01 一日目
-お姉ちゃんの旅路-
南大陸にあるセリアドルという町が魔物の群れにより壊滅し、滅びた町に取り残された姉妹。
妹は魔物の毒で歩くことも出来ないほどの重症、最寄りの町は東へ徒歩で五日。
妹を背負った小さな姉の、孤立無援の短く過酷な旅路の話。
ある日、一つの町が滅びた。
何の前触れも無く、周辺地域に棲息しない筈の魔物が群れをなして一直線に町へと突進し、町を踏み越え破壊して去っていったのだ。
後に残ったのはかつて何千もの人間が暮らしていた、昨日まで町だった残骸だけ。
そんな出来たて廃墟の瓦礫の上に、二人の少女の姿があった。
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「……アーサー」
煙立ち上る瓦礫の山の上。
茶色の髪を後ろでまとめた小柄な少女が、横たわる相手の名を呼んだ。
「ね……え、さん」
茶髪に抱えられ脱力しているのは、くすんだ金髪を肩まで伸ばしたやや背の高めな少女。
か細い呼吸を繰り返しながら、茶髪へ返事をし、身動ぎしようとした。
しかし彼女の試みは叶わない。
死者と見紛うほど顔を青ざめさせた金髪は、ただ力無く息をするのみ。
服の隙間から覗く彼女の鎖骨付近には、毒々しい赤紫色の腫れを伴う刺痕が刻みつけられている。
小さな茶髪が金髪の手を強く握りながら、顔を上げて遙か西の彼方を睨んだ。
廃墟の煙の向こうには、どこまでも気が遠くなるほど緑だけが広がっている。
滅びた町。
茶髪を庇い瀕死の金髪。
最寄りの隣町との距離は、徒歩でおよそ四、五日の道のり。
二人が頼れる相手は、この場には誰一人存在しない。
小さな姉、ピエールによるたった一人の戦いの旅が始まる。
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「アーサー、ちょっと抱えるからね」
アーサーの身体の下に腕を挿し入れ、ピエールは妹の身体をお姫様だっこの要領で抱え上げた。
自身より背丈の高い妹の身体だが、何一つ重さによろめく様子はない。空箱でも抱えるかのような気軽さだ。
抱えられるアーサーはどうにか姉の首に腕を回して体重を分散させようと試みたが、両腕は力なくふるふると震えるばかりであった。
妹を抱え上げたピエールは慎重かつ素早い足取りで瓦礫の山を降り、踏み割られた石畳の上へ立った。
顔を上げて周囲の気配にじっと意識を集中させるが、魔物や人の気配はもうどこにも感じられない。
魔物たちはまるで津波のように町を飲み込み通り抜けていったのだ。
その原因を、彼女たちは知る由もない。
煙と瓦礫の間をすり抜け、ピエールは廃墟の町を進む。
暫くすると目的地に辿り着いた。二人がこの町で宿泊していた宿だ。
当然他の建物同様派手に壊され、最早"かつて宿だったもの"に過ぎない。
しかし不幸中の幸いだったのは、この宿が木造平屋であったことだ。
ピエールは自分たちが泊まっていた部屋があった筈の場所へ移動し、妹を降ろしてベルトに雑に差してあった短剣を抜いた。
長さはおおよそ二、三十センチ程度の、幅広な短剣だ。
普段なら打撃力に優れた手斧や鈍器の類が提げられている筈の腰には、今は何もない。ただ歪んで千切れた留め具の破片が引っかかっているのみ。
短剣で木片をかき分け、何本か棒状の木片を拾い集め、やがて二人分の背嚢を掘り当てた。
多量の木片に埋め立てられていたが割れ物の類は納められておらず、背嚢に穴が空くようなこともない。
ほ、と一息安堵のため息を洩らすピエール。
彼女はアーサーと背嚢を抱え、足早に宿だった残骸から離れた。
火は町のあちこちで燻っている。
そう遠くないうちに、この宿の残骸にも火が回るだろう。
彼女が一瞥した先にある、残骸に上半身が埋まりぴくりとも動かない血溜まりの中の下半身。
姉妹にも良くしてくれた、この宿の看板娘の少女。
その遺体にも、やがて火が周り葬られることだろう。
背嚢を回収したピエールは、片方の背嚢の中身を全て出し、残骸をかき分けた時に回収した木の棒に布を巻き付けてから空になった背嚢へ当てがい始めた。
暫しの試行錯誤の後、完成したそれを背負う。
更にその上から、アーサーをも背負った。
背嚢の内部で固定した木の棒が妹の尻を支え、足を背嚢の紐が固定する。
重心は姉の背、やや高い位置にかかり、両手を離しても妹の身体や重心がずれることはない。
背負子のような形態の、両手を使わず人を背負う為の小細工だ。
ちなみに背嚢の中の荷物は、物を減らした上でアーサーに背負わせた背嚢に納められている。
暫く身体を動かして具合を確かめたピエール。
問題が無いことを確認してから、ゆっくりと、一歩ずつ踏みしめるようにして廃墟を西へと進み始めた。
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廃墟の町を出る道中、ピエールは町の市場通りへと出た。
つい半日ほど前までは溢れんばかりの人や物で満ちていた通りだが、今は見る影も無い。
近くで屋台の食品調理の為火を用いていたのが災いしたのか、火の回りが早い。
火と瓦礫の下には無数の人影が埋まっているが、動くものも響く声も無い。
ぱちぱちと火の爆ぜる音だけが鳴っていた。
ピエールは火を避けるようにしながら市場通りを抜け、倒壊した屋台の残骸から辛うじて潰れずに残っていたビスケット状の物体や乾物、飲料と思しき瓶などを確保した。
彼女にはこれらの食品が何なのか、名前も材料も全く分からない。
しかしこうして市場で売られているということは少なくとも食料ではある筈だ。
食べ物を一纏めにし、一旦アーサーを降ろして彼女が背負っている背嚢の中へ詰める。
これで二、三日は持つだろう。それ以降は道中で自給自足の必要がある。
他、食料以外にも何か回収出来る物が無いか目を光らせたが、めぼしいものは見つからない。
特に武器が発見出来ず、武具屋は一朝一夕では掘り起こせないほどの瓦礫に埋まっていたのが大きな痛手であった。
手元にある武具は、腰にある短剣一本、そしてアーサーが普段使っている革張りの丸い小盾しかない。
市場通りを出て暫し歩けば、すぐに町の西端へと到達した。
外壁は砕け、門は倒れ、死体が埋まっている。
町中と何一つ変わらない死した町の光景。
ピエールは一度だけ振り返りかつて町だった残骸を見やってから、ゆっくりと瓦礫の山を乗り越え町を後にした。
短く苦しい旅の始まり。
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妹を背負い、一人ピエールは歩き続ける。
視界は左右前方、地平線の彼方まで平坦な緑の平原が広がっている。
そこに人の営みの痕跡は無く、ただ踏み固められた土の道だけが生物の存在をかすかに匂わせていた。
ピエールの顔に笑顔はない。
戦か葬儀か公開処刑か、望まぬ何かに臨むかのような重たい覚悟を露わにして道を進んでいる。
身に纏う装備越しに背中に伝わる妹のか細い呼吸と、周囲の生物の気配に神経を集中させながら。
無言で空を見上げるピエール。
麺棒で押し伸ばされたような薄い雲が張り付いた空に青は無く、どこか黄ばんで見える。
そんな黄ばんだ曇り空の下には飛翔体が一つ。
六本の脚と三つの節に分かれた身体。昆虫の類だ。
しかも空の彼方を飛んでいるのにはっきり見えるほど、少なくとも人間並に大きい。
もしもアーサーがそれを見ていれば、翅が四枚ではなく二枚であることから、飛翔体が蠅や虻、蚊などの類である可能性に思い至ったことだろう。更なる詳しい情報が聞ける可能性もあったことだろう。
しかし姉に背負われたアーサーは空を眺めるどころではなく、弱々しく目を閉じたまま必死に体内にある毒素と戦い続けている。
故に飛翔体の正体に近づくことはなく、ただ大型の虫らしい物体が飛んでいる、という情報に留まった。
「……」
わずかな間飛翔体を眺めていたピエールが、おもむろに視線を地面へと降ろした。
右手から力が抜け、ゆるりと垂れ下がる。
軽く小さく息を吐く。
次の瞬間ピエールの右手が唸り巨大虻に短剣を突き込んでいた。
上空から急降下して瀕死体を奪おうとしていた巨大虻が胴体下部に深々と穴を開けられつつ、真横に突き飛ばされる。
見立て通り人間大であった巨大虻は黄土色の体液をまき散らしながらどすん、どすん、と重量感たっぷりに草の上を転がり、その勢いのまま即座に飛び上がって体液を滴らせつつ逃げていった。
死にかけの獲物を浚うだけの簡単な狩りかと思いきや、予想外の反撃に慌てて逃げ出した巨大虻。
しかしピエールが突き立てた短剣は刃が根元まで巨大虻の身体に埋まり、内臓まで達している。
今は飛ぶ力も残っているが、もう長く生きることは出来ないだろう。
ピエールは逃げる虻が視界から消えるのを見送ってから、短剣の汚れを軽く拭いベルトに収めて歩き始める。
「何とかなった」
小さく呟くピエール。
しかし返事はなく、呼びかけた言葉は広大な空の中にあっという間に希釈され消えていった。
言葉による返事の代わりに、少しだけ身動ぎした感触が背中に伝わる。
「……あ、そうだ。ねえアーサー、お腹と喉とトイレと、何かしたいことはない? 伝えてくれたらすぐに休憩するからね。喋る元気が無かったら、私の髪の毛引っ張ったり、頬叩いたり、息吹きかけたりして教えてくれたらいいから」
あ、でも鼻や目に指突っ込んだりはしないでよね。
ピエールはそう付け足し、明るく笑いかけた。
しかしその笑顔もどことなく白々しく、すぐに霧散して消えてしまう。
アーサーからの返事は、震える手を何とか動かし姉の頬を撫でることのみであった。
ピエールは彼女の手を一度優しく握り返し、歩みと決意に力を込める。
一歩一歩、淡々と、踏みしめるように歩を進めていく。
そうして更に歩き続けて暫し。
西の果てから、無数の何かの気配が迫っていた。
「……」
ピエールは口を固く結んで前方を睨み、再び短剣を抜いた。
加えて革張りの丸い小盾も手に取り、右手に短剣、左手に小盾を装備する。
「二十……いや三十はいるかな……。あまり強くなさそうだけど……」
アーサーに呼びかけるように独り言を呟き、道の少し端に寄って前方を見つめ続ける。
やがて現れたのは、人の腹部ほどの高さがある赤い獣の群れだ。
二足歩行で、やや丸みを帯びたずんぐりとした体型。
頭部は兎のような長い耳と獏のような長い吻を持ち、後脚は太く発達し腹部には袋。
ツチブタと呼ばれる獣とカンガルーを混合したかのような奇妙な生物だ。
髑髏洗いと呼ばれる獣の魔物である。
名が示す通り生物の頭蓋骨を好む性質があり、一定以上の大きさの屍を発見すると頭部をもぎ取り持ち去っていく習性がある。
手に入れた頭蓋骨は常に持ち運び、外敵に襲われた際に武器にする他、所持している髑髏の質が群れや異性間におけるステータスになる、と言われている。
しかし現れた髑髏洗いたちは、名前に反し一匹として頭蓋骨を所持している者がいなかった。
皆手ぶらで、一直線に地面を跳ね西から東へと移動している。
「……ほんと、どこ行っても気づくの早いよね、皆」
髑髏洗いの習性をぼんやりとだが覚えていたピエールが、警戒を緩めないままぽつりと呟いた。
彼女の推測通りである。
何らかの理由で町が滅んだことを知った自分の髑髏を持たない未熟な髑髏洗いたちが、人の頭蓋骨を求めて町へ急行しているのだ。
いずれにしろ髑髏洗いは概ね草食寄りであり、生きている人間を襲うことは少ない。
髑髏洗いたちはピエールの横を通過し廃墟の町へと向かう。
ピエールに背負われた瀕死体に意識を向けた個体が数匹いたものの、彼女が短剣を握り締めてゆっくり、しかし力を込めて威嚇するとすぐに去っていった。
町へ向けて駆けてゆく髑髏洗いたちの背中と尻尾を見送ってから、ピエールは短剣を腰に戻し歩みを再開する。




