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姉妹冒険者物語  作者: 並野
クルムトゥの黒き怪物
148/181

12

「いやあああああっ! もう嫌あああっ!」


半ば開いた馬車の入り口からそれを直視してしまったプリシラが絶叫した。

 ウォルトはすぐに娘を抱き寄せ、片手で馬車内の収納箱を開き薪用の木切れから程良い長さの物を取り出す。

 ディーンがそれを受け取り、両手で握り締めた。


「あいつらっ、昨日全部殺した筈だよっ! なんで、なんでまだ来るのっ!」

「狼狽えるな! 襲ってきたらまた殺すだけだ!」


未だ襲い来る人面蛇を迎撃しながら叫ぶチュチュ。

 完全に気が動転しており声が裏返っているのを、ジョッシュが怒鳴りつけて抑えた。


「小娘ども! お前らは」

「蟹が来始めた! 暫くそっちへは行けない!」


言葉と同時に甲殻と刃のぶつかる硬質な衝突音が響き、ジョッシュは歯噛みしながら後方へ意識を戻した。

 間髪入れず人面蛇が飛びかかるのを、盾で押し返し脳天に剣を振り下ろす。


 その間にも、彼方から迫ってくる野犬の群れ。

 近づくにつれ、その姿が鮮明となっていく。


 頭蓋が陥没し、押し出され飛び出たままの目玉。

 削ぎ落とされた耳。

 表皮を失い露出している各所の骨。

 青白く変色した、生気の失せた体色。

 酸味のある腐り始めの臭気。


 既に完全な死骸であることは疑いようもない。

 しかし走る足取りに乱れはなく、目や耳などの部位が欠損している個体は多いが運動能力と攻撃能力を司る足と顎だけは全ての個体が不足無く備えている。

 露出している肉からも、出血の様子は見られない。

 その姿を目にした全員が、全く同じ結論に達した。


 昨日殺した野犬が、不死者となって蘇っている。

 間違いなく、黒衣の怪物の仕業だ。


「わおおおおおっ、おおおお!」


屍犬たちが遂に一行に追いついた。

 襲い来る青白い腐肉の濁流を、三人は全身を使って辛うじて撃退する。


 不死者となっても屍犬の脆弱さは変わらないどころか、腐敗の影響か更に脆くなっていた。

 盾で突き飛ばしても、蹴り飛ばしても、剣を振るう際の二の腕が衝突しても骨肉を散らかしながら吹き飛ぶほどだ。

 追い返すことはそう難しくない。


 しかし脆さと反比例したしぶとさは昨晩より輪をかけて酷く、頭を落とされようが足を削がれようが胴体を両断されようが動きは全く衰えない。

 昨晩の半死の状態であれば頭や足を失えば動いてはいても判断力や感覚器官が失われ無我夢中で暴れるばかりであったが、今回はどれだけ身体を欠損させても運動能力以外何一つ損なわない。

 頭を落としても迷うことなく一直線に駆け寄り爪を立てようとし、足を失っても巧みに地面を這いずり足に噛みついて引き倒そうと試みてくる。

 そうして死して尚纏わりついてくる屍犬に意識を取られれば、


「痛ってええええ! くそっ!」

「ネイト!」


ネイトの二の腕に、飛びかかった人面蛇の牙が突き立てられた。

 深く刺さる前にすぐさま盾で殴り剥がしたが、服の上にじわりと血が染み出る。

 人面蛇はどうやら毒を持たないということだけが、不幸中の幸いであった。


「ネイト! 状態は!」

「大丈夫! まだ戦えます!」

「ジョッシュ! 僕たちも」

「引っ込んでろウォルト! 外に出られても守る余裕が無い!」


棒を装備したウォルト、ディーンの二人に怒鳴り散らし、足に噛みつこうとしている屍犬の頭を踏み潰すジョッシュ。

 彼の身体にも、既に複数の傷が生まれている。


 遙か後方の彼方から迫り来る無数の屍犬たち。

 その数に未だ衰えは無く、昨晩の再来とも呼べそうな数だ。

 加えて何匹か残っている人面蛇たちは先ほどまでの狂気の特攻ではない知恵を発揮し始め、無数の屍犬に隠れ、紛れ、隙を突くような行動を見せ始めていた。

 容易に討たれるようなこともせず、(さか)しく生き延びては陰から三人を(おびや)かし続ける。

 このわずかに残った人面蛇の存在、そして何よりも。


「きりがない、まさか本当に昨日殺した全部の野犬が……!」

「おい! おい姉妹! そっちはどうなの! いつになったら馬車出せるのよ!」

「減ってきたけど蟹はまだ来てる! 今出しても衝突するだけだと思う!」

「あの蟹野郎、本当に、本当に……わうううう!」


焦り。

 この襲撃の最中、いつ黒衣の人影が現れるのか。


 不安。

 魔法使い二人を喪ったこの状況で、襲撃の最中に、あるいは襲撃の直後に、黒衣の人影と交戦して果たして無事に撃退出来るのか。


 恐怖。

 次は自分が死ぬのではないか。


 "追われている"という状況から来る強烈な精神的重圧が、全員の心を蝕んでいた。

 加えて疲労すらも完全に抜け切ってはいない。

 この状況で完璧な対応、判断を続けるのは極めて困難で――


「ぐっ」


先ほど右腕を噛まれた痛みで、ネイトの剣撃がぶれた。

 屍犬の上顎と下顎を分離しようとした斬撃は喉元から首ごと刎ねてしまい。


 刎ね飛んだ屍犬の頭部がネイトの顔面に食らいついた。


「うわあああっ!」

「ネイト!」


右目からこめかみにかけての範囲に、噛みつく屍犬の頭部をぶら下げながらネイトが叫んだ。

 すぐさま盾を押しつけて引き剥がし、辛うじて目元に歯型が残っただけで済む。

 しかし疲労と重圧による最も致命的な判断ミスは、彼の被弾ではない。


 気が動転したチュチュが持ち場を離れて、ネイトを助けに走ってしまったことであった。


「戻れ犬ころォ!」


ジョッシュの怒声によってチュチュが気づいた時にはもう遅い。

 チュチュがいた場所を通過した屍犬と人面蛇が数匹、防衛線を突破し馬車へと向かっていた。


「ああっ、あああああ!」


様々な感情がない交ぜになり、目を剥き絶叫するチュチュ。

 慌てて突破した個体を追いかけに走ったが、ここで彼女が取るべき最適解は討ち漏らしは姉妹やウォルト、ディーンらに任せ自身は即座に持ち場の防衛へ戻りこれ以上の突破を防ぐことである。

 しかし疲労、重圧、緊張に苛まれ半狂乱に等しい状況にある彼女に冷静な判断は出来ず。


 防衛線が崩壊した。


「このっ……!」

「アーサー駄目っ!」


突破した獣たちが最初に向かったのは馬車内の非戦闘員ではなく外の馬であった。

 アーサーが即座に迎撃を試みたが蟹と獣、二方向からの襲撃を完全に捌き切るのは難しく、迫る屍犬を切り捨てたところで、後ろから蟹に腕を挟まれる直前、駆け寄ったピエールによって蟹は(はさみ)を断ち切られた。

 しかしピエールがアーサーの元へ向かったことにより、やはり片側の蟹の押さえが無くなる。


 突破した蟹が一直線に馬車に体当たりした。


「待――」


蟹が車輪を破壊し馬車の下へ潜り込み、その結果斜めに傾く馬車。

 一瞬ぐらり、と重心が拮抗したが、そのまま轟音を立てて横倒しになった。

 中から女性のヒステリックな悲鳴が響く。

 馬車と繋がれていた馬も無理な姿勢で横倒しになり足や身体を痛め、山のような泡を吹きながらも暴れずに堪えていた彼らが今度こそ死と直面して狂ったように暴れ始めた。

 しかし横に倒れてしまっている為、ただ意味もなく足が空を掻くばかり。


「蟹をお願い! もうあしらうだけでいいから!」

「姉さんは!」

「後ろを掃除してくる!」

「分かりました!」


言うやいなや、ピエールは後方へと弾かれたように飛び出していった。

 右手に手斧を、左手に途中捕まえた人面蛇(ムチ)を握り、斧と鞭の二刀流となって屍犬の濁流のど真ん中へと飛び込む。

 彼女が身体を回転させながら斧と鞭を振り回せば、まるで麦畑のど真ん中に発生した竜巻のように屍犬を肉片に変えていった。

 その威力は、散らかした屍犬の血肉が高さ五、六メートルはある天井にまでへばりつくほど。

 特に人面蛇(ムチ)の先端が直撃した屍犬は、一撃で胴体が完全に弾け飛び血泥に変わってしまっている。

 壁に全力で叩きつけたトマトですらこうはならないだろう。


 馬が転倒して使い物にならなくなったことを悟り、蟹の撃退よりも屍犬の完全な一掃を優先し始めたピエール。

 多少の被害を厭わない彼女の全力の掃討撃により屍犬は見る見るうちに数を減らし始め、それまでに護衛三人が奮闘していたこともあってじきに屍犬の濁流は収まりを見せた。

 屍犬が減ったところでアーサーの援護に戻り、彼女が目や脚を断ち軽くあしらっていた蟹を改めて一掃する。


 見回せば、護衛三人の手によって人面蛇や防衛線を突破していた屍犬も全て討ち取られていた。

 ひとまずの戦いの終わり。


 アーサーは戦いが一段落つくやいなや、姉の様子を窺うよりも先に横転した馬車から残っていた燃料や木切れを引っ張り出し洞窟後方に火を放った。

 煌々と燃える火がうずたかく積もった屍犬と人面蛇の死骸を焼きながら炎の壁を形作る。

 その最中、炎に照らされる後方から影が這って来ていないか、黒衣の襲撃が無いか何度も何度も確認したが、今回ばかりはまだ追いついていないらしい。

 ようやくアーサーは一息つき、姉の元へ駆け寄った。


「……」

「姉さん」


やや息荒く、肩を上下させる姉の元へ駆け寄るアーサー。

 馬車と併走し、蟹、屍犬と駆けずり回り続けたピエールの体力的消耗は激しく、手足の各所にも屍犬や人面蛇による噛み痕が散見されていた。

 アーサーが差し出した治癒の薬を、ピエールは視線を向けず受け取って喉へ流し込む。


 ピエールの視線と意識は、横転した馬車内部へと向いていた。

 今の今まで、殆ど声がしないその中へ。


「……ボス……あたし……あたし……」


馬車の出入り口前で。

 ピエールと同じくらい息を荒くしているチュチュが、消え入りそうなほど小さな鼻声でジョッシュを呼んだ。

 足場に腰掛けるジョッシュは何も言わず、無言で俯いたまま。

 その側では、横転した馬車に背を預け、静かに肩を上下させているディーンの姿もあった。

 陰気な嫁のアイヴィーが首根っこに腕を回して抱きつくのを、優しい手つきで撫で返している。

 二人の男には、一つの共通点が生まれていた。


 身体の一部に深手を負い、少なくない量の血を流している。


 ジョッシュは右腕。

 ディーンは右足。

 どちらも防衛線を突破され獣たちがなだれ込んできた際に、愛する者たちをその身で庇った結果だ。


 今は周りの者たちによる応急処置で固く包帯を巻かれ止血されているが、怪我を負った部位の衣服が血で真っ赤に染まっている。

 二人とも表情は平気そうにしているが、出血量からして深手であることは疑いようもない。


「ボス、今手当を」


横転していた馬車から魔法石の残りを引っ張り出してきたネイトがジョッシュへと駆け寄ろうとする。

 しかしジョッシュは、ネイトを傷だらけの手で制止した。


「ボス?」

「いらん」


端的な言葉と共に、武具を握る手に力を込め、遙か後方を睨む。

 意図を察したウォルト、それにピエールが複雑な表情を浮かべる。


「俺はここに残る。お前たちは行け」

「……ボ、ボス? 何言ってるの……?」


チュチュの呼びかけにも応えることなく、後方、火の壁をジョッシュは睨み続ける。

 チュチュとネイト、二人が言葉の意味を理解出来ない、といった様子でその背中を唖然と見つめていた。


「ボ、ボス、そのくらいの傷ならネイトが治してくれるよ。魔法の石だってまだ残ってるし、全然、大丈夫だから」

「もう馬が使えねえんだぞ。ここからは歩きで逃げなきゃならん。昨日や一昨日だって馬で逃げて結局追い付かれてる、このままただ歩いて逃げてもすぐに追い付かれるだけだ」

「だ、だから早く治してすぐ逃げようって言って……」

「足止め役になるつもりかい、ジョッシュ」


横から言葉を挟んだのは、背中に気絶した娘を背負っているウォルト。

 彼の言葉に、ジョッシュは背中で首肯した。


「分かってるなら早く行け。時間が惜しい」

「ボ……ボス、足止めって、何、言ってるの!」

「うるせえぞ犬ころ、きゃんきゃん喚くな」

「やだ! あたしやだ! おじじも、ケアリー姉ちゃんも、亡くしたのに、ボスまでなんて!」

「……ウォルト。早くこいつらを連れて行け」

「僕に、言えってのかいジョッシュ。君の妻子に、君の最期を」

「心配するな。荒事を仕事にしてるんだ、あいつらも覚悟は出来てる」

「……ジョッシュ」

「頼んだぞ、ウォルト」


その短いやりとりを最後に、ウォルトは彼の提案を受け入れた。

 長年付き合ってきた仲間にして親友の男の犠牲を。


「ボス! あたしは認めない! 絶対に!」

「ネイト。そいつを連れて早く行け」

「……分かりました、ボス」

「やだよ! 離して! 離せ! ネイト!」

「……チュチュ、ネイト。お前らはまだ経験は浅いが、腕前は十分なものを持ってる。俺が認めるんだ、自信を持て。……ウォルトとお嬢を、頼んだぞ」

「……はい……」


最後の一言は涙声で。

 ネイトはチュチュを無理矢理引きずり、ジョッシュの元を後にした。


 その隣でも。

 足を怪我してろくに歩けなくなったディーンが自分を置いて行け、とアイヴィー相手に押し問答を繰り広げようとしていた。


 が。


「アイヴィー……いい子だから、僕の話を」

「嫌。絶対に嫌」

「……アイヴィー」

「絶対にあなたを置いてなんて行かない」


アイヴィーの意志はあまりにも頑なであった。

 血を失った所為かやや青ざめた顔で重い吐息を吐きながら、嫁を窘める為表情を険しくする。


「……現実を見るんだ、アイヴィー。僕はもう歩けない。今の状況で、皆に僕を運ぶ余裕は無い。僕のことをはもういいから、君だけでも」

「絶対に嫌」

「アイヴィー、いい加減に」

「現実を見てないのは! あなたの方!」


一向に考えを改めない嫁へ声を荒げようとしたが、彼の言葉に被せるようにアイヴィーがヒステリックに叫び返した。


「……私には何も無いのよ、ディーン。呪文も使えない。美しくもない。知恵も、力も無い。私は誰にも好かれないいらない子」

「アイヴィー、そういう自分を卑下する言葉は嫌いだって、前に」

「あなたが何と言おうと私は周囲から邪険にされ続けた無能なのよっ!」


悲鳴のように叫んだアイヴィーが、不意に姿勢を変えた。

 ディーンの腕を掴み、自身の背中に回す。

 歯を食い縛り、ディーンの肩を支えて立ち上がったのだ。


「アイヴィー、止めるんだ。僕を担いで行ったら君の体力が持たない。僕のことは諦めて、君だけでも」

「あなたが死んだら私も死んでやる」


何の迷いもない一言。

 夫を支えて歩き出しながら、アイヴィーは目を据わらせて言い放った。


「もしもあなたが死んだら、私は真っ先に後を追う。あの汚い野犬に噛み殺されたなら私も首を差し出す。気持ち悪い蛇に噛まれて死んだなら私も噛まれる。黒い奴に襲われて殺されたなら、あいつの顔を殴りつけて、殺されてやる」

「……アイヴィー……」

「私にはあなたしかいない。私の今までの人生で、私を愛してくれたのはあなただけ。私の生きる喜びはあなたにしかない。あなたを失って、また無能女って罵られながら一人で生きていくなんて絶対に嫌。だからあなたが死んだら、私は絶対に後を追う」

「……」

「私は、あなたを、愛しているの」


全身全霊の力を込めて、ただ前を睨みながらアイヴィーは言い切った。

 ディーンは暫く言葉を探していたが、やがて諦めたようだ。

 ため息と共に青い顔に弱々しい微笑を浮かべ、無事な片足に力を込める。


「……君はやっぱり、凄い(ひと)だよ。僕なんかには勿体ない。……君の周囲の人は、人を見る目が無いね」


こうしてディーンは嫁の土壇場の底力に支えられながら、辛うじて脱落せず一行と共に出発した。

 新たに一人を喪い、計八人となった一行。

 最後の逃亡行が始まる。

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