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姉妹冒険者物語  作者: 並野
夜鳴谷森林紀行
32/181

06

 森の二日目も既に夕方、陽も傾き朱色の光が水樹の周囲を染め上げていた。

 夕暮れの水樹から少し離れた、踏み固められた土の上。石と土で作られた小さな即席(かまど)で、焚き火が音を立てて爆ぜる。


 周囲の地面には木串を通したムカデ肉がびっしりと火を囲うように刺され、柔らかかった肉に少しずつ火が通り固さを増していた。

 焚き火の上には小鍋が二つ。木を組んで作られた即席の鍋掛けに吊され、沸騰する水の中でムカデの肉が揺らめいている。

 更にその横では、ロープに干される乾きかけの衣類に紛れやはりムカデ肉が即席の干物になるべく吊されていた。


「見た目以上に中身の肥えたムカデで助かりました。まさか明日まで持ち越せるだけの量が取れるとは」

「わーいさいこー……」


ムカデ肉のスープと串焼きの具合を眺めながら、上機嫌で呟くアーサー。

 それとは逆に受け答えするピエールの目は若干死んでいる。彼女の傍らにいるハルも訝しげな表情だ。


「ねーアーサー、ほんとーにムカデ食べるのー? ピーちゃん全然嬉しそーじゃないよ」

「……姉さんは食事の好き嫌いが子供じみているんですよ。食べる物は文句を言わず食べるのが大人です」

「だってさーピーちゃん」

「こんなゲテモノ食べるの嫌がって当たり前じゃん!」

「嫌がることまで否定しません。私だって好き好んで食べる訳じゃありませんし。ただ食べなければいけない以上いつまでも文句を言っていても仕方が姉さんちゃんと干物見ててください!」


言葉半ばで火のついていない薪を掴み、ムカデの干物を盗もうと接近していた野鳥めがけて投げつけようとするアーサー。

 しかし野鳥がこれ見よがしに水樹を背にして盾にしていることに気付き、ただ駆け寄って追い払うに留めた。

 野鳥はすぐにその場から逃げ出すが、ひょこひょこ数歩歩いて遠ざかっただけでやはり干物に狙いを定めたまま遠巻きに見つめている。襲われればいつでも水樹を盾に出来る位置取りを維持したまま。


「……全く。それにムカデだと思わなければいいんですよ。味自体は本当に食べられる味なんですから。大体切り分けてしまえば見た目は完全に食肉じゃないですか。何を嫌がることがあるんですか、小さな虫を丸ごと食べる訳でもなし」


逃げた野鳥を一睨みしてから、アーサーは昼間採取した満月草を少量切ってそれぞれの鍋に投下した。

 満月草は薬草だが同時に食用にもなる。ムカデばかりの夕食に、貴重な緑の色合いだ。

 満月草の煮える具合をじっと睨んで観察しつつ、頃合いを見計らってアーサーは手袋をはめ鍋を火から外した。

 煮えたぎる鍋が湿った地面に直接置かれ、じっ、と土の水分が蒸発する音が鳴る。


「……ついに出来ちゃった?」

「少し余熱が冷める程度待てば丁度いい具合でしょう。串焼きも同じくらい。焼けたら火を小さくします」

「わーい……」


火から降ろされた鍋を、ハルが興味深そうに飛んでいって覗き込んだ。

 中身はムカデの汁と岩塩の色が混じって薄紅色になった、半透明のスープだ。中にはぶつ切りになった黄土色のムカデ肉と、満月草の葉と球根がゆらゆら揺れている。

 褐色の羽を羽ばたかせてその場に滞空したまま、湯気の臭いを嗅ぐハル。


「なんか変な臭いするー」

「えっ」


妖精の素直な一言に、ピエールが目を見開いた。

 しかしその表情は驚きではなく、体のいい批判材料を見つけたという顔だ。


「これは味付けに使用した岩塩の臭いです」

「ほんとかー? ほんとに塩の臭いかー?」

「そんなに言うなら嗅いでみればいい。今まで散々使った嗅ぎ慣れた臭いしかしませんよ」

「ほほーん?」


思わせぶりな顔で、ピエールが小鍋の元へと歩み寄る。

 地面に座ったハルの横で立ち上る湯気を嗅ぎ、即座に目を見開いて鼻を押さえた。


「うっ、なんだこれは酷い、とても食べれる臭いじゃない。まるで腐った肉と果物を混ぜて薄めたような最低な臭いだ。これがムカデ肉の臭いか……なんてひどい。人間の食べるものじゃない」


いつになく饒舌に勿体ぶった口調で臭いの感想を語り、最後に


「だからこれは食べるの止めよう」


とアーサーへ向けて大袈裟な仕草で呼びかけた。

 だがピエールが視線を向けた時、アーサーは既にそこにはいなかった。

 いつの間にか鍋の前から離れ干物を狙う野鳥を追う真っ最中だ。

 大袈裟なポーズのまま、その場で硬直するピエール。と、それをおかしなものを見る目で眺める妖精。


 いつの間にやら木片に縄を括り付け、外しても水樹に届かない鎖付き分銅のような形にしたものを振り回して野鳥を打ち付けるアーサー。

 まさか攻撃されると思っていなかった野鳥は慌てふためき、今度こそ鳴き声と共に飛んで逃げていった。

 それを見送ってからさわやかな顔で戻り


「で? 何か言いましたか姉さん?」


と聞き返すアーサー。


「これは本当に酷い臭いで……」

「岩塩でしょう?」

「いや違くて……」

「違う? どこが?」

「く、腐った肉の……」

「本当にそんな臭いしますか? 本当に?」

「いえ本当はそんな臭い無いです……食べます……」

「よろしい。……そろそろ串焼きもいい具合です。火を小さくしますね」


アーサーが火の調整を行う間、しょんぼり顔のピエールに隣のハルが一言、こう呟いた。


「何がしたかったの?」


答えることなく、ピエールは俯いたままだった。


   :   :


「スープの塩味滅茶苦茶濃いんだけど、何これ」

「干物を作る時に使った塩水を流用しました。その分串焼きは塩を振っていないので、上手くスープで塩気を補ってください」

「ふーん……」


木串の先端に刺さったこんがり焼けた黄土色のムカデ肉を、ムカデスープに漬けてから口内に放り込む。

 生の時はあれだけ柔らかかったムカデ肉は火が通ると途端に縮んで固くなり、脂も殆ど無いのでパサパサだ。食感はお世辞にも良いとは言いがたい。


 だが、味の方は悪くない。

 獣の肉というよりはどことなく蟹や海老に近く、強い塩気に紛れて舌をぴりぴりと刺激する青唐辛子のような肉そのものの辛味がどこか心地よい。

 人によっては悪くないどころか、好物になりえる味だ。


「蜘蛛の足に続き、相変わらず味だけはまともだ……これでムカデじゃなかったらなあ」

「慣れてください」

「はああ」


先ほどまでのようにおおっぴらに嫌がりはせず、かといって味に喜ぶ訳でもなく。

 未だ割り切れない顔で、ピエールはもう一切れ串焼きをスープに漬ける。


 もしゃもしゃもしゃ。

 パサパサ肉を咀嚼する二人分の音が、夜の森に響く。

 周囲はすっかり暗くなり、夜空に高々と登る月と、三人が囲む小さな焚き火だけが光源だ。

 水樹からは未だに客が途切れることは無く、今も何匹かの小動物が飲み水池を囲んでいる。


「……ムカデおいしー?」

「食べる?」

「いらない」


純粋な好奇心からのハルの一言。

 それに尋ね返すピエールの返事が間髪入れぬ迅速なものなら、ハルの拒否の言葉も同じくらい敏速だ。


 一瞬で切り捨てられ、返事も疎かにピエールは食事を再開する。

 口内の肉を飲み込んでから、次はスープに浮かんでいたムカデ肉と輪切りになった満月草の球根をまとめて木串で刺して口へ運んだ。


 もしゃくもしゃく。

 パサパサ肉を噛む音に、繊維の音が混じる。

 軽く熱が通っただけの満月草は軽快な歯ごたえがあり、味そのものも癖のない素朴でさわやかな味。

 自己主張の強いムカデ肉との相性は良好だ。


「満月草は素直に美味しいなー、臭くない生にんにくと言うべきか、苦くなくてしゃくしゃくしてる蕪と言うべきか」

「そうですね。美味しい薬草と呼ばれるだけのことはあります」

「まんげつそーおいしー?」

「美味しいよ。でもハルちゃんが食べるにはこれはちょっと塩辛いかもね。あの昼間の豆粉パンより更に濃いし」

「そーなんだ。がっかり」


満月草はムカデと違い興味があったのか、塩辛いと聞いていくらか落胆した様子を見せたハル。

 表情はそのままに、肩と羽を降ろして背中で気分を表している。

 それを見ていたアーサーが食事の手を止め、姉の脇に座る小さな妖精の顔をじっと眺めた。

 思案の後に、地面に刺さる木串の一本を引き抜く。


「……よければどうぞ。軽く火を通しただけの満月草です。塩気は薄いのであなたでも食べられる筈」


抑揚の無い言葉と共にアーサーが差し出した木串は、親指の先程度の大きさに切られた満月草の根が刺さった小さなものだ。

 真黄色の球根片には、ほんのりと焦げ目がついている。


「えっ、ほんとーに? アーサーそれくれるの? ありがとー!」

「アーサー用意いいじゃん」


瞳を輝かせたハルが笑顔で串を受け取り、ピエールが明るく笑いかけてもアーサーの表情は一切の変化を見せない。ただ視線を逸らして食事を再開した。


「はふはふ」


熱さに注意しながら、ハルが満月草を一かじり。

 火を通しただけの満月草は塩気も無く薄味だが、それでも新鮮な薬草の風味と食感は確かにそこに存在している。

 姉妹二人のものよりも更に小さな、球根を噛む咀嚼音。


「んー、かむとしゃきしゃきだけど味はなんかねゃっとして、んっとした感じ。この草ってこんなーじなんだねー。初めて食べたかもー」


妖精の感想はどうにも抽象的で、要領を得ない。

 ピエールが曖昧に笑う中、ハルはもう一かじりしてから背中の羽を優しく羽ばたかせピエールの横からアーサーの膝へと移動した。


 姿勢と表情はそのままに、食事を続けていたアーサーの動きが一瞬凍りついたように停止する。

 すぐに動きを再開していつもの顔で食事を続けるが、その動きは極わずか、姉にだけ分かる程度にぎこちない。

 その様を見て、軽く脱力しながらも微笑むピエール。


「アーサーまだハルちゃんのこと警戒してるの? もう怖がることないのに」

「……そーなの? アーサーあたしのことこわいの?」


アーサーの膝に座り腹部に背中を預けたハルが、顔を上げて真上にある彼女の目を見つめる。

 反射的に目を逸らしかけるも、大きく息を吐いてからアーサーは目を合わせた。


「別に、怖がってなどいません」

「そー?」

「ええ」

「じゃあ撫でてあげなよ友達の証に」


何とか絞り出した返事に、間髪入れず追撃を行うピエール。

 アーサーは顔を上げハルに気づかれないように、目だけを剥いて言葉の主を睨みつけた。ピエールはしてやったりとにやにや笑うばかりだ。


「撫でる? アーサー撫でる?」


姉を睨み終えて再び顔を降ろしたアーサーの視線の先に、期待に胸を膨らませキラキラした目で自身を見つめる妖精の顔が写った。

 アーサーの脳裏を、とてつもない勢いで様々な可能性とその対応が過ぎる。

 脅かしてきたら軽く息を吐いて余裕の微笑み。

 飛び上がって顔に張り付いたら優しく剥がして優しく窘める。

 飛び上がって木串の満月草を差し出してきたら嫌がらず食べる。

 もし攻撃してくるなら……。


 その他考え得る限りの可能性の予行演習を一瞬の内に脳内で行ってから、アーサーは自分が持っていた串を地面に刺して膝元の妖精に右手を伸ばした。


「ひゃう」


森林行や食材の解体で少し荒れたアーサーの指先が、妖精の小さな頭を優しくなぞる。

 頭頂部、額、側頭部の小さな髪の房。ハルは可愛らしい声を上げたきり、されるがままだ。


 続いて指が羽を経由し、腹部へ行った時。

 ハルが腕で人差し指をかき抱き、指先を甘噛みした。


「……!」


ひゃっ。きゃっ。ひっ。

 その他様々な黄色い声がアーサーの身体の奥から発され、そのどれもがぎりぎり体外に出ず喉で留まる。

 辛うじて、本当に辛うじて悲鳴を堪え平静を装ったアーサー。

 表情はそのままに、指をゆっくりと引く。


「色々と作業をして汚れています。あまり口に含むものではありません」

「そーお? あたしあんまり気にしないよ?」

「それでもです」

「そっかー」


口調は明るく、冗談めかした返事。ハルは顔を上げてアーサーの目を見つめながら、にっと笑いかけた。

 笑みこそ見せないものの、雰囲気を少し柔らかくしてそれに応えるアーサー。


(本当に仕方のない子)


妹の態度が全て強がりであることに気づいているピエールは内心で呟き、ただ一度控えめに苦笑った。


   :   :


 干物用を除いた全てのムカデ肉、更に昼間食べた豆粉パンもいくらか胃袋に収め、食事を終えた姉妹が水樹の根元で毛布にくるまりゆるゆると微睡む。

 眠るにあたり、周囲に広げられていた物は全て回収済みだ。干物は少し乾きが甘いが食料用の袋に収められ、焚き火の跡に食事で使った木串、木を組んで作った物干し台や鍋掛けなども全て分解して傍らにまとめられている。

 焚き火跡に残るのは、掃除し切れなかった少量の炭の破片のみ。


「ピーちゃんたちっておー食いなんだね。あんないっぱいお肉あったのにぺろりんこ」

「そういうハルちゃんは全然食べなかったね。あの満月草一欠片だけだったじゃん」

「あたしね、ほんとはなにも食べなくてもいーの。森の中ふわふわしてると勝手にお腹いっぱいになっちゃう」

「へー、そうなんだ。やっぱり妖精さんみたいな魔法の生き物って不思議だね。食べないだけじゃなくて寝なくてもいいんでしょ?」

「だよー」


腹も満ち、実に満足げな気の抜けた表情で横になるピエールとそのすぐ側で同じ姿勢を取るハル。

 二人の会話はピエールの目の前、胸元で眠り込んでいるアーサーを考慮して耳打ち同然の小声だ。


 焚き火の光は無くなったが、空に登る月の明かりは予想外に強い。

 ピエールが周囲を見渡せば、水樹の根元付近で同じように身体を休める小動物や、水を飲みに来た夜行性の大型生物の姿もはっきりと映る。

 入れ違いにやって来る大型生物たちはちらちらと姉妹や他の動物たちの様子を伺うが、ピエールが無言で見返すとすぐに興味を失う。

 もし二人揃って寝入っていればどうなるか分からないが、少なくとも片方が起きている限り何かをするつもりは無いらしい。


「それにしてもハルちゃんがいてくれて良かった、こうして話す相手がいるから不寝番もやりやすい」

「あたしも嬉しー、話す人がいるってほんとーに幸せ。こんなの初めて」

「……ハルちゃん」


何気ない妖精の一言に、ピエールの顔が陰りを帯びる。


「……ちょっと嫌なこと聞くけど。やっぱりこの森って、妖精さんはハルちゃんしかいないの? 他にこう、言葉を話せる亜人みたいな人は?」


側で寝そべる妖精は、すぐには言葉を返さなかった。

 表情も、ピエールの向きからでは伺い知れない位置。

 少しの間を開けてから、努めて明るい口調で返事が返ってくる。


「んーん。誰もいない。あたしはずっとここで、一人。どれだけの間かも分かんない。森の生き物はいっぱいいるけど、友達にはなってくれない。襲われないけど、構ってもくれない。みんなとーくから、変な奴がいる、みたいな目で見るだけ」

「……そっか。ごめんね、嫌なこと聞いちゃった」

「いーよ。ピーちゃんならゆるす」


ピエールが指を伸ばすと、ハルは愛おしそうに頬を寄せ擦り付いた。


   :   :


 暫くそうして指先でじゃれあっていると、唐突にピエールが何かの存在を感知した。

 指の動きを止めて瞼を跳ね上げると、少し遅れてアーサーも目を覚ます。


「……姉さん」

「うん。何か来るね。結構やる気満々なのが」

「え、なに? なにが来るの? お水飲みに来たんじゃないの?」


毛布を脇に退け、腰に吊ったままの武器を抜き、立ち上がって構える二人。

 気配は音一つ立てずゆっくりと二人の元へと迫ってくる。

 よく見れば同じように水樹の側で休んでいた動物たちも、何匹かが起き上がって警戒の眼差しを森の奥へ投げかけていた。


 やがて森を抜け、水樹の広場へと姿を現したのは一匹の巨大な蠍。

 大きさは昼間出会った砂鼬の倍以上あり、それだけの巨体にも関わらず一切の音を立てずぬるりと闇の狭間から現れる様はあからさまに異質だ。

 乾いた血で汚れたかのような濃い赤紫の外皮は一切の光を反射せず、黒より巧みにその身を森の薄闇に溶け込ませている。

 赤黒い二つの鋏、頭、胴と月光を浴びて姿を現し、最後に緩い曲線を描いた尾針が光を映す。唯一光を反射する針はその巨体とは裏腹に糸のように細く、光を浴びて一筋の光の線と化している。

 その姿を認識したアーサーが、意外なことに安堵の息を吐いた。


「……寝惚け子背負いです。真夜中に音も無く忍び寄ってきて、寝ている生物をあの毒針で刺し殺して餌にする。針が細いからか毒の影響かは知りませんが刺されても痛みは一切無いらしく、こいつのいる領域で迂闊に眠ると文字通り永眠することになります。ですがその代わりに目が覚めている、自分の存在に気づいている相手には基本的に手を出さない。楽に食べられる獲物だけを確実に狙っていくタイプです。なのでおそらく問題ありません」

「見覚えあるね。東の方で見た奴」


説明しつつも、やはりこれだけの巨大な生物が迫ってくるという緊張は相当なものだ。

 姉妹二人が武器を握る手の力は一切緩むことなく、やはり無音でゆらゆら揺れるような足取りで迫ってくる大蠍を真っ直ぐ睨みつけている。

 迫る蠍がある程度の距離まで寄って来たところで、二人のうち前方に立つアーサーが剣を緩く一振りした。

 その動きを感知したからなのか、彼女たちへの興味を失い脇へと逸れていく赤黒い血のような巨体。


 その後寝惚け子背負いは同様の動きで水樹の傍らで眠る者たち一体一体に迫り、起きて自身を認識している生物は素通りし、眠ったまま気づかない生物は尾針の一刺しを加えて背に乗せていく。

 最終的に大きな山猫が二匹、猪が一頭、猪と同じくらいの大きさがある蝶が一匹。計四匹の生物が尾針の餌食となり、ぴくりとも動かなくなったそれらを背負った寝惚け子背負いは、最後まで音一つ立てることなくゆらゆらと身体を揺らしながら水樹の広場から去っていった。


 巨大な蠍の気配が少しずつ広場から遠ざかり、完全に消えたところで姉妹を含む大勢の生物たちの警戒心が途切れその場で脱力する。


「あれが真夜中ににゅっと出てくるのはやっぱりビクッとするよ」

「あの揺れ方がどうにも不気味ですよね。一体どうやっているのか茂みを歩いて来ている癖に足音一つありませんし」

「なー……」


小声でぼそぼそと言い合いながら武器を収め、再び横になって毛布を被る二人。

 アーサーは姉の胸元に擦り付くように身体を丸め、ピエールは地面に肘を突いた先ほどまでと同じ姿勢。

 ピエールが横になったところで、地面でおろおろしていたハルが定位置に戻ってきた。


「だいじょーぶ? なにもされてない?」

「平気だよ。何もされてない」

「そっか、よかった」


ゆっくりと息を吐き、小さな妖精は小さな少女の胸元に背を預ける。

 ピエールは再び微睡みの中、指を伸ばしてハルの身体に絡ませた。


「あれね、たまーに見るよ。確かに寝てる子だけ捕まえてく。背中にちーさいのを乗せてることもある」

「この森に棲んでるんだね、あれ」

「うん。……二人が捕まらなくてよかった、ほんとに」


ピエールの人差し指をその胸に抱き、穏やかに微笑むハル。

 夜は過ぎていく。

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