10
樹の根元で横に並んで休む姉妹の元へと、周囲の葉を揺らし突風のように戻って来たハル。
「あ、ハルちゃんお帰り」
「ピーちゃん! 傷は? 傷はだいじょーぶ?」
風圧を感じさせながらピエールの近くで飛び回り、ハルは腿を凝視する。
ピエールは力の抜けた姿勢ではあるものの、すっかり落ち着いた雰囲気で明るく笑いながらそれを迎えた。
彼女の足は既にズボンが穿き直され、破れた生地の奥から覗く傷には几帳面な巻き方で包帯が巻かれている。
傷の大きさにしては染み出す血の量は少なく、白い包帯をほんの少し紅色に染める程度だ。むしろ、ズボンに残る血の跡の方が大きい。
「平気平気、アーサーがちゃんと手当してくれたから」
「で、でも、でも、服に血がいっぱい」
「服を洗う余裕が無いからそのままなだけです。それよりハル、警戒の結果はどうでしたか?」
未だに動揺が拭えないハルだが、姉妹の返事を聞いていくらか落ち着きを見せ始めた。
胸に手を当て、ほう、と息を吐く。
「だ、だいじょーぶ。あのたまねぎマン? はもーどこにもいなかったし、それ以外はえーと、樹に止まってぴくりとも動かないおーきな蛾と、キノコ食べてるなめくじしかいなかったよ」
「そうですか。ではもう少し休みましょうか」
「そだね。……ほらおいでハルちゃん。いっぱい飛んでちょっと疲れたでしょ」
幹に背を預けた少女の手招きに、ハルはおっかなびっくり慎重な動きで彼女の腕へと手を乗せた。
笑顔のまま、ピエールは妖精を左足へと乗せる。
「ピーちゃん、ほんとーにだいじょーぶだったの?」
「うん。ちゃんと怪我に効く魔法の薬を持ってたから。その薬とアーサーの呪文で手当して貰ったから大丈夫。まあ完治って訳じゃないけどね」
「そっか……」
ピエールの右足、ズボンの穴から見える包帯にそっと小さな手を添えるハル。
「ね、結局あのたまねぎマン? はどーゆー生き物なの? あたしよくここで見るけど、集まってキノコ林をうろうろしてるところとか、土に半分くらい埋まってぼーっとしてるお間抜けなところしか見たことないよ。あんな速く動いてるとこ初めて見た」
ハルが顔を上げて、隣に座る妹を見つめた。
アーサーは視線に気づきながらも目を合わせることはせず、ぼんやり宙空へ目を向けたままだ。
「さあ、私にも分かりません。分かっていることは奴らは何故か人間を敵視していて、見つけると襲いかかって来るということだけです。他の生物は滅多に襲わないし、殺した人間を養分にするという訳でもない」
「なにそれ、よく分かんない。ニンゲンさんが嫌いなの?」
「縄張りを守る為、余所者を排除する為など色々な仮説がありますがどの説も反証はあっても確証が無い。馬鹿馬鹿しい話ですが、人に食べられた玉葱の恨みが集まって生まれた生物だ、なんて説もあります。そして皮肉にもこの説が今のところ一番説得力がある」
「そーなの?」
「こういう頓珍漢な生態をしている生き物を人間の価値観で計るな、と昔言われたことがありましてね。それを鑑みると、他の説よりはまだ信憑性がある。その程度です」
「ふーん……」
キノコの時と同様、自分で聞いておきながら理解しているのか、興味があるのかどうか分かり辛い曖昧な相槌を返すハル。
「たまねぎマンはあれで結構危ない奴なんだよ。名前とか、見た目とか、お店で売ってるところしか知らない人が弱い魔物だって勘違いして、油断してボコボコにされちゃうことが結構あるくらい」
「流石に今のあれほど強い玉葱マンはそうそういませんけどね」
「大蟻もだけど、やたら強かったよねさっきのたまねぎマン。一目見てこれ普通のと全然違う、ってびっくりしたよ」
「あそこまで気合の入った攻撃や連携、初めて見ました……」
言ってから、アーサーはゆっくり立ち上がった。
革スカートに付いた土や苔の破片を払い、周囲をぐるりと見渡す。
「そろそろ行きましょうか」
「そだね」
「……え、もー歩くの? 怪我は?」
アーサーの言葉にあっさり同調したピエールに、ハルが小さな目を大きく開けて驚きを露わにした。
膝から飛び上がり、緩やかな羽ばたきでその場に滞空する。
「ちょっとは痛むけど、進まない訳にはいかないからね」
笑顔で答えつつ、アーサーが差し出した手を掴んで静かに立ち上がるピエール。
手を掴んだまま地面に立ち、その場で足踏みを数回。目を閉じて眉をわずかに寄せ、んー、と小さく唸った。
「どうですか?」
「まあ、痛い。でもなんていうのかな、痛むのは傷口が擦れるからで、傷のある場所に力がかかるって感じじゃない。ちょっと我慢すれば多分普通に歩ける」
「分かりました。どちらにしろゆっくり進みますから、無理はしないようにしてくださいね」
「分かった」
「ハル、今回は背嚢に乗らずに姉さんのことを見ながら飛んでいてください」
「……任せて! ピーちゃんのことはあたしがちゃんと見てる!」
ハルが小さな拳を強く握り掲げたのを確認してから、アーサーは姉の背嚢を抱えた。
立ち上がっているピエールに背負わせてから自分の分を背負い、更にいつの間に作ったのか一本の縄でまとめて括られた玉葱マンの死体を肩に担ぐ。
三匹分ともなれば重さは相当なものだが、弱音一つ吐かず肩へと食い込ませていた。
「……アーサーそれどーするの? もしかして……」
「勿論食料兼売り物です。玉葱マンはこれで高級食材なんですよ。それなりの価値があります」
「……ニンゲンさんは何でも食べるね」
「一匹は食べるとして、二匹売ったらどれくらいになる?」
「殺し方が綺麗ではないので一匹三、四百か、良くて五百というところでしょうか。満月草と合わせて千を少し越える程度でしょうね」
「そんなもんかー」
「何が千?」
「お金だよ。例えばこの斧なんか一本で……」
「続きは歩きながらにしましょう」
「おっと、そうだね」
ピエールが頷き、アーサーは先頭に立って森を再び進み始めた。
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時刻は昼下がり。
二人と一人は牛歩の歩みで薄暗く涼しいキノコ林を進み、今は森の景色が変わる手前の位置で休憩を取っている。
少し前方へ目を向ければ、キノコ林が終わりじっとりと蒸し暑い普段の森が見える場所だ。
ピエールは苔むした大岩に背を預け、足を投げ出して身体を休めている。
左腿の上ではハルがうつ伏せに寝そべり、その様は完全に足に止まる褐色の蛾だ。時々、ピエールが蛾の頭を指先で優しくなぞる。
一方のアーサーは、一人で昼食の準備を行っている。湿った土を掻き乾いた葉や剥がした玉葱マンの表皮を集めた簡易の火床が後は着火するだけ、という状態で準備され、その横では玉葱マンの内の一体が解体の真っ最中だ。
地面に接する部分のみ表皮を残し、そこ以外はすっかり皮を剥かれた玉葱マン。
彼女が捌いているのは袈裟斬りにされ表面を炙られた個体で、既に斜めに切れ込みが入り皮を剥かれた中も少し焼き上がっている。その見た目は、大きくなっただけの紫玉葱同然だ。
アーサーは右膝を乗せ、膝と左手でしっかり固定しつつ折れた剣で抉るように胴体を切断していく。
玉葱マンの胴体は動く植物らしく密度が高く、動物の筋繊維と植物の繊維質を合わせたような奇妙な組織だ。
とはいえ、白みがかった内部の色や断面から立ち上る匂いなどは完全に野菜のもの。
アーサーは右手に力を込め、袈裟斬りの切れ込みに沿ってゆっくり剣を押し込んでいく。
繊維を断つ感触と共に少しずつ刃が進み、一定の深さまで達したところで剣を置いて玉葱マンを二つに引き剥がした。
玉葱マンの断面には、内臓のようなものは殆ど見当たらない。見えているのは、殆どが動く植物の繊維だ。
アーサーはその中に唯一見える、桃色の袋のような器官をナイフで丁寧に切り取って回収した。
玉葱マンが養分の貯蔵や、甘い息を吐く為に使う袋だ。
内部に溜まっている液体を加工することで即効性の高い眠り薬や、滋養強壮に効果のある飲み薬を精製することが出来る。
その為この部分だけは、売却用として食べずに括って保存しておく。
袋の回収を終えたアーサーは、一転して強引な手つきで玉葱マンの分解に入った。
乱暴に剣を突き立てねじって二つに割り、時には剣を叩きつけて繊維を潰す。
雑だが素早く玉葱マンの分解が進み、アーサーが額の汗を服の袖で拭った後には、一枚残した表皮の皿の上にこんもりと解体済玉葱マンの小山が出来上がった。
一息ついたかと思えば、アーサーは次に背嚢から取り出した拳大の赤黒い岩塩の塊を黙々と削り始めた。
がりがりがり……がりがりがり……。
彼女が使う下ろし金は古い上に小さく、進捗はかなり遅い。しかし少しずつだが着実に作業は進み、ある程度塩を削り終えたところでアーサーは大きく息を吐いて下ろし金と塩を置く。
後の作業は楽なものだ。玉葱マンの山に塩で揉み込むように味付けを行い、木串に通して地面に刺す。
合間に指に付いた塩を舐め、布で手を拭ってから補助板を取り出し呪文で火床に火を付けた。
火の調子を見ながら乾いた葉や枝で火勢を整え、ある程度勢いが付いた所で細い枝を足し、最後に湿った太い木切れを炙る。水分が蒸発し薪として機能し始めたら、新しい湿った木を炙るように並べていく。
暫くそうして焚き火と睨み合って火が安定したのを確認してから、地面に刺してあった木串を火の周囲に並べ直す。
これで準備は完了だ。
「終わりました。後は火が通るのを待つだけです」
「ん、お疲れさま。ありがとねアーサー、疲れてない?」
「大丈夫ですよ。姉さんは休んでいてください」
「じゃあお言葉に甘えてもうちょっと」
ピエールが再び背中の岩に体重を預ける中、ハルがぱさぱさと羽を羽ばたかせながらアーサーの隣へと並んだ。
飛び上がったまま、燃える炎と串に刺さった玉葱マンを眺める。
「これたまねぎマン? 白いね」
「そうですよ。玉葱マンの表面は紫ですが体内は紫と白が半々程度。普通の紫玉葱と同じです」
「そーなんだ。……ちょっといー匂いする。変な臭いもするけど」
「変な臭いの方は塩でしょうね。昨晩の岩塩で嗅ぎ覚えがあるのでは?」
「んー、確かに確かに。その臭いだ」
うんうん、と滞空しながら頷く小さな妖精。それからやや間を開けて、アーサーの肩へと飛び乗った。
乗っている相手が内心緊張で身体を強ばらせているのに気付かないまま、ハルは楽しそうにニコニコ微笑んだまま肩の上でゆらゆらと揺れる。
結局玉葱マンが焼き上がるまでアーサーは緊張し続け、ハルは肩の上に乗り続けたのだった。
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玉葱マンの串焼きに火が通ったことで役目を終えた焚き火は勢いを大きく弱められ、ちろちろと燻る程度になっている。
弱々しく登る煙を囲み、地面に座る姉妹二人。
「しかしなんていうかあれだね。たまねぎマンを塩振って焼くだけで食べるってのは凄く勿体ない。スープとかにはしないの?」
「スープにするのは時間も水も使いますからね……具材に出来るものもありませんし。ただの串焼きでも素材がいい分美味しいのが救いでしょうか」
「たまねぎマンに遭うのと、水樹に着くのが逆の順番なら良かったのにね」
串を一本引き抜き、焼き上がった玉葱マンを一かじりするピエール。
焼いただけの玉葱マンは、野菜らしいしゃくしゃくとした歯応えと鳥の砂肝のような弾力ある歯応えが同居する奇妙な食感だ。
硬い部分もあれば柔らかい部分もあり、他の食べ物とはまるで異なる動く植物独特の噛み応えをしている。
一方味の方は植物そのものの、しかし塩を振っただけとは思えない驚くほど深みのある味だ。
葱類らしいつんと来る味をベースに、ささやかな生にんにくの辛み、人参などのほんのりと感じる甘み、果ては植物性の油分やハーブのような風味まで感じ取れるほど。
言うなれば、野菜だけを贅沢に使って味付けを施した玉葱のソテー。
玉葱マンを口に含んだ姉妹は無意識の内に揃って目を閉じ、口から鼻へと抜ける野菜の風味を味覚と嗅覚に全神経を集中して堪能していた。
タイミングは異なれど互いに大きく鼻で呼吸をして香りを楽しみ、それからゆっくりと嚥下する。
「めっちゃ美味しい」
「伊達に高級食材名乗ってませんよねこれ……はあ……久しぶりに心から美味しさを感じました」
ピエールだけでなくアーサーまでもが満足げな穏やかな顔をしていたことに、一人驚く膝の上の妖精。
「……アーサーのそんな顔初めて見た。そんなにおいしーの? たまねぎマン」
小さな疑問の声に無言のまま自信満々の顔で、ピエールは木串に刺さる一片をハルへと差し出した。
「はむはむ」
小さな小さな一口が、きつね色になった白い塊をかじり取る。
頬に両手を当てて、やはり小さな咀嚼音を立てる妖精。
「……んー! これはほんとーにおいしーね! ちょっとしてもぃっとしてふーな感じ! あのお間抜けなたまねぎマンがこんなにおいしーものだったなんて……あたしびっくり。でもちょっとしょっぱい」
「アーサー」
ハルの最後の一言をまるで予期していたかのようにピエールが対面の妹へ呼びかけると、やはりこうなることを予想していたアーサーの手が小さな妖精用の串を引き抜いてハルへ差し出した。
「わーい! アーサーありがとー!」
喜び勇んでアーサーから串を受け取り、そのまま彼女の膝の上で玉葱マンへかじりつくハル。膝へ乗る分にはもう慣れたのか、アーサーは少し落ち着いた様子でそれを見送る。
対面の姉が、穏やかな微笑みを見せかけた瞬間。
再び、彼女たちの元へ何かの気配が接近し始めた。
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「アーサー」
「そのようで……しかしこれは」
気付いた二人が軽く周囲を見渡し、とある一点、東側のキノコ林と森との境界へと視線を向ける。
遅れて二人の異変に気付いたハルが、口の端に白い食べかすを付けながら顔を上げた。
「え、なに? どーしたの?」
「何か来そう」
小さくささやくようなその返事を聞いた途端。ハルは一転して顔を歪め、青ざめさせた。
しかし動揺している妖精とは違い、二人の顔は平然そのものだ。
「うそ、またなにか来るの……? ど、どーするの……?」
「落ち着いてください。気配からして、恐らく相手に敵意はありません」
「食べるつもりとかそういうのじゃなくて、好奇心って感じかなあ。やる気は全然無さそうだね」
「そ、そーなの……? だいじょーぶ……? ほんとに」
「一応警戒はしましょう」
食べかけの木串を地面に刺し、二人は鞘から武器を抜いて立ち上がった。
アーサーは前に、ピエールは後ろ、岩に背を預けつつ。
ハルは一丁前に二人を守るつもりでいるのか、一番前で庇うように滞空している。
姉妹二人が見ている中で、気配は少しずつ一直線に近付いてくる。
そして近付く度に、彼女たちの顔から冷や汗がどっと吹き出し始めた。
その気配は想像以上に強大で、皮膚の上を毛虫の群れが這うような、強烈なプレッシャーが二人を襲う。
「ね、ねえアーサーこれ」
「……」
だらだらと汗を流しながらも待つ中、少しの間を開けて森の奥から姿を現したのは。
巨虎。
「う、うあ、ひあ……」
その背丈は山の如し。
黒と薄灰の縞模様の胴体に巨大な頭、高さはピエールの倍以上あり、伸びる牙や爪は人間の太股ほどもある。
足の裏には肉球が付いている筈なのに、その象のような巨体のおかげで歩く時には大地を揺らす衝撃が走る有様だ。
明らかに、二人では太刀打ち出来ない力を有している。
ピエールまでもが恐怖で裏返りかけたうめきを発していた。
彼女たちの前に現れた虎が、身動き一つせず二人を眺める。感情の伺い知れない巨大な虎目が向ける視線にあるのは、押しつけるような強烈な圧迫感。
「で、でかい……こわい」
「……」
震えそうになる身体をぐっと堪えながら見つめ返す二人。
虎は暫く姉妹を眺めていたが不意に歩みを再開し、アーサーの目前まで無遠慮に歩み寄った。
頭を地面すれすれまで下げ、同じ視線の高さから握り拳よりも大きい巨大な瞳で姉妹を再び眺める。今アーサーが手を上げれば、眼球を触れるほどの位置だ。
だが二人はがちがちに身体を強ばらせながら、やはり動かない。
恐怖と、それ以上に相手に害意が無いからだ。
故に相手を刺激しないように、ただ観察させるに任せる。
虎が吐く生暖かい鼻息が、二人に吹き付けられた。ついさっきまで食事をしていたであろう新鮮な血肉の臭いが、ぶわっ、と衣服を揺らす。近くで見れば、口元の毛が複数の生物の鮮やかな体液でしっとりと濡れているのがよく分かる。
まるでつむじ風のような鼻息を浴びせながら、虎が姉妹の臭いを嗅ぐ。
それから視線を外し、地面に刺さる解体済みの玉葱マン、そして恐怖におののく二人とは対照的に最前面に出て自らを睨む小さな妖精へ目を向けた。
ハルは言葉こそ発さないが、真正面から姉妹を庇うように滞空し、立ちはだかっている。
虎は妖精には何の興味も無さそうだったが、地面に転がる玉葱マンの残骸には多少の興味を示したようだった。頭を低く下げたまま、残骸の臭いを嗅ぎ始める。
鼻息の風圧が地面の土を吹き飛ばし、燻っていた火が霧散した。
地面に刺していた木串が倒れ燃えかすが串焼きを汚すが、二人は武器を握る手に指の骨が折れそうになるほど力を込めたまま、微動だにしない。
暫しの間臭いを嗅ぎ続け、そこでようやく満足したのだろうか。
虎は姉妹たちへの興味を失い頭を上げると、どすん、どすんと肉球で大地を揺らしながら余裕の歩みで森の奥へと再び消えていった。
姿が見えなくなり、気配が消え、真っ先に落ち着きを取り戻したハルが数言呼びかけて、やっと二人は張り詰めていた緊張の糸を途切れさせた。
涙目のアーサーが折れた剣を杖に片膝立ちで崩れ落ち、ピエールは緊張が緩むあまりうっかり右足に力を込め傷が痛んでふらつきその場に無防備に倒れこむ。
「はああ」
ピエールが、仰向けに倒れたまま大きくため息を吐く。
惚けた表情で頭だけを横に向けると、目の前に降り立ったハルと目が合った。
「だいじょーぶ?」
「肝が凍った……」
右手をハルの前に伸ばすと、小さな妖精は何も言わずにその腕の椅子に腰を降ろした。
「ぎりぎりまで近付いて来た時は本当にどうしようかと思ったよ。見た感じお腹は一杯そうだったけど」
「息臭かったもんね」
「ご飯食べた直後って感じ。……それにしても」
一旦そこで区切り、ピエールは恐怖が抜け切らないのかぎこちない笑顔でハルへ笑いかけた。
「ハルちゃん全然怖がってなかったね、あの虎。知り合い?」
「んー、知り合いってほどじゃないと思う。あたしと同じで、この森に一頭だけいるおーきな虎さん。やっぱりあたしと同じで、いっつも森をじゆーにうろうろしてる。たまーにすれ違ったら、他の生き物とは違ってあたしのこと近くから見返すくらいはしてくれるの。だからちょっと……んーなんだろー……親近感? があるの」
「ふーん、聞く限りだとこの森の主なのかな」
「そーかも? 分かんない」
返事と共にハルが飛び上がり、膝立ちで俯いたままのアーサーの元へ向かいかけた。
それを、ピエールが慌てて制止する。
「もう少しそっとしておいてあげて、アーサーこういうのに弱いから。立ち直ったら向こうから話しかけてくるよ」
「そー?」
「うん」
起き上がって岩に背を預け、改めてハルを左膝に乗せるピエール。
最後にもう一度大きく息を吐いてから、虎の鼻息で吹き飛ばされた焚き火跡へ視線を投げかけた。
「……玉葱マン、汚れちゃったけど綺麗にしたら食べれるかなあ」




