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姉妹冒険者物語  作者: 並野
夜鳴谷森林紀行
30/181

04

 昼間の森はやや暑く、歩いているとその身体にじっとりと汗を滲ませる。

 空の開けた場所で石の上に座り昼食がてら小休止の最中の二人も、額にいくつか汗の玉を浮かべていた。谷を抜ける風もどこか湿り気と熱気を孕んでおり、暑さを払うには力不足だ。


「暑くて喉が乾くねー」

「すみません、あそこで掠り傷さえ貰わなければもう少し水を出す魔力の余裕が出来ていたのですが」

「いやそれはしょうがないよ、ごめんちょっと嫌味っぽく聞こえちゃったかな。……ハルちゃんはどう? 暑くない?」

「んーん? あたしあんまり暑いとか寒いとか気になんない!」

「そりゃ羨ましいなー」


妖精の言葉を明るく笑い飛ばし、ピエールは携帯用の堅パンを齧った。

 薄緑色で太い棒状のそれはさながら折れやすい枯れ枝のようで、堅さはあるもののポリポリと簡単に噛み砕くことが出来る。

 それは三角豆と呼ばれる特殊な豆だけを使った、三角豆粉堅パンという食料だ。味も麦のパンとは違うどこか菜っ葉に似た青臭さがあり独特な風味を持っているが、塩気が利いていて食べ物としては十分な、それこそ臭い魚やどうしようもない蜘蛛肉などと比べればずっとまともな食事と言えよう。


「ねーねーピーちゃん」

「なんだいハルちゃん」

「それおいしー?」

「結構美味しいよ。食べてみる?」

「わーい!」


食事に興味津々といった様子で、パンをかじる彼女の周囲を高速で飛び回るハル。

 ピエールが食べかけのパンの端を折って差し出すと喜び勇んで両手で受け取り、やはり飛び回りながら先端に口をつけた。

 かりかりかりと、羽ばたく飛行音に紛れて彼女のリスじみた小さな咀嚼音が響く。背丈の小さな妖精にとっては、切れ端でも結構な量だ。


「んー、しょっぱい!」

「そう? 私には程良かったけどなー。妖精さんにはしょっぱかったかな」


びゅんびゅん風切り音を立てながら飛び回るハルを尻目に、食事を続けるピエール。

 一本、二本、三本。景気よく豆パンを消化し、二十本食べた所で水筒の水を呷って一息ついた。

 目の前では、アーサーがピエールよりいくらか遅いペースで十五本目に口をつけていた。


 無言のままピエールが見上げた先には木々の外枠に挟まれて青空があり、そしてその空の中心部、真上には高々と太陽が輝いている。

 天気は変わらず快晴で、煮え滾るような太陽を手で隠した先、太陽のすぐ横を翼の生えた四足獣のような影が悠然と羽ばたいていた。


「いい天気だなー……。さっきまで森の中だったしこの光だけ見ると気持ちいい、光だけなら」

「暫くは雨なんて降りそうにありませんね」

「ここはねー! 雨は全然降らないよー! たまーにいっぱい降るけど!」

「前に降ったのはいつですか?」

「んー? えーと、えーとねー……ちょっと前! すごいいっぱい降って、地面がびしゃびしゃだった!」


ハルの返答は曖昧で、情報としてはあまり役に立たないものだ。アーサーは無言で少し考えた後、


「最後に雨が降ってから、どれくらいの回数夜を迎えましたか」


少し聞き方を変えて尋ね直した。


「夜のかいすー? んー……にじゅーか、さんじゅーくらいかな?」

「その前の雨からは?」

「んー、えー……? わかんない……」

「そうですか。十分です、どうもありがとう」


どう聞いても感情が籠もっているとは思えない抑揚のないアーサーの返事。

 しかしハルは小枝のように細い指先で自身の小さな頬を掻き、


「えへへ、どーいたしまして」


と笑った。


   :   :


 姉に遅れてアーサーも食事を終え、水筒に口をつけてから小さく息を吐いた。

 元々三分の一しか入っていなかった二人の水筒の水は、今はもうわずかだ。


「水が少し心許ないですね。生死に関わるほどではありませんが余裕が無いのは気分が良くない」

「ねー。もっと節約とか考えず気楽に飲めるくらいの量が欲しい」

「水? ピーちゃんとアーサーは水が欲しーの?」

「そうだよー。水も欲しいし食べ物も欲しい。ハルちゃんこの辺でどっか水のある所知らない? 泉とか川とかさ」

「知ってるよ?」


元々答えを期待した質問ではなかったのが、予想外にあっさりと頷かれたことで姉妹は一瞬言葉を失った。

 ピエールが、驚き混じりに再び口を開く。


「え、知ってるの? どこにある?」

「えっとね、そっちにずーっと行くと、水たまりがあって、それからあっちの端っこに、山の下から水が出てきてさらさら流れてる、それから」


そっち、あっち、と森の中で方角を指しながらいくつかの水源を示す妖精。

 しかし彼女が示した先はどれも森の中央や北端など、進行方向からは真逆の位置にあるものばかり。


「んー、どれも行くには方角が厳しいなあ。このまま同じ方向に進んだとして近い所無い?」

「このまま? えーとね、ちょっととーいけどさっきみたいに進んで、それから左にちょっと曲がった所に、水のなる木が生えてるよ」

「……水のなる木」


ハルの言葉を繰り返し、姉妹二人は顔を見合わせた。

 心当たりのある言葉に、顔を合わせたままにっと笑うピエール。一方アーサーはまだ信じ切っていないらしく、疑念がわずかに顔に現れていた。


「それじゃもうちょっと休んだらまた出発するから、その水のなる木の所に案内して欲しいな」

「いーよ!」

「わー、ありがとハルちゃん!」

「いーってことよー!」


空中で静止し、得意げに胸を張って笑うハル。

 彼女の胸は単純な大きさこそ妖精サイズなものの、体形は中々に豊満だ。小さくて大きな胸が、ふるふると揺れていた。


「ははは、ハルちゃんは可愛いなあ……おっ」


明るく笑い飛ばしたピエールが何かに気づき、自身の後方、西側へと目を向けた。

 アーサーも既にそちらへ注目している。


 開けた場所で休んでいる三人の前、入り組んだ木々の合間を、一匹の巨大な蛾がゆさゆさと巨体を揺らしながら遅々とした動きで羽ばたき現れた。

 蛾は人間の胴と同じくらい大きな丸々太った体を森の中で尚目立つどぎつい真緑の羽で浮かび上がらせ、姉妹二人を一切気にかけることなく森を西から東へと飛び去って行った。

 その姿を、静かに姉妹は見送る。


「なんともでっかい」

「あの子はねー、よくこの辺飛んでるよ!」

「巨大蛾ですね。大抵見たまま巨大蛾と呼ばれていて、他の呼び名は聞いたことがありません。鱗粉が毒薬の原料になり口吻が毒針、乾燥させた肝が薬、雌なら腹に抱えた卵が食材と役に立つ所の多い蛾ですが、危害を加えるとかなり強めの呪文で反撃してくるので下手に手を出すとただでは済みません。幸い一生を通じて完全な植物食で他の生物に襲いかかることは無いので、攻撃さえしなければ安全です」

「へー。……ていうかなんでアーサーいちいち解説するの?」

「こうして毎回説明しないと姉さん何でもすぐ忘れてしまうじゃないですか。この巨大蛾の話も過去に三回は説明してますけど、どうせ姉さん忘れてたでしょう?」

「えーそんなこと……」

「そんなこと、ありませんか?」

「……さ、そろそろ出発しよっか!」


薄目で睨むアーサーを視界に入れないよう意識して、勢いよく立ち上がったピエール。


「じゃあハルちゃんお願いね。暫くは東でいいんだっけ?」

「いーよ! 曲がる時はゆーね!」


ハルの言葉を聞いてから、食料の入っていた袋を収め背嚢を背負うアーサー。

 腰から草の汁で派手に汚れた赤緑の剣を抜き、ベルトポーチから方位計を取り出す。

 ピエールが準備を整えたのを確認し、二人は小さな同行者を携え再び道無き森の道を進み始めた。


   :   :


 空を木々に覆われた森の中は昼下がりにも関わらず薄暗く、その癖頬を舐める不快な暑気は木陰だろうと大した変化を見せない。

 二人の姉妹はどちらもうんざりしたような表情で、全身に薄く汗を纏いながら草木を切り払い森を進んでいる。

 先頭を行くアーサーの頭上には、汗で湿った金髪を手綱代わりに乗りこなす妖精の姿。されるがままの彼女は、うんざり顔の中にどこか諦めの色を匂わせていた。


 愉快そうにアーサーの頭上で揺られていたハルが、表情を一変させたのは森林行を再開してから暫く経った後のこと。

 全く代わり映えのしない森の、先頭を行くアーサーがある一点に足を踏み入れた時。

 ハルが手綱の髪を思い切り引っ張り、アーサーの動きを遮った。


「いづっ」


突然走った不意打ちの痛みにアーサーが呻き声を上げ、咄嗟に方位計を持つ左手で頭を押さえかけた。

 直前で左手の動きを押し留め、振り返って後ろの姉へと対応を求める。


「どしたの? そろそろ着く?」

「んーん。ちょっと左に行って。ここ真っ直ぐ行くとちょっと危ないよ」

「危ない?」


真意の計れぬピエールが疑問から聞き返した時、アーサーが前方へ視線と意識を向けながら一言呟いた。


「少し臭いますね」

「えっ、アーサーがそれ言う? 身体なんて洗えないし臭いのはお互い様じゃん」

「……体臭じゃありません、気にしないよう頑張っているのに思い出させないでください……!」

「あっ、違うのね。ごめんごめん……」


羞恥と怒りの混じった妹の訂正を聞いて、前方から流れてくるぬるい谷風に鼻をひくつかせるピエール。

 漂うのは、殆どが植物の臭いだ。直前まで藪を切り払って進んでいたこともあり、青臭い緑の臭いが周囲一帯に充満している。

 しかしその中に異臭が紛れ込んでいるのを、ピエールの鼻腔は確かに嗅ぎ取った。


 灰。

 物が焼けて、灰や炭になった後の臭い。それも焼きたてではない、焼けてから少し経った臭いだ。

 木だけではなく、生物の毛が焼けるような嫌な臭いも混ざっている。


「何か燃やした後?」

「臭いからしてただの焚き火や調理の後という訳ではなさそうです。もう少し雑な燃やし方、という印象でしょうか」

「この辺はね、真っ赤なトリさんがいるんだよ。周りのものを燃やして、くずくずになった果物とか焦げ焦げになった虫さんとか食べてるの。だから避けたほーがいーよ。燃やされちゃうかも」

「それ何だっけ、えーっと炎食べるドリー、みたいな感じの」

「……火食い鳥です。炎食べるドリー、って……」

「そうそう火食い鳥。それは近づかない方がいいね、ハルちゃん賢い」

「えへへ」


一行は前方から流れてくる焦げた臭いを避け、北寄りにルートを逸れ始めた。

 次第に臭いは遠ざかり、やがて嗅ぎ取れなくなる。

 危険な存在は、避けられるならそれに越したことはない。


   :   :


 先頭のアーサーが剣を振り抜き、切り飛ばされた蔦が宙を舞って落ちる。

 ある程度の空間を確保してから、今度はつま先と剣先で落ち葉の下の地面の具合を確認し問題が無いことを確かめ一歩進む。

 周囲の気配への警戒は怠らず、常に気を張っている為少しずつ疲労が蓄積し始めている。

 その後ろ、数歩分距離を開けて続くのはピエール。小さな妖精は、現在背の低い姉の茶髪の上に移動していた。


「アーサー、疲れてない?」

「まだ少しだけです。本格的に疲労したらこちらから言うので大丈夫ですよ」


小声で言い合いながら、少しずつ進む森林行。森の中はやはり暑く、不快感のある空気だ。

 効き目の強い虫除けのおかげで、羽虫に集られないのが唯一の幸運と言えるだろう。


「……ん」


森林行のさなか、一歩進んだ所で先頭のアーサーが声を上げた。

 同じくピエールも、何かに気づいたようで注意を前方へと向ける。


「……分かった?」

「大丈夫です」

「え、なになに? どーしたの?」

「この先何かいるよ。まあ見てて」


ピエールが一言尋ねるとアーサーは訳知り顔で一度頷き返し、姉の頭上の妖精を無視して自身の前方へ視線を向けた。

 彼女が眺める先は見渡す限り木々が高密度で生え、それ以外のものは何も見当たらない。

 少しの間そうして木々を睨んだ後、左手の方位計をポーチへ戻し屈んで石を一つ拾い上げた。握った石を太い木の枝の一点、よく見ると樹皮に何かが擦れたような跡が付いている場所に投げ当てる。


 ぐおん。


「ひゃっ」


小石が当たった瞬間。

 枝の上、葉に隠れた場所から人間の太腿ほどの太さがある大ムカデが勢いを付けて飛び出した。

 石の衝撃を獲物が通過したと勘違いし、ぶら下がり襲いかかったのだ。もし気づかずに下を歩いていれば、顔面に直撃していたであろう位置。


 だがそれも空振りに終わり、無防備な頭部にアーサーが剣を一直線に突き込む。

 ムカデは暫く全身をばたつかせていたがやがて支える力を失って枝から落下し、改めて頭を切り落とされたところでようやく痙攣するのみとなった。

 一連の流れで悲鳴を上げたのは、離れた位置にいたハル一人だけだ。


「やりました。丁度いい食料入手です」

「蜘蛛の次はムカデかー……」

「こいつは凍土蜘蛛と違って中々美味しいんですよ。食べる所も多いですし」

「だから味の問題じゃないって……」

「……ニンゲンさんってこんなの食べるの?」

「食べたくないけど食べる物が少ないからね……」


うんざり顔で肩を落とし、ため息紛れに右手の指を頭上に伸ばすピエール。

 ハルと暫く指先でじゃれ合い、それから少し離れた場所にある獣道の存在に気づいた。

 今まで茂みばかりで道らしき物はどこにもなかったのが、ここに来て初めてそれらしいものが西から東へと続いている。


「道発見。ねえねえハルちゃん、これってもしかして」

「そーだよ。この先が水のなる木」

「おー」


手早くムカデの足を削いでいたアーサーもそれに気づき、獣道の続く先をじっと睨んだ。

 革の手袋越しに引っ掴んだムカデを垂らしたまま、わずかな間思案に耽るアーサー。

 生暖かい谷風に煽られ、ムカデがぷらぷらと揺れる。


「行ってみましょうか。……姉さん、これ代わりに持ってくださいね」

「えっ、やだ何で、やだ」

「私が持ってたら両手が塞がるじゃないですか。姉さんは手が空いているんですから持っていてくださいよ。二回も嫌だって言わないでください」

「うー……」


振り向いて左手と、その手に握られた足と頭の削がれたムカデを突きつけるアーサー。

 突きつけられたピエールは歯を剥き出しにしたあからさまに嫌そうな顔で拒否の意を示したが、アーサーが同じように歯を剥き出し強制の意で返した為渋々といった様子で腰から小さなナイフを取り出した。

 左手に握り、ムカデの節の部分を刺して受け取る。

 ハルが気持ち悪いものを見る目で、ピエールの頭の上から垂れ下がるムカデの胴を見下ろしていた。

 二人は隊列を整え、獣道に沿って進み始めた。

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