14 四日目
「はいなのです」
「ありがとうございますロッテさん」
未だ三人の決断を知らないステフに飲料を渡し、口をつけるのをさりげなく見届けるロッテ。
そうこうしている内に他全員に食事と飲料が行き届き、一同は朝食の時間となった。
「ありがとね」
眉尻を下げ控えめな顔で微笑むピエール。
その顔だけを見れば、とても人間離れした能力を持つ強者とは思えない。
まるで何も知らない無邪気な町娘のようであった。
そんな彼女を今から、膝枕されている妹共々殺すつもりなのだ。
これから殺す相手の顔をカクロロは真顔、ロッテは微笑みで真正面から見返し、エリアンは顔をそむけ斜めに視線を逸らして対応した。
ベテランであるカクロロはともかく、いざ土壇場となった時堂々と人を欺ける度胸はエリアンにはなく、ロッテにはあるようだった。
まず真っ先にカクロロとロッテが朝食を口に含み、続けて飲み物で流し込む。
そしてステフとミア、エリアンと続いて食事を口にし、エリアンは飲み物を半分ほど一気に飲み干した。
肝心のピエールは控えめな笑みのまま、未だ食事に手を付けず先に飲み物で口を湿らせていた。
カクロロ、ロッテ、エリアン。
彼らは何も言わず、ただ各々が持つ食器に目を落とし食事を続けている。
一見すると食事に夢中のようだ。
しかし。
三人の意識は、一心にピエールへと集中している。
言葉や態度に出さずとも、そんなあからさまな意識の動きを彼女が見逃す筈がない。
「……」
ピエールは、それをあえて指摘しなかった。
先ほど知られた胸当ての存在が原因かと予想はしたが、まさか危害を加えたりはしないだろう、と彼らを信頼し、一縷の望みを抱いて三人の集中をそのままに匙を舌の上に乗せた。
それで、終わりだった。
人間離れした感覚と経験が常人では気づけないほどのわずかな異常を察知し、ピエールは粥が乗ったままの匙を器に戻した。
花が枯れるように、微笑みがゆっくりと萎れて消える。
悲壮と失望がない交ぜになった顔で俯いて、横たわる妹を胸にかき抱こうとする。
「……これ、薬入っ」
突如ピエールが倒れた。
抱き抱えた妹を巻き込むように回転しながら姿勢を下げ転がって離れた。
直前まで彼女がいた空間に剣と矢弾が突き込まれ、エリアンとカクロロが素早く武器を構え立ち上がった。
ロッテも短杖を握り締めてエリアンの斜め後ろに陣取る。
「駄目みたいっすね」
盾と剣を構えたエリアンが、ぼそりと呟いた。
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「い、一体何をしているのですか、突然攻撃などして! エリアン! カクロロさん!」
「ステフ! いいからエリアンの元へ行け!」
食器が散乱し、一瞬にして静かな朝食の場から刃煌めく戦場の空気に様変わりした休憩所。
突然の空気の変化に全くついて行けないステフとミアを置き去りにして、ピエールと三人が見つめ合う。
三人は睨みつけ、ピエールは胡乱な無表情で。
「……一応聞いておくけど、やっぱり防具目当てだよね?」
「ああ、そうだ」
「私は薬も盛られなかったし、何もされなかったことにする。だから、止めてくれないかな」
「それはこちらの台詞だ。大人しくミスリルの胸当てを渡してくれるのなら、命までは奪わない。三人とも責任を持ってカリシクまで送り届けよう」
カクロロの通告に沈黙を以て応えるピエール。
彼の言葉によってステフもようやく事情を察し、エリアンを問いただそうとするもエリアンに襲撃の意思を翻すそぶりは見られない。
ミアだけが、その場に座ったまま呆然としていた。
「戦闘になれば容赦しない。お前の妹に対しても躊躇はしない。……人一人庇いながらどこまで戦える?」
「……おっちゃんは、もう少し賢い人だと思ってたよ」
ピエールが俯く。
未だ武具に手をかけることなく、空いている右手を閉じたり開いたり、ゆっくりと開閉しながら長くため息を吐いた。
「私のこと、分かってたんじゃなかったの」
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三、四メートルはありそうな距離を一歩で詰めたピエールがエリアンへと飛びかかった。
一瞬のうちに抜き放たれた汚れた短剣がエリアンの盾を削り落とし、火花と金属片をまき散らす。
「なんっ、うおおおっ!」
ピエールは続けて追撃を放とうとするもエリアンの剣が左腕に抱える妹を狙った為防御に回り、続いて援護で放たれた矢と光弾を避けて再度距離を取らされた。
たった一撃のやりとりだったが、エリアンの顔には冷や汗がじわりと滲んでいる。
「とんでもねえ……なんだこいつ……」
「気づくのが遅い! 援護は十分にする、気後れするな!」
叫びながら短弓から矢を二本立て続けに放つカクロロ。
一本は足へ、もう一本は相手が左腕に抱えている妹めがけて放ったが、対面の相手はまとわりつく羽虫でも払うかのような気軽さで二本の矢を弾いた。
甲高い音を立てて弾かれた矢がくるくる回転しながら宙を舞い、少しの間を開けて地面に突き刺さる。
カクロロが驚き目を見張った隙に、ピエールは再度一直線に三人めがけて駆け出していた。
獣のような俊敏さと低い姿勢で最前面に立つエリアンに肉薄してくるピエール。
ごすっ。
およそ金属同士がぶつかったとは思えない鈍く乾いた音。
エリアンの視界内、盾の裏側から、親指の先ほど短剣の先端が覗いていた。
ぼろぼろに消耗している汚れた短剣が、厚み数センチはある金属盾をわずかとはいえ貫いたのだ。
「なっ……うごっ!」
驚いた次の瞬間には吹き飛んでいた。
突きの直後に側頭部めがけて蹴りを放たれ、辛うじて右腕で防いだはいいものの右腕を砕いて尚衰えない威力で真横へと吹き飛ぶエリアン。
無意識のうちに受け身こそ取ったが、頭を強かに打たれ視界が白く染まったまま動けない。
「やらせないのです!」
意識朦朧のエリアンへ追撃せんと半歩踏み出したピエールだったが、ロッテが放った呪文の光弾が至近で爆発したことで妹を庇いながらの後退を余儀なくされた。
爆風で吹き飛んだ土くれがアーサーの頬に刺さり流血しているのが、ピエールの視界に映る。
「い、いけません! エリアンさん!」
再び一人と三人が距離を開けられたところで、慌てた様子でステフが意識朦朧としているエリアンの元へと駆け出した。
そのまま呪文で怪我を癒そうとしたところへ。
「神官が強盗の味方をするの?」
静かにピエールが呼びとめた。
ステフの動きと、呪文を唱えようとする口が硬直する。
「今の流れ分かってるよね? そこの三人が私の防具を奪う為に襲ってきてるんだよ。神様から与えられた力で強盗に手を貸していいの? 教会で祈る時、神様になんて言うの?」
「ステフ、気にすることないのです! 早く治して!」
「わ、私は……」
「奴からミスリルの防具さえ奪えれば大金が手に入る! お前も大金を教会に喜捨出来るんだ! そうすればより多くの人間が救える! お前だって更に多くの呪文を覚えられる筈だ!」
「強盗して得たお金を寄付するの? 私は信者じゃないけど、神教の神様が汚れたお金を喜ばないことくらい知ってるよ」
「それに! 仮に俺たちが殺されたあと、お前だけ生かして貰える保証はどこにもない!」
「ステフ! 早く!」
俯き歯を食いしばり信仰と現実の狭間で葛藤するステフ。
最後に、彼の行動を決定づけたのは。
あり得ない方向に折れ曲がっているエリアンの右腕と、ピエールの手に握られた短剣の刃であった。
「っ……!」
素早く呪文を唱え、エリアンの怪我を完治させるステフ。
意識を取り戻したエリアンはすぐに立ち上がり再び最前面に立ちはだかった。
「わ……私は、罪深い男です。ピエールさん、あなたのことは決して忘れません。この罪は、死ぬまで背負っていくことを誓います」
「そう」
震える声音と覚悟で告げるステフ。
しかしピエールは心底どうでも良さそうに一言で切って捨てた。
代わりに視線を横へと投げた。
四人を見つめる小さな童女へと。
「ミア……さん」
視線に気づいたステフがミアを見返し、その小さな眼にはっきりと浮かんだ失望の表情にたまらず目を背けた。
唇を緩く噛み顔ごと逸らす。
「ミアちゃん、早くこっちに来るのです。そこにいたら危ないのです」
注意をピエールから外さずに、ロッテはミアへと呼びかけた。
ミアの視線がステフからロッテへと向かう。
しかし小さな童女のその顔は失望と、不信と、困惑に染まっていた。
昨日の夜まであんなに和やかな雰囲気だったのに。
ようやく助かったと思ったのに。
気づけば殺し合いが始まっている。
ミアにはどうすればいいのか分からない。
「ミアさん、早くこちらに」
続けてステフにも呼びかけられるも、ミアの心はやはり驚き戸惑ったまま。
彼女が縋る思いと視線を向けたのは、ピエールであった。
「……」
暫し無言でピエールとミアの視線が交錯する。
ピエールは無表情のまま、不安に揺れる童女の目を見つめ返した。
「好きにしたらいいよ。私は何も気にしないから、自分が一番安全だと思うことをすればいい」
黙ったままのミアの瞳が、やはり不安げに揺れる。
しかしそれも数秒の間で、ミアは両手をきつく胸元へ押しつけながら、怯えを露わに四人の元、ステフやロッテより更に後ろの最後尾へとついた。
「……ほら、お前の味方はどこにもいない。大人しく諦めてくれ、汚らしい男女」
未だ残る苦痛をやせ我慢しながら、エリアンがにやりと笑った。




