11 三日目
「はあ……」
特大のため息がこぼれた。
妹の乱れた金髪を手で梳きながら、ピエールは背中を丸めて心の底からため息をつく。
薄目で自身を見つめ返す妹の顔色はとても安定している。
本調子とは言えないものの先ほどの不自然な色味はなく、呼吸も穏やかだ。
毒の影響は全く抜けていないものの、ひとまず窮地を脱した、という印象。
良かった。
本当に良かった。
このままあの四人組に同行して逐一体力回復を施して貰えれば町までは十分辿り着けるだろう。
それに夜も彼らに警戒を任せて少しだけでも休むことが出来る。
あの口振りならば食料もいくらか融通して貰えるようだ。
当面の心配事が殆ど解消されたと言ってもいい。
「……ねえ」
ピエールは背中を丸めたまま、隣で同じように脱力している童女へ呼びかけた。
一瞬身体をびくつかせながらも、ミアは視線をピエールへ向ける。
「……な、なんでしょうか」
「肩の怪我、どう? もう痛くない?」
「えっと、その……ご、ごめんな、さい」
「えっ? なんで謝るの?」
「お姉さんの怪我はそのままなのに、私だけ、治して貰って……」
「……ああ」
得心がいったピエールはからからと力なく笑い飛ばした。
怯えた様子のミアに朗らかに笑いかける。
「そんなの気にしなくていいって、私のはちょっと痛いだけで動けないほどじゃないし。そういう意味じゃなくて、単純に怪我治して貰えて良かったねって。ごめんね、私が縫ったのただ痛いだけだったでしょ」
「いえそんな、あの時は、あれが一番だった、筈です、だから、その」
「あはは、そんなに私に気を遣わなくてもいいんだよ。もう私がいなくてもあの四人が町まで連れてってくれる筈だから」
「そ、そんなこと……、ここまで、連れてきてくれたのは、お姉さんのおかげですから……」
「君は律儀だねー、そんなに小さいのに。……何歳なの?」
「は、八歳です」
「八歳! 凄いなあ、私が同じ年だった頃はもっと何も考えずお馬鹿みたいな顔でその辺走り回ってたよ。……まあ今も似たようなもんだけど」
余裕が生まれ、険の抜けた顔でピエールが笑ったことで、ミアも緊張がほぐれたようだった。
少しだけ軽くなった空気の中、背中を丸めていたピエールが空を見上げて再び息を吐く。
「……」
そして再度口を開こうとして、止めた。
君を見捨てることにならなくて良かった。
君のお母さんを見捨ててしまって悪かった。
という言葉を心にしまい込んで。
今彼女にそれを言うのは、ただの自己満足でしかないから。
それからも、彼女たちは静かに空を眺めていた。
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そうして三人がその場で休んでいると、やがて陽がゆっくりと傾き始め、同時に煮炊きの煙が立ち上ってくる。
ぼんやりと煙を眺めているところに、近寄ってくる人影が一つ。
「調子はどうなのです?」
「だいぶましになったよ、本当にありがとね」
そばかすの魔法使いの少女、ロッテだ。
ピエールが朗らかに笑いかけると、ロッテも薄い笑みを返し十分な距離を取って腰を降ろした。
膝を抱えた状態で、ピエールとミアをじっと見つめる。
「随分怪我してるのです。手足も頭も包帯だらけ」
「ここに来るまで色々あったからねー」
「治して欲しくはないのです?」
「私のこれはあくまで痛いだけだからね。歩いたり戦ったり出来なくなる訳じゃないから、治す為の魔力は妹を優先して欲しいかな」
「……」
ピエールが"戦ったり"と口にしたあたりでロッテの顔が訝しげなものに変わった。
首をかしげ、頬に人差し指を当てて疑問を露わにする。
「あなたはどうやって魔物と戦ってきたのです? 魔法使い?」
「ううん。私は呪文は全く駄目で、何も考えずこれ使って飛びかかるだけだよ」
どこか自嘲するような口振りで、ピエールは腰の短剣と小盾を両手に掲げた。
何かの体液でべとべとに汚れた短剣と黒焦げの盾をまじまじと直視して、ロッテの顔が強張る。
「両方とも町を出た時は綺麗だったんだけどね。使ってるうちにあっという間にこんなになっちゃった」
「……信じられないのです。あなたみたいな女性が人一人背負ってセリアドルからここまで歩くだけでも驚きなのに……」
「よく言われる」
あはは、と乾いた笑みを浮かべるピエール。ロッテは疑い混じりだが尊敬の感情を抱いたようだった。
傷だらけの少女を見つめる眼差しに、どこかきらきらしたものが感じられる。
座っていた位置を少しずらして距離を詰め、再び話しかけよう、と口を開きかけた寸前。
「食事の用意が出来たぞ」
ピエールの体臭にロッテが顔をしかめ指摘しようとするのと、カクロロが夕食の完成を告げに来たのは全く同じタイミングだった。
軽い返事とともに、ロッテとミア、そしてアーサーを抱え上げたピエールが煮炊きの煙の元へと向かう。
この一瞬が、この場にいる者たちの命運を決定づける分岐点の一つだったことを今は誰も知らない。
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「ありがとう」
受け取った夕食は干した何かの肉と芋を煮戻したシチューと、小麦ではない黄色がかった穀物を円盤状に焼いたものの二つであった。
ピエールはこの辺りの食文化に疎い為具体的な素材名は皆目見当が付かなかったが、人間らしく煮炊きした食事を食べられることに深く静かな喜びを覚えていた。
「……またいつもの雑に煮ただけの四等級品。まずいのです」
「文句言うなら食うな」
「そうですよロッテさん、貴重な恵みをそのように粗雑に扱ってはいけません」
「そうは言ってもまずいものはまずいのです。あーあ、もっといい物が食べたいのですよ……せめて二等級品」
「ならもっと稼ぐしかねえよな。今の俺たちの財力じゃ旅糧が四等級が限度なのは分かってる筈だろ」
「はーあ、金、金、金。世知辛いのですよ。金に困らない生活がしたい……」
「んなの誰だってそうだよ、世の中金だ金」
カクロロが一人黙々と堅焼きをかじる中、他三人はかしましく言葉を交わしながら食事をしている。
ピエールがふと横を見れば、横では無我夢中で食事を貪るミア。我を忘れてかぶりつくその勢いに、暖かい食事を食べさせることが出来てよかった、という安堵を抱きながら自身もシチューを一口含んだ。
肉はある程度切り分けられているものの、筋が多くやや固い。
しかしよく噛めば十分細かく解すことは出来るだろう。
ピエールは口に含んだシチューの具を丹念に噛み砕く。
そして躊躇なく妹の口に自身の口を合わせた。
「えっ」
ものを噛む体力のない妹に口移しでシチューを分け与えたピエール。
しかし空気の変化に気づき顔を上げると、四人組全員が一言も発さずこちらに注目していることに気づいた。
各々程度は違えど驚きの表情を浮かべながら。
「……何、してるのです?」
「何、って、アーサーは見ての通りの状態だから、代わりに食べ物を噛んであげてる、んだけど……」
「……いや、まあ、確かに、傷病人ですものね。仕方のないことです」
ステフがフォローの言葉を差し挟むも場の空気にあまり変化は見られない。
ピエールも当然のことをしただけだと思っているのだが、周囲からはっきりと奇異の目で見られれば気まずさを拭えない。
ピエールはなんとか苦笑いを浮かべ、その場をやり過ごした。
しかし言葉に出来ない居心地の悪さのようなものを抱えたまま、口数少ない夕食の時間を過ごすこととなった。
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居心地こそ悪かったものの、夕食は夕食である。
しっかりと栄養を胃に納め、姉妹は四人から少し離れて一足先に休息を取ることにした。
廃墟の壁に肩を預け、容態の安定した妹を胸に抱えて静かに目を閉じる。
周囲に魔物の気配は無く、少し離れた焚き火の側には人の気配が五つ。
そのうち最も小さな一つは完全に寝入っている。
「……」
普段ならもう少し四人と話し合ってお互いを知り友好を深めていただろう。
冒険者として、そして魔物に溢れ人のいない外界で出会った貴重な人間として、円滑な関係を築こうとするのはこの世界の人間の本能に根ざしたものがある。
しかし今日ばかりはそんな余裕はなかった。
今はただ休みたい。
痛む頭とひりつく目を休ませたい。
あの子とあの四人と仲良くなるのは明日からでいいや。
あとそれから、もう少し怪我の応急処置をして、せっかく代わりに見張ってくれるんだから身体も洗って、あと盾も……。
ぼんやりぼんやりと取り留めのないことを思い浮かべながら。
抱えた妹のかすかな鼓動を子守歌に、ピエールは数日ぶりの、気が遠くなるほど待ち望んでいたまともな休息を取ることが出来たのだった。




