12 四日目
虚ろな目を半開きにするともう夜が明け始めていた。
気づいた瞬間上半身を跳ね上げ、胸元に抱く妹の存在を確かめる。
至近距離で交差する姉妹の視線。
アーサーは未だ病人の顔ではあるものの、いくらか安らいだ表情でピエールを見つめ返している。
「何も無かった?」
小さな声で尋ねると、顎をかすかに上下させて肯定の意を示してくる。
ピエールは次いで腰にある武具、自身と妹の胸元の具合を確かめてから、白んだ空を見上げて大きく息を吐いた。
「……完全に寝てた……何の気配にも気づけてない……もし襲われてたら絶対死んでたぁ……」
はああああ、とへろへろの声音で長くため息を伸ばすピエール。
肺の空気を全てため息として吐き出してからすぐに切り替え、にへらと笑い飛ばした。
「まあ何も無いなら良かったよ。三人だけの時にこんな風にならなくて良かったと思わないとね。あの四人と会えて本当に良かった」
しみじみ呟くピエールとは対照的に、アーサーの顔が少し不満げに歪められた。
その変化は僅かなものだったが、ピエールにははっきり分かる大きな変化だ。
「どしたの? ……ああ、あの四人が不安? 大丈夫でしょ、あの耳のおっちゃんがちゃんと三人を纏めてるみたいだし、あのおっちゃん私のことすっごい警戒してたし。お金も払うって言ってるのにわざわざ喧嘩売ったりしてこないって」
ようやくまともな休息を取れ、これから先のことにも見通しが立ったことでピエールはやや楽天的になっているようだった。
アーサーはそれが少し心配であったものの、姉の言うことは事実でもある。
あの耳人の男、カクロロは姉妹の目から見てもはっきり分かるほどピエールを警戒し、敵対しないよう心がけていた。
あそこまで分かりやすくピエールを脅威と認識しているのなら敵に回ることはないだろう。
視線と言葉によるやりとりも終わり、二人は再びもう暫しの間まどろみの中に意識を浸していた。
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姉妹が目覚め、行動を始めるまでの猶予時間を満喫している頃。
ミアを含む五人は既に起床し、焚き火の前で茶を飲みながら歓談の最中であった。
「はいなのです」
「ありがとうございます」
ロッテから茶の注がれた金属のコップを受け取ったミアは、おずおずと一口啜った。
この辺りではモルモルという穀物を茶色く焦げるまで炒ったもので茶を淹れる習慣があり、ミアが受け取った茶もそのモルモル茶だ。
渋みもなくあっさりとした味わいで子供にも飲みやすい。尤も、あっさりとし過ぎており一般的な茶に比べるといくらか淡泊過ぎるきらいはあるが。
事実、カクロロとエリアンは好まないようで単に沸かしただけの白湯を飲んでいる。
「ミアさん、怪我の具合はいかがですか? よろしければ今からでも回復を施しますよ」
「あ、ええと」
「お布施は気にしなくていいっすよ、あの二人にツケとけばいいっす」
「エリアン、つまらないことを考えるな。ステフ、昨日貰った布施は相場より高かっただろう? 町に帰るまではこれ以上三人に布施を求めるなよ」
「ははは、勿論これ以上金品を要求することはありませんよ。元々彼女らから金品を頂くつもりはありませんでしたし、強欲が過ぎると神に怒られてしまいます」
「おっそうなの? じゃああの五百ゴールド俺に……」
カクロロに頭をはたかれるエリアンの隣で、朗らかな笑みで笑い飛ばすステフ。彼の好青年ぶりに、ミアは少しだけ気後れしていた気持ちが紛れたようであった。
カップを握る両手を胸元に抱えたまま、顔を上げてステフを見つめ返す。
「私の怪我は、もう大丈夫ですから。あとはあの二人、特にお姉さんの怪我を治してあげてください」
ミアの申し出に四人は各々程度は違えど驚きの表情を浮かべた。
彼女のざっくりと切り開かれた肩の傷の深さは四人とも目にしているし、ステフの昨日の呪文だけではまだまだ痛むであろうことも想像に難くない。
「……それは」
「あの姉妹に遠慮しているのか?」
「遠慮とか、そういうことじゃありません。ただ、あのお姉さんには危ないところを守って貰いましたし、何度も戦って沢山怪我をしているんです」
「そういえば、詳しくは聞いてなかったのです。ミアちゃんは一体どういう経緯であの二人と出会って、私たちと会うまでにどんなことがあったのです?」
ロッテの浮かべた疑問に他三人も同調したことで、ミアはぽつぽつと言葉を紡ぎ始めた。
町を魔物の群れが襲い、自分たちのグループは馬車でカリシクへ逃げ始めたこと。
山間の広場で一旦休憩していたところを、ここでも突然魔物の群れに強襲されたこと。
自分と母親だけは馬車から離れて焚き付けに使えそうなものを探していた為生き残ったが、父親含め一緒に逃げていた他全員は殺されてしまったこと。
その母も足を切断され歩くことが出来ず、ピエールがアーサーを背負って進むのに自分だけがついて行ったこと。
夜まで必死に後を追い、夜は死んだように眠っていたこと。
朝起きて気づいた、夜中の鼠蝙蝠との戦い。
この休憩所まで辿り着いたところで遭遇した石尻尾様との戦い。
肩を刺され、その怪我をピエールに縫って貰ったあとに四人と会ったこと。
それらを目に涙を浮かべながら語ったミア。
涙ぐんだのは単に両親のことを思い出したからなのだが、四人は過酷な道のりを思い出して泣いたのだろうと認識していた。
「おお……まさか、そのようなことが……」
「酷いのです……」
悲痛な表情で顔を伏せるステフとロッテ。
エリアンとカクロロも複雑そうな顔で押し黙り目を逸らすばかりだ。
「ミアさんの母君は別れの際もまだ生きておられたのですよね? なんとか……出来なかったのでしょうか……」
「あの二人……というか姉の方に運んで貰えば良かったのです。せめてここまで一緒に来られていれば」
ステフとロッテが続けた言葉に、ミアは無言で緩く頭を振ることで応えた。
あの状況でピエールに更にもう一人背負って運んで貰う、など到底頼めることではないのはミア自身よく分かっていた。
「そうすれば私たちが母君の手当も行って、きっと町まで送り届けてあげられたのに……」
だから。
彼らが"もしかすれば母親を助けることが出来た"などというありもしない可能性を語るのは、止めて欲しかった。
例えそれが、純粋な善意からくるものであったとしても。
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「おはよう、昨晩は何も来なかった?」
五人の語らいが一段落つきそろそろ朝食の準備をしようかという辺りで、まどろみから目覚めたピエールが妹を抱えて焚き火の元へとやってきた。
目元の隅はある程度薄れ、昨日とは見違えるほど晴れやかな顔をしている。
「……ああ、何も来なかった」
姉の言葉に口数少なく返事をしたのはカクロロ。
他四人もまばらに返事を行う。
「そっか、良かった。私、完全に寝入っちゃってたからさ」
からからと笑うピエール。
彼女が昨日までどれだけ気と身体を張っていたか知っている妹やミアはともかく、そのことを実感として知らない四人にはピエールの笑う顔は少々脳天気な姿として写った。
しかしそんな内心はつゆ知らぬまま、ピエールは焚き火の前まで身を寄せようとする。
三人が一斉に後ずさった。
下がらなかったのは姉に対して礼を逸したくないカクロロと、山間からずっと一緒にいて既に鼻が馴れてしまっているミアだけ。
「……えっ?」
ピエールの笑みが固まった。
思わずやってしまった、という後悔に顔をしかめるステフと、露骨に反応したことは申し訳なく思いつつも不快感は隠せないロッテとエリアン。
「あー……いえ……その……すみません」
「えっと……その……」
「……」
何か言おうとするも口ごもり、ステフは視線を隣へ投げた。
続けてロッテにも視線を向けられ、視線で説明を強要されたエリアンがため息ののち、仕方なさげに口を開く。
「……ピエールさん、悪いんすけど、きみ物凄く臭いっす。人の体臭とかそういう臭いじゃなくって、生臭さと獣臭さと薬臭さとゲロみたいな人とは思えないとんでもない臭いが……」
「エっエエエ、エリアン! なんてこと言うのです!」
「なんでだよ! お前らが俺に説明させたんだろ!」
「そこまで明け透けに言えとは誰も言っておりません! もっと控えめな表現で……!」
はっとした三人が姉妹に視線を戻した。
そこにいたのは年頃の少女らしい顔を、羞恥と悲嘆に歪めたピエールの顔。
顔を真っ赤に染め、くりくりの垂れ目を今にも泣き出しそうなほど潤ませて堪えるようにその場に立ち尽くしていた。
「……身体と服、洗ってくるね」
誰かが言い縋ろうとするより早く、アーサーを抱えたまま踵を返し小走りで走り去っていくピエール。
その姿が休憩所の廃墟の陰に消えて暫く経ってから、カクロロは頭を抱え大きくため息を吐いた。
ため息の後、顔を上げて三人を睨む表情には強い憤り。
「お前ら……俺の言ったことを本当に聞いてたのか……?」
「て、手伝いに行ってくるのです!」
慌てて持っていたカップを地面に置き、ロッテは姉妹が向かったであろう井戸まで駆けていく。
怒り心頭にそれを見送るカクロロと、居心地悪そうに身体を縮こめ小さくなるエリアンとステフ。
それが彼らの命運を決定的に分かつ、最後の切っ掛けとなった。
もしも昨晩、ロッテが途中で遮られることなく姉妹へ体臭を指摘出来ていれば。
ピエールは女性としての矜持を振り絞り、昨晩のうちに身体を念入りに洗ってから眠りについただろう。
もしもエリアン以外のどちらか二人が指摘していれば。
もう少し柔らかな表現となって、ピエールが半泣きで身体を洗いに向かうことも無かっただろう。
ロッテがすぐにピエールの後を追いかけていれば。
ピエールにはいくらでも対処の余地があっただろう。
カクロロが三人を威圧的に睨まなければ。
ロッテが身体を洗う最中のピエールの元へ無我夢中で走って手伝いに向かうことはなかっただろう。
しかしそうはならなかった。
カクロロに睨まれ叱られたロッテは慌てて駆け出し、ちょうど身体を洗う為に衣服を脱いだ直後の姉妹の元へ、ピエールの制止も聞かずに向かってしまったのだ。
そうしてロッテは目にすることとなった。
ピエールとアーサー、半裸の二人の胸元で、朝陽を浴びて目を覆うほどに眩しく煌めく、純ミスリル製の、それ一つで豪邸が複数建つほど高価な輝く胸当てを。




