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姉妹冒険者物語  作者: 並野
お姉ちゃんの旅路
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22 五日目

「あ、あの、お姉さん」

「……うん」

「何だか、焦げ臭く、ないですか?」

「……」


ピエールは無言で俯いた。

 後ろからは何も見えていなかったが、ピエールの沈黙が肯定であることをミアは雰囲気で察していた。


 森の道に変化はない。

 石畳が続き、植物が生え、生物の痕跡が少ないままだ。


 そんな中、存在を現したのは臭い。

 植物が焼ける焦げた臭いが、西の先からじんわりと、ミアにもはっきり分かるほどに漂ってきていた。


 右手に盾を握った。

 握る手に軽く力を込め、握り具合を確かめる。


 ピエールは確信した。

 西の町までの長い数日間の旅路。

 その最後の最後に、何か(・・)が残っていると。


 表情に一切の余裕無く、何もいない周囲の気配に過剰なほど気を配りながら。

 静かに、踏みしめるように歩を進めていた少女たちは遂に森を抜けた。


 そこにあったのは、焼き尽くされ炭と灰にまみれた広大な農地帯であった。


   :   :


 一面焼き畑と化した世界を見つめて息を飲むミア。

 ピエールは左腕でそっとアーサーの手を握り、小声で尋ねた。


「……ここ、何の畑だったか分かる?」


――まめ


「勝手に燃え広がった? わざわざ燃やした?」


――かってに、えんしょう


「大勢ではない?」


沈黙による肯定。


 軍勢でなかったことを喜ぶべきか、

 少数精鋭である可能性を恐れるべきか。

 ピエールはため息を吐くべきか吐かざるべきか、複雑な顔で口を横一文字に結んだ。


 いずれにしろ進まない訳にはいかない。

 三人は先ほどの軽やかさはどこへやら、足取りは重く、舞い散る灰をかき分けるように西へと進む。

 じきにようやく待ち望んだ目的地である西の町、カリシクの外壁が地平線の果てに現れた。

 町へと近づくうちに、外壁の内側から立ち上る煙が目に入る。

 強烈な一つの存在感が、外壁の内側から感じられる。

 ピエールの心に諦めのような、自暴自棄のような、ネガティブで投げやりな感情が染み出してきた。


 つい昨日、豪傑熊が現れた時のように。


「ミアちゃん」

「……」


返事はない。

 まだ遠く離れていても、戦闘経験のない子供であっても、豪傑熊に対して感じたものと近しい何かが、町の中にいることに気づいてしまったのだろう。

 青ざめた顔のミアは苦痛や疲労とは違う要因で全身をかたかた震わせていた。


「まず、アーサーを降ろすから。……アーサーを引きずって、神官の人を探して。大棘鎧の毒にやられたって言えば、きっと治せる人がいると思う。……妹を、お願いね」

「っ……ぁ……」


いよいよ緊張が頂点に高まったミアは、まともに返事をすることも出来ない。

 身体が強張る中で、言葉だけが脳裏に反響していた。


 煙立ち上る町の外壁の合間を潜った。

 崩れた壁と、燃える建物と、所々転がる引き裂かれた死体と焼け焦げた死体たち。

 その中に、確かに主張する強大な一つの気配と、沢山の人の気配。


 町はまだ生きている。

 町に現れた何かとの、激しい生存競争のただ中にある。


 町へ入って少し歩いてから、気配を確認しピエールはアーサーを降ろした。

 アーサーの胴に括っておいたロープを、ミアの身体に引っかける。


「頼んだよ」


必死に杖を突きながら、アーサーを引きずって町の裏路地へと去っていくミア。

 アーサーの潤んだ瞳が、最後にピエールと交錯する。


「大丈夫、任せてよ」


ピエールは笑った。

 右腕に、左手に、太股に、全身傷だらけの身体で。

 身体の半分近くを包帯で覆った顔の、左側をくしゃりと明るい笑みに歪めて。


 最後に笑ったピエールが正面に向き直るのと同時に。

 それは炎上する建物の屋上からどすん、と音を立てて降り立った。


 体高はおよそ一メートル半、体長は四メートル超。

 美しい金色の毛並みは炎上する建物の上にいて尚焦げ一つ無く、身体に怪我らしい怪我は全く無い。

 背中には蝙蝠のような一対の皮膜の翼を持ち、肉球のついた野太い足は三対六本。

 首の周りは立派な紫色の(たてがみ)が囲み、巨大な獅子の顔面を彩っている。


 多足有翼の、空を駆ける巨大な獅子の魔物。

 ピエールに対し、見せつけるようにゆっくりと口を開き牙を剥き出しにする。


 短く苦しい数日間の旅路の、最後に立ちはだかる難敵。

 獅子頭(ししがしら)があらわれた。


   :   :


 獅子頭という名前の由来には諸説ある。

 数多(あまた)いる獅子たちの頂点に立つような強さを誇るから、獅子の(かしら)だ、という説。

 この魔物は太古の存在が複数の生物を掛け合わせ作り出した合成生物であり、最も特徴的な素材である獅子の頭を名称にしたのだ、という説。

 足の数や翼など獅子とは異なる特徴を持っており本当は獅子ではないのだが、頭部がたまたま獅子に似ているので最も特徴的な部分を名前にしたのだ、という説。

 真実は喪われて久しく、今はただ獅子頭という呼び名だけが残っている。


 いずれにしろ言えることは二つ。

 獅子頭は非常に強力な魔物であるということ。

 そして獅子頭は単なる力のみならず、多彩な呪文を操る恐るべき魔法使いである、ということだ。


 獅子頭が吠えた。

 牙を剥き出しにし、ピエールを真正面に据えたまま雄叫びを浴びせかける。


 家屋が竦み炎が震える魔物の雄叫び。

 常人であれば怯むどころか卒倒しかねない迫力だ。


 しかしピエールは一切怯まず、右手の盾を強く握り締めて一直線に獅子頭へ駆け出した。


 雄叫びを放っても、怯むどころか目すら逸らさず駆けてくる小さな人間。

 その姿に、獅子頭は目の前の存在を予想通り戦い甲斐のある敵だと認識した。


――ぐぉうるる。


 うなり声と同時に獅子の巨体が白く光った。

 魔力の白光が獅子頭の身体から溢れ出し、地面に一瞬、注がれる。


 石畳を破壊しながら地面から炎が吹き出した。

 溢れた水が石畳の隙間から噴出するかのように紅蓮の炎が勢いよく吹き出し、獅子頭の足下から前方へ鋭く地を這い伝播する。


 斜めに避けた。

 ピエールは立ち止まることも後退することもなく斜めに軌道を曲げ、吹き上がる火炎の刃をぎりぎりですれ違うようにして避けたのだ。


 獅子頭の巨体と比べれば、獅子に対する子犬のようにちっぽけなピエールの姿。


 それが獅子頭の眼前に肉薄した。


「っがあっ!」


咄嗟に振るわれた、自身の胴体ほどもある獅子頭の太い右足。

 それをピエールは盾持つ右手を真上から真下へ全力で振り下ろして打ち払って。


 勢いのまま空中で前転して踵を獅子頭の鼻先へ叩きつけた。


 獅子頭の握り拳のようなサイズの鼻の軟骨へ、靴の踵が回転のかかった勢いで叩きつけられる。

 ごりっ、と分厚い皮膚の向こうで何かが抉れ、硬い何かが砕ける感触。

 想定外の威力に獅子頭の顔面が真下へ仰け反り、巨大な顎が地面を打った。

 渾身の踵落としを見舞ったピエールは着地するやいなや即座に体勢を立て直し、地に顎を着けたままの獅子頭が振るった足を盾で受け流す。


 直後、反撃に移らず姿勢を下げて素早く側面へ逃げた。

 ピエールがいた筈の場所に、大人の足のような大きさの氷柱が二本突き立つ。


 側面方向へ避けたピエールは続けて盾と格闘で攻撃を仕掛けようとするも、氷柱が空中、至近距離から三、四、五、六、七と矢継ぎ早に突き立てられたことでたまらず後退した。


 後退させられ、仕切り直しとなった一人と一頭。

 叩きつけられた頭を起こした獅子頭はどろりと粘つく鼻血を垂らしながら、ピエールを見つめている。


 再び光った。

 獅子頭の放った魔力の光は頭部に集まり、更に骨を砕かれた鼻へと注がれる。


 光が収まった時、鼻の変形は完全に元通りになっていた。

 流れた後の血こそ拭えていないものの、鼻血の流れも停止している。


 回復呪文。

 獅子頭の脅威の根幹を成す、敵対者にとっての悪夢の力。

 獅子頭は多彩な攻撃、妨害呪文だけでなく、回復呪文を操って自らの傷を癒すのだ。

 生半可な手傷などどれだけ重ねても、獅子頭を討ち取ることは出来ない。


 ピエールが内心歯噛みした。

 何かの奇跡で、せめて回復呪文さえ使えない個体だったならば。

 そう祈っていたが、祈りが届くことはなかった。

 必然、戦いは相当な泥仕合になるだろう。


――ぅるるるる。


 低くうなる獅子頭。

 ピエールの先制攻撃も無意味であったと、あざ笑うかのように。

 獅子の顔が人のように笑みを形作ることはないが、そのうなり声を聞いた者にはまるで笑っているかのように感じられた。


 それでもめげずにピエールが再度距離を詰めようとするも、獅子頭は半歩後退したかと思うと勢いを付けて空へ飛び上がった。

 その巨体を浮き上がらせるには明らかに揚力が足りない翼の羽ばたきで、獅子頭の巨体がぶわり、ぶわりと重そうに垂直に飛び上がる。

 当然、飛ばれては接近も出来ない。


 獅子頭が氷柱を放った。

 直撃すれば胴が丸ごと消し飛ぶサイズの氷の槍が、何本も宙空に生成されては地面へと突き立てられる。


 鼠のように地を這い、必死に氷柱を避けるピエール。

 直前まで彼女がいた場所に氷柱がどぉん、どぉん、と轟音を立てて突き刺さり、石畳の破片が飛び散って背中にこつんとぶつかる。


 走り続けるピエールが突然急停止した。

 体勢を崩しながら強引に勢いを殺し、進行方向を直角に変える。

 倒れると同時に、本来なら通っていた筈の場所へ突き刺さる氷柱。


 先読みしている。

 獅子頭は闇雲に氷柱を放つのではなく、ピエールの動きを観察して進行方向に置く(・・)ように、動きを先読みして氷柱を放っていた。

 もしもピエールが氷柱の軌道を正確に把握せず、漫然と走っていたらあっさり氷柱に潰されて死んでいただろう。


 この不意を打つ先読み射撃には自信があったのか、回避された獅子頭が不満げに牙を剥き出しにしてうなった。


 うなったその瞬間には、巨大な目玉に瓦礫の塊が突き刺さっていた。


 突然片目を潰された獅子頭がパニックに陥りながら、それでも滞空を維持して前足で目玉を掻く。

 取れた瓦礫がごろん、と地面に落ちるのを確認してから、回復呪文で潰れた目玉を元通りに治した。


 再度瓦礫が飛来してまた目玉を押し潰した。

 ぬああ、と細く鳴いた獅子頭はたまらず建物の上へ逃げ、再び目を治す。


 獅子頭が一瞬の油断を見せた隙に、ピエールが転がっていた瓦礫を投擲したのだ。

 彼女が放った瓦礫は握り拳より大きく、人外じみた腕力で投げられたそれは人体であれば頭を容易く破裂させられる威力。

 しかし巨大な魔物相手では、目玉を潰すのみに留まっていた。


 建物の屋上へ退避し、目玉を治すのに夢中な獅子頭。

 その姿を一瞥してから、ピエールは周囲をざっと見回した。

 投擲用の瓦礫が転がる場所。通れそうにない道。通れそうな道。


 一旦獅子頭から身を隠し、距離を取ろうと試みたピエール。

 通れそうなわき道へ滑り込もうと駆け出す。


 空から黄金色の巨体が降りてきた。

 自身を踏み潰そうとするそれを避けて視線を向ければ、道を塞ぐように、獲物を逃がさないように立ちはだかる獅子頭の姿が目に入る。


「……目、付けられてる……しかも怒ってるし……」


どうやら獅子頭は、ピエールをこの場から逃がすつもりは毛頭無いらしい。

 既に完治した巨大な両目が、怒り露わに少女を睨みつけていた。

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