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姉妹冒険者物語  作者: 並野
お姉ちゃんの旅路
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04 二日目

 真正面から飛びかかってきた豚のような、山羊のような、よく分からない短い毛の生えた偶蹄を短剣で殴り返すように刺して突き飛ばす。

 獣は突き飛ばされた先にいたへたり込む母子へと標的を変えたが、彼女らの元へ辿り着く前に失血で体勢を崩し倒れ伏した。


「助けてえええっ!」


響いた悲鳴の先では姉妹と同等程度の年齢の若い女性が逃げ、後ろを尾の長い人間大の猿が猛然と追いかけていた。

 反射的に一歩踏み出しかけるピエール。

 しかし自らの背中にある重みを思って踏み留まり、その一瞬の間に猿に追いつかれた女性は後ろから噛みつかれ脊髄ごと首を噛み千切られた。

 猿は噛み殺した後の獲物のことを何一つ気にかけず、前足と口を鮮血で真っ赤に染めながら次の獲物を求めて駆け出していく。


 総崩れ。

 姉妹が辿り着いた場所は正にそう呼ぶが相応しい、戦闘員、非戦闘員入り乱れた混戦まっただ中の状況にあった。

 恐らく町から馬車で逃げた者たちが山間の道へ入る前の準備か休息を取っている間に、山から魔物がなだれ込んで来たのだろう。

 陣形などというものは既に機能しておらず、魔物たちは目に付いた人間に戦闘員非戦闘員問わず片っ端から襲いかかり、戦闘員たちは襲ってくる魔物の迎撃で手一杯。

 非戦闘員たちに甚大な被害が出ている真っ最中であった。


「おいっ! お前っ!」


野営地の端で棒立ちになっているピエールへ、一人の戦闘員の男が声を荒げた。

 今も剣を手に、襲い来る魔物と戦っている。


「お前っ、何を突っ立っている! 魔物と戦える腕があるのだろう! 女子供を守れっ!」


男の叫んだ言葉は正論だ。少なくともピエールにとっては。

 普段の彼女であれば迷わず救援に入っている場面だ。先ほど反射的に踏み出した時、そのまま女性を守っていただろう。

 しかし彼女は逡巡した。


 助ければ。

 ここにいる者たちからの心象は良くなるだろう。食料の融通や怪我の手当で助力が貰えるかもしれない。

 しかし混戦の中戦うのは妹を守るという面では大きなリスクだ。

 もし後ろからの攻撃を避け切れなければ。攻撃を受けた時に妹を落としてしまったら。

 自分が皆を守ったからといって、皆が自分たちを助けてくれるとは限らない。

 目先の益の為最も大切な者を喪ってしまっては元も子もない。


 助けなければ。

 非戦闘員を身代わりにしながら消極的に魔物と戦い、戦闘員が魔物を減らすのを待つ。

 少なくとも妹に降りかかる危険は減らせる。自分自身もいらぬ体力を消費せずに済むのは大きい。

 しかし戦闘後、生存者たちからの心象は地に落ちるだろう。

 援助を貰えないだけならばいいが、危害を加えられたら。

 真正面からならまだしも、夜襲や騙し討ちを仕掛けられては堪らない。

 自然と魔物の相手だけで手一杯だというのに、人まで相手にしたくない。


 最優先目的は自身と妹の生存。

 その為に、ピエールは汚い打算を働かせねばならない。

 自分の利益の為だけに、無辜の人々を守るか見捨てるかを。


「……ごめん! 私は背負ってる妹が一番大事なんだ! 助けにいくことは出来ない!」

「なんだとぉっ! 貴様、目の前で女子供が襲われていて――「アイザック、右だっ!」


男の顔面に氷柱が突き刺さった。

 目玉の代わりに眼窩から氷柱を生やした男は震える両手を顔面に生えた氷柱へ伸ばし、そのまま倒れる。


「アイザックっ、畜生おっ!」

「この虫けらがぁっ!」


氷柱の呪文を放った甲虫の魔物が他の戦闘員に滅多打ちにされ沈黙する。

 しかし甲虫に注意が集中したことにより警戒が疎かになり。


 ぐおん。

 山の斜面から猛烈な速度で転がり落ちてきた紅色の車輪のような何かに数人まとめて撥ね飛ばされた。

 続けてやって来た大猿が、間髪入れず撥ねられた戦闘員へ襲いかかる。


「皆を守れ! 早く立つんだ!」

「なんだ今の赤い車輪……は……」


撥ねられずに済んだ戦闘員の一人が、車輪の転がっていった方角を見て。

 彼の視界が紅蓮に染まった。


「ま――」


火達磨が転がる。

 人が生きながら焼き殺される絶叫と臭気が野営地に満ち、熱気がやや遅れてピエールの元に届く。

 隣では大猿までもが巻き添えを受けて炎上し狂乱している。


 炎上する野営地の向こうから、一体の魔物ががさがさとなめらかに多脚を動かし姿を現した。

 太く長い紅色の身体。丸みを帯びたすべすべの甲殻。無数の足。

 炎の中を平然と歩く、長さ二メートル半ほどの多足の甲殻。


 火炎ムカデ。

 先ほど身体を丸め回転しながら斜面を転がり降りてきた、今この場にいる魔物の中で最も危険な大物。

 ピエールの見立てでは、このままでは火炎ムカデ一匹に野営地の人間が皆殺しにされるだろう。

 ここにいる戦闘員が敵う相手ではなく、非戦闘員が走って逃げられる相手でもない。


 山の向こうから猛烈な速度で気配が迫ってきた時点で、ピエールは確信していた。

 この魔物だけは、自分が斃さなければならない。

 彼女は先の自分の選択を、今になって後悔していた。

 野営地の人間を消極的に見捨てるのではなく、冷徹に弾除けにしてその間に急いで頭数を減らしておくべきだった。

 そうすればこの火炎ムカデ相手でも余裕が出来た筈だ。

 もっと、人の盾に出来た筈だ。

 もしもアーサーが健在であれば、きっとこのような判断ミスはしなかった。


 盾を握った上から、背負う妹の垂れ下がっている左手を握る。祈りを込めて。

 ずるり、と右手で短剣を抜き去る。

 荒い吐息を精神力で押さえ込む。


 背に妹を乗せたまま、ピエールが駆けた。

 横合いから迫る大猿の喉をすれ違いざまに短剣で抉り散らし、進行方向にいた大甲虫を低身長を活かしすくい上げるように腹から串刺しにする。


「しッ!」


かけ声と共に、串刺しになっていた甲虫を火炎ムカデめがけ投げつけた。

 戦闘員を焼き殺し箱馬車を炙っていた火炎ムカデの頭に横から直撃し、紅色の頭がぐら、と仰け反る。


 火炎ムカデが攻撃者へ意識を向けた。

 その視界の先では既に短剣が振り上げられている。


 がぎょっ。

 火炎ムカデの黄色い目に短剣が突き刺さった。

 しかし鹿とは違い目の奥は硬く、内部まで短剣が食い込むことはない。


 ピエールは短剣が奥まで入らないと見るやすぐに引き抜きくるりと踊るように横へ回り込み、反撃の火炎を避けながら短剣の柄頭を刺した目玉へだめ押しとばかりに叩きつけた。

 口から炎を吐き散らしたまま、火炎ムカデの頭が大きくよろめく。

 短剣を逆手に持ち替え、ピエールは渾身の力で頭部と胴体の付け根、堅牢な甲殻同士の隙間へ短剣の刃を振り下ろした。


 ず、ぐっ。


浅い。

 短剣の刃は半分も刺さらない。

 甲殻の隙間を(しか)と狙ったというのに。


 ピエールは先ほど同様短剣を抜いて回避を試みたが、今度は先手を取ったのは相手の方。

 火炎ムカデが火を噴いた。


「っ……!」


妹を握る手を放し盾を構えたピエールの顔面に燃え盛る火炎が噴きつけられる。

 巨人が息を細め全力で噴き出したかのような風圧が熱を伴い盾に叩きつけられ、少女の視界を紅色に染めた。

 一筋の熱線と化している火炎の息がピエールの顔面、胴体、足元、頭上の妹と照準をぶらし荒れ狂う。

 少しでも防御がずれれば即火達磨の仲間入りをしかねない猛火炎であったが、彼女は寸分の狂いも無くちっぽけな丸盾を射線に合わせて火炎の息を凌ぎ切った。

 ごうっ、と息を吐き終え体内から空気の喪われた火炎ムカデが一息ついた瞬間を狙って頭の下から蹴り上げる。

 人間であれば顎を砕き顔面を粉砕しうる威力の蹴り上げで上方向に仰け反る火炎ムカデの頭。

 上から刺さらないなら下から。

 ピエールは今度こそ致命傷を与える為、仰け反るムカデの人間で言う喉の隙間めがけ短剣を振り上げようとした。


 そして狙いがぶれた。


 炎上する箱馬車から弾け飛ぶように飛び出してきた、その小さな人影たちに。

 幼い喉を懸命に絞り上げ、甲高い断末魔を上げながら燃え転がる人影たちに。

 箱馬車に隠れていた大勢の子供たちが生きながら燃え死んでいくその光景に意識を奪われて。


「あっ……」


ピエールの集中が途切れた。

 小柄でちっぽけな少女の、戦士の心が乱れた。

 そのような乱れた心では、甲殻の隙間に正確に刃を刺し入れることなど出来ない。


 心を整える。

 甲殻に弾かれた刃を引く。

 子供。

 妹を守る。

 火炎ムカデが尾を振り上げる。

 短剣を刺し直す。

 妹を守る。

 振り上げた尾の先の針のような突起。

 回避。

 守る。

 刺し直す。

 身体を逸らす。

 幼い絶叫。

 妹を。

 守って――


 一人と一匹の動きが止まった。

 断末魔と火の爆ぜる音を背景に、十秒にも満たない間互いに硬直する。


 どろっ。

 ピエールの右手に、短剣から伝った黄緑色の生温い粘液がかかった。

 粘液はとめどなく流れ、粘液と同時に火炎ムカデの身体から生命力も抜け落ちていく。


 火炎ムカデの紅色の身体が傾いた。

 ぐらり、とよろけ、焦げた草地の上に倒れ伏す。

 釣られて少女の身体もよろけ、刺さっていたものがずるりと抜け落ちる。

 短剣、そして。


 少女の肩に突き刺さった、火炎ムカデの尾の針が。


 粘液の代わりとでも言うかのように、ピエールの、そしてその上のアーサーの左肩から、赤い血が淡々としたたり始めていた。

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