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姉妹冒険者物語  作者: 並野
王国の竜
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観光者-02

 サンベロナの中心に真横に伸びる中央道。そこにある宿屋の建物の前に、ピエール、アーサー、ニナの三人は立っている。


 町の地面は石畳でしっかりと舗装されており、煉瓦や石で作られた建物が規則正しく並んでいる。軽く見回しただけでも、整備が行き届いているのがよく分かる風景だ。

 人通りは賑やかで、老若男女肌の色髪の色を問わず様々な人が行き交っている。人々の表情も様々だが、総じて明るい顔の者が多い。

 地面がしっかりと舗装されている為、馬車も時折道を走っている。

 恵まれた町だ。アーサーは内心一人ごちた。


「さて」


アーサーが口を開くと、ニナがごく小さく震える。


「まずは町の」

「何か食べよう」


言いかけた所でピエールが口を挟んだ。


「お腹空いたから何か食べてからにしようよ。ニナとも色々話してみたいし」

「……少し早いですが、まあいいでしょう。ではまずは食事ということで」


一瞬反論しかけたものの、微笑んでそれに同調するアーサー。しかし笑みはほんの一瞬だけで、すぐに険しい顔に戻ってしまった。


「ニナ」

「は、はひ!」


アーサーが先ほどの笑顔とはまるで異なった冷たい声でニナを呼びつけると、彼女は引き攣った掠れ声を上げて返事をした。

 完全に怯えてしまっている。


 一応なりとも返事を返したニナだが、アーサーは指示を出すことはなく、黙ってニナを見下ろしている。

 少しの間を置いてから、ニナは震えた声でアーサーに問いかけた。


「あ、あの、わ、わ私に、何か、ご用、でしゅ、うか」


その返事に、わざとらしく音を立てて舌打ちするアーサー。ニナの顔が恐怖で凍りつく。


「何かじゃないでしょう。あなた今の話を聞いて痛っ!」


冷たく言いかけた非難の言葉は、ピエールが隣にいる妹のすねをかかとで蹴りつけたことで遮られた。

 目を見開き、うずくまってうめくアーサー。しかし蹴りつけた当の本人は平然とした様子で、妹の存在を無視している。

 突然の事態に、ニナは表情も身体そのままに硬直していた。


「私お腹減っちゃってさ、まずは何か食べてからにしたいんだよね。この近くで何か食べられる所に案内して欲しいな。屋台みたいなのでもいいよ」


そう言って屈託の無い笑みを向けるピエール。

 その表情とアーサーからの対比、それに身長差による圧迫感が無いこともあってニナはわずかながら緊張が解れたようだった。

 意を決して何度か大きく深呼吸してから、ゆっくりと言葉を紡ぎ始める。


「あ、あの、それなら、ここの、すぐ近くにある、鳩麦堂ってお店が、安くて、色々出して、くれ、ます。あとは十分ほど歩いた所に、ほ、星の雫という名前のお店がありも、あります。でも、こっちは凄く、高いって評判で、私は入ったことが、はぁ、はぁ、ないです。近くに、ある、食事を出して、くれる場所は、この二箇所、はぁ、はひ、だけです。食べ物の、露店は、町の、ま、町の、中央にある、広場で出てます、ここからだと、五分くらい、かかるま、かかり、ます。……私が、分かるのは、これくらい、です」


途切れ途切れになりながらも言い終えたニナが、前髪の奥に隠れる不安げな瞳をちらちらと逸らしながら向けた。

 対するピエールの顔は、満面の笑顔だ。


「それだけ教えてくれれば十分! 凄いよニナ、よく知ってるね」


満足げな顔で、ニナの頭を撫でくり回すピエール。

 ニナは身体を縮こめ緊張しながらも、小さくはにかんでされるがままだ。


「それじゃその鳩麦堂ってお店に連れてってよ。そこで一緒に何か食べよ」

「は、はい。分かり、ました。……そ、その」


ピエールの言葉に頷いてから、ニナは横目でちらりとアーサーを見た。先ほどまでうずくまってすねを押さえていた彼女が、痛みを堪えた顔で立ち上がる。


「姉さん、お願いですから手加減してください……」

「えー、ちょっとは加減したよ。第一すぐそうやって人に意地悪しようとするのが悪い。ほらニナ、アーサーなら大丈夫だから行こ」


促されて、ためらいがちに先頭に立って歩き始めるニナ。横にピエールが並び、後ろにアーサーが続く。


「姉さんの『ちょっと加減』は加減になってない……」


涙目の抗議は、町の喧騒に飲まれてピエールに届くことはなかった。


   :   :


 酒場兼食堂『鳩麦堂』は妖精の止まり木亭から歩いて二分もかからない、メインストリートから横に少し逸れた場所にある。

 他同様煉瓦で出来た一階建ての広い建物の上には、風見鶏が付いている。風はほのかに強く、今もくるくる回っていた。

 三人が入ると、中は沢山のテーブル席とカウンター席が並んでいた。時間帯の所為か人はまばらだ。


「いらっしゃい……おや、ニナじゃないか。それに後ろの二人は誰だい?」


カウンターの向こうの豊かな口髭をたくわえた中年男性が、ニナに声をかけた。

 ニナも、笑顔でそれに答える。


「こんにちはヘルマンさん。この二人は宿のお客さんなの。これから町の案内をすることになったんだけど、その前にご飯食べていくって」


ピエールやアーサーと話している時とはかけ離れた饒舌さでニナが言うと、酒場の主人、ヘルマンは驚いた表情でニナを見返した。


「人見知りのニナが客の案内とは。珍しいこともあるもんだな、はっはっは。さ、じゃあ適当な所に座ってくれ」


主人に促され、アーサーは真っ先に隅にあるテーブル席へと座った。店の全体が見渡せる場所だ。

 ピエールとニナも、同じテーブルの席へと座る。

 三人が席に着くと、すぐに二十代半ばほどの女性が注文を聞きに来た。そばかすの浮いた顔と後ろでざっくばらんにまとめた茶髪、それに明るい笑顔が印象的だ。


「いらっしゃい、何にする?」

「とりあえず飲み物を。何がありますか」

「飲み物ね。水、紅麦茶、ミルク、生搾りの林檎とモスピの実ジュース。林檎ジュースが二、モスピジュースが五、他は一ゴールド。水は何か食べ物を食べればサービスするよ。お酒はエール、紅麦酒、林檎酒、葡萄酒、モスピ酒、薬草酒……確かこれくらいかな。値段は順に二、三、三、五、十、十三。お酒は詳しく知りたかったらマスターに聞いてね」


店にある飲み物を、指を折って数えながら挙げていく店員。

 その中に聞き覚えの無いものが混じっていたことにわずかに反応しつつも、アーサーは平静を保った。


「ではミルクを……三つお願いします」

「あいよ!」


威勢のいい返事とともに、去っていく店員。

 店員が去っていくのを見送りながら、ピエールは安堵の笑顔をアーサーへと向けた。


「アーサーが三つって言ってくれてよかったよ。もしここでまた意地悪してニナの分だけ頼まないとかだったら折ってたかも」


さわやかな笑顔を崩さないピエールとは対照的に、若干引き攣ったアーサーの顔。


「……何を折るのか知りませんが、姉さんが妹に対してそんな真似をするような姉じゃないって、私は信じてますからね」


アーサーの言葉を、ピエールは否定することなく笑って受け流した。

 会話の隙間を見計らったかのように、店員が木彫りのコップを三つ抱えてやって来た。三つまとめて、テーブルの端に置いていく。


「はいよ、ミルク三つね」


ピエールとアーサーはテーブルの上に置かれたそれを各自手元へ引き寄せ、思い思い口にした。ニナも、小さくお礼の言葉を言ってからコップに手をかける。

 山羊かもしくは異なる家畜か、そのミルクはやや臭みがあるものの味が濃くまろやかだ。


「後は何か食べるかい?」

「はい! 甘いものが食べたい!」


店員の言葉に、ピエールが真っ先に食いついた。期待に満ちた笑顔で店員を見つめている。


「この町は……なんだっけ、何とかって植物で砂糖を作ってて、それで砂糖が安くいっぱい使えるから色んな甘いものが食べられるって聞いたよ。だから甘いものがいいな、甘いもの!」


ピエールの興奮ぶりを見て、アーサーは若干わざとらしくため息をついた。


「全くしょうがないですね姉さんは。とはいえそれで構いませんが」

「あれ、何か素っ気無いね。アーサーだってすっごい楽しみにしてたのに。そもそも最初に甘いもの食べれるからここに来ようって言ったのは」

「では甘味ということで。予算は一人五ゴールドで三人分。内容はお任せします」


ピエールのつぶやきを、アーサーは力強いはっきりとした声で即座に遮った。

 表情は平然そのものだったが、その頬にはほんの少しだけ朱が差している。

 一連のやりとりを見て、くすくすと小さく笑う店員の女性。嫌味の無い、人当たりの良さがにじみ出るかのような明るい笑顔だ。


「君たち面白いね。五ゴールドならいいのがあるよ、でもちょっと時間かかるから待っててね」


アーサーの曖昧な注文にも答えに窮することなく、気持ちのいい返事を残して店員は奥へと引っ込んでいった。

 それを見送り、少しの間を置いてピエールとニナの視線がアーサーへと集中する。

 ふいと顔をそむけるアーサー。


「別に恥ずかしがること無いのに。女の子なんだから甘いものが好きでもいいじゃん、ニナだって甘いもの好きでしょ?」


話を振られたニナも、無言ながら強く頷いた。

 しかしアーサーの顔は若干不機嫌そうだ。返す返事も、やや歯切れが悪い。


「別に恥ずかしがってる訳じゃありませんけど……」

「ふーん、本当かな? まあいいけどね」


そう言ってピエールが微笑むと、アーサーの表情も少しだけ穏やかなものになる。

 アーサーの一面を知って、ニナの表情と緊張も若干和らいだようだった。


   :   :


「よし、それじゃこれから暫く一緒にいるんだし自己紹介しよっか。まずはアーサーからね」

「随分突然ですね」


唐突な話に、アーサーは眉根を寄せた。

 しかし、先ほどの『折る』発言のこともありニナのことを邪険にするのは気が引けるようだった。

 渋々といった様子で自己紹介を始めていく。


「……私の名前はアーサー、そこにいるピエール姉さんの妹で、特に凄い所も無い極普通の冒険者です。先に言っておきますが私も姉さんも名前は男ですが性別は女なので。名前についてからかったりしたら本気で怒りますから気をつけてください」

「名前はね、私たちの家のしきたりなんだよ。私のお母さんも、お爺ちゃんも、そのまた上もピエールって名前なんだ。これでも名前には誇りを感じてるからあんまり言わないでね」


補足の言葉に、ニナは首だけを振って頷いた。それから緊張が抜け切らない様子で、


「よ、よろしく、おねがいします、アーサー、さん」


と搾り出すように口にした。


「次は私ね。私はピエール、さっきも言ってた通りアーサーの姉だよ。アーサーも言ってたけど、私たちは二人で冒険者してるんだ。ここには船で西のサリエットに来て、そこから歩いてここまで。好きなことは冒険すること、それから頭と顔全体を覆う兜に何かこう、ぐっとくるね。好みが女の子らしくないとはよく言われるけど……。歳は私が十八、アーサーは十六。これからしばらくよろしくね、ニナ」


にっこり笑って手を差し出すピエール。ニナが遠慮がちにそれに応じて、軽い握手が交わされた。

 それを見ながらコップのミルクを啜るアーサーの顔は、若干不機嫌そうだ。


「よ、よろしく、お願いします、ピエール、さん」

「よろしくね。さあ次はニナの番だよ」


ピエールの言葉に頷いて、ニナも話し始める。


「私の名前は、ニナ、です、お父さんが、あの宿の店主なぬ、なので、いつも、手伝いをしてます。内容は、大抵掃除、たまに、買出しに行って、ます。歳は十一です。よ、よろしくお願いしまし、します」

「うんうん、よろしくねニナ」


小さく頭を下げたニナを、ピエールは満足げに笑って答えた。


「あの宿の掃除はあなたがしているんですか?」


今まで黙っていたアーサーが、唐突にニナへと質問をぶつけた。

 表情はやはりしかめっ面のままだ。突然話を振られたニナは、動揺して言葉が上手く出てこない。


「あ、あの、その、は、はい、掃除は、ほ、殆ど、全部、私が、し、してます」

「そうですか」

「アーサーはあの宿結構気に入ってたからねー。中身はきっちりしてるって褒めてたよ」


どもりつつも時間をかけて必死で答えたニナの返事とは対照的に、アーサーの返事は極めて素っ気ない。

 ピエールの補足の言葉を聞いてようやく、ニナは安堵のため息を洩らした。

 会話がひと段落ついた所で、店員が盆に皿を三つ載せてやって来た。離れた所からでも香ばしい香りが漂っており、ピエールが真っ先に反応する。


「はいお待たせ、林檎の紅麦ケーキ三つだよ! お皿も熱いから気をつけてね!」


盆の上の皿とフォークを、ミルクの時とは違い三人の前にそれぞれ並べていく店員。

 分厚い陶器で出来た直径十センチほどの深い丸皿に、照りがついた焼き菓子がぴったりと収まっている。

 照りのついていない部分の生地本来の色は小麦よりやや色が暗く、湯気とともに立ち上る香りも小麦とは少々異なったものだ。

 アーサーが懐から飲み物代も含めた二十一ゴールド、計三枚の硬貨を取り出した。それを手渡すと、店員は笑顔を一つ返す。

 そのまま早々に引っ込んでいく店員を尻目に、アーサーは無言でフォークを手に取ってケーキへと挿し入れた。

 少し切って隙間を覗くと、しっとりとした生地の中にたくさんのりんごがつまっているのが見える。


「ニナ」


アーサーは隣で黙々とケーキを口へと運び始める姉をちらりと一瞥してから、ニナに話しかけた。

 ケーキに挿し込まれる寸前だったフォークが、ニナの手からするりと滑り落ちる。


「は、はい! アーサーさん、奢って貰ってありがとうござみ、ございます! いただかせていただきましう!」

「……そうではなく。食べながらでいいので食事中は私の質問に答えてください」


呼びかけられて反射的に身を固くしたニナに、アーサーはため息をひとつ付いた。


「わ、分かり、ました。そ、それで、その、な、何でしう……」


食べながらでいい、と言われたもののニナは身構えたままだ。


「紅麦って何ですか? 初耳ですが」

「……え?」


ニナは一瞬の間口を半開きにしたままぽかんとしていたが、思い当たる節があったようですぐに納得したような表情を浮かべた。


「あ、そ、そういえば、紅麦は、この辺でしか食べないって、聞いたこと……」

「そのようですね。サリエットでも見ませんでした」

「は、はい。他の町に、輸出とかも全然してなくて、それで、その……」


ニナは暫く口元をもごもごさせながら続けて何か言いかけていたが、やがて諦めたように口を閉じた。

 深呼吸をゆっくり十回。その様子を、アーサーはもう慣れたとばかりに黙って見つめている。


「紅麦は、その、この町で主食にしている穀物です。花や茎が赤いのが特徴で、実そのものが紅色という訳じゃありません。収穫時期はもうすぐで、た、食べ方としては、実をそのまま煮てお粥にしたり、粉にして、捏ねたものを……すう、はあ、すう、はあ。……焼いたり、丸めてスープの具にしたり、します。あとお茶とかお酒にもなるま、なります。主食ですけど、その、お金が無い人は、その、紅麦じゃなくて、ライ麦の黒パンとか、その、クラッカーを食べることが、多いそうです。私は、ライ麦と紅麦は半々くらいでたぼ、食べます、けど、やっぱり、紅麦の方が、おいし」

「あなたの個人的な話はいいです」


「え、あ、ご、ごめんなさい」


話を遮られて、ニナはしょんぼりした表情で俯いた。


「ということは、来る時に見た赤い花畑は紅麦畑だったということでしょうか。味は……」


ここでようやく、アーサーは目の前のケーキをフォークで切り取って口へと運んだ。

 その仕草は上品で堂に入ったものだが、冒険者らしい薄汚れた格好のおかげで少々アンバランスだ。

 ニナは、そんなアーサーの様子を注視したまま動こうとしない。先程手から落ちたフォークが、未だ所在なさげにテーブルの上に転がっていた。

 むくむくとケーキを咀嚼するアーサーと、じっとそれを見つめるニナ。

 そしてその横で一言も喋らず食事を続けるピエール。

 少しして口の中のものを嚥下し終わったアーサーが、無言でフォークを置いた。


 こらえ切れずに、アーサーの顔が破顔する。

 それはまるで、長い間世話をしていた草木の花がようやく咲いたかのような。

 凍える冬を乗り越え、ついに暖かな春が訪れたかのような。そんな輝くような笑顔。


「むふっ」


……とは少し違う、少々品の無い子供じみた卑しい笑顔だ。ニナの顔が恐怖とは違う要因で、わずかに引きつった。

 しかしそんな笑顔になったのも一瞬だけで、アーサーの表情はすぐにいつもの無愛想な顔に戻っている。


「中々美味しいですね。確かに小麦とは風味が異なりますが、これはこれで悪くない。むしろこちらの方が好みかもしれません。それにこの贅沢な砂糖とりんごの量。五ゴールドでこれは流石砂糖の生産地といった所でしょうか。こんな甘い物を食べたのは久しぶりです」


笑顔になどならなかったかのように、フォーク片手に菓子の寸評を行うアーサー。

 それを、ニナはおかしなものを見るような目で見ていた。少しの間を空けて、思い出したようにピエールへと声をかける。

 この時、ニナはようやくピエールも食事の仕草が冒険者とは思えないほど様になっていることに気付いた。無論、格好と合わせてちぐはぐな印象になっていることも。


「ピ、ピエールさん、どうです、か……ピエ、、ピエール、さん?」


話しかけられたピエールはフォークを動かす手を一旦止め、困ったような顔で苦笑い。それきり言葉を返すことなく、食事を再開する。


「姉さんは食事中は喋らないんですよ」


ピエールの行動に疑問を覚えたニナに、アーサーが補足を入れる。


「私たちは子供の頃に親から礼儀作法の類や基本教養など色々なことを仕込まれていたんですが、姉さんは特に食事のマナーが駄目でしてね。なのでそれはもう文字通り『叩き込まれて』いました。その結果、教わった殆どのことを忘れた今でも食事だけは完璧で、無駄口どころか普通に喋ることすら嫌がるようになりました」


喋ること自体はマナー違反でも何でもないんですけどね、とアーサーは小さく付け足す。


「そ、そうなんです、か」

「なので、食事中に姉さんと喋るのは諦めて下さい。……その間に話の続きをしましょうか。この町のことを色々と教えてもらいます。時間はたっぷりありますからね」


   :   :


 サンベロナ。北大陸の西方、海岸線から少し離れた場所に位置する町。南北には広大な森があり、東にはアルガ山脈と呼ばれる南北に伸びる巨大で険しい山々が聳えている。

 町の周囲は見渡す限りなだらかな平地が広がっており、農地として活用されている。

 アルガ山脈から吹き降ろす風は夏でもほのかな冷気を帯び、気候はやや寒い。


 西にはサリエットという港町があり、南は平地の更に向こうにある森を越えた先にアルティルスという町が、北は森の奥深くにかつてレールエンズと呼ばれていた王国がある。

 しかしアルティルスは現在森の魔物と戦の最中で行き来が難しく、レールエンズは五十年ほど前に病の風が吹いて崩壊。交流があるのは実質サリエットのみだ。


 この町の主な生産物は林檎、乳製品、砂糖など。特にティカネ草と呼ばれる植物を使って精製されるティカネ砂糖は需要が高く、サリエットを通じて様々な町、国へと輸出される。

 他には東のアルガ山脈から掘り出される金属資源や石材も、この町の主要な生産物だ。

 そうして得たゴールドと、サリエットという港町のおかげでこの町には様々な物が揃っている。中には不足している物もあるが、殆どの物は手に入るだろう。


 町は大まかに長方形の形をしていて、中心を東西に真っ直ぐ横切る中央道が伸びている。

 アルガ山脈で石材を豊富に調達出来る為、町の道路や外壁は常に修理を施され美しく整然とした景観だ。


 長方形の町を十字に四等分した、東側は住民の居住区。殆どの住民はこの東半分側に家を構えていて、その中でも裕福な家ほど南、南東側に集中している。

 北西には工業区があり、主に鉱物や砂糖の精製を行っている。

 残り南西側が商業区で、妖精の止まり木亭も鳩麦堂もこの商業区にある。町の外から来た人間ならば、南西の商業区の地形さえ分かっていれば十分だろう。


 町周辺の平野部には魔物の類は殆ど生息しておらず、小型の鳥や哺乳類が少数生息するのみ。

 北の森の奥深くには鱗人(ガット)と呼ばれる亜人の一種が、アルガ山脈には土砂や鉱石を主食とする金属ワームが生息しているが、どちらも己の住処から出ることはない。

 北の森に採集に入ったり山脈で採鉱を行う際などは危険と隣り合わせだが、町そのものが魔物の危機に晒されることは殆ど無く、資源豊かな平和で恵まれた町だ。


   :   :


「このくらいでしょうか。思っていた以上に知ってますねあなた」


ケーキを一口。アーサーが満足した様子で、椅子の背もたれに身体を預けた。


「お、お父さんや……町の人が色々……喋って、くれます、から……」


 満足げなアーサーとは対照的に、ニナはすっかり憔悴しきった表情だ。

 彼女の前にあるケーキも、三割程度しか食べ進められていない。アーサーは七割、ピエールはもう食べ切ってしまっている。

 どこからか取り出した褐色のハンカチで、口元をぬぐうピエール。ゆっくり時間をかけてぬぐい終えてから、ようやく口を開いた。


「おいしかった」


目を緩く瞑り、口元には穏やかな笑みを湛え、ほう、とため息を一つ。心からご満悦なのが誰の目にも見て取れる。

 しかしその微笑みもすぐに終わり、ピエールはアーサーに対し唇を尖らせた。


「で、アーサー。質問攻めも程々にしてあげなよ。ニナが全然食べれてないじゃん」

「私は食べながらでいいと言いましたし間を空けながら質問しましたよ。彼女の食べるペースが遅いのは私には関係ありません。……それに、どちらにしろここで聞いておきたいことはもう粗方聞き終えましたから」


ピエールは妹を非難するような目で見つめていたが、そ知らぬ顔でケーキを頬張る姿を見て諦めたように力を抜いた。


「ニナ、なんかごめんね。アーサーももう質問しないって言ってるからゆっくり食べて。逆に私たちに何か聞きたいことがあったらなんでも聞いてよ」


そう言って笑いかけると、ニナは疲労困憊といったなりで力なく笑った。


「いえ、大丈夫、大丈夫です、ちょっと精神的に、疲れただけです、から……町の外から来た人相手に、こんなに、一度に、沢山、喋ったのって、初めてで……」

「そう? まあなんというか、お疲れさま」


その言葉を最後に、場に一瞬の沈黙が訪れた。アーサーとニナは食事を続けている為、ピエールだけが手持ち無沙汰だ。

 ピエールが暇なことを察したのか、ケーキを口へ運ぶ合間にニナが深呼吸を行う。ゆっくり時間をかけて呼吸を整えてから、沈黙を破った。


「あのう……では、一つ、聞いても、いいですか?」

「おーいいよいいよ、何でも聞いて」


振られた会話に嬉々として飛びつくピエール。

 一方アーサーは、ニナが口を開いた瞬間一瞬だけ視線を向けたもののそれ以降は見向きもしない。


「お二人は、冒険者、なんですよね……? 魔物や人と、戦ったり、するんですか……?」


ニナの視線はまず腰にぶら下がっている武器へ、それから身体へ。

 外套越しに見えるピエールとアーサーの身体付きは、お世辞にも力強そうには見えない。女性にしては背の高めなアーサーはともかく、ピエールの体型はニナと大差がない。

 ニナの表情は若干の猜疑心が混じったものだったが、ピエールは確かな自信を湛えた顔だ。


「これでも私たちはまあまあ強いんだよ。そりゃあ最強って訳じゃないけど、力だって強い方だと思うし。……そうだ、見ててよ」


何を思ったか、自身の脇腹辺りにある上着のポケットに手を突っ込んで何かを探し始めるピエール。ニナはそれを興味深そうに見ているが、アーサーはケーキに夢中だ。


「これ見て」


ピエールが取り出したのは、薄汚れた一枚のコイン。

 輝きを失い茶色く変色した、十ゴールド硬貨だ。

 直径は約三センチ、厚さは三ミリほど。親指、人差し指、中指で挟むようにしてつまんでいる。


「……ちょっ、姉さ」


横目でちらりとそれを見たアーサーが、姉のすることを察して慌てて制止にかかった。

 しかし時既に遅し。


「ふんっ」


みりりっ。

 ピエールが指に力を込めると、コインはまるで柔らかい粘土を潰すかのようにひしゃげて、半分に折り畳まれた。

 更に指を躍らせて、コインを圧縮させていくピエール。

 めりっ、めりっ、めりっ。


「どやあ」


ピエールは得意満面の表情で、右手のそれをテーブルの中央へ放り出す。もう元の形の面影などどこにも無い、コインとは呼べないただの小汚い金属片だ。

 アーサーとニナは唖然とした、根本の感情は違えど同じ表情でそれを眺めている。

 少しの間を置いてから、ニナは感動した顔でピエールへ言葉を投げかけた。


「す、凄い力ですねえ、ピエールさん」


折り畳まれた元コインを手に取り興奮した様子のニナに対しピエールは得意げに笑顔を返そうとして、横で自らを睨みつけるアーサーと目が合う。

 ピエールの顔が、笑顔になりかけの形で固まった。

 ニナもすぐに雰囲気の変化に気付いて、俯き身を縮こまらせる。


「……姉さん? なんでよりにもよってお金使ったんですか?」

「い、いやその、これが力の強さを見せるのに丁度いいかなって、武器振り回す訳にもいかないし」


ゆらりと立ち上がり、椅子に座るピエールの横へと滑るように移動したアーサー。半眼で、至近距離から姉を睨みつけたまま視線を逸らさない。


「一回折り曲げて元に戻すならまだしも、これもう使えないじゃないですか」

「一回だけよりは、これ位した方が分かりやふいかなっへ、い、いいあああ……」


笑顔でごまかそうとするピエールの両頬を、アーサーは両手でつまみ上げた。

 ぐにぐにと、様々な方向へ引っ張られる頬肉。

 三週円を描くように引っ張り回してから、つまむ指は離れた。


「そもそも何で一ゴールドじゃなくて十ゴールドの硬貨なんですか」

「だ、だって一ゴールドじゃ薄くて簡単過ぎるし、十ゴールドなら一枚くらい無駄にしてもいいかなって、そ、そうだ! 百ゴールドは! 百ゴールドはまずいと思って使わなかったよ!」


百ゴールド硬貨を使わなかったことを、まるで手柄のように力説するピエール。

 言外に見え隠れしている単語は、「すごいでしょ」か「ほめて」のどちらかだ。

 アーサーは、呆れて二の句も告げない。やがて諦めたように自らの席に戻ると、無言で自分の懐から十ゴールド硬貨を二枚取り出した。

 そしてピエールへと当て付けのように笑顔を見せてから、別のテーブルに給仕をしていた店員を呼びつける。


「十ゴールド相当の菓子を二つ。先ほど同様内容はお任せします。希望は量より質で」


硬貨を受け取ると、店員はすぐにカウンターの奥へと引っ込んでいく。

 アーサーは穏やかな澄まし顔で、机に肘を突き両手を組むとそこへ顎を乗せた。


「え、ちょっと、アーサー?」

「ニナ、せっかくなのであなたにも追加でご馳走します。さて何が来るやら。ああ姉さんはそこで反省していて下さいね。十ゴールドを無駄にすることの重みを噛み締めながら」

「……ねえ、それずるくない? 何だかんだ言ってそれアーサーがもっと食べたいだけじゃないの? ねえ、私も食べたい、いいでしょアーサー、ねえ、話聞いてよ、聞いてってば」


姉の嘆願が、横にいる妹へは届くことはなかった。

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