表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姉妹冒険者物語  作者: 並野
お姉ちゃんの旅路
162/181

09 三日目

「……合図したら横へ跳ねて」

「え、あ、あ」

「跳ねてっ!」


叫ぶと同時に横へ素早く飛び退くピエール。

 しかしミアは頭が追いつかずそのまま棒立ちとなってしまっていた。

 立ちすくむ娘の先で、岩の塊だったそれが動くのが見える。


 色は灰色。艶は無くどこからどう見ても岩だ。

 そのままであれば、廃墟の瓦礫が一塊転げ落ちてきたようにしか見えないだろう。


 岩が四本の足でのそ、と立ち上がっていなければ。


 子供が作った出来損ないの四足獣の石細工。

 それの正体に気づいた時には、彼女の左肩に何か当たっていた。

 とん、と肩を押されたような気がして目を向けたら、石と同じ色の細長い何かが肩に当たっていた。

 それが石獣が放った石の尾の先端だと認識した直後。


 刺さった尾が思い切り引っ張られ、娘は肩の激痛と共に前へ倒れ込んだ。


「あぎゃっ、あっ、ああああっ!」


悲鳴とも呻き声ともつかない声を上げながら、娘は咄嗟に尾を抜こうと右手で掴んだ。

 鏃が無数に連結されたような形状の尾の、返しの部分が娘の白く柔らかい手に食い込む。

 痛みで手を引き、頭を仰け反らせて。


 視界の先には軽々跳躍し飛びかかる石獣の姿があった。

 まるで布球を投げたかのような軽やかな軌道で、直径一メートルはあろうかという岩の塊が飛ぶ。

 自身めがけて一直線に。


 娘の脳裏に走馬燈が過ぎった。

 生まれた直後の赤子の頃。

 両親にたっぷりと愛された記憶。

 両親の愛に応えたい、と幼い心で自覚した日。

 沢山手伝い、沢山学んで、愛に応えた日。

 両親の愛は更に深まる。

 初めて呪文を覚えた時の、両親のいつも以上の喜びぶり。

 次は何を覚えようか、とわくわくした日。

 そんな儚い幸せの、唐突な終わりの――


「ケえええっ!」


猛禽のような叫び声が聞こえて、飛来する岩の塊が斜めに吹き飛んだ。

 松の幹に衝突し、どおん、と幹ごと地面が揺れる。

 尾の先端がぽきんと折れるように外れて、石の鏃一つ分だけが娘の肩に食い込み残った。


 飛びかかる石獣を空中で蹴り飛ばしたピエールが、妹を背負ったまま堂々相対した。



   :   :



 顔面めがけて一直線に突き出された尾を盾で斜めに受け流した。

 受け流した尾は先端が鋭く、側面には鋭い返しがついている。

 石獣が逸らされた尾を引けば、返しが盾の縁に引っかかり盾ごとピエールの左手を強く引いた。

 力は非常に強く、大の大人が力をこめて踏ん張っても容易に姿勢を崩しただろう。


 しかしピエールは抵抗しなかった。

 それどころか相手が尾を引くより速く距離を詰め、一直線に石獣へと手を伸ばしていた。

 素早く尾を盾から離し、砂を踏んで後ろへ跳ね逃げる石獣。

 ぼてっとした出来損ないのような足からは想像もつかない軽やかな跳躍だ。

 少女の右手が空を切り、距離を取った石獣と再び向かい合う。


 向かい合う石獣はがりがりと石がこすれ合うようなぎこちない動きと音で、尾の先端を眼前の敵対者へと向けた。

 再び尾を伸ばして攻撃してくるか、と構えるピエール。


 しかし彼女を襲ったのは突如発射された尾の先端一節。

 尾の先端が突如弾け飛び、先端が矢弾のような鋭さを持って射出されたのだ。


 ピエールは素早く盾を振るい胸元めがけて飛来した石矢を弾いた。

 だが弾いた直後に二発目が射出される。

 更に弾けば三発目、四発目、五発目。


 発射間隔は見る見るうちに縮まり、気づけば石矢は一切の間断無く射出され続けていた。

 四方八方振り回すかのように盾を振るい続け、ピエールはなんとか自身と背中の妹めがけ放たれる石矢を防ぎ続ける。

 防ぎながら一歩踏み込もうとすれば、足下に猛烈な勢いで矢が撃ち込まれ回避を強要される。


 どどどどどっ。

 がががががっ。

 間髪入れず撃ち込まれる石矢の嵐が止まらない。

 射出された石矢の量は石獣の尾の長さをとっくに越えているというのに、弾が途切れることも無ければ尾が短くなる様子も見られない。

 防戦一方のピエールの頬に、冷や汗が一筋垂れた。


 がししっ、がしゅしゅしゅっ。


 石矢を撃ち込み続けながら、石獣が鳴いた。

 果たしてそれが生物の発声に等しい行為なのか分からないが、硬いもの同士を擦り合わせたような音を石獣が意図的に発している。

 歯噛みしながら防御を続けるピエールが、被弾覚悟で距離を詰めるべきか逡巡する。


 その間に。


「いっ、石尻尾さま……っ! 静まっ……てっ、く、くだ……さい……っ!」


後方から叫び声が聞こえたかと思うと、何かが山なりの軌道で飛来した。

 ピエールと石獣が、同時にそれへ意識を向ける。


 宙を舞う、鈍く輝く小さな円盤。

 投げられたのは何枚かの硬貨であった。


 しゅりしゅりしゅり!


 先ほどとは違う高い鳴き声を上げて硬貨へ飛びつく石獣。

 低く跳ねた石の身体は後ろ足が不自然に長く伸び、地面に深く突き刺さっていた。

 どうやらあの後ろ足が地面から砂を吸い上げ石尾に利用していたらしい。

 原料供給先が途絶えたことで石矢の嵐も途絶え、ピエールが攻撃から解き放たれる。


 反撃の為一歩踏み出しかけた。

 しかし半ばで思い留まり、半歩踏んだところで停止し様子を窺う。


「お、お姉さん……も……、お、お金、を……」


ちらりと一瞬視線を向けると、小さな娘が上半身だけを起こしていた。

 流血する肩を押さえ、汗と涙と苦悶の表情を滲ませながら。


 ピエールは盾を構え、いつでも対応出来るよう警戒しながら右手を自身の懐へ差し入れた。

 暫し探り、掴み取った硬貨を何枚か石獣めがけて緩く放り投げる。


 しゅうしゅうしゅう。


 また異なる声音で鳴いた石獣はピエールが投げた数枚の十ゴールド硬貨と百ゴールド硬貨にも飛びつき、短く関節もないデフォルメされたような前足で硬貨をぽすっ、と踏みつけた。

 足を上げるとそこに硬貨はもうない。


 石獣はそのまま十数枚の硬貨を足先で回収し、満足したのかまるでバッタのように飛び跳ねながら彼方へと去っていった。

 後には姉妹と散らばった石尾の矢、それに肩を怪我した幼い娘だけが残されていた。



   :   :



ピエールは妹を背負ったまま、無言でミアの元へ歩み寄った。

 膝立ちになり、彼女の肩の怪我へ目を向ける。

 その肩には、未だに石獣が発射した尾が突き刺さったままだ。


「今、呪文で水は出せる?」

「えっ……あっ……」

「怪我の手当するから。出せるなら傷や道具を洗うよ」


疲労困憊の上流血し顔が青ざめているミアは、息を荒げながらもピエールの差し出した小鍋を受け取った。

 荒い息継ぎで何度か詠唱に失敗しながらも、辛うじて呪文を唱え終え小鍋にいくらか水を満たす。

 ピエールはその間に、目に付いた松の樹皮や枯れ枝を小走りで素早く集めて回っていた。

 集める傍ら鋭い眼差しで周囲をぐるりと一周見回したが、五感内にも気配にも魔物の存在はない。


 戻ったピエールはアーサーを降ろしてからミアを廃墟の壁にもたれ掛からせ、娘の服をはだけさせる。

 服を貫いて肩に突き刺さった子供の掌サイズの石尾は、半分以上が白く艶やかな肉に埋まっていた。

 顔をしかめたまま小さく息を吐くピエール。

 静かな声音で娘に問いかける。


「結構深く刺さってる。ただ刺さってるのを抜いて包帯で覆うだけだと、血があんまり止まらない可能性がある。……即席で縫うことも出来るけど、かなり痛むと思う。どうする?」


重苦しい表情のピエールに、肩で息をするミアは無言のまま、泣きそうな顔で見つめ返した。

 恐怖、懇願、逡巡。

 幼い子供の汗と涙で汚れた顔に、いくつもの負の感情が入り交じって浮かぶ。


 やや間を開けてから。


「……お願い、します」


震える唇が痙攣するかのように動いて、言葉がか細く絞り出された。


   :   :


「あの石の魔法生物、君は知ってたの?」

「……お金を、食べる、石尻尾、っていう、話が……」

「そっか」


集めてきた木っ端に火を付け小鍋の水を沸かしながら、ピエールが問いかけた。

 ミアは小康状態で、息は荒いながらも様態は落ち着いている。

 座って小鍋を揺らすピエールの膝にはアーサー。

 こちらは依然として良くない状態のままだ。

 ピエールはしきりに左手で妹の顔の汗を拭っている。


 湯が沸いたところでピエールは鍋に糸玉から伸ばした糸と針を入れ、沸き立つ熱湯の中で糸と針を躍らせた。

 暫し煮沸消毒を行ってから、糸と針を引き上げる。

 そもそも作業を行うピエールの指が清潔ではない為意味があるか定かではないが、気休めにはなるだろう。


「……我慢してね」

「……」


ピエールが呟く。

 ミアが泣きそうな顔で力一杯目を閉じる。


「っ……!」


叫び声は堪えた。

 代わりに小さな両手を血が出そうなほど強く握りしめた。


 だが今のは刺さっていた石尾を抜いただけだ。


「動かないで」


暴れ出しそうな身体は、ピエールの左腕に押さえ込まれた。

 目を力強く瞑ったまま、息が詰まって口だけがぱくぱくと開閉を繰り返す。

 別に分けておいた呪文の水で、傷口が軽く洗い流される。

 小さな身体が、傷口を刺激される激痛でのたうち回ろうとしていた。


 傷を縫われるのは、これからだというのに。


「いくよ」

「い゛っ」


肉に針が刺さった。


「あ゛、あ゛あ゛……、い゛っ、あ゛っ、っ……」


声が洩れる。

 一度洩れるともう止まらない。


「い、いたい、です、おね、がい、します、いたい、の、いた、い」


ピエールは努めてそれを無視した。


「いたい、いたいよ、おかあ、さ、あっ」


悲痛な涙声が松林に響く。

 それを慰めてやれる者は、この場には存在しなかった。



   :   :



 処置が終わり、顔を涙と鼻水と涎でぐちゃぐちゃに汚したミアが力無く廃墟の石壁にもたれ掛かっている。

 ピエールはそんな娘をちらりと一瞥してから、小鍋に汲んだ水で布を濡らし、アーサーの身体を優しく拭う。


 三人が辿り着いた廃墟は、どうやら旅人の為の分岐兼休憩所であったらしい、

少し探せばまだ生きている井戸が見つかり、ただ平たい石を置いただけの簡素な机や椅子、雨風を凌げる無事な建物も現存していた。

 廃墟の中の看板が示すには、西へこのまま直進すればあと三日で隣町に、南へ曲がれば五日で別の村へ着くらしい。

 南にも村があることは初耳であったが、どちらにしろ西にある町が最短であり目的地に変化はないようだ。


 妹と自分の身体を、軽く拭い終えたピエール。

 先ほどの吐瀉物の汚れもある程度取れている。

 続いて煮沸してあった井戸水を口に含む。

 舌で転がして水質を確認してから、アーサーへと口付けた。


「ん……」


口移しで白湯を与える。

 肺へ入らないように慎重に、少しずつ、妹の口へと水分を流し込む。

 弱り切っている少女の喉が、何度か吐き戻しながらもかろうじて嚥下していた。


 数度そうやって口移しで水分補給を行ったところで、アーサーの舌が弱々しくピエールの口を押し返す。

 ピエールは口を離し、残っている白湯を全て飲み込んでから語りかけた。


「……辛い?」


真っ直ぐ見つめ返し、肯定の意を伝えてくる。


「まずい?」


視線を伏せたまま、緩く左右に振る。


「薬は?」


同じように視線を揺らしたまま。


「……そっか」


相当辛いが、まだ自己認識では命に別状はない。体力回復の為の薬も必要ない。

 ささやかなやり取りで十分な意志疎通を行い、ピエールは笑顔で妹の頭を撫でる。

 傷病人二人が落ち着くまでのほんのわずかな時間、ピエールも廃墟の壁に背を預け身体を休めることにした。


目を閉じて、小さく息を吐く。

 脳裏に浮かんだのはミアのことだ。


 先の石獣との接触で、戦闘を回避出来たのはミアの知識のおかげであった。

 もしも彼女がいなければ、石獣との戦闘は続いていたであろう。ピエールの見立てでは負けはしないが、何かしらの手傷を負っていてもおかしくない。


 すぐに痺れが解けた鼠蝙蝠戦後と違い、ミアは役に立った。

 立ってしまった。


 あの小さな娘は知識をもって確かに貢献してみせた。

 ならばこちらも何かを返すべきではないのか?

 こちらからも何か歩み寄らなければ不公平ではないか?


「……」


瞼の上から両目を擦って考えを打ち消した。

 今最も優先すべきは妹の命だ。

 あの娘に余計に物資を提供して、自分たちどちらかの分が不足したら。

 あの娘の為に余計な休憩を増やして、妹の治療が間に合わなくなったら。

 そうなれば自分は一生後悔することになる。

 どれだけ自分たちの助けになろうと娘を優先することは出来ない。


 だというのに助けたがっている自分がいる。

 見捨てたくない自分がいる。

 ちっぽけな少女の中にある良心と罪悪感がじわじわと疼く。


 そんな風に余計なことを考えていられるのも、精神的に余裕が出来たからだ。

 余裕が出来たのなら、一刻も早く出発するべきだ。

 そうすればきっと悩む余裕もなくなる。


「そろそろ……」


そう思って立ち上がりかけたピエールが言葉半ばで顔を上げた。

 視線を南へ向ける。

 映るのは砂と松ばかりで、何の姿も見えない松林。


 その南方から、確かに人の気配が近づいていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ