で挨拶をしたニナ。
エルナと呼ばれた老婆も、穏やかな笑みを浮かべてそれに応対した。皺だらけの顔が笑顔になったことで、更に皺が深くなる。
「それもあるけど、今日はね、宿のお客さんに町の案内をしてるの!」
「へえ、そうかい! ニナも宿屋の娘らしいことをするようになったじゃないか」
ニナが誇らしげに答えると、エルナの視線が姉妹へと向かった。ピエールは店の隅にあるぬいぐるみと木彫りの人形が並んだ棚を楽しそうに眺め、アーサーは棚の端に飾られている金属細工のネックレスを熱心に見定めている。
視線に気付いた二人の内、ピエールだけがニナの横へとやって来た。アーサーは一瞥しただけで、すぐに装飾品へと視線を戻している。
「や」
ピエールがにっこり笑い手を上げて挨拶すると、エルナも小さく微笑んだ。
「エルナお婆ちゃん、紹介するね。この人はピエールさん。今日からうちの宿に泊まることになったお客さんなの。あそこのテーブルの前にいるアーサーさんは妹で、姉妹で一緒に旅をしてるんだって。……あの、ピエールさん、この人は、エルナお婆ちゃんです。このお店の主人で、私に、とてもよく、してくれます」
ニナの説明に、ピエールは苦笑いをしながら頬を掻いた。
「ご飯食べに行った時も思ったけど、本当にニナって知り合いとそうじゃない人とで喋り方違うよね」
「あっ、ご、ごめん、なさい……」
「いや、怒った訳じゃないよ。まあ私たちが泊まってる間にもう少し打ち解けてくれると嬉しいかな」
ピエールに指摘され、顔を赤くして俯いてしまうニナ。その隣では、エルナが声を上げず小さく笑っている。
「全くその通りだよ、ニナはまだまだだね。……よろしく、可愛らしいお嬢さん」
「よろしくね、エルナお婆ちゃん」
二人が挨拶を交わすと、ニナも俯いた顔を少しだけ上げてはにかみがちに笑った。
「ま、自由に見てっておくれよ。旅人さんの御眼鏡にかなうものがあるかは分からないけどね」
笑顔で軽く頷いてから、ピエールは再び棚の人形たちの元へと歩いていった。その途中横目でアーサーを見たが、彼女は未だ真剣な目つきで装飾品を眺めている。
今のところエルナや他の人と会話する気は全く無いらしい。
ピエールが見ている棚の左側には、木製の人形たちが置いてある。台座と一体化している物や額の中に彫られている物が多く、殆どの物が人形というより置物や像に近い。
右側はぬいぐるみ。町で手に入る染料の関係からか色は緑と赤が多い。それ以外は大抵茶褐色や灰色、黒などで、青や黄色は殆ど見当たらない。
ピエールは棚の中から目に付いた、木彫りの竜を慎重に手に取った。
大きさは片手で持つには少々難儀する程度の大きさで、棚にある物の中では一番大きい。
芯となる台座の部分に巻きついている長い蛇のような胴体、短い二対の手足。二枚の翼を大きく広げ、頭は口を閉じて真っ直ぐ前を見つめている。
手足の先の細かい鱗の模様まで精密に作られていて、他の物との手の込み具合の差がはっきりと見て取れるほどの出来栄えだ。
その中でも特に印象深いのが、瞳にはめ込まれた二つの翡翠。全身木製の焦茶の身体の中で、輝く緑色の瞳が極めて強い精彩を放っている。
「おー……」
(これは凄い、格好いい。うちに飾りたくなるね)
口を半開きにしたまま、様々な角度からそれを眺めるピエール。ひとしきり見回してから、棚の上へと戻した。
そして、彼女はふと気付く。
(なんかドラゴンばっかりだ。可愛いものがない)
棚に並べられた人形たちは、殆どが竜を模したものだ。ぬいぐるみの中には違う物もあるが、木彫りの人形は全て竜を模されている。
そして竜の形も、細部の違いこそあれど細長い身体と翼を持つ蛇のような姿で統一されていた。
手足が太く四足獣のような身体をしている、一般的なイメージのドラゴンは一体もない。
(なんだろうこれ、この町の流行りなのかな?)
ピエールは疑問を尋ねようと、再びカウンターの前へと立った。ニナとエルナは、先ほどと同じ場所から動かず雑談をしているようだ。
「ねえ二人とも、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな」
「は、はい。何でしょう、ピエールさん」
こちらを見ている二人に、ピエールは自身の疑問を投げかけた。
人形のモチーフに竜が異様に多いこと。そしてその竜が全て同じ見た目なこと。
「これこの町の流行り?」
ピエールの言葉を聞いたニナは、無言でエルナを見た。言葉の意味が理解出来ないという顔だ。
そんなニナとは対照的に、疑問をさも当然とばかりに受け止めるエルナ。目を瞑って、一つ頷く。
「旅人さんは神様のことを信じてる?」
「いいや、全然」
即答であった。一瞬の躊躇いも無い一言に、抑えてこそいるものの唖然としているニナ。
しかしエルナは表情一つ崩すことなく、穏やかに微笑むだけに留まった。
「あら、そう。やっぱり旅人さんは皆そうなのかい? ……でもね、この辺りでは多くの人が神様を信じてる。空から私たちを見守る竜神様のことをね」
エルナは一瞬だけ、遠い目をした。
「ずっとずっと昔、何百年も前からそうさ。遠い空の向こう、雲の上には竜神様が住んでいて、私たちのことを見守っている。人知れず行った悪いことも、誰にも気づいて貰えない良いことも、竜神様は全て見ている。そして、悪いことばかりしていた人には罰を、いいことを沢山してきた人には祝福を、竜神様は等しくお与えになる。だからいつでも悪いことをしてはいけない、いいことだけをしなさい、とね」
「へー……」
エルナの言葉を理解しているのかいないのか、微妙な表情でピエールは頷いた。
「詳しいことはもっと色々あるけれど、大まかに話すとこんな感じね。そして身近な場所に竜をかたどった物を置いておくというのは、私は常に竜神様に見られていることを意識している、竜神様の教えを強く信じているというアピールになるんだよ。だから置物を置くなら殆どの家が竜の形をしたものを欲しがるし、子供たちには竜のぬいぐるみを抱かせたがる」
「ほー。それじゃあ竜の形が一緒なのは?」
「竜神様はこういう姿をしていたという言い伝えがあるのさ。大昔、竜神様のことを熱心に想っていた子供の前に竜神様が現れて、その子とその子の住んでいた村を救って去っていった。その時の記録に残されている姿があれで、そしてその時もたらされたのがティカネ草、と言われてるね」
「ふーん……」
「勿論この竜神様信仰が町の全ての人に通じるって訳じゃない、中には他の神様の教えを信じてる人や、神様そのものを信じないって人もいる。でも、町の殆どの人はこの竜神様の教えを守って生きてるのさ。だから、竜神様をモチーフにした物が多い」
「なるほどなー……ということは二人ともそうなの?」
ピエールがニナとエルナに問いかけると、二人とも頷いて肯定した。
「と、特に何か、訳があるからじゃ、ないですけど、私は、ずっと、この竜神様のことを、信じて、ます」
「私は出身がレールエンズだからね。あそこはここよりももっと竜神信仰が篤かった。それこそ国民全員竜神信仰ってほどにね。だから私もあそこにいたころからずっと竜神様のことを信じているよ」
「レールエンズ……って北の森の向こうにあった国だっけ」
少し逡巡する素振りを見せてから、ピエールは話を切り出した。
「レールエンズって国のこと、聞いてもいい? どういう国だったとか、何があったとか」
ピエールの言葉に、エルナは少しだけさみしそうな笑顔を浮かべた。
「そんなに気を遣わなくてもいいんだよ。もうずっと昔のことだからね」
そして、老婆は語り始める。
: :
レールエンズ。周囲を森に囲まれた、小さな小さな王国。国の規模はサンベロナよりもやや小さく、王政を行っていただけのただの町でしかない。
そんな小さな王国の最大の特徴は、国民たちの魔力の高さである。
森に囲まれた土地がそうさせていたのか、国で産まれた殆どの人が高い魔力を有していた。その魔力を使って、小さな王国は生き抜いていたのだ。
国の主な生産物は、いくつかの麻類と硝子。それにわずかな量の穀物と、一切外へ持ち出すことはなかったものの複雑な細工時計を制作する文化があった。
食料の生産量は少なく、自給率は低い。これだけでは、国を存続させるのは不可能だっただろう。
しかし、レールエンズには魔力という武器があった。麻を紙や布状に加工し魔力を込めることで魔法の巻物を、森の薬草や山脈の鉱物を原料に豊富な魔力を混ぜて魔法の薬を生産し、それをサンベロナ、サリエットを通じて輸出していた。
数少ない魔法の道具の生産地であったレールエンズは、土地と規模の小ささからは想像出来ないほど恵まれた国だった。
そのレールエンズに今から五十四年前、転機が訪れる。国内で、原因不明の病が流行し始めたのだ。
今でこそその病の原因も対処法も判明しており、他人に伝染する性質が無いことも分かっている。
だが当時は原因を掴むことが出来ず、病はあっという間に国民の殆どを蝕んだ。
高い魔力を持つレールエンズ国民といえど、原因の分からない病を克服することは出来なかったのだ。
そして原因を掴み対処法の確立がなされるよりも早く、百年以上の歴史を保っていた国はあっという間に滅びることとなった。
: :
「当時私は二十歳かそこらで、レールエンズからこっちに移り住んできたばかりだったから難を逃れられた。……あの時のことは今でも覚えているよ。町全体が怯えているのがはっきりと感じられた。当時はあれが他人にうつらない普通の病気なのか、それとも他人にうつるたちの悪い疫病の類かなんて判断が出来なかったからね。見えない病に怯えたこの町の人たちは北の森を抜けてこの町まで逃げてきた人を全員門前で追い払ったのさ。その中には私の知り合いもいたよ。……あの頃から北の森にはガットや、人を襲う化け物がいた。何人もの人間が森を抜ける前に死んでいったはず。それを乗り越え命辛々辿り着いたと思ったら、その町から拒絶されたんだ。さぞ無念だったろうに」
昔のことを懐かしむように一言一言語っていくエルナ。
話を聞くニナの表情は暗く、それとは対照的にピエールは殆ど無表情だ。真剣に聞いているのか何も考えていないのか、外見では全く区別がつかない。
「故郷の国の人たちを見捨てた人のことを、恨んでる?」
ピエールがエルナの目を真っ直ぐに見て、そう尋ねた。
エルナは一瞬だけ目を見開いて驚きを露わにし、ニナはその横で、驚きと強い非難がない交ぜになった表情でピエールを凝視した。
「そこまで遠慮無く聞いてきたのは旅人さんが初めてだよ」
エルナはピエールの言葉を、軽く笑い飛ばした。
「恨むも何も、私も同類さ。あの頃は私も怖くてしょうがなかった。一人町に入れたらそこから病が広がるんじゃないか、入れなくてもいつかこの町にも病の風が吹くんじゃないか、そもそも発生当時いなかったとしてもレールエンズの出身である私も追い出されるんじゃないか、そう考えて夜になるたび不安で押し潰されそうになった。皆そうだったんだ、私に被害者面する権利なんかありゃしないさ」
そう言って笑うエルナの顔は寂しげで、もういない誰かを想っているのがはっきりと分かるほどだ。
「あるとしたら、罪の意識だよ。あの時私を含む誰か一人でも彼らを受け入れようと声を上げていたら。そうでなくとも町の外に小屋か何かを作って隔離し、食料と水だけでも提供していたら。それだけでも出来ていれば一体何人救えただろうか。あの頃から生きている人なら皆感じてるよ、今は亡きレールエンズへの罪悪感をね」
語り終えたエルナは大きく息を吐いてから、重くなった雰囲気を打ち払うように笑った。
「暗い話になっちゃって悪かったね。お詫びと言っちゃ何だがそろそろ面白いものが見られるから、見ていくといい。隣にいる妹さんも一緒にね」
言葉を聞いた途端、ピエールは驚きと共に勢いよく横へ振り向いた。彼女のすぐ左にはアーサーが陣取り、腕を組んで柱に身体を預けている。
「い、いつの間に」
「姉さんが竜の人形が多いことを尋ねに来た時からですよ。私も同じことを思っていたので横で聞いていました」
「私全然気づかなかったんだけど」
「気配消してましたから」
「……何でわざわざそんなことしたの?」
「何となく」
「アーサーは時々意味が分からないことをするよね」
「そんなことより見てくださいよあれ」
アーサーが指差した先、カウンターの向こうには、大きな柱時計が飾られていた。
大きさは大体、直立した成人女性ほど。材質は木製で、大きな文字盤と振り子が印象的だ。
「でっかい時計」
「そろそろ、です」
横にいるニナが、小さな声で呟いた。
いつの間にかカウンターの前に店内の客が全員並んでいる。
時刻は昼過ぎ、そろそろ三本ある針の内の二つが、真上を向いて重なろうかというタイミングだ。
振り子が揺れ、時が進む。
かちん、かちん、かちん。
少しずつ、時は着実に進んでいく。
かちん、かちん、かちん。
そして、その時は訪れる。
ううぅおぉーん、ううぅおぉーん、ううぅおぉーん……。
「わ、何」
二本の針が重なった瞬間、文字盤の上にある小窓から小さな竜の模型が鳴き声と共に飛び出してきた。
獣の遠吠えに似た音を立てつつ、竜は小窓から出入りを繰り返す。
ううぅおぉーん……ううぅおぉーん……。
どこか寂しげな鳴き声と共に、長い胴と翼を持った竜神が姿を見せてはまた隠す。
「鳩時計ならぬ竜時計ですね。一体どんな仕組みなのか、鳴き声付きとは面白い」
「朝から夜の間に、一日六回鳴くんだ。六十二年間故障一つせず動き続けてるうちの名物時計さ」
ぴったり三十秒鳴き続け、竜は小窓の中へと戻っていく。
それと同時に、カウンターの前に並んでいた他の客たちもエルナへ挨拶をして店を去っていった。
「ドラゴンが帰ったら客も帰った」
ピエールが何の気なしに呟いた言葉に、思わず苦笑いになるニナ。
「皆、時計が、鳴くのを見に、来てたんです。むえ、名物時計、なので。町の人からも、人気、なんです」
「でも買い物はしないんだ」
「え、えっと、あは、は……」
ピエールに悪意は全く無いのだが、彼女の言葉通りほぼ毎日一切買い物をせず、時計だけを見に来ているニナには耳が痛い言葉であった。
ニナは苦笑いの表情のまま、曖昧にごまかした。
「ま、それを言い出したら私たちもそうなんだけどねーあのケチの国のお姫様が何か買うのを許してくれるとは思えないしー」
間延びした口調で当てつけのように呟き、ピエールは妹へと目を向けた。
アーサーはカウンターに寄りかかって、エルナとレールエンズの話の続き、今は時計と硝子の話をしている。
「そういえばアーサーは何をあんなに熱心にネックレス見てたのかな」
ピエールは、時計の話にはあまり興味が無いようだった。
誰に言うでもなく独り言のように言い放つと、アーサーが見ていた装飾品の棚の前へと歩いていく。
ニナはピエールが装飾品棚へと去っていくのを見送ってから、気まずそうな顔でアーサーとエルナの方を盗み見た。
そこではアーサーとエルナが、口でレールエンズのことを話しながら手でカウンターの上の物の値切り交渉をするという器用な真似を行っている。
丁度ピエールの位置からは見えないように身体で隠しながら。
「……」
カウンターの上にあるのは薄いぼろ布で包まれた、長方形の物体。
この店の中では装飾品に次いで高価な品、石鹸だ。海の向こうから少数輸入されるのみで、一個百ゴールド近い値がつくだろう。それが二個。
(二人で使うんだろうし別に隠すこともないのに。あ、でも「アーサーが何か買うなら私も」って言い出して何か買おうとしそう)
ぼんやりとそんなことを考えながら、ニナはカウンターの横の柱に背中を預けた。
ピエールに目をやると、少し前のアーサーと同じように棚の上のネックレスを見ている。
が、とても目利きが出来ているという顔ではない。
(それにしてもエルナお婆ちゃん乗り乗りで会話しながら値段交渉してるなあ……)
結局交渉と支払いを終えてアーサーが石鹸を懐に納めても、ピエールは最後までそれに気付くことはなかった。