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姉妹冒険者物語  作者: 並野
夜鳴谷森林紀行
38/181

12

 玉葱マンは植物の魔物らしい長い寿命の持ち主だ。

 通常の玉葱と同じ大きさの、発芽したばかりの芽玉葱マンからおよそ三年かけて一般的なサイズまで生長すると、そこから百年は生きるという。

 だが、殆どの玉葱マンたちは寿命を全うせずに息絶えていく。

 ある者は人間に食べられ、ある者は他の大型生物の争いに巻き込まれ、またある者は子孫を残して力尽き、養分不足でゆっくりと枯死していく者も多い。


 しかし。

 極稀に幸運が重なり、寿命を越えて更に長い時を生きる玉葱マンが発生する。

 定められた限界を越えて生きる個体はその身も、力も、知恵も通常の玉葱マンを越えて生長を続けるのだ。

 そうして限界を越え、古代から生き続ける玉葱マンを人は畏れを込めてこう呼ぶ。

 エンシェント・玉葱マンと。


   :   :


 その姿を見るやいなや、姉妹は即座に反転して林を突っ切り逃げ始めた。

 慌てて背嚢から降りたハルが、二人に併走して林を飛ぶ。


「ハル何でこの森にあんなのがいるって言わなかったんですか!」

「え、だ、だってあたしあんなおーきーの初めて見たし、あのおーきーのふつーのと違うの?」

「そんな馬鹿な話がありますかエンシェントですよあの大きさなら少なくとも三百年は生きてる筈……!」


非常事態に思わず感情的にハルを叱責しながらも、頭の片隅でアーサーは可能性を二つ探り出した。

 最近この森に流れ着いたか、もしくは分かっていて妖精をずっと避けていたか。

 とはいえ、どちらであったとしても今は全く関係が無い。


「アーサー!」


背嚢と玉葱マンの死体を背負ったまま全速力で走るピエールが叫び、アーサーは走りながら後ろへ振り向いた。

 もう坂を登り終えている。

 大ざっぱに距離感から計算しても、走る姉妹の倍以上の速度だ。


「とにかく逃げられるだけ逃げますよ! あの森が住処なら離れれば諦める可能性も道に出れば他人に遭う可能性も出て来ます! 寄られたら巻物、全開で……」


言葉途中で、ぽかんと口を開けたまま。

 アーサーは呆然とそれを眺めた。

 同じくピエールも、目を見開いてそれを凝視する。


 走る彼女たちの頭上に、突然現れた何か。

 玉葱マンだ。

 一匹の玉葱マンが、宙を舞っている。

 飛来するそれは緩い回転をかけながら、姉妹の頭上を追い越してゆく。

 後ろを見なくても分かる。

 親玉のエンシェント玉葱マンが、取り巻きの一匹を投げたのだ。

 そして投げる目的も簡単に分かる。


 足止め。


「マージだっ!」


喉が張り裂けそうな音量で叫んだアーサーの目の前で、飛んできた玉葱マンが白い魔力の光を放った。

 煙玉から煙幕が吹き出るかのように発された光が周囲を乱雑に照らし、飛び散った魔力が一つの形を作る。


 白い光が、白い冷気の波動に変わった。

 一瞬の判断で横を走る姉を押しのけ、アーサーが左手に出した盾で顔へ放たれた冷気を防いだ。

 盾と胴で至近距離からの冷気の直撃を防ぎ、玉葱マンが放った冷気は服の表面に掠っていくらか凍てつかせるに留まる。


 しかし、周囲に散った冷気は防げない。

 冷気は雑に散ったのではなく、地面を凍らせに来ていたのだ。

 眼前が盾で塞がったアーサーが、凍った地面に足を取られて姿勢を崩す。特に背嚢の存在が重心を整え体勢を立て直すのを妨害し、彼女に出来たのは地面に手をついて何とか転倒を免れることだけだ。

 前を向いたまま地に手をついたアーサー。

 その背中を、棘の生えた布で直接擦られるような強烈な存在感とプレッシャーが襲った。


 来る。


 巨体が迫る、強い風圧を後頭部に感じながら。

 アーサーは振り返りもせず咄嗟に盾で後頭部を庇った。

 直後。

 弓なりの状態で、アーサーが一直線に林の中を吹き飛んでいった。


「げうっ」


取り繕う余裕も無く、死にかけの小動物の呻きを発して吹き飛ぶアーサー。

 林に生える木の幹に胸から衝突し、勢い余って顔を打った所で動きを止めた。

 辛うじて意識は残っている様子でずるずると幹から滑り落ちながら、震える右手で腰の剣を掴む。

 背嚢には大きく穴が空き、内部には粘土細工のようにひしゃげ潰れた金属の小鍋と破れた毛布が覗いていた。


 直前までアーサーがいた場所に立つのは、赤紫色の巨大な玉葱マン。

 間近で見るとはっきりと分かる巨体に、更にはエンシェントの証とでも言うべきか大きな二つの目玉が顔面に備わっていた。生物の眼球とは違う植物繊維の目玉が、林の隙間から注ぐ光を反射しながらぐりぐりと蠢いている。


 背中を背嚢ごと蹴られ満身創痍のアーサーと、その横で荷物を降ろし斧を構えた戦闘態勢のピエール。

 どこを見るでもなく蠕動していた植物の目玉が二人を捉えると、その顔が表情を形作った。


「えげげ、げげ。げぐぐごご」


笑み。

 目を開いたまま目元に皺を寄せ、化け物じみた笑い声を発する。

 かと思えば次には悲しみ、またその次には怒りと変化目まぐるしく、表情を作る練習でもしているのかと思えるほどだ。

 周囲に控える発声能力も表情を作る能力も無い通常の玉葱マンが直立不動のままの中、その一匹だけがいやに表情豊かで、それ故に不気味だ。

 不気味な表情の変化を繰り返す玉葱を、手斧を構えじっと見つめ返すピエール。


 エンシェント玉葱マンが、唐突に飛びかかった。

 本体部分だけで自身より一回り背の高い親玉の巨体が、息を吹きかけられた羽毛のように軽やかに宙を舞い襲いかかる。

 対するピエールは、一歩たりとも下がらない。

 獣じみた雄叫びを上げ、自らエンシェント玉葱マンへと向かった。


「るああああぁっ!」


片手で袈裟に振るった斧を、エンシェント玉葱マンは無造作に短い拳で打ち払い跳び蹴りで反撃する。

 しかしそれは想定の範囲内だったのか、斧を弾かれてもピエールの体勢は乱れない。

 服が掠って破れるほどの距離で跳び蹴りを避け、密着距離から自身の小さな身体に宿る膂力を全て叩き込む肩での体当たりを見舞った。


 勢いをつける事前動作が殆ど見られない中で、どむっ、と内部を震わす低い打擲音が響く。

 その威力は大型生物の突進の如し、人間なら確実に吹き飛ばされ、場合によっては骨が砕ける筈の衝撃。

 にも関わらず、エンシェント玉葱マンには目立ったダメージは見られない。

 一鳴きもせず数歩後ずさる程度だ。


 親玉が距離を取りピエールが左手で巻物を取り出した隙に、取り巻きの四匹の玉葱マンたちが魔力の光を放ち始めた。

 白い魔力の光が、取り巻きの身体から湯気のように立ち上る。


「全部マージか……まじかー……」


ピエールが呟きと共に笑みにすらならない引き攣った顔を見せた後。

 取り巻きたちが呪文を放ち始めた。

 今回は先ほどのような広範囲に放射するタイプではなく、指向性の光弾だ。

 玉葱のような大きさの光の弾が、緩急のある波状攻撃でピエールへと撃ち込まれる。


 最初の三発は横へ弾かれるように跳ねて避けた。

 次の二発は地に這い、続けて撃ち込まれた五発を開いた巻物を破壊されつつも飛び上がって回避。

 着地際に足元に置かれた二発を空中で身体を捻り地面に手を付いて飛び上がって避け、


 最後に姿勢を正した瞬間目の前にあった一発を手斧の腹で受けた。


 ばちん。

 斧に触れた光弾が、強い衝撃波を発して破裂した。

 顔の近くで炸裂させてしまったことで、鼓膜が破れかねないほどの魔力による音波の衝撃がピエールの耳を襲う。

 眼前で発された衝撃音に、思わず頭を大きく仰け反らせるピエール。

 すぐに頭を起こしたが、戻した視界の先には当然のように隙を突きに来たエンシェント玉葱マンの巨体が大映しになっていた。


 少女の視界いっぱいを埋め尽くす、紫の巨体。

 間近で交錯する、少女のくりくりした翠玉の瞳と植物繊維の巨大な目玉。

 丸太で薙ぎ払うような、エンシェント玉葱マンの頭の芽を使った足払い。

 無防備に足を掬われ仰向けに転倒したピエールの目の前に、振り上げた短い右足を今にも打ち付けようとするエンシェント玉葱マンの姿が映った。狙いは頭。


 ピエールは辛うじて身体をずり上げ、頭を狙って振り下ろされた足を服の内側に着込む金属の胸当てで受けた。

 大地が震え、胴の下にある石が粉々に砕け散る。

 それでも胸当ては衝撃を受け止め、ピエールは先ほどのアーサーのような潰れた蛙の呻きを発しながらも意識を保ったまま即座に跳ね上がった。


 起き上がり際に手斧を軽やかに振り抜き、エンシェント玉葱マンの右手の指のようなごく小さな突起の先端をほんのちょっぴり斬り飛ばした。

 初めて与えたダメージは、涙が出るほど小さな一撃。

 起き上がり距離を取ったピエールが、内臓に受けた衝撃で胃の内容物を逆流しそうになったのを何とか堪える。

 コップ一杯分ほど漏れたのは、気合いで再び胃へ押し戻した。


「まずい……」


ピエールの呟きは、あらゆる意味でのまずさを内包したものだった。


   :   :


「アーサー! アーサーしっかりして!」


ピエールがエンシェント玉葱マンの相手をしている中、いの一番に吹き飛ばされダメージを負ったアーサーの周囲をハルが飛び回る。

 彼女も胴体の胸当てに加え背嚢の内容物で跳び蹴りを防御したものの、妹の身体能力は怪物じみた姉と比べると数段下だ。

 折れた剣を杖に何とか座った状態は維持しているが意識はまだはっきりしていない。


「ねーアーサー! アーサーってばーっ!」


初めて体験する非常事態に戸惑い、パニックで涙ぐみ始めるハル。

 しかしアーサーは動けない。

 痙攣するように震え続ける身体で何とか立ち上がろうとしたが、背嚢の重みでバランスを崩してすとんと尻餅を着いた。


「はっ……が……」


折れてはいない。

 骨は折れてはいないし、致命傷は受けてはいない。

 だが、強烈な勢いで吹き飛ばされた挙げ句叩きつけられて衝撃を受けた内臓が、未だに正常な感覚を取り戻すのを阻害している。


「アーサー、早くしないとピーちゃんが……ああああっ」


ハルの見ている前で、足払いを受けて転倒したピエールがエンシェント玉葱マンの痛烈な踏み付けを受けた。大地が揺れるのを浮いているハルは感じ取れなかったが、それでも衝撃の大きさは想像にかたくない。

 起き上がったピエールが、一瞬背中を丸めて身体を震わせた。

 その間に、取り巻きのマージ玉葱マンたちが魔力の輝きを再びその身体に灯らせる。


「あっ……だ、駄目……ピーちゃんが……」


それは、小さな妖精にとって初めての感覚。

 友達を失う。

 大切なものを失う。

 自分でも分からないほど長い時間を一人で生きていた自分に、初めて出来た言葉を交わせる相手。

 それが目の前で死ぬ。


「や、止めて……止め……」


ハルの脳裏に、昨日心に焼き付いたピエールの足の抉られた怪我が鮮烈に蘇る。

 いつもそんなものとは無縁に生きてきた自分にはあまりにも強烈過ぎた、鮮やかな血の赤。

 光弾を回避した隙に再びエンシェント玉葱マンから跳び蹴りを受けたピエールが、口から少量の血を散らし吹き飛ぶ。


「……止めなさーいっ!」


妖精が、吼えた。


   :   :


 その小さな身体のどこから発しているのか分からないほど強烈な、耳を突き刺すような鋭さと高さを兼ね備えた妖精の絶叫。

 叫び声と共にハルの全身から目を焼き焦がしそうなほど強い魔力の白い光が放たれ、輝く一つの光となった妖精がピエールと玉葱マンたちの間に一瞬の内に割り込んだ。


「止めなさい! あなたたち、止めなさいって言ってるでしょー!」


ピエールの前に立ちはだかったハルが、巨大な金切り声を上げて目の前のエンシェント玉葱マンを責める。

 当の親玉はいかにも鬱陶しげに表情を歪めるばかりだが、取り巻きのマージ玉葱マンは一転してハルに怯え、後ずさりし始めた。


「おーぜーでよってたかって人間いじめて、みっともないと思わないのっ! それにあなたたち、人間食べないんでしょ! ご飯じゃないのに殺してどーするのよ! このたまねぎっ! おいしーのよっ!」


きーきーと甲高い悲鳴のような声で叫ぶハルに、エンシェント玉葱マンが怒りを露わにする。

 しかしその怒りはどこか強がりを思わせる虚勢じみた怒りだ。


「ぐげげ、ごご、ごごご」


鳴き声と共に振り上げられるエンシェント玉葱マンの拳。

 しかしそれが振り上げられた途端、ハルの光が更に強さを増した。


「止めなさああああーいっ!」

「うぎゃあーっ」


後に聞こえた叫びはピエールのもの。

 至近距離で更に強まった強烈な光と、耳に突き刺さるやはり更に強まった金切り声に目と耳をやられて間の抜けた冗談のような叫び声を上げて後ろへ転がって逃げた。

 一方、エンシェント玉葱マンは。


「ぎげげげごごご」


やはり叫んでいた。

 よく見れば、エンシェント玉葱マンの振り上げた右手には最早影も形も見えない妖精らしき光る塊がぴったりと張り付いている。

 ハル自身は振り上げた手を押し留めようと組み付いただけなのだが、エンシェント玉葱マンの反応は毒虫が服の中に入った人間のような狂乱具合だ。

 取り巻きのマージ玉葱マンの姿は、既にどこにもない。


「ぐぎ、ぎぎぎぎ」


恐慌状態に陥ったエンシェント玉葱マンが、腕に張り付いた妖精を振り払おうともがく。

 しかしハルは引き剥がされるどころかしがみつく力を更に強め、おまけとばかりに光と無我夢中で叫ぶ声の高さを増す。


「げげげげげ」


遂にエンシェント玉葱マンの巨体が芽だけ残して全て、ハルの放つ光の中に飲み込まれた。

 爆発的な音量の金切り声に鳴き声も飲み込まれ、最早その場に玉葱マンがいることを示すものは光から飛び出た芽しかない。


 金切り声を上げ続ける芽の生えた光球が、ふらふらと左右によろめく。

 よろめきながら芽だけがくるくる回転し、覚束ない足取りで動き、時には転びながらあらぬ方角へ遠ざかっていく。

 そして、誰もいなくなった。

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