28 その後
ゆっくりと食事を終えた二人は怪我を避けつつ念入りに清拭を行って身体を清め、ピエールは再度目覚めと眠りの間のようなまどろみに、アーサーはそんな姉の寝顔を見守りつつ、自身もうとうとと心と頭を緩めていた。
半開きの木窓の外では、多くの人々が賢明に町の復興作業に従事していた。
遠くには討ち取られた獅子頭の亡骸を回収する姿もあり、ピエールが一人で獅子頭の頭に叩きつけた瓦礫を大の大人が数名集まって必死でどかそうとしている。
アーサーはそんな彼らの姿をとろけた眼差しで、無感情に眺めた。
実質二人だけで獅子頭を討ち取った姉妹だが、アーサーはその亡骸の一切の扱いを町に任せていた。
その対価の一つに、町の神官からの優先的かつ入念な手当が含まれている。
本音を言えば亡骸の処理も全て自分が取り仕切りたいところだが、今のアーサーにとってはピエールを見守ることが最重要課題である。
それにカリシクの町はさほどがめつくないようで、姉妹には十分な報酬を出すことを昨日の段階で約束していた。
手元に金だけは十分ある以上、こちらも無理をして欲張る必要はない。
獅子頭の死体は強力な魔物だけあって全身余すことなく利用価値の塊だが、もうアーサーにはどうでもよいことだった。
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そうしてゆるゆると穏やかに身体を休めている姉妹。
彼女らの元へ、小さな一つの、覚えのある気配が近づいてきていた。
お互い何を言うでもなく目を覚まし、気を緩めつつ出迎える姿勢を取る。
控えめで小さなノック。
ピエールが明るい声で返事をすると、ゆっくりと扉が開き小さな人影が室内へするりと入り込んだ。
「あの……お姉さん……?」
「やっぱミアちゃんだった。どう? 無事?」
訪れたのは短い旅路の道連れとなった童女、ミアであった。
今はもう小綺麗な衣服に身を包み顔の青痣も無く、両手に杖を突くこともない。
完治した姿だ。
逆にミアの方が、未だ大怪我の跡が残り両目も包帯で覆われているピエールの姿に驚きを露わにしていた。
「お、お姉さんっ、大丈夫なんで」
思わず駆け寄ろうとしたミアをアーサーが制止した。
右腕一本伸ばして二人の間を遮り、辛うじて敵意は無い、という程度の無表情をしている。
「怪我人です。不用意に触れようとしないで」
「あっ……ご、ごめんなさい……」
「私は別に大丈夫だよ。アーサー、せっかくの再会なんだしそう邪険にしないで」
「……」
ピエールの言葉にアーサーは無言のまま右腕を引き、部屋の隅にあった椅子をベッドの脇へと移動させた。
ミアへ向けて動かした椅子を指し示し、自身は少し離れた場所にある別の椅子へ腰掛ける。
ミアはアーサーに小さく礼を言ってから、ベッドの側の椅子へ座った。
「お姉さん、怪我の具合は……」
「んー、まだ全然ぼろぼろ。でも神官の人がきちんと治してくれるって約束してくれたみたいだから大丈夫」
「そうですか……それなら良かったです……」
「ミアちゃんの方は? 顔とか綺麗にして貰った? 足は大丈夫みたいだけど」
「えっ……? え、ええ、顔も膝の怪我も全て治して貰いましたけど……」
「そっか。なら良かった」
部屋の外から聞こえた足音から、ミアの足の怪我は治っていると気づいていた姉妹。
しかしそれを知らないミアは足の完治だけ気づいていることに疑問符を浮かべながらも、ひとまず首肯した。
ピエールとミアが、お互い同じようにお互いの怪我をねぎらう。
「はあ……でも本当に良かったよ、ミアちゃんが無事で」
「本当にありがとうございました、お姉さん」
「ううん、いいっていいって……」
穏やかな優しい口調のピエール。
しかしその声音に少しよくないものが含まれていることに、アーサーは気づいている。
暫くの間、ピエールとミアは当たり障りのない、お互いの無事を称える言葉を交わし続けた。
そうして二人の言葉が途切れた頃。
「ところであなたはこれからどうするつもりですか? ……両親がおらず、立場としては難民孤児となりましたが」
アーサーは何の前置きも無くいきなりデリケートな話題に踏み込んだ。
ミアの表情が凍り、ピエールすらも驚きで口を半開きにして硬直する。
「アーサー」
低い声で妹の名を呼ぶピエール。
その声音には明確に怒りが含まれていたが、アーサーは分かっていてそれを無視しミアへ返答を促した。
ミアは悲しめばいいのか、嫌がればいいのか、苦し紛れに笑えばいいのかよく分からない顔で曖昧に応える。
「……教会のシスターさんが、身元を引き受けてくれるそうです。心配しなくても、ここは身よりのない子供を何の世話もせず放り出しておくような町ではない、って」
「そうですか、それは何より。……ところであなたは両親を」
「アーサー!」
ミアに対し尚も親の話を続けようとするアーサーに、遂にピエールが怒鳴った。
しかしアーサーは話を止めない。
断固とした意志で話を続ける。
「いきなり何言ってるの」
「……あなたは両親を、特に母親を喪いましたが」
「いい加減にして! 私怒るよ!」
「いいえ止めません、これは重要なことです。……あなたは母親を喪いましたが」
――姉さんを恨んでいませんか?
アーサーが話の核心に触れた。
ピエールは両目を包帯で覆いながらも口元だけで苦々しい表情を浮かべ、ミアは恐れと戸惑いと悲しみの中で、何かに気づいた、という顔をした。
「姉さんが私を優先してあなたの母親を見捨てたのは事実です。あの時はあなたの母親を背負って歩く体力の余裕はない、と判断しましたが、結果論ではあなたの母親を何かに乗せて引きずって運べば例の四人組に会うまで生き延びることは十分可能でした。……あなたの母親を、助けられる可能性は確かにありました。あなたは姉さんを恨んでいませんか?」
「……」
無表情で淡々と語るアーサーを、ミアは静かに見つめ返した。
真正面から、妹と子供の視線が交わる。
ややあってから、ミアは口を開いた。
「……もしもお母さんが助かっていたら、という可能性は、ずっと考えていました。この町に来る途中の夜も、昨日の夜も、夢の中にお父さんとお母さんが出てきて、胸が苦しくて、叫びたくなりました」
「ミアちゃん、いいんだよ、苦しい、辛いことをわざわざ言わなくても、大丈夫だから」
話しながら俯くミア。
その声色は鼻声に変わりつつあり、変化に気づいたピエールが制止しようとした。
しかしミアの言葉は止まらない。
「家族も、友達も、皆死んじゃいました。私は一人になりました」
――でも。
目尻に涙を浮かべながらも、ミアは俯けていた顔を上げ、包帯越しにしっかりとピエールの顔を見つめた。
「お姉さんを恨むなんてこと、ある筈がありません。お姉さんがどれだけ頑張って、辛い思いをしながら戦って、私を助けて、この町へ送り届けてくれたのか。私だって、ずっと見てきました」
椅子から立ち上がったミアが、ピエールの右手を握った。
妹のものではない、幼く小さな子供の手がピエールの右手を優しく包みこむ。
「私は本当に、お姉さんに感謝しています。私をここまで無事に連れてきてくれて、ありがとうございます。お姉さんのおかげで、私は助かったんです。お姉さんは、とてもよく頑張りました。……だから」
――お姉さんは、私のお母さんのことを、何も気に病まなくていいんです。
ミアが放ったその一言が。
ピエールの心に、ずっと刺さったままになっていた棘に触れた。
俯いたピエールが左手で顔を押さえた。
静かに深呼吸をして堪えようとしたが、涙の代わりとばかりに声が鼻声へと潤んでいく。
「……私は、冷たい奴なんだよ。最初は君を見捨てるつもりだった」
「いいんです」
「私は、妹が一番で、君のことなんて二の次三の次だったんだよ」
「大丈夫です」
「私は悪い奴なんだ、自分たちが生き残る為に沢山の人を」
「いいんです、お姉さん、いいんですよ。お姉さんは何も悪くない」
「ん、う……」
ふるふる震える鼻声で呻きながら。
小さな姉は、もっと小さな子供に慰められ続けていた。
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「……アーサーのばか」
子供の前でめそめそ泣いていたピエールは、ミアが部屋を去りアーサーと二人きりに戻ると、妹へ露骨に背中を向けて横になりぼそりと呟いた。
「私が何もしなければどうせ姉さんは何も言わないまま、心にしこりを残してこの町を出ていたでしょう? どうせなら全て言い合って後腐れなく去りましょう」
「ばか、きらい」
「姉さんが優しいのは重々承知していますが、余計な感情を背負い込み過ぎるのは間違いなく悪い癖です。他人の命は他人の命。もう少し割り切ることを覚えてください」
「アーサーきらい」
「……年下の子供相手に慰められてめそめそ泣いたのがそこまで恥ずかしかったのですか?」
「きらい!」
「そんなに言われると私も泣いちゃいます」
「……きらいじゃない、けどきらい!」
弱々しく叫び、ピエールはいじけて身体を丸めてしまった。
アーサーもそれ以降は何も言わず、微笑みを湛え姉の側で見守ることに徹する。
本当は、あんな子供を介さず自分の言葉で姉の心の蟠りを解消してやりたかった。
しかしこの件でアーサーがピエールの罪悪感を解消させることは絶対に出来ない。
何しろピエールは、他でもないアーサーの為に他者を見捨てたのだから。
今回以外のあらゆるケースでも、姉妹が他者を害したり見捨てる際、アーサーは常に共犯者だ。ピエールの罪悪感を解消出来る立場に立つことは出来ない。
故にミアを使い、強引に彼女の感情を引き出して蟠りを解消させた。
ミアが年不相応に聡い子で、姉の罪悪感を察していたことも目的を達成する為の一助となった。
だけどやはり。
本音を言うなら。
あんな子供に頼らなきゃいけないなんて、気に入らない。
アーサーの胸中は複雑で、そして少し幼稚だった。
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その後。
ピエールは妹に介助される日々を過ごしながら、ゆっくりと怪我の手当を受けた。
半月かけて喪った眼球を含め全ての怪我を完治させて貰い、数日の間改めて心身を休め、襲撃の直後ではあるが町の観光を楽しんだ。
そして観光がてら、失った装備や食料を一通り揃えて。
再び姉妹は町を発つ。
あれだけ苦難苦痛に苛まれたというのに。
再び心休まる人の生活圏を抜け出して。
寄る辺ない野生の世界へと、足を踏み出すのだ。
姉妹の旅は続く。
次の旅路は、平穏無事でありますように。
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活動報告でお姉ちゃんの旅路のあとがきを掲載しています。




