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姉妹冒険者物語  作者: 並野
夜鳴谷森林紀行
31/181

05

 括り罠。落とし穴。跳ね罠。網。矢。丸太。果ては毒の煙霧や魔力罠。

 未だ姉の頭上にいる小さな案内人のことを信じ切れず、考え得るあらゆる罠の存在を考慮し警戒していたアーサー。


 だが結局ハルの示した目的地に到着しても、罠らしきものは一つも存在しなかった。

 しかし警戒が肩透かしに終わり徒労を感じるというようなことは無く、あくまで危険が無かったことに対する安堵の息を吐くのみだ。


 獣道をなぞった先にあったのは、太い一本の大樹。

 その樹は高さこそさほどではないものの横に大きく、さながら一軒の小屋か、でなければちょっとした小山の如し。視界を覆う大きく存在感のある褐色の塊として、どっしりと鎮座していた。

 枝葉は褐色の幹の上、まるで幹と葉で別々の物体にも思える半球状の形で、遠目から見た姿は緑の笠を持つ巨大なキノコだ。

 その巨木の幹の上部、葉の笠の付け根からは、一筋の水流が光を反射して煌めいている。

 目に留めたピエールが目を輝かせながら叫んだ。


「水樹だーっ!」


   :   :


 水樹(すいじゅ)

 読んで字の如く水を湛える樹。水樹は太く長い根を大地の奥底まで一直線に伸ばし、地下水を汲み上げて幹から地面へ垂れ流すという極めて特異で一見すれば訳の分からない生態をしている。

 その性質の意図する所は主に、生物を味方につける為だ。


 安全且つ大量の水を供給してくれるこの樹は、水源の少ない地域では生物たちにとって正に救いの樹と呼ぶに相応しい。

 森の生物たちはこの樹で喉を潤し、身体を洗い、生きる糧とする。


 その為生物たちは本能的にこの樹の重要性を理解し、樹を守ろうと行動する。

 水樹にとって邪魔な周囲の植物を払い除け、樹を餌にしたり傷つけようとする存在を排除する。

 中には、養分のある土をどこからか掘り出して水樹の根元まで運ぶ生物までいるという。

 水樹はそれ単体では極めて弱く、他の植物に邪魔されて陽の光や土壌の栄養が減ればすぐに弱り、葉や幹も柔らかく外的要因による少しの刺激でも簡単に深刻な傷がついてしまう大きさとは裏腹に非常にか弱い植物だ。

 しかしその大規模且つ奇妙な共生関係により様々な生物に守られながら、今日も水樹は世界各地の森の中で生物たちに清い水を供給し続けている。


   :   :


 水樹の周囲はかなり広い範囲で雑草の一本も生えておらず、踏み固められた湿った土とその上にうっすらと残る大量の足跡が多数の生物の往来があることを示している。

 空は広く、青々と茂った水樹の葉が何者にも邪魔されることなく一心に太陽の光を浴びて揺れていた。


 樹の幹からは一筋の水流が流れ出し、根元に深い水溜まりのような池とそこから細く伸びる小さな小川を作り出している。

 澄み切った水の底に堆積するのはきめ細かく柔らかい泥ばかり。小石一粒、枯れ枝一本混ざっていない。


 姉妹が水樹の広間に到着した時そこにいた先客は、巨大な森林象が一頭、人間大の大蟻が三匹、鹿のペア一組、それに先ほど出会った巨大蛾が一匹。

 大きさの様々な計七体の生物たちが、奇妙なことに争うことなく並んで池の縁に口や鼻を付けている。


「どーよどーよ、ほんとにあったでしょ?」

「あったねー。ハルちゃん案内してくれてありがとね」

「あっ、やっ、ちょっとくすぐったいってばー」


自身の頭上で得意げに鼻を鳴らす妖精を、指先でくりくりといじり倒すピエール。

 指の腹で頭を撫でられるハルは、形ばかりの抵抗をしながらも満面の笑顔だ。


「それにしても、やっぱどこでも水樹の周りは平和だねー」

「ここに来ると心が落ち着きます」


話しながら無遠慮に樹の根元まで歩み寄り、背嚢を降ろし並んで腰掛ける二人。

 そのすぐ隣では大蟻が三匹、人の手ほどの大きさの鋭い顎を開閉させながら池の水を吸い上げている。

 自身の隣にやって来た客に驚きを感じたものの、相手をする気はないようだ。


 アーサーが見つめる中、吸い上げられた水が大蟻の体内をわずかに揺らし腹部の一部分へと溜まっていく。

 こうして溜めた水を、どこかにある彼らの巣で待つ幼虫へと運ぶのだろう。

 そして水樹の水を飲んで育った大蟻はいつか同じようにここへ来て水を溜め、今度は次の世代の幼虫へと水を運ぶのだろう。


 ぼんやりそんなことを考えながら、彼女は二人分の背嚢からそれぞれコップを取り出した。

 幹から流れる源流の水を二つのコップに汲み、片方をムカデの刺さったナイフを持ったままのピエールに渡す。

 二人並んで、水樹の水に口を付けた。

 水樹の巨大な根で直接汲み上げた地下水は地上の温度とは裏腹に氷で冷やされているかのように冷たい。

 ねっとり汗ばんだ二人の熱を吹き飛ばし、乾き切った身体の内側を清水が急速に駆け巡っていく。


「ふぃー……」

「はふ……」


大きく息を吐いて、脱力する二人。

 二人は追加で数杯水を飲み、更にピエールが自身のコップでハルに水を飲ませ始めた。

 その間に水を飲み終えた大蟻三匹、それに巨大蛾が水樹の元を去り、入れ違いで大きな豹が一匹やって来た。

 やはり彼もこの場所で客を捕らえたり争いを起こすつもりはないようで、大人しく水を飲み終えるとすぐに森の奥へ走り去っていった。


「はあ、お腹たぷたぷ。もう飲めない」

「どうします、先に洗いますか? 姉さんにはこの後もいくつか力仕事をして貰うことになりますが」

「んー、せっかくだからさっぱりしたいな。どうせまた汗かいても洗い放題だし」


二人は頷き合い、同時に背嚢を片手に携えて立ち上がった。

 アーサーが代わりにムカデを受け取り、ピエールはハルを頭に乗せて水樹の裏へぐるりと一回り。


 水樹の周囲には、大勢の動物たちが水を飲むでもなく幹に張り付くようにして身体を休めていた。

 若い鹿や小さな兎、被補食対象の中型昆虫など。

 本来追われる立場の生物たちが、近くに捕食者がいるにも関わらずのんびりと時間を過ごしている。


 水樹の周りではいかな大型生物でも獲物を捕まえることはせず、ごく稀にいる自然界の暗黙のルールを逸脱しようとする者でさえ水樹を盾にされれば捕まえる手を止めるという。

 万が一水樹に致命的なダメージを与えてしまったが最後貴重な水源が失われ、そして原因たる自分が他の生物たちの怒りを買うことを理解しているからだ。

 故に水樹はただ水を利用する以外にも、休憩所として様々な生物に重宝されている。


 彼女たちがそれらの生物を眺めながら一回りした、水樹の裏には表にあったものと同じような水流が二つ。表が飲み水用なら、こちらは水浴び用だ。

 その水浴び池にも、現在三体の先客がたむろしていた。猛禽一羽と、鴨が二羽。宝石のように鮮やかな黄色い輝きを放つ嘴と爪を携えた猛禽の大きさは人間並で、横にいる鴨どころか姉妹二人ですら丁度いい食事に出来る大きさだ。

 にも関わらず、三体はのんびり思い思いに水辺で身体を冷やし休めている。


 洗い池の横に立つピエールが、いそいそと背嚢を降ろして衣服を脱ぎ始めた。

 頭上にハルを乗せたまま、器用に靴を、上着を脱ぎ捨てていく。


 一方のアーサーは、装備はそのままに池の縁にしゃがみ込んだ。

 彼女が覗き込んだ洗い池の中は、大勢の生物が脱ぎ捨てていった汚れがいくつも浮かんでいる。

 毛、羽、垢、小虫の死骸。

 中にはまだ生きている蚤も浮いており、水面で必死に脚をばたつかせていた。

 排泄物がなかっただけマシだろうか。


「……姉さん、中には入らないようにしてくださいね」

「はいよー」

「はよー」


アーサーの忠告にピエールが分かっているのかいないのか適当な生返事を返し、頭上の妖精もそれを真似して間延びした声を上げた。

 無表情のまま目を細め、それ以上何かを言うこともなく池から少し離れた場所に腰を降ろすアーサー。


 そうこうしている内に、ピエールが衣服を粗方脱ぎ終えた。武器の鞘やポーチも外し、ほぼ丸腰だ。

 上は薄手で色の濃いシャツ一枚、下は素っ裸。にも関わらず、色気の類はまるで感じられない。

 女性らしいくびれも少なく、遠目から見る姿はただの子供か、下手をすれば少年である。


「ひゃっほーい」

「ほーいほーい!」


調理用の小鍋を片手に、洗い池の源流へと裸足で駆けていくピエール。と、その頭上の妖精。

 彼女の薄皮のような服はそのままだ。

 最初に小鍋を少し洗ってから幹から流れる清い源流を汲み、ばしゃばしゃと頭に引っかけていく。

 頭上にいる妖精は黄色い声を出しながらもやはり頭上から動かず、満面の笑顔で一緒になって水を浴びていた。


「姉さん、髪」

「おっと、そうだった」

「やったげる!」


後ろで見守る妹に指摘され後頭部のリボンに気づいたところで、姉の頭上の濡れ妖精が勢いよく名乗り出て頭上から後頭部へ身を乗り出してリボンに手をかけた。


「んしょ、んしょ」


鮮やかな茶髪を括る桃色のリボンは結び目が固く、小さな彼女の小さな手で解くには少々難儀な大きさだ。

 んーんー呻きながら、頭上でリボンを引っ張り力を込める妖精。

 悪戦苦闘しているハルが姿勢を崩し、ピエールの髪をわずかに引っ張った。


「いてっ」

「あっ、ごめんピーちゃん。もーちょっとだから待ってて」

「ちょっと堅いかもしれないから落ち着いて解いてね」


ハルへと笑顔で返してから、ピエールは頭はそのまま視線だけを横へ逸らして離れた位置で周囲を見張っている妹へと目を向けた。

 じっと姉を見つめるアーサーの顔は、先ほどから一貫して表情の失せた仏頂面のまま。

 だがその心の奥に宿る感情とその変化は、姉であるピエールには一目瞭然だ。


 大丈夫だから、そんなに怒らないでよ。

 そう心に込めて、ピエールは仕方なさそうな顔で一度アーサーへと笑いかけた。


   :   :


 その後見張り役を交代して汗と土と熱気で汚れた身体を流し、洗える物を一通り洗い終えた二人。

 現在は水樹から数歩分離れた場所でアーサーがムカデの解体を行い、ピエールは小脇にハルを抱えて武器の手入れを行っている。


 いくつもの節が連なって出来ているムカデの胴体。その節を頭側から一節、ナイフを押し込み力を込めてアーサーは切り取った。

 切断したムカデの断面から染み出る、色のついた濃い体液。


 切り出したムカデの胴一節は上から見ると青みがかった黒い甲殻が強い光沢を放っており、まるで手のひらサイズの金属塊のようだ。

 胴を切り取ったアーサーは次にナイフを断面から、表の艶めいた甲殻の裏に沿って突き入れた。

 甲殻の内側に張り付いている肉をこそぎ落とすようにぐりぐりと抉り、十分切れたと見るやナイフを引き抜いて素手で甲殻を剥がしにかかる。

 めきめきめき……。

 樹皮を剥がすような、閉じた二枚貝を開くような、そんな調子で何かが引き千切れる感触と共にムカデの胴から甲殻が剥がされていく。

 少し強引に胴から黒い甲殻が剥ぎ取られ、最後に水で流すとふるふると揺れる柔らかいムカデの身が露わになった。

 黄土色で、あまり食欲をそそる色ではない。

 胴の下部、地面側の甲殻はそのまま、そこから更に肉を裂いて内臓などの不要物を取り除けば一通りの処理は完了となる。


 アーサーは処理した一節を脇に置き、剥がした甲殻を斜め横、ぎりぎり視界に入る位置へ適当に放り投げた。

 すぐさま周囲で待機していた小動物が群がり、わずかに残る肉の破片と一緒に投げられた内臓を貪る。


 次に彼女は甲殻を投げるやいなや脇に置いてあったムカデの胴本体を掴み、鞭を扱うように一振り。

 こっそり近づいて解体した身そのものを掠め取ろうとしていた狐が顔を強かに打たれ、ひぃんと一鳴きして逃げていった。

 水樹の近くとはいえ、油断は禁物だ。

 周囲へ視線を巡らせ機会を伺う盗人たちを無言で威圧してから、アーサーは再び次の節を切り取り甲殻を剥ぎ始めた。


 一方。

 妹の向かいに座るピエールが武器、今は細剣を水で流し、布の切れ端で刃の汚れを拭っている。

 長い森林行で染み着き乾燥した汚れは強固で、中々手強い汚れだ。


「取れないねーこの汚れ」

「ねー。まあどうせ綺麗にしてもまたすぐ汚れちゃうから、掃除するのは刃の部分だけだけどね。アーサーも刃の手入れだけでいいって言ってたし」


布を挟んで刃を親指と人差し指でつまみ、力を込めて何度も擦ると赤緑の刃から緑が消え、薄紅の本来の刃の色が戻った。

 だが、刀身の長さと比べると綺麗になったのはほんの少しだ。

 少しずつ地道に、淡々と作業を進めるピエール。


「ねーねー。そーいえばさ。ピーちゃんたちは山をとーってどこに行くつもりだったの?」

「ここを東、こっちね。で、この方向に抜けて少し歩くと……えーと……なんて名前だったかな……。とりあえず、結構大きめの町があるんだ。そこに行くつもり」

「え、そーなの? この先に、ニンゲンさんの町があるの?」

「うん、そうだよ。ハルちゃん知らなかったんだ」

「……だって、あたし森から出たことないし。誰も教えてくれる人……いないし……」


ピエールの返答は何気ない一言だったが、妖精にとっては突かれて痛い部分だったらしい。言葉尻を濁らせて俯いてしまった。

 小柄な少女の膝の上で、小さな妖精が膝を丸め更に小さく縮こまる。


「ごめんごめんハルちゃん、馬鹿にするつもりだった訳じゃないんだ。ずっと地元で暮らしてたら他の場所のこと知らなくてもしょうがないよね」


慌ててピエールが弁明し、剣の柄を握っていた綺麗な方の指で膝に座るハルの柔らかい胸元をくすぐった。

 自身の大きな胸を撫でる人差し指を両手で掴み、俯いたまま歯を立てて甘噛みする妖精。


「ハルちゃんごめんね、機嫌直して」

「……ゆるす。ぎーっ」


最後に一度少し強めに指先を噛み、ハルは顔を上げて再び笑った。

 彼女の座席である少女も同じように笑い返す。

 小さな歯形の付いた指で剣の柄を再び握り、ピエールは武器の手入れを再開した。

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